2003年11月



11月01日(土) last at all for all  Status Weather晴れ



11月02日(日) カギ  Status Weather晴れ

 清水博子の「カギ」(すばる2003年10月号)を再び,サイト上に取り込むような所作はするまいと思ったが結局……。
 ただ,どこかで読んだことがあるような気分が残る点はひっかかった。

 高橋源一郎の『虹の彼方に』のなかに,矢作俊彦の『マイク・ハマーへ伝言』の一節が引用されていることは意外と有名な話。角川書店にいた頃の見城某が企画した(?)文庫本シリーズでも,彼が「矢作俊彦・司城志朗」の項をあげて,担当していた筈だ。『スズキさん……』の評論はいわずもがな。今日の朝日新聞の評論は,その流れで『ららら』……を位置づけていたが,ちょっと違うのでは,と感じた。

 村上春樹は川本三郎との対談で(「ユリイカ」),矢作俊彦が月刊プレイボーイに書いた「ヴェルマが行ったところまでは見えなかった」(後に『複雑な彼女と単純な場所』収載)をあげて,都市小説としてレイモンド・チャンドラーの作品を読み解く契機になったという趣旨の発言をした。『舵をとり風上に向くもの』と『ドアを開いて彼女の中へ』を併せて紹介した山崎浩一は村上春樹との対比を「横浜」と「神戸」,「ローリングストーンズ」と「ビートルズ」と単純化してみせた。

 「コンクリート謝肉祭」から20年を経て,昨年,今年とヘミングウェイに関する連載エッセイを書き終えた小説家。『死ぬには手頃な日』にある後半の何作かはヘミングウエイを意識しているのは明かだろう。文庫本化のあたって書き下ろされた一編は周到にその性格を強化する。

 平沢進と矢作俊彦が,時同じくヴォネガットにふれていることを不思議に思う。ケストナーについてはさておき。


11月05日(水) 高円寺の午前2時  Status Weather曇り

 そのころ昌己は高円寺北にアパートを借りていた。隣室の中国人夫妻が朝,ポール・モーリアをBGMに目覚めることと,得体の知れない虫が風呂場の配水管から這い出し,液晶のなかへ入り込むことをのぞけば快適な部屋だった。

 週末は高架を越えて20000Vにライブを聞きにいき,朝まで飲んだり食ったりを繰り返した。薔薇亭の文句をいい,安いだけが取り柄,食うと腹を壊す焼き肉定食を出す店に案内された。

 20000Vの帰り,ついつい終電をやり過ごし,あぶらだこを聴きながらテレビを見ていると,昌己の友人がやってきた。イアン・カーチスの声色が得意で,ギターを持たせると缶をピック代わりに灰野某ばりのノイズをまき散らす暴力的な演奏をする奴だったが,ふだんはいたって人当たりがよかった。その夜も,クラフトワークやブラマンジェの話で盛り上がった。
 2時ごろのこと。窓の外で大きな音がした。
 「自販機荒らしか。“見つかるぞ! 気をつけろ”」
 そ奴は親切に,外の誰かに注意した。すぐに音は止み,あたりは静かになった。
 車で来ていたらしく,しばらくすると「込まないうちに帰るわ」といってアパートを後にした。

 明け方,私は家に帰り一眠りしたのち,昌己に電話した。
 「それがさぁ」
 彼は受話器の向こう側で笑い声が響く。

 「あ奴から,さっき電話があってさ。フロント割られてたんだって。あの音,自販機荒らしじゃなくてさ。自分の車のフロント割ってる奴に“気をつけろよ”っていってたわけだ」
 「どうしたんだよ,それで」
 「そのまま青梅街道を家まで帰ったんだって。寒かったろうな」
 「まわりの車,ひいたんじゃないか」
 「そんな視線を感じる余裕なんてなかっただろう」
 彼は家に戻ったのち,その車で被害届けを出しにいったそうだ。さすがに警官も車のようすをみると「自己演出じゃないのか」とはいえず,「これからは路駐に気をつけなさい」などと諭されたそうだ。


11月06日(木) 国立の午前2時  Status Weather雨のち晴れ

 徹のファミリアに4人で乗り込み,土曜の午後いっぱいかけて多摩のあちこちをぶらついた。アベックが立寄りそうな場所を慎重に避けたものの,それでも2回ほど場違いな場所に入り込む。早めの夕飯を取った後,国立のディスクユニオンに立ち寄った。何探すわけでもない。ただの時間潰しだ。気がつくと20時を回っていた。
 「そろそろ帰るか」
 徹にそう言い,3人で駅に向かう。

