2004年2月

02月02日(月) ユーモア序章  Status Weather雨のち曇り

 本意は伴わずとも,E・A・ポーの風刺作家としての2流,3流の側面をあからさまに指摘したのは中井英夫。詩や「アッシャー家」や「赤死病の仮面」ではなく,「息の喪失」だとか「名士の群れ」あたりをさして。

 写真が怖すぎるのだと思う。ポーがエイドリアン・ブリューみたいな顔だったら,あれほどまでに持ち上げられはしなかっただろうに。

 江戸川乱歩も,ある時期から,いわゆる「通俗もの」「通俗もの」と散々いわれ,自らもいいつづけた一連の作品があるけど,あれだって,乱歩が立花ハジメみたいな顔だったら,そうはいわれなかったのではないかと思うことがある。ところで,通俗ものってのも,なんだか時代がかった物言いだ。

 さて,本題。風刺小説とかユーモア小説といわれた作品(ケストナーの「フォービアン」みたいなもの)を読んで,ほとんど面白かった覚えがない。源氏鶏太はじめとする古の春陽文庫の作家陣はどうだったのだろう。エッセイはともかく,小林信彦の小説は面白いと思ったことないし。というよりも,最近の小説を読んで笑ったことがあっただろうか。大槻ケンヂの作品は小説というよりエッセイの延長だ。もちろん,エッセイでは笑ってしまうこと多いのだけど。


02月04日(水) インドからタイへ  Status Weather晴れ

 昼飯はインド料理屋のほうれん草カレーで済ませた。はるばるネパールから単身赴任の店長は先週,数カ月ぶりに帰郷していたらしい。嬉しいであろうことは十分想像できるので,込み合っている店内で誰彼となく家族の写真を見せ歩くのはやめてほしい。ただでさえ小体な店構えの,それも昼どきなのだから。

 ガムを噛みながら机に向かっていると,夕方あたりから,何だか妙に胃がもたれる。身体に優しげなカレーだったが,バターがかなり入っていたのだろうか。それとも,食後に飲んだチャイに砂糖を入れなかったのが不味かったのか。夕飯は食べて帰るといって家を出てきたものの,これじゃ食べないほうがいいかもしれない。
 年明けから,一向に片付く気配を見せない仕事を横目に,会社を後にしたのは夜9時近かった。車中で『ライオンを夢見る』を捲っていると,早々に最寄りの駅へと着いた。

 さて,何を食べよう。
 と,妙に胃が軽くなっていることに気づく。
 そういえば,踏切際の(本当に面しているのだ)ビル2階にあるタイ料理屋は最近ディナーセットをはじめた筈だ。この調子ならば,タイ料理だってこなせるだろう。勢いづいた私は,その店に入った。客は誰もいなかった。

 タイ料理屋のディナーセット。メイン+辛いサラダ(ソンタムじゃないけど),セルフサービスのコーヒーが付いて1000円で釣りがくる。

 この店で,10年近く前に日本へやってきたこのおばさん(店主)と差し向いになることはめずらしくない。話すことはないけど。本の続きを読みながらパッパオカイをすくっていると,ドアがあいた。20代の男2人で,口から出てきたのはタイ語だった。おばさんは俄然,話しはじめる。ただ,何を話しているのかはまったく理解できない。
 思えば,この店でタイ人に合ったのはその日がはじめてだった。

 彼らはパッタイをつまみにビールを飲み出した。われわれが打ち合わせと称して飲み食いするときとかわりないじゃないか。


02月05日(木) 青果店  Status Weather晴れ

 引っ越してくると,しばらくは家から半径2,3km内にある店を探索する。本屋,パン屋,食堂,総菜屋,古本屋,セコハン屋,その他諸々。品定めしながら,行動範囲が決まっていく。家を出てから30分以内で事足りる町もあれば,1時間程度かかったところもあった。

