2003年10月

10月01日(水) ああ,パンサー  Status Weather晴れ

 遂に,Jaguarを再インストールしなければならない日がやって来そうだ。

 ここにあるのは,MacOSX10.2アップグレードCDと,先日,ソフトウエアアップデート経由で10.2.8のインストールを終えた(最後の最後で固まったのだが)わがiMac(いまだ,ピックアップされず)。

 ところが,ああ,10.2.8がアレだから,10.2.6に戻そうとするが,戻らないのだ,これが。

 さて,それからのわがiMac。
 立ち上げると,心細そうなマークが心霊写真のように現れ,すぐにいずこかへと去る。その後,通常の画面に切り替わり(一瞬,ブルン!とふるえるように見えるのは幻だろうか),運が良ければ使えるようになる。

 良いのか悪いのか判らないが,フリーズすると英語やドイツ語も交えて「再起動する必要があります」と知らせてくれるようになった。まずは,ありがたい。

 が,これがまた,頻繁に訪れるのだ。ああ,また,お前か。

 一度立ち上がったからには,好機を逃してなるものか,iTunesで音を絞り,ビジュアルエフェクトかけっぱなしで,とにかく画面が死なないように工夫(ソフトに頼りまくりの,姑息さにも程があるが)。

 こんな関係が,さて,いつまで続くのか。
 願わくば,Jaguar再インストールより,一気にPanther(グローブの変な外人ではないし,戦車でもない)へと鞍替えしたいのだが。いったい,いつになったらやってくるのだ。

 90日間のサポートは,たくさん残っているが,使わなければならない状況自体が何とも理不尽だ。週末に,ピックアップをお願いしてみようか。でも,ビジュアルエフェクトは,かなりきれいに動き続けるのだが。ハードの問題じゃないのか。

 本当に「土壇場のマナー」にすがりたい。あれ,そのあと番組でやってた,ラッツ・アンド・スターのメンバーが布団に入って,ぼそぼそいう5分間番組の名前,何ていっただろう。
 そんなこと考えている場合じゃない。こりゃ,完全な逃避だな。


10月03日(金) チケット2枚の花  Status Weather晴れのち曇り

 昼すぎに目を覚ました。6時からスタジオに入った後,いつも中華料理屋で夕飯をとり,帰りがけ,ウィルキンスンのジンジャエールとトニックウォーターを買い込み,タンカレーを飲みながら,昌己とくだらない話をしていると3時をまわっていたのだ。
 それでも夕方のライブまで時間は十分だ。少し早めに出て,久しぶり渋谷の輸入CD屋をのぞいていこう。
 3時も過ぎたころ,家を出るべく支度をしていると,ない。
 「バッグのなかにで入れたんじゃないのか」
 昌己は,すぐに出てくると思っていたらしい。
 ところが,いつまで探してもその日のライブのチケットは出てこない。30分もあちこち掘り返すと,さすがに昌己の機嫌は芳しくない。
 「お前のチケットと連番だろ。これと続きで買ったっていやあ,入れてくれないかな」
 「入れてくれるかよ! 他の奴が,そのチケットで入ってるかもっていわれたら,どう説明するよ」
 私は黙ってしまった。
 「……当日券出るかな」
 「ノイバウテン見るのにチケット2枚買うなんて,蕩尽だな」
 なかなか冷静な意見だ。いや,かなり。
 「会社の奴とON AIR前で待ち合わせてるから,行かないわけにはいかないし。渋谷まで出て,会場前でサヨナラも馬鹿げてるよな」
 「そりゃそうだ」

 結局,私は当日券で,その日のライブを見た。たぶん「花」を出してすぐ後の来日公演。その後,アインシュツルテンデ・ノイバウテンは来日して,いないと思う。ブリクサ単独では判らないが。ライブでは,マルセル・ボービスが写すフランスのサーカスみたいな怪力自慢大会が繰り広げられ,一見の価値はあった。

 その後,アパートを引き払うためベッドを畳んでいると,敷き布団とマットの間から,例のチケットが現れた。
 もちろん,ちぎって捨てた。


10月04日(土) 焼き鳥は今,どこを飛ぶか  Status Weather晴れ

 職場が銀座にあったころ,正確にいえば,銀座の会社に通っていたころ,誘われて,早い日は4時過ぎから有楽町ガード下で飲んでいた。何せ,早ければ3時には仕事が終わってしまう会社だった。数えるほどしかいないものの,他の社員は三々五々,銀座,虎ノ門,赤坂へと散っていった。
 当時,40に手が届こうかという上司は,よく「小松」に連れていってくれた。同郷の出入り業者と3人で,何度,テーブルやカウンターを囲んだことだろう。

 「やっぱり,ここのつくねだね」
 上司は酔ってくると,主人に向かって,よくそう言った。女性姉妹(だったと思う)で切り盛りする店だ。あのあたりで長く店をはっていくには,何がしかのコツはあろうものの,やはり味以外,勝負するものはあるまい。確かに,今でもその味は忘れられない。
 「ひととおりね」
 そう注文しておいて,お新香と少しのつまみを追加する。酎ハイやポン酒を飲んだことが多かったように思う。

 年末には染之助染太郎が,恒例行事のようにマイクをもってやってきた。外国通信社からインタビュー(コメント)を取られたことも一度や二度ではない。

 悪い酒ではないのだが,あの世代はやたら飲ませるので,家へたどり着くまでに,何度か胃を引っくり返したこともあった。調子が悪くて点滴打って会社にいっても,帰り際,「消毒,消毒」といいながら連れていかれる。「1杯だけなら,付き合います」のはずが,そんな日に限って終電まで,有楽町界隈をはしごしてしまう。
 (消毒,消毒というものいいは,まったく別の人間から,同じように言われたことがある。あの世代の符牒のようなものなのだろうか)

