2004年9月

09月02日(木) 少年は何処かをめざす  Status Weather晴れ

 「一本橋」という,まるっきり嘘っぽい名のついた橋があった。木でできていて,見た目,それはそれは頼りない。矢上川の土手沿いに土筆と蓮華草を探していると,いつの間にか,その橋へとたどり着く。向こう岸へ渡れば,そこがスタートだ。
 同い年がいない仲良しグループがあたりまえの頃のこと。いちばん年上の彼が提案する。
 「河口まで行こう」

 物心がつくとは,どういうことを指していうのだろう。
 「明日,ばあさんの店でお菓子万引きしよう」
 一緒に塀に登って,猫のように屈んで前進。柿がなった木の下にたどりついたとき,彼は私たちにそう告げる。私は家へ戻り,親に「あした万引きするんだ」という。物心がつくとは,いったいどういうことを指していうのだろう。

 河口とは,どんなところなのか,ゴルフの打ちっぱなしと自動車教習場の向こう,東横線の鉄橋の先など,その頃の私には想像がつかなかった。それでも私たちは鉄橋の側まではたどりついたはずだ。かなりの徒労と二人三脚であったことは記憶している。その後,源流を辿ろうという言葉は一度も出なかったのは,たぶんそのためだ。

 辻まことの『多摩川探検隊』とサム・シェパードの『モーテル・クロニクルズ』に,とてもよく似た話が載っている。多摩川の源流をめざす辻まことたちと,学校から脱走しアロイオ・セコをめざすサム・シェパードたち。読むたびに矢上川を思い出す。 


09月03日(金) プレゼント  Status Weather晴れ

 その頃,決して自分では貰いたくないものの,他人には死ぬほど送りたいプレゼントが,巷にあふれていることに気づいた。セコハンショップの店頭で,気づいたのは私ではない。徹だ。もちろんそれは,素敵でもなんでもなく,ただ,他人の手もとに届いたという事実だけで笑いが込み上げてくる,そうした類いのプレゼントだ。

 「CHACHAのデビューアルバムだって。末野に送りたいな。俺が金出すから,お前,遅れよ」
 「冗談にもほどがあるだろう」
 「好きかもしれないぜ,末野。CHACHAがさ」
 「これ,探してたんだ,ホントにいいのか,ってか?」
 「そんなわけねぇし,それじゃ,全然面白くないんだよな」
 「いや,それはそれで面白いじゃないか。なんで末野がCHACHAのファンで,そのくせデビューアルバムもってなかったのかなんて,そんなことがあったら,経緯を死ぬほど聞きたいな」
 
 しばらくして徹が蒸し返す。
 「そういや,CHACHAのファンって,会ったことないよな」
 「末野は,さ」
 「初手から違うのだし,話が膨らんでしかたないからよせよ」
 「会ったことどころか,見たこともないな」
 「いないんじゃないか」
 「CHACHAだぞ,ひとりくらいいただろう」
 「ひとりってことはないだろう」
 確かに徹の言う通りだ。
 古本屋巡りの帰り。電車のなかでは結局,CHACHAに終始した。ところで,そのとき,私はまったくCHACHAが何なのか知らなかった(今でも)のだ。ほんの少しの想像力さえあれば,適当な相槌だけで会話が成立しているように見える見本だ。


09月04日(土) Cola L  Status Weather曇りのち雨

 「海外の日本料理店で働いている板前の出自は実にさまざま」とは弟の言。それぞれ日本にいられなくなった理由をもっている。煩雑な人間関係や特殊なパーソナリティに後押しされたなどというのは常識のうち,弟は法律に触れ逃れてきた者に,ひとりといわず出会ったそうだ。

 「気のいい奴が多いんだけど,仲良くなると,急に俺のテリトリーに土足で踏み込んでくる。きつく言うと,すぐシュンとするんだ。気まずくなって,あとは音信不通だね」

 そんなだから,和気あいあいとした仕事場で,突然,殺傷沙汰が起きることさえめずらしくない。海外で精神的に参ってしまい,それでも日本には戻れず,現地の日本人の間で「あ奴にはかかわるな」というような情報が一気に広まる。せっかく異国にたどり着いても,身内からは逃れられない。彼らが転々と仕事場を変える一因は,狭い身内意識に嫌気がさすためなのかもしれない。

