2005年1月

01月05日(水) 野球殺人事件  Status Weather晴れ

 ここ数日の話です。

 知人に借りた『野球殺人事件』(田島茉莉子,野球殺人事件刊行連盟,深夜叢書社,1976)を読んでいた。建石修志の装丁が中井英夫の単行本を想像させるものの,タイトルから内容は推して知るべし,といいたいところだが,こんなフレーズがあると,どうにも読み進めてしまう。

 「元来日本人と外国人は羞恥部を異にしている。いちばん大事な個処は別として,外国人は乳,日本人は臍である。」(p.87)

 知りませんでした。
 
 他にも田村泰次郎とか小林秀雄,坂口安吾などの巷間伝わる様が盛り込まれ,時代が時代ならば楽屋受けしたであろうけれど,そうした箇所を外してしまうと島田一男の推理小説のような感触だ。
 本冊には解説が入っていないが,帯に次のような紹介文が転載されている。

 「この原稿は坂口安吾氏の手を通じて編集部に送られて来る。従って田島茉莉子が果して何者であるかは編集部員にもわかっていない。ただ坂口氏の知友で,現文壇に活躍しつつある新進気鋭の作家の一人ではないかと推定できる。田島茉莉子が仮面をぬぐのは20年後とのことであるから,これも亦気の長い話である。とに角,この一篇をもって,既成探偵小説家陣営へ一矢をむくいんとする大野心作である。筆者は誰か? 犯人は何者か? 二重の興味をもって,後楽園スタディアムに展開される奇妙な殺人事件は回を重ねる毎に,読者を推理小説の醍醐味の中へと誘い入れずにはおかぬであろう」《八雲》(昭和23年8月号より)

 で,作者は大井広介らしい。埴谷雄高だけは“ない”とは思う。


01月06日(木) サンプリングブギ  Status Weather晴れのち雨

 電報で呼び出されて,裕一のアパートまで行ったときのことだと思う。喬司と3人で曲をつくった。当時,裕一は8CHのオープンデッキを持っていたのだ。1トラックはMIDI信号,もしくはガイド代わりのクリック音が入っていたので,実際のところ使えたのは7トラックではなかっただろうか。
 やたらとファンキーなループに併せて,ギターのカッティングとシンセベース,白玉キーボードが入っていた。いまだに,YMOフリークの裕一がなぜあの曲をつくったのかは判らない。ただ,思い返すと,そのときインチキ英語で付けた歌詞が,その後の数少ない共作のはじまりだった。

 卒業の年,講義が終わった教室で唐突に歌詞を付けてくれと頼まれたのが2曲目。
 「P-MODELの『サイボーグ』みたいに単純な構成の曲なんだ」
 で,『カルカドル』の頃の平沢進に大いに感化されて,歌詞をでっちあげた。ところがサビの3文字が思いつかない。あたりにいた昌己に「三文字で思いつくものなんだ?」と尋ねた。
 「くさび」
 「じゃあ,サビは“くさびを転がす”だ」
 以前,書き連ねた“Everything Goes Anything Waits”はそんなふうにして出来上がった。このタイトルはもちろん後になってこじつけけたものだ。当時の助教授の講義で記憶に残っている唯一に近い言葉からの引用なのだけれど,いったい出自が何だったのかはすっかり忘れてしまった。

 この曲は,「ポン」だとか「カン」だとか,雀荘でサンプリングしたようなフレーズが頻出する“Exsampling”とともに『various artist』というカセットに収録された。ちなみに,この適当なタイトルも私が提案したものだ。

 卒業して後,インクスティック芝浦だったか新宿ロフトだったかのP-MODELのライブの帰り,これにも歌詞つけてくれと渡されたカセットテープに入っていたのが,後の「ムーンライトシャドウマン」。
 これは,佐藤奈々子率いるバンド,SPYの唯一のアルバムに入っていた「盗まれたレプリカ」という曲を思い起こしながら,やはり適当に歌詞をつけたものだ。いや,それにしても「盗まれたレプリカ」なんて,いったい何年振りに思い出したのだろう。
 この2曲は,後に高知でライブに呼んでもらったときに,アレンジを変えて裕一のバンドで演奏されていた。

