2004年1月

01月01日(木) バブルの余韻  Status Weather晴れ

 1980年代後半よりも,90年代に入ってからしばらく後,生活が一変したのは,バブルの波及効果が,その頃になって私の周辺にもようやく辿り着いたからだろう。

 1994年の冬,クリスマス・ディナーに,藤井一興によるメシアン「みどり児イエスに注ぐ二十のまなざし」(カザルスホール)が付いて,もとい,演奏のあとにディナーがついて,まあ手を出せるほどの金額だった。メシアンとクリスマス・ディナーのコンビネーションが,当時を偲ばせる。スカルラッティならまだしも,メシアンとイタリアン(イザベラ・ディ・フェラーラ)というのは,さすがにアンバランスだったが。

 この日の演奏は,あとあとまで記録にとどめられるもので(なにせ,全曲およそ2時間の演奏だ。そのミスとともに?),初手からディナー付きでチケットを売るようなものではなかったろうに。実のところ,私たちを含め,かなりの客が眠りに就いていた。

 カザルスホールから下った,神保町界隈の景色がひたひたと何かに浸食されていく様子を目の当たりにしたはずなのに,一点(店)をのぞいて,80年代後半の風景が記憶から欠落している。つまり,ミロンガは,小体というのも憚られるコーヒーカップで,タンゴのレコードをかける薄暗い喫茶店のままであり,東京堂書店の向いには冨山房があるということだ。

 すずらん通りの汚いラーメン屋(キャベツばかりのボリュームだけは死ぬほどある中華丼と,きゅうりが乗ったラーメンは忘れられない)では,コックたちと派手な喧嘩をしては辞める辞めないで日々悶着を起こすのを生き甲斐にしていたパートのババア。次にいくといつも店にいるさまは,いやが上にもゾンビを想像させた。
 そのババアを中心に,いつの間にか客が食った皿を自ら下げるような(セルフサービスじゃあるまいし),とても気色悪い空気が充満し,足遠のいていたら,あるとき,パートのババアどころか店自体が無くなってしまった。あの驚きは忘れられない。楽器屋の隣にあった店だ。

 あれこれ言っても,あのラーメン屋の閉店が,私にとっての(おおむね唯一の)バブル体験だったのではないかと思う。大きな声では言えないが。


01月02日(金) 女優  Status Weather晴れ

 ジーナ・デービスがスクリーンに登場すると,この時代に彼女が女優として存在していることの奇矯さを感じてしまう。


01月03日(土) 少年時代  Status Weather晴れ

 辻邦生の『フーシェ革命暦』を読み返していると,特に少年時代のフーシェのエピソードに,マルセル・パニョルの『少年時代』が二重ってみえた。


01月05日(月) ABBA  Status Weather晴れ

 最近の話。

 年末の夕方,NHK教育テレビの「ハッチポッチステーション」を楽しみに見ていた。いつも思うのだけれど,あの番組,喜ぶのは親ばかりではないだろうか。子どもにアピールするものがあるようには思えないのだが。
 この日,一番爆笑したのはABBAネタ。
 グッチ裕三扮するBAABという2人組が登場した。曲目は「単身赴任」。もちろんメロディは「ダンシング・クイーン」だ。


01月06日(火) アル・ヤンコビック賛江  Status Weather晴れ

 弟は,マイケル・ジャクソンはいうに及ばす,サバイバーやマドンア,ニルバーナさえも,オリジナルではほとんど食指を動かされず,アル・ヤンコビックの替え歌を通して,初めてオリジナルの良さを意識したのだそうだ。それはそれで,なんと幸せな出会いなのだろうと思う。

 ミラノへ訪ねたとき,「ネバー・マインド」のパロディのビデオを見せられた。そのころは,同時代の楽曲から縁遠くなってしばらくたっていた私も同じく,そのビデオでニルバーナを知った。
 ただ,弟と違ったのは,オリジナルを聞いたことがなかったので,どうにもピンとこない。パロディを楽しむ困難さが,アル・ヤンコビックを通して痛感されるとは。

 怪訝な顔をする私を,弟は胡乱げに見下した。
 「アル・ヤンコビックは旬のミュージシャンしか取り上げないし,売れてる時に即パロディにするから凄いよな」
 と,妙なほめ方をした。確かに,そうともいえるが過大評価じゃないか? それは。