 会社を辞めることになり,最後の日も3人で飲んだ。社長に対して文句をいい,私の行く末を心配し,酒をすすめた。感傷的な話をする人ではなかったが,その日のことは,なんだか忘れられない。

 COLA-L最初のライブを終え,家に帰ると留守番電話に,その会社の別の上司から伝言が入っていた。
 「お亡くなりになったので,お葬式に来られるようだったら来てほしい」

 まだ,40代なかばだった。私が辞めてしばらく後,ヘッドハンティングされて,ただ,なかなか仕事は厳しかったようだ。調子が優れず,検査の結果,発見された脳腫瘍は手遅れだった。
 葬式に伺い,人前で泣く自分を,そんなこともあるのだと不思議に見ていた。

 その後,つくねや焼き鳥をあまり食べなくなったのは,当時,胃を引っくり返しすぎたためだと,自分では思う。 


10月05日(日) 煙が身にしみる  Status Weather晴れのち曇り

 急転直下,この1週間,パソコンがわが家になければ,いかんともしがたい状態に陥る。無料修理期間をやり過ごす決心をし,わがiMacに向かった。
 すると,どうしたことだろう。
 「ここが悪いんじゃないですか?」
 「ここの設定しましたか」
 どこからともなく,こおろぎの精の声がするではないか。とりあえず,9.2.2を再インストールし,起動ソフトを再設定しなおす。そう,昨日,10.2.8は無事にインストールできたのだ。
 すると,どうしたことだろう。心霊写真は現れず,あの,とても気持のよい感触が蘇っている。Pantherまでは,何とかこれでいけそうだ。

 ところで,有楽町ガード下の「小松」でカウンターというと,あの角で焼き鳥を焼いている真ん前のことを指す。目の前には,誰のもとへいくとも知れない串が常にある。
 もちろん扇風機はまわっていたのだと思う。それが,混乱に輪をかけるのだ。
 あたりはただでさえ煙が充満しており,どんな不良スプリンクラーでも,散水の一回や二回はしてしまおうというほど。そこにカウンター前からの煙が加わり,両脇にはヘビースモーカー2名。
 それらすべての煙を全身に浴びるのだから,身体はシャワーを浴びればいいけれど,ジャケットやトラウザーズは頻繁に着替えなければ,どこで何していたかバレバレだ。
 やっかいな犯罪に巻き込まれ,警察に昨夜のアリバイを尋ねられるようなときには,「この臭い嗅いでみてください」。少しは役に立つだろうが,滅多に,いや一回もそんな経験はない。

 あの狭い路地に消防自動車が入ってきたときには,さすがにあせったが。あの煙じゃ,近くで火事があったって,気付きはしないだろう。

 センベロ(マイケルではない。千円でべろべろ)というわけにはいかなかったが,懐に優しい店だった。
 ところで池袋には,ある理由により,センベロになる中華料理店があった。記憶も定かでないが,いずれ登場していただくことにしよう。


10月06日(月) グラス  Status Weather雨のち曇り

 フィリップ・グラスが,前座で『フォトグラファー』全曲を指揮し,そのあと凍結前P-MODELが登場するという,何ともアドレナリン沸々としてくる夢を見た。

 新聞に毎日のように,来日コンサートの広告が掲載されているからだろう。便乗してかどうか『フォトグラファー』が再発だそうだ。『アニマムンティ』はどうでもいいから,とにかく一度は聴いていただきたいものだ。
 さて,どなたに。

 サイト上に,矢作俊彦のスクラップックをつくったのだが,こんなことしてると,あっという間にデータ量がオーバーしてしまいそうだ。
 手軽にWordなんかで作るから,いけないのだが。


10月08日(水) ノーサイド  Status Weather曇り

 『80日間世界一周』のラスト,どんでん返しをはじめて読んだとき,「スーパーマンみたいなことってあるのだろうか」と不思議に思った。あるわけない。とはいえ,ある年の元旦深夜,テレビで映画をみて,登場した日本に大笑いしたものの,少しばかり心踊らされた。以来,ジュール・ヴェルヌの小説は,フランス人の大中華思想の塊(というのだろうか)にもかかわらず(であるがゆえ),本棚の一角を占拠し続けている。ありがとう集英社文庫,訳はさておき。復刊希望,創元推理文庫。
 集英社とフランス文学って,意外と狙い目のテーマかもしれない。ル・クレジオやシムノン(えらい違いだが)を律儀に翻訳しているもの。

 液晶iMacがわが家にやってきて1年がたってしまった。膝で動かし,しばし床に直撃するPro Mouseは,とうとう接触不良になってしまったようだが,それ以外はなぜか調子がいい。さようなら無料修理期間。
 あれこれ考えていたころ,「仕事でウインドウズを使っていると,家に帰ってまで使いたくない」というコメントをよく目にした。なるほど,同じことを実感した1年だった。
 昨年の暮れ,新大久保のタイ料理屋で忘年会があった。娘のリンゴ病をしょいこんでいたことにも気づかず,ホイホイ出かけていった。6名のささやかな忘年会だったが,はじめて会った人も含めて,みなマックユーザだった。それはそれで,妙な感じなのだが。

 さて,Mac版IE,NS,Safariでは見える,わが HP中の画像(矢作俊彦因果律ランダムハウス)が,なぜかウインドウズ版IEでは現れない。全体が左に寄ったり,私の意図していないことがしばしば起こるので,あまり気にはならない。
 矢作俊彦じゃないが,いかに勉強せずに,原理・原則を理解せずにHPを続けていけるか努力しているので,意図とは異なる現れ方するくらいで原因を調べていたら,それこそ原因を突き止めてしまうではないか。
 Macで見えてウインドウズで見えないってのも,ブランデーに横恋慕しないワインみたいで潔いと思えなくない。

