2004年3月号

03月01日(月) 発掘  Status Weather雨のち曇り

 数奇な運命を辿った曲がある。

 会社で女性ボーカリストをリクルートしたはいいが,接点が見出せないまま,「センチメンタル・ジャーニー」(スタンダードナンバーのほう)や「ウエルカム・トウ・ザ・フロア」「ブレイク・アウェイ」「ヒートウエーブ」なんて曲の打ち込みを依頼された。思いっきりピコピコさせてアレンジしたら,そこそこ形になってしまった。体のいいカラオケだ。

 これではいかんと,なんとか妥協点を見出せないかとつくったのが“rsg”。もろヤプーズって感じだ。まったくいつまでたっても原曲が判りやすい。筒見京平にはなれはしない。
 つくった歌詞は3番まであったはずだけど,もはや記憶の彼方。1番は

  探知機 片手に 探し出してやるわ
  ネットワークは edge of the world
  行方不明も名探偵も 逃れられないわ

 なんて感じで,たわいもないものだ。

 彼女が歌ったときは,昌己がベースで私がギター。Korg T3と同期をとっていた。
 そんな妥協が続くわけもなく,昌己からは当初から「このあたりまでは許せるけど,これ以上くだらないのは演奏れないな」と釘をさされていた。
 俊介が入った頃は,その女性ボーカリストはスタジオに姿を見せることもなくなっていたのに,なぜか3人で演奏したテープが出てきた。昌己はドラムに移り,俊介がベースだ(2番間違ってるけど)。ボーカルが入ってないのはなぜだろう。誰も歌いたくなかったんだろうな。
 たいした曲ではない。高校の学園祭じゃないのだから,社会人バンドが演奏しなくても。

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03月04日(木) 傍観者  Status Weather曇り

 その年の学祭ではじめてバンドを組み演奏したときのこと。喬司はベースで昌己はドラム。和之のギターとデジタルディレイを借りた私はまったくの素人だった。和之の教えを乞い,なんとかバウハウスの「テラ・カップル・キル・コーネル」は弾くことができた。そう,なんとか。

 ライブ当日。小さな教室にしつらえたステージに相対してモニタが山をなしている。カメラを抱えた徹の手ぶれを律儀に反映する。1曲目はロバート・フリップの「アンダー・ヘビー・マナーズ」(にインディシプリンの歌詞を加えて)。
 なんで,モニタが演奏者と向き合っているのだろう。ふれたカメラがステージを映し出した。自分たちが演奏する様が数台のモニタに流れる。

 それは奇妙な感覚だった。
 3曲目の「テラ・カップル」が始まると,私はギターを抱えたまま脇にそれた。ステージに向き直り,喬司が歌い,昌己がドラムを叩く姿を見た。彼らが鳴らし続ける音にかぶっているのは私の手元で谺する弦なのに,不思議と客観的に彼らの姿を見つめていた。 

 実際,自分に関係することなんて,これっぽっちもないのだ。
 かなり身近で起きていることにまで,切迫した感覚をもてないのはなぜだろう。もちろん,傍観者の立ち位置に,居心地よさを意識したことなんてありはしないのだが。

 どこまで本気か知らないものの,社会人(ティピカルには指し示すことができはしないが)は,茶番のような立ち居振る舞いを,意外と素面で演じる。それは,まさしくイッセー尾形の一人芝居だ。本人には憤懣やるかたないことであっても,私は面白がってしまうから,あまりタチが良くない。
 なのに,いやそれゆえに,いろいろなことを聞かされる。程よい相槌が,拍車をかけて,ミーティングルームで半時間ほど付き合わされることになるのもしばしば。
 インタビュアーとは,どこかに傍観者の立場を捨て置くことはない。(次回につづく)


03月05日(金) 当事者  Status Weather晴れ

 「彼はいつだて傍観者のいごこちよさの中にいた。(中略)いつだって、見物人だったのだ。他人のことに,本気になるなんて!(後略)」(『マイク・ハマーへ伝言』角川文庫版,p.51)

 「俺に,自分と二重映しにして計測するほどの他人がいる! 克哉は腹をたてる。誰にしろ,そんな他人がいたなんて,あっていいことだろうか。
 彼は,“3”を縫いとって去っていった,巨きな背を夢見た。どう考えたって,あそこに背負われていたのは,自分一人きりの体重だ。そうであるべき自分の背を憶い,身震いする」(『同』p.277)