 ロス・アンジェルスの焼き鳥屋で弟と一緒に働いている20代の同僚は数年ぶりに日本で戻ってきた。機内でもやけにテンションが高かったらしい。成田空港で「コーヒー飲まないか」と誘うと2つ返事で答える。
 「最近,日本にもスタバが出来てるらしいですよ」
 そういうと,その同僚はなぜかニヤリとした。

 「うざったくてさ,いやんなっちゃったよ」
 そのときのやりとりについて後に,弟は私にそう言った。

 はじめはオーダーのときのこと。いきなり「トール2つ。あっいけねぇ。ここは日本だったんだ。向こう長いから間違えちゃったよ。こっちじゃラージ2つ,っていうんだったね。ゴメンゴメン」とくる。
 「いいから,判ったよ。うるさいな,まったく」
 しばらくして,コーヒーが出てくると,今度は
 「あれ,俺,ラージ頼んだんだけどさ。あっ,あっちと大きさ違うんだ。ゴメンゴメン」
 「もう,うるさいな,いちいち」
 「ロス帰りってバレちゃったかな」
 「露骨だ,なさけねぇな,まったく」
 一事が万事,こんな調子で,さすがの弟も辟易とした。

 わがサラリーマンバンド「Cola L」を正式に記すならば,“Cola Large Size(それゃ飲みきれないぜ=It's all too much???)”とでもなるのだろう。このバンド名の出自については,それなりの理由があるのだけれど,こればかりは公にはできない。


09月05日(日) 夜店の男  Status Weather雨のち曇り

 今日の日記です。

 小川美潮のアルバム『4to3』に「夜店の男」という曲が入っている。サビのフレーズ(一番)は

   賑わいの夜に住む男(ひと)の
   祭りの灯は何処にある
   アセチレンの背中に誰か
   祭りの唄聞かせてよ
          (作詞/工藤順子)

 映画『つぐみ』のエンディングタイトルでかかった(と思う)「おかしな午後」が収載されており,そちらはアルバム全体のイメージに近い。この曲は,そのなかでは浮き出てしまっているのだけれど,ゆっくりとした拍子の曲,ボーカル,そして詩と,目にしたことのない懐かしい風景を浮かび上がらせる。

 夏祭りの夜,数年ぶりに集まった同級生。神楽とともに惨劇は起こったーー推理小説というより,むしろ2時間ドラマっぽいけれど,その手の彩りとしてのイメージしか沸かないのは正直なところ。実際の夏祭りで神楽を見た記憶はなかった。

 ところが最近,都内の夏祭りで里神楽が演じられることが,ままある。

 近所のホントに小さな神社の境内で,はじめて里神楽を見た。辻潤が窮死した地なので(といってもそれは因果律ランダム連鎖),このあたりは築50年近く経つであろう2階建てアパートがいまだ現役,一歩路地へ踏み込むとタイムスリップしたかのような感覚がする。三基の神輿が細い,その路地めざし,駆け上ってくる掛け声に神楽囃子の音が重なり,瞬間,その手の物語が目の前で演じられているかのような錯覚さえしてくる。

 それは「夜店の男」の,アンサーソングの一曲二曲,あっという間に生まれてしまうような光景だった。盆踊りの代わりではないのだろうけれど。


09月08日(水) トイレ  Status Weather晴れ

 「今度,友だちをお前ん家に連れていっていいかな」
 スタジオ帰りの中華料理屋で徹が尋ねる。
 「女か」
 昌己だ。答えを待つまでもなく,私にもそうであることは理解できた。昌己はなぜかしら,その手の話にはカンが働くようだ。何にも役にたたないということでは,あってもなくてもほとんど変わりないカンだけれど。