 「雀荘いかないか」
 誘ったのは徹だ。
 終電までしばらく時間がある。いくら,だらだらした麻雀だからといっても半チャン2回くらいはまわるだろう。ファミリアを路駐すると,4人して駅前交差点近くのビル2階にあった雀荘へと向かう。

 小ざっぱりはしていたが,埋まっている卓は数えるまでもない。昌己は「流行ってねぇな」ひとりごちた。サイフォン抽出コーヒー程度のものを売りにする喫茶店のマスターのような態度の店主がテーブルへ案内した。
 「文教地区じゃあ,雀荘のマスターまで,ああかよ」
 伸浩はいつもの調子だった。

 初手から始発待ちになることは判っていたのだ。時計を見ると午前1時過ぎだ。しかたないな。枯れた喉にコーヒーを流し込んだ。

 それから,どれくらい経ったのだろう。店主がテーブルへやってきた。
 「そろそろ閉店時間ですので,よろしくお願いします」
 まだ2時をまわってない。終電はすでにやり過ごし,とはいえ始発まで,どれだけ待たなければならないのか。第一,午前2時に閉める雀荘なんて聞いたことがない。とんでもなく中途半端な時間じゃないか。

 だからといって社会人になってから,やたら穏健になったわれわれは,「すいませんね。そろそろ終わりにしようかと思ってたんです」本当かよ。午前2時に国立駅前へ放り出されて,どこへいくというのだろう。

 陰で文句たらたらで,それでも表面はさわやかさを装ったわれわれに頼りは徹のファミリアだけだ。
 もちろん,すでに,鍵付きの黄色い旗がサイドミラーに付けられていたことはいうまでもない。
 それ以来,というより一度も,国立で夜を徹したことはない。


11月07日(金) 安全第一  Status Weather晴れ

 辻潤のエッセイで,「安全第一」の由来を読んだ記憶があるのに,全集のどこを探してもみつからない。「安全」と「第一」が四文字熟語のように合体した理由がシニカルに記されていたはずなのだが。以来,私は「安全第一」という言葉が心底嫌いになった。「唖然,大地に」などと,へたなラッパー並の歌詞とバックをつけ,ひとりスタジオで録音したこともある。
 そこでは「学んだ」という状態にも似て,「私の感覚」がまったく塞がれているように思ったのだ。
 そんなもの初手から息づいていないというフェティシズムの彼岸にあるこの世では,何を今さらなのかも知れないが。


11月08日(土) 止まることなく  Status Weather晴れ

 ポール・ボウルズが,この世に生まれでて60年たってなお,“Without Stopping”と言い切れたのはなぜだろう。しばらく前まで,そんなふうに羨ましく感じていた。
 「コトナの日々」と題して記憶を手繰り寄せてきた,ある衝動の出自が,否応もなく止まってしまった自分へのエクスキューズであったように思えてならない。
 モラルを移行させようにも,その術,そして理由が見つからなかったのだ。
 なんだか,そこを乗り越えるコツを,ふとしたことからつかんだような気がする。

 “Goes on Ghost”じゃなく。


11月10日(月) さま  Status Weather曇りのち雨

 徹は全日ファン(ジャイアント馬場のほう)で,高校時代から新日ファン(アントニオ猪木のほう)に虐げられてきたという。
 「馬場ファンめ!」何度,そう罵られたことだろう。そのたび彼は「猪木は呼び捨てじゃないか。馬場は“さん”付けだ。馬場さんのほうが偉いんだ!」と言い放った。
 因みに,同じ理由から「王さん」のファンでもあった。ファン心理というのは,どんなときにも理解しがたいものがある。頻りに「王さんと館ひろしって似てるよな」と同意を求められたが,われわれのほとんどは無視を決め込んだ。

 好きなプロレスラーはでかいか小さいか(ミゼットね),中途半端で小柄なレスラーは初手から相手にしない。関節技なんてもっての他だ。それなら国際プロレス((ミスター)ヒト引っ込め!)のほうがいい。時,まさにタイガーマスク全盛時代。彼は不遇な数年をやり過ごした。

 ただ,どうも全日(国際)レスラーの言動が腑に落ちない。
 「だって,あ奴ら,自分のこと“オレさま”っていうんだぜ。自分に“さま”つけるかよ,普通」
 いや,つけないと思う。普通は。
 でも,普通じゃないぞ,プロレスラーって。

