2004年10月

10月01日(金) スピレーン  Status Weather晴れ

 「長いものには巻かれろ」が座右の銘といっていた昌己は,滅多なことでは熱くならない。知り合ってから20年になるので,それでも何度か奴のハードボイルドな切り返しを見たことがある。ホント少ないけれど。

 ネイキッド・シティかはたまたコブラか,ヴォックスが山塚アイだったからコブラじゃないと思う。ジョン・ゾーンのライブを聞きに吉祥寺のマンダラ2へ行ったのは平成のはじまりのころ。
 高円寺20000Vの吉田達也プロデュースナイト(もちろん土日)でもそうだったから,そのころライブハウスにくる客の態度が変わった。(以前,「立ち尽くせ」として書いたように)その日も,ライブ前のフロアは和気あいあいとしている。しゃがみ込む奴らを尻目に,われわれはステージ前方に陣取った。

 「吉田といい,ジョン・ゾーンといい,この手の音楽を演奏る奴って,そろいも揃って,ルックスが今ひとつなんだろう」
 言ったのはたぶん私だ。
 「ルックス目当てでくるわけじゃないしな」
 「ルックス目当ての奴だっているんじゃないか」
 「いねぇよ。あんな冴えないのにさ」
 いつもの掛け合いだ。ただ,声が少し大きかったのかもしれない。
 「冴えないのは,おめえらのほうじゃねえか」
 ライブハウスより,古本屋にいるほうが似つかわしい年格好の,実に地味な男だった。すぐ側で,そ奴がナイフを飲み込んだような鋭い声でそう言った。
 一瞬の沈黙。そして
 「違いないや」
 昌己の一言の後,気の抜けた笑い声が続く。その場はそれで治まった。ところが,私にも,そしてたぶん昌己にもそ奴の一言がひっかかった。

 すぐにライブは始まった。もちろんのんびり坐っている客はいない。前に押し寄せポゴダンスだ。何せ,一曲一曲がとても短いので,乗ったもの勝ちなのだ。押して押されて,意図しない場所になだれ込むのはいつものこと。ふと,昌己をみると,妙な動きをしている。押される以上の速度で横っ飛びを繰り返しているのだ。そこにはさっきの地味な奴の姿があった。
 もちろん,執拗に続けたわけではない。ほんの数回,それも偶然だったのかもしれない。

 ところで,ジョン・ゾーンのアルバム『スピレーン』を貸してくれたのは昌己だった。ジャケットの写真を見て驚いた。
 「まさか,宍戸錠?」
 確かに,拳銃を手にした宍戸錠の後ろ姿があったのだ。
 太田裕美だとかクロノス・カルテットの客演も嵌っていたけれど,何ともかっこいいアルバムだった。
 その後,ジョン・ゾーンが高円寺に居を構え,日活(アクション+その後)のポスターをコレクションしていたことを知った。


10月03日(日) レストラン  Status Weather

 潰れたレストランの記憶がふいに甦ることがある。

 一回の食事に1,000円以上かけるなら,その分で本やレコードを買ったり,映画を観たりしたりする。ほとんどがひとりで食事をし,酒を飲み慣れていなかったころだから尚更に,それは奇異なことでもなんでもない。少なくとも昭和の終わりまで,多くの友人が同じような考え方をしていたと思う。割り勘になると殺伐としていたのは,その裏腹だったのだろう。

 平成がはじまりしばらく後,少しずつ食事にかける金額に上乗せされたのは,ひとりで摂る回数が減ったからだろう。一度はずした箍は,以来,なかなか戻らない。

 目白駅の改札を出て,山手通りに向かってしばらくいった左側に画材屋があった。その2階で,どうしたわけかフレンチレストランが営まれていた。入り口が通りから折れた路地沿いにあったのは,あえて入りづらくしていたのではないかなどと,どうでもいい想像が膨らむ店構え。白で統一された壁に,小体なリトグラフが飾られ,内藤礼のインスタレーションに迷い込んだかのようというと,かなり大げさだけれど,心地よい店だった。

 ただ,私にとっては,味だとか,サービスがだとかは記憶の埒外だ。画材屋の2階で,なぜレストランを営んでいるのか,それだけで空想が膨らんだ。数回訪れたはずなのに,なぜかその理由について一度も聞かなかった。

