2005年9月

09月02日(金) UN  Status Weather晴れ

 "Do unto Others as You Would Have Them Do unto You"

 国連本部を見学してきた。ガイド付きツアーは有料で,陳列されている絵画や彫刻は各国からの貰い物。それは何に似ているといって,10数年前,ポンピドーセンターで開催され,誰もが耳を疑った「アンドレ・ブルトン展」のようだった。

 展示品の一つに"Norman Rockwell Mosaic"があって,そこに記されているのが冒頭の一文。最近まで物事を判断するときの座標軸として,あたりまえに考えていた。私の場合,前後に“not”が入っているのだけど。まあ,それくらいしか考えつかなかったのだ。
 最近,これが意外と困難を伴うものだと実感した。


09月03日(土) CBGB  Status Weather晴れ

 情報誌を見ていると,CBGBでシャム69が2DAYS! こ奴らは30年間,同じライブハウスで演奏を続けていたのかと,妙に感傷的になっていたら,どうも様子がおかしい。テレビのニュースショーではCBGB前からスタンドアップ。CBGBが今頃なぜ? 
 実は,ビルの大家(オーナー)が賃貸契約の更新を拒んでおり,このままでは立ち退かざるを得ないのだそうだ。渋谷ライブイン(ビルの8階だったろうか。ポゴダンスされた日には階下の店は商売にならないことは想像できるし,傾斜のなくステージが実に見づらいフロアだったけれど,最後尾のバーにもたれて聞く気分は悪くなかった),新宿ロフト,実際に足を運んだライブハウスでも同じようなことは起きた。だから,冒頭の「演奏を続けていたのか」のあとに,「というより,まだ,あったんだCBGB」というのが正直な感覚だ。

 そんなこんなのためかどうかわからないけれど,最近,P-MODELの1stアルバムA面ラストに収められた「子供たちどうも」をリフレインしてしまう。

  昨日も今日も明日もここかしこで
  当然の分け前の生を
  もろもろのウソがウソが
  無関心と二重思考が
  今日を明日につなげないだから
  今すぐ出てきて子供たち
  うたわなくても子供たち
  叫ばなくても子供たち
  唯生きのびて子供たち
  路上をとりもどせ
   (詞:平沢裕一 曲:平沢進)

で,この曲には後日談があって,
 「現在に憤懣を覚える時,ほとんどの場合子供に期待が寄せられる。子供が未来を良くしてくれるのだと。20年たった今,街をうろつく大人を見るにつけ,期待して損したと思う」(P-MODEL/VIRTAR LIVE-1 平沢進による曲目解説より)。

 でもね。ここにこのバンドにしては異質で唯一のメッセージがあって,それは今でも有効だと私は思う。だって,LPのA面ラストの曲なんだから。


09月04日(日) CNN  Status Weather晴れのち雨

 夜11時過ぎに部屋に戻り,テレビをつけた。
 と,スタジアムに避難する人の姿が延々と映されている。画面が切り替わり,州知事が,復旧どころか,被害の状況がいかほどのものか判らないこと,ただ一つ,多くの支援が必要なことだけを訴えていた。私が泊まっている間,CNNは特別編成で各地からのリポートを途切れさせなかった。もちろん,何割かはリピートだったが,その情報量は圧倒的だった。
 そしてそこには,あの男の姿がなかった。

 帰国して後,ようやくあの男が現地視察に訪れたようすが放映された。

 donationについては,本ソフトの産みの親であるSeknさんのサイトに賛同します。


09月05日(月) レタッチ  Status Weather曇りのち雨

 風景写真はあれこれと手を加えて,別のデータに仕立てたことがあったけれど,人物写真に手を入れなければならない理由はこれまでなかった。つい最近,(このところ最近の話ばかりだ)フリーソフトを使って,デジカメで撮った人物写真をレタッチしてみた。撮った写真が全体,ピンぼけだったのだ。ところが,少しずつ嫌な気分になってきて,結局,なにも保存せずにソフトを閉じてしまった。
 見知った人物と共有した時間が,どこにもない場所の記録へと変わってしまうことに,どうにも耐えられなかった。初手からレタッチなどしなければいいのだけれど。まあ,少し美しく磨きたてたかったのだ。
 でも,それは私の記憶ではない。


