2004年8月
08月01日(日) 魂 |
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Cola-Lで(繰り返すようだが,このバンド名で活動したことは一度きり。昌己にしても誰にしてもバンド名を口にして話すことはしなかったのだが)スタジオに入る。2時間借りた場合,各自,楽器のセッティングに15分程度。マイクとミキサーのバランスチェックを合わせると20分近くかかることもあった。 1時間半過ぎたころから,その日,練習した曲を録音する。毎回,46分テープの片面くらいが記録されていくことになる。片付けは,ミキサー,モニタのスウィッチを切って,それからはシールドを丸め,一気にバッグのなかに放り込む。 そのまま近くの中華料理店で飯を食うこともあれば,一度,私が借りていたアパートに戻り,テープを聞き返してから食事へいくことも多かった。 テープを再生していると,「おー,魂入っているな,これ」「こんなことしてたっけ?」「何で,打ち合わせもしてないのにきれいに終わるんだよ」,記していて恥ずかしくなってくるけれど,自画自賛もいいところだった。 ただ,いつもテクニックの話はひとことも出ないで(そこに目をやってしまうと,このバンドは続けられないし),音にいかに魂が込められているか,そこだけをチェックしていたように思う。 「ところで,何が魂だったのだろうか」と思い返したのは,大槻ケンヂの『ロッキン・ホース・バレリーナ』を読み終えたからだ。 この小説の設定は,ほぼ現在。3ピースバンドのメンバーとマネージャー,ツアーバンになだれ込んだゴスロリ少女それぞれの物語が,ロードムービーさながらに進んで行く。作者がマネージャー(38歳の元バンドマンで多額の借金を抱えている)を通して語りたかった(であろう)メッセージはほぼラストで次のような台詞となって表れる。 「音楽は,ロックは人間を勝ちと負けに振り分けるための道具ではない。(中略)音楽の目的は音楽そのものなんだ。(中略)満腹の胃にデコレーションケーキを詰めこんで口内炎を作るような人間のつまらない経済競争に,ロックまで巻き込むのはやめようよ!(中略)神様にロックンロールっていうやっかいで大事なもんを与えられちまったんだから,頑張るしかないじゃない(後略)」 グッとくるのだけれど,いまひとつ乗り切れないのは,ここでたとえとして挙げられているロックミュージシャンが,ジム・モリソンやジミ・ヘンドリックス。38歳だからキッスでロックに目覚めたというのは判るのだけれど,ロックの神様が,結局,そこに落ち着くのか,とさみしくなったからだ。 これでは『ハイ・フィデリティ』『バイクメ~~~ン』『アイデン&ティティ』と変わりはしないのではないだろうか。 38歳の元バンドマンのロックの神様が,それじゃ,さ。“死んだ人間が残したもの”なら,たとえばイアン・カーティスだっているだろうに。 われわれが魂と呼んでいたものは,ドアーズや(矢作俊彦がウィンドウズをしゃれてドアーズというOSを漫画に登場させたのは笑ったけど),ジミ・ヘンとは違う何か,それはテクノロジーにあっけなく絡めとられてしまうような脆さをもった何か,だったように思う。 |
08月02日(月) 魂2 |
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「気が付けばヒップホップに出し抜かれて今や前時代の遺物じゃない」(大槻ケンヂ『ロッキン・ホース・バレリーナ』p.297) あぶらだこのライブ。1989年の渋谷クアトロと,1995年(?)新宿リキッドルーム。いつもこの2本のライブを比べては,ロックの魂の脆さを実感する。89年のライブはテクノロジーを押さえ込んだバンドとして,95年は押さえ込まれたバンドとして。 89年のライブでは『亀盤』の曲以外は「四部屋」を演奏したのみ。それでもスタートからオーラスの「焦げた雲」まで,ポゴダンスしたわけでもないのに,手のひらは汗ばみ,ライブ終了後はぐったりとしてしまった。95年は,『月盤』の曲+「パラノイア」「祝言」「米ニスト」などなど,大盛り上がりの選曲なはずなのに,最後まで不燃感だけが残った。 それはライブハウスの違いというよりは,PAの,つまりはライブハウスで鳴る音の違いなのではなかったかと思う。音とフロアが繋がらない鳴らせ方が,いつの間にかライブハウスを覆い尽くしてしまった。個々の楽器のメリハリはあるのに迫ってこない。よそよそしい音がひらすら騒々しく鳴り続ける。