2004年7月

07月01日(木) ポカン野郎  Status Weather晴れ

 そのころ,マリリン・モンローよろしく「口の挑発的な半開き」に,恣意的な無防備さを忍ばせたグラビア写真が,そこかしこを席巻していた。誰が口にしたのか記憶にないが「かわいいな」の一言に,われわれは言葉尻をとりあげてバカにしたが,本心は同じように感じていたのではないだろうか。

 伸浩の,あだ名はスミス。読売巨人軍のバッターのことだ。もしくはサンチェ。こちらは押さえの投手。単位取得のためタダ働きさせられた自然の家ではシルベスタと呼ばれた。
 シルベスタ???
 ファミリーネームはもちろんスタローン。
 当時,伸浩はミッキーロークのような髪型をめざし,パーマした髪を伸ばしていた。あげくがシルベスタじゃ,なさけないったらありはしない。子どもから,そんなふうに呼ばれても陽気に応えていたのだから,まったく気はいいのだ。
 学祭のころにヒゲをたくわえはじめると,何だかミカバンドのアルバム『ホットメニュー』のジャケットに写る今井裕のようになってきた。
 
 誰が撮影したのか知らないスナップ写真が回覧されてきたのは,それからしばらく後のことだ。記憶にないのに,写真のなかでわれわれはポーズをとって写っていた。
 一枚だけ,伸浩一人で写っている写真があった。アロハに黄色い格子柄のジャケットをまとい,右斜め前を向いている。
 「なんで,口開けてんだよ」
 喬史が笑いながらいう。確かにポカンと口を開けている。
 「おいおい,かわいいな」
 確かにこれも,無防備に口をポカンと開けた顔には違いない。
 「やめろよ,まったく趣味が悪いぜ」
 「ポカン顔だ」
 「だから,もういいって」

 伸浩 ポカン顔 かわいい やめろよ

 その後,何回,このネタで笑ったことだろう。


07月15日(木) 還ってきた  Status Weather晴れ

 わがiMacは,ロジックボードとハードディスクを交換され還ってきた。
 ピックアップ&デリバリを使ったのだけど,無償期間中はあれほど高かったハードルが,今回は楽々クリア。初手からすんなり手続きできてしまった。昨年の電話での応対は,いったい何だったのだろう。
 ただ,受け取りにきた宅配業者には度肝を抜かれた。狭い家なんで,函なんてとっておけない。電話でもそう伝えたのに,梱包用具を何ひとつ持ってこないのだ。中国料理店のアルバイト並みに無愛想で,「わかりました」とネックもってドアを閉めやがった。
 よりによって,液晶iMacのネックもってぶら下げるなよな!
 いやはや。 


07月16日(金) 罪悪感  Status Weather晴れ

 「長いものには巻きつけ」は,矢作俊彦の『あ・じゃ・ぱん』に登場するフレーズだが,その昔,昌己の座右の銘は「長いものには巻かれる」だったと思う。何でも見習えばいいというわけじゃないが,大いに参考にさせてもらった。

 いくらそんなふうに身を処していても,年齢を重ねていけば,世の中,旨くいかないことしばしばだ。最近,居酒屋で飲みながら,お互いが抱えるいざこざに嘆息が続く。
 「単純に考えてとった行動に,なんでこんな罪悪感のような影を引きずるんだろうな?」
 「でもさ」
 昌己は,ゼミの助教授の話を持ち出す。
 「トランスパーソナル心理学でもなんでも,心理学と名がつく学問を専門にしてたのに,よくいってたじゃないか。“私,罪悪感って判らないのよね”ってさ」
 そうだった。あの助教授,罪悪感を感じたことがないどころか,その感覚が判らないと断言していたのだ。それは,学問するうえで,まったく支障ないものなのだろうか。


07月17日(土) 戸惑い  Status Weather晴れ

 最近の日記です。

 家内が友人と『ADOLPHE』(邦題『イザベル・アジャーニの惑い』)を観にいってきた。一言「暗かった」。
 買い求めてきたパンフレットを捲ると,なんだか文芸大作っぽい。