09月06日(火) Algernon  Status Weather雨のち曇り

 村上春樹の『海辺のカフカ』が米国人のみならず中国人にまで人気だといわれたものの,私は読んでいなかった。“ねじまき鳥”に辟易したと告げると,“カフカ”のほうが面白いかもしれない,と。

   ただ,不思議なのは,登場人物のひとりがmental retardationのような
   口調で話すのだけれど,あれをどうやって翻訳したのかということ。

 そこで,私は『アルジャーノンに花束を』を思い出す。一度読みかけて,以来,再びページを捲ることはなかった。

 ニューヨーク公立図書館からグランド・セントラル・ステーションをめざすと,ほどなく「ブックオフ」の看板が見えた。ニューヨークに「ブックオフ」があるとは知っていたものの,5th Aveから1ブロックもはずれていないとは。探していた他の文庫本と一緒に『アルジャーノンに花束を』を見つけたので買い求めた。夕食後,ホテルへ戻り,帰国前夜まで結局,治まらない夜半の時差ぼけ時間に読み進めた。続きを機内で読み終えると,眠気がやってきた。

 で,『海辺のカフカ』を文庫本で買った。思えば,村上春樹の小説を文庫とはいえ新刊本で買ったのは,『中国行きのスロウボート』以来。しばらく読んでいると,私のたとえが見当違いであったことに気づいた。それは“アルジャーノン”のディスクールとは違う類いのものだ。ただ,“アルジャーノン”が和訳されたのだから,“カフカ”を英訳することも不可能ではないのだろう。
 上巻の最後,数十ページを勢いをつけて読んでいる。たぶん上下巻に分かれた小説で,もっとも読み飛ばされる箇所だと思うのだが。


09月07日(水) そんなこと  Status Weather晴れ

 「砂漠よ。ーー何故,あそこへ行ったの?」
 「行くまでは目的があった。行ってからも理由は残っていた。今あるのは方法だけさ」
 「方法?」
 「やり方。そのやり方自体が,ぼくの目的だ」
   矢作俊彦『コルテスの収穫(中)』(p.218,光文社文庫)


 学生時代,心理学の講義でアイヒマン実験が取り上げられたことがある。ミルグラムをはじめとする行動主義心理学派に関心をもてなかったのは,そこで前提とされている人間関係が,当時の私には馴染み薄いものだったことが大きい。アイヒマン実験も「そんなことしたってなあ」と感じたことを覚えている。
 『海辺のカフカ』上巻に,アイヒマンの裁判について書かれた本が登場する。ハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)なのだろう。四国の山奥でアーレントを読む家出した15歳の少年なんて,およそ想像できないけれど,何ら個人的関係のないところで行われる“やり方”が,目的になってしまった,想像力から最も遠いところにある行為について考えるとき,アイヒマンが抱える空虚さは,それゆえに身近なものとなる筈だ,けれども。

 人は事故ですら殺され,一方で,事故を引き起こそうとする人がいること。そこで殺す/殺される関係性を問うのは真っ当だけれど,結局,噛み合いはしないのではないだろうか。
 アベル・ガンスの映画『ナポレオン』で,ロベスピエールが,自らの策略の末,断頭台へと消えていった一人ひとりの亡霊に恐怖する場面がある。私には,ロベスピエールの恐怖には共感できても,アイヒマンの空虚さから身近な行為を思い描こうとは思わない。
 それが世の中にコミットメントすることであるというならば,私とあなたの間隙を飛び越えようとする,あの懐かしい場所へとこぼれ落ちていくしかない。21世紀だというのに。


09月08日(木) 恐らく  Status Weather晴れ

 「だが,なにかを捨てること,が,ただ指導者への盲従に過ぎぬことはないか,思い込みの自己陶酔であることはないか。(中略)恐らく,と今わずかにわたしが思うのは,『他者』というものに対する姿勢の志ひとつである。絶対に自分にとりこめないもの,としての『他者』の発見とそれへの尊重,それだけが人を人間たらしめる,のかも知れない」
   竹内敏晴『癒える力』(p.73,晶文社)