そのシステムに多くのバンドが飲み込まれてしまう。 そしてそれは誰に押し付けられた音でもないはずだから,どうにも居場所がなくなってくる。 さらに言うなら,コミュニケーションの幻想としてロックにすがるようなパーソナリティ自体,過去のものになってしまったのだからしかたない,と。 “I Wanna Hold Your Hand”というシャウトが,どの国のファンにとっても「抱きしめたい」と聞こえるような場所が,どこにもないのだから,と,ビートルズを例に出してしまっては,昨日の話と違ってしまうので,もとい。 P-MODELが“Perspective”で Cosmosは高さに宿り 消えぬ想い歩幅が囲む 言葉なくては見えないこの身よ果てろ 流れるTIME 流れるTIME 流れるTIME 流れるTIME と4回も繰り返した脆い場所が,ここにはないのだから,と。 |
08月03日(火) 人選と過大な自信 |
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仕事中だというのに机に輪ゴムが飛んでくる。顔を上げると付戔を丸めた玉が顔に当たった。向かいにすわるバスルームシンガーの仕業だ。中学生じゃあるまいし,なめられているのだろうか。 粗雑な玉をひらくと「昼おごるから,相談にのって」。バンドへ本式に加わりたいのかもしれない。われわれの音楽は,なんだかんだいってもインパクトあるからな。 昼に外へ出て行くと,広告のようなものをぺらぺら振るようすは,同僚,もしくはバンドメンバーに対する尊敬の念も何もあったものじゃない。ついて行く私も私だが。 「ケンタの割引券あるから,これ使ってね」 「割引券ってさ,それに“おごる”ってルビふって使うものかよ,だいたい」 「この前の朝,改札出たとこで配ってたの。期限切れ近いし」 こんな誘いに乗って,肉が苦手だった私は,正真正銘はじめてケンタッキーフライドチキンに入った。 「で,バンド入りたいのかね」 「えっ,……ああ,あれ」 お互いに沈黙。 バンドのことを,“あれ”っていうことないじゃないか。この女が言うことは,ことごとく,人が大切に育てている花壇を土足で踏みにじる。さすがにその頃は慣れてしまい「いやはや」で済ませていたのだけれど。 「男ってさあ,絶対,自分に好みの女の子だってヒトが現れても,つき合っている子がいたら,別れないもの?」 ????????? これは人選ミスだ。 その手の話は,まったく苦手なのだ。そんなこといわれてもなぁ。はじめて食べるケンタのハンバーガーみたいなものを手に,思わず固まってしまったのはいうまでもない。 「……はあ」 「はあ,じゃなくてさぁ,どうなのよ」 「もしかしてさ,その“自分の好みの女の子”って自分のことなのかね?」 「そんなこといいからさ」 まちがいない。自分のことだ。でも,何なのだろう,この過大な自信は。目が回りそうだった。(つづく) |
08月04日(水) 座布団 |
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「まあ,詳しいことは話さなくていいから」 「どうしてよ。聞かなくてもわかるわけ!」 高圧的なバスルームシンガーの語尾上がりに,クエッションマークは付けかねる。あげく,勝手に色恋のストーリーを押し付けてくる。話半分に聞き流しながら,頭のなかは「さて,どうしたものだろう」。 少し前なら,ロバート・フリップの戯れ言を引用して煙にまくこともできたのだが,当時,クリムゾンは解散しており,音楽雑誌にインタビューが載ることはほとんどなかった。咄嗟に出てきたのは10年くらい前,ジョー・ストラマーとの対談で言った「アバはすばらしい」だった。 色恋沙汰にアバを持ち出すと,なんだかややこしくなりそうなことくらい,いくらなんでも判った。 残る手持ちの駒はP-MODELしかない。あまりに少なすぎるけど。 「で,今,彼とお付き合いしている彼女が泣いたというのだね」 「そう言ったじゃない,聞いてんの,まったくさ。人が少ない小遣いから奢ってるっていうのに」 だから……いやよそう。割引券わたされて,残りは私が自分で払ったことなどに,考え及ばすつもりがこれっぽちもないことは自明の理だ。 「つまりポプリだな,それは」 「何でよ」 「ポプリというのは屍のことなんだ。彼女の泣き声はポプリの香りさ」 平沢進の受け売りとも知らぬバスルームシンガーは,ニヤリとしながら「うまいこと言うじゃない」。北方謙三か,お前は。 「だから,その恋か何か知らないものは,すでに終わっているんだ」 やけにうれしそうな顔を目の前に,詐欺師のような物言いが,通用してしまうことに驚いた。 ただ,こんな具合に旨く丸め込めたのは,このときだけだ。この女のまわりに錯綜する人間関係は到底,理解できるものではなかった。アバをたとえに諭した方が,実は正解だったのかもしれない。 |