 画像見えない方がいましたら,Macで御覧ください。と,無理な依頼だけれど。
 もうひとつ。音楽は,ほどほどの大きさでお聞きいただけるとありがたいです。ヘッドホンして大音量で聞くと,かなり辛い。(P-MODELや有頂天の逆だ)


10月09日(木) ジャングルベッド  Status Weather晴れ

 と書いたそばから,Panther発売の報が届く。10月25日だったら早くて助かる。
 Pantherの次って,Tiger? Lion? Elephantなんてのもいいけど,なんだか戦車みたいだな。リモコン・プラモデル全盛の頃のことを思い出す。キャタビラ(キュアーではない)を1パーツずつつなげていくという,なんとも気が遠くなるようなものもあった。当時,なんとかひとつ覚えのようにジューコフばかりつくり,友達とのリモコン合戦(?)で全敗した。どう考えてもジューコフって,弱っちい戦車だった。フォルムが好きだったのだが。

 マウスを新調し,ほぼ万全のわがiMac。Pantherがやってくる日まで,あとわずかだ。


10月10日(金) ガラムの男  Status Weather曇り

 俊介は,サーファーでもないのにガラムしか吸わなかった。だから,彼がきた部屋はいつも香を焚いたかのように匂った。
 あるとき,私は尋ねたことがある。
 「どうしてガラムばかり吸うんだ?」
 彼の返事は明快だ。
 「煙草臭くないだろう」
 確かにいうとおりだ。

 当時,彼は夜間,タクシー代行のアルバイトをしながら,次の仕事を探していた。その合間,週末は私たちのバンドに合流した。(当時のデモテープは,そのうちアップ予定)ある日のこと。スタジオで練習を終えると,「行きつけのスナックないかな?」と尋ねられた。
 私と昌己は顔を見合わせた。せいぜい居酒屋どまり,スナックに立ち寄り蕩尽(というのだろうか)する習慣は,私たちにはない。こっそり,「スタジオの練習帰り,スナックというのは,自然な流れなのだろうか?」と耳打ちした。もちろん,そんな流れがあるわけはない。
 最寄り駅の改札口前のビル2階にスナックを見つけ,楽器を持ったまま戸を開けた。思い返すと,私はそれまでスナックという場所に足を踏み入れたことはなかった。

 カウンターにひとり客がいる他は,閑散としていた。やけに光明るい店だった。
 どう見てもスタジオ帰りという姿の私たちは,どんなところでも手練手管に入り込まれる。バンド談義に花が咲き,まったくカウンターの向こうにいるためには,どんな話にだって付き合えるだけの技量が必要なのだと納得した。

 その年のはじめ,地方ではじめて参加したライブの話になった。ライブハウスがある都市とライブハウスの名を告げると,カウンターにいた男がこちらを見た。
 何かまずいことをいっただろうか。
 私たちに不安が過る。
 「知ってるよ。昔からある,あそこでは一番のライブハウスだ」

 なんだか,ドラマで見る小林薫のようだ。
 私たちはホッとして,勢いでボトルをキープしてしまった。ボトルを開け終わらないうちに,私はその町を引っ越した。


10月11日(土) 断片  Status Weather晴れ

another game #3

 裕一に頼まれてスコラ・ジプシーの曲に歌詞をつけたことがある。出来上がった歌詞を携えて,当時彼らが練習場にしていた立川のスタジオに顔を出したときのことだ。打ち合わせを一通り終え,受付カウンター前の古びたソファーで音数を調節していた。そこに彼女がひとりでやってきた。
 「”あなたが初めて水仙を贈ってくださったのは一年前でしたね。すると,みんなが私のこと水仙女っていうのよ”」
 彼女は,華奢な首筋あたりで切りそろえた髪をひと振りし,小体な顔の真ん中にぽっかり開いた黒く大きな瞳で私を見つめた。両手を腰に当て,少し前屈みで距離を保つ。いつもこんなふうに彼女は現われるのだ。そして口元をわざと歪め,相手を挑発するかのように語尾を丸めて皮肉めいた台詞を言い放つ。
 「”アイルランドの娘”はどこにいるんだい? 君に水仙を贈った覚えはないな。それに”ヒヤシンス”だろ。君の引用には間違いが多いからな」
 「そぅお。でも,ケイト・ブッシュが〈水仙〉って歌ってたの。今度,テープ貸したげるわ。あなたの好きなミック・カーンがベースを弾いてるのよ」
 「プリンス・トラストか。あのライブで,そんな変な曲演奏ったかな」
 「スティーブ・セブリンが出てなかったことだけは確かよ,エリオット先生」
 「セブリンだって? ベルベッツの〈毛皮のビーナス〉は背徳なんて言葉がまだ美しく響いた時代のデカダンさ。それに所詮ニューヨークから生まれるのは,ジ・アメリカン・ウエイ・オブ・ライフと表裏一体のものにすぎないのさ」
 彼女は,私の手元のスケッチブックを覗いた。途端,鼻先に皺を浮かべ笑った。
 「この前,ABCでアントン・コービンの写真集探してたの誰だったかしら。いかにもポジ・パンって感じの詞じゃないの。こういうのが好きなのよね,あなた。それとも〈ゴス〉っていった方がお気に召して?」
 「いずれにしても趣味じゃないね。練習なんだろう?」
 「ふん,中止よ」
 「ははぁん,無駄足か。でもドラマーはいいよ。ポケットにスティック差して来ればいいんだから」
 「今度ライブがあるの,チケット買ってね。来なくていいから」
 そのまま彼女は階段を二歩上がると振り返った。目が合った。
 「さあ,モーリン・タッカーのお出ましよ!」

