2003年9月
09月01日(月) リニューアル |
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更新がとにかく面倒くさいので,この日記を使わせてもらうことにする。 負担が少なくなることを祈りつつ。 彼は,私よりひとまわりは年上の医師だ。 大学病院でのルーティンワークに見切りをつけ開業医をめざす。とはいえ,両親はいうにおよばす親類縁者に医療職がいるわけでなく,開業するにはいささか心もとない。いたずらに時間は過ぎていく。 大学病院から車で30分ほどの地に家を買いもとめたのは何かの縁だったのだろうか。ほどなく医療法人を経営する知人から,その地に診療所を開きたいのだが,赴任してもらえないだろうかと打診があった。 もちろん2つ返事で了解した彼は,世にも稀な雇われ開業医となる。 専門は泌尿器科だ。診療所に訪れる患者の数は知れている。だから,はじめから往診で食っていこうと考えていた。時,まさに介護保険前夜。地域で(善し悪しはさておき)さまざまに動きはじめたころのこと。ニーズは十分だった。 さて,彼がクラシックギターを数十年ぶりに練習しなおすきっかけとなったのも往診だった。在宅で看取った患者さんの形見にギターを受け取った。受け取ったからには弾かねばならない。意外と律儀な性格なのだ。半径10キロほどを往診にまわっていると,いきおい地域の情報が手に入る。そう遠くないところに,クラシックギターを教える人がいると聞き,その門を叩いたのが1年半前。以来,半年に一回,県民会館の小ホールを借り切り,小さなリサイタルに参加することになる。 ギターの先生が心筋梗塞のため,車中で倒れ帰らぬ人となったのは次のリサイタルの1週間前のこと。予定はすべてキャンセル,クラシックギターと教本だけが彼の手元に残った。 丁寧に爪を研ぎながら,それでもギターの練習を続ける彼は,「大抵のことには動じなくなった」という。 「ほんと,信じられないようなことが起きるんだから」 |
09月02日(火) ベリ・ダンス |
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弟がミラノへいくまえ,最後に食事をしたのは吉祥寺の羅宇屋だった。 なぜか吉祥寺で待ち合わせ,古本屋,古着屋,中古レコード屋のセコハン三昧の末,地下への階段を降りた。 2人してカレーを黙々と食べたことを覚えている。 そのことに気付いたのは,しばらく後,家内とベリ・ダンスを観にいったときのこと。この前,弟とカレーを食べた席はキレイに片づけられ,狭いながらもステージとして機能していた。あのとき座ったテーブルはステージの上に据えられた席だったのだ。 「このまえ,あそこでカレー食ったんだ」 家内にそういったものの,何のことやらわからなかったようす。ステージ上では火のついた蝋燭を椀のなかに入れ,巧みに手足,腰をくねらせる女性の姿があった。 |
09月03日(水) 豪快さん |
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電車が遅れた翌日の新聞に慣用される「この影響で4万人の足が乱れた」をして,山田風太郎は,一斉に4万人が躓くさまを想像すると読んだ覚えがある。 そこだけ引用して終わりにするつもりで『半身棺桶』他を捲るが,該当するフレーズが出てこない。 どこかの対談で引用されたようにも思うのだが,出典不明。 |
09月04日(木) it's no game |
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大学がある町の駅前にプール・バーができた。ナインボールで3時間,4時間,飽きずに通ったものだ。 麻雀も同じだが,とにかく寡黙で臨むと比例して結果がいい。しかし私は,ゲームとなると「黙して語らず」にはなれず,やたら言葉数が増える。麻雀で「泣かせてくれ」なんて声があろうものなら,「ンンンー,ンンン ンンンー」とクリムゾンの「スターレス」のイントロをハミングしないわけにはいかない。ゲームがすすむにつれ,加速度的にくだらないリアクションになるのだが,まさに「黙して語らぬ」友人は着実に勝ちを重ねた。 「きたねぇなぁ,リアクションしろよ」 そうはいうものの,自分がしゃべり続けるのだから世話がない。 会社帰り,何のはずみか上司と御徒町のプール・バーに入ったのが運のつきだ。彼は4つ玉で腕を磨いた世代。15年近くのブランクがあったためなのだろう。私が勝ち,夕飯にありついたのは最初のうちだけ。次第に本領を発揮し,手練手管にしてやられる。 ここでも「しゃべりすぎるから負けるんだよ。集中しなきゃ」と散々いわれた。「できるなら初手からやってますよ」といっても,なかなか理解は得られなかった。 それにしても,自分よりひと回りは上を相手にゲームして,私は何をしゃべっていたのだろう。確かに「ゲームをすると,何故か喉が嗄れるな」とは,常々思っていたが。 |
