2006年10月

10月01日(日) ガイド  Status Weather曇りのち雨

 倉多江美の漫画の背景に描かれた本棚には,妙な文筆家の名前が頻出した。辻潤,武林無想庵,長谷川如是閑,アルフォンス・アレー,まだまだたくさんの固有名詞が登場したけれど,私はまだ10代だったので,古本屋で探し,手に入れたのはそのあたりまでだった。
 同じ頃,角川文庫版・夢野久作の『骸骨の黒穂』の解説を誰が書いていたのか記憶にないが,そこで“サンカ”という言葉を知り,まず読んだのは五木寛之の『戒厳令の夜』『風の王国』。たぶん,倉多江美の“本棚”にも,八切止夫の名前はあったと思うのだが,この作家の本を古本屋の店頭で見かけたのは昭和60年代のはじまりの頃のこと。主に,みずから立ち上げ,自作を刊行していた日本シェル出版の本だった。さらにしばらく後,雑誌「マージナル」で,三角寛のことを知った。

 20代になってからこちら,読書ガイドや評論を通して,新しい書き手に出会うことはほとんどない。書店の店先で多くは立ち読みし,時に買い求めるそうした本は,ただ,すでに読んできた作家,作品をいかに評してあるかを確かめるために,結局のところ読んでいるように思う。

 ○○という評論家が,こう評していた,という理由で,その本を手にとるような読書体験が,どうも馴染まないのだ。



10月04日(水) 小栗虫太郎  Status Weather曇り

 最近の日記です。

 オリジナルの曲にボーカルを被せてもらうにあたり,まずは歌詞をつくらなければならない。メロディはまあ,この際,どうでもかまわない。

 「でもヨーロッパは,いまだに夕日を映している。」

 これは,『カメラの前のモノローグ』(マリオ・A,集英社新書,p.208)に,武満徹の言葉として登場する一節。なんだかブライアン・フェリーっぽいけれど,結局のところ,読んだ本からの引用でかまいはしないと思った。

 「かれ夢見ぬ(イーム・トラウテェル),されど,そを云ふ能はざりき(コンテス・ニヒト・ザーゲン)。ああ,君知るや(アー・エルケンネン・ズィー・デン),オリエンタル・カレー(オリエンタリシェン・カリー)。」
 『あ・じゃ・ぱん』(矢作俊彦,角川書店,p.42)

 これもいいなと思い,あれこれ出典を探していると(『あ・じゃ・ぱん』だからしかたない),これ,元は小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』の一節だったのだ。
 手元には講談社文庫版しか持ち合わせていないので当たると,同書上巻p.186に,こうある。

 「たしか,グスタフ・ファルケの『樺の森』(ダス・ビルケンヴェルドヘン)では」
 法水は満足そうに頷き,矢鱈に煙の輪を吐いていたが,そのうち,妙に意地悪気な片笑が泛び上がって来た。
 「そうです。まさに『樺の森』(ダス・ビルケンヴェルドヘン)です。昨夜この室の前の廊下で,確かに犯人は,その樺の森を見た筈です。然し,かれ夢見ぬ(イーム・トラウテェル),されど,そを云ふ能わざりき(コンテス・ニヒト・ザーゲン)――なんですよ」

 って,引用元のほうが,まったく理解できないのだが。 



10月06日(金) 船 2  Status Weather

 「引き綱をながくのばして,つながれている舟という舟の舳先は,じっさい,だらりとのびているようにみえ,舟板は割れたように乾ぞり返り,満足な姿の舟はただの一艘もなかった。なかには船全体が,ある夜,ばらりと解けほどけたかとみえるほどに,風化解体の凄まじい進行をみせている新造船もあったのである」
   石牟礼道子『苦海浄土』(講談社文庫,p.70)

 すっかり「つづく」とした記憶が失せていた。

 書かれた内容以前に,私はこういうリズムの文体に弱い。



10月07日(土) 科學の子  Status Weather晴れ

 彼はいまのところ,私の一番年上の友だちで,説明するにはエピソードの2つ,3つ並べれば事足りてしまうのだけれど,友だちとしか呼びようのない相手だった。

 「そちらは,もう読んだんでしょう? 良かったな。実は,もう彼,小説書かないんじゃないかと思ってたんだ」
 新宿駅からほど近く,渋谷区にあるデパートの上階で待ち合わせたのは,もしかすると最後に会ってから数年経っていたかもしれない。
 “おたく”に倣うなら,彼は“そちら”,“学生運動そちら”だ。一年早く生まれたために,団塊の世代に括られてしまった。意外と同世代に対しては辛辣なのだけれど,その辛辣さこそが,あの世代を括りうる証左ではないのかと,私は彼と話すたびに感じる。
 相手との距離感が,私とは明らかに違う。目くじら立てるまでもなく,それは違いにすぎない。何がしかのクラスが裡にあって,それを隔てるのが“おれら”と“そちら”なのだ。