 家内とはじめて観た映画はイザベル・アジャーニが出演した『ブロンテ姉妹』だ。私は,そこから『アデルの恋の物語』へと遡り,出演したほとんどの映画を観た。何本かは家内も一緒だったのだけど,行くのはなぜか文芸大作ばかり。家内が面白かったといったのはサスペンスものの『悪魔のような女』だけだと思う。
 『アデル……』はさておき,『カミーユ・クローデル』や『王妃マルゴ』は,この人が主演していなければ観にはいかなかっただろう。『シラノ・ド・ベルジュラック』とは,だから観に行く動機が違うのだ。で,消化不良のまま,コメディタッチの軽めの映画を観直し,また,文芸大作が公開されると足を運んでしまう。

 「文芸大作だと,つらいな」と思っていると,パンフレットのなかで堀江敏幸が「(笑みを語らないことが)この映画を文芸映画の軛から救い出しているのだ」と評している。そんなものだろうか。

 ところで,『シラノ』を家内と観に行ったときのこと。しばらくCMが続くのだからと,私は客席の電気が落ちてすぐに化粧室へ立った。暗くなった場内で家内の姿を頼りに,手探りで探した席につくやいなや本編がはじまった。
 終盤近く,あちこちですすり泣きの声が聞こえる。タイトルバックが流れ,あたりが明るくなったので隣を見ると,そこに座っているのは家内ではなかった。さりげなくそのまま首をまわすと,当の本人は一列後にいるではないか。
 あのときの戸惑いは,忘れられない。


07月18日(日) コラムニスト  Status Weather晴れ

 いまだにサイト作成に関する,“いろは”さえも覚えられない。曲がりなりにも継続できているのは,私以外の,決して少なくはない方のサゼッションがあってのことだ。
 日記の更新に使わせていただいているソフト“Clover Diary”の作者seknさんやお仲間Brug43さんの紹介で,先日から“Columnist4”というhtml文書作成ソフトを利用している。
 これが実に便利で,この週末,サイトのいろいろに手を加えてみた。

 「矢作俊彦ランダムハウス」に掲載していた「神様の代理人」掲載時のインタビュー(1973)抜粋を,フルボリュームで再アップした。この小説家のまったく変わらない様子が伺い知れる貴重なインタビューであることが,何をおいてもアップするにいたった理由だ。これまでもアップしようと考えていたものの,常に,このような形で掲載してよいものか,しばし思慮し,結局,思いとどまっていた。
 
 もちろん,本記事の著作権は執筆者に帰するものである。その許諾をどのように伺えばよいか判らない。ただ,これによって利益を得ようとするものでないことだけは,ここに記しておきたい。


07月19日(月) EP  Status Weather晴れ

 弟が持っていたEPはそれほど多くないのに,なぜ,こんなものを? と首を傾げざるを得ないものが目についた。
 西川のりおの「MAIDO」,これはいい曲だった。一部では和製ブルース・スプリングスティーンなどと騒がれもした。
 コンセントピックス「顔」。サビの「顔が嫌い 顔が嫌い」の連呼は,倉多江美の単行本『顔が悪い』とはまったく関係ないが,自分の顔が映ってしまう銀色のジャケットは,なかなか趣味がよろしい。
 有頂天「心の旅」。弟にとっては,シド・ビシャスがカバーした「マイ・ウエイ」に似た解釈を感じたのかもしれない。バンシーズの「ヘルター・スケルター」とかね。
 シャネルズ「ランナウェイ」。
 トイ・ドールズ「メリーさんだ像」(だったろうか)。
 加藤和彦「絹のシャツを着た女」。私はこの曲を聞いて,どっぷり加藤和彦に嵌ってしまったのだ。弟の趣味に感化されたんじゃないか。

 CD時代になると,さすがについていけなくなってくる。たとえば,
 Army of Lovers“I AM”。
 確かにABBAは好きだったはずだけど,これは違うだろう。
 たぶん,音楽の趣味は全く変わっていないと思う。

