2007年5月
05月02日(水) 私を月まで連れてって |
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今日の日記です。 「『ウリシス911』は今回で終了させていただきます。本作品は改稿のうえ,『私を月まで連れてって』と改題し,単行本として刊行の予定です。」 「きらら」2007年3月号,p.115 仕事帰りに寄った古本屋で,「きらら」3月号を手に入れた。「ウリシス911」は,確かにこの号で連載を終えていた。「THE PARTY IS OVER」で幕引きなんてスマートな話じゃなくて,『マイク・ハマーへ伝言』をなぞったような展開の後,唐突に終了。その後に続いたのが,上に引用した一文。「当分,まとまりません」というマニフェストにしか聞こえない。 |
05月03日(木) ヘッドフォン |
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生活感の乏しさをメルクマークとしていた徹だったが,彼のアパートに寄ると堆積する埃や水垢にいかんともしがたい生活感を感じることしばしばだった。生活感のない女の子がタイプだと,どうしてそんな話になったのか経過は記憶にないが,徹にしてはめずらしくそれだけは譲れないといった調子でいう。 「近場でいうと誰なんだよ」 伸浩がすかさず突っ込む。 「女子プロ界の聖子ちゃんを選ぶみたいなものじゃないか,それは。選択肢が限られ過ぎだ」 「で,誰なんだ,いってみろよ」 こんなときの伸浩は不毛なばかりにいきいきとしている。 「生活感がないというと,そこだけみれば林崎さんあたりか」 自分でいって徹は笑い出す。 林崎さんと話した記憶などほとんどない。あるのは,手先だけの妙なリアクションと,奥目で黒目がちなようすが,PINK FLOYDのロジャー・ウォーターズに似ていたことくらいだ。 芳弘がファンだったこともあり,PINK FLOYDのアルバムは高校生の頃からそこそこ聴いていたものの,最近までほとんど話題にすることはなかった。先日のこと。Youtubeで,“p”で検索をかけたところ,以前,必要があって探したときの記録が残っていて,検索窓に“pink floyd”が現れた。暇つぶしにチェックすると,LIVE8に4人のメンバーが揃って登場したライブがあがっていた。しばらく見ているとラストの曲は“Comfortably Numb”。“THE WALL”を最後に聴いたのはいつだっただろう,などと思っていたところ,02:25,それは起こった。 野外でモニターが返ってこないためかだろうか(耳が遠くなったためじゃないだろう),スタートからロジャー・ウォーターズとドラムのニック・メイスンは耳にヘッドフォン(イヤフォン)を付けていた。ところが,“Comfortably Numb”の02:25,ニック・メイスンはドラムを叩きながら,やおらヘッドフォンを振り外す。その様子を押さえたカット。テンポが早いわけでも何でもない曲だけれど,非道く格好いい。そこから最後まで,PINK FLOYDってこんなに格好よいバンドだっただろうかと思いながら,音を聴き続けた。 |
05月07日(月) グラフィティ |
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アニメーション「ガンバの冒険」は,原作・斎藤惇夫『冒険者たち~ガンバと15ひきの仲間』に登場するキャラクターを7匹のまとめあげて制作された。15匹では物語が煩雑に鳴ってしまうことは否めない。これは決して間違った選択ではあるまい。 グラフィティとして長編小説『マイク・ハマーへ伝言』があまりに見事だったため,爾来,矢作俊彦による短編の登場人物を,かの長編の誰彼の描かれざる物語として読み続けてきた。これは私の特殊な読み方では決してなく,光文社文庫版『神様のピンチヒッター』の解説を書いた井家上隆幸も似たようなことを記している。文庫本刊行後しばらくのち,ビデオシネマ作品としてまとめられた「神様のピチヒッター」の登場人物名が,『マイク・ハマーへ伝言』になぞらえていたあたりから,その思いは加速した。 いつ単行本にまとめられるか定かではないが「ウリシス911」は,これまで発表された短編,中編,未完の長編をもとに,アポロ11号が月面に着陸する前日の午前2時から当日の夜までを,複数の視点で構成した物語だ。手持ちは連載の2/3ほどだけれど,登場人物名を順に列記すると,以下のようになる。 ・洋二 ・昌史 ・冴美 ・諒 ・爽 ・達哉(達也) ・礼子 ・サム ・皓一 ・アール ・織原(おばら) ・圭子 ・今日子 ・彼 ・甲村 ・アヒナ ・志垣 ・黄洪全 ・片桐 ・鄒邦富 ・谷岡 ・川本 ・エリマキ 慣れ親しんだキャラクターを当てはめるという愚行をすると, ・洋二 → 英二 ・昌史 → 雅史 ・諒 → ? ・爽 → マイク・ハマー+傑 ・達哉(達也)→ 克哉 ・礼子 → 礼子 ・皓一 → 英二 こんな具合だろうか。 |
