2006年9月

09月02日(土) そっくり Status Weather晴れ

 最近の日記です。

 娘と家内が,義理の妹と姪と待ち合わせて映画を観に行ったときのこと。朝一番の回しか上映していないというので,休日の9時過ぎに出て行くと,入れ違いに義理の妹から電話が入った。
 「もう出ました?」
 「さっき,慌てて行ったんで,あと10分くらいしたら着きますよ」
 「今,映画館の前にいるんですけど,R指定で子どもは入れないんです」
 「はあ」
 予定していたのは“ローズ・イン・タイランド”。テリー・ギリアム作だから,即物的なシーンがあることは想像できるものの,よもやR指定がかかっていたとは。前売り券に“小人”がなかったわけだ。急遽,“パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト”に変更して夕方4人で戻ってきた。

 姪は娘より1年早く生まれた。娘に比べると大人しく,手がかからない印象が強かった。しばらく会っていないと,やけに印象が変わっていた。妙に腰が低く,愛想がよくなっていたのだ。
 その彼女が映画のパンフレットを見ながら,こんなことを言う。
 「私のクラスにオーランド・ブルームそっくりな子がいるの」
 「そっくりって,日本人だろ?」
 「うん。一年生のときから,とても似ててね」
 と,娘に向かって,ひそひそと話を始めた。

 オーランド・ブルーム似の小学一年生(日本人)って,一度,見てみたい。


09月04日(月) 目薬 Status Weather晴れ

 娘に目薬を注そうと,膝に頭を乗せると,何を思ったのか本を取ろうとする。百歩譲っても,目薬を注しながら読むことはできないと思う。


09月05日(火) 記憶 Status Weather晴れ

 1986年9月28日,新宿ロフト。P-MODELのライブがあった日だ。後に“踊れのロフト”をいわれたこの日のライブは,初手から客がステージに押し寄せ,最前列からステージに担ぎ上げられ,そのまま楽屋に運び込まれる者が一人,二人ではすまない状況だった。
 確かに,私はこの日のライブに参加したはずなのだ。

 ところが,今頃,当時の日記を捲っていると,その日のその時間,私は準夜勤のバイトに行ったことになっている。

 そんなはずはないのだ。昨年,ネット上でイリーガルにアップされていたその日のライブ音源を聞いて,確かにこのライブを見た記憶が甦ってきた。この日,私ははじめて新宿ロフトに足を踏み入れたはずだから。
 わけがわからない。


09月06日(水) カポーティ Status Weather晴れのち雨

 最近の日記です。

 文庫版になった『カポーティ』(新潮文庫,上下2冊)を読み進めている。一時,ヴォネガットの家の近くに住んでいたことは知らなかった。
 この本は,さまざまな人がカポーティについて語った言葉を編年体に構成しなおしたものだけれど,それぞれがいつ語られたのか,そのデータがない点は,せっかくこれほどの労力をかけたのに一体,どうしたものだろう。


09月08日(金) 記憶 Status Weather曇り

 人の顔を覚えられないのは今にはじまったことではないが,軒並み名前が出てこなくなったのは,ここ数年のことだ。
 ところが,場所の記憶は,こんなことまで覚えているものだろうか,と自分でも不思議なくらい甦る。もちろん,匂いと比べるまでもない。


09月09日(土) 日記 Status Weather曇り

 娘の夏休みの宿題は,工作と植物の観察記録,そして日記だ。一瞬,私が小学生の頃と同じようなものだと思ったものの,日記はたった2枚(2日分)描けばよいと聞いたものだから,「そんなのありかよ」と叫びそうになった。1か月以上の休みの間,日記をつけさせるというのに2日分とは,どういう考えなのだろう。それならば,日記などと称さずに“夏休みの想い出”として水彩画を描かせたほうがよほど気が利いている。そういえば,私は日記とともに,そんなタイトルの絵を描いた記憶がある。

