2006年2月

02月02日(木) 映画  Status Weather晴れ

 最近の日記です。

 「ホテル・ルワンダ」について聞いたのは国連に行ったときのこと。出来過ぎというか,かなりシニカルだけれど。
 年明けから公開されているので,終わらないうちに,とりあえず観にいくつもり。とはいえ,さて,どうなることだろう。


02月06日(月) 象さんのポット  Status Weather晴れ

 1989年に手にしたチラシには,こんなことが記されている。

 〔体現する笑いのファシスト〕大恐慌89
 出演:キリングセンス,大恐慌劇団,象さんのポット,ジーコ内山,田村真一郎,本間君,宮川君,石川昇,AVセントラル,TDサイド,グリマンデルと工場現場2号,へらちょんぺ,牛乳ソース,正狩ランプ,漫才一郎次郎,板橋便利会 他

 会場は恵比寿のシネプラザ・スペース50。その1,2年前から,徹に誘われて象さんのポットを観に何度か行ったのだ。といっても,たぶん年に1,2回ではなかったかと思う。スペース50はおもちゃ屋の横を上がった3階にあって,前方は靴をもって座布団に座って,後方には椅子が並んでいた。

 そのころから,すでにジーコ内山は“ジーコさん”と,さん付けで呼ばれていた。“王さん”“馬場さん”と,さん付けされる人にひたすら弱い徹は,ジーコ内山も“さん付け”されるくらいだから,きっとひとかどの人物なのだろうと考えていたようだが,結局,いくら想像を膨らませても,「大したことないな」としか感じなかった。

 当時の象さんのポットのライブは,たとえると80年代後半のあぶらだこのライブくらい数が少なく,「お笑いスター誕生」の頃のネタにバイトネタ(ユンボとか,そうしたもの)が加わり,ますます脱力していた。歌わないから幻の曲であり,それだけで笑ってしまった「隣のイスラム」も,一度歌ってしまうと,歌だけで笑うにはなかなか厳しかった。

 当時のチラシやらDMが,いまだ手元に残っているのはどうしたことだろう。


02月07日(火) CD  Status Weather晴れ

 昭和の終わり,土曜の夜。徹のファミリアでどこへ行くあてもなく多摩をだらだらドライブしていたときのこと。

 「CDっていいよな」
 突然,徹がつぶやく。
 「何をアバウトなこと言ってんだよ」
 昌己が言う通りだ。第一,CDってカテゴリーじゃないし。
 「ひっくり返さなくていいのは確かに楽だけどな」
 「そうじゃなくて」
 「なんだよ,そうじゃなくてって」
 「お前,最近,どんなの聞いてるんだよ」
 「クラフトワークとか,モノクロームセットとか,オレンジジュースとか」
 「再発ものばっかりじゃないか,それじゃ」
 「決まってんだろ。再発のCD買いまくってるんだ」
 「それ,CDがいいんじゃなくて,昔のロックがいいってことじゃないか」
 「そうとも言えるけどな」
 「確かに,おれもプログレの再発ばかり買ってるわ。最近のバンド,しらないし」
 「だから,さ。CDはいいって言ってるだろ」
 徹がそう言ったあと,昌己はつぶやく。「最近,これは出ねえだろう,ってあたりまで,出てき始めたよな。たださあ,ウォーターボーイズ出るの待ってんだけど,見当たらなくて」


02月08日(水) 飛行機  Status Weather晴れ

 「驚くべきことにこの馬鹿女シリーズは,機内で再会したエマニュエル夫人とかつての恋人が,飛行機の中でただずーっと過去のエロ話をし続けているという,たったそれだけの内容なのである」
   大槻ケンヂ『猫を背負って町を出ろ!』角川文庫

 『あ・じゃ・ぱん』を例にあげるまでもなく,矢作俊彦の小説は映画や小説からの引用で溢れている。それは高橋源一郎との対談(文學界,2003年12月号)におけるこんな発言にもみられるように。
 「ずっと他人のストーリー使って小説書いてるんですよ。十歳くらいからそれやってるから,もうやめられなくなっちゃった。ゴダールも他人のストーリー使って映画つくってるでしょ。あれを観たとき励まされてね。十五,六だったけど,これはありなんだなと感激した。それまで,自分がやってるのはいけない事だと思ってたから。以来,ずっとカバー作家なんだけど,誰も気づいてくれない。レイモンド・チャンドラーのカバーなんか,繰り返しやったことが何度もあるんだけれどね。」
  