 その翌週。徹はスタジオへ姿をみせず,練習が終わった時間を見計らい私が借りていたワンルーム(ミラノへいってしまった弟の部屋にそのまま居座ってしまったのだ。いうなれば部屋の“お上がり”だ)に二人してやってきた。
 さしさわりのない話を延々と続けた。徹の特異な趣味について,何度口にしようかと思ったことだろう。自作の『花と機械とゲシュタルト』を聞かせ,「コーラスは友人のアラブ人に頼んだんですよ」といっても真に受けられてしまい,笑いひとつとれなかった残念さは忘れられない。コメディアンでもないのに,そうした気まずさは,いつまでもひっかかってくる。

 そろそろ帰るというとき,彼女が「トイレを借りてもいいですか」という。徹は昌己とともに外に出ていた。ワンルームなもので,とりあえず私も彼らの後を追った。
 「お前ん家だろ。これからどこか行くのかよ」
 私が玄関の外へ出てくるなり,徹は不思議そうな表情でそういった。
 「まあ,いいじゃないか」
 “ご夫人がトイレに入っているのに,部屋にいるなんて失礼だろう”ともいえず,あいまいに返事しただけだった。
 後から,その私の行動が,彼女の心証をやけによくしたと聞いた。心証よくしても何の利を得たわけでないことは,昌己のカンと似たり寄ったりだ。

 娘の学校には「トイレにいく時間」というのがあるのだそうだ。何度聞いても,それが一体,何のためにつくられたのか判らない。みんなでトイレにいかなくちゃいけない時間だという。トイレにみんなでいくことも,それ以前にトイレにいく時間が決められていることも,私の理解の埒外にあることだけれど,そんな場所で培われるモラルともいえない,あたりまえのマナーは,さて,どんなものなのだろう。かえってスッキリしていいのかもしれない。 


09月10日(金) 微笑  Status Weather晴れ

 二村永爾がいったい何歳になったのかなどというサザエさんに対するような突っ込みは抜きに,矢作俊彦の新刊『ロング・グッドバイ(THE WRONG GOOD BYE)』を,ここ2日の昼休みと会社帰りに探しまわった。定期券ではカバーできないあたりまで,行き来にいったいいくら費やしただろう。
 結局,まだ手に入らない。角川のHPの購入可能のボタンだって,今朝には灯ったというのに。

 女性週刊誌「微笑」が休刊になったのは1996年だそうだ。そんなことが気になったのは,「ヨコスカ調書」連載時から「グッドバイ」まで,次のようなくだりがあるからだ。

 “青灰色の目が急に曇った。私たちから急に興味をなくすと,首を力なく振り,カウンターの中の丸椅子に坐って先週号の『微笑』を読み始めた。”

 池上冬樹の書評を通して出会った本は一冊もないけれど,彼がこのセンテンスをあげて,やたらとほめ囃し立てていた文章を読んだ記憶がある。この文章,宝島社新書の『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』(小森収編)に収載されているものと錯覚していた。
 1980年,「ヨコスカ調書」連載時と,1995年,再度「グッドバイ」として掲載されたときでは,『微笑』という名詞のもつイメージがすでに変質している。
 24年の間隙を埋める手腕に,とにかく期待しているのだ。

 明日,何件の書店をまわれば気が済むだろう。


09月11日(土) 女性セブン  Status Weather晴れ

 で,結局,「女性セブン」に変わっていた。「女性自身」としなかったのは,光文社に対する特殊な感情でもあるのだろうか。

 編集長交代とともに,いかがわしさがあっという間に払拭され,「女性セブン」の対抗誌の位置に落ち着いてしまったけれど,1980年代の「女性自身」といえば,エンクワイア顔負けの(というか,そのままの)トンデモ記事満載,怪しげな気配を臭わせていた。実のところ,徹の購読誌だった。

 『ロング・グッドバイ』を入手するのに,疲れ果ててしまった。

 連絡があって,午後,会社に忘れ物を取りに行くことになった。途中で手に入れ,移動中読み進めようと思案する。文教堂書店,新宿,青山一丁目,六本木,さて,どこで手に入れよう。
 移動時間に読み進めるのだから,と,まず文教堂書店に入るべく途中下車。棚差しされた一冊を発見したのだけれど,状態が悪い。文教堂に入っているのだから,どこでも手に入れられるだろう。その判断が大間違いだった。

