2005年4月

04月02日(土) 間隙  Status Weather曇り

 “Anothre Game”をまとめ始めたのは15年くらい前のこと。直接にロックとは関係ない領域から基本となるアイディアを得て,オーウェルの年に至る数年間をまとめられないかと考えたのだ。
 数ヶ月後,大筋を纏め終えたところで飽きてしまい,放ったらかしにしたまま数年が経った。

 Perfoma560を買ったのは上司のすすめがあってのことだった。しばらく後,縦書き表示が出来ることで重宝なMS-Word,テキストコンバータなどを譲ってもらった。まだ,インライン入力はできなかったものの,私は「Another Game」のことを思い出し,FDに残っていたデータをコンバートした。そして,ひまをみてポツポツと手を入れ始めた。思いつくまま,固有名詞を放り込み,場面を書き加えていくのは予想外に面白い作業だった。ところが,ある箇所まで来たとき,蟻の巣のような,物語のテンポだけではクリアできない不明確な箇所があることに気づいた。私は再び,データを放り出した。

 例の蟻の巣を埋められるのではないかと思ったのは2002年,雑誌「ロック画報 08:日本のパンク/ニュー・ウェイヴ」を捲っていたときのことだ。ポツリポツリと手を加えながら昨年,サイトにアップしていった。

 『2トーン・ストーリー』(デイヴ・トンプソン著,中島英述訳,シンコーミュージックエンターテイメント)を読み終えた。(“パンク”という名の台風一過,79年ロンドン。大不況の荒野を,人種の壁を超え自分たちの手で新たな世界を築こうとした,ポストパンク世代の真実/帯より)スペシャルズ(ジェリー・ダマーズ)を柱に据えて,1979~1981年にわたる2トーンレーベルの興亡を描いたものだ。
 当時,スペシャルズにはまったく興味がなかった(なにせプログレにどっぷり漬かっていたのだから)ものの,1981年前後,音楽雑誌に載ったジェリー・ダマーズのインタビュー記事のことを覚えている。そこで彼は,リリースが遅れている新曲“Ghost Town”について実に多くの言葉を費やして語っていた。まだ誰も聞いていない曲について,決して饒舌にではなく,真摯な態度でアイディアから何から伝えようとすること自体,私にはとても不思議だった。後年,こちらは今でもまったく興味がないX JapanのYOSHIKIが“Art of Life”なる曲の創作過程で受けたインタビューも同じような感触だった。ただし,こちらは,曲への過度の思いが先走って,どんな曲なのか一向に伝わってこなかったけれど。

 80年代初め,ロック雑誌に掲載されたインタビューを読んだときの記憶に,四半世紀を経て,やっと焦点が定まった感覚があって,とても面白かった。お陰で,“Another Game”が抱えていた間隙がまた一つ埋まった。


04月04日(月) 音楽  Status Weather雨のち曇り

 坂本龍一の言葉で,私が唯一記憶しているのは,メッセージ・ソングについて次のようなニュアンスで語られたものだ。
 「歌詞は判った。では,なぜスリーコードで作曲された曲が歌詞とメッセージ性(この場合,多くは“反体制”というメッセージだが)を持つのだろうか」
 つまり“反体制”である曲は,スリーコードで作曲されるものなのか,反体制である曲とはどういうものなのか,という問いだ。(以前書いたような気がするが)
 多くのとき,何がしかのメッセージを抱えながら展開していった“2トーン”が,なぜスカ(『2トーン・ストーリー』には,パンク+レゲエと記されている箇所があるけれど)を選びとったのだろうか。実にていねいに書き込まれている『2トーンストーリー』においても,その点が,今ひとつ明確にならなかった。もう一度読み直そうと思う。
 キーワードは“移民”にあると感じているのだけれど。


04月05日(火) ロック  Status Weather晴れ

 こんな人種になりたいなんて一時たりとも願いはしなかったし,今でも隙あらばそこから逃れようと勤しんではいるのだけれど,しかし社会人になってしまってから後,“ロックが自分の人生を変えた”“ミュージシャンの某が自分の指標だ”なんて大仰なことをいう上司やら同僚を何人か目にした。
 そんなものかなと横目で眺めていると,いやはや,どこがロックによって変わった人生なのか理解しがたい行動ばかり。ビジネス小説を鵜呑みにしたかのように,“純粋”に策略を計ったりするところは,おせっかいな“いい人ロック”っぽいけれど,それならフォークや,体育会系のアイドル親衛隊でも変わりばえしないだろう。そ奴にとってロックは逃避の対象でしかなかったんだろうとは思うものの,そこから先を想像する気にはなれない。