 やっと本題の「サンプリングブギ」。
 音源はない。裕一が,
「サディスティックミカバンドの『サイクリングブギ』のサビを

 サ,サ,サ,サンプリングブギ

 としてカバーしようよ」,といった,たったひとつのアイディアを頼りに,とりあえず歌詞は考えた筈。

 可愛い あの娘は 二度目が勝負

とか,

 私 あんたの サンプリングブギ

とか,とりあえず,歌詞はまとめて裕一に渡したのだと思う。
 P-MODELが凍結し,一緒にライブに行くこともなくなり,翌年,裕一は大学の研究生を終え,地元に戻った。そんな時期のことだったので,「サンプリングブギ」がどうなったのか,いまだ聞いてはいない。

 私は数年後,KORG T3で「サイクリングブギ」のカラオケをつくった。もちろん唄いはしなかった。


01月08日(土) 再構成  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 サイトのデータ量がかなり多くなってきたため,音楽データの一部を別のページに避難させた。すると,反対に余裕が出来たので,フェイドアウトしていたものを今一度ミックスしなおしたくなってきた。
 時間があれば,なのだけれど。 


01月10日(月) テクニック2  Status Weather晴れ

 ロバート・フリップいうところの「テクニックを捨て去るだけのイノセンス」は,同じくブライアン・イーノの「繰り返しは変化の一形式である」とともに,音が奏でられる場に身をおいた後,その感覚の記憶をたどるときに習慣のように甦ってくる。

 娘の自転車から片方の補助輪を外した。ひといきに補助輪なしで練習したほうが早く乗れるのではという提案を,「私は違ったわ」の家内の一言でたやすく覆されたのだ。いやはや。
 運動神経に難があるというよりは,スピードに身を委ねることにまだまだ恐れをもつ娘なので,補助輪付き自転車より私の歩く早さが勝ることしばしば。それでも20分も乗っていると,少しずつスピードが上がってくる。補助輪のまわる音が聞こえなくなる時間も,それに伴ってほんの僅か延びる。 

 できないことは承知のうえで,もし人が空を飛べたとすると,そのときの感覚は,はじめて補助輪なしで自転車に乗ったときの感覚に近いのではないか,と考えたのはいつだったろう。そこで,子どもの頃の,手応えのようなものを手繰り寄せられはしまいかと,手を交差させて乗るなど,思いつくことを試したのだ。記憶にある感覚と一致しないのは当然だった。なおさらに,あの感覚は忘れられない。
 たとえば何らかの障害をみずから抱えた後,テクニックを再び獲得しなければならなくなる以外には,ああした感覚が手応えをもって甦ることはないだろう。でも,だから,その感覚を何らかの形で引っぱり出したくなる。ルーティンでは,テクニックもイノセンスも感じられはしない。

 その夜,片方の補助輪で乗った自転車のことに話が及び,簡単に「芳しくなかった」というと,「両方取っちゃったほうがいいのかしら」と家内。“最初からそうすればよかったじゃないか”というまでのこともなく,「次の休みに補助輪なしで練習させてみようか」と答えた。
 実は,これから補助輪なしで自転車を乗る娘のことが,うらやましくもあるのだ。


01月11日(火) スカスカ  Status Weather晴れ

 「iTunesにPILの"Flowers of Romance"取り込んでさ,他のソフト動かしているとき,聞いてるんだけど,これがいいんだ」
 「音がスカスカだからホッとするよな」
 昌己がいう。

 このアルバムは“ベースレス”として名を馳せているのだけれど,ギターの低音弦をベースみたいに使っている曲があるので,アレンジは必ずしも“ベースレス”といえない。
 それよりも,確かに,音のスカスカさ,加えてドラムの音圧が“耳なつっこい?”のだ。

 ある年の夏,単位習得のためという理由から,計5名で自然の家で一週間働かされた。もちろん泊まり込みでだった。男性は私と伸浩,あとの3名は限りなく他人に近い女性。入学して2年を経てなお,私たちには見たことのないクラスメイトがかなりいたのだ。
 8月15日の夜,キャンプファイアーの司会を頼まれたのは,よほど人手が足りなかったにちがいない。
 BGMの持ち合わせなどあるはずもなく,各人が忍ばせてきたカセットテープを持ち寄った。そのとき,はじめて鳴らしたのがこのアルバム(LP)B面1曲目に入っている“Hymie's Him”。どのようなパワーバランスが働き,こんな曲をかけることになったのだろう。まったく記憶にない。
 