09月05日(金) 人生を語る |
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歩道脇のガードレールに腰を横たえて2人の男がいた。 ひとりは40歳なかば。小柄の痩せぎす,七三に分けた髪をしっかりなで付け,銀縁眼鏡の奥には皺が刻まれている。 もうひとりは20代。短く刈った髪をピンと立て,グレイのTシャツにGパン姿だ。 2人の間は2メートルもない。路駐自転車数台が隔てるものの,手を伸ばせば(あまりに非日常的だが)手さえ握りあえそうな距離だ。お互いは別々の理由で人を待っているようすに見えた。 「だから,社会に出るってのは」 年嵩の男の声がした。私は驚いた。独り言にしては,やけに大きな声だ。 「いや,おれ,やりたいことと違ったんですよね」 若い男が応える。 さては,この2人,知り合いなのか。 「転職するなら,今のうちだし」 「社会って,そんな甘いものじゃないぞ」 沈黙。 どうやら,偶然に同じ場所で待ち合わせた2人が,ひょんなことから人生論を闘わせているところらしい。妙な場面に遭遇してしまった。 40代の男は,人生の先輩として社会の厳しさを若者に伝えようと言葉を選ぶ。若者には,まだ見ぬ未来への期待しか見えない。 私は今どき,フリで出会った2人が,よくも熱く語り合えるものだと感心した。が,聞き耳を立てるのにも飽きてしまい,また『日はまた昇る』(まだ読み終わっていない!)を読みはじめた。 と,40代の男は歩道に面した一軒の店先を見遣る。一歩,また一歩と入り口に向かった。そこに20代の男が続く。 「お母さん! まだ選び終わらないのかな」 素っ頓狂な四十男の声が路上まで響いた。20代の男はきょろきょろするばかりだ。 その店のウインドウには「夏物90%オフ」と書かれたポスターが,これでもかといわんばかりで張り出されている。店内は女性客で溢れている。 こ奴ら2人とも,連れがバーゲンセール会場に突入し,あまりの長きにわたり帰ってこないという,同じ境遇だったのだ。くれぐれも人生論は,他のところで闘わせていただきたいと,切に願う。 私の家内と娘も店内にいるのだから。 |
09月06日(土) 呪縛 |
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ショパンの英雄ポロネーズ変イ長調Op.53をライブで聞いた。 メリハリの効いた演奏で,一瞬,音が止まるかのように傾れ込む瞬間のスリリングさ,左手が紡ぎ出すミニムーグのような重厚感。そう,タコ坊主ゲイリーニューマンのような。 こういう演奏を聞くと,「打ち込みで曲作っても,軽々と弾き倒されてしまうのだろうな」などと感慨も一入だ。 とはいえ,これらは会場を後にしてから浮かび上がってきたこと。 音に包まれている,演奏中は,宇津井健と水谷豊,竹下景子(だったか?)のオーバーな演技が瞼の裏を闊歩し,おおよそ演奏に聞き入る余裕はなかった。 山口百恵のいない「赤い」シリーズ。なんと酷なドラマをつくったのだろう。毎回,繰り返される,ピアニスト・水谷豊の演奏シーンと,それに被る「英雄ポロネーズ」。草刈正雄をものまねするタレントのものまねをナルシスティックに演じたクラスメートが,水谷豊のものまねを,同じように悦に入りながら,そしてこの曲を口ずさみながら私たちの前で演じていたようすまでありありと浮かび上がった。 演奏家には申し訳ないと思うが,しかたない。 とはいえ,モーツァルトのソナタ第8番イ短調K.310を演奏するにあたり,「冬のソナタをご覧になっていらっしゃった方,どれくらいいますか?」と切り出すものはいかがなものか。 |
09月07日(日) ほー,連想 |
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T-Rexの“Spaceball Ricochet”を,ときどき口ずさむことがある。 しばらく聞いていなかった,例のアルバムを引きずり出したのは,プリンスが日本でもメジャーになったころ。彼自身の映画も評判(どんな?)だった。ラジオや雑誌に映るプリンスにはほとんど興味なかったが,いつもマーク・ボランの姿が重なってしまうのだ。 そこで件の曲が登場する。 ブライアン・フェリーみたいにプロレスラー並の体格をしたミュージシャンもいるにはいるが,総じて背が低い(+頭がデカイ)。実際,ロバート・フリップや平沢進をライブで見ると唖然とする。そういえば平沢は,ライブで伝説の「つま先立ち歌い」を披露していた。 なので,“but I'm small……”と素直な歌われると,ぐっとくる。 プリンスも背が低い。もちろん,それだけの理由ではないのだが,あの映画から“Spaceball Ricochet”が聞こえてこなかったのが不思議だった。 デヴィッド・ボウイがキンクスの古の名曲をカバーしたと聞き,なぜか“Come Dancing”を連想してしまい(実際には別の曲だ),あの曲のPVで,姉がダンスする光景を見つめる弟の,まるで映画のワンシーンのような場面が蘇る。映画のワンシーンで,聞こえてくる音楽のほうが強烈なのは何だろうと考えた。 結局,そちらは放っぽって,背の低いミュージシャンの話になった次第。 |
