2005年12月
12月05日(月) days |
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はじめてピーター・ガブリエルのボーカルを聞いた芳弘は, 「どうも,この手の声は苦手だな」 当時,同じようにいう友人は少なくなかった。たとえ曲が良くともボーカルスタイルゆえに聞かなかったバンドというのが,思い起こすと確かにあったのだ。ガブリエルやフィル・コリンズが発する嗄れた,ブリティッシュロック独特のスタイルは極端に好みが別れた。結局,彼はジェネシスのアルバムは一枚も聞かなかったのではないだろうか。 私はといえば,同じようにいわゆるアメリカンロックのボーカルスタイルに惹き付けられるところがなかった。買ってまで聞こうなどと思いもしなかった。 だからある日,お茶の水でTelevisionの“Adventure”を買い求めた理由がどこにあったのか,いまだ思い出せない。1stも聞いていなかったのだ。??ニューヨークパンクといえども,所詮アメリカンロックなのだろう??物事を知らないとは,いや,実につまらない先入観を生むものだ。 家に帰って,ターンテーブルに載せた途端,痙攣したかのようなボーカルと,それに相応しいギターのリフがやたらと格好よい。これがアメリカのバンドなのだろうか? 私は驚いた。ギターのリフは耳から離れなかった。 もちろん,すでにTelevisionは解散していたので,トム・ヴァーレインのソロアルバムを買った。たぶん“Words From The Front”が出た後で“Cover”のリリース少し前の頃だ。それらは,バンドよりさらにポップだったり,打ち込みを多用したり,仕立てはさまざま変化したものの,ヴォーカルとギターのスタイルは変わることがなかった。“Cover”はTelevisionよりも多く聞いたかもしれない。 それまでまったくいいと思わなかったトーキングヘッズやカーズを聞くようになったのも,ペルウブやら,XTC経由でオインゴボインゴに辿り着いたのも,結局,トム・ヴァーレインのヴォーカルとギターに先入観を一蹴にされたからだと思う。 この前,久しぶりに“Adventure”2曲目の“Days”を聞いた。出だしのギターのリフとコンビネーションから最後まで,変わらず格好よかった。 |
12月07日(水) かぜ |
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今日の日記です。 風邪のためダウン。小松左京の『復活の日』を思い出し,こんなときばかりは極北の地に住まうメリット(?)に思いを馳せる。いや,こんなときでなけりゃ,寒いところに住むなんて思いはしない。 |
12月08日(木) 頭痛 |
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手品クラブに在籍していたころのこと。小学生向けに書かれたハードカバーの選集の一冊“キミにもできる手品100”とか,そんなタイトルの本を片手にレパートリーを増やしていた。 カード手品をいくつかマスターし,そこそこの腕前で披露できたのは,その手の本のお陰以外,何者のせいでもない。そこに記された通りに行えば,当然,手品になってしまうのだから。 ところが,唯一,書かれた通りにできなかった一節があって,それを未だに覚えている。著者の好みか何か知らないけれど,最後に必ずこう言うことになっていたのだ。 「鼻の脂をチョと付けて」 小学生のガキが,鼻に脂汗をかいているとでも思っていたのだろうか。私は,いつも自分の鼻をこすり,脂ひとつ付かないことを,とりあえず無視して先へと進んだ。もちろん,手品自体に何の影響もなかった。 今では,容易すく付いてしまうことは,もちろんこれっぽっちもうれしくない。 同じように以前は,歯痛経由の頭痛はたまに起きたけれど,片頭痛持ちになるとは予想だにしなかった。 夜中に寝ぼけて??それは,時に2階のベランダから飛び降りようとするほど酷いものだったが,もちろんまったく記憶はないのだ??追われるように彷徨うことがおさまるまで,熱に魘されるとみる夢があった。以前に記した筈だが,それは自分の身体が意識の塊のようになって,上空から角度を付けて下方に落ちてゆく,その重力をひたすら身体に感じる夢だった。だんだんと魘される数が減るにつれ,その重力を少しはコントロールできるようになり,それが意外と心地よかった。 昨夜,風邪に輪をかけて起きた片頭痛にともなって魘された夢に,いや正確にいうと,頭痛のため,そのほとんどをのたうち回っていたのだけれど,出てきたのは仕事にかかわる単語がほとんど。単語が出てきて,それにまつわる記憶が引きずり出される。その不快なこと。 そう,年をとってからの悪夢は,単語から嫌な記憶ばかりを引きずり出すのだ。 |
12月10日(土) 月光仮面 |