 スカスカのこのアルバムを聞くと,だから,キャンプファイアーを思い出してしまうのだ。


01月14日(金) 悲劇週間  Status Weather晴れ

 矢作俊彦が『新潮』で短期集中連載中の「悲劇週間 SEMANA TRAGICA」は,“短期集中”の四文字が外され,“都合により休載”の字が踊り,紙面から連載のかけらさえ発見できなくなる日が来はしまいかとスリリング。

 堀口大學をモデルとした小説なのだけど,読んでいると,どうしたわけか辻邦生のいくつかの長編を思い出す。というのは,私が,年代記の体裁(そんなものあるのかどうかさえ知りはしないが)をとった小説をあまり読んだことがないからなのだろう。他には北杜夫のいくつかの作品くらいしか思いつかないほどに。

 カンマで一度,文章を区切り,後から形容をくっつける翻訳風のセンテンスを散りばめた小技を効かせながら,まっとうなこの小説が描く世界がどこまで届くのか期待している。もちろん,それに勝りそうになる不安を押しとどめながらだけれど。


01月15日(土) Clover Diary2.0  Status Weather曇りのち雨

 Clover Diary 2.0をお送りいただき,早速活用している。

 今回の更新で,過去ログがサーバーに書き出すことができるようになった。これがとても重宝。Clover Diary上に手を入れるだけで,サイト上のデータに反映される。リンクのやりなおしや,日記相互の連関も簡単にできそう。固有名詞が多くなりがちな私のサイトなので,ちょっとしたデータベース化が進められそうだ。このところあまり手を入れていないのが正直なところだけど。

 修正中でリンクをはずしていた“Another Game”のステップ3をアップ。リンクのページも少し手を入れた。


01月16日(日) 切手  Status Weather

 小学校時代,現実に探偵小説のようなできごとが起きた。クラスメイトが,もってきていた切手のコレクションを紛失したのだ。教室で盗まれたらしい。もちろん私たちが探偵を真似て,動機のあるのは誰か? アリバイは? と,詮索したのはいうまでもない。1週間後,詫び状とともに,そのコレクションは持ち主の元にもどった。もどってしまえば探偵ごっこは終了だ。持ち出したのが誰かは判らなかったし,そんなこと初手から本当はどうでもよかった。
 切手のコレクションは,私に理解できない魅力をもっているらしいことだけが宙ぶらりんのまま引きずっていた。

 数年後,切手のコレクションについて熱く語る友人と出会った。彼の話は魅力よりも先に,ヒンジにつけてピンセットで扱わねばならないとか,決まり事がやたらと多かった。彼は切手コレクションを勧めたが,私はコレクションをはじめるよりも先に,ヒンジだけを買い求めた。その役割がとても不思議だったのだ。
 もちろん,そんな趣味に手を染めることなく,ヒンジは袖机の一番上の引き出しに仕舞い置かれた。引き出しは,収集がつかないほど乱雑になることしばしばだ。そのたび,ヒンジが邪魔になり,結局,すべて捨ててしまった。

 『切手と戦争』(内藤陽介,新潮新書)を読んでいると,そうしたどうでもいい記憶が甦ってきた。
 実のところ,この本を読もうと思った大きな理由は,矢作俊彦の『眠れる森のスパイ』でルーズヴェルト大統領の切手コレクションについて言及されており,そこで切手を通して描かれかる内容が『戦争と切手』に近いからだ。
 この小説を要約する能力は持ち合わせていないので,毎回付せられたあらすじを引用すると,

 (第32回)
 ■前号まで 太平洋戦争,それもハワイ空襲の約3カ月後に,アメリカのルーズヴェルト大統領と日本側が密かに南太平洋の島で会合した?
 その事実を描いた藤田嗣治の絵をめぐって,パリで,東京でと,殺人,放火,誘拐と事件が相次ぐ。心ならずも,この一件にまきこまれた私は,身分は国家公務員であるスパイ。KGB,CIA,フランスから来た怪しい男たちに伍して,アメリカの国際的評価が大幅に落ちる内容を持つ秘密にも挑む。ルーズヴェルトの切手コレクションの中に,その会合を証明する切手を見つけ,確認のために私はアメリカに飛ぶ。

