2004年4月

04月01日(木) 野球指導  Status Weather晴れ

 昨日の日記です。

 タイ料理屋のおばさんに野球を指導した。とはいっても,路上でキャッチボールをしたわけでもなければ,トスバッティングでもない。ルールを教えたのだ。
 会社帰りに,自宅近くの駅前にあるタイ料理屋で夕食をとった。ここ数日,閉まっていたので,まさか店じまいしたのではないかと,通りすがり気にしていたのだが,昨日は看板が灯っている。店内に入ると,おばさんがテレビを観ていた。客はいない。
 ほっとした。いつもの光景だ。

 風邪気味なので,しょうがの効いたカレーを頼む。テレビには松井の姿が映っている。持ち合わせの本は読み終えてしまい,だるいので,ぼぉっとテレビを眺めていた。
 と,「あっ」と年甲斐なく黄色い声をあげるおばさん。
 「#$”%」
 ???
 どうやら,違うスパイスを入れてしまったようだ。何であってもタイカレー,辛いことに変わりはない。「なんでもいいですよ」というと,野球観戦を続けた。

 恐縮したようすもなく,カレーをもってきたおばさんは,一言「わからないね」。私が店に入ってくるまで,一人野球を観ていたにもかかわらず,野球のルールがわからないというのだ。と,誰かがホームランを打つと,「これがいちばんわからない」。なるほど。ホームランをどう説明すればいいのだろう。
 しばし悩んだ末,しどろもどろで説明すると,どうにか理解したようだ。
 「タイでは野球やりませんか?」
 「全然」
 「サッカー?」
 「そうね。みんなやります」

 その後,数日の休業の話を契機に,おばさんは,自分の家族構成やら何やら話が止まらない。そこまで聞いていないというまでもなく,食事にきて,インタビューしてるような妙な疲労感が残った。風邪のせいだ,きっと。


04月02日(金) 引用  Status Weather晴れ

 かれの前を派手なロード・スターが通りすぎた。幌をはずしたキャディラック・フリードウッド60のコンバーチブルだった。
 運転席に横坐りになっているのは女だ。かたちのいい脚をフロアへ伸ばし,髪を砂漠から這いあがってくる風に晒している。
 「いい女かい?」
 かれのすぐ背後で,ロレンスの亡霊が囁いた。
 「老眼鏡をしないと見えないんだ。
 いい女なら,老眼鏡をしているところなんか,見せたくないしな」
 ロレンスの亡霊は,銀行員のように気負ったメタルフレームの老眼鏡を,内ポケットからとり出して掛けた。
 「キャディラックは車の形をした過去だそうだ」とロレンスの亡霊は言った。
 「どのくらいの昔です?」とかれはたずねた。
 「知らんね。ソール・ベローが言ったんだよ,サム」
        高橋源一郎『虹の彼方に』(p.64-65,中央公論社,1984) 

 
 派手なロードスターが停まっていた。幌をはずした,キャディラック・フリードウッド60のコンバーチブルだった。(中略)
 運転席に横坐りになっているのは女だ。かたちのいい脚をフロアへ伸ばし,髪を港から這いあがって来る風に晒している。ここから眺めると,まるで黄色いハリウッド・ベッドが宵越しの流し目をくれているようだ。
 「いい女かい?」
 領のすぐ背後で,克哉の声が囁いた。「眼鏡をしないと,あそこまで見えないんだ。いい女なら,眼鏡をしているところ,見せたくないしな」(中略)
 克哉が,銀行屋のように気負ったメタル縁の眼鏡を,内ポケットからとり出した。それを掛け,斜面に背伸びする。(中略)
 「キャディラックは車の形をした昔だそうだ」やがて,克哉が口を開く。
 「どのくらい昔だい?」
 「知らんよ。ソール・ベローが言ったんだ」
 「克哉の引用はガセが半分だからな」
       矢作俊彦『マイク・ハマーへ伝言』(p.7-8,光文社,1978)

 という具合。


04月03日(土) ついで  Status Weather晴れ

 このところ,東京の町という町,家という家では,二人以上の者が顔を合わせさえすれば,まるで天気の挨拶でもするみたいに,富士山の噂で持ちきりだった。
       矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』(下巻p.532,新潮社,1997)