 「もちろん,人の世の出来ごとだ。ぼくに関係ないことなどひとつもない」(『スズキさんの休息と遍歴』新潮文庫版、p.181)

 演奏中,演奏家は傍観者になれない。サラジーヌのジレンマさえも。


03月06日(土) イントロは絶対  Status Weather晴れのち曇り

 同僚をボーカリストとして勧誘したはいいが,音楽の趣味がまったくちがう。とりあえず,スタジオにきてもらい,「oto」「押し出し」あたりで合わせてみようとすると,外に出てタバコをプカプカ吸いはじめた。
 数日後,仕事中にカセットテープを渡された。「こういう曲を歌いたい」というのだ。ジャムが演奏するところの「ヒートウエーブ」はじめ,「ブレイクアウェイ」「ウエルカム・トウ・ザ・フロア」「センチメンタル・ジャーニー」というラインナップ。

 自慢ではないが,絶対音感までは遥か遠い私の耳。とりあえず「ヒートウエーブ」をコピーはじめた。ベースと聞き取り,ドラムを被せ,ギターは無理なので,適当に弦を入れたら,別の曲になってしまった。打ち込みで生を真似ようとするから,こんなはめになるのだ。

 で,できたのがこのイントロ。よもや「ヒートウエーブ」だとは思うまい。ウルトラヴォックスには似てるけど。

 ちなみに,全篇ピコピコさせてみると,他の曲はなんとか音がとれた。「ブレイクアウェイ」は「セーラー服を脱がせないで」になってしまい,「ウエルカム・トウ……」はボーカルさえ入らなければ同じ曲とは気づかれないほど変わった。

 「ツァラ」をアップして以来,この手の曲を作ったことに対する衒いが失せてしまった。

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03月07日(日) メロディ  Status Weather晴れ

 「王様の気分」は「rsg」と同じメンバーで,何度か音合わせをした。録音していた筈なのにテープは見当たらない。

 俊介は「motherの音楽みたいだ」といった。私はテレビゲームをしないので,鈴木慶一が担当したという,巷間伝え聞くところの情報しかもっていなかった。7/8拍子のパターンで打ち込んでいるものの,ノリは7/4だと思う(でも,7/4でカウントするとギクシャクする)。この曲をつくる前,デイブ・スチュワート(ナショナル・ヘルスのほう)が執筆した『楽典』を読んだ。で,できた曲がこれだから,影響も何もあったものではない。

 この手の曲をCola-Lでまとめられなかった最大の原因は,メロディの欠如にある。他人がどんなふうに曲をつくるかなんてまったく知らないが,私はとにかくパターンの繰り返し,積み重ね。奏でるべきメロディがあった曲など1つもない。いつまでたってもメロディは浮かばない。そのままスタジオで練習する。メロディがないのだから,インストにしては弱すぎにもほどがある。

 「天才病患者」や「災害救助犬」「蛇を踏む」みたいな曲を演奏りたいと心底思っていた。(自分でつけておいて,タイトル列記すると情けないな)
 でも,「王様の気分」を生と同期できたら,また違った展開があったかもしれない。と,今さら振り返ってもしかたないのだ。

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03月08日(月) おーこわ  Status Weather晴れ

 ライバッハのアルバムいずれかのコピー(邦盤)が「おーこわ」。言い得て妙な音圧だったように記憶している。当時,際立っていた音の扱い方(当時のP-MODELは明らかに影響を受けていた)も,今となっては,どこが際立っていたのか曖昧になる。

 90年代に入り,80年代初頭にエアチェック(これも死語だろうか?)した高橋幸宏のライブ(ラストで,坂本龍一とスティーブ・ジャンセンのツインドラムで「CUE」を演奏したほう)を聞き直したとき,どこがテクノなんだろう,まったくアコースティックじゃないかと感じたのと同じように。

 ところで,ライバッハの政治的スタンスは音圧をまったく反映するものではないと,当時から思っていた。メッセージや政治的スタンスは「言葉」や「ありよう」であって,「音楽」そのものではない。「リズム」となると,かなり微妙なのだけど。

  脈絡なく「ミランダ・セックス・ガーデン」などというバンドを思い出す。長髪の白一点(黒一点というのだろうか)がいたよな。あまり近づきたくないルックスの。


03月09日(火) パソコンは絶対  Status Weather晴れ

 家内が仕事で,とりあえずウインドウズ・マシンのスウィッチを入れなければはじまらない状況になった。以前,ロータスに数値を打ち込んで以来,まったくパソコンに近づいたことがないというのに,あまりに荷が重すぎる,とは本人の弁。

