2006年1月

01月01日(日) やわらかく 重く  Status Weather曇り

 ある資料を探しに古本屋をはしごしたのは10年ほど前のこと。地元で事足りるほど,当時はまだ,あちこちに古本屋が店を開いていた。
 手に入れたなかの一冊が埼玉県立近代美術館で開催された「やわらかく 重く―現代日本美術の場と空間 Grace & Gravity」のカタログだった。石川順惠,小山穂太郎,村上慎二,尹煕倉などの作品を見て,コンタクトしてみようかと考えたものの,結局,なにひとつアクションを起こさずに,カタログは書棚に仕舞い込んだ。
 新聞でその名を目にしたり,美術とデザインの境界で,カタログに収載された作品を思い起こすたび,“やわらかく 重く”という言葉の秀逸さを感じる。まあ,この“重く”というのは,たとえば平沢進がいうならば“重ね重ねの 鉄の因果”(1984)であるところの諸々なのだと解釈してしまってもかまいはしないだろう。

 「いま日本の現代美術を語るために求められているのは,神社でも,秋葉原でもなく,いわば何の変哲もない街並に『日本性』を探ることではないだろうか」
   前山裕司「空間と場――日本」同書,p.12,1995.

 こんな面白いカタログがいまだに埼玉県立近代美術館のHPで,数百円出せば手に入れられることを知って,さらに驚いたのは数日前のこと。まだ売っているのだ。


01月02日(月) 3回  Status Weather

 数週間前に読んだ綿谷りさの『インストール』の解説で一番印象的だったのは冒頭のフレーズだ。

 「ぼくは,この『インストール』という小説を都合,三度読んだ。」(高橋源一郎「選ばれし者」,p.173)

 その後,高橋源一郎はこの小説を手放しで褒めているのだけれど,それで読んだのは3回。読んだ回数をあげて何か語ろうとすると,質を量ではかるようでどこか後ろめたい。ただ,「3回か」というのが正直なところ。ロックやら漫画を仮に評するとき,その作品を褒めるのに「ぼくは都合,三度読んだ(聞いた)」とは書かないと思うのだ。

 私が北杜夫や江戸川乱歩の書く小説,エッセイを読み続けていた10代の頃,3回しか読まなかった作品はほとんどない。『楡家の人びと』でさえ,5,6回は通して読んだ。矢作俊彦,中井英夫,トルーマン・カポーティ,レイモンド・チャンドラー,カート・ヴォネガット,内田百閒,10代の終わりから読み始めた作家の作品も3回ということはないだろう。
 漫画や音楽を3回しか読んだり聞いたりしないなんて想像がつかない。ちなみに現在,iTunesに入っているなかで,3回というのはBill Bruford with Ralph Towner“amethyst”,Galaxie 500の“I Can't Believe It's Me”,Kate Bushの“Watching You Without Me”,Laibachの“Life Is Life”,Terry Rileyの“Hall Of Mirrors”など,他にもあるけれど,これらだって,CDで聞いた数を加えればその倍にはなる。
 
 仮に,プロの物書きに3回読まれることが,何らかのプレステージになりうるなら,そして,そうした文章に感化されて読み手がその小説を手にとるなら,やけに殺伐とした世界で小説家は物語を紡いでいるものだ。
 論旨もへったくれもないとは承知の上,そんなふうに思ったのだ,私は。