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雑誌『終末から 第2号』(筑摩書房,1973)に掲載された黒井考人の「月光仮面社会主義共和国建国秘録」の一部をアップ(ここです)。 |
12月12日(月) 自家製 |
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娘が今年,サンタクロースに頼んでいるのは「おうちのでかたまごっち」だ。と,ネットではプレミアがついており,定価近くで手に入れるのは至難の業。 「サンタさんも,プレゼントしたくても手に入れられないんじゃないか」 さりげなく,そう尋ねてみる。 「だいじょうぶ,今頃,自分でつくってるんじゃないかな」 そうか,サンタクロースは「おうちのでかたまごっち」を作っているのか。手作業でできそうにないから,専用の工場があるのかもしれない。たぶん,今年のサンタクロースからのプレゼントは,パソコン通信ができるたまごっちになると思うのだけれど。ままあることだ。 |
12月13日(火) 本 |
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今日の日記です。 鞄に入れていたのは『歴史の中で語られてこなかったこと』(網野善彦+宮田登,洋泉社新書)で,午後からの打ち合わせ場所に向かう車中,ページを捲っていた。 洋泉社新書の片方の柱は,いわゆる“語り下ろし”モノだろう。もちろん他社の新書でも,少なくないタイトルが“語り下ろし”で編集され,ヒット作が生まれているようだけれど,ここの場合,対談なりインタビューなりの匂いを消さないで編集する方針が特色だと思う。表紙カバーの著者名の誤植の訂正を正誤表で済ませることがらしさにつながる,サブカル臭が結局,好きなのかもしれないけれど,意外と冊数は読んでいる。〔正誤表といえば,タイトルが誤植だった中川米造氏の『医学的認識の探究』(本当は“医療的”であったそうだ)や,たぶん矢作俊彦の連載「真夜半へもう一歩」(“真夜中”だと思う)を思い出す〕 打ち合わせが終わり,駅に着いたあたりで続きを読む勢いは失せていた。で,買い求めたのが『敗戦後論』(加藤典洋,ちくま文庫)。『戦後的思考』は数年前,古本屋で手に入れ途中まで読んだまま。1時間以上時間があったので,少しずつ読んだ。 思い出したのは,桐野夏生との対談で矢作俊彦が語る一節。 「例えば戦争責任と言うけれど,東條英機を戦犯としたのは戦勝国側の勝手な東京裁判ですよね。東條英機は間違いなく戦争犯罪者ですよ。どんな罪を犯したかといえば,戦争を始めた事じゃなくて負けた事です。日本有数の低能な国家指導者だった。だからそこが犯罪なのであって,お辞儀したり拝む必要はない。それを誰も指摘してないでしょう。左側は無謀な戦争を始めたと言うし,右側は御国の楯だと言う。だったら戦争に勝たなきゃいけないのに,戦線で常に自分の無能によって負けている,あれだけ自分の無能を何度も晒して負けた戦争指導者が,戦犯でないわけはない」 「The COOL!」p.49,新潮社 全体の1/3ほどだけれど,“ねじれ”“よこれ”などが執拗に繰り返されるあたり,読んでいると『東電OL殺人事件』に似て,私には作者の物語が身近にはまったく感じられなかった。 |
12月15日(木) 映像 |
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「車を変えた方がいいなと,彼は思った。あの車は,もう彼女に似合いすぎる。 それとも女は,そんなふうな考え方をしないのだろうか。 一度だけ,ごく短いあいだ,彼は口の片端で笑い,横断歩道を渡るために舗石の上を歩きはじめた。」 矢作俊彦「あたたかく陽の微笑む場所」(『舵をとり風上に向く者』p.152,新潮文庫) 光文社から単行本が出た際,「週刊漫画アクション」のコラムで,あるコラムニストがこの箇所を取り上げ,それを矢作俊彦の小説のオリジナリティの証左として示したことがある(たぶん)。曰く,この表現は小説でしか成立し得ない,というように。 題材はまったく異なるものの,私にとって,それはジュンパ・ラヒリの短編のいくつかに惹かれてしまうときの感覚とよく似ている。 最近のこと。『インストール』という文庫本が古本屋に転がっていたので買って読んだのだけれど,言葉の連なりがもつ美しさだけではどうにも物足りない。高橋源一郎が例に挙げている箇所は映像に絡めとられてしまうのではないかとも。 その後,しばらくぶりに読んでいるのが『悲劇週間』(文藝春秋)なので,面白くて仕方がない。実に映像的な(曰く,「少女漫画をやりたかったんですよ」だもの)小説だけれど,原則に従順な分,余計に仕掛けが楽しめるという案配だ。 「演台ではバノーバ・ブッシュという貧相な青年が自分の発明を紹介していた。『思考機械のひな型』というのだが,何故か車輪がついていて,把手を押して前に進むように造られていた」(p.100) 20世紀初頭のメキシコで,それを堀口大學が見ている姿というのは可笑しい。ネット上の日記に書き留めているこちらのほうがアホらしいのかもしれないが。 |