 新宿に降り,ルミネ1のブックファーストまであがった。ところが,置いていないのだ。まったく,ただの一冊も。店員に質すと「入ってない」とのこと。寺山修司(何だかこの店員,この作家のことさえ知らないようだった)のならありますが,と平気でいう。そういわれて,「じゃあ,それ一冊ください」と買うものだとでも思っているのだろうか,本を。

 汗が吹き出し,一抹の不安が頭をよぎる。六本木のあおい書店で二の舞を踏んだらストレスがたまるばかりだ。あり得ないともいえないしなぁ。

 結局,紀伊国屋書店までいって手に入れた。
 『ららら科學の子』のときも,似たようなことした記憶があるな。 


09月14日(火) ロング・グッドバイ  Status Weather晴れ

 その頃,精神病院で週2回,深夜勤の補助のアルバイトをしていた。予想以上に静かな夜があるもので,本を携えてナースステーションで読みふけっていた覚えがある。この時間,矢作俊彦の『マイク・ハマーへ伝言』を何度も読み返した。

 出たばかりの『真夜中へもう一歩』を読んでいると,仮眠をあけた中年の准看護婦さんがテーブルに広げたその本に目をやり,「面白いですか」。
 「知ってますか,矢作俊彦」
 「面白そうですよね。精神科を舞台にしたミステリなんでしょ」
 つまらなくはないけれど,連載時のほうが芯が通っていたともいいかねて,「お貸ししますよ」と曖昧に受け答えしたように思う。
 「いいえぇ,自分で買います」

 しばらく,彼女は小説家の本を数冊続けて読んだようだ。
 「面白かったですか」
 日が落ちるとめっきり寒くなったころ,日中の人いきれが籠ったままのナースステーションで尋ねた。
 「面白いですね。やっぱり『真夜中へもう一歩』が一番」
 「そうですか」
 それ以後,彼女と小説家の話をした記憶はない。

 キング・クリムゾンにたとえるなら『レッド』の次に『ヴルーム』『スラック』を聞いて『ディシプリン』に,YMOなら『テクノデリック』の次に『テクノドン』を聞いて『浮気なぼくら』にたどり着くような出会いかたも,それはありだろう。

 『リンゴォ・キッドの休日』や『マイク・ハマーへ伝言』から,『ららら科學の子』や『ロング・グッドバイ』を読んだその後,『真夜中へもう一歩』,さらには『スズキさんの休息と遍歴』『あ・じゃ・ぱん』へと読み進めると,80年代後半から,どこか空振り続きに感じた,“こんなはずじゃない”という思いが,さらりと払拭されるかもしれない。

 以前にも記したと思うのだけれど,『真夜中へもう一歩』の手の入れかたは,「キラーに口紅」(『さまよう薔薇のように』収載)のそれと同列にあると思う。重い一つのエピソードを絡めたために,物語の凸凹が目についてしまう。ところが『ロング・グッドバイ』では,それが裁断されて物語のなかに組み込んであるため,読んでいて気にならないのだ。『グッドバイ』が出たときは,あまりの継ぎ接ぎさに,「こんなところで,久生十蘭を見習わずともいいのに」と嘆息したものだ。この10年で,何が変わったのか判らないけれど,辻邦生にも劣らぬ(といってしまうと譬えがあまりに短絡的すぎるだろうか),魅力的な小説を紡ぎだす文体と構成は,私にとってますます魅力的なものになった。
 
 さらにいうなら,『ロング・グッドバイ』がこのような物語をもったことで,いつの日か「眠れる森のスパイ」がオリジナルの衣装を纏って登場することも夢ではなくなったと思う。
 とりあえず,ここまで。