 P-MODELの3rdアルバム「ポプリ」の帯にはこう記されていた。
 「ロックは恥ずかしい」

 私は“ロックが人生を変えた”などと声高に言う気は毛頭ない。ただ,未だにロックを聞かざるを得ず,そして恥ずかしいと思いながら,そこにこぼれ落ちていかざるを得ない自らのモラルのような何かと,それが移りゆくさまを想像していく体力だけはあると思うのだ。

 読み応えはあったのだけれど,「AERA in ROCK」に完全に欠落しているのは含羞だ。


04月07日(木) カギ 2  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 「新潮」5月号で,清水博子『カギ』が単行本として刊行されたことを知った。同小説が「すばる」に掲載されたのは2003年10月号。「ネットで公開された妹の日記。それを覗き見る姉の日記……」(広告のコピーより)という内容(構成)で,雑誌で読んだとき,そう手を入れるところはないように感じたのだけれど,刊行までこれだけ時間がかかったということは,かなり改稿されたのかもしれない。
 この小説の後半,姉の日記に,本屋でダディ・グース氏の姿を見つけ,友人と二人後をつけるくだりが登場する。そして小説自体「ダデ」と,まるでキング・クリムゾンの“The Mincer”のように終わる。

 で,今頃思い出したのは,矢作俊彦関連の老舗サイトのBBS(2003年6月7日付)に,旭屋書店赤坂店で目にした矢作氏のことが書き込まれていたことだ。

 手元にないのではっきりしないけれど,『カギ』のなかで,姉とその友人がダディ・グースの姿を見つけたのは11月末か12月のことだった筈。もちろん月日は違うのだけど,小説の原稿期日を考えると,BBS書き込みと執筆時期が符合するように感じるのは穿ちすぎだろうか。

 短期集中連載『悲劇週間』は,突然,トップギアに入ったかのような言葉の洪水。思わず書き留めたくなるフレーズが次々登場してくる。


04月09日(土) 線  Status Weather晴れ

 たとえそれが当たろうが外れようが,喬史と知り合ってしばらく後,占い自体に興味がなくなった。実は二人とも,いわゆる“マスカケ相”をもっている。喬史と会うまでは,巷間,見た目は変でも,悪くない相だと聞いていたので,人並みに関心をもっていた。

 あるとき,喬史が「俺の手相は,1000人に一人っていわれているんだぜ」と,手のひらを見せた。実のところ,私は彼の手のひらよりも,図太く短い親指に数倍,インパクトを受けたのだけれど。間髪入れず「俺も同じだ」と,私は彼に手のひらを向けた。
 「おお,1000人に一人が二人いるってことか」
 「いや,弟も同じ手相なんだ」
 そう,私の弟も“マスカケ相”をもっているのだ。途端,喬史の顔つきが曇った。
 「実はさぁ,これ,いい手相だといわれてんだけど,俺も知り合いに二人いるんだ」
 「1000人に五人じゃないか。ちょっと多すぎないか,それ。めずらしくもなんともないぜ」
 「お前も弟も受験浪人だったよな。それがさあ,俺もそ奴らも皆,浪人してるんだ」
 「おいおい,それじゃ“浪人線”じゃないか。いきなり不吉になったな」
 「まあ,これから受験することなんてないだろうから,関係ねえけどさ。薄々,そんな気がしてたんだ」
 「いやな線だな,“浪人線”なんてさ」
 「手相の本には,天下をとる線って書いてあるんだけどなぁ」
 「天下とるのに浪人しなけりゃならないなんて,コストパフォーマンスよくねえな」

 で,娘が生まれたとき,同じ手相をしているのを見て,いったい私のまわりに“マスカケ相”をもった者が何人になったのか数えるのも煩わしくなった。
 遺伝と統計に身を委ねるのは,たぶん趣味の問題だと思う。


04月10日(日) 更新状況  Status Weather晴れ

 “Another Game”step5。ここに手を入れておくと,後が楽になるため,かなり時間がかかってしまった。(その後,step6のアップ済)。

 「矢作俊彦 因果律ランダムハウス」キラーに口紅。コメントつけるまでもなかった。


04月12日(火) タイトル  Status Weather雨のち曇り

 相変わらず今日の日記。

 清水博子の『カギ』(集英社)を買った。発売早々というのに,某スノビッシュな書店にさえ1冊棚差しになっているだけだったので,思わず手に取ってしまったのだ。帰りの地下鉄のなか読み進めると,雑誌掲載時と同じ箇所で笑ってしまった。
 「妹がウェブ日記を書いて公共の場に流している」ことを知った姉が,その日記を読んでひとこと。