 近所に行きつけの青果店がある。商店街からひとつ道を入った,軒の低い飲み屋や大衆割烹(体のいい居酒屋)に並んで30年来,変わらぬままと思しき佇まいだ。店頭に並べられた野菜,果物はコンパクトにまとめられ,スーパーやデパートで溢れんばかり圧倒される数を見なれた目には寂しげに映ってもしかたあるまい。季節外した果物が並んでいるのを見たことはない。玉子や調味料も置いてあるが,とにかく,安さを売りに客を集めよう,反対に高級品で利鞘を得ようなどという魂胆からは数億光年彼方離れたところで商売しているような店だ。

 大盛況というほどではないものの,この青果店は,顧客を掴んで離さない替えがたいもので勝負している。つまりは店主の品物を見極める目だ。草いきれを想像させるトマト,カリっと齧れ,そのくせ甘さが程よくのった桃,そんなこんなが,手頃な値段で手に入る。
 仮に不味いものがあったとしても(そんなこと滅多にないのだが),それを選んだ本人がいつも店先にいる。旨くなかったと伝えれば「おお,そうだったかい。よし,あそこには気をつけなきゃな」と感謝されはしても,曖昧を糊塗されることは決してない。ほんと,弁解がましいものいいが巷に溢れるなかで,おじさんの潔さは気持ちがいい。

 ところで,この店,最初はスーパー通いの家内に私が紹介して,彼女も足繁く通うようになった。早々に娘をおじさんが可愛がってくれて,今や私は,娘の父としてしか認識されていない。


02月06日(金) ドン・エリス  Status Weather晴れ

 亡くなった上司は,あの世代の多くがそうであるようにジャズファンだった。こっちはプログレ,ニューウエーブ。昌己に誘われてジョン・ゾーンのライブへは通ったが,どこをどう聞いても,あれはジャズであるようには感じられない。
 「1曲30秒くらいで,グチャグチャしてて,ボーカルはひたすら叫び続けるんです。なのに楽譜台をみんなおいてるんですよ」
 「どうも,ピンとこないな」
 そう思うのもしかたあるまい。話が噛み合う筈もない。

 そのころ,私はジャズのリズム感覚,スカスカした間が大嫌いだった。
 「ダメなんですよ。ジャズって」
 仕事帰りの焼き鳥屋で音楽の話になると,よくそういって,そこから先は続かなかった。

 「で,どんなのが好きなの」
 めずらしく私の好みを聞いてきたのは,いつものように同郷の出入り業者と有楽町のガード下で飲んでいたときのことだった。
 ニューウェイヴをどう説明しよう。ジョン・レノンは「シンセサイザー付きのロックンロールのことだろう」といったようだが,ロックンロールといってしまうと,夏に東京湾一周クルーズしたときの上司の姿が思い出された。たぶん大きな誤解を生むであろうことは想像に難くない。あのとき,「若い頃は,ロックンロールで踊ったもんだよ」,そういってGSをBGMにモンキーダンスを楽しげに踊る上司の姿はその場を凍てつかせた。
 あの場所からニューウェイヴへと繋いでいく距離を考えると「ロックンロール」は禁句だ。かといって,他に旨い物言いは思い浮かばない。

 プログレは……。相原コージがロッキン・オンに,ステージに吊るされた馬鹿でかい豚のはりぼての下で,ムンクの「叫び」と「ぷおーん」という擬音を伴ったイラストを描いていて,これはこれでプログレを説明するのに,まったく正しくはあるのだが,これで説明すると,それが好きな自分が情けなくなってくる。
 結局,変拍子を前面に押し出すのが無難なところだろう。
 「好きなのは変拍子のロックなんです。変拍子で,カウントとれないようなのが最高ですね。ジャズに,そういうのあったら紹介してください」

 という経緯の後,上司にすすめられて私はドン・エリスの「ライブ・アット・モンタレー」を手にした。
 で,驚いた。これもジャズなんだと。今でも愛聴している。
 
 さらに後,女性ジャズヴォーカリストのライブに通うようになってから,あれほど嫌っていたジャズのリズムや間が,まったく気にならなくなった。


02月07日(土) 三連  Status Weather晴れ

 初めて「スカコア」という呼び方を聞いた時,曲を聴く前から疲労感を覚えた。これは大変そうだと。

 ある日,熱にうなされた頭で,ジョン・レノンの「スターティング・オーバー」やXTCの「ディスアポインテッド」のような,3連の曲をタテのりと組み合わせると,さてどんなふうになるのだろうと思い描き,当然のように魘された。