09月08日(月) カイカイデー |
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内田百閒の「掻痒記」は子どもにも受けるようだ。 寝る前に話すストーリーが思い付かず,適当にアレンジして話したらやけに受けた(この場合,オリジナルというより,倉多江美の『さくらサクラさくら』(要確認!)のほうに近くなったのだが。 このまえ,旺文社文庫の『王様の背中』を取り出したときはドキリとした。いくらなんでも,そんなもの読むのは疲れる。そのうち久作の『白髪小僧』にでも目をつけたらどうしよう,などということは起きる筈もなく。 サイトに手を加えた。 |
09月10日(水) それはいかがなものか |
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私たちのゼミ室には,いろんな卒論が置かれてあった。 もちろん,ほとんどが論文であったが(卒論なんだから当然だ),なかに混じって自作の曲が録音されたカセットテープや漫画など,「卒論」と,どうつながるのか理解できないものが,あたりまえのように並んでいた。もちろんすべて「卒論」の名のもとに残されたものだ。 それらすべてに8割の合格点が与えられていたのだから,いやはや。 構想数か月。ともあれ,私たちにも卒論を発表する場が用意された。さすがに,ギターを弾き語ったり,拡大した漫画を紙芝居のように読みはじめる輩はいなかったが,会場は奇妙な雰囲気に包まれた。 「自殺」や「奇矯」,「悪趣味」,「性倒錯」あたりの発表は,とりあえず了解可能な範疇にあった。徹と裕一が共同で執筆した論文の発表を,ニュースショーのようにはたまた漫才のように,掛け合いで進めたのは異色だったろうが。 だがしかし,「進化の異端児 鼻行類」のタイトルを見たとき,誰もが絶句した。 鼻行類って,人間じゃないじゃないか? それも架空の動物だろ? このゼミって,とりあえず人間が対象じゃなかったか? 異端児って,鼻行類は子どもなのかよ? 誰の? 会場はどよめいた。演題に立ったのは,喬史だ。 喬史は,まず,いかに反社会的な人間の行為に意味があるかを訴え,異端の極北として鼻行類をあげるという強引な展開で,私たちを煙にまく。後半は鼻行類の解説だ。整合性を問うよりも何も,全篇に漲るシュールな展開にまったく追い付いていけない。質せば理解できる点もあろうが,ただ,笑いを堪えるのに必死だった。 あの卒論は,いまもゼミ室に置かれているのだろうか。 |
09月11日(木) レスキュー |
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相変わらず,Macが調子よくない。 保守期間を過ぎないうちに,一度,メンテナンスにだそうと思う。しばらく,日記の更新はできそうにない。 他のところを,他のところから更新していければよいのだが。 この前,昌己と飲んでいて,やはり喬史や徹の話になった。もはや昔話の範疇だろうに。 元来,百歩譲っても「まっとうな舌」だとはいえない徹が,喬司に感化され,吉野家の牛丼に卵をかけて食うことに味をしめた。 ある日,徹と喬史が連れ立ってカウンターに座っている。 「牛丼の並とぎょく」 いつものように喬史は注文する。その喬史が徹のオーダーを聞いて唖然とした。 「牛丼並にぎょく2」 徹は,卵を1つかけただけであれほど旨いのだから,2つかけたならば,その旨さは筆舌に尽くしがたいものだろうと考えていたらしい。喬史はわが耳をうたがった。 「ぎょくって,注文するとき数量つけるもんかよ!」 確かに,喬史にしては的確な指摘だ。 私たちは,ウイスキーとジンバックを飲みながら,ジャズをBGMに爆笑した。 |
09月13日(土) 経過報告 |
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とにかくiMacを取りにきてもらい,メンテナンスにもってってもらうために,サポートセンターへ電話。 はじめに出たのは,相談を受ける態度からは,もっとも遠いところで語られたかのような口調の男性だった。症状を一通り説明すると,ショートカットをいくつか伝授され,それでもダメだったら,「そのときはピックアップ&メンテナンスになります」と,すっかりかわされる。 数時間後,再び電話をすると,今度は関西弁の腰の低い男だ。 こういうとき,関西弁+腰の低さは,ふだんの何倍も力強く響く。 腰は低いものの,なかなかピックアップに話がすすまない。そんなにピックアップの敷居は高いのだろうか。 そう思いながら,とにかく一度,見てほしいので,「5,250円のサポートチケットを買うから,ピックアップを」といった途端,彼の口調に押し出しの強さが加わった。 「わかりました。早速,書類を作成しますんで……」と,タイミングよく必要な情報を拾っていく。途中,何かしらのヒントをひねりだそうと,うめく声さえ聞こえる。ガンバッテくれ! 思わず声援を送りそうになる。 「大丈夫です。まず試してみたいことがあるので,電源抜いてくださいますか」 「えっ? 電源ですか?」 「一度,メモリを拭いて,そのまま,再インストールに突入します!」 再インストールって断言されても, 「データのバックアップとらなくて,大丈夫ですか?」 「いや,最悪,データがふっ飛ぶこともあります。取っておいた方がいいですね」 そりゃ,そうだろ。 90日間のサポートを手にしたが,調子の悪いiMacは,まだ,ここにある。 |