 ちなみに「パワーフォール」の作者は平沢進。


11月12日(水) 気持は判るが  Status Weather曇りのち晴れ

 地方で結婚した裕一を祝い,学生時代の友人が集まった。通りがかりの友人も合わせて,ちょっとしたパーティ気分で六本木の夜は更ける。そのころ伸浩は,まだプーだった。相変わらずダブルスーツ。ゴッドファーザーをどこか,はき違えたような格好でやってきた。

 われわれは,こ奴の成就することのない想いを幾度聞かされたことだろう。一歩間違えば乱歩の「蟲」(ああ,20年代のストーカー小説よ)に落ち込みかねないほど欲望が膨らむのだ。恋多きバチェラー(+プー)伸浩は,女性のクラスメイトに連れられてきた女性に一目惚れした。(“Love at First Sight”by XTC)

 いつの間にか,東京と千葉の境に住むというその女性にとって終電が微妙な時間になっていた。チェックを済ませると,奴の姿が見えない。店のなかで困惑する女性の姿。彼女を連れてきた友人に尋ねると,「タクシー代出すってきかないのよ。彼女困っちゃって。気持悪いよね」。
 確かに言う通りだ。職もないくせに,やたら羽振りがいいのだから,なおさら気持悪い。

 あとから,奴は紳士面して,友人に彼女の電話番号をしつこく聞いていたことを知った。まったく最低だ。

 さて,しばらく後。伸浩は彼女に電話をしたのだという。
 「聞いて。最初になんて言ったと思う」
 忘年会で,われわれは友人から,その顛末を息をのんで聞いた。
 「『あっ,いたんだ』だって」
 思わず一同,同じく突っ込んだ。
 「だれが,いない奴に向けて電話すんだよ! まったく最低だな」

 ただ,そういう気持,判らなくないのだが。


11月13日(木) 編集者  Status Weather晴れ

 キリトというのが何者かは,まったく知らない。「ダン池田の本みたいなもんかな?」と,妙な期待をもって書店で手にした一冊。ビジュアル系(死語なのか?)ミュージシャンらしい。数ぺージ捲ると「市川さん」という単語が飛び込んできた。まさか??? あの失踪した編集者市川哲史なのか???
 あとがきを読むと「帰ってきた編集者 市川哲史」とあるではないか!

 リニューアル後(1982年),雑誌「ロッキン・オン」の熱心な読者であった時期は,思い返すと5年ほどだ。四本淑三,堀込真人,遠藤利明などなど,いまだにライターの名前は覚えている。
 ヘビメタ,ニューウエーブ,プログレ,パンク,各人に持ち場があり,匿名性全盛時代にあって,「ロッキン・オン」の紙面だけ記名性が突出していた。

 市川哲史は「ロック・ミエ講座」など,ニューウェイヴを中心としたMTVに登場するバンドを肴に,ふざけた,でも,ついつい読んでしまう原稿を書きまくっていた。

 しばらく後,ロックバンドのアルバムヒストリーがCDで一気に再発されると,買うアルバムごとに,ライナーノーツを市川哲史が担当していて,さすがに辟易した。ジャパン,XTC,そしてキング・クリムゾン。

 いつの間にか守備範囲を日本のロック(ロッキンオンジャパン」)にまで広げ,特に大槻ケンヂとの掛け合い漫才のような対談,インタビューは,これまたついつい読まされた。

 90年代に入ってからは雑誌「音楽と人」(中身は,ほとんど「ロッキン・オン・ジャパン」だったけど)を立ち上げた。
 それが,しばらく名前を目にしないなと思ったら,「音楽と人」の編集後記に「市川編集長,何も問いませんから,戻ってきてください」と,聞いたことのない名前で書かれていた。大槻ケンヂの日記で,市川哲史が失踪したことを知った。

 何があったのかはまったく知るところではない。
 それから,かなりの時間が経ったことだけは確かだ。

 ふと,捲った単行本に(帰ってきた)市川哲史の名を見つけたのは,たぶん,本は,嗅覚にふれるようにしてまとめられ,読者の手に届くものだからに違いない。といってしまうと,きれいごとすぎだろうか。


