2007年4月

04月02日(月) Synapse rain tree  Status Weather曇り

 最近の日記です。

 パソコンでミキシングし始めたはいいものの,音楽を編集すると最低でも2時間はかかりっきりになってしまう。平日,家へ戻り,家族が寝静まってからヘッドフォンをガイドにコツコツ被せていると,他のことは何もできはしない。

  Synapse rain treeという仮題の曲を週末に編集したのでアップします。やっと,14,5年くらい前の音楽まで辿り着いた気分です。

 Synapse rain tree(データ調整中)

 完成するまであとどれくらいかかるかは不明。



04月03日(火) 手品師  Status Weather曇り

 「一通りの客寄せの芸を見せ終って,さて種を売る段になると,集った人々はすぐわらわらと風の中に散ってしまうのだが,そうなったときでも米倉は,帽子の廂をこころもち深く引下げるような気持で,少し離れたところに立止まり,手品師のいくぶん哀しそな表情を窃み見した。つい,いまのいままで,得意げな微笑を浮かべ,シルクハットに燕尾服さえ似合いそうに颯爽としていたこの男が,いまは何という憐れな,寒々しい様子で立っていることだろう。(後略)」
   中井英夫「地下街」(とらんぷ譚,p.60-76)

 「――つまりはこの記憶の重たさが人間に齢を取らせるんだろうね。」
   同「盗まれた夜」(同,p.617)

 「木枯らしの中に私はいる。奇術師としては場末の小屋の前座がせいぜいだろうし,駅前のネタ売りにさえ堕ちかねない私の先行きなど知れたものだが,(後略)」
   同「幻戯」(同,p.657)


 かぜで寝込んで以来,ポツポツと読み続けていた『とらんぷ譚』で,印象的だったのは以上のような文章だ。



04月04日(水) Watermarks  Status Weather雨のち曇り

 というわけで,“Porter”に退廃を吹き込んでくれたのは那智君だ。会社帰りにわが家まで出向いてくれ,1万円もしなかった私のギター(Samick)を片手に1時間あまり。チューニングをしっかりして,ああ楽器はこうやって弾くのだな,とやけに新鮮だ。

 その夜,2時間あまりかけてミックスしたのが,このバージョン。ラフなミックスなので,バランスが悪いものの,前のデータと差し替えた。
 ↓
 データ調整中
 
 知人に歌詞をつくってもらったので,ボーカルが被さる日も遠くないと思う。一気にタイトルまで変えてしまった。



04月05日(木) 時計  Status Weather晴れ

 「わたし,目覚まし時計じゃ,ぜったい起きられない」
 娘を寝かしつけていると,自信あり気にそう言う。



04月07日(土) キャラクター  Status Weather晴れのち曇り

 江戸川乱歩と竹中英太郎,中井英夫と建石修志,内田百閒と谷中安規(「常夏の豚」第5回にその名前が出てきたので思い出したのだけれど)くらいまでしか私には辿れないものの,数多の小説家と画家の幸福な出会いが今に始まったことでないのはいわずもがなだ。

 東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2』を読みながら,いや,サブカルチャーに関する言説の多くに,相変わらず違和感ばかりを覚えてしまう。たとえば,キャラクターとキャラを区別する前に,“美形”キャラクターばかりが幅をきかせる状況についての言説がざっくり抜け落ちていることが気になってしまうように。

 ところで,美少女ゲームは,なぜ少女ゲームではないのだろう。



04月09日(月) 文体  Status Weather晴れのち雨

 昭和50年代の終わりから60年代にかけて知り合った友人とは,文字を通してのコミュニケーションを図った記憶がまったくない。喬司が書いた文字の形を覚えているのは,テレビのニュース番組で紹介された(マルチ商法にかかった学生が書いたマニュアルとして)際のイメージが大きいからだし,伸浩のそれはテスト前に借りたノートに記された文字というより,ノートを借りるまでのやたらと面倒くさいプロセスがトラウマになっているからに違いない。文字が旨かったという印象の昌己や,イラスト(似顔絵)は嫌というくらい見たものの,まったく彼が書いた文字を覚えていない徹など,イメージだけはついてまわる。