 弛緩しまくっていた感覚だが,久しぶりの海外旅行のおかげで,少しは意識が向かうようになったのかもしれない。思い切りレイドバックしまくっているけれど。

 ふとしたきっかけで読み始めた『海辺のカフカ』は,下巻の残り数十ページとなった。で,下巻p.379に,

 「『自分の身を捨てる?』。その言葉にはどことなく不思議な響きがある。僕はその響きをうまく呑みこむことができない」(新潮文庫)

 とあって,思い起こしたのが上の一節。
 “「わたし」探しと「わたし」捨て”と題された章に記されたものだ。うまくまとまらないのだけれど,竹内氏の思考がどうめぐってもフェティシズムとはまったく違う次元で展開されるのを読むにつけ,近年の村上春樹の小説には(竹内氏の言葉を借りるなら)“モノとしてのからだ”=ミシンのような暴力性がついてまわるように思う。
 この小説家が一貫して,物語に死をまとわりつかせてきたことは承知の上,死を抱え込むプロを登場させることなく,アマチュアの世界に終始しているといってしまうと短絡すぎだろうか。


09月09日(金) 図書館  Status Weather晴れ

 機内ではついに開くことがなかったノートパソコンだが,メールくらいはチェックしておかねばなるまい。
 ところが2日目の朝,ホテルのロビー脇に据えられたテーブル上のマフィンとコーヒーを朝食代わりに頬張りながら,案内を眺めていると,どうやらワイアレスでネットワークに接続しなければならないようだ。日頃は机上で埃をかぶっているノートパソコン。そんな機能を乗っけてはいない。

 メトロポリタン美術館で,大量の展示品から主要な作品をピックアップするのに,オーディオガイド用のマークで目星をつけるプラグマティックさを頼りに,3日目,ニューヨーク公立図書館にパソコンを持ち込んだ。もちろん,検索用の端末のコネクタを拝借して,ネットに繋げようというのだ。
 司書の目を盗み,一台の端末のコネクタを引っこ抜き,私のパソコンに繋げる。パソコン台の上には数冊のインデックスを,これみよがしに広げた。それを大げさに捲りながら,パソコンをクリックしていると,会社でぽっかりと空いた時間に,さも忙しそうに引き出しを開け閉めしている姿が二重映しになる。いやはや。
 来ていたメールを落とし込み,コネクタを外すと,そのまま図書館を後にした。

 ホテルに戻り,返事を書かねばならないメールを選ぶ。下書きを保存し,その翌日。同じパソコン台に行くと“NOT USE”の張り紙。本体の裏側を覗き込むとコネクタは抜けたままだ。
 昨日以上に不自然だけれど,同じ机にパソコンを置き,それをインデックスで囲む。接続し,やおら下書きを送信しようとするが,すべてがエラーになる。ここであれこれ確認している余裕はない。そのままパソコンを畳み,近所の喫茶店に入り確認すると,やはり,すべて送信エラーになっていた。いったい,どうしたことだろう。

 結局,メールはコリアンタウンのネットカフェで繋いで送ったのだけれど,いや,いい年してすることじゃないな,まったく。


09月10日(土) 地層  Status Weather晴れ

 「その後の年月が,天変地異やら人為的大災害やら巨大隕石大衝突やらで,皆さんの上に幾重もの地層をつくるかもしれません。もし町中で,背中に幾重にも地層を背負った人同士が出会ったら,軽く会釈してこう挨拶してください。
 『やあ,地層は重たかろう』
 それでは,青年も娘さんも坊ちゃんも嬢ちゃんも,じゃあね」
   平沢進(1988年12月28日,東京・渋谷クアトロにて。P-MODEL凍結の言葉の最後より)