09月16日(木) 経済  Status Weather晴れ

 その年の秋,ある土曜日の午前中。教室で和之に久しぶり会った。
 「昼飯食いにいこうよ。安くつく方法,発見したんだ。2人じゃないと旨くないんでさ」
 授業もそこそこに,やってきたのは国道沿いのステーキレストランだ。
 「ランチ2つにして,飲み物かサラダの選択は,俺,サラダにするから,おまえコーヒーにしろよ」
 言われるがままオーダーすると,テーブルにサラダボウルとコーヒーカップがひとつずつ置かれた。
 「この店,セルフサービスで,サラダ食べ放題,ソフトドリンク飲み放題なんだ。あまりキレイじゃないけど,食器交換して食えば,サラダもコーヒーもいただけるってわけ」
 なんでもブラバン仲間に教えられた方法だそうで,何だか軟派な体育会系のノリを感じてしまった。

 自炊をはじめてから数ヶ月で体重が落ちたのは,徹のような親に恵まれたわけではなかったので,自分で買った以外の食べ物が家にはない,というあたりまえの理由からだ。だからといって,失せた体重を取り戻そうなどとは一回も考えなかった。困ることなど何一つないのだから。

 ところが,喬史の場合,状況がかなり違った。奴が金のある日は朝からでもユカリまみれのステーキ弁当なんてものを食っていたのは,そうしないと体重がどんどん落ちていってしまうためだった。まったく不経済な体質ったらありゃしない。

 食う量が減って落ちた体重と,食わなければひたすらに落ちてしまう体重。難儀なのはもちろん後者だ。 
  


09月17日(金) ロゴ  Status Weather晴れ

 あのようなパーソナリティの持ち主に,事務局をまかせる学会の行く末を想像しながら,われわれは,いつものタイ料理屋で飲んでいた。

 「あいかわらずだったよ」
 昌己はいう。
 「で,収拾ついたのかよ」
 昌己が知り合いのイラストレーターを伴って元助教授,いまや教授のもとを訪れたのは数ヶ月前のことだ。ある学会のロゴマーク作成を相談されたのだという。
 「つくわけないじゃんかよ」
 「そうだろうな。佐倉さんのイラスト気に入ったのか」
 「気に入ったもなんも,もっていった案ほとんどすべて“いいわね”の連呼だ」
 「よかったじゃないか」
 「気に入って,これも入れて,あれも入れて,背景はこれ。学会のロゴマークだぜ。あれもこれも入れた日には,印刷したらつぶれて真っ黒けになっちゃうじゃない」
 「止めた訳だ」
 「さすがにいくらなんでも,ロゴマークにこれだけの素材入れ込むのはちょっと,ってな。そうしたらさ,“あら,そうよね”だって。平気なんだ。それまで,小一時間は何とか収拾しようとしてたんだぜ,これでもさ」
 「目に浮かぶようだ」
 「ゼミ室に後輩ってのがいて,こ奴がまたいかがわしい気なんだ。イベント屋というんだけど,印刷もかんでるらしくって」
 「そ奴のところで佐倉さんのイラストをもとにロゴつくるのか」
 「判らねぇけどさ。佐倉さんは仕事だろう。きちんと予算だけはさ立てておいてもらわないと,別にボランティアにきてもらった訳じゃないし。何とか大まかな色まで話が及んで」
 「ホッとひといきか」
 「そんなわけないだろう。開口一番,怪しげな後輩に向かって“あなたのところ,青が出ないのよね”。信じられるかよ。青だよ。青が出ない印刷なんて。オレンジじゃないんだぜ」
 「何色になるんだ」
 「灰色だって。“あなたのところ,青が灰色になるからいやなのよね”。いやとか,そういう次元の話じゃないだろう」
 「青を灰色に印刷するのは並大抵の技じゃないな」
 「それを,技と呼ぶのだったらね」
 われわれはシンハビールをもう一本ずつ頼み,ヤムウンセンとソンタムを肴に終電まで飲み続けた。