08月06日(金) 魅惑の’80シート |
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『ロッキン・ホース・バレリーナ』が呼び覚ました記憶は,ここまで。 38歳マネージャーが運転するバンの助手席は「魅惑の'80シート」と名付けられている。 物語中,このシートで流れる曲は, ワム!「ケアレス・ウィスパー」 ホール&オーツ「プライベート・アイズ」 ピンク・フロイド「アナザ・ブリック・イン・ザ・ウォールPART2」 YES「ロンリー・ハート」 クイーン「地獄へ道づれ」 マンハッタン・トランスファー「トワイライト・ゾーン」 アーハ「テイク・オン・ミー」 ストロベリー・スィッチ・ブレード「(タイトルなし)」 ナック「マイ・シャローナ」 ABC「ルック・オブ・ラブ」 チープ・トリック「サレンダー」 で,KISS「God gaverock'n roll to you」 オルタード・イメージズの“BITE”が復刻されていたことを,つい最近知った。ドラマーとギタリストの脱退劇後に発表されたアルバムだけど,このバンドの要はベーシストだから,まったく影響はなかった。半数の曲をトニー・ビスコンティがプロデュースしていて,この頃,彼がかかわったアルバムは70年代のものに勝るとも劣らない傑作ばかり。といっても,デイヴィッド・ボウイの『スケアリー・モンスターズ』を軽くしたかのようなザイン・グリフの『灰とダイアモンド』くらいしか覚えていないが。 1曲目の“Bring Me Closer”から今聞いても格好いい曲が続く。A面1曲目とラスト,B面の最後をしっかりまとめる構成はロキシー・ミュージックのアルバムみたいだった。 このまま,あと1枚アルバムをつくっていたら,もう少しその後の評価は変わっていたかもしれない。 まあ,“A Days Wait”をバンシーズのスティーブ・セブリンにプロデュースされるなんて無謀なところからスタートしたバンドだから,アルバム3枚であっさり解散というのも,らしいといえなくない。 学祭のとき,私は“A Days Wait”をカバーしようと提案したのだけれど,あっけなく却下された。でバウハウスの「テラー・カップル・キル・コロネル 」,ジョイ・ディビジョンの「インサイト」,ロバート・フリップの「アンダー・ヘビー・マナーズ」になったのは以前記した通り。パワーステーションの「サムライク・イット・ホット」なんて無謀な意見も出たのだけど。 |
08月07日(土) Futari |
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ここのところ,最近の話,続き。 何の予備知識もなしに借りたSunaga't Experience“Double Standard”。はじめは“聞きやすいサントラみたいだな”くらいの感じで流していたのだが,ここのところ病み付きになってしまった。 家内は山下達郎の曲が好きで,数枚のCDをもっているのだが,私は特に興味なく,もちろん曲のタイトルさえ知らない。だから,このアルバムに入っている“Futari”という曲が山下達郎のカバーだとはまったく知らなかった。 この曲,最初は,生な材料をそのまま示すことで,強烈に印象づける手法が鼻についたのだ。それは,はじめてオリーブオイルを舐めたとき,纏わりついて離れなかった,嗅覚の記憶のようだった。ヴォーカルをとっているのは仲田まさえ。“沖縄民謡を歌う遊佐未森”という表現が適当か判らないが,そんなふうに聞こえて,気恥ずかしくなってくる節回しが終始する。歌詞が“僕”の一人称で歌われているのが,そう感じた一因かもしれないけれど。ところが,何回か聞いているうちに,まったく気にならなくなってくるのも,まさにオリーブオイルに同じ。 出だしからスネアの音は,トークトークのラストアルバム“Laughing Stock”(?)のような響きだし,オーケストレーションはこれでもかと盛り上げる。ベースはやたらと格好いい。バラッドで3拍子というのも新鮮。 作詩は吉田美奈子だそうだけれど,一歩間違えば“いいひとポップス”じゃないか。それも決して悪くないから困ってしまうのだ。 |