 ニューヨーク行きは,それを突き動かす=動機=のようなものから何から,妙に新鮮だった。で,この1週間,ここまで書き連ねたことは相変わらず,まったく本質的なことに何一つ触れてはいないけれど,瑣末なことがまず思い起こされるのだ。
 記憶が地層となったら,もう少しまともなことを記そうと思う。


09月12日(月)  私と僕  Status Weather晴れ

 「僕は門から入って,丘の中腹を走っている小石まじりの道をすすみ,ゆるやかな勾配をのぼり,丘の背をこえて,向こうがわの盆地へ出た。街道にくらべると,十度から十五度ぐらい暑かった。」

 「私が通されたのは玄関のすぐ右手にある八畳ほどの洋間だった。天井はやけに高く,壁と天井の境めには彫りものの入ったまわりぶちが入っていた。年代ものの落ちついたソファーとテーブルがあり,壁にはリアリズムの極地とでもいうべき静物画がかかっていた。」

 上は『長いお別れ』で,下は『羊をめぐる冒険』。ただし,それぞれ,主語を僕と私に差し替えた。ちなみに矢作俊彦なら,「ぼく」と,ひらがなで表記するところだろうけど。


09月14日(水) 線  Status Weather晴れ

 私が手に入れた『ニヒリスト 辻潤の思想と生涯』(松尾邦之助編,オリオン出版社)には,見返しに著者のサインが記されていて,中には献呈先の某氏への手紙が挟み込まれていた。東京,練馬区のはずれにある大泉学園付近の古本屋に通っていた頃,よくこうした本を手に入れた。いや,買い求めた後,そうした印のようなものが残されていることを発見したのだ。
 出口裕弘の『ペンギンが喧嘩した日』(筑摩書房)にも,献呈の栞が挟み込まれていた。(ところで,アマゾンで出口裕弘を検索すると,『越境者の祭り』『天使扼殺者』『京子変幻』あたりは,まったくひっかかりもしないのだ。)
 で,献呈やサインなら物珍しさに,眺めもできるのだけれど,そこここかしこにアンダーラインが引かれまくった本を買ってしまった日には,さて,このまま読みはじめていいものだろうかと思案する。ある本は,律儀に引かれてあるすべての線を(鉛筆だったので)消しゴムで消していたら,読む気が失せてしまった。

 知り合いに,前にその本を読んだ人が引いた線を横目に,本を読み進めるのが好きな人がいる。
 「どんなところに線引いたか,見ながら読むのは楽しい」という。
 そう言われてみると確かに,何だか楽しそうだ。

 ただ,私が古本屋で手に入れる本の持ち主は総じて,最初の数ページは引いてない箇所を探すのに苦労するほど線を引いているのに,ある章から先は,引いていないどころか,読んだ痕跡がないほどきれいなままで売ってしまうようだ。そんな本が数冊ある。
 「ちゃんと読めよな」
 先の持ち主に対しそう感じながら,結局,私も最後まで読み通せずに本棚にしまってしまうのが常だ。


09月17日(土) 一部  Status Weather晴れ

 サイトの「矢作俊彦 因果律ランダムハウス」を更新中。
 まだまだ,手を入れなければならないものの,更新した数ページだけアップした。なんだか,やけに手がかかる。


09月18日(日) 女優  Status Weather晴れ

 80年代はじめ,ジョディ・フォスター演じる『ティファニーで朝食を』を観たかった。

 ――『ティファニーで朝食を』をホリーの役をジョディ・フォスターを起用して再映画化するという話があるんではないですか?
 ああ。私はいまみたいに有名になる前からジョディ・フォスターの大ファンだったんだ。
(中略)
 ――それでも『ティファニーで朝食を』の脚本を自分で書き直したいとお考えですか?
 できることなら誰か適当な脚本家を選んで,彼といっしょに書き直してみたいね。そうすればホリーがどんな少女かということで誤解をすることはないだろう。彼女はシックな,やせた,骨ばった顔をしたオードリー・ヘップバーンとはタイプがちがうんだ。彼女は頭のいい女の子だが,オードリーとはまったく違った意味で頭がいいんだ。
 ――ジョディ・フォスターのほうにより似ている?
 彼女はあの役に理想的だ。
   ローレンス・グローベル『カポーティとの対話』(川本三郎訳,文藝春秋)