01月03日(火) Black Is The Color Of My True Love's Hair  Status Weather晴れ

 カバーバージョンでその曲を好きになり,後にオリジナルを聞いてもやはりカバーのほうが気に入っているものが数曲ある。“Dear Prudence”や“Strange Fruit”はいまだオリジナルよりもSiouxsie and the Bansheesのカバーバージョンで聞くほうが腑に落ちる。
 ジャズやトラディショナルソングとなると,誰の演奏がオリジナルか判らなくなってきて,さて,オリジナルを初めに聞いたものかさえ判断がつかないのだが。
 ただ,“Black Is The Color Of My True Love's Hair”は,どうしてもHelen Merrillのバージョンが外せない。リードの伴奏から入って,一転,ラヴェルの中国趣味のようなアレンジと,続くハープとボーカルの絡みは何がしかの記憶を甦らせる。(この前聞いたときはPeter Hammillの“Fire Ship”という曲を思い出した。)Nina Simone(U2の“Sunday Bloody Sunday”のように様変わりしたJeffaのMixも一時よく聞いた)やJoan Baezの演奏はそれぞれに好きなのだけれど,なぜかそれほど記憶とは繋がらないのだ。


01月04日(水) ブラマンクの夜 2  Status Weather晴れ

 「また夏がやってくる
  戸外の闇の中で大気が
  ゆっくりと膨らんでゆく気配がする

  息をひそめて
  明るく潤んだ夜を呼吸していると
  体の奥でギュッギュッと
  何かが動き始めるのを
  感じる」
   倉多江美「ブラマンクの夜」プチフラワー,1985年7月号


 実家に帰ったついでに10数冊の本や雑誌を持ち帰ってきた。このところ,そちらのほうが実家に行く主な理由になっているのだが。で,本当に久しぶりに「ブラマンクの夜」を読み返した。

 6月最後の週から夏を越すまでの期間,舞台は海辺の町だ。主人公のトオルは中学三年の受験生。兄の大輔は大学受験を控えている。
 
 「六月の最後の土曜日
  この季節にはきまってそうだ
  ふときがつくと
  退屈を持て余す
  間もなく 永い春が
  終わっていて
  ぼくたちは
  いそいそと
  夏休みを待っている」

 兄に連れられて,トオルはその夜の10時過ぎ,住宅地の一角に遅くまで開く喫茶店を訪れる。途中,挿入されるモノローグはこうだ。

 「コップの中で
  オレンジエードが
  生あたたかくなる

  八月の夕べなら
  いつでもよい」

 で,トオルは言う。

 「嫌だね
  生ぬるい
  ジュース
  なんて」

 店主の「耀子さん」目当ての客。それ以外にも「誰かを待っているふつうの女性」や「本を読んでいるおじさん」「編物をしているおばさん」「アベック」「親子連れ」「商売人ふうの人」「サーフボードを持ったあんちゃん」,一人ひとりがその店に集まる理由は「半分くらいは若くて健康だから あとの半分は一睡もしたくないから」。

 物語はトオルと耀子さんの海での邂逅,そして店の休業によって淡々と締めくくられる。後半のような経験はないものの,学生時代,夏の土曜の夜に一睡もしたくないからという理由(一睡もさせまいと)だけで,友人たちと朝まで過ごしていた頃に読んだだけに,こんなふうにまとまられると,なんだがとても身近なことのように感じたことを記憶している。
 この中編(66ページもあった),一度も単行本に収載されていないのが残念だ。続いて「プチフラワー」には,同じくらいのボリュームの中編が何本が掲載されたのだけれど。

 なお,この号には内田美奈子の「追い求める季節」という,これまた今や幻の中編も載っており,なんと読み応えがあったことだろう。


01月05日(木) メモ  Status Weather晴れ

 「我々は賞なら何でも欲しかったので『脱サラ』の主人公に『トマト』の代り『大麻』を育てさせざるを得なかった」
   『ヨーコに好きだと言ってくれ』(矢作俊彦)書評子(「週刊漫画アクション」)への著者のメッセージ


01月06日(金) 彼方  Status Weather晴れ

 しばらく実家から持ってきた本の話が続く予定です。

 「ああ。ついに手に入れたわ」
 (中略)
 「いったい,どうしたんです。その本に何かあるのですか」
 「女には,売ってはいけない本なのです」
 「そんなものがあるのですか?」
 彼女は不思議そうにぼくを見た。
 (中略)
 ユイスマンスの『彼方』(ラ・バア)であった。名前は知っていたが,当然読んだことはない。(後略)
   矢作俊彦『悲劇週間』(文藝春秋,2005)