*   *   *   *   *

 「ブック・オブ・サタディ」が好きな女子高生より,無理あるシチュエーション続出のストーリーの一部。
 昨日,その一節を引用したので,データ引っくり返したら出てきたもの。


10月12日(日) 地球ネコ  Status Weather雨のち曇り

 「おかあさんといっしょ」に平沢進が曲を提供するという情報を得たのはしばらく前のことだ。10月に入ってからは,不安ともつかない好奇心ばかりが頭をもたげる。6日にオンエアされ,あちこちでさまざまな反応を目にした。
 ただ,平日の9時前,わざわざビデオに録画してまで聴きたいとは思わなかった。

 連休に入り,昨日,遂にその曲「地球ネコ」を聴いた。
 誰かがP-MODELの「クラスター」(バンドじゃない)のようだと指摘したように,確かに似ていた。リズムのとりかたは「ロタティオン」を思い出す。とにかく出だしを聴いて,「ああ,平沢の曲だ」と納得させてしまう力技は是非はともかく説得力がある。
 ここ数作で顕著な,バックのストリングス・パートの饒舌さ(時にボーカルラインへの被りかたは,かなり贅沢に感じる)は,この曲に関しては,それほど印象に残らなかった。まあ,そんなこと初手から期待はしていないのだが,そんなところについつい耳が行ってしまうことに,寂しさを感じないとは,言い切れない。

 明日,もう一回聴いてみることにしよう。

 ところで最近,アジエスとかなんとかいうCMで,千年女優のサントラに入っていたのにそっくりの曲が流れているが,もちろん作者は平沢なのだろう。よもや,パクられることはないと思うのだが。
 昔,機動戦士ガンダムのサントラで,キング・クリムゾンの「リザード」から,タイトル組曲の,それもジョン・アンダーソンを迎えたパートが井上大輔により,ごっそりパクられていたことを思い出す。


10月13日(月) 馴染まず  Status Weather晴れのち雨

 通学途中の路地に,たこ焼き屋ができた。ひとつひとつがやけにデカい。質より量を競い合っていた頃だったので,ときどき買っては容れ物をハンドルの上に乗せ,自転車を漕ぎながらつまんだ。
 あるとき,いつものようにたこ焼きを食いながらの帰り道,突然,夕立ちに襲われた。蒸し暑い夏の終わりだった。手ごろな避難場所はない。目に付いたのは交番だ。それまで,私は交番に入ったことがなかったので,これ幸いとばかりに戸を開けた。
 「すみません。たこ焼き食わせてくれませんか」
 駐在していた警官は,よほど頭にきたのだろう。
 「交番は,たこ焼きを食う場所じゃない」
 そんなことは判っている。だが,そのあと,
 「奥で見られないように食えよ」
 なかなか面倒見のいい警官だった。

 週何回か,たこ焼き屋の客になると,つい店員と馴染みになってしまいそうな雰囲気が漂う。高校時代,唯一,教師から得た教訓である「人が期待するような発言や行動は決してするな」を,当時の私はどうやらはき違えていたらしい。「いつものですね」店員がそんなふうにいったのだと思う。私は,返す言葉がなかった。
 ああ,馴染みになりそうだ。
 そのとき感じた怯えのような何かを,いまだに思い出す。以後,しばらく,その店に行くことを自制した。

 大学時代,300円のランチを出す喫茶店の不良ウエイトレスのように,取りつく島がなければ,それはそれ。意外とスッキリした関係が保てるのだ。社会人になってからも,できるかぎり馴染みの店をつくらずに努力した。

 スタジオがあった町で,名乗らずに用件が足りたのはクリーニング屋だけだ。とても過ごしやすい町だった。
 その町に,1年もたたずに顔見知りになり,10年以上通いながら,名前を一度も聞くことがない中華料理屋の夫婦がいる。この夫婦に関して,馴染み云々は,関係性の埒外にある。
 休日に,昼食を取りにいこうものなら,
 「休みなのに,どこにもいかなかったんですかぁ」
 まったく悪気はないから,なおさらズシリとくる。殺伐とした人間関係はともかく,とにかく旨い中華料理屋なのだが。


10月15日(水) 10月14日  Status Weather晴れ

 10月14日は,長嶋茂雄の現役引退の日としてではなく,『マイク・ハマーへ伝言』(矢作俊彦)の日として記憶している。(昨日じゃないか!)

 ある年の10月14日。伸浩の車で,首都高横羽線を通り,横浜まで出かけたことがある。彼にとっては,特別の思い入れはなかったろうに。もちろんBGMはビーチ・ボーイズだ。
 長者町でおいしい紅茶の葉を売っている店を探そうと出かけたのに,何を勘違いしたのか,たどり着いたのは黄金町。どうにも雰囲気が怪しい。赤のレザー張りの椅子を店先に並べ,胡乱げにこちらを睨む女性たち。軒は低いのに,そろいもそろって2階建ての店ばかりだ。店先の隊列は,百歩譲っても,これまで陽の当たる場所を避けてきたとしか思えない。
 「このあたりに紅茶の葉を売ってる店なんてあるのかよ」
 伸浩は不安なようすであたりを伺う。語尾が妙に揺れる。
 「はずなんだが。まちがえたかな」
 この後に及んで,私は間違ってきたことに気づかない。