 このインタビューが行われたのが1982年10月から83年10月までというから,その頃のジョディ・フォスターというと「ホテル・ニューハンプシャー」のイメージだろうか。
 「タクシー・ドライバー」以来,ジョディ・フォスターが出演した映画を続けて観た記憶がある。「ダウンタウン物語」とか「白い家の少女」とか,カポーティがこのインタビューで挙げている作品だ。
 80年代はじめ,ジョディ・フォスターは太りはじめたのだけれど(「ホテル・ニューハンプシャー」を最初に観たときは少し驚いた),その頃出演した作品がいまだ忘れられない。地に足の着いた姿は,その後,「告発の行方」以降の彼女よりも魅力的だった。


09月19日(月) 失望  Status Weather晴れ

 以前に記したことかもしれないが。

 映画をつくるために何本ものシナリオを書いた矢作俊彦が,何人かのプロデューサーに交渉したあげく(本当かどうかは定かでないが),次のように記している。

 「……私は失望した。もちろん,ただの失望だ。決して絶望などでない。」
   『暗闇のノーサイド 2』(角川ノベルズ,「あとがき」より)

 失望と絶望,果たしてどこが違うのだろう。わけもわからず,それでもこのフレーズは,めずらしいことに忘れずに記憶に留め置いた。

 数年後のこと。辻まことのエッセイ「おやじについて」に次のような一節を見つけた。

 「よく人々は,一度絶望したところから本当の希望が生れるなどと,判ったような判らぬことをいうが,自分の意志によって,自分を動かすことのできない自分が,自分の運命だということに認識(絶望)からは,どんな希望も生れることはないとおもう。ただ現実的な自分の場所に忠実であることより外には,努力のしようがないことになる。これだけが,自分にとっても他に対しても誠実だというよりほかはない。それが,できるかぎりの自由に近い生活方法だというより仕方がない。おやじは,こういう自分の道を生活し,そして死んだ。」
  矢内原伊作編『辻まことの世界』(みすず書房)

 しばらくは別々に記憶していたのだけれど,いつの間にか一つに繋げてしまっていたことに気づいたのは昨年のことだ。


09月20日(火) ゆだねる  Status Weather曇りのち雨

 「まかせるというのは受動性なんですが,まかせるという主動がありますね。完全な受け身ではない。」

 「環」vol.7(藤原書店,2001)に掲載された鼎談「身体感覚をとり戻す」のなかで,斎藤孝氏の“おんぶの大切さ”という発言を受けて,竹内敏晴氏が語った箇所より。

 竹内氏の視点は一貫しているので,たぶん“主動的にまかせる”と突然,言われたとしても腑に落ちたことだろう。ただ,よほど特別なシチュエーションにないかぎり,ふだん,身をまかせる感覚は私にとって身近なものとはいいがたい。そこで思い浮かべたのは,補助輪なしで自転車に乗れるようになった娘の姿だった。からだで自由に動かすにはまだ大きな自転車を乗るその姿は,まさに“主動的に身をまかせている”イメージと二重なる。


09月21日(水)   Status Weather曇り



09月22日(木) 鰹の味  Status Weather曇り

 「……何といっても,適当に失われているってのが大事なのさ」
 「じゃ,何ですかい? ヘミングウェイは“適当に失われた世代”だったんですか」
 「最も適当にだろう?」
   矢作俊彦『ライオンを夢見る』(東京書籍)


 数日前の夜半,ローレンス・グローベル『カポーティとの対話』(川本三郎訳,文藝春秋)を取り出して後,大昔のコクトー・ツインズをBGMにペラペラとページを捲っていた。何年ぶりかに読み始めたら,これが実に面白く,本棚にしまわずそのまま通勤途中の電車で読み進めている。

