2006年6月

06月03日(土) 夢  Status Weather曇り

 「わたし,生まれてから一回しか,寝てるときに夢を見たことないもの」
 娘がそう言ったとき,私と家内は思わず顔を見合わせた。数多の夜中,突然に怒鳴ること8割,笑うこと2割の寝言は,夢と繋がっていないというのだろうか。


06月06日(火) 想像力 2  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 神戸まで出張した。子どもの頃の高校野球観戦,阪神パークでのトランポリンの記憶を除くと,神戸に関する私の記憶のほとんどは震災以降のものだ。

 新開地を歩きまわる気力はこれっぽっちも持ち合わせていなかったけれど,それでも7,8年振りに元町から南京町をうろついた。結局,夕飯をとったのは三宮駅から東南に数ブロック入ったビジネスホテルの裏手にある中華料理店だった。
 「異人館もある。金筋のヤーさんもいる。原宿ばりの百姓が跳梁跋扈するには手頃な通りもある。よく見える目には宝塚歌劇のカキワリにしか見えないが,風呂の中でもレイバンをかけているような品性にはハイカラに見える店もある」(複雑な彼女と単純な場所)
 ガード下を除いて,なんだか,どこもかしこも書き割りのように見えたのは気のせいだろうか。

 星野博美の『のりたまと煙突』(文藝春秋)を買い求め,帰りの新幹線のなかで読み進めた。妥当かどうかはさておき,想像力を武器に日常を切り取っていく様は,この写真家にとってあたりまえのスタンスなのだろう。ただ,時に過剰となる想像力には,読んでいるこちらの皮膚がヒリヒリとしてくる。


06月07日(水) ダブルバインドではなく  Status Weather晴れ

 通勤電車のなかで,『のりたまと煙突』を読みつづける。星野博美の想像力は,どこかで辺見庸いうところの「自分自身への審問」に通じてしまうような気がする。それが二重拘束から逃れているのは,「なぜ」という問いについて,とりあえず時系列を行きつ戻りつしながら――つまりは記憶を手がかりに――掘り起こす分だけ地に足が着いているからなのかもしれない。


06月10日(土) CD  Status Weather晴れ

 先日の話です。

 急遽,ブンブンサテライツのライブに誘われて,会社帰りに渋谷のライブハウスに行った。
 フロアに入るやいなや,アルコールを飲みもせずロッカールームに荷物を預け,さらにTシャツ姿に着替える者の多さがやけに新鮮に映る。スタートから30分を越えると,なんだか身体が楽になってきて,そこから先,あっという間にライブは終わった。
 押されることしばしばだったけれど,そうなると冷静に他の客との距離をとってしまう。もっと狭いフロアで押し合いへし合いした経験は数え切れないのに,そういえば前後左右の客との距離を量るなんてことを一度もしなかったものだと,妙なことを思い出す。そんなことに気を遣う余裕なんてまったくなかったのだ。

 ライブに感化されて,COLA-Lの音源をまとめCD-Rをつくった。当初予定していた“自主制作CD-RW”は予算の関係で今回は止めに。タイトルは“NOT FOR PROMOTION”。さすがに“ONLY SALE”とは付けることはできなかった。

 (データ調整中)
 音質はまったく向上しておらず,というよりもコーディング時にノイズが追加されてしまったかなりの代物。先日の話です。


06月13日(火) 編集者  Status Weather晴れ

 「治田明彦氏へ――
  彼がいなかったら,一九七六年のこの日,記念すべきラテン・アメリカ第十回目のクーデターは起こらなかったろう。」
   矢作俊彦『コルテスの収穫(上)』光文社文庫,1987

 「最初にこれのメモを書いたのは一九八八年,そのころ『すばる』の編集長だった治田明彦さんが,こういう話を知っているかと教えてくれた」
   矢作俊彦・高橋源一郎「対談 喪失の先にあるもの」文學界,2006年3月号

 矢作俊彦が開局当時のFM横浜でもっていた番組「アゲイン」に,当時,「すばる」の編集長だった治田氏がゲストにきた回がある。(たぶん,あちこちひっくりかえせばカセットテープが出てくるはず)このころ,後に『複雑な彼女と単純な場所』に収載された宍戸錠のインタビューや「東京カウボーイ」の数編が同誌に掲載された。
 光文社と切れる(?)前後から,この小説家の文章を読むことができる媒体は「NAVI」以外では,かなり少なくなっていたため,「すばる」はほんの一瞬とはいえ,貴重な雑誌だった。

 『コルテスの収穫(上)』のあとがきには,「この物語は,一九七九年の暮れに筆をとり,八〇年の二月までに九〇〇枚を書きあげた。」とある。直接の接点は少ないものの,(中)刊行以来,未完のままの長編の落とし前を『悲劇週間』でつけようとしたのではとみるのは穿ちすぎだろうか。(さらにまったく推測だけれど,小学館で頓挫した『ウォーキングボーイ』の一部が使われているのではないだろうか)
 刊行まで26年,「すばる」の頃から数えても17年が経過したことになる。いやはや。