 数年前,突如,画材屋ともに店は閉ざされた。しばらく表に管理会社の通知が貼られた後,内装工事が始まった。その暴力的な様子は忘れられない。路地に面した2階の外壁に小さく描かれた店のロゴの上を,真っ白なペンキが雑に掃かれた。ロゴは乾いた後も透けてみえた。

 現れたのは中華料理店だった。料理人募集のチラシは開店後まで剥がされることがなかった。1か月持たなかったかもしれない。あっけなく店は潰れた。その間,店の前を何度か通ったものの,一度として暖簾をくぐろうとは思わなかった。

 置き捨てられたまま,さらに数ヶ月が過ぎた。今は,尺八と琴の店(だったと思う)になっている。
 中華料理店ができたときからだ。画材屋の上のレストランのことが,ときどき甦ってくるのは。


10月06日(水) モス  Status Weather晴れ

 BICカメラの“BIC”の出自が何かを知らなくとも,モスバーガーの“モス”が,マウンテン,オーシャン,サンシャインであることは,われわれのなかで常識だった。
 「モスは都心にないからな。ここに出来たら,やっと郊外の仲間入りだ」
 喬史は,学校のあった町から一駅だけ都心に近い駅で,“お待たせしました。モスバーガー 近日開店”のポスターをみてから,こればっかりだった。
 「誰を待たせてたんだよ,まったく」
 徹が突っ込んでも喬史は上の空だ。
 「みんな待ってんだよ」
 「でもさ,モスの店員って,いまひとつなんだよな」
 日頃,そんなチェックをしてもいないのに徹は続ける。
 「そうそう,うっはっ! 思い出しちゃったぜ,この前。あれはないよな」
 「俺,食ったことねえや」
 私は言った。
 「ほんとかよ! 旨いんだこれがさ。おー食ったことねぇのか。じゃあ,楽しみだな」
 喬史と徹は見合って嗤う。

 その日は寿司パーティならぬ,モスパーティだった。場所はいつものように徹のアパート。昌己や伸浩,裕一から注文をとった喬史と徹が買い出しにいった。「みられちゃいけねぇからな」。
 紙袋からひとつひとつ取り出しては「お,テリヤキか,なかなかいいところつくな」。私には,こ奴のいう“いいところ”が,いったいどこなのかは未だ理解できない。
 「じゃあ,食うか」
 徹が言った途端,私は覆っていた紙袋を取り去った。
 「がはぁ,おいおいおい,それじゃモス食えねえぜ,まったく。っははは,知らねえな,まったく,こ奴はよ」
 喬史の思いっきりのつくり笑いが響く。
 「知らねえっていってるじゃないか」
 「それじゃさ,ソースがはみ出してきて危険なんだ。モス食うときはさ,この包み紙から取り出さずに」
 徹も,やたらとうれしそうだ。
 「うるせぇな,もう。そういいながら,どうせこぼすんだよ,これが」
 そんな体験があるのか,昌己はいたって冷静だ。
 
 で,ほとんどの奴は結局,どこかにこぼした。モスは恐ろしい。


10月08日(金) TG再結成  Status Weather

 スロッピング・グリッスルが再結成する,と昌己からメールが入った。4人とも生きていたことに正直,驚いた。
 長寿だな。

 でも,いったい今更何するのだろう。哀愁のエレポップ路線で突っ走るなら嗤いながら聞いてしまうかもしれない。ジェネシス・P.オーリッジがパナッシュのメンバーを捕まえてピアスを開けたなんてニュースを20年くらい前に読んだ記憶がある。サイキックTVをはじめていたころのことだと思う。


10月09日(土) 嵐  Status Weather

 「嵐」って,使うことがあるなんて。


10月10日(日) シェルルーム  Status Weather曇り

 今日の日記です。

 コラムニストを利用して,もろもろ修正しようと思い立ち,やおら表紙から手をつけたところ,修正にまで至らなかった。結局,こんな表紙になってしまった。(たぶん,そのうち変わります。)

 引き出しの奥からバンドホテル。シェルルームのチラシを発見してしまったのが運のつきだ。変わらぬウイリー沖山氏のインパクトに打ちのめされた。昨年書いた日記とリンクさせて,“最近の一枚”なんてしてしまったけど,どれだけネタが続くのだろう。
 それよりも何も,なんだか忙しいのにOS9立ち上げないと使えないスキャナ,それもUSBコードの接続状況が最悪ななかで,手間ひまかけられそうにないのだけれど。