01月07日(水) 20世紀の遺物 ヘミングウエイーマルクスよりもBIG BOY  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 帰宅してしばらく後,2ちゃんねるの某スレッドをみると,東京書籍から矢作俊彦のヘミングウェイ関連の文章を集めた単行本が出るとの書き込みが。
 本当だとすると,これほどうれしいことはない。

 以下は,私の企画案。

 タイトル:20世紀の遺物 ヘミングウェイ―マルクスよりもBIG BOY

 表紙:「NAVI」連載時の「あ・じゃ・ぱん」に登場したヘミングウェイの似顔絵。
 裏表紙:ハヤカワ・ミステリ・マガジンのダディ・グース画による「長いお別れ」に出てきた猫(こ奴もヘミングウェイという名だったと思う。実家に帰りゃ,すぐ判るんだが)

 本文:

  第一部:コンクリート謝肉祭

  第二部:20世紀の遺物―ヘミングウェイ 隠されていた男の真実
      付:アメ車の風景―キューバに動態保存される強かったアメリカの象徴

  第三部:ヘミングウェイの生んだ永遠の少年の足跡をたどる旅 ニック・アダムスを追いかけて

  別丁で,「トロピカル・ドリンクスのないディスコなんて」。

 もちろん,すべてオリジナルの写真をふんだんに掲載させていただく。


 で,本当に,こんなのが出るのだったら,次は「アジア話編」をぜひ,お願いしたいものだ。返還前の香港,ベトナムもので,単行本に入っていないエッセイなど,いろいろあるだろう。赤瀬川原平,羽仁未央との鼎談やら何やら。
 
 単行本が出たら,とりあえずサイト上の「コンクリート謝肉祭」のデータ(写真)ははずすことができる。今度は「眠れる森のスパイ」連載1頁目集なんてのを,時間があって,サイトデータ量に余裕があればやりたいな。


01月09日(金) Perfoma  Status Weather晴れ

 通勤途中に読むと,絶望的に会社へ行きたくなくなる本がある。みうらじゅんの『アイデン&ティティ』を読みながら,そんな衝動を押さえるのが,それでも心地よかった。

 もうひとつ思い出したのは,Perfoma560。
 語り口が「おばあちゃんとぼくと」なのだ。(娘は,今でもこのCD-ROMで遊んでいる。)

 新宿のライブハウス「リキッドルーム」が店を畳んだそうだ。あぶらだこを2回見ただけだったので,リバーブをかけまくったドラムの音が耳障りなことも相俟って,ほとんど思い入れはないが実際のところだ。
 ライブハウスにしては,ちょっとデカ過ぎたし。


01月10日(土) センス  Status Weather晴れ

 ひたすらに疲れ果ててしまい,思考停止状態になったときでも,ふとした弾みでパソコンのスウィッチを押してしまうことがある。
 そんなときは,とりあえずココへ飛ぶ。

http://www.triggerhappytv.com/

 考えることは,何もない。


01月11日(日) 待っている  Status Weather晴れ

 情報誌を手繰りながら,関東一円のライブハウスへと足を運ぶ。平成に入ってからこちら,数年でそんなことはしなくなった。情報が情報誌によって独占されてしまったかのような(妙な)空気が,そこここに漂っていた時期があるように思う。ライブが終わり,人だまりのなかで手渡されるチラシが少なくなったのも同じ頃だ。

 ときどき道すがら,有名らしいラーメン店をぐるりと囲む行列に出くわす。それは,まるで開場待ちのライブハウス前のようだ。意外に整然として並ぶことが,あたりまえだった。
 ライブハウスのマネージャーなんてのは,その場を,暴力的な公務員ほどに高圧的な態度で仕切っていたから,諍いが起きようにも封じ込められていたのかもしれない。
 その勘違いぶりがまた,有名ラーメン店店員に似ている。


01月13日(火) 四半世紀  Status Weather雪のち晴れ

 ホワイトハウスが来日するらしい。
 ノイズを四半世紀も続けられるというのは,まったく羨ましくはないが,それはそれで芯の通ったプロだったんだと,ため息が出る。


01月14日(水) フレーバー  Status Weather晴れ

 先日,自転車で買い物に出かけたついでに酒屋へ寄ると,ベッジュマン&バートンの紅茶が入荷していた。

 「フランスの紅茶ってのは,何で断りもなく香料を混ぜ込むんだろう」
 昔,イングリッシュ・ブレック・ファストと冠せられた一缶を手に入れたところ,茶葉のブレンドではなく品のいいフレーバーティーだったことに唖然とした。フランス人がすることだから,ポケットに偲ばせたイギリスへの悪意が香っているのかもしれない,などと勘ぐりながら飲んだのがベッジュマン&バートンの紅茶だった。