02月09日(月) 栗  Status Weather晴れ

「ロラン・バルトね」
 歩きながら,彼は呟いた。
「焼き栗屋の親爺に,何が判るものか。経済のないところに今世紀の哲学なんぞ生まれるわけがない」矢作俊彦「眠れる森のスパイ」

 だからといってニューアカの話ではない。焼き栗の話。

 ずっと天津甘栗の匂いが苦手だった。水でさらした焼き茄子に似て,どこか焦げすぎた匂いだ。だから,家族や友人が食べているのを横目に,一度も食指を動かされたことはなかった。サツマイモやカボチャも十把一絡げ,加えて,もさもさした食感の喉ごしが何とも苦手だった。
 焼き栗をはじめて食べたのはフランスではなくてイタリア。ミラノで買ってコモまで行ってトレメッゾで2泊するうちに一袋食べきってしまった。甘みがあることが判り,甘みも旨いものだと感じた。そう,甘みなんて旨味とは別次元のものだと,ずっと思い込んでいたのだ。
 比べてみると,なるほどよく判った。もちろんマロングラッセと。
 


02月10日(火) 凍える肉  Status Weather晴れ

 週末,徹のファミリアで都下を巡るのは,もはやルーティンになりつつあった。いきおい街道筋のファミレスで休憩,食事をとることが学生時代より多くなってしまった。青梅街道や甲州街道のファミレスをよく利用したが,それでも入ったことのない店がまだまだあった。いったい,世にどれほどファミレスはあるのだろう。

 ある日のこと。あてもなくぶらぶらし続けるのもしんどくなってきた。「そろそろ,どこかで休んでもいいんじゃないか」伸浩がいった。
 「びっくりドンキーのハンバーグ食えよ!」
 徹が答える。
 「うゎ! やめろよ。思い出しただけでも口の中がべとついてくる」
 昌己は,徹と連れ立って入ったびっくりドンキーで胃に放り込んだ,思いきり甘いハンバーグを思い出し,心底,不快なようすだ。
 「そうだ。ぜひ経験してほしい,食い放題の店があるんだ。そうしようぜ」
 ハンドルを握りしめる手が力を取り戻し,徹が次の信号の手前でUターンをかけた。80km平均で信号を交わすドライバーが犇めくこのあたりに,咎めるものなどいない。

 徹が勧める食い物屋に当たりはない。3軒のラーメン店が並んでいれば沈思熟考のうえ,一番不味い店を外さないのを才能と呼べるならば,天恵の才能をもっている。
 「みんな味があまーいんじゃないだろうな」
 「いや,そんなことはない。いろいろ揃ってるからさ。鮨から焼き肉まであるんだぜ」
 「巻き物しかないのか。夢にみたかっぱ丼を出す店か!」
 「かっぱ丼はねぇけどな。ほら,ここだ」
 
 1階を駐車場にしたファミレス仕様のありきたりの店だった。われわれは徹に先導されるまま,階段を昇っていく。ドアを開けると妙に暗かった。間接照明などではなく,照明の数が初手から少ないのだ。嫌な予感がした。
 窓際に席をとると,各々食い物を取りにいった。確かに焼き肉はあった。鮨も握りだ。ただ,肉はかつて見たことがないほどくすんだ色で,瑞々しいというよりは解凍後の水分が出切ったようにトレイが水分で埋まっていた。鮨はマグロと烏賊の握りだが,そう断言しかねる色つや。パッと見,「かんぴょうを握ったんじゃねぇのか」と思った。烏賊は正直,プラスチックみたいだった。