08月08日(日) 窓 |
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母親が裁縫した半ズボンは,いつの間にかホックが甘くなる。特異な身体的特徴を有していたわけではないのにホックが弾け,“社会の窓”全開で飛び跳ねていた。でも,なぜチャックを付けず,ホックで留めるなんて等閑なことをしたのだろう。もちろん,ホックのついた半ズボンの時代はほんの一時だったのだけれど。 最近,駅やビルのトイレに入ると,ズボンを降ろして用をたす男が多いことに唖然とする。つまり,チャックを開くのではなく,ベルトと前ボタンを外してパンツを下げてするのだ。腹とのバランスが悪いのかどうか知らない。そのほうが楽だといわれれば頷きもする。 括約筋が旨く収縮しないため,最後まで出し終えられず,失禁してしまう危険をはらんでいるため,可及的措置としてズボンを降ろしてせざるを得ないというのは中高年に多いのかもしれない。当人にとっては深刻な問題に違いない。 いっそのこと,社会の窓なしで,着脱しやすいトラウザーズなんてものをデザインしたほうが理にかなっている。もしかして,すでに販売されているのだろうか?? いまのところ見たことないけど。 |
08月09日(月) ベガス |
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テリー・ホールとデイブ・スチュワートによるユニット「ヴェガス」は短命に終わった。後にテリー・ホールのベスト盤に数曲入っていたけれど,いまひとつ曲が地味だったのはどこに原因があるのだろう。テリー・ホールがデイブ・スチュワートのアレンジでプレスリーのカバーを歌うなんて企画もののほうが面白かったかもしれない。 ニコラス・ケイジ主演の『ハネムーン・イン・ベガス』はまさに,そんな感じの映画だった。私はこの作品で,ニコラス・ケイジといえばプレスリー,と刷り込まれたようなもの。『ワイルド・アット・ハート』も,笑えるならば,この作品と同類なのだけど。アメリカ人にとってもエルビス・プレスリーの奇矯さ加減はギャグのネタなのだと,それはちょっとしたカルチャーショックだった。 プレスリーといえばもう一方の雄は,ビージーフォー。ニコラス・ケイジと競演の映画なんて企画を考えただけでも笑いがこみ上げてくる。無理は承知だけれど。 最近,この作品のようなドタバタコメディ映画を観ることがなくなった,というかこの手の映画がなくなったのは,とてもさびしい。 |
08月12日(木) 外資 |
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仕事勤めをするようになって何度目かの7月の終わり。週末,夜を徹してのだらしないドライブの車中,誰ともなく切り出した。 「夏休み,いつからだよ」 「15日を挟んで,前後併せて3日だ」 「同じか。これっぽちじゃ,ありがたくもないな」 「予定あるのかよ」 「ない」 「ねぇよな」 「ないない」 3人で言葉をまわしているのに,徹は加わらない。 「お前のところは?」 「うち,外資だから,お盆だとか正月だとかの休みないんだ」 「ほんとかよ,それはそれでつらいな」 「外資だからな,しかたないや」 「外資じゃ,しかたないか」 それで納得する徹も間抜けなら,こっちもこっちだ。欧米で,夏の間,汗拭き拭き仕事している姿なんて見たことがない。第一,町中,観光客しかいないじゃないか。もちろん,徹はサービス業に勤しんでいたわけでもない。 あ奴,本当に「外資だから」という理由で,夏休みがとれないことに納得したのだろうか。納得していたようなのだ。その年の年末にも,まったく同じやりとりをした記憶があるのだから。 |
08月13日(金) 袋 |
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(レピッシュの)『恭一&現の時事放談』(宝島社)は今,手元にないが,忘れられない対談集の一冊。覚えているのはラーメン=ドラッグ説だとか,子どものころ,あまりに王選手が打ちまくるので,阪神ファンとしてがまんできず,暗殺を企てた話だとか,どうでもいい話ばかりなのだけれど。 なかに,結婚式のスピーチの話がある。 どちらかは(もしくはバンドメンバーが)誰だかに頼まれて(このあたりはいい加減な記憶),散々考えた末,“3つの袋”の話をすることに決めたそうだ。ただ,スピーチでホロっとさせようなどとは,これっぽっちも思いはしない。