 「飯食って,帰るとするか」
 いつもなら,物事が一歩進むたび,ルーティンのように口を挟む彼だったが,このときばかりは2つ返事で,そのまま引き返した。

 帰り道,どこで一般道に降りたのかは失念したが,料金所に入ろうとすると,右車線を2台の車が横切るのが見えた。1台が一歩先を取ると突然左に回り込んだ。と,サイドブレーキを引く。咄嗟に,もう1台は急ブレーキを踏む。私たちは,空いた右車線にスペースを確保すると,少しスピードを落とした。
 前は黒塗りのベンツだ。後ろは,どうやらアベックらしい。ベンツは高速の路上に止まり,人が出てくるところまでは,目で追うことができた。
 伸浩は無言のままだ。
 「ヤの字か?」
 「あたりまえだろう! 彼女乗せてるんで,いいところでもみせようとしたんだぜ」
 「あんなことあるんだな。でもさ,何で,あんなに運転うまいんだろう?」
 「知るかよ!」

 そのころは,すでに,夜中12時過ぎであっても食事ができる場所を選ぶことができた。遅めの夕食ととって,家についたのは0時をまわっていた。


10月16日(木) 知らない  Status Weather晴れ

 初めてマティニを飲んだバァで,ひとりの中年の酔っ払いと出くわした。場所柄,FMラジオ局にでも勤めていたのだろうか。やってきたばかりの秋がまだ辛抱強く日を抱え上げる夕暮れ時,私たちがその店に入ったときには,そ奴はかなり出来上がっていた。

 バァテンダーひとりで切り盛りしている店だったので,真鋳のカウンターバァのかわりに木製の棒が店の端から端まで伸びていた。
 そのバァに愛おしそうなようすでしがみつき,懺悔するかのように頭を垂れる。軛をせおうには痩せすぎた肩に,つるしの紺ブレが力なく載せられていた。そのころ,この界隈で,こうした酔っ払いを目にすることは珍しくなかった。
 とはいえ,話しかけられることになろうとは。

 連れが,私のリクエストをかけに,カウンターとボックスの挟間におかれたジュークボックスに向かったときだった。突然,「ジルベルト・ジルって知ってるだろう!」,場違いな大きな声が響いた。
 彼は,そうした手合いの扱いは十二分に慣れていたので「なるほどね」,妙な間の手を入れた。状況を面白がっているようだった。
 「彼ね,音楽やってるんだ。聞いてみたら」
 無責任なことをいって私に水を向ける。
 「じゃあ,知ってるな」
 こちらに向き直った男は70年代のメンクラから抜け出たかのような格好で,ただ,すべてが過ぎた時間に相応しく草臥れていた。
 「はぁ,名前は」
 嘘付け。そんなにキャパシティは広くない。
 「日本に呼べるんだ。あんた,乗らないか? 本当に呼べるんだ」
 言葉の後ろ半分は,私ではなく,カウンターの向こう,見えない誰かにむけて語りかけているように見えた。
 「ジルベルト・ジルを呼べるんだ。ジルベルト・ジルなんだよ」
 「呼べるんだったら,ご自分でお呼びになったらいかがなんです」
 「おれが呼べるんだったら,おれが……」
 ひと呼吸おいて,「あんた,ジルベルト・ジルが呼べるんだ」
 そう,くり返すばかりだった。

 小野リサは銀座のオープンコーナーで聞いたことがあっても,ジルベルト・ジルなんて,そのころの私のキャリアではとても追い付かない。
 あのおやじ,20代半ばの若造に,本当にプロモーターを頼もうとしたのだろうか。唐突にも程がある。


10月20日(月) 存在感  Status Weather曇りのち晴れ

 ゼルダのライブを千葉の小さなライブハウスへ観にいったときのこと。「クロックワーク」と「drop」の間あたりだったと思う。ステージの上はカラスから原色へと移行しているのに,客は追い付いていない。「小人の月光浴」のあとがレゲエナンバーになったりで,やけにチグハグなライブだった。

 立錐の余地もないフロアの中ほどに,小柄な男がいた。「おやじ」とでもあだ名されそうなルックスと爽やかな身繕いが,神保町の中野書店で出くわした一群に似ていた。まちがっても高岡書店ではない。
 そ奴は,アイドルの親衛隊にも似て,一曲一曲に身ぶりを交えてコール,コール,またコール。そのようすに他の客は苦笑するばかり。到頭最後まで,そ奴の熱演は続いた。おかげで,私はステージ上のアンバランスさが,然程気にならなかった。というより演奏が印象に残らなかった。小澤亜子にレゲエのリズムを叩いてほしくないとは思ったが。

 P-MODELの凍結ライブ,渋谷クアトロにも妙な客がいた。広いフロアであり,客はステージ目がけて突進していたので,右端あたりに妙なスペースが空いていた。そこにぽつんと,裕次郎のような真っ白なステンカラーコートを纏い,病み明けのジャコメッティのようにげっそりした男がいた。
 数曲目で「"love story"」がはじまるやいなや,うつむいたまま,覚束ない足取りでステップを踏む。足が絡み,躓き床へ転がり込む。ライブの最中,そ奴が倒れ込む姿を何度目にしたことだろう。
 「美術館」「ヘルスエンジェル」「ダイジョブ」が切れ目なく続くあたり,フロアに向けてホワイトライトが浴びせられると,白一色のそ奴の妙なステップが嫌でも目に入る。
 あ奴は最後までライブを観ることができたのだろうか。というより,あ奴は白面だったのだろうか。
 以後,あれほど存在感のある客に出くわした経験はない。


10月21日(火) シティロード  Status Weather曇り

 末期の分裂騒ぎはさておき,雑誌「シティロード」には本当にお世話になった。
 つらつら思い出すと,名画座に足を運ばなくなったのは,「シティロード」が休刊になってからだ。ましてやライブハウスはいうまでもない。平沢進と矢作俊彦を同じ紙面で目にするなど,「Newパンチザウルス」でもかなわない。「テレビブロス」よりも豪華なコラムの執筆陣。原稿料が滞ったであろうことには,とりあえず目をつむろう。とはいえ,あのころの青林堂(の素人経営者)は何を考えていたのだろう。
 いまだにいくつかの切り抜きは残っている。