 タコのさばき方を指導しにやってきた義父に,そんなこといったものだから,帰りがけにクレジットカードを置いていってしまった。曰く,これで買いなさい。量販店のポイントカードが添えられて,「ポイントは貯めておくように」。なんだか時代劇に登場する侍みたいな案配だ。

 で,年末に,手頃なノートパソコンを探しに新宿へ出かけた。

 やけにちゃちなボディのものばかり目につき,ついつい同じフロアの“iBook”に目がいってしまう。でも,これ買ってしまったら,意味ないよな。
 結局,スペックはさておき,見た目でプリウス・エアノートを購入した。もちろん,ポイントは貯めておいた。

 義父がカードを置いていってくれるのは本当にありがたいのだけど,決済するときは毎回ドキドキする。親子ほど(親子だけど)年が離れているんだし。ちょっとまずいよな。


03月11日(木) 彼誰時  Status Weather晴れ

 以前書いたように,倉多江美の「彼誰時」は,内田百閒による芥川龍之介との交友を記した一編をもとにしている。2人を同じ学校の教師として換骨奪胎するあたりのセンス。好き嫌いが分かれるだろうが,四半世紀にわたり倉多江美の漫画を読み続けている一因だと思う。

 学生の頃の生井英孝が,佐山一郎編集長の頃の「スタジオ・ボイス」で一言コメントに答えた一文がよみがえる。たぶん,こんなセンテンスだった筈。
 「村上春樹? て聞いても,“悪くはないね”って温泉芸者みたいな返事ばかり返ってくる。僕は矢作さんの小説のほうが好きだな。だって,“大好きだよ”か,さもなければ“でぇ嫌いだ”。はっきりしてるでしょ」


03月14日(日) 鳴らし続ける  Status Weather晴れ

 昨日の日記です。

 娘が保育園を卒園するので,卒園式に出かけた。つらつらと思い返しても,自分の卒園式の記憶などどこにもない。淡々と終わったのではないかと思う。最近は感涙する親が多いと聞いても,なんだか現実感に乏しいのは,だからしかたない。
 式自体は,デコラティブにならず,抑制の効いたものだったのでほっとした。

 そのままセッティングを変え,園長,保母を囲んでの謝恩会。手作りのささやかな会であったが,面白いくらいいろいろなことを感じた。当日までの裏方の綿密な打ち合わせのお陰であることはいわずもがなだが,お父さんお母さんのなかに,元アナウンサーや音響の方がいたこともあって進行がスムーズだったのも一因だ。

 会の最後で,園長,保母は,父母が掲げる手作りのアーチのなかをくぐって退場する。BGMは島谷ひとみの「YUME日和」。ステージに集まり歌う子どもたち。保母や親たちは声を掛け合いながら泣いている。

 ここまでならば,多くを語ることはない。

 1コーラスが終わったあたりで,送り出しを終えた。でも,音楽は止まない。すると,ステージ上からアーチ目がけて,子どもたちが駆け下りてくる。歌を唄いながら,出口近くまでくるとUターンして,アーチのなかを飛び回る。まだまだ音楽は続く。フロアを駆け回り唄う子どもたち。そしてフェイドアウト。

 それは,なんだか映画のエンドロールに被るような光景だった。

 鳴り続ける音楽に呼応する子ども。うらやましいほどに素敵だった。偶然なのか意図したものかは判らないけれど,音楽が鳴り続けるなかだからこそ起きたとしか思えない。


03月16日(火) 予定  Status Weather晴れ

 近況。

 忙しいなかで竹内敏晴先生から葉書を頂戴した。感慨一入。でも,状況は変わらず,とにかく忙しい。 

 今後の予定。
〈音楽のアップデート〉
 ・ラジオのように
 ・カラオケシリーズ ブレイクアウェイ
           ウエルカム・トウ・ザ・フロア
           センチメンタル・ジャーニー
 ・その他もろもろ。

〈矢作俊彦ランダムハウス〉
 ・眠れる森のスパイ(ヨコスカ調書が出るまでに)
 ・ニュースペーパー・ドロワー矢作俊彦について
 ・絵日記シリーズ
 ・その他もろもろ。