 ユイスマンスの小説のうち,読んだことがあるのは『彼方』と『出発』の2冊だけだ。この2作は同じ主人公・デュルタルの話なのに,およそそうとは思われない。『彼方』は今も出ている推理創元文庫で,『出発』は函入のハードカバーを手に入れた。
 ユイスマンスの小説を買い求めたきっかけさえ覚えていない。たぶん,白(黒)背表紙の頃の講談社文庫(『ジャズ・カントリー』の傍らに『オトラント城奇譚』とか『自殺クラブ』,3巻本の『ドグラ・マグラ』,2巻本の『黒死館殺人事件』が揃っていた当時の)から,アーサー・マッケンあたりを契機に推理創元文庫を読み始め,ふらふらと突き当たったのではないかと思う。
 ただ,当時読んでいた小説とは異なり,ユイスマンスの小説は筋を追うのがやっとで,到底理解できなかった。“心霊的自然主義”小説などといわれても,当の自然主義小説を読んでいないのだから,何を語ろうとしているか判りようがないのだ。

 年明けから『黒死館殺人事件』を読み返している。最初に読んだ頃の記憶は,犯罪動機が『ドグラ・マグラ』と共通していることくらい。これが探偵小説とは別の意味で面白い。小説というよりも,情報をコーラージュのように散りばめて,その間をキザな台詞でつなぐ言葉の塊。10年ほど前,“新・本格化”と称された推理小説を数冊は読み,さすがにもう手に取るまいと思った記憶が甦る。あれに比べれば……
 引用されているものの時代と量の違いで質を判断してしまうことは情けないのだが。

 ユイスマンスも,読み返したら面白いだろと思いながら,本棚の隅に立て置いてある。


01月07日(土) ロマン  Status Weather晴れ

 三島由紀夫の小説ではじめて読んだのは『美しい星』だった。これには理由がある。

 昭和51年に復刊された雑誌「地球ロマン」(絃映社)と続けて昭和54年に再復刊した「迷宮」(白馬書房)を手に入れたのは昭和50年代の終わりのことだ。学校のあった町の昔ながらの古本屋で1冊300円程度。「地球ロマン」は復刊第2号の「総特集=天空人嗜好」と第3号「総特集=我輩ハ天皇也」,「迷宮」はVol.1とVol.1-2「特集=ナチズム」。昨日記した小説といい,この頃はこんな本を日がな捲っていたのだ。

 両誌とも武田洋一が編集した,後にサブカルの出自のひとつと称されるもので,グルジェフの「注目すべき人々との出会い」が連載されていたり,奥崎謙三,夢野京太郎(竹中労),由良君美が弟子筋の四方田犬彦を引き連れて書いていたり,赤間剛の文章をはじめて読んだのもこの雑誌だった。
 阿比留文字だとかフリーメーソンだとか竹内文献とか偽史だとか,後に某宗教団体は,これらの言説を真に受けたと読んだ記憶もある。私は,一度も本気にすることはなかったけれど,そうした言説をめぐるさまざまな動きだけには何だか関心をもったのだ。
 「天空人嗜好」のなかに,“ドキュメント・CBA”と題する宇宙友好協会の1959年から67年までの活動史がまとめられている。(ハヨピラとかチプサンとかその他もろもろ)ここだけこのまま復刊しても十分に面白い内容で,曰く

 「少なくとも一九六一年の以降CBA(中略)は単なる円盤研究団体ではなかった。宇宙連合のブラザーとコンタクトしている松村雄亮氏を頂点にいただくCBAこそは,宇宙連合の地球上における唯一絶対の代理機関であり,新時代建設の前衛であるという途方もない主張が,相当数の平凡な一般市民に受け入れられていたのみならず,彼等を他の円盤研究団体,宗教団体,はては教育機関との抗争にかりたて,ハヨピラののピラミッド建設へと動員しえたのは何故なのか?(後略)」
  「地球ロマン復刊2号」p.154,1976
 