11月14日(金) イメージが…  Status Weather晴れ

 小松左京の『復活の日』が映画化されたときのこと。アメリカでも公開されると,宣伝はやたら気合いが入っていたのに,アメリカでのタイトルを聞いて意気消沈した。
 “Virus”
 そのままやんけ! と関西弁で突っ込みをいれたくなるくらい,ヒネリも何もないタイトルだった。興行収益はどれくらいあったのだろう。あの映画を思い出すたび(そんなこと滅多にないが)寒々とする。実際,寒いところの話だったのだが。

 東京ネタばかりで申し訳ないが,都内にあるスーパーマーケットチェーン「丸正」。構えは大きくても,時に「賞味期限切れ,品質保証」てな品物をサービスで付けてくれたりする。(実際,わが家の近くのスーパーでは,そう銘打って,格安で商品が手に入る。ヨーグルトだったりすると,賞味期限内は牛乳だったんじゃねえのか??? と勘ぐりたくなるくらい怪しい店なのだが)

 さて,丸正六本木店の話。
 この店,丸正なのに,なぜか店名がカタカナ。場所柄なのだろうが,明治屋だってあるんだから,堂々と名乗ればいいものを,妙にカタカナに横恋慕しているのだ。

 丸正六本木店の店名は「マルシェ」という。カレーじゃないんだから。


11月15日(土) それから先のことは  Status Weather晴れ

 加藤和彦がサディスティック・ミカ・バンド解散後,最初に出したアルバムのタイトルは「それから先のことは」。肩の力を抜ききった(その姿勢は次の「ガーディニア」にも共通しているが),やたらと気持よい音が鳴り続ける。A面1曲目「シンガプーラ」は,最近,ある女性歌手がカバーしたというが,聞いていない。

 70年代のシンガポールといえば,まだブギストリートが華やかだったころだろう。一方で,コロニアルムードがひたひたと漂ってくるやっかいな魅力をもったアルバムだ。

 80年前後のいわゆる3部作(「パパ・ヘミングウェイ」「うたかたのオペラ」「ベル・エキセントリック」)は,何十回わが家のターンテーブルに乗ったか知れない。「トロカデロ」「ケスラー博士の忙しい週末」「50年」,知人の劇団では「メモリーズ」をこっそり使ったそうだ。

 突然,年内いっぱい,少し余裕ある状況になったので,しばらくぶりに辻邦生の『フーシェ革命暦』を読み返そうと思う。前読んだときは,フーシェ=「静粛に 天才只今勉強中!」のイメージがあまりに強烈で,今ひとつ乗れなかった。いったい,誰がフーシェのモノローグ(それも幼年時代の!!)なんて読みたいだろう? 
 とはいうものの,小説としては面白いのだから。

 『時の扉』を読んだときは,なぜか手塚治虫のマンガを思い出した。あの小説,手塚治虫がマンガ化するとピッタリなんだが。もはや二人ともいない。


11月17日(月) ピリカラ  Status Weather晴れ

 「これ,ピリカラでおいしいわよ。食べてごらんなさいよ」
 PTAのようにお節介なおばさんが,もうひとりにすすめる。いや,その心性はPTAそのものだ。こんにゃくを醤油と唐辛子で炒めた付け合わせに,いちいち説明が入る。
 「ピリカラ」
 「ピリカラ」
 「ピリカラ」

 ピリっと辛いことをして「ピリカラ」なんて,いつからいわれはじめたのだろう。「甘辛」ってのは判るし,何でも甘辛く味付けしてしまう,貧しい味覚が,そこここかしこに蔓延する状況を憂わずにいられないことを否定はしない。
 だから「甘辛」は判るのだ。それぞれが共通するカテゴリにないから,四文字熟語みたいなものだ。

 でも「ピリカラ」って,「カラ」のなかに「ピリ」って入ってはいないのか? 「ピリ」以外に,たとえば「鼻にツンとくる」から「ツンカラ」とか,ソンタムみたいに,パパイヤのサラダなんて形容で気を緩めさせておいて,一口した途端,舌が焼け付くような「熱カラ」とか(激辛っていうのかな)いいかたを聞いたことはない。
 なんだか,そそられないのだ。「ピリカラ」って物言いに。

 結局,もうひとりは「ピリカラ」こんにゃくに箸をつけなかった。でも,おばさん,最後までいい続けてたな。
 「ピリカラでおいしいわよ。食べてごらんなさいよ」
 ああした輩,初手から,相手のことなんて眼中にないんだな。結局。