06月14日(水) フエンテス  Status Weather晴れ

 と,いったようなことを書いた後,本棚から取り出した『永遠の書架にたちて』(辻邦生,新潮社)のページを捲っていると,こんなエッセイが載っている。

 「こんど翻訳されたフエンテスの代表作『アルテミオ・クルスの死』(木村榮一訳,一九八五年,新潮社刊)も,そういう意味では,典型的なラテン・アメリカ文学的リアリズムということができる。(後略)」
  同書,p.41

 この頃,辻邦生は実に奇妙な小説『もうひとつの夜へ』を刊行している。それまでの彼の小説を読み親しんできた身には,あえて不快感を煽るかのような作品に驚いた。それは,テレビで観たクジラの出産場面と相まって,とても居心地の悪い記憶だった。

 ところで。「悲劇週間」が完結した際の「新潮」には主要参考文献が掲載されているのにもかかわらず,単行本化の際には割愛されたのはどうしたことだろう。


06月20日(火) 対価  Status Weather晴れ

 無料で置いてあるものを,お金を払って買い求めていたことに,ようやく最近,気づいた。
 というのも,小学館から刊行されている雑誌「きらら」は,本来,そうした意図から創刊されたのか定かではないものの,いつの頃からか書店の店頭に,版元のPR誌と同じ扱いで置かれている。だから,私はこのところ矢作俊彦の「ウリシス911」を毎月,対価なしに(発売日後,会社帰りに途中下車し,エスカレータを行き来することが対価と呼ばれることはあるまい)読み進めることができる。
 今月号(7月号)も,「東京カウボーイ」が取り込まれていた。

 と,こんなふうに入手可能になったのは,ここ半年くらいのことだ。だから,それ以前の「きらら」を手に入れたのは古本屋の百円棚。見つけたときは,やったとばかりにすぐさま小脇に抱え,レジまで駆け込んだものの,よくよく考えると,この雑誌,かなりの部数は無料で流通しているのだ。それに値段をつける古本屋も古本屋なら,嬉々として買う方もなんだか妙な具合だ。


06月22日(木) アクセス  Status Weather雨のち曇り

 TOPに貼ってあるカウンターは見るものの,個々のページのアクセス状況を眺めたことなど,ほとんどなかった。気が向いたときにしか,HPの告知をしていないし。
 この前,娘がかぜをひいたので,休みをとって家内の代わりに家にいたときのこと。娘の熱は下がり,本を読んだり,ワークブックを進めたりしているので,私がすることは食事の用意くらいだった。あまりに暇なので,パソコンのデータを整理しながら,ブラウザを立ち上げると,ところで,このHPのアクセス状況はいったいどうなっているのだろうかと間抜けにも思った。
 アクセス状況が把握できるページの記録を辿っていくと,ひとつだけ(私のページとしては)とんでもないアクセス数をあげているページがあった。といっても,1か月に90件あまりだから,常識的には大した件数ではないのだろうけれど。

 で,そのページはというと自作音楽のページで,曲はこれ(調整中)。酔いにまかせてつくった曲だし,適当にフェイドアウトさせてしまっているし,なんでアクセス数が“そんな”にあるのか見当がつかない。怪しげなページのBGMに直接リンクでもされているのだろうか(にしては件数は少ないな)。


06月24日(土) プロ  Status Weather晴れ

 「我々をなめてもらっちゃこまる。我々はプロだ。」

 その後には,こう続く。

 「君は戦場へ行かされた。我々は自分から出かけて行った。君はそこで人生を失いかけ,我々はそこで人生を拾ったんだ。――もちろん決していばれることじゃない」
   『ブロードウエイの戦車 II 』p.117,角川文庫

 「好きなことして給料貰うって,君たちはいったいどういう料簡しているんだろう」,昨年末亡くなられた社長はときどき,思いついたように一人ごちた。好きなこと“だけ”して給料を得ていたと聞こえてはくるものの,はたしてそれは罵られているのか,羨ましがられているのかさえ判らないまま,30代まるまる10年が過ぎた。
 自動車教習所の教官が車を操る技術をプロの技と呼ぶ世界があるならば,ただ仕事に長く携わっているだけであってもプロなのかもしれない。もちろん,それは刺激と反射を過度に評価するような,まったく殺伐とした世の中でのことだ。

 あの10年がはじまったとき,まったく別の世界が目の前に現れていたとしたら。
 終電間近,酔いをさましがてら2駅の距離を歩いていると,そんなどうでもいい問いが,たちの悪いフラッシュパックよろしく脳裏を横切る。そして,10年を秤にかけて心底,ほっとしてしまった。20代が終わったとき,好き好んで入り込んだ世界で,何がしかの人生を拾いはしたのだ,と。


