2006年12月

12月03日(日) 起動  Status Weather晴れ

 ロバート・フリップが,Windows VISTAの起動音作成を依頼されたと読んだのは,かなり以前のことだったと思う。
 「へぇ,サウンドスケイプで,シャカシャカシャカなんて感じなのかな」
 関心なんて,その程度だ。
 その前後,復活したAmigaの起動音を平沢進が担当したときは,公開されていた音源を手に入れて聞いたけど,それは百歩譲っても起動音であることに変わりないものだった。

 で,最近,フリップのサイトで公開されている日記に,デスクトップでの作業風景の写真がはめ込まれていた。そこに写っていたのはiMac。起動音の調節をよもやiMacでやったわけじゃないだろうけど,Microsoftってその程度のことは気にしないのだろうか。



12月04日(月) 1982  Status Weather晴れ

 『かっこいいスキヤキ』を読んだのは,東京の外れ,千葉との境にいた通毅のアパートでのことだった。加藤和彦がFM東京の公開録音のため,東京厚生年金会館で行ったライブを開くという。どうした経緯があったのか記憶にないが,そのライブに行くため,数年ぶりに会った通毅のアパートに私は泊まったのだ。

 彼は中学時代の友人だった。学校への行き帰りや美術部で,あれやこれや話した時間は3年間で他の誰よりも長かったと思う。卒業後3年,一度も会うことなく,話しをしたのは久しぶりのことだ。お互い,共通だったはずの話題が様変わりするさまが面白かった。
 私がひさうちみちおの漫画を持ち出したところ,通毅がゴソゴソと引っぱり出したのが泉昌之の『かっこいいスキヤキ』だった。ていねいなことに,タイトルがついていない冒頭数ページを形態模写して,「面白いだろ」と尋ねてくる。
 彼がゲルニカやYMOのLPをターンテーブルの乗せたとき,面白かった変化が,3年前のように話すことはできないのだと,なんだか妙な気分になったことを記憶している。

 1979年から1982年の音楽や漫画の変化は,かなり強烈な具合だった。殊,音楽については,1982年を越える面白さは,その後一度もない。



12月05日(火) パプリカ  Status Weather晴れ

 平沢進の音楽を大きな音で聞きたくなって,公開中の「パプリカ」を観に行った。
 これじゃ本当に,今日の日記だ。でも今日は12月6日。

 テアトル新宿では,毎週水曜日は1000円で映画を観られると知り,午後半休をとって出かけた。各回入れ替え制の午後2時半の回はほぼ満席。開場間際,ロビーに見知らぬ者が集まってくるさまは,なんだか20年前の新宿ロフト前のガードレールあたりと似ている。これで映画がはじまらなくてライブになったら素敵だな,などとソファに埋もれ,マルケスの岩波新書を捲りながら,思っていたのはそんなことだ。

 映画はアニメーション。出だしから平沢の曲が大音量で流れてくるだけで,ほとんど満足してしまう。パレードの間の手に,“乳脂肪分5パーセント”なんてフレーズがさりげなくはめ込まれていて,「ヘルスエンジェルかよ!」と突っ込みを入れるところなのだろうか。
 話がでかい割に,場所がちんまりまとまりすぎているのは,「出来がよい」といわれる国内ミステリ小説のような感じだった。

 『旅のラゴス』以来,筒井康隆の小説は読んでいないはずなので,そのうち原作を読んでみようと思う。



12月06日(水) すばる  Status Weather晴れ

 で,「すばる」の鼎談「少年達の一九六九」について書こうと思っていたのだけど,買い求めた12月6日は昨日なので,昨日の日記です。

 石森章太郎の仕事場へ遊びに行って,当時連載していた「幻魔大戦」のなか,「幻魔が越こした竜巻で自衛隊の戦車部隊が全滅するシーンのキャタピラは,全部ぼくがかいた」など,ディテールが面白い話題満載で読み応え十分。