11月18日(火) 味覚  Status Weather晴れ

 西欧の文化に対する妙なコンプレックスがなくなったのは,タイ料理の旨さを手に入れてからだと思う。
 タペストリーを学びにヨーロッパへいった女性の,失踪にいたる経過を別の視線から記した小説なんてものに,テーマとは違ったところで憧れのような感じ(彼の小説家のボキャブラリを使えばサンサシオン?)を抱えてしまったのはなぜだったのだろう。修道女が極寒の地でストイックに生きていく(まるでシモーヌ・ヴェイユのように)短編のほうが,まだ読んでいて違和感がなかったはずなのに。

 先日,そんなふうにいったあとで,自分で納得してしまった。まあ,椎名麟三や埴谷雄高の作品でさえ,まず,その風景描写が記憶に残るのだからしかたないが。
 たぶんあのころ,私の食生活が,ファミレスあたりを頂点にした頗る低く狭いピラミッドを形づくっていたからだと思うのだ。

 「料理の四面体」「ブリコラージュ」「丼ものは食べない」,80年代はじめ,料理に関して,やたらと単語だけは身についたが,実にはなっていなかったのだと,つくづく感じる。
 とはいうものの,味覚に関する表現だって,いつまでたっても「美味しんぼ」の域から出ることなしに,ひたひたと続いているのだからしかたあるまい。

 ビートたけしの表現って,ほんとに凄かったのだ。未だに忘れられないし,こうしかいえない感覚をピタっと言い切るのだ。
 「ゲロすっぱい」
 これ,味覚じゃないけど,凄い表現だといつも思う。


11月19日(水) our lips are sealed  Status Weather曇り

 昌己はリアルタイムでファン・ボーイ・スリーのファンだったが,私はテリー・ホール+女性2人(女優とアクセサリ・デザイナだっただろうか)のユニットから,スペシャルズまで遡ってまた戻り,ファン・ボーイ・スリーに辿り着いた。マッドネスのあるPVで,バナナラマと一緒にゲストとして登場していたのは記憶に残っていたが。
 だから“Our Lips are Sealed”(1983)を聞きまくったのは,10年くらい前のことだ。リリースされてから10年くらい経っていたことになる。

 なのだけど,この曲を聞くと,デビューから『ゼウスガーデン』あたりまでの小林恭二の小説を思い出す。
 たぶん,本を読みながら,タイトルも知らずに,ラジオから聞こえてきたメロディがどこかに刷り込まれていたのだろう。懐かしさの真っ只中で犬死にしそうな気分に陥り込んでいきそうで,まさか82年・83年あたりの曲に懐かしさを感じてしまう日がくるなんて予想だにしなかった。“Summertime”なら驚きもしないが。

 メモリを512Mバイト足したら,まったく快適な動作環境になった。この1年,いったい何だったのだろう。


11月21日(金) 因果律ランダム連鎖  Status Weather晴れ

 1週間ほど前,「それから先のことは」というタイトルで書きはじめたのは,なぞった指先の感触ほどではあるものの,些細な事柄の記憶をとりあえず残しておこうと選んだキーワードであった。

 何年ぶりだろう。中古CD屋で,えさ箱を一通りチェックしたのは。数十分かけて,手にしたのはちわきまゆみの「エンゼル」一枚だった。バンドごとの棚では加藤和彦の,その名も“Memories”というアルバムが出ていたことを知った。XTC「ブラック・シー」のボーナストラックやマッドネス「ライズ・アンド・フォール」のリマスタリングにも食指を動かされたものの,結局邦盤2枚を買った。

 「エンゼル」が発売されたのは1986年。当時,彼女のLPから12インチまで買い漁ったが,改めて聞き直すとボーカリストとしてはなかなか厳しいものがあるのは今も昔も正直な話。ただ,このアルバムに入っている2曲(ファミコンにも使われた「エンジェル・ブルー」とラストの「メタリック・ヘヴン」)は,何とも他に代えようがない。12インチのB面で「サイエンスフィクション/ダブルフィーチャー」をカバーしていたことまで思い出してしまった。

 “Memories”は,アコースティック中心に選曲されているものの,ミカ・バンド時代のものはなく,「ガーディニア」を飛び越えて「パパ・ヘミングウェイ」同様「メモリーズ」で挟む構成になっているのは,ちょっとやりすぎのような感じがした。
 「四季頌歌」あたりは入れてもいいだろうし,「大統領殿」が入っていないのは版権の問題だろうか。(ボリス・ヴィアンの曲だったと思うのだが)
 “Memories”がさらにいい音で聞けるだけでも,得した気分だ。「シンガプーラ」も入っているし。

