2006年4月

04月02日(日) データ  Status Weather晴れのち雨

 最近の日記です。

 娘がエレクトーンの発表会を控えたころのこと。合同演奏する曲をカセットにダビングして持ち帰ってきた。それに合わせて練習しろということらしい。弾けるようになるまではカセットのことなど忘れて,さて当日まで1週間ほどになった。
 私は1年前もそうしたことを思い出し,埃をかぶったTASCAMの4chミキサーをもってきた。1,2トラックでカセットを再生するとともに,別のトラックにキーボードからのラインを接続する。それらを合わせて,ヘッドフォン端子を通して外部スピーカから出すのだ。
 娘はそうやってさらに練習し,当日はまずます旨くいったようだ。

 久しぶりにミキサーを取り出したので,昔,スタジオで録音したテープを聞き直した。すでにアップしたものだけれど,別の音源があったので,Sound It!で取り込みmp3に落としてみた。これまでのようにページはつくっていない。私がキーボードを弾いて,昌己はベース,和之がウインドシンセを吹いている。

 データ調整中
*ページとしては開かないようなので,聞こうという奇特な方は,ダウンロードしていただけますでしょうか。そのうち,ページつくります。


04月06日(木) 武器  Status Weather晴れ

 続いて,最近の日記です。

 雑誌,クォータリー「at」(太田出版)3号が出たので,早速手に入れ,通勤途中で眠たくなる前しばし,ぺらぺらと捲っている。吉岡忍と吉田司の対談中,吉田がこんなふうに語る。

 「あの頃のわれわれの思想は,武器は敵が持っている,っていうことだったよね。(中略)金は敵が持ってる,ってのは小川によく言われたな。武器は敵が持ってるから敵からもらおうって」
   同書 p.123

 今回のテーマ「開かれた運動の技術をめぐって」自体は1号で完結せず,次号に続くらしい。話がどこに着地するのか判らないけれど,昔話に終始していたからか,これまでより読みやすかった。

 特集「コーヒーの世界システムと対抗運動」や,前号までかなり批判的に読んでいた上野千鶴子の「ケアの社会学」もかなりの読み応えがあった。必要があればだけれど,「ケアの社会学」中の,「家族介護は」いつから問題となったか?は,老人介護をめぐる経緯が実に的確にまとめられているので資料的価値は大きい。


04月07日(金) ミステリ 1  Status Weather晴れ

 その年の夏休み,私は神保町で「ミステリ・マガジン」(HMM)を手に入れた。ほとんどは70年代のもので,合わて20冊ほどになったと思う。
 矢作俊彦の単行本に記された短編の初出をたよりに,そうやって,まだ一冊にまとめられていなかった「真夜半へもう一歩」(『真夜中へもう一歩』)や「ヨコスカ調書」(『The Wrong Goodbye』)を読んだのだ。ダディ・グース画による「長いお別れ」が掲載された号も概ね入手した。古書センターの並びに今もある古書店にはHMMのバックナンバーが1冊200円程度で揃っており,目次と格闘するために数回通うと,矢作俊彦の小説やエッセイ,インタビューが載った号はほぼ買い揃えることができた。

 1か月もすると,私の狭い部屋の片隅にHMMの山ができた。本棚に並べられない本が常時,そこここに山になり,とりあえず,読み終えた本は無理矢理押し込む。いくら本棚を増やしても,前提として収集できない本があるのは常だけれど,でも,一度として片付かないのはどうしたことだろう。

 しばらく後,HMMを一冊ずつ斜め読みした。どんな小説が掲載されていたか,おおよそ記憶に残っていないものの,ドナルド・バーセルミの「マンディブル先生と私」だけはその当時から何度か読み返した。その後,サンリオSF文庫の『罪深き愉しみ』『口に出せない習慣,奇妙な行為』や集英社で出ていた『死父』,白水社の『雪白姫』あたりを買い,読む努力だけはした。(続きます)


04月08日(土) ミステリ 2  Status Weather晴れのち雨

 日活アクション映画アンソロジー「AGAIN」が公開された頃,「スタジオ・ボイス」(1983年4月号)誌上で,矢作俊彦が「醜いトカゲの子」という企画について語っている(スタジオ・ボイスなので,いきおい語りになってしまうのだ)。
 映画を見ないで悪口を言う映画雑誌(タイトルは「スタジオ・ボイス」)の企画という話のなか,それは同映画の助監督だった上山勝の初監督作品で,企画・東郷隆,シナリオ・矢作俊彦,原作・アンデルセンという布陣だ。