 ところが,ついこのあいだまで,すっかり忘れていたのだ。「シティロード」があったことすら。月一回の本当に楽しみだったはずなのに。欄外に紹介された名画座の特集企画など,ある時期,食い入るようにチェックした筈なのに。
 佐賀町の「イキジビット・スペース」へ行ったのも,たぶん「シティロード」に触発されてだったと思う。内藤礼よろしくミニマルな作品ではなく,エイズをテーマにしたやけに重い作品が展示されていた。だだっ広いスペースに,とにかくオブジェだけが置かれている。まわりに何もないし,やってきたからには,とにかく見なければという気にさせるシチュエーションは,今さらながらなかなかのものだった。

 最近,ああいう雑誌あるのだろうか。「散歩の達人」じゃ,ちょっと違うしな。
 


10月22日(水) this is pop  Status Weather雨のち曇り

 FM雑誌に誘われて友人が「ブラックシー」(緑の紙袋入りの)を買い,1回聞いてどうにも好きになれなかったらしい。何の拍子か「SKY2」(もちろん2枚組)を聞いていた私の部屋にやってきて,「変なLPなんだ」とぼやく。
 “The League of Gentleman”で,変ちくりんなリフにイカれ,バリー・アンドリュース(よくよく美しい響きだ。ルックスと結びつかない)のキーボードは耳に残っていた。

 ツインギターのXTCはやけに新鮮だった。
 同じ頃のオンエアされたライブテープの後半は,「リヴィング トゥ アナザ キューバ」から「ジェネラル アンド メイジャーズ」へとなだれ込み,アンコールは「メイキング プランズ フォー ナイジェルズ」。もはや,あんなライブはできないだろう。ドラムもいなけりゃ,ギターもひとり。

 そして3人が残った。
 それから曲を作ってきた2人になった。

 一時,サポートドラマーを現キング・クリムゾンのパット・マステロットが勤めたというと,ルックスといい,これはバリー・アンドリュースの再来だろうか。さて,シュリークバックはいずこへ。

 なんで,こんな話になったかというと,ポップ・アップ・ウインドウが無くなってしまったのだ。せいせいしたけど。
 ポップグループじゃなくて,かといってMの「ポップミューヂック」じゃなく,XTCの“This is Pop”が浮かんだ次第。


10月23日(木) ナイト・オン・ザ・プラネット  Status Weather曇りのち雨

 ウィノナ・ライダー演じるタクシードライバーを観たとき,「いくら何でも,ありえねぇよな」と,やや興ざめた。ロバート・デ・ニーロみたいな奴はいるかも知れないが。

 ミニマル・ミュージックについて書かれた本を捲っていると,スティーブ・ライヒとフィリップ・グラスが揃いも揃って,ある時期タクシー・ドライバーとして生計を立てていたことを知った。これには納得。爆笑したあとに。
 ああいう曲書いて,メンバー集めて練習して,演奏するには,極東の劇団員よりも厳しい生活が待っているのだろうか。

 90年代のなかば,彩の国なんとかという,やたらと音の響きがいい小体なホールでスティーブ・ライヒ・アンド・ミュージシャンズのコンサートを聞いた。私の体験したコンサートのベスト3に入る圧倒的な音空間だった。演奏されたのは「18ミュージシャンズ」。あの大作が,目の前でよりダイナミックに演奏されるのだから,どこか信じられない感じで座っていた。本当は立ち上がって踊り出しそうだったのだが。
 マイクに近付いたり離れたりして,(オレたちひょうきん族で,ビートたけしと明石家さんまが,交互に前に出て引っ込んでを繰り返すシーンのようだった)想像はしていたが,やっぱりこうやっていたのかと感慨も一入。「ディファレント・トレインズ」も同じようにするのだろうなどと,いらぬことまで思いはめぐる。

 1時間あまり続いたその曲が終わったとき,昌己と顔を見合わせた。
 「ピアノ,どこでひっくり返ったのだろう」

 この曲は,ステージ正面やや左に向き合った形でピアノが並べられ,拍の表と裏を交互に弾く箇所がかなりあるのだが,曲の後半,いつの間にか,表と裏の担当が入れ替わっていたのだ。
 一台のピアノ(というよりはほとんどの楽器を)交代しながら弾いていくので,交代のときに表と裏がずれた可能性はあるのだが,ピアノは向き合っているので最低4人のミュージシャンが一斉に拍をずらさなければ,きれいにひっくり返らない。そんなことできるのだろうか。

 もう2度と,あんなシーンを目にすることはないだろう。

 ちなみに,熱狂的なアンコールに押されて登場したライヒプラス1。演奏したのは「クラップミュージック」。そういうときに演奏する目的で作られたと読んだこともあるが,「18ミュージシャンズ」のあとじゃ,あまりに地味すぎる。

 ライヒ→来日。ことえりでは,こんなふうに変換されることに気づいた。


10月25日(土) 唖然  Status Weather曇り

 今日の日記。

 某所のオープンスペースに,娘が描いた絵も展示されているというので出かけた。就学前の子どもを対象に,「宇宙となんとか」というテーマで募集したものだという。
 ミロの絵皿のようなものから,白画用紙の上に,白色絵の具が幅をきかせる何とも不安定な絵まで100点近くが飾られていた。
 絵のインパクトもさることながら,タイトルがとにかくふっ飛んでいる。

「たいようとちきゅうのないしょばなし」
 かの作者は埴谷雄高の生まれ変わりだろうか。『死霊』じゃあるまいし。

「宇宙くん」
 呼びかけて,返事があったら恐いと思うのだが。

「お父さんとお母さんとちゃんこ鍋屋に行った時に火星を見た」
 これはロートレアモンだな。シュルレアリストが訳知り顔で引用する姿が目に浮かぶ。

 なんで,こんなこと書こうと思ったかというと,次のタイトルを目にしたからだ。

「お家にいたら宇宙人が来て あめをあげたら,星が散らばった」
 これ,稲垣足穂まんまじゃないか。幼稚園の先生が足穂ファンなのか。だとしたら,それはそれで園児も大変だろう。いろんな意味で。