 この曲の編曲アイディアは,ウルトラヴォックスの“JUST FOR A MOMENT”からのいただきだと思うのだけど,どちらも名曲。

 「矢作俊彦 因果律ランダムハウス」に,「コンクリート謝肉祭」をアップしたのだが,どうにも意図が不明瞭になってしまった。この形では,誰にとっても消化不良のままにちがいない。どのあたりまで,サイト上に掲載できるものか,悩んでしまう。


11月22日(土) 叶姉妹???  Status Weather晴れ

 弟から電話があり,お互いの身辺報告のような話になった。
 「今日,店にデミ・ムーアが来たんだ」
 ロサンゼルスの日本料理店に勤める弟の話は,いつもこんな調子だ。
 「このまえはレッチリのドラマーが来てさ,同僚が友達なんでCDもらっちゃった。ポール・アンカが来たときは,さすがに俺しか気づかなくて」
 30歳そこそこで,ポール・アンカに気づくほうがどうかとも思うが。それはまあ,本物のテリー・ギリアムを確認できるくらいだから,目は確かなのだろうけど。
 「ダイアモンド・デイブくらいだな。店中のテーブルまわって愛想を振りまくのは。ちょうど,誕生日だから機嫌よかったんだ」

 デヴィッド・リー・ロスなら判ろうものが,「ベニー・ユキーデは,本物かどうか怪しかったんだけど,足下見たらリングシューズ履いていたんで,あれ間違いないね」。それこそ,にせものじゃないのか? 第一,「四角いジャングル」なんていったって,ロザンゼルスで通じるのかよ! 
 と思ったら,K1に出てたんだベニー・ユキーデ。相変わらず田中星児みたいな髪型なのだろうか?

 「昨日はライオネル・リッチーが娘と来たんだ」
 「ライオネル・リッチーの娘って,何なんだよ?」
 「こっちじゃ,今,娘がちょっとした人気でさ。日本でいう叶姉妹みたいなもんかな」
 叶姉妹って? 叶姉妹にたとえるなよ。
 でもさ,ライオネル・リッチーの娘って姉妹なのか? リッチー姉妹??? 金持ってそうな響きだ。


11月23日(日) バーグカニ  Status Weather曇り

 駅前のビル2階にあったファミレス風喫茶店は,24時間のうち,18時間は開いていた。喬史が雀荘で勝利した明け方,モーニングかわりステーキ弁当を食べたのもこの店なら,ゼミ室の帰り,サークル名を検討したのもここだった。やたらと広いことと,ソファがあったので,平たくなるには手頃だったのだ。

 昼飯を食いに数人で入ったものの,店のなかでクラスの友人と遭遇した。テーブルを合わせ,食事後も居座った。各人が講義に出たり戻ったり,それでもみんなが店を出ることにはならなかった。
 4限が終わり,帰り際,店内を覗くと,まだ友人たちの姿があった。結局,店を出たのは夜10時を過ぎていた。昼前に入ってから10時間以上,誰かしらい続けたことになる。追加オーダーも取らならい客はアルバイト店員にも目障りだったのだろう。最後にはコップまで下げられた。

 この店で,われわれがしばしば注文したものは「バーグカニ」という間抜けな食い物だ。ミニハンバーグとカニクリームコロッケがひとつずつ。それにフライドポテトなどちょっとした付け合わせが添えられて400円を切っていたと思う。
 オーダーするときに「バーグカニ」と発音するのがどうにも情けなかった。何かの拍子に語尾をあげてしまったりすると,ドリフの下手な真似に聞こえてしまう。「……かね?」が訛ったかのように。
 バーグカニ
 今,発音しても,やはり情けない。


11月24日(月) 羽蟻  Status Weather曇り

 北杜夫の短編「羽蟻のいる丘」に,女の子が「引っ越し」のことを「おしっこし」と繰り返す場面があったと記憶している。江戸っ子だな,というわけではなく,記憶の絡み具合なんて,こんなものなんだろう。
 「引っ越し」と聞くと「羽蟻」を思い浮かべるようなもの。