 徹は嬉々として肉を皿に盛ってきた。
 「これこれ。ほら,焼けてるぜ」
 「しっかり火を通したほうがよくないか」
 伸浩は不安げだ。
 「だいじょうぶ。ここ肉,いくら食ってもからだが暖まらないから」
 「なんだよ,そんな肉,食えるのかよ」
 「まあ,とりあえず食ってみろよ」
 私は肉は苦手だったので,かんぴょうのようなマグロの握りとその他少々を胃に入れながら,奴らの様子を眺めていた。
 「なんだか寒くねえか」
 「焼き肉食って,冷えるなんて,そんなことあるのかよ」
 
 ないだろうな。たぶん。


02月11日(水) goes on ghost 2  Status Weather晴れ

 P-MODELを本式に聴きはじめたのは「カルカドル」からだから,初期のきな臭いライブの面影が垣間みられはしたものの,平沢の奇行もそろそろ陰を潜めていた。ただ,繰り返しみたライブでMCは本当に少なく,埼玉会館小ホールのライブなど,気がつけば「では最後の曲です」までMCはひとこともなかった。

 アルバム「ランドセル(売国のダブルミーニング)」はセコハン屋の店先におかれた1枚500円の籠でみつけたものの,その後,アルバムすべてを聴き終えるまで,しばらく時間があった。だから,すでにライブの1曲目で演奏されていた“Call Up Here”など,かなり後まで,初期の曲だと思っていた。

 で,その頃のライブで演奏されなかった2曲が,とにかく頭のなかをグルグルと駆け巡る。“Potpourri”と“Goes on Ghost”だ。

 “Potpourri”については「敗北宣言」など,そこそこのコメントがあるものの,“Goes on Ghost”についてふれられた文章をこれまで読んだ記憶がない。とても明確に“Potpourri”のその後を歌った曲なのに。
 もちろん,ビートニクスとはまったく別に「出口なし」に行き着いてしまってはいるのだが。


02月13日(金) 公安  Status Weather晴れ

 会社は銀座7丁目の銀巴里のすぐ側にあった。ビルはその頃でも築30年以上経っていたにちがいない。通りに面して引き上げ式のガラス窓は時代がかった美しいカーブを描いていたものの,カーテンはほとんど開けられず,サッシは鳩の止まり木代わり,汚く白塗りにされていた。
 4階建ての上2フロアが事務所だ。もちろんエレベータもなく,屋上へ抜けるペントハウスは物置きと化していた。ビルへの出入りは,まるで宝箱を開けるときのためにだけあるような大層な鍵を使う。すべてが1960年代からタイムスリップしてきたかのようだった。

 昭和が平成に代わって一月も経っていないある日曜日のこと。
 その週の金曜日,上司に誘われるまま事務所を後にしたのは夕方5時過ぎ。週明けには終わっていなければならない仕事は,まだ片付いていなかった。二日酔いの土曜日を乗り越え,仕方なしに事務所へ出ることにしたのだ。
 1階入り口のふじ色に塗られた鉄の重い扉を例の鍵で開け,とぼとぼと階段を昇る。事務所の入り口のドアも重い。よっこらしょと開けた途端,電話が鳴った。
 新聞を抱えてたまま受話器を取った。
 無言。そして電話が切れた。

 電気を点け,上のフロアにある給湯室へ向かおうとすると,また電話が鳴った。
 今度は会社の名前を告げると,受話器の向こうに人の気配が感じられた。返事はない。そして電話は切れた。
 たちの悪い間違い電話だ。そのときは,そう思っただけで済んだ。

 しばらく後のこと。上司と事務所で酒を飲んでいると,やおら窓際へ椅子を寄せ,滅多に開けることがないカーテンの陰から外を覗いている。
 「何してるんですか」
 「ほら,今あのビルに入っていった奴いるだろ。公安だよ。あのビル,公安の詰め所なんだ。みんな知ってるのに,あ奴ら全然,気づいてないんだよ。そんな程度さ」
 上司は事もなげにいう。有名な8丁目の公安の詰め所だ。それにしても,有名でいいのだろうか。