 結局は,文章でコミュニケーションをとらなかったのだ。

 だから,メールを使うようになって何が歯がゆかったかといって,彼らと連絡をとる際に用いる文体を私自身,経験からは何一つ引き出せなかったことだ。



04月10日(火) つながり  Status Weather晴れ

 性懲りもなく矢作俊彦が「文學界」に連載中の「常夏の豚」をはじめから読み返している。この感覚(だけ)は20年以上前,『神様のピンチヒッター』や『死ぬには手頃な日』を読み返したときに似ている。
 その頃,矢作俊彦が書く文体は,全体の輪郭で内容を把握できるような代物から程遠かった。集中力を欠くと,一体何がどうなってしまったのか訳が判らなくなってしまい,数ページ戻っては数行進むの繰り返し。『マイク・ハマーへ伝言』以外,長編はほとんど書かず,発表されるのは短編から,せいぜい中編程度の小説だったので成立した文体かもしれない。
 出だしからしばらく,「おれは床に落ち,敵をちらっと見た。階段を降りてくる裸形。」(文學界2007年1月号,p.21)と,デュシャンのイメージがまとわりつく。この第1回は,それこそ「抱きしめたい」から「言い出しかねて」あたりまで――つまり100枚もないのに銃撃戦はあるは,ヘリコプターは落ちるは――を思わせる。ただ主人公は豚の「おれ」だし,一貫して語られるのは「記憶」をめぐる冒険だ。



04月12日(木) さようなら  Status Weather晴れ

 登場人物に,はじめてフラグを付けたのはカート・ヴォネガットだと思う。と,フラグ立てたのは,か。



04月14日(土) 敵  Status Weather晴れ

 伸浩は,人を敵/味方で区別するのが好きだったけれど,敵の敵は味方などという接し方は一切しなかった。

 つまり,敵の敵でも敵は敵。



04月17日(火) 歴史  Status Weather

 以前書いたとおり,昭和50年代の半ば,私の友人の一人に,後に言われるところの“おたく”がいた。
 私が“おたく”という言葉を知ったのは昭和60年前後のこと。ただ,おたくを独立して用いることはなかった。いわく,“マンガおたく”“アニメおたく”“鉄道おたく”という具合。私と,主に徹の間では暗黙のうちに,そのように使い分けていたように記憶している。
 
 東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生―動物化するポストモダン2』を読み終え,古本屋で『動物化するポストモダン』とともにササキバラ・ゴウの『〈美少女〉の現代史』(いずれも講談社現代新書)を手に入れた。先に『〈美少女〉の現代史』を読み終えた。70年代から80年代にかけてのマンガなどを中心としたサブカルの経過をまとめたものとしては,特に固有名詞の選びかたが,いちばん腑に落ちるものだった。読みながら,高校時代に会ったそ奴の顔を思い出してしまうほどに。そ奴とは高校を卒業して以来,一度も会っていないので,面と向かって“おたく”と呼んだことはないのだけれど。



04月20日(金) ウリシス911  Status Weather晴れ

 先日の日記です。

 神保町に寄ったときのこと。店頭で,はじめて「きらら」の最新号を見た。矢作俊彦の連載「ウリシス911」はどうなっているかとページを捲ると載っていない。休載のお知らせも入っていないので,どうやら最近,完結したようだ。
 最後が,書き下ろしでないならば,「THE PARTY IS OVER」が最後にくるのではと予想していたのだけれど,さて,どのように終わったのだろう。



04月22日(日) 王様の気分 2  Status Weather晴れ

 探していた“王様の気分”のデータが見つかった。
 音色やシーケンスパターンを取捨選択し,このところの所作と同じくパソコンに取り込み,ミックスしなおしたので,これまで上げていたデータと差し替えた。
 ↓
 データ調整中