 その頃,東京中の町といふ町,家といふ家では,二人以上の人が顔をあわせさへすれば,まるで,お天気の挨拶でもするやうに「怪人二十面相」の噂をしてゐました。
       江戸川乱歩『怪人二十面相』


04月04日(日) 徒労  Status Weather雨のち曇り

 KORG T3を手にしてしばらく後から,スタジオでは同期ものの曲ばかり練習することになった。バンド仕様でつくった曲のスケッチは骨組みというよりは,むしろ輪郭のようなものだったので,いかようにも姿を変えられる。クリック音に毛がはえた程度のほうが,意外と合わせやすい。スタジオに入った甲斐もあろうものだ。

 同僚に頼まれて打ち込んだカラオケの練習は,当初,カセットに落とし込み,勝手にどこぞでやっていただいた。出来をそこそこ気に入ってもらったのは幸いだが,「スタジオで録音しようよ」という話になったのには正直,戸惑った。私は歌を唄うわけではない。重い重いKORG T3を自転車に積んでスタジオまで行き,ミキサのレベルを調節して,シーケンサのスイッチを入れ,テープをまわす。スタジオ代は折半だ。たとえ,天使と呼んでもらったとしても,言い過ぎじゃないだろう。
 
 そんなスタジオ入りが3回くらい続いた。1回など,後に彼女の旦那になる彼も一緒に連れてきたはいいが,労いの言葉ひとつない。あげく,カッコつかないんで,ヘッドホンにしながらドラムを叩いている私に,「下手ですね」。
 まあ,そうなんだけど。面とむかっていわなくてもいいのではないだろうか。

 いつだったか,この2人と飲んだ後は,手相占いをおごらされる羽目に陥った。正装すると地上げ屋夫婦にしか見えないこの2人と音信不通になってから,10年近く経つ。

 当時,録音した「センチメンタル・ジャーニー」のイントロから少し。

 データ調整中
 


04月05日(月) 文庫  Status Weather晴れ

 ときどき,本の奥付だけを眺める癖がある。先日,文庫版『火の鳥』の奥付を見ると,刊行されたのは1992年。もう12年前になるのか。1970年代の安っぽい紙を使った漫画文庫と違い,この『火の鳥』を皮切りに現在まで続々刊行されている各社の漫画文庫で,思いもかけない絶版漫画を手にすることができるようになった。

 双葉文庫は石森章太郎の『芭蕉』や倉多江美の自選作品集(2巻)など,およそ営業を度外視したラインナップを刊行し続けている。店頭で背表紙を眺めるとやけに目立つ。

 ちくま文庫と新潮文庫をならべると,どちらがどちらか判らなくなってくる。

 講談社文庫は,なぜか今まで1冊も買っていない。そろそろ「バイクメ~~~ン」でも出しはしないのだろうか。


04月07日(水) TVC    M  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 某ミネラルウォーターのCMにデヴィッド・ボウイが出ていた。のはいいが,いったいどういうCMなんだろう。ケンカ売ってるのか???

 これまでのキャリアを覗き見て,裏側を映すことで嗤うかのような趣味の悪さ。“Ashes to Ashes”の例のコスチュームを着ている姿でだけは登場してほしくはなかった。デレク・ジャーマンも泣いているぞ。(きっと)

 “Ashes to Ashes”自体,“Space Odity”もとい“Space Odyssey“のThe Other Sideだろうに。

 デレク・ジャーマンのPVというと,スジバンの“Dear Prudence”とザ・スミスの,あれ,タイトルが出てこない。


04月08日(木) なんとかなる  Status Weather晴れ

 精神科でアルバイトをしていたときのこと。
 3階フロアから階段へつながる扉に沿って,壊れかけたパチンコ台のべろのように,そのカウンターは据えられていた。夕方5時から消灯まで,と早朝から9時半まで,そこで患者さんと話ながら,出入りをチェックするのが与えられた仕事だ。

 かぎりなく貧相に近いほど痩せ,お世辞にも社交的とはいえない私は,よく患者さんとまちがえられた。出て行こうとする患者さんを力づくで押しとどめるには頼りない。それでも,そこそこ勤まったのは,そこで必要なのは見かけより,力仕事ではなかったからだと思う。