 「幼少時代から夏休みが好きだった。何が好きだといって宿題が沢山出るのが楽しみで仕方なかった。ことに絵日記を書くのは至福の時だった。最初の一日目に全頁を埋め尽くし,そのとおり生きようとひたむきな努力を繰り返したものだ」と,これは矢作俊彦がいうことだからどこまで真実か判らない。
 平成に入ってからしばらく後,雑誌「NAVI」に掲載された彼の小説家の絵日記がある。(データ調整中)
 確かに,こんな絵日記が描けるなら,そりゃ楽しいだろう。


09月12日(火) ドライヤー Status Weather晴れのち雨

 数年前まで,娘を眠りにつかせる前にしていた短い話。このところ再び,話をしないことには眠らなくなった。読みきかせていた絵本に似た話であっても納得して眠りについていたころに比べ,最近は読み聞かせなどしていないし,娘が読んでいるのはジュニア文庫だ。
 忘れているだろうと思い,内田百間の「?痒記」をアレンジして話したところ案の定,すっかり忘れていて面白がる。他の話を考えるのは面倒なので,何回か引っぱっていると,ついには孫(オリジナルキャラクター)まで頭が痒くなってきて,ドライヤーで風を送って緩和するなんてことになってきた。

 で,はて,百間の話にドライヤーは出てこなかった筈と記憶をたどっていると,いったいドライヤーなんてもの,いつから使われはじめたのかが気になる。ネットで検索してみてもどうにも埒があかない。
 少なくとも,ここ40年は,あたりまえに存在していたように思うのだが,キャトルミュートレーションによるすり替えられた記憶かもしれない。


09月13日(水) 工事中 Status Weather

 一部のページのデザインを変更中です。
 かなり見づらいページがありますが,しばらくの間,ご了承ください。いつかは完了する予定です。


09月15日(金) 町蔵 Status Weather曇り

 大槻ケンジは,そのボーカルスタイルをつくるにあたって,2人から影響を受けたと,どこかで記している。ひとりは長谷川裕倫(あぶらだこ),もうひとりは町田町蔵だ。
 裕倫はともかく,町蔵のボーカルスタイルから大槻のそれがどれほど影響を受けたかは,曲を聴くかぎり,あまり伝わってこない。

 町蔵のボーカルの入り方は,一時期の高橋幸宏と同じ,つまりCの伴奏にFで入る癖がある。ただ,はじまった後は町蔵と幸宏ではまったく異なるのだが。
 で,町蔵のボーカルスタイルは比類ないものと思っていたのだけど,あるとき,デヴィッド・ボウイのボーカルをつくづく聞いて,なんだか両者のスタイルが共通するように感じた。およそ,歌が成立しないはずのところでボーカルが鳴っているのが特に。


09月18日(月) 船 Status Weather雨のち曇り

 船は水の上を進むのに,船底に当たる振動が客室まで伝わってくるようすは,どうしてこうもゴツゴツしているのだろう。その年,そんなふうに感じたことを記憶している。ところが,次に同じ航路に乗ったときには,これこそ海の上を走っていると感じたのもつかのま,あっという間に胃がひっくり返りそうになってきた。
 昭和40年代を折り返した頃,数年に一度,乗った高速船が辿り着くのは水俣だった。私は,そこでどのようなことが起きていたのかを知りもしなかった。なぜか煤けた街並の印象だけはあるのだけれど。しばらく後,親とともにゴジラ映画を観に行って,はじめて「公害」なる言葉を知った。

 鶴見和子氏が亡くなられたことが片隅にあったのかわからない。このところ,十数年ぶりに『苦海浄土』(石牟礼道子,講談社文庫)を読んでいた。

 医師が二人で企画した講演会が都内で開かれたのは10年前のこと。ゲストとして原田正純氏と石牟礼道子氏が登壇された。先に読んでいた吉田司の『下下戦記』『夜の食国』が強烈で,その少し前に手に入れた『苦海浄土』は初手から批判的に読み進めたというのが正直なところだった。その日も,仕事を兼ねて参加したので,二人の話に対してそれほど期待はしていなかった。
 