 バンドホテル跡には,ドン・キホーテが建っているそうだ。最近,元町まで足を延ばしたものの,確かめにはいかなかった。


10月11日(月) 薔薇の名前  Status Weather雨のち曇り

 「被害者が住んでたアパートの家主が言ってたぞ。警察図書館ってのは,どんな事件を扱ってるんだってな。――どんな事件を扱ってんだ?」
 「バスカヴィルの修道士が扱ってたような事件でしょう」
               (『ロング・グッドバイ』p.517)

 生井じゃないほうのエーコか。二村永爾は,あの大冊を読み終えたのだろうか。

 とにかく,ホームページのトップをなんとかしなくては。情けない。


10月12日(火) 王様  Status Weather

 Jr.がついたころもヴォネガットの小説を読み直していると,ずっと気になっていたことを思い出した。

 北杜夫は『さびしい王様』を書くにあたって,ヴォネガットの『ローズウォーターさん,あなたに神のお恵みを』を読んでいたのだろうか。もっと前のSFなら,さもありなんといえるのだが,北杜夫がヴォネガットに言及した文章さえ読んだことがないし。

 まあ,『スズキさん』を書く前の矢作俊彦だって,テレビ番組『酒場をめぐる冒険』で,自分の家のバァカウンターをして「ローズウォーター財団」なんてクレジット入れていたのだから,読んでいたのかもしれない。


10月14日(木) 帰って来たヨッパライ  Status Weather曇り

 古本屋で手に入れた『プレイヤー・ピアノ』(カート・ヴォネガットJr)を数十ページ読み進めた筈なのに,突然目の前に現れたのは本扉。
 不思議に思わずに,はじめから読み進めたのは,たぶん同じ頃観た映画のせいだ。

 三百人劇場で大島渚の作品をすべて上映したときのこと。以前から観たかった『帰って来たヨッパライ』が上映されるというので足を運んだ。実はこの映画,はじまってからしばらく話が進んで後,初めからもう一回はじまる。ショートショートならモンティ・パイソンのコントにデジャブというのがあったが,長編でやってしまうとはいやはや。
 そのときは気づかなかったもうひとつ見所があって,それについては『ロック画報』16号に記されている。

 私が買った『プレイヤー・ピアノ』は単なる乱丁で,はじめの数台が二重に製本されていただけのことだ。意図したものでも何でもない。ただでさえ厚い本なのに,余計に束が増している。買い直しもせず,その本を数回は読んだ。

 乱丁でもないのに,乱丁か,はたまた校正せずにそのまま印刷したのかと訝しんだのは『テレポートされざる者』(フィリップ・K.ディック)。これは翻訳の問題だったのだけど,以前記した通り,何度読んでも,あるページから先はまったく理解できなかった。


10月15日(金) 祝 そして当然  Status Weather晴れ

 今日ばかりはへらへらできない。
 水俣病関西訴訟の最高裁判決で,国・県の責任が確定した。

 「東京・水俣展」が開かれた頃,徳永進・浜田晋の「すすむ&すすむフォーラム」で原田正純,石牟礼道子両氏の講演を聞いた。そのとき,原田氏が言った「(水俣病は)私には治せない病気」という言葉が,以後,ものごとを考えるときの座標軸になっている。

 この言葉は「治せない病気をもった患者さんを前に,医師ではある私は何ができるか」と続いた。

 同じ頃,ターミナルケアのありかたを模索する医療者とやりとりをする機会に恵まれた。3年間で100名近くの医師,看護婦,薬剤師,ソーシャルワーカー,市民ボランティアなどと出会った。
 医師のほとんどは,がんを「治らない病気」だという。患者さんに「治らない病気ではあるけれど,がんと旨くつき合っていきましょう」,そう語る医師が,熱意をもってターミナルケアに注力している医師だとみられていた。

 問題は主語なのだ。原田氏が「治せない」といったとき,その主語は患者の前に立つ「私」である。では,がんの患者さんを前に「治らない病気」という医師にとって,主語は何なのだろう。
 学問領域では……,一般には……,もしかしたら病気が主語になっていることだってあったのかもしれない。では,あなたに何ができて,何ができないのか。「治らない病気」といってしまった途端,すべて曖昧になるように思う。
 その間,50名ほどの医師に会ったが,はっきりと「がんは治せない病気」だといったのは3名だけだった。看護婦やボランティアは初手から「治る/治らない」で患者さんを見ていないので,「治せない病気」にできることは何かと問われても,実にあっけらかんとしていた。