10月26日(日) キリ番を取るのはいつも自分  Status Weather晴れ

 鳥取から深夜バスで東京まで戻ってきたことがある。飛行機がとれず,米子までいくのはもどかしい。一度くらい体験してもいいだろう,軽い気持で決めたのだ。

 その一昨日,紹介されて,鮨屋のあとに,デザートとコーヒーだけいただきにいった店で3皿をたいらげた。あとは出発を待つだけだった。本屋で堅めの本と,やわらかいにもほどがある雑誌を買い込み,バスターミナルの座り心地悪いベンチに座っていると侘びしさが込み上げてきた。

 思い立って,トラウザーズをチノパンに履き替えた。しかし,ワイシャツにチノパン,手に背広を下げた格好は侘びしさに追い打ちをかける。

 定時になり,自分の座席についた。雑誌を捲るが気が散って内容が追えない。とりあえず堅めの本と取り替えてみたが,1ページと文字をたどれなかったことはいうまでもない。あきらめて窓外をながめることにした。
 紛いなりにも「高速バス」と名が付いているはずなのに,狭い路地にやたらと入り込む。密度の薄い町並のポッカリと空き地にばかり目がいってしまう。夜の暗さを実感した。

 しばらくして明るくなったかと思うと,高速に入る。それからは景色もなにもない。酒を買ってくるのだった。

 鳥取と兵庫は,それは近くて,サービスエリアで1回目の休憩。飲み物と「丹波の黒豆のきなこ」を買って,バスに戻った。あとは寝るだけ。
 この頃から妙に足だがるくなってきたことに気付いた。太腿に力を入れた体勢が続くので,この深夜バス,かなり疲労するのだ。が,どうしようもない。寝返りも打てず,午前4時まで寝付けなかった。

 2度目の休憩は東名のいずれかのサービスエリアだった。もはや朦朧としていたので,どこだったか記憶にない。とにかく体を伸ばし,飲み物をとり車内に戻った。あと2時間,この体勢が続くのかと思うと気が萎えた。

 ふと,隣の列の客をみると,足の位置が不自然に上がっていた。よく見ると,レッグレストがあるではないか。自分の席の足下を探ると,同じものが畳まれていた。静々と折り返し,その上に足を乗せると,ああ何と楽なこと。
 夜8時から翌4時まで使わずに畳んでいたことを心底,悔やんだ。浜松町に着いたのは,それから本当にすぐだった。

 なお,今日のタイトルは本文とは関係ありません。最近,よく取るんです。自分のホームページのキリ番。


10月27日(月) 2000円  Status Weather曇り

 また,今日のことを書かねばならない。

 創元ライブラリ中井英夫全集9『月蝕領崩壊』を手に入れた。文庫全集の1冊で2,000円。2,000円の文庫本だ。この全集,1,500円から始まって,前回配本で1,900円までは来ていたのだが,ついに2,000円代になるとは。

 『LA BATTEE』と『月蝕領崩壊』は単行本で読み,書棚に置かれている。残り2冊の一部も読んだことはあった。それでも躊躇せずに買ってしまったのは,この全集の11『薔薇幻視 香りへの旅』以外は,買ってしまい,あまり後悔しない幸福な読書が約束されているからだ。ただ,11だけは平凡社のカラーブックスと代わり映えのしない写真に幻滅し,未だ手に入れてはいない。

 さて,以前から,内田百閒,中井英夫,矢作俊彦に共通する資質(金に恵まれた暮らしからは,ほど遠いということではなく)を感じてきた。まぁ,「あんたが好きな作家だろ」といわれれば,それまでなのだが。本書を読み,それがあながち間違いでなかったことが確認できた。

 巻末の高橋英理による解説「文人と幻想文学者の間」は,「幻想文学」を「ハードボイルド」におきかえると,矢作俊彦論になってしまうほど,この2人の小説家の共通性を露にする。
 高橋は「そうした場で書かれた批評と随筆には,旧『文人』的限界を認めた上でも十分な価値が,たとえば永井荷風や石川淳の,そして内田百間の随筆が時代的制約と偏向偏見に満ちながら今も決して忘れられないというのに等しい持続的価値があると思われる」と記す。この後裔に矢作俊彦の名を連ねることは,それほど難くない。

 本多正一の写真・文集で,晩年の中井英夫の生活の困窮を読んだことがある。『ららら科學の子』をまとめあげたあの小説家に,そんな未来が待ち受けているとは思いもしないが。
 今は,近々刊行されるであろう『アマ★カス』に登場する辻潤の思わせぶりな態度を,書き改めていてくれるだろうかと期待するだけだ。吉行淳之介の散文(窮死した詩人との出会い,詩とダダと私と[福武文庫,1986]に収載)に登場する辻潤の見事なこと。百万のいわゆる「辻宗」のような人物造形だけは願い下げだ。


10月28日(火) 托卵  Status Weather晴れ

 エミール・ヤニングスが晩年,ハリウッドにわたり,RKOのプログラムピクチャーに出ていたという話を聞いたことがあるが,本当だろうか。
 ディートリッヒの出世作「嘆きの天使」での淪落になだれ込む教師の姿があまりに印象的でどうにもイメージが湧かない。叶うならば,時と国を飛び越えて「仕立て屋の恋」の主役をはってもらいたかった。