 とはいえ,わが家のiMacは大変調子が悪く,ここ数日はセーフブートで立ち上げている状況。当然,音は出ないので,ベートーベンやスメタナのように画面上だけで音の調子を整えるのはまず不可能だろう。
 考えるまでもなく,ふつう修理が先だ。


03月17日(水) 海辺の情景  Status Weather晴れ

 ある年の夏休み。伸浩の家へ泊まりがけて,千葉の海へと出かけた。
 「内房線の乗客って,みんな風呂上がりみたいに髪の毛が湿ってるんだろう?」
 「なんで,みんなアロハ着てるんだ?」
 千葉県に縁遠い友人たちのイメージは膨らむばかりだ。

 私はといえば,臨海学校以来の海。自称多摩っ子の徹と昌己とともに,およそ海とは似つかわしくない風体だ。水球部の出身の喬史や地元の伸浩の溶け込み様とはえらい違いだった。

 「日焼け止め塗っておいたほうがいいぜ」という伸浩の助言は半分聞き流したものの,強烈な日差しに怖じ気づいて,近所の店で一番安いサンオイルを買い求めた。
 海に飛び込んですぐ,突然に徹の頭が消えた。文字通り,深みにはまったのだ。喬司が手を貸して,浅瀬まで引っ張られる。意気消沈した徹に,喬史と伸浩は立ち泳ぎのくせに腰から上をひらひらと海上にあがらせて煽る。
 「お前ら,気持ち悪いからやめろよ! 浮き上がりすぎだぜ!」
 徹は心底怒っていたようだ。

 曇天に恵まれて,一日中泳いだ後,伸浩の家で風呂を借りた。一様に日焼け跡に水が強烈に滲みた。
 私と徹は,そのまま家へと戻った。

 しばらく後,昌己に連絡すると,翌日も海に出かけたはいいものの,背中が水ぶくれになってしまったという。
 「安い日焼け止め買うからだよ!」
 「塗らないほうが日焼けしなかったんじゃねぇのか」
 「たぶんな」
 「蔵六みたいになっちまったぜ」
 「そんなの見たかないな」 


03月18日(木) on reading  Status Weather晴れ

 アンドレ・ケルテスの写真集“On Reading”をめくる。本や新聞が人の生活のあらゆる場面で読まれている様は,意外と胸に沁みる。

 実は,ここに記録されたような場面で読書しなくなってしまったことが一因かもしれない。どうしてこんなところで,と思うような場面も多いのだけれど。

 で,新聞と矢作俊彦の関連について,いつかまとめる予定のメモ。

 ミステリ・マガジンで連載「真夜“半”へもう一歩」のダディ・グースによる扉は,某映画を真似て,連勝中のジャイアンツの記事を読みふける二村の姿が続く。最終回は連勝がストップした翌日の新聞。
 「気分はもう戦争」や「鉄人」では,紙面に登場する新聞をさりげなく描くグース=矢作。
 これは描いたものではないが,「ザ・ギャンブラー」の冒頭,昭和74年,小沢首相を観客に伝えるすべとして使ったのも新聞だった。

 新聞を小道具につかうのが好きにちがいない。
 まさか,赤瀬川原平「櫻画報」の影響ではないとは思うが。

 ところで,『真夜中へもう一歩』のオリジナル連載タイトルが“真夜半”になっていたのは,意外と連載第1回の誤植だったのではないか。後の『リンゴォ・キッドの休日』の紹介では“真夜中”になっていたし。
 小説としての連載“真夜半”と単行本“真夜中”は、小説家みずからあとがきに記すまでもなく,「石原慎太郎の小説」と「日活映画」くらいに隔たっている。
 “真夜中”の加筆のされかたで思い出されるのは「キラーに口紅」。(NISOの組み入れ方とか)単行本化に際して「おれ」から「私」になった“キラーに”のほうがパッと見には印象の変化が大きそうに思えるが,それほど感触に変化はない。


03月20日(土) ズレ  Status Weather雨のち曇り

 ロックとシュルレアリスム,映画,小説に評論,10代に出くわす諸々は,意外と芳弘を通して選びとっていたのかもしれないと思うことがある。
 はじめて彼の部屋を訪ねたとき,あまりにも整然としていることに心底驚いた。生活感がまるでないのだ。後に徹の部屋も生活感がなかったが,物を置かない,照明は間接のみ,というように,そこにはまだ主人の思惑が感じられた。義宏の部屋の奇妙さが,それと違うことだけは明らかだ。おかげで今でも部屋のようすを思い出すことができる。

 芳弘は出自について多くを語らない。
 だから聞くことをしないまま,最後に逢ってから15年がすぎた。

 (と,BGMがクオーターフラッシュ“Harden My Heart”に変わった!)