 調子が悪くなった患者さんに,何気なくかけた言葉を,その後,調子がよくなった時に突然,オウム返しされたりすると,冷や汗ものだった。ほとんど記憶しておられるのだ。

 あるとき,調子が悪くなった患者さんを,絶対にフロアから出してはならないとの申し送りがあった。そんなこといわれてもな,患者さん多いし,誰かと話しているすきに,サッと出て行かれたりしたら判らないよな。
 でも,当人はロビーのテレビを観ながら,ほどほどに落ち着いている。そんなときをついて,患者さんがカウンターにやってくる。
 「りんご剥くから包丁かして」
 「はい」
 と,渡してから,ドキリとした。コメディ映画だよ,これじゃ。まさか。これで,なにかしようというんじゃないよな。そんな……。
 患者さんと目が合った。やけに真剣な眼差しであったように感じたのは気のせいだろうか。目をそらすと,患者さんは包丁の刃を睨めつける。やおら隣にいた患者さんのほうを向く。ただ,そこまでになっても,なぜか最悪の状況は想像しなかった。
 他に,その患者さんが包丁をもっていることに気づいている者はいない。

 患者さんはそのままカウンターを離れた。
 「使い終わったら戻してくださいね」
 返事はない。

 でも,なんとかなるものだ。包丁を返しに再びカウンターへやってきた患者さんと目があった。たぶん,お互い,不思議なものを見るような目をしていたにちがいない。

 さらに,しばらく後,試験官のアルバイトに降りた鄙びた駅の車寄せで,まったくの偶然に,その患者さんから声をかけられた。悪い気はしなかったが,できれば,でかい声で「あー? どこかでみたことあるなぁ」なんていいながら,近づいてこないでもらいたかった。

 ところで,明日から出張です。


04月11日(日) ボキャブラリ  Status Weather晴れ

 何をどう描いてもかまいはしない。
 ただ,好き嫌いはさておき,プロが音楽や小説,映画などをつくり出すときに,流行り廃りをどこかでチェックしているような発言が目につく。ロバート・フリップは,それを「ボキャブラリ」と「軋み指数」という単語を通して表現した筈だ。

 一ファンとして,「そんなもの考えないでいいから,昔のように演奏ってくれ」と声高に何度叫んだことだろう。もとからファンに責任などありはしない,勝手なものだけど,後々,前言撤回を繰り返したのはファンのほうだった。

 昭和の終わりに矢作俊彦が自作「神様のピンチヒッター」をビデオ映画化した際,主人公たちを突き動かす行動原理が,時代にそぐわないことをかなり躊躇いながら,撮影を終えたと読んだときは,実をいうとピンとこなかった。
 最近,小説にも「ボキャブラリ」と「軋み指数」があるであろうことを,ようやく理解できるようになった。もちろん,そんなことで読みはしないのだけれど。

■付記
 村上春樹の「レイモンド・チャンドラー論」(「海」1982年5月)を受けての川本三郎との対談の一幕。(「ユリイカ」1982年7月号)
 村上(春樹)  僕は前に,矢作俊彦さんていらっしゃるでしょ。あの方が「月刊プレイボーイ」の中で,チャンドラーの小説を実際にロスに行って辿るという企画がありまして,それを読んで面白かったんです。ただ面白いけれど,それはチャンドラーに対する関わり方として,ちょっとズレてるんじゃないかな,という気はしたんです。それがまあ,出発点ではあるわけなんですけれど。
 川本(三郎)  彼は確か,ダディ・グースといっていた時代に『大いなる眠り』を「ミステリ・マガジン」で,マンガを描いてましたよね。
 村上  僕はそれは拝見したことないんですけど……。
 川本  彼は非常に,チャンドラー好きだということが知られてるんだけど。彼の場合も確かに,推理小説の,ハードボイルド側からの接近であって,都市っていうものからの接近がちょっと足りないような気はしますね。