 社宅ができたり入れ替わったりで,小学校時代,とにかく引っ越しが多かった。おかげで,これまで暮らした町は2桁になる。望むべきもない生活のリセットが,ある部分,引っ越し(と,小学校時代の転校)によって目の前で展開される様は,こればかりは経験したものでないと理解できまい。
 途中からは落ち着き,社会人になってからは4,5年に一度,転居するに止まっている。

 一所にいると,何ものかに,居場所を食いやぶられていくイメージが着いて離れないのは日頃の行いゆえのことなのだろうが,どこかに件の短編のシーンが影響しているように思う。


11月25日(火) 道造  Status Weather

 山上たつひこの名作『JUDOして!』。ギャグ漫画を描きはじめて以後,彼の漫画家にしては珍しい長編。連載当初は自ら,「長編はむりなのか」と内輪ギャグのような吹き出しがあったりで,物語を動かすのはかなりしんどかったのではないだろうか。
 はじまりは柔道部を舞台に,笑いはキャラクターの特異性にまかせ,意外としっかりした物語が,それでも展開していた。
 それが,動物が登場してから物語は激変する。猫とアルマジロとオオアリクイのトリオだ。なぜ,柔道漫画に猫とアルマジロとオオアリクイが登場するのか,そんなこと,ひとことではいえない。
 トリオのうち,猫のタマは当初から出ていたが,言葉はしゃべらなかった。(あたりまえ)それが,行きがかり上,剥製屋から逃げ出したアルマジロとオオアリクイとともに活躍しはじめると,舞台はアマゾンにまで及ぶ。

 と,書いていて,どんなストーリーなのかこれじゃ判らないだろうとは思うが,そういう話。

 柔道部員に「道造」と呼ばれるにきび面の坊さんみたいで学ランを纏った男がいる。顔はごついのだが,体は貧弱。いつも胸に手を当てて,「ああ,エリザベート,エリザベート」と詩を諳んじる。そんなキャラクターだから,こ奴,いつも目を閉じて胸に手を当てて登場するのだ。「道造」とは,もちろん立原道造をイメージしてのもの。バックに白樺並木が登場したりもする。

 当時,私は,1984年当時のロバート・フリップを真似て,時々,手を胸においていたが,(あれ,グルジェフのムーブメントのひとつなんだろうか),友人からはその姿を「道造」といわれた。心外ではあったが,たぶん私が友人たちの立場にあったら,同じようにいったと思う。

 次作『冒険ピータン』とともに,山上たつひこの黄金期の一作。
 当時の「週刊少年チャンピオン」には,どおくまんの,これまた傑作『怪人ヒイロ』の連載もスタートし,この2作以外の漫画は読まなかったものの,金曜日が待ち遠しかった。


11月26日(水) CCCD  Status Weather晴れ

 マッドネスのリマスタリングCD買ってもいいかなと思って手にすると“CCCD”の文字が。ジャパンのCDもCCCDだった。(CCCDはCDじゃないという意見もあるのだが)
 音質云々は気にしないものの,物理的にiMacで聞けないというのが,どうにももどかしい。立ち読みした雑誌「Snoozer」に,iTunesミュージックストアやiTunesを取り上げた座談会があった。約20年して,きな臭いCDの出自がぶち壊したものについて思いめぐらす時期にあるのかもしれない。

 レコード会社(と,今でもいうのだろうか?)が,旧譜をリマスタリングしたり,紙ジャケットにしたり,傍若無人に振る舞う態度というのは,漫画を出版する版元にやけに似ている。
 CCCDについては,ネット上でも意見は百花繚乱だ。ただ,こっちにつくか,あっちにつくかなんてことをいいはじめると,どこかで展開された図式のようで,天秤から降りたくなるのはP-MODELファンの性。


11月27日(木) ポストイット  Status Weather晴れ

 「現実の方が怖いから,怖い夢なんか見ない」(「月蝕領崩壊」p,609)
 読み終えて,とにかく印象的だったフレーズ。


11月28日(金) シモンズ  Status Weather曇り

 1981年,キング・クリムゾン再結成の報が届くが,9月のニューアルバム発売まで時間があった。そのうちに海外でのライブのようすが,ロック雑誌にグラビア記事で紹介されはじめた。
 たぶん「ロッキンF」だったと思う。
 スキンヘッドと志村けんのようなルックスの新メンバーが映っていた。正直,当時はルックスが悪いとはそれほど感じなかった。それよりも驚いたのはビル・ブラッフォードのドラムセットだ。プラスチックらしき黄色い六角のスネアドラム。タムタムもなんだかプラスチックっぽい。妙な迫力があった。おまけに,シャッタースピードを超えて,スティック(棒の方。このバンドの場合,スティックというと2つの意味があるから)がブレている。
 そのスネアがシモンズの六角ドラムであったと知ったのは,しばらく後になる。