 ひさうちみちおというと,「パースペクティブキッド」やその名も「嘆きの天使」,芸能人そっくりシリーズ,「理髪店主の悲しみ」(あのころの○○クラブという雑誌は,藤田嗣治に横恋慕していたころのいつきたかしなど,なかなかのメンツをそろえていた)などあるものの,「托卵」は孤高であり続ける。義経の漫画も面白かったと記憶している。
 何年かに一作でいいから,コンスタントにひさうちみちおの漫画が読みたい。


10月29日(水) カンニング大作戦  Status Weather晴れ

 こっそり告白すると,私は喬史の代試験(というのだろうか)をしたことがある。前日の夜,徹の部屋で相変わらずのバカ話をしていたときのことだ。遅くなったので喬史は泊まっていくことになった。
 「明日の一限,出られるかな」
 「起きさえすれば,学校まで10分もかからない」
 「低血圧だからな,おれ」
 そのころは,まだ喬史の自称低血圧はまかり通っていたのだ。
 「代返してくれねぇか」
 これまでも,そつなくこなしてきたので,「かまわねぇよ」2つ返事でそう答えた。
 「こんどは,おれが代返するからさ,悪ぃ」
 喬史は,十にひとつも起こりえないようなシチュエイションを口にした。そのときは意外と,そう思っているのだから憎めないのだが。

 翌日。代返をそつなく終えた私は意外な事態に出くわした。後半は試験だったのだ。しまった,といっても後の祭り。いるはずの喬史の答案用紙も含めて,各列にまわされる。
 躊躇なく,そのなかから2枚を抜き取った。

 素人並のテクニックで筆跡を変え,私は2枚の答案用紙を仕立てた。出席さえすれば,誰でも単位が得られると評判の授業だったので,費やした労力はたかが知れている。

 大学の試験なんて,ちょろいものだ。私はたいていの試験を甘くみた。

 ドイツ語はテキストとして用いていた「青春はうるわし」から出題されると聞かされた。簡単な訳とともに,小論文があった。旧制高校の学生並みの心性を80年代に押し付けるような教師だったので,テーマにそって「青春とは,気づいたときに過ぎ去っているものではないか」とか,なんとか書き連ねると,そこそこの点数を得た。ますます甘くみた。

 翌年のドイツ語の教師は,小声で授業をすることに生き甲斐をかけているような女性だ。その声につられた私たちは,しばしば瞼の重さに耐えかねた。この教師の試験のときは,教室中を正答がかけ巡った。どう考えてもそのようすをこの教師は感じていた筈なのに,何一つ咎められなかった。
 私のところに正答がまわってくる間に,喬史が早々と答案を提出する姿がみえた。戻り際,「まだ写し終わってねぇのか」小声でささやくと教室をおあとにした。
 確かに写しはしたのだが,真正面きってそう言える喬史の心根が,時に羨ましくなる。


10月30日(木) 地に爪痕など残さぬ者  Status Weather晴れ

 「昭和七年ごろ佐々木邦の『地に爪痕を残す者』という小説の題を見てからこの方,そんな奴だけにはなりたくないと身に沁みて思った(後略)」(中井英夫全集9『月蝕領崩壊』p.158)

 こんなこと書く一方で,次のページには「……性感というものは,あからさまな性欲とはまた違った地上の罠であり……」と平気で記す。なるほど,刺激と欲望を混同しては可笑しい。

 巷では刺激が幅を利かせているように思いもする。ただ,死を後ろ楯にしながら欲望を持続させた日々の暮らしを顧みると,いつまで欲望し続けることができるのだろうか,と。刺激を持続する体力は鍛えられもしようが,欲望を持続する体力となると,いささか心もとない。

  お前が欲望されている(長谷川裕倫)

 で,冒頭の一文が気にいったのは,まあ,概ね,そんなものだと思いめぐらせたからで,矢作俊彦に続いて中井英夫というと,80年代なかば,『さまよう薔薇のように』『名なしの森』を続けて読んだ当時がよみがえってくる。さらに引用。

 「……といった花やかな顔ぶれは,演奏を聞かないでも聞いたような気になる,写真を見るだけで胸のときめく存在であった」(同書,p.114)

 同じような思い出しかたをしている筈なのに,こうやって書かれると(演奏を聞かないでも聞いた気になる),妙に納得させられる。   


10月31日(金) クラック・ポット  Status Weather晴れ

 海の向こうへ行ったっきり,戻ってはきやしない弟に何度か頼まれて小包を送った。ただ,頼まれるものといえば,プロレス雑誌やプロレス漫画。あとはセックス・ピストルズのやトイ・ドールズのCD。海外でも手に入るだろうに。「日本版はボーナストラックがあるから,高値で売れるんだ」こ奴,自分ではテープにダビングして,片っ端から売りさばいていたらしい。
 耳かきなんて,妙に所帯じみたものも頼まれはしたが。

 あまりに刹那的な小包なので,せめて何か入れてやらねばと思っては,そのときどきに本を入れた。『モンティパイソン大全』や『ケンペーくん』(文庫版),『ハイ・フィデリティ』,『新さん』などなど。こう並べると,他にもう少し送ってやる本もあったとは感じる。

 読み終えたばかりの『クラック・ポット』を送ったのは10年以上前だった筈。一回しか読んでいないのだ。今にして思えば惜しいことをした。ジョン・ウォーターズの文才が爆発した,この極上のエッセイ集。テーマはなんであれ,語尾は「シット」やら「ファック」ばかり。パワフルなこと奥崎謙三に勝るとも劣りはしない。

 弟は,なぜか阿刀田高とジェフリー・アーチャーのファンだったことを思い出した。この前,日本に来たときは,嬉々として「チーズとなんとか」や「金持ち父さん(だっただろうか)なんとか」なんて本を古本屋で買い漁っていた。どこかズレてるんだよな。


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