 翻って同じ頃,水俣病と医学をめぐる問いかけはやっと緒についたばかりだった。私は,いまだ水俣病と看護の関係が問われないことを不思議に思った。つてを頼りに,水俣共立病院のある看護婦さんから話を聞いたときのことだ。遥かに遡ること1970年代はじめ,彼女は水俣病患者さんの家を訪ねたとき,在宅リハビリができることに気づき,以後,手弁当で地域を回ったそうだ。あたりまえにそう語る彼女の一言一言は胸を打った。

 私が水俣病に関心をもったきっかけは吉田司の『下下戦記』『夜の食国』なので,まだまだ新しいテーマであるのだけれど,この短い期間にとても多くのことを考えさせられた。

 関西訴訟については,まったくふれなかったけれど,この最高裁判決は至極,あたりまえのことだと思う。


10月17日(日) 夢  Status Weather晴れ

 娘  ねぇねぇ,どんな夢みたの?
 家内 気持ち悪かったのよ。
 娘  どんなの? だってさぁ夢って判ってるんでしょ?
 家内 えっ? なんで。夢のなかに自分も出てくるの?
 娘  自分も見えるよ。
 家内 ママの夢は,自分で自分を見てるときと,見えないときがあるのよ。
 娘  ホント!
 家内 あれ,おかしいな。これは夢だ,って思った途端,目の前の人が消えたりするの。
 娘  そんな夢,見たことないよ。

 朝から,そんなやっかいな話しなくてもいいだろうに。家内の見る夢は,何だかディックの小説,たとえ『ユービック』みたいだ。


10月18日(月) 背徳の中華料理店  Status Weather晴れ

 いつのことか,会社帰りに中華料理店で夕飯をとっていると,聞き覚えのある曲がきこえてくる。
 これは,ベルベッツの“Sunday Morning”じゃないか。中華料理店で聞くベルベッツのこれ以上ない食い合わせの悪さにいたたまれず,さっさと切り上げた。胃にもたれたの何のって。中華料理店のBGMは気をつかってほしいものだ。


10月20日(水) リード  Status Weather

 雑誌のリード文や単行本の帯にまで,注意を払う作家がどれくらいいるのかは判らない。少なくとも,以下のリード文は本人の手によるものではないかと思う。

 一九六六年の雨の夜に,東京と河一本へだてた街の米軍基地の中で,十七歳の少年が,ガール・フレンドを殺すという事件が起った。少年もその娘も,ともに死んでしまったために,その事件は新聞に一度,文明や社会に自ら明るいと信じている連中の一言と一緒に載っただけで,誰もが忘れてしまった。
 一九六六年と言えば,まだ小学生が自殺をするため高島平へ出向いたり,中学生が母親を,ラスコーリニコフのように殺したりしなかったころだが,そんなことはどうでもいい。彼が十七歳だったことも,そこが米軍基地だったことも,その夜が雨だったことも,実のところ彼とは関係ない,彼と関係あることは,ひとつも残っていないのだ。
  (矢作俊彦「レイン・ブロウカー」月刊プレイボーイ,昭和54年8月号,リード文)


10月21日(木) それは…  Status Weather晴れ

 懇意でないもの同士の打ち合わせになると,まずは日頃の口癖の応酬で,ほとんど話の落としどころなど見えてこない。

 管理会社の担当者と,もろもろを交えたマンション管理組合の打ち合わせでのこと。

 ある提案に関して,押し出しの強い40代の副理事は間髪入れず切り返す。
副理事 「今の,反対からいうと(以下略)」
担当者 「おっしゃられたことは,反対からいいますと(以下略)」
副理事 「だから,それを逆いえばね(以下略)」
担当者 「たとえばですね,それを反対からいいますと(以下略)」
副理事 「それもあるけどね,逆にいうとさ(以下略)」
担当者 「では,こう反対から(以下略)」
副理事 「それは,どうでもいいことで,それをさ,反対からいうと(以下略)」

 結局,話の内容は終始,逆でも反対でも何でもない,勝手な意見のように聞こえた。それに,短絡的にいってしまえば,反対の反対って,前言と同じことになりはしないだろうか。
 バカボンのパパのように「反対の賛成」くらい挟む芸の一つや二つあってもいいんじゃないか,と思いながら相槌を打つほうもザマないや。


