2005年8月
08月02日(火) インスト |
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「山さ?ん 長さ?ん ゴリさ?ん そして ボ?ス」 昌己が「太陽にほえろ」のオープニングのフレーズをなぞって歌う。 「なんだよ,それ」 「知らねえのか,ほんとは歌詞があるんだぜ。この曲」 「にしては,“そして”って,かなり無理がないか?」 「うるせえな。いいんだよ!」 |
08月05日(金) おばさんたち |
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おばさんA「そんな,夢みたいな世界から現実に戻すようなこといわないでよ」 おばさんB「(よく聞こえない)」 おばさんA「私なんか,新婚旅行の時,主人にいじわるされて,今に仕返ししてみようって思いながら,気づいたら40年経ってるんだから。あっという間よ。そんなもんでしょ」 おばさんB「(よく聞こえない)」 おばさんA「え,新婚旅行行ってないの? あら」 おばさんB「(よく聞こえない)」 おばさんA「まあ,きれいな蝶々。オオルリハアゲハ(ママ)っていうのよね。ほら,近くへ行ってみましょうよ。先行ってるから,食器,下げてきてね」 そして,2人連れの姿は消えた。芦ノ湖畔にて。 |
08月07日(日) 流行 |
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しばらく前から,政治家の口から出る「この国」「担保」という言葉が鼻につく。 実のところ,本当に他人事としか思っていなくて,意識的に使っているのだろうか。 |
08月11日(木) 仕事 |
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他の企画と並行しながらも,先が読めないほど膨大な量の仕事を終えるのに1年半かかった。このままトラブルが起こらなければ,週明けには手を離れ,いくつかの後処理を済ませると,9月には完全に手を離れる。実際の成果が現れるのは11月に入ってからなので,なんだか拍子抜けしてしまうけど。 20代の頃,一つの企画に2年近くかけたことがある。同僚たちが次々に片付けていく姿を横目に,自分の段取りの悪さに辟易とした。一生,ケリをつけるものかと言ったりしたのに,終わるときは終わるものだ。2年かかったのは,確かに例外だった筈。 たぶんこの規模の企画は,今回が最初で最後だと思う。一人で担うにはケタ外れな量なのだ。なおさらに,もう少し手をかけられなかったものかと,反省一入。不燃感を引きずるのは常。年とっても,それは変わらない。 |
08月13日(土) 用法 |
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裕一は不摂生しているわけでもなかったのだけれど,よく体調を崩した。リンパだったかに細菌が入り込む質の悪い病気に罹ったときは病院で診療を受けたものの,それ以外はほとんど市販薬で対処していた。 初手から身体が弱いものだから,それだけで持ち直すことは少ない。いきおい,栄養ドリンクでもって薬を流し込んでいた。 雀荘に入ろうという午後。裕一は,近くの薬局で栄養ドリンクを買い求めた。 「なかなか治らなくてなぁ」 「病院行ったほうがいいんじゃないか」 「大丈夫,大丈夫。今朝もユンケル一本飲んできたから。これで治るやろ」 「で,なんで今,もう一本買ったのさ」 「一本で効くかいな」 「その手の栄養ドリンクって,一日一本以上飲むなって書いてあったよな」 「だから違うメーカーのドリンク買ったんやないか」 確かに,違うドリンクを含めた記述はないから,用法として間違いではないのかもしれない。いや,そんなことはないけどね。でも,あれは誰に対して向けた理屈だったのだろう。 徹が「仕事の夢を見た翌日は会社を休む」といったことも同じなのだけど,私たちの物言いには,自分に向けた屁理屈のようなものが,ままあったように思う。 |
08月15日(月) 大したもの |
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80年代のニューウェイヴに,時々,60年代後半のキンクスほどには知られていないブリティッシュ・ロックバンドの曲を織り交ぜてかけるインターネットラジオ。聞いていると,その手練手管に「これ,知らないネオアコバンドだな」と,何度だまされたことだろう。もちろん,60年代のバンドの曲なのだ。 次々とかかる80年代のニューウェイヴバンドの曲には,当時も思ったものだけれど,「大したことないな」というのが変わらぬ感想だ。ただ,その大したものじゃない曲が好きなのだから,曲が大したものであろうがなかろうが,そんなのは,大勢に影響しない。 |
08月16日(火) 湯気の匂い |
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「寒いと母が言うので,タオルを温めてあるキャビネットから看護婦が一枚出してくれた。私にもその匂いが嗅ぎとれた。清潔で温かそうな湯気の匂いだ。」 レベッカ・ブラウン『家庭の医学』(p.18,朝日新聞社) 「湯気の匂い」という箇所を読んで,いつの記憶と結びついているのか判らないのだけれど,下ろしたてのマスクの匂いを伴って,嬾惰な倦怠感が甦る。 |
08月20日(土) 10年 |
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小学生になって初めの何年か,夏になると1か月近く大阪の親戚の家に泊まった。特に楽しい記憶があるわけではない。せいぜい思い出せるのは,万博からはじまって,甲子園球場での高校野球(というよりもかち割り),阪神パークとトランポリンくらいのものだ。それは暑さと,大阪と兵庫が微妙に入り組んだ記憶だった。 10年前,仕事で震災後8ヶ月を経た神戸を訪ねたことがある。9月とはいえ,まだ暑かった。小学生の頃,続けて出かけていたにもかかわらず,以後20年,彼の地は遥か彼方にあった。 あちこちが水色のビニールシートで覆われ(このシートについては,雑誌「nobody」19号で,矢作俊彦が辛辣に語っているが),会う人会う人,誰かを亡くしていた。「倒壊に遭い,そのときの切断のショックで亡くなった」教え子の話を語っていただいたある教師を前に,いつまでもこうして話を聞いていようと思いながらも,結局その間,何一つ言葉が出ず,逃げ出したくなったことを覚えている。 その後,2年に1回ほどもペースだけれども,仕事で神戸に行く機会があった。そのたびに,記憶に伴う質のような何かが,目の前で変化したように感じる。 |
08月22日(月) スタジオ・ボイス 1 |
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実家から昔の(1982年!)の「スタジオ・ボイス」を持ってきた。帰りの電車のなかで読んでいたのだけれど,やはり佐山一郎編集長の頃のこの雑誌はホント面白い。 アフガン帰りの東郷隆に,矢作俊彦がインタビューしている記事。(ここです) 「第2スタジオ・ボイス」とか,「不良にとって美とは何か」とか,順次アップしようとは思うのだが。 |
08月26日(金) ニューヨーク |
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10年使えるパスポートが切れるのを前に,週末から1週間ほどニューヨークへ行くことにした。ちょうど煩雑な仕事に一区切りついたし,この先,こんなタイミングに恵まれることもないだろう。 この年になって米国に行くのは10数年ぶりで,東海岸ははじめて。もちろん観光客に徹するつもり。いや,観光客として振るまうことしか出来そうにない。浮浪者のような姿の篠原某に酒を奢ってもらったり,著名なピアニストのライブに出くわしたりすることはないと思うけれど,このところ,五感が退化しているので,少しは抑止されるとうれしい。 |
08月27日(土) 火 |
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デイ・キャンプに子どもを連れて行き,傍観するタイミングを逃したため,半日,火の番をしていた。 ブロック製のかまどで最初,飯盒をかけ,カレーをつくり,最後に団子を炙った。暑いけれど,火の番をしていると他のことに気をとられるひまなどないので,散漫な意識を集中させるにはなかなか勝手がいい。 |
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