09月20日(月) 本  Status Weather晴れ

 昭和50年代に書かれた矢作俊彦の本に驚くことしばしばだった。
 ボリス・ヴィアンの小説でもないのに,一回読んだだけでは,何がどう書かれているか判らない。判らないのに捉えて離さない何かがある。自らの読解力のなさを自慢するようで恥ずかしいけれど,そんなこと続きだった。

 本自体,まだ活版印刷時代だったので,まるで版面の上で活字が熱く燃えたぎっているような手応えを感じた。かなと漢字のバランス,改行までのセンテンスの長さ,目を瞑って,手当たり次第一冊を手に取り,気紛れに開いたページを見ただけで,それが小説家の本かどうか明らかに判ってしまうほど,他の本とは違っていた。いや,まったく冗談でなく。(少なくとも『さまよう薔薇のように』までのものだったら,それが小説家の本かどうか判断する自信は今でもある)

 徐々に崩されたそのバランスが,一気に消し飛んだのは,ここでも『スズキさんの休息と遍歴』によってだった。1ページは1行44字×19行。たとえば『マイク・ハマーへ伝言』は43字×20行,その差以上に,ページのバランスが違う。

 新潮社でよく用いられる,さらりとしたフォントはダメ押しなどでなく,それが一番の原因ではないかと感じたのは『夏のエンジン』を手にしたときだった。
 「NAVI」連載時は休載したエッセイにかわって掲載された短編もあり,「小説より,エッセイはどうした!」という心ない読者の声に支えられ完結したシリーズだけど,これが単行本で読むと,矢作俊彦の小説を読んでいると,妙に実感するのだ。『TOUR,TOURER,TOURING』に続けて『ボーイ・ミーツ・ガール』を読み進め,それを『マイク・ハマーへ伝言』の“……子供のころから,丘の上より,足下に広がる羽虫の群れみたいな街の灯の方が,ずっと好きだった。坂道の下へむかって,ひとりで三輪車をこぎ,生まれてはじめての大冒険を敢行したのは,いったい幾つの年だったろう”(p.115)と繋げてしまう,なんてばからしい読み方さえしてしまった。
 それは使われているフォントが活版を思い出させるものだったからではないかと思う。もちろん『ららら科學の子』然り。

 短編小説家から長編小説家へ復帰する道程の試行錯誤はいうに及ばないけれど,本を読んでいるのだから,あることないこと考えてしまうのだ。


09月21日(火) 3部作  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 「ストレンジ・デイズ」を立ち読みすると,加藤和彦“ヨーロッパ3部作”リマスタリング+紙ジャケ+「うたかた」ジャケット4バージョンすべて発売,なる記事を発見! 

 つまりは『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』『ベル・エキセントリック』の3枚が紙ジャケットで再発されるというのだ。さらに,『うたかたのオペラ』は最初のLPの際,中身変わらず歯車4バージョンで発売され,4枚組み合わせると1枚の絵になるといわれていたのだけれど(ツェッペリンじゃあるまいし),それがすべて復刻される。加えて,このLPは初回特典として「アラウンド・ザ・ワールド」のダブ・バージョンシングル(片面だけの)が付いていたが,これまで付けてしまうそうだ。なんたる太っ腹。
 買わずにいられようか。
 でも,『うたかた』4枚買うのはちょっとな。

 これで『ボレロ・カリフォルニア』まで,ほぼ通して,ミカバンド以後の作品を聞けることになる。全く残念なのは,『それから先のことは』が『ガーディニア』と一緒に再発されたとき,懐具合と相談の上,後者だけを買ってしまったことだ。『それから先のことは』はLPもってるし,『ガーディニア』は到頭LP探せなかったしな,という判断が誤りのもと。以後,『それから先のことは』を見かけたことはない。ベスト盤に数曲入っていたのみ。
 同じような過ちを中山ラビの『MUZAN』『SUKI』(?「グッバイ上海」が入ってる奴ね)を買って,『甘い薬を口に含んで』で繰り返した。