 当然,あの電話は公安の探りだったのだ。確かにペントハウスから西北を目がけて何かを打ち込めば,例の「空虚」へと届くにはちがいない。
 あまりいい気分ではなかった。

 その後,銀巴里は店を畳み,私は転職した。


02月14日(土) 銀座  Status Weather晴れ

 西新宿の会社へは自転車通勤だった。朝は早稲田通りを下り,正見寺の手前から銀座通り商店街経由で山手通りへと出る。青梅街道を一気に進むと,家から30分ちょっとで着いた。帰りは5時過ぎに会社を出ると,殺風景な青梅街道,山手通りはやり過ごす。東中野で銀座通り商店街へ入ると,途端,自転車のスピードを緩めた。商店街をゆっくり進みながら,早稲田通り近くにある古本屋でしばし休憩する。

 小さな古本屋だったが,突き当たり,レジのすぐ側は値の付く本がしっとりと棚にとけ込んでいた。

 この道を数年通い,やはり退職した。堪え性がないわけではないとは思いたいが,どうだったのか。
 送別会でレコード券をもらい,今はなき,新宿のヴァージン・メガ・ストアでメシアンの「トゥランガリーラ交響曲」とピアソラのベスト盤を買った。

 さて,本日の話。
 家内が夕飯をおごってくれるという。今朝,思い立って,やっとPantherに乗り換える決心をしたところだったので,私は一足先に新宿で買い求めてから現地で待ち合わせることにした。東中野に一度,ランチをとったイタリアンの店があったのだ。
 店に入ると,まだ家内と娘はやってきていなかった。店内に流れるBGMはピアソラだった。イタリアンにピアソラ。押付けがましい「サンタ・ルチア」よりは数十倍,心地よい。
 ネーミングはさておき,私たちがとったディナーメニューは次の通り。

<アペリティフ> グラス・シャンパン
<オードブル> 海老とアスパラのアスピック
<スープ> カボチャのスープ
<パスタ> ペスカトーレ
<メイン> 白身魚のハーブ・オーブン焼き
<デザート> チョコレートケーキ

で3,000円と。コストパフォーマンスにとにかく優れている。2人分頼み,娘はいつものように取り分けて一緒に食べることにする。
 ただ,これだけだったら,高田馬場あたりの店と代わりはしない。

 オードブルが運ばれてきた。皿は三枚。
 「シェフから,よろしかったら召し上がってくださいとのことです」
 気の利いたサービスで,気分よく食事がすすむ。わいわい話ながらオードブルを平らげる。皿が下げられてしばらく,スープの皿がまたもや三枚やってきた。娘に向けて「熱いので気をつけてね」。
 まさか,コースすべて娘の分をサービスしてくれるというのだろうか?? で,サービスされたのだ,結局。パスタもメインもデザートも。
 食後にコーヒーを頼んだところ,グヮバジュースが添えられた。最後まで,この調子で,勘定を済ませると,南米出身らしい女性店長が「まだ,アイスクリーム食べられるよね?」と娘に問いかける。頷く娘。

 「さっきかかっていたのピアソラですよね」
 「私の国ね。みんなピアソラ大好きです」
 アルゼンチン生まれの店長は,まあなんとも楽しげな様子だ。
 どの皿もなんとも旨かった。本当に。
 
 「また,きてね」
 もちろん。それにしても,あれで店やっていけるんだろうかと心配になるくらい至れり尽くせりだった。

 グルメ何とかに関心ないんで,こんなことはしたことないのだけど,店の名前は「レストランアレグリア」。例の古本屋が改装移転してでかくなったすぐ側,小さなビルの2階にある。


02月15日(日) ロサンゼルス極地通信  Status Weather晴れ

 最近の弟からのメール。

 今年のネタ第1弾です。
  (ネタなのかよ,おい!)
 1月下旬,お店にジェニファー・ロペスとマーク・アンソニー(共にプエルトリコ)が来ました。前日には,マライア・キャリー(メキシカンはマリア・カレイと発音し,1度,メキシカンの歌手と思いミスったことがありました)が来ました。二人は,アメリカでは犬猿の仲と呼ばれています。後ろにはライオネル・リッチーが閉店まで座っており,その横をロッド・スチュワートが通って帰りました。なかなかホットな日でした。