 「とりあえず一点だけ。
  日付を英数大文字で入力するのはみてくれがわるいからやめてほしい。」

 姉と妹の日記がほぼ交互に登場する(だけの)小説なのだけど,この小説家の企ては,ひとつ,ツメが甘いのではと思った。ウェブ日記なのに,日付だけが付されていて,タイトルがないのだ。(まあ,ホントどうでもいいことだな)

 見返しの著者近影はMario Aの撮影なのだけど,こ奴は昔,埴谷雄高や武満徹をモノクロで撮っていたんじゃなかったのか。この小説家の写真はカラーだし,ヒョウ柄のコートを纏って,白いブーツを履いた脚を階段に投げ出した姿が写っている。写真の印象があまりに違いすぎるので思わず笑ってしまった。


04月15日(金) 間  Status Weather晴れ

 スイッチをカセットに切り替えると,急いでデッキの停止ボタンを押し,ほんのカセットを少し巻き戻す。すぐさま再生して,前の曲の終わったところで今度は一時停止。そのまま再生と録音のボタンを押して,再びラジオに戻す。
 よかった。まだ,曲は始まっていなかった。
 ナレーターの朗読は「……だった・ので・あっ・・た…」とスピードダウンした。今度こそ,そこで曲が始まるはずだ。一時停止を解除する。予想通り曲が始まる。やれやれ。と,突然,廊下から蛍光灯のスイッチを入れる音が聞こえてきた。あぁ,という間もなくノイズは遠慮なしに飛び込む。
 せっかくスタートは旨くいったのに,なんということだろう。クリムゾンの「アイランズ」の録音に失敗してしまった。明日は運が悪いかもしれない。

 NHK-FMで夜11時過ぎからオンエアされていたクロスオーバーイレブンをエアチェックするたび,夜毎同じようなドタバタ劇を演じるはめになった。曲のはじめからおしまいまでかかるため(ときどきラストの曲は端折られたりしたけど),エアチェックには重宝な番組だった。ただし,タイトルを紹介せずに突然曲がかかるので,ナレーターが読むスクリプトの間(ま)を汲み取って録音のタイミングをはからなければならなかった。加えて,何曲続くのか情報が圧倒的に欠けている。だから,仮に4曲目と5曲目を録音しようとすると,まず,4曲目の始まりを予測しなければならない。次に,それに続いて5曲目がかかるかを考える。下手すると,4曲目が終わって,またナレーションが始まるのだ。すると,その終わりをまた予測しなければならない。
 思えば,ばかばかしい所作を続けていたものだ。全編を録音してダビングするにも2台のデッキはなく,たとえあったとしてもそんな面倒くさいことに時間を費やそうとは思いもしなかった。
 今や,エアチェックといっても何のことか想像できない世代が現にいるのだから,なおさら,なぜこんな面倒なことをしていたのか理解できはしまい。実のところ,読みが当たると意外と妙な達成感があるのだ。あほらしいけど。

 いつ終わるかしか気にしていなかったから,あの番組のなかで数多読まれた文章の内容は,ただの一言も記憶にない。


04月17日(日) 子どもと魚に声はない  Status Weather晴れ

 竹内敏晴氏の脚本・演出による「子どもと魚に声はない」を観たのは,まだ娘が生まれる前のことだった。その頃,私はヤヌシュ・コルチャック先生についてはまったく知識をもっておらず,ただ,チケットが手に入ったため,昌己と連れ立って行ったのだ。芝居は,コルチャック先生の半生と,現代日本の教育現場を行き来しながら,ミシンのような暴力性を前に,それでも次の一歩を踏み出す姿が描かれる。マシウス1世が2つの時代をつなぎ,活劇シーンのBGMは鉄腕アトムだった筈。(この芝居については竹内氏の『癒える力』(晶文社)のなかで触れられている。)
 