おのずとオチは下ネタになろうことは皆,だいたい想像がつく。 当日。スピーチにたった彼(誰だ?)は,用意した“3つの袋”のうち,給料袋,堪忍袋までユーモアを交えながら,すすめ終えた。 ところが,くさってもミュージシャン。場内の空気を読むには長けている。親戚縁者は“おふくろ”の4文字が彼の口から出るのを今や遅しと待ち構えているさまはありありだ。なかにはハンカチまで用意している者もいる。一方,友人たちは“金○袋”と,下ネタをかまし,失笑を買うことを疑いもしていないようす。 「3つ目は……」 瞬間,彼は固まった。言葉につまり,咄嗟に出たのが, 「夜のふくろう」 ??? 出席者のいずれも,予想を覆す彼のスピーチに,瞬間,わが耳を疑った。数秒後,友人たちの気の抜けた笑い声があたりを包みこんだ。 「アール・ヴィヴァン」の福袋の話のまくらにしようと思ったのだけど,これじゃ,まくらになりはしない。 咄嗟に「夜のふくろう」が出るセンスは,ちょっといい。 |
08月16日(月) 声 |
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学祭ライブで流すビデオの素材を撮るため,徹がビデオカメラをもってきた。殺伐とした校内をおさめるものの,どうにもさまにならないという。 もちろん,YMCAの遠足みたいに徹と囲んであちこち動き回っていたわけではないので,その日の夕方,図書館へとつながる道に,いつの間にか喬史,伸浩,昌己,裕一,和之,つまりはいつもの面子が揃ってしまったのは偶然にすぎない。 徹はカメラを固定して,フレームを横切る学生には関心の素振りもみせなかった。しばらく回しては止め,また回す。その様子を徹の後ろから眺めていたが,落ち着きのない奴ばかりだから,そのうち茶々が入る。 「少しは動かせよ」 「これでいいんだよ」 「長回しかよ」 「いいからだまってろよ」 確かにそれは,相米の映画みたいに見えた。 「相米だ,相米だな,まったく」 私は呟いた,だけだと思っていた。 そのまま徹の部屋へ行き,撮ったビデオをチェックする。といきなり「少しは動かせよ」と声が響いた。徹の奴,マイク入れっぱなしでカメラを回していたのだ。そのうち,私の「相米だ」が聞こえてきた。 が,その声はその後,テープが回っている間中,絶え間なく聞こえていた。 「なんだか青空球児好児みたいな発音だな」 「そういえば似てる。“そりゃないぜアニキ?”っていいかただろう」 「そうそう,ハハハ,似てらあ」 「うるせぇな。俺,こんなにしゃべってたかよ」 「印象にないけど,ほとんどお前の声だぜ」 印象に残らないくせに,ひたすらしゃべりまくるなんて不毛なことを,よくしていたものだ。あ奴らといると声が嗄れたのは,そんなところに原因があったのだろう。ときどき嘘偽りなく酸欠になったもの。 |
08月17日(火) スナック |
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弟が小学生の頃,建設現場の隅をありあわせの角材で囲み秘密基地と称して友だちと遊んでいた。私にも同じような経験はある。ただ,コンプレックスを後生大事に抱えることが多い弟にとって,自称,秘密基地という響きは忘れられない記憶とともにあり,いまだにフラッシュバックを起こすようだ。 ある日のこと。 学校からの帰り道,いつもの秘密基地に集合することになった。ただ,いつもと違ったのは各人おやつを持ち寄って,そこで食べようというアイディアだ。三々五々家へ戻った友だちは皆,何をもってこようかとわくわくしたようすだったという。 弟は靴を脱ぐやいなや,台所にいた母親に「秘密基地にもっていくことになったから,おやつくれよ」。ちょっとまっといで,といったかどうかは定かでないが,母親は台所へいくと「じゃあ,これもっていきなさい」。 「そんなのじゃだめだよ」 「どうして,おやつじゃないの」 「そういうおやつじゃないんだって」 「これ,おやつでしょうが。紙袋に入れてあげるから,みんなで食べなさいよ」 袋には,まるごとのリンゴが2つ。 しょうがなく,弟はそれをもって秘密基地へと向かったようだ。 帰ってきた弟に母親は追い打ちかけるように「皆,よろこんでたでしょう」 「誰も食べるもんか! 笑われたじゃないかよ! みんなお菓子もってきてたのに」 後から聞いた話では,実はそのリンゴ,袋から出しもしなかったそうだ。(つづく) |
08月19日(木) ドライ |