10月22日(金) 賑わい  Status Weather晴れ

 思い立って夜11時過ぎ,六本木のハートランドに突入した。当然,立錐の余地はなく,まわりは外人ばかり。以前から,なんでこんなに外人ばかり集まるのだろうと訝しんでいたのだけど,一緒にいった人が「ナンパですね」と一言。よく見ると,男性ばかりの数名(多くは外人),女性ばかり数名(同じく日本人)の割合が意外と高い。そ奴らが,気が狂れたかのようにしゃべりまくっているようすは,そこにいるだけでホトホト消耗する。
 こういうシチュエーションにい合わせたのは,バブルの頃,西川りゅうじんがCMJ立ち上げたときに,そのオープニングパーティ(同じく六本木だった)に入り込んで以来かもしれない。

 ビール1本飲んで,さっさと出た。


10月24日(日) やっていいことと悪いこと  Status Weather曇り

 一晩中,止まなかった雪は,大学があった町を覆ってしまう。ベッドから出るのが億劫で,1限の授業はさぼることにした。

 初手から歩いていけばよいものを,雪も止んでいたので自転車に跨がってしまった。もちろん校舎までいく間,自転車は乗った時間よりも押していたほうがはるかに長かった。
 裏手の校門から入り自転車を置いて,掲示板へ向かった。とっていた午後の授業は休講だった。と,学食の前に喬史と伸浩の姿がある。妙な取り合わせだ。
 「なんで,こんな日の1限にくるんだよ」
 「雀荘で徹夜,だってぇの。大負けしちゃって,金借りにきたら,こ奴しかいねぇんだものさ。そしたら,さっき,あっは!」
 喬史は思いっきり顔を崩して嗤う。伸浩は神妙な顔つきだ。

 「なにかあったのかよ」
 「いやぁさ,門のところで,クラスの奴見つけ次第,雪の玉投げつけていたんだ」
 伸浩は何かにダメージを受けているようすだ。打たれ弱いのはお互いさまだけれど。
 「はぁ?」
 「ただのシャレだよ,判るだろ」
 そこに喬史が割って入る。
 「それがさ,あっは! まったく人選べよ。よりによって末野に投げつけやがったんだ。末野,顔真っ赤にして,伸浩に詰め寄ってきて,“おい,やっていいことと悪いことがあるぞ”だって,真顔でさ。あれシャレなんかじゃないぜ」

 末野は,類型的な表現になってしまうが,いわゆる優等生タイプで,われわれと繋がりようも何もない奴だった。唯一,授業にまじめに出席していた伸浩を通して,テスト前になると,われわれはノートを借りるため,かなり不自然なタメ口を連発し,顰蹙をかっていた。

 「やっていいことと悪いこと,って面と向かって言われてもな」
 「もういいよ,シャレ通じないんだよな,あ奴」
 「学校にくる奴に向けて,雪の玉投げつける奴のほうがおかしいじゃないか」
 「シャレだって,シャレ」
 「シャレになってないじゃないかさ,やっていいことと悪いことなんていわれちゃ」

 それからかなり後まで,われわれは,“やっていいことと悪いこと”というフレーズを連発した。


10月26日(火) 二人の作家  Status Weather

 チャンドラーの『長いお別れ』を読んで後,村上春樹の『羊をめぐる冒険』,矢作俊彦の『ロング・グッドバイ』と読み進めるなんて趣味人が,きっとどこかにいるかもしれない。

 そんなことを考えたのは,出たばかりの雑誌「ENGINE」に,矢作俊彦がアイラ島シングルモルト紀行「ハードボイルド・ウィスキー」と題するエッセイを寄せていたからだ。(ついでに買ってしまった。他によむところないんだよな「ENGINE」。相変わらずスズキさんは書きまくっているけど,買ってまで,いや買ってもあまり読む気になれないのはなぜだろう)
 村上春樹にシングル・モルト紀行『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』なるエッセイ集があるのは周知のこと。
 いずれのエッセイにもボウモアとラフロイグが登場する。

 私は村上春樹の熱心な読者ではないけれど,なんとなく2人の作家を比べてしまう。以前書いたように,ロス・マク(矢作俊彦曰く“いい米兵”)みたいだった『ねじまき鳥クロニクル』に辟易させられた以外は悪くない(学生時代の生井英孝がスタジオ・ボイスの,ということは佐山一郎のインタビューに答えて曰く“芸者みたいな言い方”)。思い返すと,村上春樹の小説を新刊で買ったのは『中国行きのスローボート』くらい。あとは古本屋で手に入れた。エッセイ集はほとんど新刊で手に入れたはずだ。