 有頂天がアルバム「アイスル」を出した頃のライブで,キング・クリムゾンの“宮殿”をカバーしていたことを思い出した。歌詞はケラのオリジナルで,とにかくドラムが軽かった。


07月20日(火) 銭湯  Status Weather晴れ

 徹がカーリーだった髪型を,いきなり坊主頭にしたのは,自宅から引っ越して,しばらくしてのことだ。「バタアシ金魚」に,というより花井カヲルに感化されたのだろう。その姿は実にサッパリとしていた。
 
 奴が最初に借りた部屋には風呂はついていない。私たちがまだ,精神科のアルバイトにありついていないその時期,二人とも相応に貧しかった。

 秋の空よりも高い志を秘めて,喬史は翌日1限に出席するため,学校からほど近い徹の部屋に,しばしば泊まった。ただ,部屋の電気を消すと,どちらも相手を先に寝させないために,くだらない台詞を,ボソリと呟く。その,あまりのくだらない台詞の数々は未だに頭から離れないが,とにかく書き留めるのも憚られるようなものばかりだった。
 誰々を想定して,誰々に対して決して言いはしない台詞を,言いそうなシチュエーションをこしらえて呟くのだ。いったい,何を考えていたのだろう,こ奴らは。

 結局,二人とも寝すごし,1限には出席できない。遂に単位も落としたのではないだろうか。

 喬史がいつものように徹を訪ねると,ドアのカギはかかっていない。
 「よぉ,いるんか?」
 一歩部屋に入った喬史の目に飛び込んできたのは,流しで芝生のような短髪を洗う徹の姿だ。
 「何してんだよ」
 徹は一言「この前,風呂代があがったろ」

 そのころの暮らしがトラウマにでもなったのか,徹はやけに銭湯が好きだった。伸浩や昌己と泊まりがけで温泉にいくと,寝るまでに3,4回,翌朝からチェックアウトまでに2回くらいは平気で風呂に入った。いや,それで平気なわけはない。最後はふらふらしながら,何かに取り憑かれたかのように大浴場をめざしていた。

 懐具合と折り合いをつけて徹が風呂付きの部屋を借りたのは,かなり後になってからだった。部屋にもどると,まず風呂を沸かした。
 「いいぞ,いつでも風呂に入れてさ」
 
 その日,風呂を沸かしたまま,ついうとうとしたのが運のつきだ。目がさめると,やけにあたりがしっとりとしている。視界が湯気に遮られているのは眼鏡のせいだと思い,すぐに外したが,様子はまったく変わらない。部屋が雲のなかに突っ込んだような具合だった。
 「カラ焚きにならなかったのが幸いだな」
 そういう徹の部屋は,湿気を吸いまくって,どこにも腰がなくなっていた。日当たりのよくない,梅雨時のことだった。


07月21日(水) 感じ  Status Weather晴れ

 堀田善衞『インドで考えたこと』(岩波新書,1957)を読み直す。と,瑣末なことにばかり目がいってしまう。

 「ここで,私はギャフンとする」(p.22)
 というフレーズが飛び込んでくる。“ギャフン”って,(死語かもしれないけど),何もインドでギャフンとすることもないだろうに。
 
 「……はウンともスンとも応答がなかった。」(p.37)
 iMacがダウンしたとき,「はて,このウンとかスンというのは,いったい何をさすのだろう」と悩んだばかりだ。(そのときは,臼をバラしたのじゃないか,というあたりで納得したのだけど)カタカナ表記を改めてみると,何だか違うような気がしてきた。

 「われわれは,永遠といい,歴史というと,すっと一本筋の通ったものをイメージとしてもつ強い傾きがある」(p.43)
 プログレバンドのメンバーの出入りを目の当たりにしてきた私にとって,歴史が一本筋の通ったものにみえたことは,ただの一回もなかった。本家と元祖が争ったり,まあ,ろくなものではない。
 それにしても,ロックに歴史があるなんてねぇ。