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ウィルキンスンのジンジャエールにドライが登場したとき,あれよりドライなんて,いったいどんな味なのだろうかと期待をした。ところが。 豪華な店の作りにかけたコストを,確実に一品一品に上乗せした,やたら値の張る居酒屋でのこと。品書きを見ると,ドライが付いたものと付いていないものいずれのジンジャエールもが置いてあった。店の好き嫌いはさておき,こんなこと,滅多にあることではない。ここぞとばかりに,両方を注文した。 その結果,ドライと冠したものは,ドライが登場するまえのあの味。では,ドライが付いていないものはというと,およそウィルキンスンのジンジャエールの味とは思えない。カナダドライやら何やら,数多ある甘ったるいジンジャエールだ。 なぜ,こんな無駄な飲み物を売り出したのだろう。真意がはかりかねる。 |
08月20日(金) スナック2 |
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そんなこんなで,スナック菓子を食する習慣を子どものころに習得しなかった私にとって,学生時代,徹の食生活はまさしくカルチャーショックだった。カントリーマームだとかチョコパイだとか,何が旨くて何が今イチなのか,奴なりの判断基準を教示されたとき,ばかにするよりも素直に聞いてしまったのは,まさにそれが新奇なものであったからに他ならない。 ときに,あまりに大きなカルチャーショックには,爆笑以外の反応が起きることがなくなってしまう。 奴が大学のある町に越してきて,初めての冬を迎えようとする晩秋のことだ。学校帰り,徹のアパートへいくと,玄関のドアに不在通知が差し込まれていた。郵便局へ連絡をしてしばらく後,ドアをノックする音がした。 その異様な荷物を見たときの光景は,いまだに忘れられない。不法投棄された冬物衣類の束をそのまま送ってきたかのような畳半畳ほどある四角な物体だった。それは毛布に包まれており,荷造り用の紐で適当に梱包されただけ。郵便局も,よく,こんなものの配達を引き受けたものだ。 徹はそれを抱え込み,部屋の中央に置く。 「……なんだ?」 「親から聞いてはいたんだけど,まさかこんなものだとはな」 妙に感慨深げだ。 毛布の包みをほどくと,中には脚をはめたままの電気炬燵があった。部屋で使っていたままの炬燵を,手頃な毛布でくるんで郵便局へもっていったにちがいない。その生々しさを温もりというのか痕跡というのかは定かじゃないけど,やけに所帯じみた贈り物だった。 毛布を取り除くと,いくつも箱が崩れ落ちる音がした。炬燵の内側にぎっしりと菓子とコンビーフ缶がつめられていたのだ。固定していた毛布がなくなったため,それらが炬燵からこぼれ落ちたわけだ。 「す,すごいな,この菓子の数」 といいながら,思わず吹き出してしまった。 「カントリーマームか。旨いんだ,これが。お,このコンビーフは馬じゃない,牛のだぜ。おお,コンビーフサンド食っていけよ」 コンビーフにマヨネーズ,マスタードを,魯山人の納豆のようにかき混ぜんて,食パンに挟んだだけの,生活習慣病だったら即死しかねない,コンビーフサンドを目の前に,こ奴の食生活だけは見習うまいと思った。 |
08月21日(土) 質 |
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ロックを話題に飲んでいると,「ファンだった」と言い出しかねるバンド名が,勢いにまかせて出てくる。それはEW&Fだったりゴダイゴだったり。初期YMOも,ある時期,同じようなポジションに置かれていたのではないかと思う。 リアルタイムで聞いていたはずなのに,初期YMOの曲に関する記憶のはじめは,裕一のバンドがそれらをコピー演奏したときのことだ。テープにクリック音をガイド代わりに差し込み,ドラムとキーボードだけで演奏されたのだけれど,原曲のフュージョン風なにおいがスッカリ消えていた。裕一がストイックにドラムを叩く姿も覚えているのだから。 1980年前後,北山修がビートルズの音楽について,たとえそれがポータブルラジオから流れてこようが,高級AVシステムから聞こえようが,リスナーに与える“質”に変わりないとすることで,当時のミキシングを重視する風潮に異議を唱えていた。 キングクリムゾンの『アースバウンド』が,仮にマルチトラックで録音されていたとしても,あれ以上の迫力を期待できたのだろうか,という例を出してしまうと,かなり極端だけれど,この北山説に,かなり賛成なのだ。 |