 「買ってから3回読み返したよ」
 「『マイク・ハマーへ伝言』をはじめて読んだときは,1ヶ月かけて4回読み返したけど,あれは例外。それでも読み終えて,もう一回最初のページに戻ってしまった」
 「いちいち,おれの記憶がよみがえってくるんだ。そちらはピンとこないかもしれないけどさ」

 「会社の忘年会でさあ,若いのが酔っぱらってうるせえから,“ウビ ペデース,イビ パトリア”っていったんだけど通じるわけないよな」
 「そんなフレーズありましたっけ」
 「ほら,黒人のあんちゃんがさ」
 「覚えてないや」

 矢作俊彦の『ららら科學の子』が文庫化された。久々に読み返している。 



10月08日(日) 履歴  Status Weather晴れ

 「電算写植は,フィルムになるまで“実際に”文字がないから信用できない」
 活版時代を長く経験したある出版社の方が皮肉を込めてそういったのは,一度二度ではなかった。確かにそうには違いない。ただ,活版であっても,うっかりゲラ箱をこぼしてしまったにもかかわらず,組み直したのを告げず,再校で文字がひっくり返るなんてこともあった筈。まあ,それは責任の在処が明確だから質しようがあるというのだろう。

 インターネットを利用しはじめたばかりのころ,似たような感覚をもった。一度,訪問したHPの内容は,次回訪れたときと,まったく同じだという保証がどこにもないところで,これらの文章が存在していると。だから,コンピュータにやたら強い上司に「仮に,ネット環境に何がしかの正当性を求めようとするなら,履歴を保存する図書館のようなしくみがなけりゃ,危なっかしいったらありゃしない」といった記憶がある。それは,もちろんキャッシュで補えるような話ではない。

 私のサイトでさえ,立ち上げてからわずか数年で,デザインを変えた回数を数えるなら両手では足りない。それに伴い手を加えた文章はどれほどあったろだろう。整理したページはいつくもある。

 『ららら科學の子』が刊行された頃は,ブログの数が雨後の筍のように増えはじめた時期と重なる。それはまあ,検索にひっかかってくるようになったというだけでの判断にすぎないけれど。具体的に数は控えていないが,少なくとも数十人が,その年の秋から冬にかけて,この小説の感想を書き,アップしていた。短期間に,あれほどさまざまな感想を読んだのははじめての経験だった。私は毎日,新しい感想を探した。

 あれから3年が経った。文庫化されたのを機に,私は,単行本刊行当時のブログの記事を読み直してみたくなった。で,検索したところ,ほとんど残っていなかった。一般公開を止めたのかもしれないし,移転したことだって考えられる。

 あのときに読んだ文章の多くが,今,“実際に”どこにも存在していないとしたら,ネット上の言葉がもつ属性は実のところ,活字より音のそれに近いのかもしれない。



10月10日(火) 記憶どころか  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 仕事が遅くまでかかったため,帰りがてら食事をとろうと,乗り降りする駅から一駅を歩きはじめた。途端,街灯が途切れたあたりで呼び止められた。
 「このあたりで,いちばん近い駅はどっちの方向でしょうか」
 中国語なまりが明らかな中年女性だった。奇異なのは松葉杖をついていたためだ。地下鉄の駅のちょうど中間あたり,どうやってここまで辿り着き,今まで何をしていたのだろう。
 場所は飯倉の坂を越えれば神谷町,突き当たりを右に折れると大江戸線の赤羽橋に着くあたり。行き先は京王線府中の先だというので,ならば大江戸線に乗り新宿へ行ったほうがよいとすすめた。