 という案配なのだ。
 で,このCBAを小説の題材に取り上げたのが三島であり,その作品が『美しい星』だった。(と,たぶん佐野洋の『赤外音楽』もそうかもしれないが)そうした理由で読んだところ,これがまさにCBAそのもの。三島の小説で後にも先にも,この小説ほどあっという間に読み終えてしまったものはない。


01月08日(日) ロマン 2  Status Weather晴れ

 で,もってきたついでに「地球ロマン」復刊2号を読んでいたところ,信じるも何も,見事なスタンスでテーマを扱っているものだ。「天空人嗜好」には,堂本正樹・団精二(荒俣宏)・中園典明の座談会「日本円盤運動の光と影」でシニカルにとらえながら,一方で,ここで俎上に載せられた高坂剋魅(克巳)が第三回国際古代宇宙会議の模様をレポートした原稿を併せて掲載。さらに山梨の精神科医らしき筆者・遠藤淳による「宇宙から来た男――臨床記録」,前世は天王星の指導者・鷲雄善山(彼の地では“ワシュー”との愛称で呼ばれ,彼のためにたくさんの讃歌が作曲されたとか)の天王星訪問記など,面白いの何の。

 10数年前,イタリアに行く前の弟に高坂のページを読ませたことがあって(なぜ,そんなことしようとしたのかは記憶にないのだが),
 「私は,実は自分も地球から二〇億光年は慣れたトロートロンという星より一四五名の仲間とともに宇宙船で地球にやって来て,地球で五回転生し,宇宙にいたときの名前はルーカーであると語った。レベット夫人は,実は私達もそうなのだが,どの星から来たかは,まだわからないと語った」(p.85)
 という箇所を指して,「これじゃ,まるで大友の『宇宙パトロールシゲマ』じゃない」と至極,真っ当な答えをしたことを思い出した。


01月11日(水) Intel Mac  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 レパードと併せて買い,ということになるのだろうか。iBookくらいの価格だったらいいのだけど。
 まあ,HDを交換して後,とにかく安定したわが饅頭iMacは身内意識さえ芽生え始めているので,あわてることないし。


01月14日(土) 花はどこへ行った  Status Weather

 職安通りの韓国料理屋で自称・筋金入りのアマチュアフォークシンガーと飲んだのは昨年の夏の終わりのことだ。

 彼は私よりも10歳ほど年上,仕事先ではじめて挨拶したのは6,7年前だった。そのときはよもや,近い場所で再び会うことになるとは思いもしなかった。一昨年,仕事の近しいところで彼の名前を目にし,年初から数か月の間,2,3回だけれども飲み食いを共にした。
 麻布十番の焼き豚屋で最後に飲んだ一昨年の梅雨入り前の鬱陶しい夜。そのとき,彼が仕事の一方で,少なくはない数のライブで演奏をしてきた話を聞いたのだ。きっかけは忘れてしまったが,私が,好きでスタジオに入ったり曲を作っていたことがあって,今でもときどき,その頃の曲に手を加えているなどと話したからだったと思う。仕事の話は捨て置いて,音楽やら何やら,結局,閉店まで腰を据えてしまった。

 1年も前で,かなり飲んでいた。何を話したのかお互いにほとんど覚えていないのに不思議と聞いた話は覚えているものだ。韓国料理屋で私は同じ話には相槌を打ちながら,それでも続く話は前回とは違ってくるのがとても面白かった。
 リアルタイムでの体験でないものの,私が音楽を聞くようになった原点はザ・フォーク・クルセダーズだというような話をしたのだと思う。あちこちに散らかりながら,彼の一言にそのときは問い返すことをしなかった。