04月12日(月) 成子坂下のババア  Status Weather晴れ

 出張先で泊まったホテルのフロントにいたババアを一目見た瞬間,「げぇ! 成子坂下のババアそっくりじゃないか!!!」と後ずさりしそうになった。

 西新宿の会社につとめていた頃,昼食をとることができる店には決して恵まれていなかった。いきおい,込み具合にウエイトを置き,成子坂下にあった鄙びた喫茶店で昼食をとる回数が増えた。
 リピーターが極端に少ない店だった。
 もちろん,それなりの理由があるのだ。ハンバーグやらミックスフライやら,メニューはそこそこあるのに,注文をとりにくるババアが,とにかく日替わり以外のものは選ばせない。3人でいって,各人別々のオーダーをしようものなら「時間がかかりますけど,いいですか」を3回続けた後,ぽつりと「一緒のものだと早いんだけど」と聞こえよがしに呟く。なにも,そんなに続けなくてもいいだろうに。第一,このババア,受け答えはするのだが,誰のことも見はしない。すべてが独り言のように,はたまた,ぼやきのように発せられる。

 で,ルックスは(たとえババアであってもルックスというのだろう)志村けん扮するところのラーメン屋のババア。耳が遠くて,まったく注文と違うものを続けて持ってくるあのババア,そっくりなのだ。

 とはいえ,継続はしてみるものだ。
 そのうち5回に1回は,一人くらいは違うオーダーをしても通るようになった。おまけに,特別にデザートまで付けてくれるようになった。
 ただ,このデザート,名目上は「アイスクリーム」ということになっているのだけど,霜がおりたようすは,どう見ても丸くなったシャーベット。カチンカチンで齧れないときている。百歩譲っても,店でテイクアウトには出せなくなった品物に違いない。

 次にデザートとして登場したのはスジャータを落としたコーヒーゼリー。だが,その頑丈なこと,シリコンのようだった。私は,スプーンがたたないゼリーを,いまだにここ以外で食したことはない。そう,一応食べたのだ。

 昼時に空いていることだけは貴重な店だったが,あるとき,改装か修理かのため1,2週間,店が閉まった。以来,ピタっと通わなくなった。

 その後,昼飯に出遅れた同僚が,ひとり久しぶりにその店に入ったところ,あのババアが「さみしいから,みんなにくるように言っておいて」って,あんなあぶっきらぼうな物言いで,さみしいもなにもあったものではないだろう。

 で,出張先のホテルも,成子坂下の店に劣らず,凄まじいホテルだった。


04月14日(水) 雑駁に  Status Weather曇りのち雨

 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を読み進める。決して熱心な読者ではないものの,これまでの作品も読んできたが,久しぶりに読んでの感想は「カート・ヴォネガットのようだ」。

 いや,まったく似ている。
 瞼を切り取るさまを書いたボネガットの感覚がよみがえる。フランシス・ベーコンの絵のような。というと,トマス・ハリスになってしまうけど。 

 第1部を読みながら,というようなことを考え,第2部に入ると,なんだか様子がちがう。

 腹減った小説というと,やはり「言い出しかねて」とオースターの『ムーン・パレス』。それにしても,あまりに殺伐としすぎではないだろうか。かなり前からフェティシズムをもう一度,見据える必要ではないかと,事あるごとに感じてきたことを思い出す。竹内敏晴氏の言葉を用いれば「モノとしてのからだ」と「ヒトとしてのからだ」ということになるのだが。

 矢作俊彦が現在,連載中の「エンジン」を読んでいると,『ハード・オン』が二重映しになる。まさか,あの女,漫画のJ(傑)と同じような生い立ちではあるまいが。


04月16日(金) ミスター  Status Weather晴れ

 ミスターといえば,長嶋茂雄よりも秋元秀雄。昭和60年代,われわれは何を好き好んで日がな「情報デスクTODAY」を見ていたのだろう。徹や喬史と昼飯を食いながら「ミスターTODAYがさぁ」,話題は昨夜のミスターTODAY・秋元秀雄に及ぶ。よもや,学食や喫茶店で自分のことが話題になっているとは知りはしなかったことだろう。

 まったくくだらない深夜のテレビ番組や民放なのにCMが入らない映画(アベル・ガンスの「ナポレオン」も深夜に見たのだ)につられ,平日の午前2時,3時まで徒に起きている。だから,23時過ぎにはじまる「情報デスクTODAY」をかけている感覚は,せいぜい夜9時のニュースといったものだった。 

 徹は毎週木曜日,午後2時から始まるワイドショーで嫁姑の再現ドラマが大好きだったので,人気の途絶えた学食で遅い昼食をとりながら,時間を気にしていた。木曜の2時近くになると,学食に据えられたテレビのチャンネルを切り替えた。
 鬼嫁に虐げられる姑の姿は,まさにひさうちみちおの漫画そのものだった。
 たぶん,喬司以外は徹にすすめられるまま,ワイドショーを見せられた口だ。もちろん,当初は「面白いかよ?」と質したはずだ。
 徹は「“2時の夢”なんだぜ,この番組が,さ」と答えた。