 『ポルノグラフィア』(小学館)は雑誌「ペントハウス」に連載されたポルノグラフィーを集めた作品集。ただ,巷にあふれる幾百万のその手の小説とは似て非なるものだ。まず,ポルノグラフィーから暴力とフェティシズム(文字通りの物神性)をそぎ落としたところで書き始められている。その他いろいろ。
 で,冒頭の「裸の王座」のシチュエーションは飛行機内。ずっと何気なく読んでいたのだけれど,これは映画「エマニエル夫人(エマニュエルじゃなくて)」のワンシーンのカバーなのだ(たぶん)。連載から遥か前,単行本が刊行されてからもすでに10年が経っている。気づくの遅すぎだ。


02月09日(木) きらら  Status Weather晴れ

 「きらら」(小学館)に連載中の「ウリシス911」は,第3回まではウェブ上で手に入れることができたのだか,その後,続く回はアップされなくなり,年間購読でしかコンタクトできなくなった。あこぎなやりかたに憤懣やるかたなく,もちろん今日まで購読などしていない。年末に古本屋の100円コーナーで1,2冊見つけて買い求めた。それでもかなりの回が抜けているため,ストーリーはよく判らない。
 判っているのは,短編集『夏のエンジン』に収められた各短編をひとつの物語として再構成し,そこに『死ぬには手頃な日』に収載された未発表短編「A Day In The Llife」を据え置き,あげく「BUZZ」で連載が中断したままの「仁義」まで入り込んでいることくらい。「A Day In The Life」が入ってくると言葉の密度が極端に高くなり,この小説家(矢作俊彦)の文体が変わったことを実感する。
 1月号からは書店で配っている(もちろん無料で)ので,これから先,毎月楽しみなのだ。掲載されている他の小説はほぼ読んでいない。まあ,“携帯メール時代に送るストーリーマガジン”ってキャッチコピー自体,最初,“贈る”の誤植かと思ったくらいで,どれもこれも馴染みはしない。


02月10日(金) 音楽  Status Weather晴れ

 平成のはじめ頃のヒット曲といわれて,ひとつもピンとこないのは,たぶん,当時,テレビで音楽を聞く機会がなかったからではないだろうか。
 国内外問わずヒットチャートに関心がなくなったのはその少し前だけれど,それでもテレビでかかる曲くらいは記憶していた。昭和の終わりから平成のはじめにかけて音楽番組自体,ほとんどない時期がかなり続いた。いきおい,ヒット曲を耳にすることがなくなった。

 仕事を終えアパートに帰ると,食事をそこそこに,ヘッドフォンを被って曲のデータに手を入れる生活が1,2年続いた。「聞きたい曲がないなら,自分たちでつくってしまえ」というのが,実のところ昌己や和之とスタジオに入る動機の根本にはあった。やけに建設的な出自だけれど,タイミングと時間だけには恵まれていた。いや,音楽をつくるのにそれ以外,何に恵まれればいいというのだろう。
 だからだろうか,どこかで音が鳴っていた。

 その頃,夢に出てきた光景が忘れられない。真夜中,天井いっぱいの海に向かって開かれた窓。その向こうは部屋の灯が波に洗われた岩肌を曝け出す。フローリングのばかでかい部屋に人の気配はなく,壁際に小体なオーディオセットが置かれている。聞こえてくるのはPublic Image Ltd.の“Four Enclosed Walls”だと私は判っている。なのに,鳴っているのは聞いたことがない音。それが,この部屋を埋め尽くすことを私は知っている。