 「ハードボイルド・ウィスキー」は,『ロング・グッドバイ』の書かれざるあとがきみたいなエッセイだった。

 誤植ナンバー“青い山脈”を探すため,記憶を頼りに数回,ページを捲ったのだけれど,発見できず,それならと,また,きちんと最初から読み始めた。すると,付箋が何枚か立ってしまった。

・p.32 後ろから六行目
    <…伊東監察医は…> これは,p.30後ろから五行目以後に登場する<木頭監察医>と別の人なのだろうか。

・p.64 後ろから四行目
    <戦艦ヤマトの最後の乗員で> 宇宙…と頭につきそうじゃないかな。<戦艦大和>のほうが通りがいいように思う。

 揚げ足取りじゃなくて,「ヨコスカ調書」が4回連載後,著者世界一周旅行のためという理由で途絶してから四半世紀(「本の旅人」の久間十義は10年なんて書いていたけど,25年!以上前に書き始めた物語なんだから),こういうことやってしまう小説家がいることが嬉しくて,ついついページを捲ってしまうのだ。

 ところで高橋源一郎の子どもって,「ブルータス」の編集者なんだろうか。


10月29日(金) 泥沼  Status Weather晴れ

 誤植ナンバー“青い山脈” その2

・p.163  十一行目
     <彼女は自分のリュックサックから…> その六行後ろには<…ニットのジャケットを羽織り,リュック・サックを担いだ>と,中点が付いたりつかなかったり。
 
・p.188 二行目
     <…あちこちで人口海岸を造っているのは…> 「人工海岸」の変換ミスそのままなのは,いただけない。

 あまりに重箱の隅をつつくみたいで,晴れやかな気分になれなかったので,例の中井英夫が『虚無への供物』の誤植探しから生涯逃れられなかったエピソードを探そうと,あたりをつけて数冊捲ったのだけれど,こちらも出てきはしない。

 探さなければ。って,それじゃ,こんなことばかりで時間浪費してしまうぞ。


10月30日(土) Saji+Yoji  Status Weather

 今日の日記です。

 「展覧会 サージ+ヨージ東京展」(2004/12/27-11/12)がはじまったので,日ごろはギャラリーとは縁遠い会場のひとつへ出かけた。RE/MAPをたとえに出すと堅苦しくなるのが,町巡り(こちらは匙と楊子だ)という,彼のイベントに似た企画はちょっと面白い。

 “匙と楊子に関心のある人たちがあつまった”というと,何だかカッコつけすぎな気もするけれど,キーワードのひとつが“記憶とシンボル”。入ったそこには,機内食に付いてくるスプーン十色とか,スプーンについての記録が展示されていた。

 シンガポールで買い求めた七宝(?)のスプーンは,飲み物をかき混ぜる以外,まったく役に立たない代物だった。いかにも観光地土産,という造り。一度,ジェラートに刺し立てたところ,いともたやすく曲がってしまった。一瞬,ヤワにつくるほうが大変なのかもしれない,と思いもしたけれど,何がうれしくて,ヤワなスプーン製作工場側の真意を思いはかる必要があるだろう。

♪展覧会 サージ+ヨージHP
http://www013.upp.so-net.ne.jp/saji-yoji/index.html


10月31日(日) 立ち位置  Status Weather晴れ

 「テレビの討論会で,一人の少年が『なぜ人を殺してはいけないのか』と質問したという記事を読んだ。詳しいことをわたしは知らない。ただ,だれかが『あなたは,殺されてもいいのですね』と問い返しただろうか,ということが気になった。人と人が向かい合うときの,相互性とでもいう感覚が,報道された限りの発言には欠けている,と感じたからである。殺すものは殺される。これは人と人との根源的な関係だ。だが,少年の発言には人のからだを,操作する対象,すなわち物体としてしか見ていない。しかしこれは発言者個人の思考形態の問題ではないだろう。近代社会を構成している思考の論理そのものであるのだから。」
   (竹内敏晴『教師のためのからだとことば考』p.17,ちくま学芸文庫,1999.)


 喜怒哀楽のすべてに,泣くという行為がついてまわる光景だけは容認できない。



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