 家内のルーティンに驚いたことは数知れないが,一番はアールグレイをホットで,それもミルクティで頼んだことだった。その頃の私にとって,少なくともそれはアイスティで飲む紅茶だと認識していた。「ウーロン茶に牛乳入れるみたいだ」そんなふうに馬鹿にしたことを思い出す。
 「それ,美味しそうじゃない」
 返す言葉がなかった。胃がひっくり返ってしまいそうに感じた。それでも慣れてしまえば,あれもこれも変わりない。いつの間にか,私もアールグレイのミルクティを厭わなくなった。それどころか意外と癖になる旨さだった。
 
 紅茶ごときに,18時までしか開いていないワールドインポートマートビルの舶来横町へ,仕事帰りに急いだこともある。

 結局その日,ベッジュマン&バートンのイングリッシュ・ブレック・ファストを買ってしまった。
 が,飲んだ途端,お腹を下した。辛いものには滅法強い私の胃腸だが,大蒜とフレーバーティーにはひたすら弱いことを忘れていた。


01月17日(土) untitled3  Status Weather

 ある年の「ロッキン・オン」に,デビッド・シルビアンのアルバム評が掲載されていた。とてつもなく地味で抑揚のないインストが,いつ果てるともなく続く。1枚を聞き通すとなると,気分は,もはやシュシポスだ。なのに,1時間をかなり経ても,なかなか終わる気配を見せない。2時間を過ぎたころ,レビュアーは思い立ってCDプレーヤーを眺めた。そこで彼女は唖然とする。すでにアルバムは終了しており,曲だと思い込んでいた音は事務所の部屋の空調音だったそうだ。

 「untitle3」は,このエピソードに感化され録音したものだ。

 いつものようにKorgT3以外は使っていないが,こういうスタイルの曲になると,シーケンサの意味はあまり見出せない。

 「災害救助犬」にベースとギターを被せるべくスタジオに入っていたころ,「こういう曲ばかり数曲やって,ステージ引っ込むと,カッコいいんだけどな」と昌己が呟いた。Cola Lにおいて,美的なものを追求しようとする意図が唯一,動きだしたのは,そんな方向だった。
 
 「untitled3」も最後まで,スタジオで音を固めはしなかったが,これに生音被せてみたいという誘惑が,今でも,ときどき頭をもたげる。

(データ調整中


01月18日(日) 校正  Status Weather晴れ

 手元にある講談社文庫版『虚無への供物』の奥付は,昭和54年6月29日第13刷発行と記されている。応じて,巻末年譜は昭和五十三年(1978)までだ。
 はじめて中井英夫の小説を読んだのが,この頃だった筈。学校帰りに立ち寄る本屋で,やたらと厚いその文庫を目にしたものの,なかなか手は出なかった。

 それは,風邪をひいて学校を休んだ9月のある日のことだ。熱も下がり,退屈と二人三脚で床に伏すのは鬱陶しい。弟に頼んで,件の文庫を買ってきてもらった。その後,『ドグラ・マグラ』(上・中・下)も『黒死館殺人事件』(上・下)も講談社文庫で読んだのは,たぶん『虚無への供物』との出会いかたが影響しているのだろう。
 
 さて,同じ文庫の1997年6月30日第45刷は,若干厚さを増している。というのも,この文庫は増刷するたびに巻末年譜を補っていたためだ。1994年(平成に入ってから後は,中井によると“個人の年譜に平成の年号とつける気なく,西暦のみで続ける”とある)12月10日に中井が死去してから後は,当時の助手であった本多正一氏が続けたようだが,それは翌1994年で途切れた。

 中井のあるエッセイのなかに,増刷の際には気づいた誤植を随時直しているが,いつになっても誤植がなくならない,という行があった。はたして,死ぬまでに完全な『虚無への供物』となったのだろうか。