 いや,まったく本当に。ただ,その音を実際に示そうとすると,これが,どうやっても違うものに変わり果てる。そしてフェイドアウト。

 「テクニックはさておき,才能はあるんだけどな」
 今でも,昌己と飲みながら,過去形でなくお互い頷き合うのは,あまり他人に聞かせられた話じゃない。


02月12日(日) ライブ盤  Status Weather晴れ

 店頭はあっという間にCDが席巻し,私のプレーヤーはどうにも調子が悪かった。修理し針を買い替えるより,CDプレーヤーを買ってしまったほうがコストパフォーマンスに敵っていると考えたのは当然の成り行きだ。それでもCDプレーヤーを買いもせず,プレーヤーをごまかしながらターンテーブルに盤を置く回数は日に日に少なくなっていった。マッドネスが解散し,ヒュー・パジャムとかサイモン・フィリップスとか,およそ場違いな面子に囲まれた“ザ”付きマッドネスが登場した。私がデフ・スクールを知った頃のことだ。

 デフ・スクールはとっくに解散していた。3枚のアルバムがCD化されたのは80年代の終わり頃だったと思う。実はその前に,“Second Coming”という再結成ライブアルバムがリリースされており,だから順番としては,このライブアルバムを聞いてから,続けてCD化された1stを手に入れたことになる。
 現役当時,キンクス meets ロキシー・ミュージックと言われたとライナーンーツで読んだ筈だけれど,たとえば初期スプリッツ・エンズとかピーターハミルの“Fools Mate”あたりの印象に共通するものがあると思う。
 ライブ盤はあまり評判がよくなかった。けれども私はいまだ,このライブ盤をとても気に入っている。サックスはマッドネスのリー・トンプソン(女優じゃなくて)で,サグスも楽屋に来ていたようだけれど,ステージには登場しなかった。

 最近,1stから3rdまでがボーナストラック付で再発されたのだという。で,まだ手に入れていない。


02月13日(月) ふとん  Status Weather晴れ

 「わたし,おふとんの下のほうって好き」
 娘を寝かしつけていると,突然,そんなことを言い出した。
 「なにかありそうで,ドキドキしちゃう。もっと大きくなったら,おふとんの下のほうなくなっちゃうでしょ」と,するする布団のなかへと潜り込む。
 布団に下のほうがあるなんて,もうずっと,そんな感覚をもったことはなかった。そういえば,子どもの頃,確かに布団の奥(下)に,漠然と何かがあるような感じをもっていたことを思い出す。
 「へえ。どこにつながっているかもね」
 それから娘の吐息が聞こえてくるまで,それほど時間はかからなかった。 


02月14日(火) 主人公  Status Weather晴れ

 「あの話は映画化するのは難しいですよ。(中略)もしやるなら,主人公の二村永爾にずーっと酒を飲ませ続けるしかないんじゃないか(笑)」
 矢作俊彦・青山真治「小説と映画を横断する作家」(QuickJapan,Vol.64,2006)

 今日の昼休み,この雑誌を本屋で買った。食事をしながら斜め読みしていて,あれ,と思ったのはこの台詞だ。矢作俊彦の口から“二村永爾”とフルネームが出たのを聞いたり読んだりした記憶がないからだ。たぶん,そんなはずないのだけれど。


02月16日(木) 西部劇  Status Weather

 2人組になったフリッパーズギターの虚実交えた言説が飛び交っていた頃。徹が「モノクローム・セットの新譜を楽しみにしている」などといい始めた。

 私が,モノクローム・セットをはじめて聞いたのは80年代でも,まだMTVの波が押し寄せていない狭間のような時期。それは3rdアルバムの数曲で,もちろんFMラジオでのことだった。ウエスタン映画のサントラのように妙な節回しが耳に残った。同じ番組でマーク・ノップラーのこちらは正真正銘のサントラアルバムから何曲かかかった。
 それからしばらく後,昌己の家で1stのいわゆる“モノクロームセットのテーマ”を聞いたのだ。
 「このドラムパターン疲れるぞ」
 左右同じパターンを延々と繰り返すのだ。ドラマーの疲労感が伝わってくる。そこに,カッティングの途中,ふざけて絃を緩められたのではないかと思われるようなギターが被さる。ポップかと問われて,XTCをポップというのならポップだろうけれど,こちらは,ましてや“This Is POP”なんてやらなかったものだから,ニューウェイヴで括ったほうがずっとおさまりがよかった。

 いつの間にか再評価され,アルバムが出て,来日までするのだという。
 「誰が聞きにいくのだろう」
 「フリッパーズギターのファンさ」
 そのときのモノクローム・セットという固有名詞には,そんな雰囲気がついてまわった。