 木曜日,たまに徹の姿が見えないと「うちで2時のワイドショーでも見てるんだろう」と噂した。

 夕方にもテレビを見ていたし,深夜前の番組も見ていた。結局,一日のほとんどテレビばかり見ていたのだ。

 ビデオを見たし,古本屋も巡った。喫茶店で半日を潰すことも少なくはない。雀荘にビリヤード場。ときどきは授業にも出た。さて,どこに,あれだけの時間が転がっていたのだろう。


04月17日(土) 色褪せない  Status Weather晴れ

 最近は娘が弾いてばかりのKORG T3だけれども,3.5インチFDを差し込めば,10数年前とまったく変わらないシーケンスフレーズを聞くことができる。

 HPにアップデートした音源の多くはカセットテープのデータだ。倍速で4トラックを使ったものもあるが,ほとんどはA面,B面に2トラックで録音してある。音が左右どちらかにブレたり,こもったり,ボーカルが入っているものは録音したときのスタジオでのやりとりやミスが目立つ。

 インストの場合は特に,T3からMTRにラインを繋げて,パソコンに取り込めば,ノイズは大幅に減るのだけれど,どうも気が乗らない。

 佐藤亜紀の『天使』には,話の途中で数行,唐突に語り手の目が変わる場面がある。1人称に近いとはいえ3人称で書かれているから,語り手の目が変わっても読みづらくない筈なのに,その数行はまるで小説に差し込まれたノイズのようだ。

 意図的にノイズを差し込むなんて所作をする気はまったくないけれど,10数年たって,少しは色褪せた音源に手を加える楽しみもあるのだ。T3でデータを鳴らし始めると,完成していない数多の曲にケリをつけなければ,という妙な感興が起きてしまうので,なおさらやっかいなのだけれど。


04月18日(日) カラオケ  Status Weather晴れ

 職場でスカウトした女性ボーカリストの趣味は概ね50's。ファッションから音楽,映画など,後にサブカルチャーと呼ばれるものからマンガを除外したほとんどだ。まあ,マンガの50'sというと妙にショボく聞こえるから,しかたないけれど。

 読んでいないというので『東京ガールズブラボー』や『バイクメ~~~ン』『座敷女』などを貸した。一々,ひっかかるところが違うことには慣れていたものの,『バイクメ~~~ン』を読み,「ドトキンってカッコいいわよね」と言われたときは,正直,耳を疑った。そうか。50'sファンにとっては,ドトキンってカッコいいのだ。

 「ブレイク・アウェイ」は,こ奴に頼まれ作製したたカラオケの第一弾だ。はじめてだったので,原曲から近いところでピコらせた。テープを聞きながらKorgT3でデータの打ち込みをしていると,いろいろと勉強になった。曲の構成なんて,それまではまったく意識してなかったのだから。

 以前アップした「センチメンタル・ジャーニー」や「ヒートウエーブ」を含めると5,6曲のカラオケをつくった。カラオケが段々と原曲から離れていったことはいうまでもない。最後につくった曲は,タイトルを示さなければ,たぶん原曲は判らないと思う。一回だけ,スタジオでボーカル録音したとき,「このカラオケじゃ唄えないよな」と思ったが,後に昌己に聞かせたところ気に入られた。

 結局,学習したことが,それ以後のオリジナル曲づくりには,まったく反映されなかった。

 データ調整中


04月19日(月) 2小節  Status Weather曇りのち雨

 原曲に忠実に打ち込んだ「ブレイクアウェイ」には,2小節だけホールトーンを滑り込ませた。<
 以後の曲が原曲からはるか離れていったのは,そこそこ違和感なく収まったこの2小節があったからだと思う。

 たわいのないフレーズだけれども,なんだか忘れられない。


04月20日(火) カラオケ2  Status Weather晴れ

 「ウエルカム・トゥ・ザ・フロア」なんて聞いたことがなかった。テープを聞いても,バッキングはもこもこしているし,ノリはいいのだけれど,どこがどうなってこうなるのか,正直,理解できなかった。
 ということで,勝手にアレンジしてしまったのがこのテイク。ベースラインくらいは,原曲に近いのかも知れないが,もはや原曲の記憶はない。