 矢作編集長 (前略)醜いトカゲの子がいてな,青トカゲの親や兄弟から“ブス,ブス”って迫害されるの。
 SV 暗いなぁ。
 矢作編集長 だって上山だもん。それにさぁ日本映画だしさ。それでもね,強く生きるんだよ。ホロリとくるだろう。トガケの子がね,アヒルの先例もあるしさ,強く正しく明日を信じてな,いつか白鳥になれるだろうって。
 でもどんどんどんどんでっかくなっちまって,結局ゴジラになってぐれて大阪城壊しに行く。(後略)」

 で,これがバーセルミにどうつながるかというと,バーセルミの小説に,最後,唐突に恐竜が登場するものがあったと記憶しているのだ(と書いていて,それはラファティだったかもしれない,と。まったく記憶は曖昧なものだ)。(続きます)


04月11日(火) ミステリ 3  Status Weather曇りのち雨

 と,いったことを思い出したのは出て間もない「文藝」を読んだからだ。なので,最近の日記です。

 特集は高橋源一郎。内田樹と柴田元幸,それぞれによるインタビューが面白い。

 柴田 とにかく村上(春樹)さんの小説にはいちいばん最初から「僕」がいるんですね。だけれども,高橋(源一郎)さんの中に「私」と出てきても,全然高橋さんじゃない。(中略)いまだに高橋源一郎の文体というのがあるかというと……。
 高橋 ないですね(笑)。
 柴田 高橋源一郎の声がどこにもないということが,高橋源一郎の核心かと。
  同誌,p.57-58

 といいながら一方で,

 高橋 五月七日に新人賞が載る六月号が発売だった。それで忘れもしない七九年,横浜の有隣堂で一ページ目をめくって読んで。たぶん僕はそれを読んで,世界で一番衝撃を受けた人間かもしれない。僕はその前に十年分読んでいて新しい作家なんか誰もいなかったので安心してたんです。それが一ページ目を読んで『……いたよ』って(笑)。
 内田 高橋さんって村上春樹の話をするといつも話題を変えたがるから,あまり好きじゃないのかと思ってた。(笑)。そうか,そういう背景があったのか。
   同誌,p.128-129

 私も,高橋源一郎の文体といわれても,実のところピンとはこなかったのだけれど,この「……いたよ」って件,これこそ,高橋源一郎じゃんか,と。特に初期の小説の語り口は,まさにこんな感じだったと思うのだ。

 柴田元幸は,高橋源一郎とバーセルミ,村上春樹とヴォネガット,デビュー当時,そんな図式を描いていたようだ。(特殊なみかたでもなんでもないけれど)


04月15日(土) 洋泉社  Status Weather晴れ

 洋泉社の新書yシリーズは刊行当時,網野善彦から鈴木淳史まで,書き手・語り手の振幅がとても面白く,ついつい書店で探し,読むのは半年に数冊程度だったものの,しばらくやけに気になった。
 いつの間にかシリーズは150冊を超えたようだ。ラインナップには更に幅が出てきたけれども,少し前に森達也の『こころをさなき世界のために』を読んで,「新書yで出さなくても」と感じたのを覚えている。
 先日,高原基彰の『不安型ナショナリズムの時代』を買って,ペラペラと捲っている。これまでのところでは,「序論が長いな」くらいしか残っていない。


04月17日(月) 4  Status Weather晴れ

 ピーター・ガブリエルの3rdアルバムを買ったのはリリースされてからしばらく後のことだったと思う。喬史に貸したところ,やけに気に入って,しばらくは“テカテカテカ”(“I Don't Remember”)とか「“No Self-Control”って俺のことかよ」と,まあ自らいうことでもないと思うのだが,皆が「確かにそうだ」と頷いたり,そんなやりとりがあったことは記憶している。
 4thは昌己が貸したのだろう。「“Shock The Monkey”のビデオの振り付けって猿之助から伝授されたんだってな」と,どこから仕入れてきたのか判らない話を喬史から聞いた覚えもある。

 3rdと4thは,ひとくくりにされることが多いようだけれど,私は当時から3rdは好きだったのに,4thはどこか今ひとつ魅力に欠けるように思った。3rdの手法を突き詰めたのではなく,プログレの手法を盛り込んでしまったことに一因があるのではないかと感じるのだ。

 平沢進の1stソロアルバム「時空の水」はジャケットからしてガブリエルを踏襲していて,その影響はアレンジにもみられる。“スケルトンコースト公園”という曲があるのだけれど,これなどアレンジはガブリエルの4thの一曲“San Jacinto”とかなり似通っている。
 ソロアルバムをつくるにあたって,平沢は自身がP-MODEL以前に活動していたプログレバンド・マンドレイクの曲をリメイクしながら,曲づくりの刺激にしていたと読んだことがあるので,ガブリエルも聞き直していたのかもしれない。
 「時空の水」には凍結前P-MODELのライブで披露されていた曲がかなり入っていて,それ以外の曲は,実のところ,ほとんどプログレなまりの曲ばかりなのだ。好きな曲もあるのだけれど。