 雨の日に紹介状を持って逢いに来るような押し付けがましさではなく,解決できないものを前に,祈らずにおれない心性には,気持ちが突き動かされてしまう。

 で,坂口尚の長編漫画『石の花』の冒頭に登場する教師には,どこかコルチャック先生の姿が二重写しになる。


04月19日(火) 校正  Status Weather晴れ

 埴谷雄高の死後に講談社から刊行された全集は,誤植の酷さでその名を馳せた。『死霊』が文庫に入ってしまう時代だからといって,誤植に目を瞑る必要はかけらもあるまい。それにしても,内田百間の作品が現代かな遣いなってしまったり,埴谷雄高の作品が文庫化されてしまったり,死んでしまうと,作者の意志がこうも容易く踏みにじられるのはどうしたものだろう。埴谷氏については,池田晶子氏が,死前後の顛末を憤懣やるかたない筆致で描いていて,あらかた想像はしていたものの,「埴谷雄高でさえ醜悪な身内に無茶苦茶にされてしまうのだ」と情けなく感じたのは数年前のこと。ゾンビを生み出されたカフカのような目に逢わなかっただけ,それでも幸せだったと思うべきなのだろか。
 みずからの作品の文庫本化を頑に拒んだのこの小説家には,辻邦生を従えた東欧紀行『姿なき司祭』など,読みやすく面白い作品が何作もあるのだけれど,それらが確かな校閲の後,長く単行本で読み継がれるなど,もはや夢また夢。

 矢作俊彦の短編「キラーに口紅」の初出時の冒頭をアップしたのは,どこかそうした引っかかりがあってのこと。おざなりな校正やら,せっかく修正したものを前の状態に戻してしまったり,小手先勝負の企画が幅を効かせるなかで,単行本収載にあたり,これくらい手を入れる小説家がいるのだと。


04月21日(木) TG  Status Weather晴れ

 本HPの「MUSIC」には,Cola-Lによる“TG”が置いてあるものの,これは「NOVEL」に登場する“TG”とは,まったく別もの。今頃になって気づいた。もう少しネーミング考えればよかった。


04月24日(日) why と how  Status Weather晴れ

 「(前略)……どうしてあなたの足がそんな目にあわなきゃならなかったのかしら。あたしたちがどんな悪いことをしたっていうの,いったい?」
 「たぶん,おれがまずかったのは,最初に足をこすったときにヨードチンキをつけ忘れてしまったことだな。それから,おれはめったに黴菌がうつらないたちなので,それっきり注意をしなかった。(後略)」彼は彼女を見やった。「ほかに何を知りたい?」 
 「そんなこと言ってるんじゃないのに」
 「もし,あの未熟なキクユ族の運転手の代わりに腕のいいメカニックを雇っていたら,そいつはオイルチェックをしただろうから,あのトラックのベアリングを焼きつかせることもなかっただろう」
 「そんなこと言ってるんじゃないったら」
 「もしおまえが,おまえの家族や,あのオールド・ウェストベリーやサラトガやパーム・ビーチの連中と縁を切っておれを抱え込んだりしなかったらーー」
 「だって,あなたを愛しているんですもの,あたし。そんな言い方はないでしょうに。いまだって愛してるのよ。その気持はこの先も変わらないわ。あなたはあたしを愛してないの?」
 「ああ」男は言った。「愛してないね。これまでだって」
 「何を言うの,ハリー? どうかしてるんじゃない,頭が」
 「いや,もともと頭なんかないんだよ,おれには」(後略)
   アーネスト・ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』(高見浩訳,新潮文庫)

 “why”から発せられる「彼女」の問いを満足させる答えはない。それに対して「彼」(ハリー)は,いくつかの“how(reason)”で応答する。少し前(ココ)に記した辻邦生の指摘に共通すると思う。ただ,ヘミングウェイが,もうひとひねりするのは,「彼」の身体に起きたことについて「彼女」が「あたしたち」と問う図式を持ち込んだことだろう。


 湖を見下ろす丘の上に,隙間を白いモルタルでふさいだログハウスが立っていた。
   (同)

 この視線は,まるで大友克洋の漫画のたとえば,それは『童夢』で,見られている人の視線で,その人を見る警察官の姿を描いたヒトコマみたいだ。


04月25日(月) 瞬間  Status Weather晴れ

 娘の運動会で,私が写した写真は構図が決まらず,非道いものは指がレンズを遮っていたりする。せっかくやってきたのに,何が楽しくて最初から最後までレンズを通して,目の前で起きていることを見続けなければならないのだろう。どうにも,だらだらと場を眺めてしまう癖があるのだ。
 結婚式に暴力性を感じるとすると,それは数多を記録に残そうとさせるあざとさに起因するものではないかと思う。初手からテーブルに置かれた使い捨てカメラをしかたなく手にしたものの,「シャッターチャンスになんてシャッターを押すものか」と身構えていると,次第に身の置き所がなくなってくる。用意された瞬間に合わせてシャッターを切るなんて,情けないと思いながら,実は,その瞬間さえも見極められないのかもしれない。