 連休中にスタジオに入ることができたら,この曲をやってみたいと思う。



04月24日(火) 某月某日  Status Weather曇りのち雨

 20年以上前の春休みのこと。実家に戻ると親が勝手に私の短期バイトを決めてしまった。数週間,働き詰めた後,バイトから解放された初日。

 8時前にいつものさがで起きてしまったが,身体がだるかったので,8時半まで布団のなかで目を閉じていた。起き出してテレビをつけたが別にたいしたものもなく,クリムゾンの'84 LIVEのA面を聴いていた。身支度をして,9時半過ぎに家を出た。駅まで行き電車に乗る。立ったまま『サラマンカの手帖から』(辻邦生)の中の「城」を読んでいた。地下鉄に乗り換え,新御茶ノ水で降りた。坂を下り,本屋,古本屋をまわった。書泉でジョイスの『若い芸術家の肖像』(380円)を買う。で,三省堂で見た読書案内の中に「数年前の早川MMの中で読んだインタビューの矢作俊彦の……」というフレーズが目にとまり,そのHMMを探す。が,途中,高岡(書店)に入ると倉多江美の『ミトの窓』(680円)という単行本が出ていたため買った。そのまままっすぐ歩き,古書センター,その先まで行く。HMMが揃っている古本屋に入り,上記の本を探すと,それとは別に矢作俊彦のニューヨーク滞在中のエッセイ風の文章が掲ったHMM(350円)を見つけ買った。水道橋のほうへと進み,インタビューが載ったHMMを見つけ買った(400円)。以前,徹,喬司と寄ったキッチンで昼食。白山交差点まで戻り,辻邦生作品全集(全6巻)を4,500円で買った。別の古本屋で『夏の海の色』『雷鳴の聞こえる午後』(共に辻邦生)計1,300円。すずらん通りに入り喫茶店で休憩。坂を上り,Disk Unionへ入る。コーナー分けが変わっていて見づらくなっていた。駅へ向かい,地下鉄,私鉄と乗り継いで家に着いたのは午後3時すぎ。1時間くらいページを捲りながら片付ける。4時から5時まで眠った。夕食を食べに行き(450円),お風呂に火をつけ,テレビを少しみて,お風呂に入った(PM9:13)



04月28日(土) 5年  Status Weather晴れのち雨

 “あの頃 マリー・ローランサン”に挟み込まれた加藤和彦のメッセージに賛同したわけでも何でもないものの,私がレンタルレコード屋を利用した回数は数えるほどしかない。

 はじめて借りたアルバムは,デヴィッド・ボウイの“Five Years”から始まるものだった。それを返しに行ってP-MODELの“カルカドル”をなぜ,借りようと思ったのか,今となってはまったく覚えていない。“ランドセル”だけは,その少し前,質屋の店先で500円均一の箱で見つけた際に買い求めたものの,熱心には聴かなかった。だから,このとき“カルカドル”を借りなければ,その後3年にわたる僥倖はなかったに違いない。

 “カルカドル”を録音した46分のカセットテープは,今も色形まで記憶している。

 とはいえ,それからは苦闘の始まりだった。“ワンパターン”は発売日に買うことができたが,“Another Game”以前のアルバムは軒並み廃盤。時,昭和60年代,3~5年前のアルバムを新譜で手に入れることはかなり難しかった。この日記の最初に記した通り,“Perspective”はバイト先で入院患者さんから借り,後に再発盤が出るまでは,録音したテープを聴いていた。ワーナーパイオニア在籍時の残りの2枚は,中古レコード店で大枚はたいて手に入れた。
 すべて手に入れなければ収まりつかない理由があったのだ。
 当時,P-MODELはコンスタントに都内および近郊のライブハウスでギグを行っていた。だから,ライブで演奏される曲については,そこに通いさえすれば聴くことができた。そのうち,演奏されたほとんどの曲はどのアルバムに入っているのか判った。ところが1曲だけ,どのアルバムに収録されているのか判らない曲があった。それも,その曲は最初に演奏されることが多かった。ファンのなかでは有名な曲に違いない。私はそう考えた。

 最後に手に入れたアルバムは“ポプリ”で,これは6,000円近くしたと記憶している。“ポプリ”を手に入れるまで,私はその曲は“ポプリ”に収められているとばかり思っていた。ところが,アルバムのなかにその曲は見当たらなかった。
 あの曲はいったい何なのだろう。カバーなのか,それとも……。よもや新曲だとは思いもよらなかった。最新アルバムがリリースされた頃のギグで,リストにさらに新しい曲を入れるなんて,普通,そんなことするものだろうか。“Call up here”という曲だ。

 紆余曲折があり,“Call Up Here”は,かなり後になってようやくアルバムに収録された。スタジオ録音盤は作者,中野照夫のソロアルバムにまったくアレンジを変えて,また当時のライブ音源がP-MODELのボックスセットにそれぞれ入ったが,いまだ昭和60年代に“Call Up Here”をP-MODELのスタジオ録音で聴きたかったと思う。




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