 今回,この本を読み返して,吉田司のスタンスとの違いよりも,印象的だったのは,実のところ文章の旨さだ。リズムの取り方が


09月21日(木) サンダーソニア Status Weather晴れ

 文楽の演者として全国を回っているお客さんがいらっしゃるんです。東京に戻ってこられたときに寄ってくださる。前の店から越してきて,7月でまる1年たったときに,旅先から届いたんです。話した記憶さえないのに,その方は覚えてらしたんですね。
 はじめて花屋で見たときは,いくらしたかしら。蘭と同じくらい高かったと思いますよ。


09月23日(土) OKINAWAN Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 矢作俊彦が「小説現代」に沖縄異界紀行「桜坂ムーンドライヴ」という文章を寄せている。写真は横木安良夫。
 沖縄の飲み屋街,フィニアス・ニューボーンとアルバムを吹き込んだジャズシンガーを探すアメリカ人と,石垣島から台湾へとフェリーで出て行こうとする男の交錯を描いたもの。
 2006年に,こんな文体の矢作俊彦の短編を読めるとは想像をしていなかった。

 ここ数年,「小説現代」に発表された短編が何本かあるのだけれど,正直,本屋の店先で眺めただけで,買い求めようとは思わなかった。

 ハワイ,ベトナム,香港,キューバ。ここ20年以上,矢作俊彦がこんな文体で描いた街は結局,どこにもなかったと思う。


09月24日(日) DGM Status Weather晴れ

 DGMは,EGレコードからキング・クリムゾンの版権を奪還したロバート・フリップが立ち上げた会社だ。
 Podcastの配信を始めたのはいつ頃からなのか知らないが,私は今年に入ってからチェックしている。この間,主にライブ音源をコンスタントに配信し続けてきた。
 ところが,9月23日,突然に“Ladies of the Road”のスタジオバージョンが配信された。

 この曲が収録されたキング・クリムゾンの“Islands”(1971年)を私は,当時このバンドがすでにリリースしていた7枚のオリジナルアルバムのうち,“Starless and Bible Black”に続き手に入れた。オーラスのタイトルトラックをNHK-FMで聞いてからしばらく後のことだ。
 くるりのボーカリストが,雑誌でロバート・フリップと対談した記事に,このアルバムが一番好きだと告げたのだけれど,「そんな僕はだめなやつでしょうか」と足してしまい,フリップが失笑した場面がある。私は思わず頷いてしまった。とてもいいアルバムなのだけれど,くるりのボーカリストのように,そう断言すると,どこかに含羞がついてまわる。

 当時,ボーカルとベースを担当していたのはオーディションを受け,加入することになったボズ。ベースを弾いた経験はまったくなかったのに,数週間でクリムゾンのレパートリー(の一部)を,とりあえずライブで弾ける程度にはなった。って,いろいろな本,雑誌に確かにそう書かれているのだけれど,いったいどんな練習をすれば,2週間で弾けるようになるだろう。
 このアルバムの後,バンドは“Earthbound”という無茶苦茶な録音の,音の塊といか形容しようのないライブアルバムをこっそりリリースし,ロバート・フリップ以外のメンバーを一新。2回目の黄金期を迎える。

 そのボズ,後にバッド・カンパニーに加入したボズ・バレルが,最近亡くなったのだそうだ。
 Podcastの配信は,哀悼の意を込めてのものなのだろう。と,想像した途端,この能天気で美しいコーラスをもった曲が胸に沁みた。マニュフェストも何もないけれど,その日,配信された曲で,何がしかのメッセージが伝わるものなのだ。
 もちろん,今回のようなタイミングでの配信は,あまり続いてほしくないが。