09月14日(日) 著者近影 |
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「天才病患者」の出自を思い出した。といっても,「天才病」という言葉のだ。 大槻ケンジ以外に,80年代日本のロックをめぐる日々の書き手がいないことに失望し,自らストーリー練っていた頃のこと。参考になるかと思い松浦理英子の『セバスチアン』を読んだ。ストーリーはまったく参考にならなかったが,なかに出てくる「天才病」という言葉が印象に残った。 「患者」くらい付けても誉められたことではあるまい。 松浦の小説を読んだのは,そのときがはじめてだった。ストーリーよりも,中に添えられた著者近影に惹き付けられた。金井美恵子のデビュー当時をさらに洗練して(こういう形容は,かなり顰蹙だろうが),イノセンスを添えましたという感じ。どう考えても白塗りしたであろう面(だって,首と色が違うんだ)はインパクトがあった。後年,笙野頼子との対談本でも同じ写真が使われていたことに唖然としたが。 著者近影というものが,読み手にとって,何らかのサゼッションを与えるものだということを否定はしない。 ただ,最近,一般文庫でもポルノ小説家の作品がラインナップに加わることがある。先日,そんな一冊を(偶然?)手にしたとき,著者近影が目に付いた。 よくよく考えると,これほど迷惑な著者近影もあるまい。「美少女……」などというポルノ小説,それも一人称で記されていようものなら,ふとカバー折り返しに印刷された,ぶさいくな中年おやじの姿が,物語に没入しようとする自意識に入り込んでこることだろう。 このおやじが一人称で書いたポルノ……。読む自分が情けない。営業上もプラスに影響を与えるとは思えないのに,ルーティンで入れているのだろうか。真意を量りかねる。 ポルノ小説の著者近影について書いている場合じゃないのだが。 結局,iMacのメンテナンスは一時中断。どうにか立ち上がりはするのだ。こんなことしているうちに,無料保証期間をやり過ごしはしないかと危惧してはいるのだが。 でも,再インストールは,面倒だよな,実際。 |
09月19日(金) 死ぬかと思った |
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嫌な予感はしたのだ。 出張初日。9.11から2年を過ぎ,空港内はひっきりなしのアナウンスで緊張感を煽る。にもかかわらず手荷物検査はルーティン。「これでいいのか?」と突っ込み入れたくなるような所作だった。 初めて乗る航空会社だったが,手続きに代わりはない。時間に余裕があったので一便前,午前の便に変更した。「マイナー航空会社の機をターゲットにして,水平飛行になった途端,ハイジャックなんてことないよな」などという絵を描いていると,妙な不安感が頭をもたげてきた。 搭乗機は離陸後,グングンとスピードを上げる。まだ,高度を取っている状態の機内。ベルト着用のサインは消えていない。「ああ,この不吉な時間が早く過ぎないか」。 なのに,私の後ろ,窓際の乗客が突然,立ち上がった。 「あー,ハイジャックかよ」 危機意識と情けなさは,時に一緒にやってくる。 ところが通路に出て3歩。突然,その姿が消えた。そして大きな音。 私が目にしたのは,顔から倒れる女性の姿。まだ機体は上昇し続ける。走り寄るスチュワーデスたち。酸素マスクが用意され,機内にコールが響く。 「お客さまに具合の悪い方が出ました。どなたか医療関係者がいらっしゃいましたら御協力をお願いいたします」 で,いるのだ。医療関係者が。 引き返しもせず,そのまま機内で応急処置が続けられた。一番前の通路側に座る私からは,そのようすがどうしても目に入る。 まあ,スリリングなフライトだった。 そして今日。初日の印象はまだ鮮明だ。帰りも同じ航空会社。さて,2回目のフライトでは何が待っているのか。できることなら飛行機など乗りたくない。ならば,どうやって帰る? 悩んでもしかたない。空港の書店で雑誌を買い求め,そのまま搭乗した。離陸時間が過ぎ,少しずつスピードがあがる。 ところが。 この飛行機は,急にバウンドしたかと思うと,地面から離れようとはしないのだ。「離陸だろ? 