06月25日(日) Spaceball Richochet  Status Weather曇り

 Jekyll & Hyde Clubを出ると,途端,街灯の間をくぐり抜けてきた生暖かい風がまとわりつく。まだまだ名残惜しげな連れが,その店の分厚な扉を抉じ開け出てくるまでの時間,私は地下鉄構内の人いきれをがまんするか,ここでバスを待つべきか考えていた。
 マーク・ボランの声が漏れてきたのは,だからその店のBGMであるはずはなく,しかし他には通りの向かいに小体な車が根を生やしたかのような暗さで停められてあるだけだったのだ。あたりにモニタを探しても,見当たるはずはない。T Rexの曲が季節外れの風邪よろしく,またCMに使われたためでないことは判った。曲は“Spaceball Richoche”だった。
 
 「T Rexのアルバム持っていないか」
 場所は階段教室だ。私は徹と喬司とともに,出席をとり終わったら,頃合いを見て退け出せるようにと,通路近くの後方に座っていた。ところが,でかい教室を小学校のそれと勘違いしているかのように巡回しながら講義をしはじめた教師のせいで,私たちは抜け出すタイミングを逸してしまった。
 私たちの後ろには数列しかない。そこに昌己と伸浩,裕一の姿があった。授業中にもかかわらず昌己に尋ねたところ,返事はこんな調子だった。
 「T Rexなんて聴くのかよ」

 そのとき,昌己にそういわれたことは覚えている。けれども,どう返事をしたのか思い出せなかったのだ。
 セントラルパークの真下,上野公園に例えると精養軒あたりの位置にいるというのに,マーク・ボランの声を聞いた途端,そんな記憶が甦ってきたのはなぜだろう。


06月27日(火) Spaceball Richochet 2  Status Weather晴れ

 ブライアント・パークを過ぎたあたりで雨が落ちてきた。明るい大通りを下っていくのだからと,結局,そこまで歩いてきたのだ。

 「バウハウスのカバーのほうがよかったけどな」
 講義中だというのに,続けて昌己は小さいとはいいがたい声でそう返した。何年か前,“テレグラム・サム”のPVをテレビでみたと私がいうと,横で喬司が「渡辺“POP”みのるの番組だろう」。
 いくら教師が通路を行きつ戻りつしながら講義をしようが知ったことではなかった。その一言を合図に,形だけ屈みながら,私たちは席を立った。ドアの向こうに辿り着くや,ふだんは猫背気味なのに,まるで存在を誇示するかのように背伸びしたので,廊下側のガラス窓から私たちの行動は丸見えだった。

 ひとたびファッションショーのシーズンを迎えると,夜遅くまで関係者が絶え間なく行き交うホテルのファザードで,ホテルマンと隣のチーズショップの主人が,今日は路肩に置いた看板の位置がいつもと違った,いや同じだと言い争っている。ロビーを横目にしたレストランの入り口で,ヘッドマイクを着けた女性が,時期外れの観光客を抱え込もうと,愛想をふりまいていた。私は待ち合わせと偽って店内に潜り込み,地下のトイレで用を済ませてしまった。
 
 眼鏡を胸ポケットに押し込むと,私たちはメイシーズの先をめざしひたすら歩き続けた。
 それは,コリアンタウンの入り口あたりでのことだ。中古のテレコを抱えた黒人が数名,音楽をでかい音で鳴らしていた。かかっていたのは“Ballroom of Mars”。どこまでいってもT Rexだ。と,ディスクジョッキーの声が続く。“昨年公開されたSchool of Rockのサントラからもう一曲”。ラジオを鳴らしていたのだ。
 「モノクロームセットだ」
 「どうしたの」

 「モノクロームセットも聴くよ」
 昌己に言われて,私はそう答えたのだ。チャイナ・クライシスの“Black Man Ray” ,ブラマンジェの“Day Before You Came”。固有名詞が飛び交った。いや,授業中だというのに。


06月28日(水) 保証書  Status Weather晴れ

 数年前,このiMacが,保証期間をギリギリすぎたところでダウンし,ハードディスクを取り替えざるを得なくなった。こうしたタイミングで起こる出来事は私にとって,あまりに日常的にやってくるので,怒ったり悔しがることもなく,淡々と手続きをすすめることにだって慣れてしまった。

 数週間前から,Windowsのノートパソコンを立ち上げるたびに,カリカリと,つまりは至るところで目にする“パソコンが壊れる前兆の音”,まさにそのものがする。パールホワイトだからという理由だけで手に入れたPrius Air Noteだ。
 さて,日立のサイトで,ハードディスクを取り替えると,どれくらいかかるのかを調べるため,取説をひっくりかえしていると,これを手に入れた量販店のレシート一式が袋に入って残っていた。
 と,調べてみたところ,なんとまだ長期保証期限が残っている!

 自分の金で手に入れるときは決して入ることはない,保証期間の延長サービスだけれど,このパソコンは家内の父親に援助していただき購入したものなので,そのサービスにも入っていたのだ。
 とはいうものの,保証期間は残り半年。ギリギリまで修理の依頼に動かないということだけは避けなければ。



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