 どこかで何かが掛け違ったのはそんなことがあったからに違いない。

 以前,昼時に入り,旨いチリビーンズが出てきた店は,そこから少し先にある。夜も開いていた筈だ。夕方から,あれやこれやと間食をしていた。酒を飲みながらチリビーンズあたりというのはちょうどいい案配だ。迷うにも,店の選択肢はそう多くない。私はその店に入った。
 客は誰もいなかった。酒とチリビーンズを頼み,読みかけの『ららら科學の子』を取り出すと,聞き覚えのある曲がかかった。
 Icicle Works の“Whisper to a Screan”だ。
 印象的なサビのリフレインは間違いない。と,そのときは思った。勘定のときに,それとなく尋ねてみようかと思ったのは,先日,Youtubeでみつけて,久々に聞いたばかりだったからだ。
 サクサクと夕飯を済ませ,勘定に立った。
 「さっきのIcicle Worksですよね」
 しかし,30代後半くらいの店主の返事は予想していたものとはまったく違った。
 「えっ,ボリューム小さかったですかね。ずっとかけているのはRed hot chili peppersですけど」
 そういうと,彼はCDプレーヤーの上に無造作に置かれたケースを寄こした。

 私が店に入ってすぐ,確かに“Whisper to a Scream”を聞いたのだ。
 何だか狐につままれたように気分で店先から一筋歩いたところで,強引に右折してきたタクシーに引っ掛けられそうになった。



10月12日(木) ない  Status Weather晴れ

 これが好きか嫌いか,あれはよいのかわるいのかを尋ねるとき,「ない」という答えが返ってくるようになったのはいつの頃からだろう。
 目の前で,「ない,ない」と続けられでもしたら,尋ねたこちらのほうが,どうリアクションしてよいか判らなくなってしまうに違いない。



10月15日(日) 本  Status Weather晴れ

 「欲しい本があるなら買ってくると言われたが,そんなものはなかった。本は本屋で選ぶものだと言っても,ヨッちゃんにはぴんとこなかった。」
  矢作俊彦『ららら科學の子』(文春文庫,p.280)

 POPはじゃまだけどね。



10月16日(月) 転倒  Status Weather晴れ

 年の何回か転ぶことがある。

 2週間前のこと。昼食用に買い求めた弁当を片手に信号待ちをしていた。ボックスが青に代わり,一歩踏み出そうとした途端,自分で自分に技をかけ,見事に転ばされた。右目のあたりを地面にぶつけ,眼鏡が飛び出した。続けて,思い切り右膝を打ち付けた。段差に躓いたわけでもなければ,出会いがしらに何者かにぶつかったわけでもない。ただ,転んだのだ。
 幸いトラウザーズの膝を破れていなかった。こんなことでもないかぎりTAKEO KIKUCHIが丈夫なことになど気づきはしない。
 破れてはいなかったにもかかわらず,膝のダメージは酷かった。

 転んだばかりの頃は,痛みがひどいので無理はしない。だから意外と安静にしていられる。ところが,動かしても痛みを感じなくなった頃はそういかない。膝を不意にぶつけ,転んだ当初よりも痛い思いをすることがままある。

 数年前,長崎へ出張したとき,安売りチケット店を出たところで転び,額を強打したときと,昨年,雨に日に地下鉄の階段を転げ落ち,トラウザーズをぼろ切れのようにしてしまったときは,自分は転んで死ぬのではないかと怯えてしまった。



10月18日(水) チャンドラー  Status Weather晴れ

 「アンナ・ハルゼイは体重約二百四十ポンドの顔色の冴えない中年女で,黒い男仕立てのスーツを着こんでいた。(中略)
 その彼女が,
「男がほしいんだよ」
 といったものだ。(中略)
 『趣味のいいご夫人を蕩しこめるほどの二枚目で,しかも,動力シャベルとなぐり合いができるほどのたくましい男がほしいのさ』」
   レイモンド・チャンドラー『事件屋稼業』(稲葉明雄訳,推理創元文庫)


 「CNNの国際報道担当副社長は,アンナ・ハルゼイという名の大きな体の中年女だった。(中略)
 その彼女が私の顔を見るなり,赤い髪をかきあげ,睫毛をばたつかせて言ったものだ。
 『男が欲しいのよ』
 私は,思わずあたりを見廻した。(中略)
 「趣味のいい日本人が心を許すほど礼儀正しくて,ロシアの戦車に爪先を轢かれてもマイクを手離さないようなタフな男が必要なの』」
   矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』(角川書店)

と,

 「私は電話機にかけた帽子をとって,送話口へあくびの声を送り込んだ。
 相手の声がいった。
  『きこえたぞ。恥を知れよ,フィリップ・マーロウ。』」
   レイモンド・チャンドラー『ベイ・シティ・ブルース』(稲葉明雄訳,推理創元文庫)