 「“花はどこへ行った”をあのアレンジで演奏するんだから,やっぱり凄いよね」

 それが,数年前,突然に再々結成し発表されたアルバム『戦争と平和』に収められたバージョンで,“あのアレンジ”がアイリッシュ・トラッドのようなものだとは判った。ただ,私は“花はどこへ行った”に何の思い入れもないので,それがどうして凄いのか見当がつかなかったのだ。(つづく)


01月15日(日) 花はどこへ行った 2  Status Weather晴れ

 数十年来の夢が叶いピーター・ポール・アンド・マリーのコンサートに行った彼がいうのだし(それもお子さんと聞きに行ったそうだ),アルバムのタイトルが“戦争と平和”で,続けて「花」がカバーされているのだから,素人目にも周到にアレンジが練られたであろうことは想像に難くない。
 太鼓の押さえ気味のリズムに,ブズーキやらアイリッシュホルン(のような)の音が被さり,間奏ではまるでバーズのような12弦ギーターのフレーズが聞こえてくる。一番のポイントはギターとウクレレがテンポのガイドに徹していることだろう。

 そんなふうに思ったのは後のこと。その日はマッコリを何本か飲みながら,ライブ秘話をいろいろと伺った。

 で,このアルバムを聞き直し甦った記憶は実のところ,ある医師が書いた文章の一節だ。
 その医師は在宅でのターミナルケアに熱意をもってかかわっている。志は高く,ただ,日々亡くなる患者さんを目の前に,これでいいのだろうかと悩み続けているのだという。ある日,まだ小さな子どもを抱えた女性が相談にやってきた。状態は進行し芳しくなく,手を尽くそうにもできないことばかりが頭をよぎるのだ。医師は自問する。「私はこれまで“怖がらなくてもいい”と言うことができたのだろうか」と。
 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節だ。

 『戦争と平和』には,この詩に曲をつけた歌が収めてある。曲調は『それから先のことは』の「光る歌」に共通する静かな明るさが印象的。
 死にそうな人のそばで,“怖がらなくてもいい”なんて私には言えるはずもなく,なおさら悩み続けながらそう言えたか自問する医師がいることに,その原稿用紙6枚程度の文章を読んだとき,なかば呆然としたことを思い出した。


01月17日(火) サンケイ  Status Weather晴れ

 最近の日記です。

 『悲劇週間』を読み終えてしばらく経つものの,たとえば辻邦生の『フーシェ革命暦』を読んだ後にも似て,どうにも旨くその面白さを示すことができない。で,はたしてどんなふうに読まれているのか紙関係やらネットやらで探していると,来週日曜日の産経新聞で星野智幸が書評をする旨を読んだ。メキシコ繋がりなのだろうか。

 学生の頃,最初に勧誘にきたのが当時のサンケイ新聞配達の人だったので,結局,4年の間,サンケイ新聞を読み続けた。それはまったく奇妙な新聞で,毎日,紙面の端に必ずスローガンのようなものが掲げてあるのだ。曰く,「行革に賛成しない議員は落選させよう」とか,そんなものだったけれど。

 だから,産経新聞というと,たとえ書評でも相変わらず「メキシコは隣国だから仲良くしよう」なんて書いてあるのではないかと想像してしまう。

 ネット上では,とにかく図書館の新刊案内が多いのと,思わず笑ってしまったのはここ。新潮文庫版の『複雑な彼女と単純な場所』以降一連の作品刊行当時のことを指しているのだろうか?