 ディックの『ヴァリス』に対する『アルベマス』ほどではないにしろ,現在刊行中の東京創元文庫版『虚無への供物』は,講談社文庫版とは異なる。


01月19日(月) 半額  Status Weather雨のち晴れ

 ホテルのバァでビールを頼もうものならば,あまりのコストパフォーマンスの悪さに,二度と同じ轍は踏むまいと怒りに震える。とはいえ,バァでビールを頼むほうが悪いのだが。
 たとえ何かしらの修行などを積み,泡とビールのバランスを完璧にコントロールして出されたとしても,一息で飲み干してしまったら,それまでだ。泡っていうのも,何だか損したように感じていたのも事実。

 最近,その感覚を逆手にとられてしまった。

 やたらと目に付く「最初の1杯 半額!」とか「本日限り1杯260円」なんていうチラシに誘われて一軒の中華料理店に入ったときのことだ。餃子とビールを頼んで,餃子3個食べ終わったあたりで追加を頼むなんて,ダンドリくんのようなことはせずに,生ビールと焼きビーフンを注文した。すぐに,つきだしとともに目の前に出された生ビール1杯。

 ジョッキの大きさはほどほどだ。まあ,これで260円(+税)だったら悪くはないかと思ったのは一瞬。口をつけると,飲めども飲めども泡ばかり。なんだ,これは!
 落ち着いて,今一度ジョッキを眺める。ビール3に対して泡が4くらいの割合で入っている。泡,多過ぎないか?
 あっという間に飲み終え,焼きビーフンがやってくるまで,何だか手持ち無沙汰になってしまった。
 「チュウハイ半額」ならば,持ち上げられないほどの氷が入ったグラスで出されるのだろうか。

 会社帰り,夕飯の前に飲むにはちょうどいい量ではあったのだけど,こればかりは,それで納得しようにも,あまりに情けなくなってきた。こんなことして,店を続けていこうという何か,おおよそ志からはほど遠い何かに向けてため息と吐いてしまった。


01月21日(水) 腕力  Status Weather晴れ

 高校時代,喬史は水球部,昌己はバッティングより守備好き,徹は相撲部から柔道部,伸浩は剣道部だったという。改めてこう書いていくと,大学時代のわれわれの行動が,なぜあれほどまでに文科系ノリに終始していたのか不思議に思う。もちろん私は美術部,裕一は文芸部だった筈だけど。

 大学の体育時間なんてのはほとんど付け足しみたいなもので,前期は勝手にチームつくってソフトボールをやってろ,てな具合だった。負けが続くと,教師も「また,お前らか」といった顔で審判にたつ。個々の動きは悪くないのに,たぶんそれは,仕切れないのに仕切られるのがとにかく大嫌いという,共通したパーソナリティに負うところが大きかったのではないだろうか。

 私は運動能力について誇れるものはなかったが,そのうちに,付け足しの授業でやるソフトボールのスピードに旨くタイミングが合って,とりあえずヒットは打てるようになった。
 「門田みたいな打ち方だな」といわれ,南海ファンではあったものの,なぜか素直に喜べなかった。

 夏休みに入り,実家に戻ると,母親が勝手に2週間ほどのバイトを決め待ち構えていた。プラスチック工場の小間使いだという。マッチ工場の少女じゃないんだから,いやはや。
 社長は「大学生のアルバイトは初めてだから頑張って」。で,与えられた仕事は,1袋20Kgの原料と顔料をローラーに放り込み混ぜ合わせるというものだ。1日中黙々と続けると鬱屈とした気分があたりに立ちこめ。重さがずっしりと身体に堪えた。2,3日は家に帰っても,家族と口をきく気になれず,そのまま眠ってしまった。
 習慣はおそろしいものだ。そのうち20Kgの上げ下げに身体が追い着いてきた。仕事に筋肉を合わせてしまったとでもいうのだろうか。

 そんなわけで,夏休み後の私は,少し筋肉を貯えて,ソフトボールの試合に臨んだ。バットが妙に軽い。こりゃ,ホームランでも打つかな?