08月22日(日) 発明 |
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どの町で入ったのか記憶にはないが,ラーメン店であったことだけはまちがいない。食事を終え,口元を拭おうと備え付けのティッシュを探した。カウンターにそれらしいものは置かれていなかった。と,並びの客の手がテーブルをまさぐると,手のなかにティッシュが現れた。 まさか,これは。 昭和60年代の後半,ライブ会場で平沢進のカセット付きインタビュー集が発売された。カセットには『魂のふる里』のオリジナルバージョンと他,健康ランドのBGMみたいな曲が(穴埋めに)収録されていたのだけれど,音楽よりもインタビューがとても面白い。 そこには生い立ちからP-MODELのヒストリーまでが語られていて,デビュー後,『ポプリ』でメジャーシーンから離脱した当時(81~82年くらい)のエピソードはなかなか凄まじい。食えなくて,ゴマとキナコで文字通り糊口を凌いだ(といっていいのか判らない)とか,身近な発明で特許をとるべくアイディアを練っていたとか,そこに漂う生活感はとても身近に感じた。 発明の例として登場するのが,ティッシュのケースをひっくり返してテーブルの下に付けるための道具だ。確かに使い勝手よさそうだ。ある発明家(だったと思うのだけど)に,それをもって相談にいったところ,目のつけどころがいいと,いくつか企業を紹介されたという。 そのラーメン店で,テーブルに下に据え付けられたティッシュは,別段道具など必要とせずに,ただ,太めのゴムテープで一息に括り付けられていただけだった。それで十分事足りていた。そんなものだろう。 小学生のとき,はじめて入った発明クラブ(ちなみに翌年は手品クラブ)で,水拭きと油拭き用の雑巾を一枚にできまいかと,四苦八苦した貧乏臭い問題意識がよみがえってきた。2枚別々に使えばいいことなんだから,1枚にする必要はまったくなかったのだ。 |
08月24日(火) バランス |
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『神風 KAMIKAZE』(石丸元章,文春文庫)を読んでいると,2人の英語教師のことを思い出した。 ひとりは当時50歳を超えた男性。ごま塩頭にやたらと血色のいい顔,いつも草臥れた駱駝色のジャケットをまとっていた。通称“耳毛”。中学2年のとき,われわれのクラスの英語の受け持ちだった。最初の授業のとき,やけにていねいな言葉遣いだったことだけは覚えている。当然,一気になめてかかるクラスメート。ところが,何度目かの授業から突然,口調が変わった。 「LL作戦はじめ!」 一事が万事,軍隊を模しはじめた。 「はい伍長!」 何度目かの再放送で「コンバット」が流行っていたころだったので,ノリのいい奴がすかさず間の手を入れる。いつの間にか,英語の時間は,体験したことのない軍事訓練の様を呈してきた。授業開始には「敬礼!」。で「グッドモーニング」とくるのだけど,それって敵性なんとかじゃないのだろうか。宿題は,○○作戦と称される。駱駝色のジャケットも軍服に見えてくるから不思議だ。 おかげで,われわれの英語力はまったく乏しいものになった。 同じ年,もう一人の英語教師がわれわれを受け持った。彼女は化粧っ気のない地味なようす。ところが,この教師,教科書をまったく使わない。 もちろん日教組だ。 軍服耳毛と日教組に同時期に教えられるなんて,ゲシュタルト崩壊もいいところじゃないか。英語そのもの以外では,なかなかスリリングな一年だった。授業自体は日教組のほうが遥かに面白かったけど。 で,『神風KAMIKAZE』を読み終えると,ところがそんな記憶は吹っ飛んだ。これは凄いな。さて,どこが。 |
08月25日(水) ボサノバ |
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ボサノバの演奏からフルートやヴァイオリンの音色が聞こえてくると,ひたすらに出会わせたことのない懐かしさを感じる。それは,ヴァーチャルリアリティなんてまったく形無しのリアリティだ。 |
08月26日(木) ダウナー |
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「最近,酒を飲みすぎた翌日,身体より気分のダメージが大きいんだ」 「よく判るな,それ」 「以前はさ,そんなことなかったのに」 「やたらとネガティブになって殺伐としてくるんだろ」 「そう。午前中なんて,他人と話する気分じゃないな」 これもまた,最近,昌己と意見の一致をみたこと。 |