01月19日(木) I Don't Remember  Status Weather晴れ

 行ったことは覚えているのに,いったい何をどうやったか何一つ覚えていないアルバイトがある。

 「いいバイトがあるんだけれど,やらねぇか?」
 紹介してくれるのはいつも喬史だ。根は面倒見のいい奴なので,コストパフォーマンスに敵うバイト情報は,いつも彼からあがってきたのだ。
 「試験の監督なんだ。座ってりゃいいだけだから,楽なもんだぜ」
 むろんそれだけじゃないはずだけど,そうした面は喬史にとって瑣末なことだから,話はいつも容易いものになる。とはいえ続いて「ただ,なあ」と一言あるのが常。そのバイトも

 「場所が朝霞で,朝早いんだけど,帰りの電車で寝りゃいいんだから,チョロいもんだ」

 それしか方法がないのかは未だ知らないが,とにかく武蔵野線でなければ辿り着けない場所に試験会場はあったと思う。私は4年で,週のうち講義があるのは1,2回,一日が24時間なんて気にする必要がなかった頃なので,朝早かったのか,夜遅かったのか判らぬまま,朦朧として駅前に立っていたあたりまでは記憶にある。

 「あれぇ?? どこかで見たことがある奴だなぁ」
 中年女性の声だ。独り言にしては声が大きすぎるぞと振り返れば,朝っぱらから煙草ふかして同じく中年の男性とひなたぼっこする姿が見える。気に留めなければ,日毎あちこちの駅前で同じような光景は繰り返されているのだろう。ただ一つ違うのは女性が私の知り合いで,知り合った場所がバイト先の精神科の病院だということだ。
 私は彼女が調子を崩していることを知らず,「果物を剥く」というので,病棟カウンター越しにナイフを渡したときのことを思い出した。(続けます)


01月20日(金) I don't remember 2  Status Weather晴れ

 と書いていて,以前同じ内容を書いたことに気づいた。(ここです

 しばらくすると,知り合った当初よりかなり楽になったようすが週2回しか会うことがない私にも伝わってきて,町中に出かける回数が増えたあたりで,生活に便のよい場所に転院されたと聞いた。退院,転院と聞いて,必ずしも共に喜ぶことばかりでないのが精神科を取り巻く状況だったのは20年前のこと。今はさて,どうなったのだろうか。

 「今度の病院,いいのよねぇ。あっ,あそこももちろんいい病院だったわよ」
 医療関係者でもないのに私が「その後,調子いかがですか」などと尋ねてしまったものだから,たぶんそう答えられたのだろう。誰それはどうした,よろしくと尋ねられたけれど,私がバイトを辞めたことと言うと,あっさりしたもので「じゃあね」と,連れと二人,日差しの暖かいほうへ行ってしまった。

 その後,私がどこへ向かい,何をしたのかまったく記憶にないのはどうしたことだろう。


01月22日(日) 音の成りゆき  Status Weather晴れ

 最近の日記です。

 『黒死館殺人事件』を読むペースは遅くなるどころか,読み終えたところからトレースをかけるように初めに戻って物語の流れをチェックしなければ,いきなり説明された箇所がどこで登場したのか把握できなくなった。で,2,3日前からは,同じく年明けにもってきた『ジャズ・カントリー』をバッグに押し込んだ。
 四半世紀ぶりに読み返すと,『黒死館』とは別の意味で,こちらもページが止まってしまう。たとえば,こんな箇所で。

 「ぼくたちのバンドは,何も特別なものじゃないが,集って,音の成りゆきがどうなるか見きわめるのは,いつも楽しかった」
   ナット・ヘントフ『ジャズ・カントリー』(木島始訳,講談社文庫)

 スタジオに入らなくなって後,いろいろな場所でどのように話しても,“The Reason Why”に答えうる言葉は見つからなかった。いや,確かにスタジオに入る楽しさのほとんどを占めるのが,まさに“音の成りゆきを見きわめる”ことにあったと思う。

 その日,録音したテープに,“TG”の音を出した後,6/8のリフから昌己のドラムパターンに合わせてキーボードとボーカルを載せた“強風 天候 最悪”というスケッチがある。まとめられそうだったので,次の練習まで私はテープを聞き直し,結局,まったく別の曲にしてしまった。それが“Improvisation”だ。出だしのリフを削り,スリーコードをバックにリードをとるフレーズを載せた。和之にそれだけ伝えて,あとは各人,まったくのアドリブ。