 さて,昌己と徹はRCサクセションのファン(というか曲のファン)だった。
 「多摩っ子だからな」
 そういっては奴らは私が知らない曲を口ずさむ。私には興味がなかった。ただ,一曲だけ,RC関連のシングルCDを買ったことがある。
 タイトルは「トランジスタ・ラジオ」。歌っていたのはシモンズだ。この場合,正確に表記するなら「子門's」。長年の訓練の末,子門真人唱法を会得した3人が,存分にその技を駆使してかの曲を歌いまくる。全編,梅雨から夏には聞きたくないむさ苦しさが充満する。バージョン違いや子門唱法によるコーラスが入ったカラオケが入っていたように記憶している。

 ご存じの通り,この3人は砂原在籍時の電気グルーヴの面々。安っぽいジャケ写は,子門真人のコスプレというより,売れないソウルバンドみたいな格好で,どうでもいいのだけど下から煽った構図。実家に,まだあるんだろうな。


11月29日(土) ツ  Status Weather

 裕一はほとんどの楽器をこなしたが,ライブではドラマーに徹していた。基本的にドラムが好きなのだ。だから,どんな曲でもドラムの音やパターンはいうまでもない。ドラム・マシンの音まで,何を使っているのか気になってしかたない。
 ほとんどの曲のリズム・トラック使用機材を耳で確認し納得した奴だったが,私が知る限り唯一機材を当てられなかった曲がある。ピーター・ガブリエルの3rdアルバムのB面一曲目,“Games Without Frontiers”だ。スピーカーにピタっと耳をくっつけ,「こりゃ,わからん」と絶句したようすを思い出す。

 当時,冗談のように流行ったリズム・パタンが通称「ユキヒロ終わり」。曲を「タン タ タ」というパタンのスネアでピッタリ切って終わるやりかたで,後に私もオリジナルの曲によく使った。

 みなが麻雀に嵌っていたころ,奴は出たばかりのサンプラーを使って曲を作った。オーケストラ・ヒットや,派手なフレーズをサンプリングして,スティーブ・リリー・ホワイトばりにバサりとぶった切ってテンションをとるのが常だった頃に,奴がサンプリングしたのは「ポン」やら「ロン」やら「ツモ」など麻雀のときに発せられる声ばかり。(それらに混ざって意味不明の「ガー」という声も入っていはしたが)
 ストイックなリズム・トラックに小気味よく響いた。

 裕一は,よくリズム・パタンを口ずさんだ。「トコタカタカタン」「カン ツー ダン ダ ダダ」「チチツー ト トン トトト」。話の流れで何の曲のドラム・パタンをいっているのか理解できればイメージ可能なのだが,時に,ふと口ずさんでいるのを耳にすると,はて? 何の曲だろうと首をかしげることもしばしばだった。
 出だしが「ツ」というパタンがよくあった。クローズのハイハットだとは思うのだけど,続いて「トコトコ タン タタ」とフロア・タムの合間にスネアが入ったりすると,「ツ」が休符にも思えてくる,最後まで頭の「ツ」が気になってしかたない。あげく,リズム・パタンなど,すっかり頭から消えてしまう。
 だからといって,裕一に問い質した覚えはない。「ツ」の正体は,未だ不明のままだ。


11月30日(日) let the power full  Status Weather雨のち曇り

 このところの楽しみは,「サイゾー」に連載中の「ターザン山本流音楽独談」。「山口百恵は編曲だぁー」っていうような,論旨を考えるまでもないフレーズで押しまくられ,ついつい読んでしまう。
 先月はFLOW「ドリームエクスプレス」(ってバンドや曲があるんだ。知らない)に対し,「歌詞の終わりに出てくる山手線のくだり。こいつら,ハッキリ言って山手線3周どころか,1周もしたことないですよ,絶対に!!! !!! (中略)夢の列車に乗る前に,山手線に乗れ!っていいたいよ!!」。コメントが実に熱い。
 
 でも,ターザン山本って,いつから音楽評論家になったのだろう? と思ったら,「基本的に音楽にはまったく興味ナシ」と宣言している。



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