09月26日(火) 借入 Status Weather晴れ

 「今度ばかりはダメかと思ったな」
 喬史が裕一に向かっていう。まだ,マルチ騒動が収まらず,とはいえ一時の悪夢にうなされたかのような熱気は冷め,こ奴らは半ば冗談で(まあ,シャレにはならないのだが),気にいらない奴を引きずり込んじゃおうかと,できもしない算段をあれこれ練っていた。
 「ホームが崩れちゃいそうで,ほんとありゃマズイわ」

 2人が大きな地震に遭遇した私鉄のターミナル駅で,そのしばらく後,私は偶然,泰司と会った。彼は高校時代,美術部の同学年だった。絵の趣味よりも何も,ケイト・ブッシュとチューリップのファンという,どうにも食い合せの悪い音楽の趣味は忘れようにも忘れられない。数年会わなくとも,まあ見た目はそれほど変わらず,お互い「なんでこんなところにいるんだ」と,そのままやってきた電車に乗り込んだ。
 彼は卒業後,鍼灸の専門学校に進んだのだという。「道具もっているから打ってやるよ」,結局,そのまま私の住んでいたアパートまでやってきた。部屋に着いたのは,駅で出会ってから1時間も経っていなかったように思う。

 私は靴下を脱ぎ,踝を出した。
 「こんな固い節,はじめてだ。お前,いったい,どんな生活送ってるんだよ」
 「普通の学生さ。バイトで精神科に出入りしているけどな」
 「知らず知らずにストレス溜まっているんじゃないか」
 「どうかな」
 ようやく鍼が刺さり,それを踝にぷらんぷらんさせながら,結局,あれこれと話しはじめたのは泰司のほうだった。
 「この前,アメリカに行ってきたよ」
 「へえ。知り合いでもいるのか」
 「お前は知らなかったっけ。高校の頃から仲がよかった女がさ,留学しちゃってさ」
 「追いかけていったのか?」
 「たまたまさ。安いチケットが手に入ったんだ」
 バブルは始まったばかり。安いとはいえアメリカ往復のチケットだ。“安い”と容易にいえるような生活をお互い,間違っても送ってはいなかったことくらいは想像できた。
 「っていっても頭金以外は,ローンだけどね」
 「だと思った」
 「まあ,後味の悪い観光旅行だった」(つづく)


09月28日(木) 借入 2 Status Weather晴れ

 ロサンゼルスからラスベガス,そしてグランドキャニオンへと,泰司によると,それはまさに,コンダクターのいない観光旅行そのものだったようだ。
 「泊まりがアナハイムのホテルだったんだけど,チャイナタウンから乗ったバスが恐ろしいんだ。窓ガラスが透明じゃなくて,これが」
 「タクシーで帰りゃいいじゃないか」
 「金はすべて俺持ちだったから,少しでも安くあげようと思ってさ」

 帰国前日,UCLAからサンタモニカへと向かったとき,車を出してくれたのは彼女の女友だちだった。もちろん日本語は理解できない。
 「3人で,太平洋に沈む夕日を見ながら,彼女が言うんだ。“こっちじゃ,デートって決まった人とするんじゃないのよね” 謎掛けみたいだろう」
 「わからないな」
 「それから,こうだ。“相手が決まったら,他の人とデートしないの”」
 「俺にいわれても,答えようがない類いの話しだよ,それ」
 「返事もせずに,持っていたビール飲み干して,飯食って翌日帰ってきたんだ」
 「何も尋ねずに,か」
 「当然だよ」

 その旅行のため当時,泰司の手元には幾許かの借入があった。返し終えるには10か月以上かかる計算だった。
 「とりあえず,毎月,あのときにかかった金の一部が俺の口座から引き落とされると,幸いなことに,記憶は消えないんだ」

 私には,それが幸いなことかどうか,よく理解できなかった。



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