02月19日(日) 白虎野  Status Weather曇り

 ライブを観た回数で語れるものなどそれほどあるまい。気のよいバァテンダーから「それは生きかたの問題です」の一言を得て霧散する程度の,趣味の問題だとは重々承知の上。
 私がもっとも多くライブを観たバンドはP-MODELだと,これは今後も変わることはないだろう。昭和の終わりから数年,年に5,6回は観た。度重なるメンバーチェンジと遅々として決まらぬレコード会社,それに反して動員は上がったものの結局,凍結してしまった時期のことだ。

 「雅史に言わせれば,ぼくらは揃って優格観念だそうだ(中略)ショックが大きすぎると,そのショック以降の刺激にまったく反応できなくなっちまう」
  矢作俊彦『マイク・ハマーへ伝言』p.202,角川文庫
   
 ネットでイリーガルに手に入れた同じ時期のライブ音源に私や昌己の声を聞いた途端,平成からこっち,結局のところ,それ以降の刺激に反応できなくなっていたのだろうと感じた。
 リーダーだった平沢進はソロアルバムを出し,P-MODELを解凍,培養,核P-MODELと変幻しながら現在に至るが,私は常に昭和のP-MODELを譬えに比較してしまうのだ。
 相変わらず打ち込みにギターとボーカルというスタイルに変更はないものの,ソロ前作『Blue Limbo』あたりから,凍結前P-MODELと同じ地図に還ってきたように思えてきた。2月にリリースされた『白虎野』を最近,聞いた。これで音色を半分に絞り込む気になったなら。いや,とてもよかったので。


02月21日(火) 徹夜  Status Weather曇り

 生まれてこのかた,アルバイト以外で徹夜をした経験は数えるほどしかない。眠くなるにつれ機嫌はひたすらに悪くなるし,効率はかぎりなくゼロに近づくと知っているからだ。ならば早朝から昨夜の続きを片付けたほうがいいというのは単純な計算。

 仕事で徹夜になったのはただの一回,10年ほど前のことだ。数年越しの大きな仕事が山場にさしかかり,士気を高めようと考えた上司が金曜日の夜の徹夜を宣言した。もちろん私と同僚も道連れだ。というより,目的は,私たちが徹夜すること自体にあったと記してしまっても,あながち見当外れではないのが困ったところだ。
 聞きつけた社長に夕食をごちそうになり,あげく夜食に,と近所のおにぎり屋でいくつかを包んで持たせてくれた。嫌がうえにも残業気分は高まっていく。仕事もしないのに時間はいつの間にか21時を回っている。普通に残業していたほうが効率がよかったとは,そんなこんなだったので,口にできる状況ではなかった。
 23時を過ぎた頃,この先,仕事を進めるためには資料を探さねばならない状況になった。私たち3名は社内中の単行本から雑誌,資料をひっくり返したものの,必要な情報は得られない。

 ネット環境がない時代の仕事は,文献から参考になる箇所を探すことが仕事のかなりの部分を占めていたことを思い起こす。

 午前1時近く,私たちは到頭,そのとき社内にある資料のなかに,目当ての情報がないと判断するに至った。タッチの差で近くの駅を終電が出た。警笛が聞こえたのは幻聴ではないと思う。
 で,会社にいても何もすることはなくなった。
 ラジオやテレビ,ステレオのひとつもオフィスにはない。遡ること10数年前に現役だったらしいテレコが一台,机の奥から出てきたが,この機械の成れの果てが何らかの娯楽を提供することは想像できなかった。
 それでも1時間ほど,一縷の望みをポケットに忍ばせながら,あちこち手を入れた。機械的に手は動くのだけれど,思うのは,徹夜しているのに,どうして私はこんな建設的な作業からもっとも遠いところを歩き回っているのだろう,ということだった。
 3時を過ぎ,さすがにやることがなくなった。口数は当にゼロと1を行きつ戻りつしていた。私が机のなかを整理し始めたからといって,誰を責めることができるだろう。その頃,上司はオフィスに設えられた流しを洗っていたのだから。