05月09日(水) 2冊 |
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「うゎあ,どっちも面白いんだ」 予約していた本が戻ってきたとの連絡に,家内が図書館へ取りに行ったのは,どんな内容の本か知らない。娘は続けてこんなことを言う。 「2冊いっぺんに読みたい。片方の目で1冊ずつ読めないかな」 返答のしようがない。 |
05月10日(木) 五月書房 |
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昭和60年代の終わり,神保町で手に入れた『辻潤全集』の何冊かは本棚に,残りは親元に堆積した数多の本のなかに揃っている筈だ。このときに古本屋が出したレシートを,当時,確定申告をしていた芳弘から電話口で「今度,持ってきて,俺にくれないか」と言われたときに,何だか一人で食べてゆくのはさぞ,大変なのだろうと感じた。 だけれど,それは倉多江美のマンガの登場人物の台詞を借りれば「意味が違う」。しばらく後,六本木WAVEを出たあたりで別れて,以後,15年以上,芳弘とは会っていない。 この全集を刊行していたのが五月書房だ。 時間待ちに立ち寄った本屋の平台で『仮面ライダー響鬼の事情』(片岡力)を目にしたとき,だから内容よりも何も,同じ五月書房なのだろうか,と思った。奥付を見ると,住所が千代田区猿楽町になっていた。なぜか,私の記憶は,辻潤全集→五月書房→猿楽町,と繋がっている。 次に,五月書房が,こういうテーマの本を出すのだ,と。そして,五月書房が出すのだから面白いかも知れない。 結局,こうやって,本を買ってしまう。もちろん本体2,400円の本を,先だっての臨時収入がなければ,容易くレジに持ってはいかなかったと思うけれど。 |
05月14日(月) こい |
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まだ保育園に上がって間もない娘を伴い,家内の友人の披露宴に呼ばれたのは7,8年前のこと。竹下通りを一本入った並びにあるデコラティブな建物のなか,およそ主人公らしくはみえない低姿勢で,あちこち走り回るご主人の姿だけは覚えている。 家内の友人は,見た目は美形で通るのに,話し始めた途端,素っ頓狂になる。 初めて家にやってきたとき,どうすれば,彼女の家では烏骨鶏を買っていて(自宅は山手線内ではないものの,せいぜい1,2キロ離れた程度の場所にあるというのだ),毎朝,その卵を食べているなんて話になるのだろう。好きな食べ物を尋ねると,間髪入れずこう答えた。 「私,鯉コク」 突っ込みようがありはしない。 |
05月16日(水) 漢字 |
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「いちばん読み方が多い漢字,さて何でしょう」 「ヒントは?」 「へんとつくりはありません」 「??」 「判らないのパパ」 「語」 「へんあるじゃん。2つしか読み方ないし」 「人」 「ちがう」 「判んないな」 「正解は“生”です」 ほんとかよ。 |
05月20日(日) Person to person |
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何をしているかといえば,相も変わらず,10数年前につくった曲をパソコンに取り込みミキシング三昧。 “Person to person”のタイトルの由来はYMO。散開ライブのサポートドラマーだったデヴィッド・パーマーが当時,立ち上げた新しいバンドがあって,その名前がPerson to personだった。もちろん音を聞いた記憶はなく,実際にバンドが活動したかさえ定かじゃない。 どうしてこの曲ができあがったのか,経緯も何も忘れまくり,ただデータだけが残っていたので,それに少し手を加えて短い曲にしてしまった。 ↓ データ調整中 |
05月22日(火) Sleepy head |
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Improvisation#1が“Sleepy Head”に成り代わった経緯は,まだまだ進行中のため,まとめがつかない。 ↓ データ調整中 |