 と,こうなる。
 読み直してみると,こんなフレーズもあった。

 「こいつぁね,君,世界に二枚,一九六九年に出版されたキルゴア・トラウトのカタログによりゃあ,二枚しかない。」

 キルゴア・トラウトのカタログね。
 これ,ほんと,どこかで一冊にまとめないのだろうか。


01月17日(月) ターキー  Status Weather晴れ

 年明けに昌己を含め計4人で,トルコ料理店から台湾小皿料理店をはしごしたときのこと。
 仕事で始まった話はいつの間にか杉作J太郎に流れて行く。残り2人はまじめに仕事のあれこれを話しているというのに,われわれは,
 「松本清張ブームなんだから,それに便乗して,J太郎の松本清六シリーズ復刊すれば売れるんじゃないか?」
 「おれは買うな」
 「だろ? 『日本の黒い霧』より先にJ太郎の松本清六シリーズ読んでたからさ,学生時代,清張読んでも,みょうにおかしいんだ」
 「死後轢断とか,G2とGHQの確執とか,J太郎描いていたものな」
 
 昌己が,
 「おれ,最近買った漫画って『杉作J太郎作品集』だものな」
 「『万祝』はさ?」
 「いいや。面白いのか?」
 「『バイクメ~~~ン』の頃の感じかな。ドトキンは出てこないけど」
 「『お茶の間』と,どうよ?」
 「いや,『バイクメ~~~ン』だな」

 傍で聞いていても,思いっきり昔の話ばかりで,入ってくる気にもなれなかったろう。人生の半分をこ奴と付かず離れずいると,どうにも笑いのつぼも同じようなところばかり。以前,ここに写した登場人物のひとり「小泉」を紹介するJ太郎の文章を諳んじると爆笑だ。距離はさておき,同じ方向に帰るので,2人と別れて駅まで延々とばか話を続けた。

 で,ターキーを食べると眠くなるという話は,本当なのだろうか?


01月18日(火) うんちく  Status Weather晴れ

 とりあえず,

  愛川欽也のうんちくを
  岡田有希子に聞かせたかったよ
  だけど今さら言っても
  しょうがないじゃない
       (大槻ケンジ「岡田ロック」)

 『戦争と切手』を読み終えた。
 たとえば,

 「交換船は,一九四二(昭和一七)年六月,アメリカのグルー駐日大使らを乗せて横浜を出帆した浅間丸が最初である。このとき,浅間丸は,中立国ポルトガルの領土であったロレンソマルケス(現・モザンピークの首都マプト)で帰国するアメリカ人を下ろし,スウェーデン(中立国)の客船グリップスホルム号に乗せられてきた在米邦人を収容し,日本に帰国している。」(p.93)

 と,中野利子『外交官E.H.ノーマン』(新潮文庫)の

 「グリプスホルム号には,日米両国間が戦争状態に入ったために突如として民間人捕虜の身分となった約千五百名の日本人が乗っていた。その中には,武田清子,鶴見和子,鶴見俊輔,都留重人ら,約十五名の留学生もいた。日本を出発した浅間丸にはノーマンが乗っている。ノーマンと都留――,ロレンソ・マルケスの埠頭での二人の一瞬の邂逅は,奇跡的な偶然としか表現しようがない。」(p.99)

 本筋とは関係ないけれど,中野利子の本でも,一番印象的なこのシーンに少しくらい触れてもいいのではないだろうか。初手から,うんちく話が多い本なのだから。


01月19日(水) ライブ・エイド  Status Weather晴れ

 相変わらず,最近の話です。

 弟が「ライブ・エイド」のDVDを買ったと連絡してくる。

 「デヴィッド・ボウイがアン・レノックスとデュエットするやつだっけ?」
 「それは『フレディ・マーキュリー追悼ライブ』だろ。ミラノに来たとき,見せた」
 「あれ? そうか」
 「炬燵に入って,朝まで見てたじゃないか」
 「おまえと?」
 「加山雄三か誰かが出てて,さんざん悪口いってたぜ」
 「佐野元春がアル・ヤンコビックを真似て,スタ・カンのパロディを演奏したフィルムが流れた奴だっけ」
 「そうそう,それだよ」
 「ウルトラボックスが“Dancing With Tears in My Eye”演奏したか?」
 「格好いいんだ,これが」
 「ライザ・ミネリが出て」
 「それは『フレディ・マーキュリー追悼ライブ』」