 結果は4三振。軽くなったバットが早く回りすぎて,ボールをかすらないのだ。腕力がついて打てなくなったなんて,あまり聞いたことはないが。 


01月22日(木) 記憶  Status Weather晴れ

 昔聞いて,今も聞いている音楽について,何でもいいから記憶を手繰り寄せていると,そのうち言葉が枯れてくる。殊にライブの記憶は,どうにも再現できない。本や映画なら,いくらでも書くことがあるのに。


01月23日(金) 勧誘  Status Weather晴れ

 喬史の紹介で,徹がレンタルビデオ店でバイトをはじめた。週2回,アパートから駅6つほど離れたところにある電気店へ通う。店の空きスペースがバイト先だった。
 元々,オーディオやビジュアル製品に目がない徹だったので,店主とも馬が合ったようだ。格安で機材を手に入れたりするうちに,店長から妙な相談を受けることになった。

 「倉庫が少し空いてるんだけど,バンドの練習するのにどうかな?」
 自宅と兼用の家屋1階を倉庫にして使っていた。こことは別に新たに倉庫を借りたので,そこでバンドの練習をしないかという提案だ。
 その頃,裕一は高校時代の友人とユニットを組んでいたが,専用の練習スタジオを必要とするほど,常時スタジオに入ってはいなかった。昌己はバイトをしながら地元で練習に明け暮れていた。ただ,提案に乗ろうにも,場所があまりに遠い。徹は何度か話を蒸し返したが,いつの間にか立ち消えた。

 「実は,相談があるんだ」
 店長がそう切り出したのは,バイトをはじめて半年を過ぎたころだと思う。何でも,家賃を取って,以前住んでいた公団アパートを知り合いに貸していたのだが,そ奴が仕事の都合で転勤することになった。今さら公団に戻りはしないが,せっかく当たった権利を失いたくはない。ついては,格安で借りてはくれないだろうかというのだ。2DK,風呂付きで,ひと月3万円。
 当然,この提案は2つ返事で受けた。

 優雅なひとり暮らしは数カ月続いた。もちろん,不幸は嘆く間もなくやってくる。
 夕飯前に帰宅した徹が,「隣のほうから来た」という男にドアを開けてしまったのがはじまりだ。もちろん新聞勧誘のおやじだった。機嫌を取ったり泣いてみたりと,手かえ品かえ購読を頼むおやじに,もちろん徹は取りつく島もない。「とらない」。冷徹な言葉尻をピクリとも変えなかった。最後には怒りはじめたおやじを外に追い出し,鍵をかけた。翌日,また,呼び鈴が鳴った。覗いてみると今度は別の男だった。相手にせず,居留守を決めこんだことはいうまでもない。

 数日後,ポストに一通の手紙が差し込まれていた。差出し人はアパートの管理組合となっている。部屋で封を切ると,なかには,当○○号室に名義人以外の者が居住しているとの連絡があったので,○月○日,事務所へ来てほしいと記されていた。

 「あのおやじめ!」
 われわれの前で徹は唸った。
 「で,どうするのさ?」
 「しょうがねぇだろう。出ていかなきゃ。バレちゃったんだから。ふざけんなよな。何が,新聞勧誘だと! 興信所じゃねえか」
 ジョージ・オーウェルの年を過ぎてしばらく後のことだったので,ビッグブラザーが新聞勧誘のおやじを騙ったのではないかと,われわれは怪しんだ,わけはない。
 また,引っ越し手伝うのかと,すっかり寒くなった戸外を眺めながら襟元を合わせた。


01月25日(日) 報酬  Status Weather晴れ

 久彦は小心で実に常識的だった。なのに,オートバイ通学する様子と派手なルックス,そしてレツを組んでは行動しなかったためだろう。他の学生からは強面だと勘違いされていた。

 あるとき,実際に行われたのではないかと評判がたったスプラッター・ビデオを見て,「なあ徹,あれホントなんじゃないの? いいのかよ,あんなことしちゃってさ」。それを見てしまった自分の身の置き場を心底,心配しているようだった。その手の映画を見慣れていた徹は失笑したものだ。
 「稚拙にもほどがあるぜ,あんなSFXさ。あれ,本物なんていうのお前くらいだろ,まったく」

 裕一や喬史と雀荘で知り合い(みんな,こんな出会いばかりだが),そのうち学内で合えば「おい,久彦!!!」といいながら,振り向きざまの奴にとび蹴りの一つや二つを入れる仲になっていた。いや,まったく本当に。

 シゲさんがバイトをしていたレンタルビデオ屋に,久彦が入ることになった。先輩ヅラをすることにだけは長けていたシゲさんは,レクチャーに余念がない。
 「休憩はしっかりとってさ,まあ,がんばれよ」
 久彦の楽しみは月1本,タダで借りられるビデオだった。バイトをはじめて最初の1か月が過ぎた。店長から「好きなビデオ1本,借りてきなよ」待ちに待った一言が出た。