 どうしたわけか,亡くなった上司のことを思い出してしまう。

 学校を卒業後,それまでにないほど多くの時間を仕事に費やし,何がしかの報酬を得る生活にそれでも嫌気がささなかったのは,仕事上の人付き合いが面白かったからだろう。「レイアウトさえ決まってれば,原稿を最後からだって書き始められる」そう言い切ったもう一人の上司は,ひどい翻訳にも劣る原稿を書きなぐっていた。あまりに書きなぐるので,私はもちろん,しばらくすると自分でも何を記したのか判読できず,書き直すことしばしばだった。ところが同じ内容,データのはずなのに,書き直すといつも原稿枚数がかなり少なくなった。その理由を問い質したことはない。
 そのころ,亡くなった上司は引出しに『寺田寅彦随筆集』を忍ばせ,ひまをみては一巻から順に読み進めていた。高橋和巳と水上勉の小説が好きだとは聞いていたものの,意外と守備範囲が広いのだ。

 その上司と,彼と同郷の出入り業者,そして私の3人で,週末でもないのに幾度となく飲んで夜を明かした。日にちが変わるころに辿り着く,およそ埼玉県の植民地に等しい飲み屋の座敷でしばし休憩をとると,朦朧として夜来た道を戻って行った。
 植民地には行きつけの飲み屋が二軒あった。一軒は仕入れから肴まで実に仕事熱心な飲み屋で,もう一軒は暖簾をくぐる前にパチンコ屋に入り店主の姿を探さなければ酒にありつけない,そうした店だった。座敷を借りるのは,ほとんどは後者だ。

 あるとき,仕事熱心な飲み屋で鰹のたたきが出た。私の親は,なまの鰹が苦手だった。ときどき一尾まるごと贈られたりすると,すぐさま,わかめや筍と一緒に似てナマリにしてしまった。外で鰹のたたきを食べた経験は数えるほどしかなかった。私がしょうが醤油で鰹を食べようとしたのは自然の成り行きだ。
 「えっ? しょうがで食べるの???」
 生まれも育ちも東北の業者が,すかさず突っ込む。
 「これだから知らない子はなあ」
 確かに私はまだ若かったけれど,子呼ばわりされてもなあ。
 「いいから,にんにくと醤油で食べてごらんよ」
 そして一口。うそのような旨さだった。マンガの『美味しんぼ』曰く,スーパードライを飲んだとき,「スプーンを下に当てたときのような金属的な感覚」を実はそのときまで,鰹を食べるときにも感じていたのだ。その感覚がまったくない。そして二口,三口。
 鰹のたたきを食べると,カウンターだけの小体な飲み屋を思い出す。

 この前の誕生日が過ぎてかなり経つ。初めて会ったときの上司の年齢と,私も同じ年になったのだけれど,あちらは寺田寅彦の随筆で,私はといえばトルーマン・カポーティのインタビュー本。
 どこまでも深みのなさで突き進むのだろうな。


09月24日(土) Omnes una manet nox.  Status Weather曇りのち雨

 「夜が明けてまた別の日が
 暑さと無言に覚悟する。向うの海の
 沖合いで夜明けの風が
 皺を寄せ滑る。私はここにいたり
 またあちらに,また別のところに。私の初めは。
   エリオット「イースト・コウカー」(西脇順三郎訳,新潮社)

 と,引用して書こうと思っていたことがあった筈なのだが。


09月28日(水) 対談  Status Weather曇り

 今日の日記です。

 「桐野夏生スペシャル The COOL」(新潮社)を買う。矢作俊彦との対談が掲載されていたためだ。本当かどうか判らないけど“以前から(矢作俊彦の小説を)愛読してきた”とは。
 「僕の小説の一番弱いところは,人から指摘されるまでもなく,不愉快な事は書かないし不愉快な人間も出さないところです。」という発言。いわずもがなとはいえ,あっさり本人に断言されると溜飲が下がる。このあたりに焦点を当てて,誰も指摘しないけれど,北杜夫と矢作俊彦の小説の共通性について評論でも出ないだろうか。

 最近,やけに“昔からのファン”が増えたように思うのは気のせいか。2,3ヶ月前のいわゆる純文学雑誌の鼎談でも,山田詠美と島田雅彦が,その名を出していたし。少しは読者が増えたのか?



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