離れろよ」などといっている場合ではなく,そのまま右に旋回し止まってしまった。エンジンはまわったままだ。 ざわつく機内。アナウンスが告げる。 「緊急の警報が鳴ったため,機長の判断で,離陸を中止しました。原因を究明し,対応を取りますので,そのままお待ちください」 だが,エンジンは止まらない。外で何かを調べているようすもない。だらだらと動きだし「問題は解消されましたので離陸体制に入ります」。 どうやって解消されたのだろう??? 隣の若い女性2人組は,座席前のポケットから「安全のしおり」を取り出し丹念に読みはじめた。 「これで英語の勉強しよっと」 こんなときに,そんなもので英語の勉強をしなくてもよいだろう。心配なのは私も同じだ。お願いだから,そんなものしげしげと眺めないでほしい。 私は,人一倍短い,右手の生命線をしげしげと眺めた。 「今日が,この先端あたりなんだろうか」 そんなことを思いながら雑誌を捲った。 それでも定刻を少し遅れただけで,何とか到着した。思いっきり肩の力が抜けた。 羽田から京成電車に乗ると,「ああ。電車に限るな」 つくづく,そう思った。 のもつかの間。 自宅に近い乗り換え駅から,一駅もいかぬ間に電車が止まった。 「?」 「踏切内に人が侵入したため,安全のため停止しております」 踏切内に侵入した人間は,ちょっとやそっとでは,そこから動かなかったようだ。何をしているのだろう。人いろいろだから,踏切内に用事がある人間もいるのだろうか。 私は,こうもいろんなことが続くと,さすがに慣れてしまった。それが,あきらめではない,とは言い切れない。 |
09月20日(土) チビッ子 |
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季節はずれに子どもの水着を探すため,デパートの催し物(なんてまわりくどい言い方だろう)会場に行ったことがある。「子ども服フェア」とかなんとかいうものだ。 「水着は置いてありますか」 欄干ばかりを執拗に行き来する清掃員なみの誠実さであたりをうかがう,ひとりの店員に尋ねた。 隣の店員と笑いあった後,やっと,それが自分に対して尋ねられた問いであることに納得しいたようだ。満面に笑みを浮かべると, 「申し訳ございません。『子ども服フェア』には置いてないんですよ。年2回開く『チビッ子服フェア』のときは出るんですけどね。今回はチビッ子服じゃないんで」 「子ども服」と「チビッ子服」。デパート業界では,差異をもって2つの言葉を用いているのだろうか。あの店員のなかでしか通用しない区分けのように思えてならない。 |
09月21日(日) ウフィッツィ |
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以前,「リバース」のタイトルで書くはずだったことが急に蘇ったので。 ウフィッツィ美術館の入り口付近は,相変わらず団体客で混雑していた。入り口を通過するまで2時間はかかりそうな気配だ。慌てる予定はなかったが,一人で2時間待ち続けるのはかったるい。 「ウフィッツィなんて見なくてもかまいはしない」 じっと待ち続ける観光客を横目に(たとえ,弟の結婚式のためとはいえ,私だってその一人に違いはない)私は踵を翻した。 目に止まったのは絵はがきやポスターを買い求める観光客だ。よく見ると,そこはウフィッツィ美術館の出口らしい。自然と足がそちらへ向かう。人垣にまぎれて,さらに覗き込むと,どうらや階段を降り立った踊り場を出口と称しているのだ。おまけに,監視する人間はいない。 要は,ここから入ればいいんだ。 私は納得した。 一歩,また一歩,階段を上がる。私を呼び止める者は誰もいない。そのまま陳列室まで上がってしまった。 さすがにそこまでいくと警備員が揃っているが,私は入り方が怪しいだけで,その場に来た目的は他の客と一緒だ。近くにいた日本人団体に紛れ込み,一通り鑑賞をすませると,もときた通路を戻った。 結婚式場近くでも,車が出入りする裏口(といってもシャッターが自動で開閉する「城」の)から,見ず知らずの家(もちろん「城」)に弟の友人と入り込み,銃でもつきつけられそうな目にあった。結婚式場に見えたのだからしかたない。 本物の教会と式場(宿泊施設を兼ねたワイナリー)は,それは想像以上のものだったのだが。 |
09月22日(月) ららら科學の子 |