 2日間考え抜いて,久彦は1本のビデオを借りた。そのビデオに決めるまでに,さまざまな欲望が奴の脳裏を駆け巡ったのだろう。

 「で,何を借りたんだよ」喬司が尋ねる。
 「聞かないでくれ。あんな筈じゃなかったんだ。考えていたのと全然,違うんだ。もっと……」
 われわれは,その続きに発せられるであろう言葉を,ビデオのタイトルを聞いてすぐ,理解した。
 タイトルは「ジーナ セクシーライブ」。
 露出度の高い衣装を纏った日本のガールズロックバンドのPVだ。ランナウェイズのような,といっても伝わらないだろうか。まあ,奴が期待していたものは痛いほど判ったのだが,いかんせん,他に選択肢はなかったのかと吹き出してしまった。らしいといえば,まったく奴らしい選択ではあったのだが。

 卒業後,教師になった久彦は,いきなり離島に飛ばされた。行方は定かでない。


01月27日(火) 2段組の文庫本  Status Weather晴れ

 少年ものではない江戸川乱歩の小説は春陽文庫の『江戸川乱歩名作集4』ではじめて読んだ。小学校5年の夏,気まぐれにつけた読書ノートに感想を記したはず。とにかく大正時代のストーカー小説『蟲』が圧倒的に気持ち悪かった。「こんな本読むんじゃなかった」と後悔したのは,読んだ直後だけだったが。
 一方で『鏡地獄』や『目羅博士の不思議な犯罪』は,小説でしか描けないビジュアルがあることを,その年なりに理解したように思う。

 カバーや用紙の肌触りから匂いまで,文庫本に圧倒的な存在感を感じたのも,このときがはじめて。何から何までよくも悪くも新鮮な経験だった。

 実はこの文庫,刊行後,かなりしばらくの間,2段組だった。何で2段組なのか,その理由はいまだに判らない。読みやすくはあったし,その妙な版面,つまり文庫の2段組で『目羅博士の不思議な犯罪』を読むというのは,とても似つかわしく感じた。

 掲載されていた短編は次の通り。

鏡地獄/押絵の旅する男/屋根裏の散歩者/火星の運河/目羅博士の不思議な犯罪/虫/疑惑

 ここから読みはじめたら,確かに嵌るわな。恐ろしいラインナップだ。


01月28日(水) ライオンを夢見る  Status Weather晴れ

 傑作「コンクリート謝肉祭」を含む『ライオンを夢見る』のアナウンスを見た。「コンクリート……」はラストか。楽しみだ。今や,ああいうスタイルの文章は書かないものな。連載以来,20年。待ちに待ってようやく本になるというのも妙な気分だ。

 こんなことが起こるのだから,「眠れる森のスパイ」もそのうちまとまるかも知れない。「グッドバイ」はさておき,連載の形での「So Long」はどうでもいいから。出だしは調子よかったから惜しいことしたな。「NAVI」の編集者の責任は何とも重い。

 「ド・リブ」や「NAVI」に載った絵日記シリーズや対談・座談会,第二スタジオ・ボイス,キネ旬に載った「アゲイン」のシナリオあたりは,企画に上がるかな。


01月29日(木) 寒くないのか  Status Weather晴れ

 根本敬の話ではない。

 夜8時過ぎ,神谷町から飯倉あたりをぶらぶらしていると,この時期,Tシャツ1枚,半ズボンで友人と会話する白人アメリカ野郎を見かける。コートを纏っても二の腕あたりに寒さを感じる自分が,人一倍寒がりだとは思えないのだが。
 あ奴ら,本当に神経は全身を通っているんだろうか?

 あのあたりに,昼どきには,がたいのいい黒人シェフがパスタを茹であげる,セルフサービスのドイツ料理店がある。ソーセージ入りカレーなんてのを頼むと,何だがロンドンであるかのよう。しばし逃避するのに手頃な場所だ。


01月31日(土) 歯  Status Weather晴れ

 記憶から消えた感覚は数あるが,なかでも歯が抜ける前の疼痛は,相当に繰り返し起きた筈なのに,もはや蘇ることはない。

 子どもの頃,寝ぼけたときにいつも見た夢。自分は意識だけであって,そこに極端な重力がかかる。加速しながら落ちていく速度にうなされた。
 そんなこともなくなってしばらく後,ふとした弾みで,あの感覚を再現する術を身に付けた。ただ,何の役にも立たなかったが。



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