07月22日(木) I'm Only Sleeping   Status Weather晴れ

 マッドネスのボーカリストSuggs(グラハム・マクファーソン)の1stアルバム“The Lone Ranger”(1995)。

 ザ・マッドネスが頓挫,その後,活動は思いっきり地味になり,デフ・スクールの再結成ライブアルバムでは,ゲストクレジットだけでお茶を濁していた。それが,マッドネス再結成ライブ「マッドストック」(1992)で堂々の復活を果たす。(このライブをおさめたビデオには,たとえばテリー・ギリアムの諸作や「サボテン・ブラザーズ」に共通する高揚感がある)
 ところが,マッドネスのニューアルバムはなかなか登場しない。そこに突然リリースされたのが本アルバム,いやがうえにも期待は高まった。

 ジャケットは,マルセル・デュシャンの「階段を降りる裸体」を安易に模したようなもので,マッドネス時代のユーモアセンスには及ばないけれど,悪くはない。

 1曲目はビートルズの“I'm Only Sleeping”。このテイクは,なぜか高橋幸宏が歌っているように聞こえてくるから不思議だ。スカパラと競演した『ウォーターメロン』あたりの感じに近い。後にリリースされたマッドネスのアルバム『ワンダフル』にアレンジを変えて収められた『4am』など,McPherson/Barsonのライティングチーム復活を,私は素直に喜んだ。

 ブラーやビューティフルサウスは聞かなくなったけど,マッドネスはいまだに手放せない。
 一度,「日本でいうとチェッカーズみたいなものね」と言われたことがある。殴ってやろうかと,すんでのところで思いとどまったのだけど,確かに,似てないこともないのだ。残念ながら。 


07月24日(土) Another Game  Status Weather晴れ

 TEXTに“Another Game”のアップを開始しました。
 この話,大いに問題を抱えたままなのですが,「コラムニスト」(とそのアイコン)に触発されて,といってもね。
 どこかで読んだような小説の枠組みを拝借しているので,まあ,クオリティは推して知るべし,です。

 「アマチュアなんだから自分で楽しんでしまえばいい」とは,25年近くにわたり,仕事の傍ら,アマチュアでフォークデュオを続けてこられた方に指摘されたひとこと。それは決して免罪符でなく,実に全うなスタンスなのだと,このごろになって判ってきました。

 少なくとも,このテキストに手を入れて,アップすることは楽しみのひとつになりそうです。


07月26日(月) 健康  Status Weather雨のち晴れ

 「NEWパンチザウルス」に,まついなつきだったと思うのだが,「物見遊山の日々」(これも記憶だけが頼り)という連載があった。

 タイトルそのまんまの,あちらこちらに出かけては,それをエッセイ風の漫画に仕立てる。後に「SPA!」で(今日まで)繰り返し流用されている企画の,オリジナルとまではいわないけれど,そのスタイルは,実のところ,この雑誌で確立されたように思う。

 同じころ,徹が通っていた会社の保養所に出かけたのがきっかけで,週末になると車で遠出しては,サウナを泊まり歩いた。千葉と八王子を車で行き来するうちに,あるとき,江戸川に「東京健康ランド」という名の健康ランド(以外,何と呼べばよいのだろう)がオープンしたことを知った。
 言い出したのは,たぶん徹だ。
 「今度,行ってみようぜ」

 何かにつけ腰が重いわれわれにしてはめずらしく,その月内の週末,東京健康ランドへ出かけた。オープンしたてだったので,週末だというのに客足はそれほどなく,それは満ち足りた週末を過ごした。“ミストバス”なんて字面だけで,当時の記憶がよみがえる。プルーストに比べ,われわれの記憶は,一事が万事,その程度のものだ。