 これまで書いたことの繰り返しになるけれど,メモまでに。
 「メモリーズ」の元ネタはジョン・フォックスがいたころのウルトラヴォックス“Just For A Moment”。どちらも名曲なので,それを気にすることはない。
 『うたかたのオペラ』は佐藤奈々子のボーカルがカットされずに入っているそうだ。「ラジオ・キャバレー」はコーラスなしでも聞けなくないけれど,「ソフィーのプレリュード」はしっかり歌ってるからカットできはしない。
 『ベル・エキセントリック』はトータル30分を切ったはず。ビートルズの赤盤みたいだけど,金はかかっている。金色のライナーノーツに記された海野弘のエッセイももちろん復刻されるのだろう。今聞くと,無茶苦茶なアルバムだと思う。
 
 ところで,通称“ヨーロッパ3部作”って呼び名は,“インディーズ御三家”みたいで,カッコ悪い。


09月23日(木) 目羅博士の不思議な犯罪  Status Weather晴れ

 買い物帰り,池袋のメトロポリタンプラザの喫茶店で休憩していたときのこと。(先だって吉祥寺でも同じ名の喫茶店に入ったことに,すぐ気づいた)

 西口を望む席は,通りを隔てスパイス2が入っているビルと向き合っている。窓を背に家族を坐らせ,向き合いながらコーヒーを飲んだ。一面のガラス窓に沿って並べられたプランター,窓,その先のビルに映る景色。
 これは「目羅博士の不思議な犯罪」じゃないか。

 江戸川乱歩のその短編が納められた本が手元にないのだけれど,丸の内のビル,月の光に照らされた日の翌朝,自殺者の発見が続くというのが発端だったはず。理屈(トリック)は説明されているものの,そんなことはどうでもよくて,この短編の魅力は,月の夜,向き合った丸の内のビル,寸分違わぬ窓に映る景色の描かれ方に尽きる。もちろんタイトルもね。後に単に『目羅博士』とされたそうだけれど,これには中井英夫じゃなくとも「そりゃないぜセニョール」と嘆息のひとつやふたつ出てしまう。夢野久作の『瓶詰めの地獄』も,最近は『瓶詰め地獄』となってしまっているし。

 で,その喫茶店の席から見た景色が,とても面白かったのだ。
 向き合ったビルのいずれも,全面ガラス張りだから,スパイスビルの壁面に映るメトロポリタンビルの姿がさらにスパイスビルを取り込む。
 彼誰時に,21世紀の目羅博士が出はしまいかと,妙な気配を感じた。


09月26日(日) 青い山脈  Status Weather曇りのち雨

 今日の日記です。

 読み終えたばかりの『ロング・グッドバイ』をポツリポツリと捲っている。字面を追いながら,アルバム『P-MODEL』を聞いたときの感覚が甦ってきた。

 『P-MODEL』は,平沢進が初めてテクノを目標においてつくったアルバム。ただし,ここでいうテクノはあくまで,79年から80年までのものであり,デトロイトやらアンビエントやらの修飾がつくテクノとはまったく違う。1st“In A MODEL ROOM”,2nd“LANDSALE”よ再び,というように紹介されたこともあるけれど,それはヴォキャブラリが共通するために生まれた誤解だ。もちろん,彼らも誤解を楽しんでいたようだけれど。懐古趣味ではなかった一方,同時代にそんなことするバンドは他になかった。

 最近の(というよりはほとんど)ハードボイルド小説は読んでいないし,推理小説や探偵が主人公の小説も皆目,見当がつかない。偶然手にした石田衣良の小説に描かれた池袋は『地球の歩き方 池袋』みたいだった。あれはハードボイルドでも推理小説でもないのだろうか?

 で,納まりつかないところを探りながら,あるフレーズを見つけているのだ。この小説のなかに誤植であろう文字があって,それはどうも「悩」を「脳」と打ってしまったようなのだ。さすがに「恋」を「変」とは間違わないだろうけど。三刷くらいになれば修正されているだろうか。
 中井英夫は講談社文庫版『虚無への供物』の増刷がかかるたび,誤植をチェックしていたそうだ。そして,その作業はついに終わることがなかった。存命中,完璧な『虚無への供物』をついに目にすることがなかった小説家のことを思うと,いたたまれない。



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