 “TG”と“Improvisation”それぞれの音の成りゆきの見きわめかたはまったく違う方向のなのだけれど,音を出したときの記憶は薄れることがない。


01月27日(金) ノイズ  Status Weather晴れ

 後にCD化されたXTCのBBCライブを聞いたとき,耳に馴染んだノイズが入っていないことにしばらく戸惑った。もちろんマスターテープに起因するものではない。

 そのライブがNHK-FMでオンエアされたのは昭和50年代半ばのこと。年に何度か,主にBBCで放送されたロックバンドのライブ音源が1,2週間にわたって放送され,たぶんそれはトーキングヘッズと同じ週のことだったと思う。
 XTCに対して当時,私がもっていた情報は「リーグ・オブ・ジェントルメンのオルガン弾き(バリー・アンドリュース)が在籍していたバンド」という,やけに偏ったもののみ。同じくトーキング・ヘッズに関する知識も「ロバート・フリップがノークレジットでギターを弾いているアルバムがある」だったけれど。友人から緑の紙袋に入った“Black Sea”を借りたのはしばらく後のことだ。その日はとりあえず録音しておけ,という程度の,思い入れも何もなしにタイマーで起動させてカセットを回した。

 私は整理整頓からもっとも遠いところで暮らしてきたので,何が録音されたカセットか書き記す習慣など身につけている筈もない。だから,聞かないままどころか,空のテープかどうかを確かめるために回して,はじめてXTCのライブを聞いた。
 手元にないものの,記憶では“Respectable Street”からスタートし,アンコール前は“Living Through Another Cuba”から怒濤のように“Generals And Majors”へとなだれ込む。当時,ストーンズのリフはピンとこなかったけれど,XTCのリフは圧倒的に格好よかった。
 で,ノイズが入っているのは“Generals And Majors”の最後のリフ,デイヴ・グレゴリーがオクターブあげて被るところに,電気を消す際に発生するノイズが見事に2つ。夜11時台の番組だったから,別の部屋で親が電気を消したのか化粧室へでも入ったのか? いや,そんなどうでもいいことに思いを巡らせはしなかった。

 以後,そのテープを聞くたびに,最後のノイズは耳に煩わしい。ブートレッグが出ているのを見た覚えはあるが,ノイズのためだけに(買い求める動機があるとすれば,それしかなかったのだ)手に入れようと思いはしなかった。
 さらに後。そのテープは実家に置いたまま,10年以上が過ぎていた。今度はCDを買う大義名分もたつ。ブートレッグではなく,正規盤としてリリースもされた。で,手に入れて聞いた。

 ある筈のノイズがきれいさっぱりないことに躊躇うとは思いもしなかった。


01月28日(土) ダイキリ  Status Weather晴れ

 泉昌之の単行本『感情的』(『天国や地獄』だったかもしれないが)には,高橋幸宏のライブパンフレットに掲載された作品が載っている。トレンチコート(私服)を着たユキヒロが,やむを得ず居酒屋に入ってしまうところから始まる。絵でユキヒロ=アールデコというイメージ(これ自体,フィクションなのだけど,畳み掛けられるとインプリントされてしまう)を強烈にアピールしながら,居酒屋の店員とのやり取りをギャグにする。こんなくだりがあった。

 店員に飲み物を問われて,ユキヒロは「バナナダイキリ」と答える。と,
 「いやだな旦那,バナナなんてありませんよ。ハイ! キリンの大ですね! よろこんで!」
 もちろん,やってくるのはキリンビールの大ビンだ。唖然とするユキヒロ。「ボクのデコ(アールデコ)が…」。崩れゆくエッフェル塔(だったかな,とにかくフランスっぽい絵柄)。
 泉昌之の漫画には,飲み物や食べ物に関する取り違いがよく出て来る。オニオンスライスを“鬼 on 酢ライス”,酢飯の上に鬼が乗っている丼は強引だったけれども。