 たとえば,スタジオ・ボイス1982年6月号で東郷隆相手の

 矢作 昔から僕は考えていたんだけどね。自衛隊を失くしてさ(中略)それで,自衛隊を廃止するんだ。(中略)自衛隊を災害救助隊と警察にわけてね,ロシアが攻めて来たら,“そこのロシア軍,それ以上侵攻すると公務執行妨害で逮捕します”なんてやるの。(中略)で,ほら電子情報は電電公社が一番だからさ,電電公社に,超々早期警戒網を敷行させて,核武装させるんだよ。すごいだろう。うちの国は,平和主義なんだぞー。電電公社が核武装するんだからなあ。
 VOICE(つまりは佐山一郎) 電話代,ためられないな。
 東郷 (感心して)食前食後に核爆弾! 一家に一台核爆弾……。
 一同 核戦争,みんなで死ねば怖くない。
 東郷 交番に一台ずつ置く方がいいなぁ。
 矢作 駄目だよ。オマワリが子どもにみせびらかしてるうちに爆発したらどーするんだ。
 東郷 (さらに感心して)あ,そーか!!

 こんな時代から話しの趣旨は一貫しているのに,高橋,内田が憲法九条の話を持ち出し,そこでの展開がなんともおかしい。ここでの矢作氏の指摘「軍隊が仕事として行う戦争」について意識的に書いているのは,私の多いとはいえない読書量からすると佐藤亜紀くらいなのだけれど。



12月07日(木) 豚  Status Weather晴れ

 で,ようやく今日,12月7日に辿り着く。と,明日は三波紳介の命日じゃないか!

 『文學界』の新連載「常夏の豚」第1回を読んだ。やけにスピーディでフットワークの軽い展開だけど,豚の話なんだよな。記憶が4時間前までしかなけりゃ,そりゃたいがいのことはやりすごせるだろうに。



12月10日(日) アオヌマシズマ  Status Weather晴れのち曇り

 伸浩が中学時代,「スケキヨ」のあだ名で通っていたと聞いても,両者のイメージが繋がったものは,私たちのまわりに誰一人いなかった。

 最初に会った頃の彼の髪型は,少し伸ばした天然パーマのうえ,さらにかなりきつくパーマをかけたというもの。千葉の生まれだからもちろん地黒で,白目がやけに目立った。髭をたくわえていた時期もある。そんなスケキヨがいるだろうか。いやそれより,スケキヨってマスク被っているわけだから,似ようがないと思うのだが。何度か,どういった経緯でスケキヨと呼ばれるようになったのか聞いた記憶はあるのだが,まったくたいした理由でなかったため,ついぞ記憶に残らなかった。

 お互いにあだ名で呼び合うようなベタっとした間柄をなぜか,皆一様に嫌っていたので,私たちは普通に名字で呼んでいた。ところが,同じクラスには勘違いした奴もいて,そ奴は当然のように「スミス」と呼びかける。当時,ジャイアンツの選手だったスミスで,後になって,サンチェに変わった。
 「おいおい,なんだよスミスって」
 喬司は,なんのてらいもなくそう呼ぶ心根を心底嫌っていた。そ奴をそそのかしてマルチに勧誘しようとしたのは,だからといって理解できたものじゃないけれど。

 2人して単位取得以外,何の損得勘定もなしに出かけた自然の家でボランティアをしたときには,利用者のガキに「シルベスタ」とはやし立てられた。本人は「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」のミッキー・ロークをイメージして再びかけたパーマが,ガキにはシルベスタ・スタローンにしか見えなかったらしい。いや,この場合,スタローンは褒め言葉なのだろう。数年前のスケキヨがシルベスタと呼ばれることになるとは,あだ名は恐ろしい。

 スケキヨは,横溝正史の『犬神家の一族』が出自であることはいわずもがなだ。大槻ケンヂが数年前にUNDERGROUND SEARCHLIE名義で2枚続けて発表したミニアルバムに「スケキヨ」の名を冠したのも,もちろん小説あってのことだけど,もう一枚のタイトルが「アオヌマシズマ」。発表当時,思わず唸ってしまった。で,あぶらだこがバックを固めた「これが私の登山口」が収録されていることもあり,当時,まず「アオヌマシズマ」だけは手に入れた。
 この2枚のアルバムが企画された経緯は,当時,大槻ケンヂが刊行した日記で読んでいた。が,実際に,横溝正史の息子・亮一氏(音楽評論家)が,「犬神家の一族」の音楽化に際してという,アルバムの内容とは何ひとつ噛み合ないコメントを寄せているのを読み,再び唸った。
 内容はというと,OPTICAL-8のバッキングが,たとえ近藤祥昭がミックスしていても,やけに派手すぎて好みではない他は,当時発表していたソロよりも良かった。