 2月のロンドン。
 (両親とロンドンで待ち合わせ,地下鉄乗り継ぎ,連れてまわったのだ。それはそれで親孝行な弟だ。)
 ロンドンもスターバックス,イタリアンカフェが増えており,お茶の国のイメージが薄くなっています。これでは,お茶はチャイナタウンのジャスミンティーしか飲めなくなるのかもしれません。


 思うに,弟が働く店には,いつもライオネル・リッチーとロッド・スチュワートが居座っているようだ。


02月16日(月) リック・アストレー  Status Weather晴れ

 仕事が遅くなった日は,家の近くのタイ料理屋で夕飯をとることが多い。
 ある夜,その店でパッパオカイとウーロンハイを頼んだ。ウーロンハイを頼んだのはそのときがはじめてだった。出てきた大き目のグラス。見た目は何の変哲もない,そのままの色。が,一口飲んで驚いた。メコンのウーロン茶割りなのだ。それはそれでいいのだけれど,メコンって,あるときはウイスキーになり,またあるときは焼酎に成り変わるのだろうか。

 この店のタイ生まれのおばさんは,客がいないと母国のテレビ番組を録画したビデオばかり見ている。私が入るのは平日の夜9時10時だから,多くの場合,客はいない。いきおい,ビデオを見ている場面に出くわすことが多い。
 意外と客を呼ぶのか偶然か,私がオーダーし終えると,続けざまに2組くらい客がやってくることもある。おばさんは,あわててテレビに切り替えるのだが,客が入ってこなければ,そのままビデオが流れている。

 私もぽつんと一人で,言葉は判らないから,いつもぼーっと画面を見ている。と,奇妙なことに気がついた。コメディ番組らしいが,なぜか軍人や警官が目立つ。やっていることはドッキリカメラみたいなのだが。制服姿が闊歩するコメディといえば,もちろんモンティ・パイソン。タイのモンティ・パイソン+ドッキリカメラも被害を受けるのは女性だ。出てくる女性は皆怒っているように見える。そんな女性に制服たちはひたすら弱い。

 途中に入るCMが,またいい味を出している。そのとき見たのはネスレ。妙に奥目の年とった西川きよしの息子のような白人が旨そうにコーヒーを飲んでいた。
 「そういえば,リック・アストレーって,西川きよしの息子に似ているって評判だったよな」
 10年以上前の,心底くだらない記憶が蘇ってきた。


02月17日(火) ピンク・フロイドの幻想  Status Weather晴れ

 たとえば,あのねのねの「みかんのこころぼし」
 たとえば,伊武雅刀の「子供たちを責めないで」
 たとえば,Zoneの“Secret Base”

 ストリングスがかぶってくると,ピンク・フロイドじゃないのかと思う。

 ホルストの「火星」をカバーしていたのはキング・クリムゾン。「木星」をカバーしたのは遊佐未森だった筈だけど,最近,耳にするのはなんか違うな。


02月20日(金) バンド・オブ・ザ・ナイト  Status Weather晴れ

 今日の日記。(久々の更新で,この間何をしていたかというと,もちろん仕事。)

 中島らもの小説やエッセイは,何冊か読んだことがある。嫌いではないものの,新作が出ると書店へ駆けつけるほどの愛読者ではない。
 昼休み,手持ち無沙汰で買った文庫本が『バンド・オブ・ザ・ナイト』。町田康の解説では(小説中,町蔵時代のライブのようすが描かれていたから受けたのか?)「作者の分身とも読める」と書かれているけど,描かれる状況は,まんま関西版『暗闇のスキャナー』。フィリップ・K・ディックより数倍読みやすいけど。