 しばらく後,例の『物見遊山……』で東京健康ランドが取り上げられた。
 「何をいまごろ。遅い遅い」
 息巻いていたわれわれだったが,混浴でもないので,“OLに人気”と紹介されても,今ひとつピンとこなかった。
 「そんなものかな」
 「そういえば,ホールに若いおねえちゃん,いるな」
 「卓球やってる場合じゃないか」
 「でもさぁ,疲れちゃって」
 「確かに。家に着くと,ぐったりするな」

 さらに驚いたのが,入り口で渡されるコインロッカーのカギを,OLたちは足首に付けて入るのがオシャレ,との指摘。

 「今度やってみるか」
 「はずかしいからやめろよ」

 その後,どうしたわけか客の平均年齢がググっと上がった。
 ある満員で入れなかった日を契機に,以来,行っていない。


07月28日(水) フレット  Status Weather晴れ

 「……それにフレット(半音)のないリュート(一四-一七世紀に用いられたギターに似た弦楽器)に似たタムブーラなどを主要楽器として(後略)」

 堀田善衞の『インドで考えたこと』(p.88,岩波新書,1957)を捲っていると,相変わらずこんなところばかりに目がいく。

 こう言われると,“フレットレス”とは「半音がない」ことになるのだろうか。今まで,そんなふうに考えたことなかったので気になった。「半音がない」ということは「全音もない」のだけど,上の書き方だと,全音だけあるように読めなくもない。ああ鈍い。

 単純に,ミック・カーンのフレットレスベースに打ちのめされた経験をもつ身にしてみれば,フレットレスとは,際限ないポルタメントのようなもので,自由度の高い音の固まりという感じがする。(「カントン」「スイング」あたりのテイスト)アナログとディジタルの比較にたとえると,まあ安易すぎるとは思うが。
 それを「半音がない」とバッサリ切られてしまうと,まるで,梯子を外されたみたいだ。


07月29日(木) 師  Status Weather雨のち晴れ

 今日の日記です。

 「美術手帖」の特集は赤瀬川原平。椹木野衣によるインタビューをめくっていると,一番弟子の最新作について若干コメントしていた。
 赤瀬川原平の一番弟子とは,当然,矢作俊彦だ。その昔,FMよこはまの「アゲイン」で,南伸坊をゲストに呼んだ回は,実のところ,あの番組のなかでいちばん面白かった。
 ニューヨークにいたとき,篠原有司男に奢ってもらい,「浮浪者におごってもらった」と吹聴していたとか,荒川修作はつまらないと書いた南伸坊を快哉した話は,思い返すと時代を偲ばせる。それから10数年。よもや「天命反天地」を長嶋茂雄のいるグラウンドにたとえることになるとは思ってもいなかったろうに。

 ところで,もうひとりの師,村上一郎については,いまだ口を閉ざしたままなのはなぜだろう。


07月31日(土) プロ  Status Weather晴れ

 派遣社員の方と一緒に仕事をすることがある。

 ある日,14時30分少し過ぎのこと。
 その派遣社員の方(いいづらい表現だけど)に電話がかかってきた。傍目にも電話口であわてているようすが手に取るように伝わってくる。電話を切るや私の席へやってきた。いわく,お子さんが学校で怪我(のような事態)したので,親御さんにきていただきたいという内容だったそうだ。
 「早退させていただきたいのですが」
 もちろん了解した。会社から地元まで距離はあるだろうけれど,一刻も早く行ってあげてほしい。いらぬおせっかいとは思いながらも,他人事ではなかったのだ。

 ところが。派遣社員の方は席につくや,妙に悠長な素振り,飛び出していくようすはない。これは理解しがたかった。
 しばらく後,タイムカード代わりの用紙をもって再び私の席へとやってきた。退社時間14:45。私はサインをすると,ため息をついた。

 もちろん,派遣社員の方が15分をひとつの単位とした時給で働いてもらっていることは重々承知している。だから,このときの態度は,派遣社員としては“プロ”のそのものだろう。
 ただ,語弊があることを承知でいうならば,そのとき,人と一緒に働いている感じがしなかった。甘いといわれれば,それまでなのだけれど。



「日記」へもどる