データ調整中


04月21日(水) 新さん  Status Weather晴れ

 新潮文庫に泉昌之の『新さん』が入ったので買った。文庫書き下ろしを目当てだったのだが,どこに僥倖が潜んでいるかは判らない。

 まず,著者近影の泉晴紀(作画担当の方)の姿。近年,カラー写真のありがたさをこれほど感じたことはない。これだけで元はとったも同然だ。
 本編はさておき,川上弘美の解説がなんとも凄かった。小説を2,3作しか読んだことがないけれど,この小説家が,よもやこんな文章を書くとは思いもよらなかった。しりあがり寿ならまだしも,川上弘美に,いや女性に,これほど情けない,だけど気持ちはいたいほど伝わってくる男性の姿を描かれたら,爆笑したものの,しばらくは立ち直れないのではないか。
 これまでに読んだ文庫の解説のなかでもインパクトは一番かもしれない。

 扶桑社文庫で『かっこいいスキヤキ』(といっても『プロレスの鬼』とカップリングしたオリジナルとして読んだほうがいいと思うが),ちくま文庫で『ダンドリくん』(上)(下),ときて,新潮文庫で『新さん』。

 各文庫のカラーに,どうして,こうもピッタリはまってしまうのだろう。


04月22日(木) DOKAKA  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 ここしかありません。
  ↓
 http://www.dokaka.com/works.html

 何もここまで。
 笑いながら,でも,最後まで聞きました。 
 「fracture」のポルタメントは絶品です。印象的なフレーズの80%はフォローされていました。


04月23日(金) パラレル  Status Weather晴れ

 『ねじまき鳥クロニクル』を第3部まで読んだ。戦争にまつわるエピソードの物語りかたは,逢坂剛や笠井潔の小説を思い出した。

 で,村上春樹の作品を通して感じた,結局は矢作俊彦の小説の特異性。
 上下(優劣というといいすぎかもしれないが)ではなく,パラレルに登場人物の関係性が描かれる点は,どんな小説家にもまして大きな特徴だ。だから,モラルが移行していくようすが物語を突き動かす。たとえ現実には起こり得ないとしても,そうした関係性にたった物語を読む楽しみは,他の小説家の作品ではまったく叶わない。
 雑誌「文學界」の対談における,高橋源一郎の「大説」という指摘は,わが意を得たりというところだった。他はいろいろあるのだけれど。

 「世の中には悪者とかいい者なんていないんだよ。お伽の中にしかいないんだ。悪いこととか良いことなんてのもないんだ。あるのは悪いことをしようとすることと,良いことをしようとすることだけなんだ」
             (『スズキさんの休息と遍歴』p.43,新潮文庫)

 というのが,この小説家の基本スタンスだと,私は思う。これは韜晦ではない筈だ。

 ただの一度も悪人を描くことなく,あらゆる劣等感(といってしまうと少しズレるのだけど)にまつわる視線を物語に紛れ込ませない。

 「絶対的な悪」やら「闇」やらを描くことが,ある種のカタルシスを保証するかのような物語が蔓延るなかで,そうしたスタンスを保持していくことは,多くのやっかいさを抱え込まざるを得まい。

 『ねじまき鳥』を読んでいると,劣等感(しつこいようだけど旨いいいかたが思いつかない)と暴力が,それぞれの関係性に絡まっていくさまが,やけに目につく。世の中にいくらでも捨て置かれているような関係性を取り出してもなあ,と何だかため息が出てしまった。

 ダンスのように何者からも封じ込められないのは,矢作俊彦が描くような世界観だと思う。何だかP-MODELの話になってしまいそうだ。

 『ねじまき鳥』は十分面白いし,とくにフェティシズムと暴力の関係を考察するには,もってこいの小説だけれど。


04月24日(土) ブレる  Status Weather晴れ

 マッサージ機で背中を押されると,視野がブレるのだけれど,その見えかたは意外と新鮮には感じられない。


04月25日(日) made in  Status Weather晴れ

 同じ美術部に属しケイト・ブッシュ・ファンだった宇野は,いつの間にか鍼灸師の資格をとったのだという。高校があった町から遥かに離れた駅で会ったのは卒業してから数年後のことだった。