 徹夜で仕事を進めるの名のもとに集まった社員3名が,午前3時には掃除に明け暮れていたのだ。
 午前5時。何か気に入らないひと言が聞こえてきたら,感情が爆発しそうなくらいのテンションと眠気を抱えながら私は机にうつ伏せた。と,上司がいう。
 「掃除機かけようか」

 その仕事が終わるまでには徹夜をしてから,さらに半年ほどの時間が必要だった。


02月22日(水) 引用  Status Weather晴れ

 さて,この本から引用すべきか瞬間,迷いはしたことをあらかじめ記した上で。

 「うめえことを考えたな。黒川(けい子が気になる『あいつ』―引用者),行こう。僕らもスクラム組んで革命歌をうたおうよ。……まんざら気紛れでもないさ。僕らは政治オンチだが,しかし,新安保の議会での通し方は癪に触るからな……。それだけのことでも,デモ隊に参加する資格があるさ。みんながみんな,ちゃんとした認識をもってる奴ばかりでもあるまいからな。行こう……」監督・中平康,脚本・池田一朗・中平康「あいつと私」日活,1961.より
   竹内洋『丸山眞男の時代』中公新書,2005.  

 「俺も,おまえも,礼子がいなくなったとき,あんな馬鹿騒ぎから足を洗ったって不思議じゃなかったんだぜ。そうしなかったのには理由があった。でも,みんながみんな,同じ理由であるわけがない
   矢作俊彦『マイク・ハマーへ伝言』角川文庫

 竹内洋が,丸山眞男とその時代について記した本に引用した日活映画のシナリオを読んで,結局,思い起こすのは『マイク・ハマーへ伝言』だ。


02月24日(金) 無縁  Status Weather晴れ

 「……本気で,この冷静な機械になろうと思い,高等学校をでると,もの凄い勢いで勉強をはじめた。いわば,自分に無縁なるものを,自分の認識の糧にしようとして」
   辻邦生『海そして変容 パリの手記1』(p.52,河出文庫)

 そんなふうに知識を得ようと努めることができるなら,「自分の尻尾に咬みついたガラガラ蛇」よろしく,進歩のない自分から解放されもするのだろうけれど。


02月26日(日) びん  Status Weather

 最近の日記です。

 同業他社の知人と久しぶりに飲んだときのこと。年に数回,出張先で一緒になれば話をするものの,表参道近く,カレーうどんが有名な飲み屋で終電近くまで飲んでから1年近く過ぎたのではないだろうか。
 ときどき昼に定食を食べに行く居酒屋へはじめて夜に入った。
 黒板を見て,何点かつまみを頼み,では飲み物をどうするかとなった。私とは一回り以上年上の人だけれど,これくらいの年の人とさしで飲むのは20代から日常茶飯事。
 「ぼくはビールにしますけど」
 「じゃあ,びんにしようか」
 ジョッキで頼むことが当たり前になって後,びんビールを注文したのは久しぶりだった。
 で,感じたのはコップに注いで,自分で注いでの繰り返し。そのペースがジョッキよりも,よい具合だということ。2人でかなりの本数を空けたものの,トータルで飲み終えればいいので,相手が頼むのに合わせて流し込む必要がまったくないというのは実に心地よく,酔いが回るペースも心なしかゆっくりだった。
 これから,びんで頼むのはマッコリだけではなくなりそうだ。


02月28日(火) 歌詞  Status Weather曇り

 iTunesと連携し,ネット上でカラオケのデータベースから曲の歌詞を検索でき,かつそれぞれの曲の歌詞データのセルに保存できるソフトがあることを雑誌で読んだ。
 早速,iTunesを立ち上げ試してみたところ,ULTRAVOXの“ReapT The Wild Wind”やSOFT CELLの“Tainted Love”なんて曲の歌詞が検索できた。そんな曲が入っていることを大きな声じゃいえないけれど。
 YESの“The Gates of Delirium”とか,Bing Crosbyの“Swinging on a Star”とか,Joy Divisionの“Love will tear Us Apart”とかもひっかかってきて,本当にこんな曲をカラオケで歌う奴がいるのだろうか? “The Gates of Delirium”なんて20分はかかると思うのだが。

  Tom Verlaineの“Kingdom Come”を検索したら,GRAPEVINEの歌詞が出てきて,これは却下。

 これは最近の日記です。



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