08月27日(金) 見ながら読む |
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永井荷風の『ふらんす物語』を捲っていると,サーカスのくだりが出てきてた。以前,読んだときの記憶が残っているはずもなく,はじめて目にしたのと同じように文字を追う。読書にコストパフォーマンスを求められたなら,私のそれは,およそゼロに等しい。 ふと,一冊の写真集を思い出し,書棚から取り出した。Bovis/Mac Orlan“Fetes foraines”。10数年前,アールヴィヴァンの福袋経由で入手したものだ。マルセル・ボーヴィスとピエール・マッコルランのコラボレーションなんて,シャレっぽすぎて自慢にもならないが,アールヴィヴァンの福袋だから。 1920-40年代にボーヴィスが撮りためたサーカス(というより見せ物)の写真にマッコルランの文が挟み込まれている。悪趣味な写真も何点かあるのだけれど,ワンテーマで纏めてしまうと,江戸川乱歩が描くところの浅草趣味に似てくるから不思議だ。 そこで,永井荷風となったわけでもなく,記憶を結びつけるものがいったい何なのか,相変わらず怪訝に思いながら,2冊をぺらぺらと捲り続けた。 |
08月29日(日) ニューバンド |
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最近のこと。 タクシーで30代なかばの日系アメリカ人と乗り合わせざるを得なくなった。英語は話せないものの,降りるまでの十数分を沈黙とともにやり過ごす自信はなかった。レディオヘッドのファンだという情報だけを手がかりに,話をそちらのほうに振った。 「ロック好きなんですよね,レディオヘッドとか」 「レディオヘッド!」 助手席の同僚が間の手を入れる。ところが,ロックの話になったはいいが,ここ10年のロックバンドについて,てんで情報を持っていないことに気が付いた。そこに「どんなバンドが好きなのか」と,追い打ちをかけるように尋ねてくる。 「キングクリムゾンとか,えー,マッドネスとか」 と,ここで彼の目が中年オヤジを見るような眼差しに変わったのを見逃さなかった。実際,いまだに好きなんだから仕方ないだろうに。よし,少しは新しめのバンドで,と考えるが,その新しいバンド名が何ひとつ出てこない。 「えー,ビューティフルサウスとか」 「何? I don't Know」 せっかく思い出したバンド名くらい,知っていろよ,などとは言えず, 「ハウスマーティンズの2人がつくった新しいバンドで」 だめ押しだ。新しいバンドのデビューした年が1989年。今から15年前じゃないか。全然新しいバンドではない。 で,同僚からレディオヘッドのアルバムを借りた。ニール・ヤングはさておき,ギャラクシー500なんてバンド名を久しぶりに思い出した。アルバムは売り払ってしまったのだよな。あのバンド聴いていると,やたらと刹那的になってくるのだ。ベクトルは逆なのに,映画『ヘンリー』を観たあとのように。 |
08月30日(月) 気分 |
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“チャーチルの”と形容詞が付くマティニがあるという。知人にラフロイグを奢ってもらって幾度目か,カウンター越しにバァテンダーから,そう聞いた。 「マティニについて語りはじめると,大部な一冊の本ができてしまいますから」と,前口上は一言多いけれど,尋ねれば知っていることは教えてくれる,それはありがたいバァテンダーだ。 で,チャーチルのマティニは,「これほどドライなものがない」と称される。それもそのはず。ベルモットを滴らすのではなく,ぐるりとグラスをくぐらすだけなのだそうだ。 「それで,香りがつきますか?」 「気分なんだそうです。ひとくぐりさせる,それだけで,ジンがマティニに成り代わるんです」 「そんなの……」 インチキでものなんでもない。その手の気分を味わうのが,カウンターに向かい合う喜び? ホントかな。どうにも気障だな。腰にきそうだけれど。 だから,センベロの立ち飲み屋で頼めやしない。江古田コンパ(店)の鬼のようなババアなら,これ幸いとばかりに,何度でもくぐらせるだろうけど。 |
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