 いまだ,ガブリエルの曲というと“テカテカテカ”を思い出す。


04月19日(水) メモ  Status Weather晴れ

 このところ,古本屋で雑誌「きらら」(小学館)を何冊か手に入れた。一冊105円出して買う私も私だが,これを売った奴がいて,かつ買った古本屋がいることが信じられない。
 で,矢作俊彦の連載「ウリシス911」を途切れ途切れに読むことができた。この小説,古くは1982年書き下ろしの「A DAY IN THE LIFE」から,1990年代に書かれた短編や頓挫した長編の断片をもとに再構成された小説だ。複数の登場人物が現れ,すでに物語は横浜港の花火前夜から,当日の夕方まで辿り着いた。と書くと埴谷雄高の『死霊』みたいだけれど。

 メモ代わりに,登場した短編リストをつくってみた。読んだはずなのに,部屋のどこかに転げた月号には,「インディアン日和」と「皆殺しのベンツ」,「JINGI」が組み込まれていた。
 エピソードの断片に「鉄とガソリン」とか「TOUR, TOURER, TOURING」もみられるので,そのうち登場するかもしれない。
 追記:やはり2冊ばかり転がっていて,その月号を発見したので,修正しました。

第1回 月影のトヨタ
第2回 夏のエンジン
第3回 夏のエンジン
第4回 (未入手)たぶん A DAY IN THE LIFE/悍馬の前脚
第5回 悍馬の前脚 A DAY IN THE LIFE
第6回 (未入手)
第7回 インディアン日和/大きなミニと小さな夜
第8回 A DAY IN THE LIFE/白昼のジャンク
第9回 (未入手)
第10回 (未入手)
第11回 皆殺しのベンツ/JINGI
第12回 オリジナル?
第13回 (未入手?)
第14回 銀幕に敬礼
第15回 不敵に笑う男


04月21日(金) ステージの終わり 1  Status Weather晴れ

 ひとたびステージ上で音を出した途端,それが永劫に鳴り続けることなどあり得ない。音のつながりは何らかの形で終わらなければならないのだ。
 ノイズバンドのライブを見た記憶がないので(唯一,それに近いスタイルだったのは10年以上前に見たジョン・キングのギターライブだけだ),昔から気になっていたのだ。「ノイズバンドのライブは,いったいどうやって終わるのだろうか」と。

 ステージ上から一人去り,二人去り,残った一人が音を出し続けるのに,スピーカーの電源が落とされ客電が灯り,フロアにBGMが流れ出す。ローディーが機材を片付け始めても最後の一人はステージ上で演奏を続ける。スピーカーの音が止んでどれくらい経っただろう。ついに最後の一人は楽器を抱えたままステージの袖に引っ込む。

 描いていたのはそんなイメージだ。

 さて,先週。あぶらだこやルインズに非常階段を交えたライブがあった。非常階段とは,プロ野球カードコレクターとしてのほうが人口に膾炙したJOJO広重を中心とするノイズバンド。ノイズ一筋20年以上。ホワイトハウスもそうだけど,この手のバンドの息の長さには,ただそれだけで脱帽する。まあ,ストレスはほぼ100%感じないのだろう。
 私は昌己にチケットをとってもらい聞きにいくはずだったのだ。目当てはあぶらだこ。ところが,週末に家内が風邪をこじらせてしまったので,家を留守にはできなくなった。


04月22日(土) ステージの終わり 2  Status Weather晴れ

 「あぶらだこ,どうだった? 吉田が叩いたりしなかったのか」
 4,5日前,家の近所のタイ料理屋で,昌己と夕飯を食った。話は,いきおいライブのことになる。

 「“ひかり号”やったけど,あとは最近のだったな」
 「トンネル盤って,キャプテン・ビーフハートみたいな感じに聞こえるんだけどさ」
 「ああ。今のギタリスト,だらだら弾くから,ビーフハートに似てくるんだよな。吉田はルインズだけだったな。今,ルインズって正式なベーシストいないんだ。ハゲデブの外人2人がサポートメンバーで,ひとりなんて,佐藤蛾次郎を外人にしたみたいな,すさまじいルックスなんだ,こ奴が。途中,ハードロックメドレーやったりしてたけど,ドラムはやっぱり良かった。実はさ,ライブハウスの建物のなかに楽器屋があって,下の階が打楽器フロアなんだ。早く着いたんで,打楽器みようと思ったら,いたよ」
 「吉田か」
 「そう。シンバル物色していたみたい。サインしてもらおうと思ったんだけど,書いてもらうものなんて持ってないし」
 「シンバル買って,そこにサインしてもらえばよかったのに」
 「そうもいくかよ。でさ。非常階段のライブは熱かったな」