05月24日(木) 読書 |
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「まず,基本的なことだが臨床心理士の資格は今のところ国家資格ではなく,民間の資格である。そのため国家資格化をめぐって,それぞれの立場で攻防が繰り広げられている。(中略)多少荒っぽい言い方をすると,現在の臨床心理士の資格は,文部省と太いパイプを持つ一部の学派が関係各位と合作したものであり,それ自体利権の巣窟である。彼らは多くの弟子の就職口を確保し,自派のマーケットと再生産システムを構築することができるのだから。(後略)」 本上まもる『〈ポストモダン〉とは何だったのか』PHP新書,p.135-136 妙に感心してしまったのは,このごくあたりまえで,それなのにあまり語られていない指摘が,このようなテーマの本のなかに出てきたことだ。 |
05月27日(日) 記事 |
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ときどき娘に尋ねると,読んでいる物語のあらすじがそこそこ伝わるように返事をするので感心してしまう。私はというと,小説やらエッセイやら,日がな読んでいるのに片っ端から思い出せないことしばしばだ。少なくとも,娘のように要約しては語れはしまい(と,店頭でモームの“要約すると”が“サミングアップ”のタイトルで岩波文庫から出ていたけれど,内容はさておき,情けないタイトルの付け方に,なんだかなあと思った)。 これは雑誌の記事を読むことで,気づかぬうちに身に付いてしまった習慣だと思い至ったのは最近だ。主に情報誌によるものに違いないと思うのだけれど,短い時間で単語を追いながらざっと斜め読みし,関心ある情報に辿り着くという読み方に慣れてしまうと,単行本を一通り読んでも,必要な情報(単語)にかかわる以外の文章の記憶は残らなくなってくる。雑誌を読むように単行本を捲っているつもりはまったくなかったけれど。 こうした読み方に唯一,メリットがあるとすれば,途中で投げ出さず読み終えた本を冒頭に戻って再び読み始めても,つまらないは感じないこと。それどころか,再読でようやく全体像が伝わってきたりするものだから,同じ本を1,2週間持ち歩く。で,文庫本は2回続けて読むと,かなり傷むのはどうしたものだろう。 |
05月29日(火) Sleepy head 2 |
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Imprivisation#1に手をいれてみようというアイディアは以前からあった。一歩が踏み出せぬまま15年以上経ってしまったのだ。だから,はじめてスタジオで演奏して以来,一貫してなかったのはメロディだと思う。 事の起こりは波止場であるはずもなく,それでも,夕方になると汐の香りが漂う酒場での何気ないやりとりからだった。彼女は,学生時代から趣味で(!)作詞を手がけていたものの,社会人になってから最近までそんなタイミングはなかったという話になった。前後の話題は記憶にないものの,これは囁かない手はない。 「歌詞をつくってみないかね」 帰りに,深い地下鉄の車両のなか,2つ返事で諒解を取り付けたのは,決して私の誘いが巧みであったわけでなく,単なるタイミングだろう。 数日後,歌詞とともに“Sleepy head”というタイトルまで頂戴した。 そのまま,データを打ち込み直して,ボーカリストを探せばよいものを,どうした訳か,歌詞に合わせて,Improvisation#1にはなかったメロディを仕立てあげた。とはいっても,賞味2分の曲。 週末に紆余曲折あって,先のデータとは少しアレンジを変えてしまった。いまのところ,このアレンジでボーカリストに打診中。 ↓ データ調整中 |
05月31日(木) 評論 |
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ウィキペディアの「矢作俊彦」の項目を読むと,『あ・じゃ・ぱ!』と『ららら科學の子』に関連して,福田和也の評価が特に取り上げられている。自分の記憶と照らし合わせると,どこか違和感を感じる。もしかすると,福田和也の紹介文を通して矢作俊彦の小説に触れた読者が少なからずいるのかもしれない。でも,福田和也はマルカム・カウリーのような役割を担っているわけでもなく,単なる小説家のファンだと思うのだ。 |
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