 「喉の病気を思わせる嗄れ声が受話口から飛び出して来るのと,私が送話口へピースの烟を吹きこむのと,まったく同時だった。
  『聞こえたぞ,二村。あくびか,それとも溜息かね。』」
   矢作俊彦『リンゴォ・キッドの休日』(角川書店)

の違いは程度の差なのだろうか。



10月20日(金) 楽  Status Weather晴れ

 その頃,出かけるには何がしかの弾みが必要だった。
 子どもはまだ小さかった。ベビーカーに乗らなくなったものの,帰りまで一人で歩くことはほとんどない。多くの場合,途中で眠ってしまい,家まで抱きかかえていくのは私の役割だ。
 誰彼を過ぎてしまえば,夕飯として出来合いを買って帰る。荷物が増える。家内が,翌朝用を求めてパン屋へ入ってしまったりすると,娘と食品を手に待つ数分は遅々として進まず,10分を越えることさえ少なくなかった。
 そうして待った渋谷東急の地下の10数分を,私はときどき思い出してしまう。このまま感情が鈍麻してしまうかもしれない,それは恐怖に近いものだった。

 数年後,娘はその頃より大きくなり,私は容易すく出かけられるようになった。
 娘は外出の帰りに眠ることがなくなったばかりか,荷物の一部を持ってくれる。永遠に渋谷東急の10数分が続くわけではない。恐ろしく得した気分になるのは,そんなときだ。



10月23日(月) 誤植  Status Weather曇りのち雨

 昔から青山ブックセンターでほしい本を見つけることはあまりなかった。WAVEがあった頃は,だからそのかわりに安くはない輸入盤LPを買ってしまうことしばしばだった。
 再開してからのABCへ本を探して何度か入った。単行本は1冊を除き相変わらず置いていない。最近は,データべースで検索をかけて,刊行されていることまではわかるのに,実際の本がないのだから,かえってたちが悪い。

 今日も探していた本は,やはりABCには置いていなかったんで,帰りがけ紀伊國屋書店まで行って本を買った。

 福島真人がかかわった本を続けざまに読んだのは4年くらい前。それ以来,目にすることもなかったのだけれど,最近,新聞に記事が掲載されていて新刊が出たのだ,と思った。
 で探したら,その本『現代人類学のプラクシス』は1年ほど前に刊行されていたもの。初手から買おうとは決めていたのだけれど,ペラペラ捲っていると,p.23の執筆担当クレジットが福島直人。似たような名前の人がかかわっているのだなって,執筆者紹介を見てもそんな名前は載っていない。
 有斐閣も非道い誤植本を平気で出すものだ。見た目,DTP業者にデザイン頼みました,ってつくりだから,ほとんど外注でつくってしまったのかもしれない。

 1分もしないで見つけられるような誤植なんだけどな。



10月27日(金) 地震  Status Weather晴れ

 「地震から四か月,時針は何度も回転し,世人に知られた日本の梅雨が始まり,それも駸々と過ぎ,夏の盛りも終わろうとしていた。大阪城は人心が鎮まるのをただ心身を低く待ち構えて待っているだけ,何の指針も示せぬまま,それでも結果については結構,自信を深めているようなのだ。いやはや政府だけでなく,いま起こっていること,起こりつつあることが,時の磁針が指し示す方向へ向かっていると,多くの日本人自身内心自信を持っているように見えるのが,私には不審でならない。」
   矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん(下)』p.301,新潮社



10月29日(日) わ  Status Weather晴れ

 「変なメール送ってきたでしょう。打ち間違えかと思ったけど」
 家内がいう。
 よく打ち間違いはするけど,どこがおかしかったのだろう。
 「なんだっけ。そうそう。おばさんみたいなの。なんとか“するわ”って」
 「どこがおかしいんだろう」
 「“わ”なんて,変じゃない」
 「違うよ。語尾があがる“わ”じゃない。下がる“わ”なんだけど」
 「えっ」
 「昌己とのメールなんて,だいたいそんな感じだよ。“一人でいくわ”とか。そんなふうにいうだろう」
 「いうけど」
 が,確かに,語尾上げて読まれた日には,こっちのほうが恥ずかしくなってくる。



10月30日(月) 影響  Status Weather晴れ

怒りにかられた人が集まってくる,そのぐるりは,2006年版ガイド・ガリマールにこう記されている。

『メルドゥの泉』


 『あ・じゃ・ぱん』を少しずつ読んでいるためだろうか。こんな具合でないと,メールを書き始められなくなってきた。
 念のため,これは今日,知人に送ったメールの書き出しです。




「日記」へもどる