12月12日(火) 新人類  Status Weather曇りのち雨

 「よお,やっぱり新人類は違うな」
 突然,なのに準備していたような様で徹がそう言う。
 「俺のほうが生まれ早いだろう」
 「年下の奴をちゃかすときにしか使えないんだよな」



12月16日(土) 2CV  Status Weather曇り

 仕事を終えた弟と待ち合わせたのは夜の10時を過ぎていた。
 スカラ座近くでタクシーに乗り込んだ途端,弟は終始,運転手に向かって指示を出す。「あっちが本式に話しはじめたら,何言ってるなんてわかんねぇからさ」と,一度,日本語で喋ったきり,あとはドイツ語のような発音のイタリア語のみだ。物見遊山でコロンブスの新大陸発見500年祭へと繰り出したとき,拙いイタリア語をしゃべっているというのにたびたびドイツ人に間違われたというのは,弟のルックスのせいだけではあるまい。
 繰り返し同じ単語と身振りを交え,ようやく着いたのはナヴィリオにある小さなバールだ。
 「この前,タクシーに乗ったら舐められて,ぐるりと平気で遠回りするんだ。ほっといたらどんな道まわられるかわからねぇから,とにかく,こっちの言うとおりに行け,って言っとかないと」
 その店は広くはないものの,このあたりでいちばん遅くまで開いているため,私たちがつまみと酒であれこれ話しをしているうちに,あっという間に,込み合ってきた。
 「ほら,みなよ。車を川沿いに停めて飲みにくるだろう。あれに乗って帰るんだぜ」
 どんな話をしたのかはまったく記憶にない。ただ,ガレリアの入り口の新聞スタンドで,入荷しているときはいつも日刊スポーツを買って読んでいる弟の,日本のあれこれに関する情報は私よりも豊富なものだったことだけは記憶している。

 店先のテーブルに椅子が積み上げられはじめ,いい気分のイタリア人が車を運転して家路を急ぐ姿を横目に,行きと同じようにわれわれはタクシーでアパートへ向かった。
 トラムの終点でタクシーを降りると雨が降り出した。アパートまではここから100メートルもない。早足で急ぐと,中央分離帯に沿って路上駐車の一群のなか,ワインレッドに塗られた一台が目についた。
 「2CVじゃないか」
 「いつもここに停めてあるよ。明日の朝も置いてある筈だから,起きられたら一緒に写真撮ってやるよ」
 ミラノの深夜,小雨のなかでみる2CVの姿は,どこかおさまりの悪いものだった。

 翌日撮った写真は,いまでも手元に残っている。



12月17日(日) テトリス  Status Weather晴れ

 父親がノートパソコンを買ったものの,どこをどうしてよいか判らないというので,抱えて持ってきた。簡単な初期設定を終え,使い方を説明しようとすると,まあ何と煩雑な動きがあちこちにあること。“はじめてのパソコン”とか何とかいうソフトで一から学習する父親の姿を見るにつけ,操作環境に合わせて,使いはじめてからどれくらいの身体記憶が蓄積されているのかを実感した。ただ,本来,一つひとつに意味がある動きは,目的の奥底に滑り込む。それがどうも居心地悪い。
 テトリスをはじめてやったとき,当時のソ連でアストロノーツの訓練のため開発されたという噂を聞いたことがある。あの判断ともつかない反射が,ゲームだけのためじゃないように感じたときと,それは似ているのだ。



12月21日(木) エリマキ  Status Weather晴れ

 最近の日記です。

 このところ手に入れられなかった雑誌「きらら」のバックナンバー数冊を,渋谷で飲んだ帰りにブックオフで見つけた。矢作俊彦の連載「ウリシス911」は落ちることなく続いている。とりあえず4冊買い求め,帰りの地下鉄で捲る。
 「東京カウボーイ」からの流用が終わり,「眠れる森のスパイ」が入ってきたと思ったら,「一瞬の幸福」が短く挟み込まれる。そこからしばらく読んだ記憶のない文章が続いた後,「地図にないモーテル」から1号分置いて,最新号では再び読んだ記憶がないシーンが登場した。
 第27章~28章(第20回,新原稿だろうか?)には,「キラーに口紅」で死体として登場する“エリマキ”が出てきたのに驚いた。彼は「リンゴォ・キッドの休日」のバリエーションであるこの中編のなか,「弱ったことに,私には,彼のどこが変わっているのかまるで判らなかった」と語られる。「ヨコスカ調書」~『THE WRONG GOODBYE』でも繰り返される,アメリカ人になりたくて出て行った男が戻ってくることで起こる物語のなかでも,特に印象的な登場人物だ。