 さて,汗をかくために飲むカクテルとして学んだダイキリを,このところ酒場で頼むことが多い。一昨年,『The Wrong Goodbye ロング・グッドバイ』を読んで以来のこと。酒を頼むきっかけなんて,意外とこんなものだろう。ただ,ダイキリというとキリンの大ビンを前に呆然とする高橋幸宏の図柄が脳裏を横切り,どこか恥ずかしい。


01月29日(日) デジカメ  Status Weather晴れ

 まだ放射線技師と二足のわらじを履きながら,ときどきライブハウスで歌っていた女性ジャズボーカリストのステージを聞きに,はじめて野毛小路に行ったときのこと。
 私の七五三詣は伊勢山皇大神宮であったり(どうやら成田山が込んでいたためらしい),しばらく後,学生時代は紅葉坂あたりのホールで有料・無料のコンサートを聞きに行ったりした経験はあるものの,桜木町へ出かける用事はほとんどなかった。だから野毛小路に足を踏み入れたのは,そのときがはじめてだった。
 ライブハウスには知り合いが来ていて,1ステージ聞いた後,近くの天ぷら屋で飲んだ。彼に紹介された店は間口が狭く,カウンターとお座敷に2卓ほど。それは見事な小ささだった。トイレに行くにも店を出て軒下をくぐらなければならない。その日は満席で,女将がひとり忙しく動き回っていたことを覚えている。酔いがまわり,小雨のなか,あたりの店の看板が滲むようすをみると心地よかった。

 その後,何度かライブに出かけたのだけれど,開演より早く着いたときは,あたりを散策した。と,このあたりには意外と古本屋が多いのだ。それ以後,年に何回か,土日に横浜で仕事があるときは,ついでに古本屋巡りをしている。

 最近のこと。なかでも一番大きな古本屋の棚をながめていると,電話でやり取りする主人の声が聞こえてきた。
 「添付ファイルで結構ですから」
 添付ファイル??
 古書収集家が亡くなり,家人が残された本を処分するためにかけてきた電話らしい。いつくかの古書店に声をかけ,競売で落札させようというのだ。
 「ええ,今はそんな時代なんですよ」
 一日も早く処分したい電話の主は,主人が動ける日まで待ち切れない。そこで主人が提案したのは,蔵書をデジカメで撮影し,添付ファイルで送る方法。
 「おおよその見積もりはさせていただきますので」
 いやはや。


01月31日(火) 情報  Status Weather曇りのち雨

 「ライカにせよ,オールウェイブ受信機にせよ,テレヴィにせよ,理窟で性能を理解しようと思うと骨が折れる。しかし,自分の持ち物として奔っていれば,自然に性質が呑み込めてくる。かりにロダンやゴッホの作品が身のまわりにごろごろしているとしたら,彼等について一冊の本を読まなくても,なんとなく解ったような気がして来るにちがいない。事実また,本ばかりの知識よりはその方がましでもあるだろう。この点で,美術は,文学や哲学とはちがう。そして,実物をみる機会のない世界では,いい複製を身のまわりに沢山もっているものが勝ちである。」
   本多秋五『「白樺」派の文学』p.30,新潮文庫

 引用箇所が本の冒頭に固まっているような気がするものの,それはさておき。というスタンスで編集された「白樺」を同時代に読んでいたら,たぶん固有名詞とそれに続く形容の応酬で会話が成立してしまっていたのではないかと思う。
 引用した箇所の前で,本多は次のように記す。
 「『白樺』派の作家たちは,ゴッホについて,ロダンについて,レンブラントについて,誰はばかることなく存分に語った。そして,それで充分に通用したのである。あれがもし美術でなくて,文学だったら,ああはいかなかったであろうと思える」
   同書,p.29

 そして,昭和50年代を折り返した頃のロック雑誌を思い出すと,それはなんだか他人事ではないように感じるのだ。



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