 で,主人公の“脳内のイメージ”が延々と描写されるのだが,これが爆笑ものなので,以下,長々とアトランダムに引用させていただく。

アリス・クーパーの抱いているアナコンダ
卑怯な水割り
読んでも読んでも終わらない本
ロード・ブレアーズ会長
カラオケの女帝
チャーハンを一升
ダスティ・ローデスと保証書
交わる平行線
カサノヴァの苦笑
神のバスト・ショット
百万年早いわ
 などなど。

中に混ざってこんなフレーズが潜む。
「今じゃない いつかに」
(でも,今探したら見つからない)


02月21日(土) そして僕らは途方に暮れる  Status Weather晴れ

 和之が結婚することになり,Cola-Lはあっという間に2人組へと逆戻りした。

 徹はウクレレをYAMAHA-QY10に持ち替えた。和之の結婚式でポールモーリアメドレーを歌付きで披露し,顰蹙を買ったのは以前記した通り。ただ,まだ,同期ものでアイディアをまとめるのは慣れていなかった。さらに同じ頃,仲のよい女友達ができ,徹はもちろんスタジオからは足遠のいてしまったのだ。

 私と昌己はとまどった。2人で,どのようにバンドが成立するものだろうか? 私のボーカリストとしての才能に,とるところがないのは明らかになった。インストで2人組。かなりシビアな状況になってきた。

 “TG”は,そんなどさくさのなかで録音された。

 その日,私たちがスタジオへ持ち込んだのは,ギター,ベース,ギターエフェクター「Korg A5」,カシオトーン,スティック,YAMAHAのドラムボックス。「TG」を録音したときの様は,他人に見せられたものではなかった。

 スタジオに入ったはいいが,録音しようにも,卓につながったデッキが潰れていた。急遽,スタジオの店員にラジカセを借りて録音したのがこのテイクだ。

 打ち合わせなしに,こんなふうになるから味をしめるのだ。2人でもなんとかなりそうだと。まったくのインプロビゼーションで,オーバーダブはなし。

 “TG”とは,そのままスロッピング・グリッスルのこと。彼らのアルバムで唯一もっていたのが“Heathen Earth”。喬司じゃないけど,「音悪いから金返せ!」といいたくとも,こちらは正規盤。買ったほうが悪い。
 
 それでは音楽をお聞きください。

 (データ調整中)


02月22日(日) スィング  Status Weather晴れ

 その中華料理屋は,今でも営業している。
 通りすがりに目をつけ,以来,気になってしかたなかったものの,なかなかタイミングが合わない。はじめて入ったのは1年近くたってからだった。

 レンガづくりの壁に模造紙を短冊にした品書きが画鋲で強引に留められている。左奥のカウンターの他に,丸テーブルが10くらいあっただろうか。あと数卓は入りそうな案配だ。その閑散を店内の広さがもてあましていた。

 通りに面した窓際のテーブルに着くなり,これまで相対したなかで一二を争う愛想のない女性の店員が,チューハイ用のグラスに流し込んだ水を,ドン! とテーブルに置いていく。店に入ったことを恐縮しろとでもいうかのような冷徹さだ。

 メニューは麺類と定食,点心。空心菜の炒め物あたりまでは出すようだった。アルコールは青島ビール400円はじめ,甘めの酒がいずれも安い。友人と夜にきたほうがよかったかもしれない。

 私は野菜タンメン(野菜じゃないタンメンってあるんだろうか),家内と娘は高菜ラーメン。点心をいくつか追加した。中国語の険悪なやりとりの後,ぼぉっと炎のあがる音がして,それからは中華料理店の空気が蘇った。

 注文を終えても,入るときからの妙な感覚を引きずっていた。それが何であったのか了解したのは,通りをバスが過ぎたときだった。
 バタン! ドン!
 入り口のドアの音だ。この店のドア,つくりがまったく西部劇に出てくるスィングドアなのだ。もちろん腰高ではなく,2メートルほどの高さはあるのだが,バタバタと煩いったらありゃしない。バスの一息で靡いてしまうような,見ようによっては滑りのいい蝶番といえるかもしれない。ただ,どんなふうにすれば,あれほど靡くのかは判らない。