 矢作俊彦の小説には,記憶のなかにのみ存在するゆえ,魅力的な登場人物が少なくない。「ウリシス911」のなかでの礼子から,超然とした印象が失せてしまったのは,誰かの記憶でのみ語られるのではないためだと思う。一方,この“エリマキ”は「キラーに口紅」そのまま。どうしてそう感じるのかは判らない。



12月23日(土) パターン  Status Weather晴れ

 高橋 あいつのせいだと思うよ,やっぱり。竹信が,「サルトルで読むべきなのは『ジュネ論』ぐらい」って言って,そうなのかって納得してた。だから,中三の終わりから高一にかけてはみんなメルロ=ポンティを読んでいたよ。
 内田 何でわかるんだろうね。だってサルトルが終わってメルロ=ポンティだなんて,全世界的な現象でも何でもなかったんだよ。
  文藝2006年夏「特集 高橋源一郎」p.130.

 対談・鼎談での内田樹の癖なのどうか知らないが,似たような受け答えが「すばる」12月号の鼎談にもあった。その箇所を転記しようとしたところ,案の定,実際の本が見当たらない。



12月24日(日) マジック  Status Weather晴れ

 そのデパートの「手品用品売り場」には,タキシードを着た専従スタッフがいる。草臥れた表情に薄くなった頭髪をパーマで隠し,一日の多くを在庫チェックに当てる。ときどきカウンターに子どもがくると,商品であるマジックセットを取り出し,このときだけは巧みな手さばきでマジックを演じる。一通り終えると彼は必ず,こう付け加える。
 「このセットをお求めいただくと,今のマジックがどなたでもできるようになります。好評で,残り2セットしかありませんので,ぜひこの機会に」

 家内の買い物に付き合い,娘がおもちゃ売り場を散策する間,私は文庫本片手に,彼の姿を何度かみた。

 先日のこと。
 ここ何回か,彼がマジックを演じている姿は一度もみていなかった。「あの人,マジシャンなんだよ」娘をだしに,さてどうするだろうかと様子を眺めていた。
 と,彼は娘一人を相手にマジックをはじめた。一人,二人と見物人が増え,気をよくしたのか,いや,ここぞとばかりに売り込みをかけようとしたのだろう。6,7つのマジックを次から次へと繰り出した。
 「あのマジック,クリスマスパーティでやりたいな」
 娘がそういうので,コインを使ったしかけを一つだけ買い求めた。タネ明かしされてみれば何ということないのだけれど,さすがによくできている。家で娘とマジックの練習をし,さて今日になった。と,これは今日の日記です。
 子どもと母親のパーティなので,私は午後,久しぶりにプールへ行き,あれこれ道草しながら夕飯を済ませ家に戻ってきた。しばらく後,帰ってきた娘にどうだったか尋ねると,マジックはしなかったという。
 パーティに,少し前,同じタネを買ったクラスメイトが来ていたのだというのだ。
 「バレバレじゃあ,ね」
 「でもさ,どちらが上手くみせられるか,やってみりゃよかったのに」



12月26日(火) ジンバック  Status Weather

 忘年会ではないものの,このところ飲む機会が多く,2週間に3回のペースでバァで飲んだ。初手から量を飲めない私にしてはめずらしいペースだった。3軒で同じく,最初にジンバックを頼んだ。
 はじめて入った店では「タンカレーで」と付け加えたところ,「もったいないな」と即座に返ってきた。私がかなり酔っぱらっていたからかもしれないけれど。
 「ウィルキンソンのジンジャエールありますか」
 「うちはそれしか置いてないよ。ドライと普通のどっちだい?」
 「ドライ」
 「じゃあ,わかる」
 ジンバック一杯頼むのに,これだけのやりとりが必要な店も悪くないけど,場所が新宿東口なんで,妙にべらんめい調なのだけは気になった。

 結局,ジンバックを飲んだ3軒のバァすべて(といっても3軒だけど)で,使っていたのはウィルキンソンのジンジャエールだった。ここしばらく,甘ったるいジンバックが出てきた経験は,思い起こすとほとんどない。日系アメリカ人の奢りで連れて行かれた西麻布の品のない店くらいだ。