04月23日(日) ステージの終わり 3  Status Weather曇りのち雨

 「何たって,客の1/3が外人でさ,よくも,こうルックスの悪い外人ばかり集まったってくらいむさ苦しい奴ばかり。東京中のデブとハゲの外人が一堂に会したんじゃないかと思ったよ。で,非常階段だってJOJO広重はじめ見た目は普通の40過ぎのオヤジだろう。今のノイズシーンを支えているのが40過ぎだってころは自明の理だけど,あれだけ,まざまざと見せつけられると,ちょっとな」

 で,ノイズバンドのライブの終わりかたについて尋ねてみると「おれも不思議に思ってたんだ,実は」。実際はこんな感じだったのだそうだ。

 「サンプラー担当のおやじがトランス状態になって,もうノリノリでさ。30分一曲の世界だから,無茶苦茶音数の多いドラマーなんて途中,ハイハットをゆっくり叩き始めて疲れを癒したりしてたんで,そろそろ終わるのかなと思ってはいたんだ。そうしたら,サンプラーのおやじが突然,フロアに飛び込んで,客の間を突き抜けて,そのまま外へ出て行っちゃって,それで終わり」
 「ロンドンでやってるプレスリーのそっくりさんのステージみたいだな」
 「そんな感じだよ,たぶん」


04月24日(月) 笑えない  Status Weather晴れのち雨

 「それ,笑うところでしょ」
 と,家内がいう。事の始まりは,先のタイ料理屋でのこと。

 「潰瘍って,どうして瘢痕になってから発見されるんだろうな」 
 何も昌己に限ったことではない。私も20代の頃,検診で潰瘍瘢痕がみつかった。
 「今度,おれも検診なんだ」
 「結果送られてきたんだけど,再検や特記事項が4行くらいあってさ。あまりズラズラ並んでるんで,透けちゃって,会社の奴から怪訝がられたよ」
 「恐ろしいな」
 「最近,年2キロくらいずつ体重が増えてるし」
 で,私はこう答えたのだ。
 「それはあたりまえだろう。おれも増え続けてるわ。生まれてこのかた,最も重い体重を更新続けてる。学生時代は,よもやこんなことになるとは思いもしなかった」


04月27日(木) 二度三度  Status Weather雨のち曇り

 「――いまは家庭にヴィデオデッキが普及したので,ひとつの映画を十回も二十回も見る若い連中がいるんだね。しかし,ある映画をヴィデオで,それも個室で繰り返し見ることは,作品の受容としてまともなものだろうか? きみの分野でいえば,本には図書館もあるけれど,一般には個人が書棚にテキストを備えている。それでいて,ある作家,ある作品に強い関心を持つとしても,短期間にそれほど繰り返して読むことはないだろう? ある時を置いては,特定の本に帰る,ということはある。それでも『魔の山』を生涯で五,六回読む,という程度じゃないか?(後略)」
   大江健三郎『取り替え子(チェンジリング)』p.205-206,講談社文庫,2004.

 以前,高橋源一郎が綿谷りさの文庫本に書いた文章をあげて,“読んだ回数をあげて何か語ろうとすると,質を量ではかるようでどこか後ろめたい。ただ,「3回か」というのが正直なところ”と書いた。
 ベンヤミンよろしく“出会いの聖なる一回性”を唱えたとして,でも小説や映画は“複製技術時代の芸術ではないか”と首を傾げてしまう。

 大江健三郎の小説をたまに読み進めては途中でページを閉じてしまうようになったのは,いつの頃からだろう。刊行から遅れて読んだ『「雨の木」を聴く女たち』以来,久しぶりに読み終えられそうな感じで終章の一つ手前まできた。
 この小説はとても面白い。


04月29日(土) 再生  Status Weather晴れ

 この前まで工場や店舗が建っていた土地に,当然のようにマンションが建設される様を目にするようになって久しい。そうした土地の前を自転車で通り過ぎると思い出すのは次のような趣旨の発言だ。

 一度,分譲マンションが建ってしまうと,その土地はよほどのことがない限り,半永久的にマンション以外の用途に用いることができなくなる。

 こう語っていたのは,ところで誰だっただろう。



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