 選びとったものの,芳弘と私は今ひとつ好みがずれていた。

 (次は,ザ・ドアーズ“Blue Sunday”!!!)

 それは,ピンク・フロイドとキング・クリムゾンであったり,
 筒井康隆+Wムラカミと内田百閒+矢作俊彦であったり,
 ウディ・アレンとモンティ・パイソン(これはずれどころではないな),
 はたまた,吉田拓郎と加藤和彦(これも,いかんともしがたい溝があるけど),

 固有名詞を通しての会話(私の場合,これに慣れてしまっているから,身も蓋もないペラペラな教養なのだけど)はスムーズなのに,話が長引くと,お互いを見下ろしたような物言いがつい出てきてしまう。

 アメリカン・ニューシネマとゴダールにかぶれた(それにしてもどういう取り合わせだろう)芳弘が,さらにラテンアメリカ文学のスパイスをもとに,8ミリビデオでまとまったものを撮りたいという。
 「台詞なしだし,演技なんて必要ないから出てくれないか」

 その年の3月,一夜かけていろいろなシーンを撮った。

 テーブルの上にカセットが散乱し,それをしげしげと眺めながら頭を抱えるという,絵に描いたような自主制作映画のワンシーン。なんでも,このカセットには,彼(主人公)が毎日語りおろしている日記なのだそうで,集英社の戦略にどっぷり嵌ったのにちがいない。私は初手から真剣じゃないから「何かBGM流そうぜ。どうせ,音入らないんだろ」
 「まあな。で?」
 本棚の一段にきれいに並べられたカセットケースから1本を取り出して「これにしよう!」
 「いいけど」
 なんだか不服そうだ。

 テイクワンスタート。BGMが飛び出す。カセットを眺めようとしたものの,笑いが堪えきれない。「すまない。もう一回」
 テイクツー。再びBGMが飛び出すと,それにつられて爆笑だ。
 「やっぱりだめだよ。スネークマンショーじゃ」
 でも,しらふじゃやってられないぞ,とはいわなかったが,赤面ものだ。

 翌日,始発前の線路を歩くシーン(ああ,なんでこんなシーンばかりなんだろう)を撮るために戸外へ出ると,一面,雪が積もっていた。
 「3月だぞ,呪われているんじゃないか?」
 それでも協力した。

 その後,数年は行き来していたのに,お互い,ついにその後の話をしなかった。あのビデオ,いったいどうなったのだろう。

 芳弘は,代理店経由で独立プロダクションに入り,在京キー局の夕方の帯番組のADを数年続けた。連絡が途絶えたのはたわいのないことがきっかけだった。(確定申告に使うので,その少し前,私が神保町で五月書房版『辻潤全集』を手に入れた際のレシートを譲ってくれないか,と頼まれたような)

 最近,夜9時の単発ドラマの演出に彼の名前を発見した。残念ながら,そのドラマを私は見ていない。


03月21日(日) 評論?  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 東京創元社「ミステーリーズ!」vol.4を立ち読みした。笠井潔が連載評論のなかで矢作俊彦の『ららら科學の子』を取り上げている。枚数を費やしているわりには冴えない切り口で,「自分探し」云々で締めくくっている。

 こういう評論を読むと,矢作俊彦がなんだか一時の辻邦生のように感じられてくる。『ららら』は物語がやけに安定しているからなおさらに。

 この小説家の日記でみつけた一節。
 ↓
http://www.plays.jp/adiary/diary8.cgi?id=gen1rou&action=view&year=2004&month=1&day=2#1_2

 4冊の小説??? 『アマ☆カス』『ヨコスカ調書』……。広義の小説としてならば『ライオンを夢見る』も入るのかもしれないが,『我らの血税…』はどこに行ったのだろう。


03月22日(月) 調子がいい  Status Weather曇りのち雨

 週末に諸々を再インストール後,いまのところ頗る調子がいい,わが家のiMac。どうも,前2回のインストールが旨くなかったようだ。
 初めて使えるようになった機能もあるし。