12月27日(水) ガレージ  Status Weather晴れ

 夜,仕事の打ち合わせが入ったので神保町に出かけた。場所はどこでもよかったのだけれど,彼とは水道橋あたりで何回か飲んだことがあるので,岩波ホール近くで待ち合わせることにしたのだ。
 新宿で映画を観て,そのまま神保町に着いたのは待ち合わせの2時間前。すずらん通りを行き来して,結局,三省堂書店で『奇妙な凪の日』(長谷川健郎,左右社,2006)を買った。

 私がはじめてこのあたりへでかけてきたのは,小学5年生のときのこと。何を勘違いしたのか,神田駅から延々歩いて辿り着いた。中学を卒業するころまで同じ道順を使っていたため,神保町よりも小川町あたりの古本屋が実は印象的だった。すずらん通りでは,中古楽器店の隣にあった中華料理屋で,その頃から年に何回かは食事をした。ミロンガのコーヒーはすぐに飲み終えてしまうので,手に入れた本を読むには具合がよくなくて,結局,帰りの電車でページを捲ることしばしばだ。
 三省堂書店のほうからすずらん通りに入る右側のビルに2階に輸入レコード店があった。そこで私ははじめてブートレッグを買った。レコードを探しにお茶の水へ出かけるようになったのはその頃からだ。そこで,ようやく御茶の水駅から下ってくる道順を使うようになったのだから,いったい何を考えていたのだろう。

 少し前の古本祭のときは家内,娘と一緒だったし,すずらん通りには店が溢集していたので感じなかったものの,平日の夕方近くに2時間もあちこち歩くと,遠景がやけに整然としていることに驚いた。

 書泉グランデからすずらん通りに交差する道でガレージセールがあって(といっても,以前来た際にも開いていた店だ),ミステリマガジンのバックナンバーが3冊500円で揃っていた。1972年の矢作俊彦のデビュー作が掲載された号や,「真夜半にもう一歩」の最終回,「ヨコスカ調書」が掲載された1979年1月号~4月号なんてものが残っていて,20数年前に白山交差点の先の店で少しずつ買いそろえていったのも忘れて思わず買いたくなった。



12月29日(金) You  Status Weather晴れ

 "オタク"と"Geek"の違いについて論文をまとめたいという知人に意見を求められたのは少し前のこと。"物語"からみた考えをあれこれ返事したものの,いま一つ話していてまとまりがつかなかったというのが正直なところだ。

 深家は私の友人だった。彼と同じクラスになったのは高校一年のときのこと。1970年代の終わりだ。つらつら思い出すと,後に"オタク"という呼称が現れた際,私がイメージしていたのは,まったく彼の嗜好だった。
 少女漫画,アニメ(日本サンライズ),見た目(大木凡人を圧縮してその分,横幅が広がったような体系とそのものの髪型),ロリコン趣味,コミケ,週刊少年ジャンプなどなど。「リングにかけろ」と「パタリロ」が好きで,土曜日の午後に予定を入れようとすると「ガンダムを観るから」と断る。「ザンボット3」が描くリアリティを熱く語り(結局,私は一度も観たことがないけれど),漫画やアニメのキャラクターを"さん"付けで呼ぶ。それまで,漫画やアニメ好きの友人は少なくなかったものの,深家の嗜好は彼らと明らかに一線を画していた。

 私は,彼が"オタク"という呼称を使う場面に居合わせたことは何度もある。その経験からすると,相手を"おたく"と呼びはじめたのは実のところ,女性が先なのではないかと思う。"あなた""きみ""お前""てめえ""貴公""あんた",もちろんそれらの"you"を端折ることなく,それでも"オタク"と呼ぶことに何がしかの心地よさを感じるような,まさに物語が,女性の言説を介して深家に影響を与えたのだ。しかし,女性にあっては,女性・男性いずれにも用いられた"オタク"が(だから,そのニュアンスは"it"に近い),深家の例からすると,男性が使うときは女性に対して発せられていた。後に男性同士に転用されるにあたっても,男性が"オタク"と発するときには,常に性別が付いてまわっていたような気がしてならない。
 今となっては,物語がどのようなものであったのかは判らない。

 "Geek"の出自は,記録として理解するしかできないが,そこにはコミュニケーションの要素は乏しいように思う。 




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