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これは今日の日記です。 すでに入手したとの情報があったし,文藝春秋のホームページでは表紙までアップされていたので,そろそろ店頭に並んでいてもいいころか,と探した。結局,見当たらないまま,会社帰り大型書店4件を巡回してしまった。 発売日は25日なので,明後日あたり並ぶのだろう。 1,2年前,矢作俊彦のエッセイ(日記だったろうか)が載っていたので『小説現代』を立ち読みしたときの記憶が蘇る。 そのエッセイのなかで,ある高名な書家の作品に触れ,確か『ららら科學の子』が単行本になるときは,ぜひとも彼に表紙のタイトルをお願いしたい云々のフレーズがあったはずだ。 で,ホームページに掲載された表紙を興味深く眺める。 それは書家の「し」の字さえ関係ないデザインだ。タイトルはロゴ,もしくは何らかのフォントだろう。いやはや。 表紙の中央には『鉄腕アトム』の例の3コマ。(『仕事が俺を呼んでいる』p.64参照)といってしまうと不親切にもほどがあるので……。 それは『電光人間の巻』の一部で,「お茶の水博士が空の一角を指して叫ぶ。『行け,アトム。正義はきっと勝つ』 飛び発つアトムのフルショット。そして,雲をつきぬけてさらにゆくロングショット」。 腰巻きの下に,カート・ヴォネガット・ジュニアのファンの一言が印刷されてあったら,いうことないのだが。 「愛は負けても,親切は勝つ」(『ジェイルバード』) 実はこれ,すでに『ドアを開いて彼女の中へ』の腰巻きで使用済み。 |
09月23日(火) 年中無休の店の休日 |
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カレーからチョコレート,小豆など,あらゆるものを具にしてしまう餃子店は,会社帰りに途中下車すれば通いつめられる場所にあった。ただ,まわりが魅力的な店ばかりだったので,実際に暖簾を潜ったのは数回だ。 2階にあったその店に続く階段を昇りきると,小さな踊り場になっていて,メニューとともに,こんな張り紙がしてあるのが嫌でも目に飛び込む。 「倒れるまで店は休みません」 あるとき,仕事の打ち合わせを兼ねて,その店で待ち合わせたところ,店が閉まっていた。たぶん,過労で倒れたのだろう。とことん,がんばったに違いない。その後,いつの間にか,その店はお好み焼き屋に変わってしまった。 そんな店がある一方で,「年中無休」をうたっていながら正月から,しばらく開けない怠慢な店もある。理にかなってはいるのだ。一度,店を開けてしまったら,年中(12月31日)までは休めない。ただし,1月1日からどれだけ休もうとも,文句を言われる筋合いはないのだから。 とはいえ,どれほど得るものがあるかと問われれば,それよりも「年中無休」の看板を降ろしたほうが簡単だと思うのだが。 |
09月25日(木) 甘かった |
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「なお,作家は今,中国から20年ぶりに偽装難民となって帰国する今様浦島の喜劇を鋭意執筆中である」雑誌『ブルータス』(井上二郎,1990) それから13年。『ららら科學の子』が目の前にある。 ところで,22日に書いたことのうち,一部は訂正しなければならないかもしれない。本書のタイトルロゴのクレジットとして「山田哲朗」という名がある。薄学ゆえ,私にはこの人間が誰なのか知らない。どう見ても書家でないことは確かだ。それなのに私は,あの日記で語られていたのは書家だと記憶している。どうにも宙ぶらりんだ。 「コルテスの収穫」以来(注1),この作家の韜晦癖と,幾多の連載途絶に慣れた身としては,果たして,自分の記憶を信じるか,意外と古いタイプの小説家の言説(たとえば冒頭の引用のように)に身を委ねるか,実は悩むのだ。 今日,本書を手に入れた。家に帰る途中,喫茶店に入り数十頁を読んだ。肩に力が入った。胸の奥が落ち着かない。「Good Bye」(注2)のように中途半端な加筆ではない。この物語がどうやって閉じるのか本当に楽しみだ。 ドン・キホーテの次(とはいえないが)は不思議の国のアリス。まったく正当な小説家だと思う。 (注1)この経過については,ネットで検索してみると面白い。というか,そのころから待ちわびていた読者は唖然とした(そうではないかと思っていたものの)。 (注2)別冊野性時代に一挙掲載された二村シリーズ。だが,これは1979年に「ミステリマガジン」に連載4回で途絶(それも著者の世界一周旅行のため)した『ヨコスカ調書』に数枚加筆したストーリー。その後,「NAVI」でスタートした(思えば「ららら科學の子」とほぼ同じころ)続編「So Long」出だしの数回は,まだ書き下ろしだったので(書き下ろしじゃない連載があるのか? いやあるのだ→)楽しみにしたものの,そのうちこの連載は,単行本になっていない小説「眠れる森のスパイ」をスキャナーで読み込み,固有名詞に少し手を入れたものに摺り変わった。 小説家・矢作俊彦については,いずれ,本サイトで何らかのデータベースを構築したい。 |
09月26日(金) ベンリー ヘンリー |