 それは,知り合いの家族を囲むささやかな会でのことだった。
 私は進行とスナップ撮影を任された。これを同時にやれというのだから,いずれも大した役割ではないのだ。食事をしながら,とってつけたようにスピーチを振ったり写真を撮ったり,それはそれで忙しかった。
 最後にご主人が私たちに挨拶をし,奥さんはそれに続けようとしたのだけれど,感極まって泣き出してしまった。そのとき,若い子が,私が捨て置いたカメラを取り上げてシャッターを押した。現像した写真は見ていないのだけど,その瞬間を写したのだと思う。
 常識をもった子が,あたりまえのようにとった行動だから,とても気になった。瞬間を見極めてシャッターを押すことに専念するあまり,こんなボタンの掛け違いのようなことが起こることに。
 あんな瞬間を記録する必要があるとは,私には思えないのだ。人が泣いている姿を覚えているなら,それでいいし,忘れてしまっても何の差し支えもないよ。


04月26日(火) 読書  Status Weather曇りのち晴れ

 週末の午前2時,3時までのひととき以外,家で本を読む時間をとらなくなって久しい。たまに子どもが眠りにつく前に帰宅したとき,寝かしつけるために一足先に布団に潜り込む数分が貴重なのは,ペラペラとページを捲ることができるからだ。もちろん子どもが部屋にやってくるや灯は消され,眠りにつくまで,続き物のお話を即興でしなければならならない。
 先日,他の資料を探すついでにクローゼットの奥から出口裕弘の『ペンギンが喧嘩した日』(筑摩書房,1990)が出てきた。内容についてまったく覚えていなかったので,拾い読みしようと枕元に出しておいた。このところ「トランポリン自転車」という話が続いていて,前回の話を思い出しながらその本を捲っていると,フランスのカンという石造りの町がすべて再現されたことに驚く件があった。それと東京の町並みを比べて話は続くのだけれど,そのあたりで娘がやってきたので畳んで枕元に戻した。

 椹木野衣の『戦争と万博』(美術出版社,2005)に,これと同じ指摘が正反対から記されている。石の建築と木の建築の対比など,目新しくないものの,別個のところから,似たものをパズルのように繋げてしまうのは癖だからしかたない。友人に話しても「どこが似ているのか」理解されないこともしばしばだから,概ねは思い込みなのだけれど。
 さて,この本を手に入れたのは,“Another Game”の資料になるだろうかと思ったからなのだけれど,資料どころか,そのまんまだった。こちらの想像力なんて現実ではすっかり済んでしまったこと(思考)なのだと思いはしたけれど,面白い。ただ,2つのうち(曖昧な表現だけど),ほとんど行われなかったほうのことが“Another Game”のテーマなので,これまで読んだ箇所では,ほとんど触れられていない。


04月30日(土) パレ・シャンブルグ  Status Weather晴れ

 昌己によると,凍結前P-MODELの面白いところは,パレ・シャンブルグに似ているのだという。
 「P-MODELというより旬のほうだけれどな」
 「で,パレ・シャンブルグってなんだ?」
 「1枚目で抜けちゃったんだけど,ホルガー・ヒラーがいたバンド」
 「ライ・バッハより似てるんだ?」
 「ああ」
 さすが“ニュー・ウェイヴ博士”の名を恣にしただけのことはある。
 そんな話をしたのは15年くらい前のこと。当時,ホルガー・ヒラーのソロアルバムは手に入れられたのものの,パレ・シャンブルグの音源など,どこにも見当たらなかった。ときどき輸入CD屋の仕切り板にその名があったりすると,期待したけれど,いつの間にか仕切りさえも消えた。

 パレ・シャンブルグの片割れはトーマス・フェルマン,The Orbでアレックス・パターソンと組み,ばかばかしいハウスを作り出していた奴だと知ったのはつい最近のこと。
 総じてハウスが苦手だった私にとって唯一,聞いていたのがThe Orb。結局,音楽の嗜好は,いつまでたっても変わらないようなのだ。



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