 ホームで共通の友人の消息を話し合っているうちに,
 「これから針,打ってやるよ。お前ん家,行こうぜ」
 急遽,借りていた部屋へ戻ることになった。

 玄関先に,茶色のコインローファーと黒のウイングチップが置きっぱなしなっているのを目にした途端,
 「シューキーパー使ってないのかよ」
 「なんだ,それ?」
 「履き終わったら,湿気取って,型くずれしないように嵌めておかなきゃ。いい靴は,手入れしていけば一生ものだぜ」
 説教臭い物言いは変わっていなかった。
 「一々,面倒くさいじゃないか」
 「慣れりゃ,大したことないって」

 そんなものだろうかと訝りながらも,翌日,近所のDIYショップで靴墨からシューキーパーまで一式を揃えた。 確かに靴は長持ちした。7,8年は快適に履けたのではないだろうか。ただ,忙しい時期が間欠的にやってくるようになると,最初に削るのは靴を磨く時間だった。一度,磨かなくなると,二度と磨く気は起こらない。そして,靴を履き潰すようになった。

 先日,履くとバランスがとれないくらいにすり減った靴で,雨の日に地下鉄の階段を降りていったところ,勢い良く滑り落ち,傘で胸を強打した。翌日,アストロ球団に招聘されたのではないかと思うくらい強烈な痣が浮き出てきた。

 靴を買おう。思い立って,向かった店先でやけに安い靴を目にした。made in Italyで3,000円? いや違う。Italian modeだ。
 でも,何なんだろうItalian modeって。

 もちろん宇野は針を打ってくれた。ただ,「こんなに針が通りづらい奴はじめてだよ」といわれるほどに,私の身体は固かったようだった。
 「これじゃ,気が抜けていかないぞ」
 判ったような判らないような話に終始した。そのときも同じことを思ったのだけれど,美術部時代,こ奴の作品の記憶が何一つ残っていないのは,どうしたことだろう。

 なお,これまでの日記の慣例にならえば,「宇野」は「宗佑」とでもなるところなのだけど,こればかりはあの元・総理の顔以外浮かばない。UNO→花田という連想もあったのだけれど。 


04月27日(火) 家族  Status Weather雨のち曇り

 『舵をとり 風上に向く者』に収められた短編「さめる熱,さめない夢」を読んだとき,10代のころ何冊か読んだだけの立原正秋の名を,もちろんどんな小説だったかはまったく記憶に残っていなかったが,思い出した。

 真っ正面から夫婦を描いて,違和感が尾をひくようすが,彼の小説家(立原)の作品に似ているように感じたのだ。当時,今後,この手の小説を書き続けると,かなり面白い世界が広がるだろうと想像して期待したのも事実だ。その後,同様のドキドキは,例の翻訳フランス小説の文体みたいな,現在形でグングン押していこうとした数作(『夏のエンジン』の一部と『犬には普通のこと』前半の文体)以外には感じなかった。

 思えば,『スズキさん』以前の矢作俊彦は,(特殊な?)姉弟関係以外,家族を取り上げたことはなかった。数日前書いたように,まあ,家族をあの視点で描くと,いろいろやっかいだからかもしれない。

 と読み返していたら,「スズキさん」の出だしは,「さめる熱」からひっぱってきたんだ。気づかなかった。

 が,その後,家族も例の関係性のなかで描く(描こうとする)ようになると,結果,虚構性(カッコ付き戦後民主主義?)が目につくようになったことは否めない。これは,山口泉の『神聖家族』を読んだときにも同じように感じたけれど。
 山口泉の『新しい中世がやってきた』巻末対談で,埴谷雄高は「社会をぶっつぶすのは百年単位だけれども,家族は今後五百年単位くらいはかかるかもしれない」といい,当時すでに『神聖家族』のひな形は完成していた。にしては,どうにも???