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森達也の『放送禁止歌考』を読んで一番の違和感は,岡林信康に対する過度な偶像化だった。同書では『手紙』や『チューリップのアップリケ』あたりからの言説(つまりは30年以上前の話)に終始している。そのうえに,それに似合う物語を乗せているような印象がした。確かに1990年代のコンサートについても触れられてはいるのだが,その間の(意図的にかどうか判らないが削られた)間隙を体験した者にとっては,中途半端な印象を強く持ちかねない書かれかただった。 加藤和彦経由で聞いた『ストーム』から数年(1980年代なかばまで),ラジオのレギュラーをもっていたし,土曜朝の番組のテーマソングを歌うは,エッセイ集も出したはず。幾度かの途絶はあったものの,私には,その活動は連続しているように感じた。 『ストーム』は,当時の加藤和彦プロデュース作品に多く見られた,加藤和彦+ムーンライダース(マイナス鈴木慶一)というメンバーで作られた名盤だ。シングルカットされた『ダンスマン』のアレンジを「彼(加藤和彦)はメジャーの曲をマイナーに編曲してしまうんですよ」と北山修(当時は自切俳人)に向かって語っていたと記憶している。 B面1曲目(ああ,レコード時代だ)は『ミス・ベンリー』というタイトルだった。白井良明のギターをメインに,(たぶん)アズテックカメラより早く,アズテックカメラのようなアレンジ。気持ち良く抜けるスネアの音も新鮮だった。 90年代に入って,大槻ケンジの日記のなかで「新宿武蔵野館で鈴木慶一と会った」という件を読んだ。同じ映画を,私は仕事帰り,当時の同僚と観た。まったく救いのない,その映画のタイトルは「ヘンリー」だ。 |
09月27日(土) 午前3時 |
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『ららら科學の子』を読み終えたのは午前3時。読みはじめると,どうにもキリがつかず,一気に読んでしまった。本当に久しぶりの読書体験だ。 ところどころ,えいやっと飛ばした箇所もあるので,早速2回目に取りかかる。こういう読み方をしたのは『マイクハマーへ伝言』以来だと思う。ただし,あの場合はまったく特殊で,手に入れてから1か月あまりの間,他の本を(と言うより文章を)読む気持にはなれなかったのだが。私も若かった。 午前1時。「こういう形で,読者になんらかの感興を及ぼさせるのは猾いじゃないか。まるで,ジャーマン・ニューシネマに描かれる戦後と同じだぜ」と言いたくなるほど,作者の戦術にすっかり嵌り込む。記憶を,これほど感傷的に,いや冷徹に目の前で広げてみせる小説を,これまでに読んだことはない。 後半で嫌な予感がし,思わず『レインブローカー』や『ヨーコに好きだと言ってくれ』のように幕引きはしないでほしい,せめて『東京カウボーイ』くらいに,と叫びそうになる。 それもこれも杞憂であり,作者は相応しい幕引きを用意している。 実は,『スズキさん……』も『あ・じゃ・ぱん』も,単行本になったときに,それほど心が動かなかった。というよりは,『さまよう薔薇のように』(たとえストーリーがカート・キャノンのパクリだとしても)以後(エッセイ集『複雑な彼女と単純な場所』以後としてもいいが),期待が実際の本を越えたことはなかった。(『夏のエンジン』は,期待していなかっただけに予想外と面白かったのだが) 『コルテスの収穫(上)』のあとがきに,以下のような一節がある。 「……その後山里で療養中,私は突然,短い小説が書きたくなった。『短ければ,短いほどいい!』それはもはやある種の偏執だった。以後,去年の春まで,私は三十枚以上の物語を(自分では)書かなかった』(1987年) このあとに書かれていることは,一昨日,記したように,まったくの韜晦だが,読者として私も,矢作俊彦の長編にはいつも期待と(幾ばくかの)失望をくり返しもっていたように,今,思う。短編は別の話。 しかし,こんな小説を書き上げられてしまうと,一ファンとして,素直に読み返す他,何もすることはない。 |
09月28日(日) 誤解 |
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小林まことの漫画が面白いという。何かカタカナのタイトルらしい。友人たちの間で話題にのぼる。 ――そうなのか。 私は思った。 徹と二人,本屋に入ると,小林まことのカタカナタイトルの新刊が目についた。 「おい,『I am マッコイ』出てるぞ」 「?」 どうも反応が鈍い。それがどうした,という感じだ。 「面白いんじゃないのか?」 相変わらずリアクションがない。そのときの会話は最後まで噛み合なかった。 数日後,徹の部屋にいくと,烏龍茶の敷物に,例の小林まことの新作が使われていた。もちろんタイトルはカタカナで『ホワッツ マイケル?』。 昌己とニューウェイヴ話をしていたとき。(恥ずかしい話だ) 「……バースデイ……」なんとかだけが聞き取れた。お互いぼそぼそと(しりあがり寿の「プシュー」「あんよっす」「ウンガラギーダ」のように)しゃべっていたものの,大筋は理解できるものだ。 「まだ,そんなの聞いてるのかよ」 私はいつもの突っ込みだ。 「悪かったな」 昌己も,いつものリアクションだ。 しばらくして,ふと,私たちがまったく違う話をしていることに気づいた。昌己がいうのはバンド「バースデイ・パーティー」のことであって,私はオルタードイメージズの「ハッピー・バースデイ」という曲についてしゃべっていたのだ。 気づいたものの,そのまま話を続けていると,いつの間にか違う話題に移っていき,些細な誤解があったことなど忘れてしまう。 さすがに「あの秋野大作に似た……」という話で,「元気が出るテレビ」とアンディ・パートリッジを別々に思い浮かべはしなかったが。 秋野大作にギターを抱えさせたい。 |