  で,調べてみると,ライブ・エイドって7月じゃないか。何が炬燵で朝までだよ,家があったのは南半球じゃなかったぞ。実のところDVDを見るまで,弟もこの2つのコンサートを混同していたようだ。
 どうでもいいけど,子どもが生まれる前というのに,国際電話で話す話題じゃないと思う。
 それから数日後,無事,子どもが産まれたと母親から聞いたのだけど,一向に連絡はない。私との話題は,子どもよりライブ・エイドなのだろうか。


01月21日(金) ギャラクシー500  Status Weather晴れ

 本屋の店先で雑誌を手にし,新譜のレビューを眺めても,バンド名とアルバムタイトルの区別がつかなくなったのは80年代の終わりころだと思う。時同じくして旧譜のCD再発ラッシュが始まった。暖かいとはいえない懐具合と相談すると,いきおい旧譜を買い求めてしまうのは仕方あるまい。とはいえ,オインゴ・ボインゴ,ペル・ウブなどアメリカのニューウェイヴ,チェンバー系プログレなど,その頃,吟味して手に入れた筈のCDは結局,売り払ってしまった。

 ただただ,新しいバンドから遥か遠ざかっただけの数年が過ぎた。
 一度こうなってしまうと,リアルタイムのロックを聞いてアドレナリンを沸騰させるなんてことは,まずない。週末に高円寺,吉祥寺のライブハウスを闊歩したり,現代音楽やクラシック,ジャズ,ハウス,テクノと越境したり。

 その頃,“新しい”バンドではほぼ唯一,ギャラクシー500のアルバムを買った。最初に聞いたのはセカンドアルバムだ。巷間,“ベルベッツのフォロワー”なるフレーズを目にするが,私のイメージでは“ニールヤング道を極め損なった”といったほうが近い。ニューオーダーのカバー“セレモニー”も,まるでニールヤングの曲であるかのように歌われていて,それがやけに嵌っていた。いや,どんな曲をカバーしても,バンドのオリジナルっぽく(つまりはニールヤングっぽく?)しか演奏できない様は凄いと思う。

 ある日,あっけなくバンドは解散した。
 その後,ルナの1stは買ったのだけれど,音の感触がかなり違っていた。ほとんど聞くことなく,売り払った。

 あるとき,理由もなく2ndアルバム“On Fire”とTalk Talkの“Laughing Stock”からは遠ざかろうと決めて以来,数年が経った。ところが,はずみで,“Uncollected Garaxie 500”を買ってしまってからは,再びどっぷりと嵌ってしまった。でも,聞いていると当時の嫌な記憶ばかりが甦ってくるのは,どうしたわけだろう。

 ビデオトラックとして一曲だけ入っているのが“Blue Thunder”。何の説明にもなってはいないけれど,このバンドっぽいPVだった。 


01月23日(日) ない  Status Weather曇りのち雨

 この曲にもタイトルがついていなかった。仮に「あぶら」と呼んでいたけれど,録音して後,タイトルが必要になることはなかったので,以後10年以上,KORG T3用FDには「あぶら」(仮)と書いたまま。
 歌詞は昌己,徹と共作した。スタジオの帰り,「8文字ずつ」という条件だけつけて,スケッチブックに書き連ねたフレーズを並び替えたもの。アイディアも何もないまま,適当につくったため,「聞いたことのない」「見たことのない」と続くのにもかかわらず,「触れたことのない」で締めていない。もちろん,意味はないのだけれど。

 データ調整中


01月31日(月) 天秤  Status Weather晴れ

 いいものもあれば悪いものもある。

 YMOのアルバム『増殖』のなか,スネークマン・ショーを従えた寸劇で交わされるフレーズ。実はこれ,天秤から降りるスタンスのことを示していたのではないだろうか。いつの間にか諳んじていたフレーズのひとつだけれど,ただ,冗談代わりに用いていただけ。意味なんてありはしなかった。数多のそうしたフレーズが,四半世紀経って意味を持ち始める。最近,やけに多いのだ。今頃言うことではないとは承知の上で。

 上海に行って,二項対立で物を言ってしまうときついな,と何度も感じた。あれはダメで,これはイイ,と規定すると,自分の感覚とは乖離してしまう。せいぜい,そんなによくないだろう,とか,それほど悪くない,とか。つまりは,いいものもあれば悪いものもある。



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