 翻って考えれば,これだけ家族をめぐる物語が闊歩するなかにあって,よくもまあ,小説世界のモラリストを次々と登場させることができたものだ。


04月28日(水) ビットレート  Status Weather晴れ

 HP用にMP3エンコディングビットレートを低めにしていたことを忘れ,56kbpsで筋肉少女帯の『エリーゼのために』を取り込んでしまった。これがなかなか快適な音で,昔,LPを安っぽいカセットにダビングしたときのようなレンジの狭さが心地よい。

 曲調はあれだから,AAC128kbpsあたりで取り込んだら,たぶん聞き通せなかったかもしれない。

 数年ぶりに聞き直して,やはり『戦え! 何を!? 人生を!』の間奏は木下恵介アワー(やたら暗いドラマばかり続いたシリーズ)のテーマ曲そのまんまだとか,『愛のリビドー』はクイーンファンが聞いたら怒るかもしれないが,やはり笑ってしまうのではないかとか,浮かぶのは10年以上前とまったく同じ。

 オロカメンがジャケットの『断罪!断罪!また断罪!』まで引っ張りだしてきてしまった。

 前にも書いたけど,P-MODELのライブと間違えて行った渋谷ライブインで,筋肉少女帯をはじめて聞いた。その頃は「いくじなし」に尽きるのだけど,しばらくして空手バカボンの「KEEP CHEAP TRICK」を聞き,なんて詩を書くのだろうと驚いた。
 『リンウッド・テラスの心霊フィルム』が出たときは,昌己も買って読んだようで,「サイコロ小僧」の「別にたいした事ないね」が,さまざまな話のオチに流用された。

 大槻ケンヂのエッセイや小説は読み続けているものの,特撮はほとんど聞いていない。しばらく前,高田馬場のコンビニでかかっていて,曲が終わるまで留まってしまった。

 ビットレートについては,改めて。


04月29日(木) 向こう岸の犬  Status Weather晴れ

 自分を公務員と勘違いしているにちがいないガードマンをやり過ごし,堤防代わりの勾配を上ると,殺伐とした川が流れている。駅前のささやかな賑わいは川向こうにある。出席だけをとると,われわれは午後の授業を抜け出した。

 このあたりで唯一,向こう岸へ渡る術,つまりは橋なのだが,これが車の通行を禁止せざるを得ないほど脆い。あるとき,この橋の上で,馬か牛か,はたまた豚か,とにかく人ではない生き物が流されて行くのを見たことがある。ひたすらに沈んだ空気がわれわれを取り囲んだ。
 「他に流れるものあるだろう,最低の町だな」
 引っ越して以来,何かとトラブル続きの徹がいう。

 橋を渡りきると,路上で,子どもの下着が風にひらひらとなびいている。夏はすぐそこまで近づいているというのに,われわれの気持ちは重かった。単に眠かっただけかもしれないが。

 交差点,というよりは道が交差するその先に一匹ののら犬がいた。昌己が口笛で呼ぶと,すぐにやってくる。と,裕一のようすがおかしい。
 「お前,犬,嫌いなのかよ」
 「ちょっと。いろいろあって」
 「咬まれたのか」
 「まあ,そんなとこだけど」

 あるとき妹と一緒に河原にいったところ,向こう岸にのら犬がいたのだそうだ。川幅は広く,深い。即座に河原の石を掴むと,のら犬めがけ投げつけた。意味などありはしなかった。こ奴の妙に即物的なところは変わっていないのだ。小さかったので,拾っては投げ,犬が避けたり逃げたりすると,また投げた。
 ひとつの石がどうやら効いたらしい。裕一は石を投げるのを止め,逃げて行く犬の行方を追った。
 犬をとらえたまま,目が川下に流れる。
 と,そこに見えたのは橋だ。目は橋を渡る犬の姿をとらえたままだ。
 やばい,こっちへくる!

 「いくらなんでも,気づくのが遅すぎはしないか」
 「ぼーっと,犬が橋を渡ってくるのを眺めてたのかよ」
 「ああ」

 妹は逃れたもの,裕一は犬に咬まれたそうだ。
 
 間抜けな話なのだけれど,橋を渡る犬を眺めている間(ま)が,いまだに忘れられない。


04月30日(金) 生産者  Status Weather晴れ

 頼まれてカボチャを買いに,スーパーマーケットへ。目障りな「私たちがつくりました」という写真付き生産者クレジットを横目に,手近なひとつをとって,レジを済ませた。

 ところが。家に戻り,冷蔵庫に入れようとしたろころ,値札の下にこんな表記がついているのを目にした。

 made in New Zealand

 あの写真に映っていた,農家の夫婦は日系移民だったのだろうか。



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