09月29日(月) 先輩 |
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学生時代,ゼミの先輩がいた。よく出くわしたのは私たちが4年生のときだ。当時,先輩は「研究生」という名目でゼミ室に出入りしていた。で,卒業アルバムの写真撮影の際にちゃっかり写っていたりする。学内はもちろん(とはいえ,せいぜい週1,2回しか行ってなかったので,たかが知れているが),私のアパートにもやってきた。 夏休みになると,さすがに暇なのか,数日空けずに顔を出す(というのだろうか)。やたらと暑い夏だった。 「うちで飯食わない。奢るぜ」 網戸越しに,日によっては午前中からやってくる。 そのたび,先輩のバイクの後から,私はへいこら自転車を漕いで付いていく。 途中,安売りスーパーで買い出しだ。何やら単位のでかい食べ物ばかり(グロスでは買わなかったけど)カゴのなかに詰め込む。レジにいくと,「今日は割り勘にしようか」。 「今日は」ではなく「今日も」じゃないか。 初めて入った先輩のアパートは,なんとも気持ちの良くない,居づらい部屋だった。窓際に置かれたベッド以外,まわりは漫画の本。それもプレミアが付きそうなものばかり,シリーズごとに透明のビニールシートで梱包し,おまけに値札が付いている。10,20なら真意を尋ねもしようが,あまりの数に言葉が出ない。 そんな調子だから,レコードも値が付きそうなものは興味がなくてもとってあるのだという。 「クリムゾンの他,どんなの聴くの」 「P-MODELとか……」 「美術館のシングルあったな。これ,珍しいだろ。どれくらいで売れるかな」 「さあ……」 「買わない?」 おいおい,後輩に売り付けて,どうするというのだ。 先輩はクリムゾンよりピンク・フロイド好きだ。昼食を作る間,「モア」や「ザ・ウォール」のビデオを見せられた。 あるときのこと。 「できた。食おうぜ」 目の前に現れたのは,粗雑に盛り付けられたボリューム満点のそうめんだ。 ガラスの鉢は涼しげだが,かなりでかい。おまけに汁に添えられたのは鶉の卵ではなく,鶏の卵だ。 「鶉は高いし,あまり変わりないだろう」 そうだろうか。私は,あのときくらい生臭いそうめんを食べた経験は未だない。 |
09月30日(火) さらに先輩 |
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ゴロウじゃあるまいし,「先輩!」などと呼んだことはなかった。(渡哲也じゃない。ど根性ガエルの方)多くの場合,「シゲさん」と馴れ馴れしく呼んだ。 実のところ3年になるまで,ゼミに先輩(=シゲさん)がいることさえ,われわれの誰も知らなかった。漫画かロックのどちらかだろう。何かのきっかけで先輩が,われわれがくだらない話をしているところに近付いてきた。そういうときの屈託のない笑い顔だけは石原慎太郎によく似ていた。本人はヒゲ面で,鴉というより熊のような出立ちだったのだが。 といって,行動を共にすることは滅多になかった。何が忙しいのか知らないが,いつの間にかその場から消えている。残された私たちは,先輩を肴に物まねを交えながらひと下り盛り上がった。 先輩の卒論は漫画だった。つげ義春の大ファンで,たまたま私たちの3人が出たばかりの『無能の人』(日本文芸社)を買ったと聞き付けるや,「おー買ったのか」と嬉しそうに笑った。 「夜行は買ってないの」 「いや,そこまでは」 「弟の漫画,いいぜ」 「はぁ」 まさか,後に石井輝男が映画化するとは,そのころは,夢にも思わなかった。 卒論は家庭内暴力がテーマ(の漫画)だったと記憶している。つげファンにしては優しげ(か細い)タッチで,一度だけ読んだ(読まされた)筈だ。 あるとき,「フジオちゃんがさぁ」などというので,何かと思ったら,赤塚不二夫のアシスタントヘルプに数回通ったのだという。 「今度の新作で,バック描いたのが出るから見てよ」 本屋の店先で,言われた通りの雑誌をおそるおそる捲ると,ギャグには百歩譲ってにそぐわない,そこだけ劇画タッチのテーブルが目に付いた。そのことを告げると, 「『シゲくんの絵,暗いからな』っていわれちゃったよ。フジオちゃんに」 と莞爾とする。 その後も,ときどき手伝っていたようだが,その後,先輩自身の漫画が掲載された雑誌を見た記憶はない。 妙正寺川沿いを通ったのかと思うと,感慨一入だ。 |
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