 ただ,日記を振り返るまでもなく,こういう日々があまり続かないことを,思い知らされている。


03月24日(水) 壮観  Status Weather曇りのち雨

 読み終えた本の数倍,読みかけの本がある。
 『狂風記』『普賢』『白描』の石川淳(集英社文庫)は,どれもいいところまでいった筈なのに,まだ読み終わっていない。『狂風記』はあと数十ページだったのではないだろうか。それにしても,元阪急の西本監督と石川淳は似ている。

 どちらも読み終えていないのに,なぜか『シンセミア』というと『狂風記』を思い浮かべてしまう。

 ちなみに,同じ境遇で本棚に置かれたままの本は,モラヴィア『一九三四年』やバーセルミ『死父』『雪白姫』,庄野潤三『早春』なんてのが並んでいる。


03月26日(金) S60  Status Weather曇りのち晴れ

 あぶらだこに「S60」という名曲がある。1960年代かと思うのは大間違い。昭和60年代のS60。

 昭和60年代とは,つまりは昭和60年1月1日から64年1月7日までということになるのだろうが,やけに充実した4年間だったように思う。時まさにバブル時代のまっただ中だった筈なのに,以前書いたように,そうした印象はまったくない。

 リアルタイムで洋楽を聞かなくなったのがS60だ。反対に日本のロックバンドのライブに足繁く通いはじめた。


03月27日(土) ドリフター  Status Weather晴れ

 筋肉少女帯に「ドリフター」という曲がある。80年代後半のライブで何度か聞いたが,たぶん,メジャーからはリリースされなかったのではないだろうか。歌詞の1番で持ち上げておいて,2番で落とす,取り上げられたのがザ・ドリフターズの面々だ。

 ケラと大槻ケンヂのスタンスを,ザ・クレージー・キャッツとザ・ドリフターズの違いだと語った記事を読んだことがある。学生時代。喬史にすすめられて観た植木等の映画から,われわれは本当に多くの影響を受けた。ただ,数多の1960年代生まれにとって,ザ・クレージー・キャッツは追体験であって,リアルタイムでの体験として語り得るとしたら,それは共通体験というより,かなり特異なものだと思う。喬史やケラがそうであるように。

 ある情報筋によると,タイではしばしば「チュウ・アライ(=注・荒井)」と声をかけられるそうだ。今どき,荒井注なんて渋い好みだなと妙な感慨にふけりながら,ザ・ドリフターズがそんなに人気あるのかと訝しむ。
 そのたびに「ナンダ・バカヤロウ」と答えたそうだ。
 遂には「ナンダ・バカヤロウ」サンと呼ばれるようになった,というようなことには,もちろんならなかった。

 やはりiMacの調子よさは見せかけだった。調子はどんどん悪くなり,書き終え,保存しようとするとフリーズしてしまったので,再度,書き直した。こんなこと2回も書くなんて情けない。


03月28日(日) リホウ  Status Weather晴れ

 吉本ばななの本を手にしたのは,多分に作品のタイトルが影響している。「ムーン・ライト・シャドウ」は,いうまでもなくマイク・古原・オールドフィールド(先日,「スタジオ・ボイス」のインタビューでフィリップ・グラスに散々な言われ方されていたが)のヒット曲だ。

(と,Aural Moonでは,ライブ版“Incantation”part3,4が流れているのだ!)

 弟は当初,フランスでの職を探していた。7割程度決まっていた筈が,タイミングを逸し,イタリアで就職が決まるまでの間隙に,やたらと聞いていたのが古原のアルバム「ディスカバリー」。“To France”をヘビー・ローテーションで聞いていたように思う。ワールドカップじゃあるまいし。

 何だか同じ頃,昌己も吉本ばななを読んでおり,ふとしたはずみで『TUGUMI』の話になった。さらにしばらく後,『TUGUMI』が映画化された。昌己は,主演の牧瀬里穂のキャスティングにいたく感激したようだ。“まきせ・りほ”という響きに敏感になるほどに。

 ただ,ニュースを流していると,どうにも混乱をきたしはじめる。時,天安門事件後,かの国では李鵬が権力をほしいままにしていた頃。いきおい,中国のニュースに李鵬が登場すること?々だ。
 食事をしていると,テレビのむこうから「りほう」という響きが続く。そのたびに「何? りほ??」
 もちろん,モニタに目をやると,そこに映るのは李鵬。
 「けっ,李鵬かよ」


03月29日(月) 調子わろし  Status Weather晴れ

 HTML書き出しの調子も悪くなってしまった。



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