12月18日(日) ライブ |
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たとえステージに立つとき複雑な思いを秘めていたとしても,ライブハウスが単純な場所であり,そこで奏でられる音楽は,演奏者と観客の二重三重の探り合いなどから離れたところでダイレクトに鳴る。 そんな,あり得るべきライブに出くわしたら,それは幸福なことだ。 数年前,知り合いからいただいた年末のライブをおさめたCD-Rを聞き直し,圧倒された。最初に聞いたとき,私はいったい何を聞いていたのだろうと。 |
12月19日(月) 熱い |
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熱湯を一度冷ましたお湯でマテ茶を入れ,ボンビージャで啜ると,下唇をやけどした。焼き餃子を注文するたびに,判っていてもまず一口と食いつき,必ず口のなかをやけどした喬司を笑えはしない。 |
12月25日(日) 2人と5人 |
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一つの集団のなかに,複数の話題がめぐっているのは,それほど特殊なことではあるまい。友人5,6人で話していると,ほとんどの場合,話の内容は変わっていく。いきおい,2人と3人,3人と3人に話題は分かれ,それでもお互いの会話は片隅に聞こえている。誰もが一つの話題を共有する時間なんていうのは,実のところそれほど長くはないのではないだろうか。 昨日の面白さに味をしめ,翌日,その場にいた数人と同じように話始めてみたものの,どうも勝手が違う。話題が変化するそれ自体の面白さは,その場に居合わせたメンバーに依拠し,一人欠けても同じようにはならないことを実感させられる。 それはまた,パーティの場面を別にすると,フィクションで描かれづらい場面の一つかもしれない。 ところが。 娘の話によると,今時の小学生はほとんど1対1でしか遊ばないのだそうだ。曰く,「○○ちゃんと遊ぶ予約が入っているから遊べないの」。 たとえ他愛のないものであっても,そうしたなかでの話題の変化は,私が面白がっていたようなものにはならないように思う。 なぜ,そんなことになったのか? いや,もしかすると娘のクラスが特殊なだけかもしれないのだけれど。 |
12月26日(月) 長寿 |
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今日の日記です。 新聞の夕刊をみると,訃報欄に「デレク・ベイリーさん」の名があった。思わず「オッ」と叫んでしまったが,家内も娘も知る由はない。 60歳であったそうで,夭逝でもなく,かといって大往生でもないけれど,最近まで現役ミュージシャンとして,あの手の音楽を続けていたことは凄いの一言。私はキング・クリムゾンのジェイミー・ミュアと競演したMICのアルバムを聞いた以外はそれほど熱心なリスナーではなかったけれど,デイヴィッド・シルビアンの近作でコラボレイトしていた筈だ。 それにつけても思うのは,他のカテゴリに比べて,なんとプログレ枠に収まりそうなミュージシャンの長寿なこと。今時,オリジナル・メンバーで再結成できるバンドがぞろぞろ出てくるのはプログレ以外ありはしまい。よほど,ストレス感じることなく演奏しているんだろう。 |
12月29日(木) 締め |
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「一点の雲もなく晴れあがり,空気が冷たく澄みきっている日だった。はるか遠くまで見とおすことができた??しかし,ヴェルマが行ったところまでは見えなかった。」 レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』清水俊二訳,ハヤカワ文庫 「空には雲ひとつなく,海は能面のように平たく,そして冷ややかに透み切っていた。海草とたわむれる魚の影を見ることもできた。 しかし,ヴェルマ・ヴァレント号が沈んでいったところまでは見えなかった。」 矢作俊彦・司城志朗『海から来たサムライ 1』カドカワノベルズ ヴェルマ・ヴァレントは前者では,もちろん元ナイト・クラブ「フロリアン」の歌手であり,後者では主人公たちが横浜からハワイまで行くために乗った船の名前だ。船長はあのホーンブロアーの孫でアルコール中毒ときている。 『悲劇週間』を読んでいると,どうにも『海から来たサムライ』と『コルテスの収穫』を読み返したくなる。 年末年始にひっくり返してみようかと思う。 |
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