 日本のラーメンにまったく横恋慕しないスープと麺だった。ちぢれのない麺は譬えるならニュウメンの麺みたいなもの。スープはちょっとウイキョウっぽい匂いの,醤油とか味噌とか塩とか豚骨とかを全く無視した味がした。
 「香港のいけすかない,でも癖になる食堂そのものだな」

 といいながらも,実のところ,西部劇のなかに中華街が登場し,そこでラーメンを啜っているような気分だった。


02月23日(月) 一致  Status Weather晴れ

 喬司が市原悦子について語りはじめると尽きることはない。「家政婦は見た!」(一体,何年家政婦してるのだろう)は言うに及ばす,まあ,いつも同じようなことを言い,同じようなことで,われわれは爆笑する。

 あるとき,徹と喬司の意見が一致したのは「市原悦子演ずるところの,金持ちの初心な中年役は意外と捨てがたい」ということ。2人とも,誰にもいえず,かといって誰彼に言いたかったらしい。

 徹が誰かと意見の一致をみるのは,ほんとうにどうでもいいようなことばかりだった。どこでだったろう。昌己と2人,天変地異で一番こわいのは「津波」だと,お互いに同意を求めあっていたのは。


02月24日(火) クレジット  Status Weather晴れ

 平沢進のライナーノーツによると,至福団のアルバム「致富譚」にはこうクレジットされていたそうだ。

 Not for Promotion  Only Sell

 パソコンでCDを焼けるようなって後,アルバムの姿の何もないにもかかわらず,自分だったらなんとクレジットしようと考えていた。
 その後,CCCDなんてのが登場して,思いついたのが,

 自主制作CD-RW

 納得させられなかったらデータ消されるなんて,身を賭したコピーじゃなくて,控えめなところがばからしい。
 CCCD出しているような輩には,こんな真似できまい。何の得にもならないぞ。


02月26日(木) 信号  Status Weather晴れ

 最近の日記です。

 ある日,気がつくと信号の色が変わっている。
 それも,景色のなかに合成されたかのようなけばけばしい色だ。すぐにあたりまえになってしまうのだろうけれど。


02月27日(金) ル・クレジオ  Status Weather晴れ

 筒井康隆の『虚人たち』がル・クレジオの『巨人たち』にインスパイアされて執筆されたというのは有名な話。(インスパイアなんていうと佐野元春みたいだ)
 本棚に『調書』『戦争』『巨人たち』と揃いながら『物質的恍惚』が抜けているのはいかんともしがたい。『海を見たことがなかった少年』を文庫で読んだのは,まあよしとしよう。


02月28日(土) ツァラ  Status Weather晴れ

 タイトルは「“トリスタン・ツァラはかく語りき”とスティーブ・セブリンは言った」。一人でスタジオに入り,ボーカル録りしたテープは行方不明だ。歌を入れたのだから,仮歌のような歌詞を一度はつくった。

   何もないラインに キミが鍵を挿す

 というようなフレーズの積み重ねだった。ただ,「ん」が入るととても歌いづらく,かといって,仮歌といえども,一度つくったものに手を入れるなんてことする熱意はこれっぽっちもなかった。このあとに続く中途半端なBメロは,梅雨があけない7月の曇り空のように締まりのないまま,10年経った。

 意識していたP-MODELの“Another Day”の片鱗は,出だしとブレイク前のホールトーンに微か残っているだけだ。Aメロは,リフをあれこれ考えていたときには気づかなかったものの,弦のパートをかぶせた途端,「まんま,ジョイ・ディヴィジョンじゃないか」と意気消沈。

 この手の曲をバンドで本式に取り上げるならば,同期をとって練習したり,各人にアレンジを広げてもらったりするのが第一だろう。この時期,いや,どんなときも,Cola Lはあまりにメンバーが不足していた。
 とはいえ,各パートが揃っていたとしても,バンドじゃ演奏ろうなんて話にはならなかっただろうと思う。このあたりの基準を話しはじめると,居酒屋でのバンド運営にまで行き着きかねない。
 
(データ調整中)



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