2007年7月

2007年7月

07月01日(日) と  Status Weather晴れ

いうわけど,『サムライ・ノングラータ』を読み終えた。妙な誤植があって,原稿をスキャナで読み込み,OCRソフトでデータ化したのだろうか。



07月03日(火) 音楽  Status Weather晴れ

 Watermarksにボーカルを被せてもらったのは少し前のこと。素晴らしい出来の歌詞に悩みまくっていた彼に,メロディを伝えていなかと気づいたのはスタジオに入ってから。それは悩むに違いない。
 ラインや音量,バランスをチェックしながら数回流したものの,今ひとつ気持ちが決まらないようだった。
 「すみません。歌えません」
 彼はいう。足して2で割ると40歳になるサラリーマンが2人。パソコン以外の楽器を持ち込まず,スタジオで面と向かってそう言われると返す言葉はない。なのに予約した時間がくるまで1時間半はある。しばらく後,「フレーズごとになら歌えそうなんですが」そういう彼の言葉を逃す手はない。2つ返事で諒解した。
 つくってもらった歌詞をばらして,ワンフレーズごと録音するという作業が始まった。
 ところが,ここで気づいたのだ。彼を悩ませていた大きな一因が,メロディを生み出すことにあると。歌いはじめたメロディは,私が想像していたもの,つまり,ガイドととして音源に乗せていたものとまったく異なった。思わず私は笑ってしまった。いったい,このメロディを彼はどこから考えついたのだろう。
 質す必要なんてありはしない。

 家に戻り,フレーズごとに,元のトラックに継ぎ足すと,断片がひとつのメロディになった。だから,できあがった歌は,私が考えていたものでも,作詞家が考えていたものでも,はたまた,ボーカリストが考えていたものでもなかった。



07月05日(木) 記憶  Status Weather晴れ

 初手から話をしようとは考えていなかった。聞き役にまわろうと思っていたのだけれど,気づくと言葉を重ねていた。会社帰りに待ち合わせた知人と,あれこれ話しはじめたところ,結局,4時間半。おかげであれこれ忘れていた記憶が甦ってきた。



07月06日(金) コピー  Status Weather晴れ

 平沢進がギターを弾きながら歌う姿を何度見たことだろう。田島が原からはじまり,大宮フリークス,新宿ロフト,渋谷LIVE INN,LaMama,クアトロ……。1985年から88年まで,幾度となくライブハウスの扉を押した。ロバート・フリップはボーカルをとらなかったので,ギターを弾きながらボーカルをとるミュージシャンというと,まず平沢の姿を思い出すのだ。
 彼の運指はとにかく捻くれていて,フレットを飛びまくる。私はギターを手にしたのが遅かったので,彼らが演奏する姿を思い出しては,コピーなどできはしないと諦めるところから練習をはじめた。

 ところが先日のこと。ギターを弾きながら歌うミュージシャンの曲を耳コピーするコツを知人から聞いて唖然とした。つまり,歌を歌いながらギターを弾くのだから押さえやすいコードに移るだろうと読んで,フレットで音を探っていくというのだ。それで意外と音はとれるのだという。

 そんなふうに考えたことなど一度もなかった。いや,まったく。



07月07日(土) 脳と胡桃  Status Weather晴れ

 サラダに添えられた胡桃を見ると,脳を思い浮かべるというのは,やけに印象的な一言。



07月10日(火) 手品  Status Weather曇りのち雨

 生まれたときから手品師というイメージと,人知れず練習して名を遂げた手品師。同じ手品師でも,とらえている印象はそれぞれ違うものだ。



07月12日(木) Person to person 3くらい  Status Weather雨のち曇り

 “並び泳ぐ群れの 見せる絵に意図はなく”というのは,P-MODELの“FISH SONG”という曲の一節。
 音楽のスケッチをつくり,共同作業でギターやらボーカルを入れてもらうと,当初,あったかどうか定かでない意図を越えて,面白い曲になるから不思議だ。こういうときの感覚は,2度目のスタジオ入りで,バウハウスの“テラ・カップル…”をカバーした際に感じた,ギターを弾いて,ベースとドラムが被されば曲になるのだ,という至極あたりまえだけれど,とても面白いsensationと同じ。

 10年近く前にスケッチをつくり,あれこれ手を加えた“Person to Person”にギターと歌詞,ボーカル(メロディ)をそれぞれ付けてもらった。
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 データ調整中

 フルコーラスあるのだけれど,最初のところだけ。メロディがあるのはいいものだ。



07月14日(土) 磨かれた時間  Status Weather

 しばらく前に買い求めたKAWADE道の手帖『中井英夫』を少しずつ読んでいたところ,書棚に並べたままの『磨かれた時間』を数年振りに取り出してページを捲る。刊行されたときは,さっと一回読んで終わりといった感じだったのだけれど,全体にわたる1980年代の雰囲気の色濃さゆえ,とても新鮮だった。



07月16日(月) アルティミノ  Status Weather晴れ

 弟夫妻は結婚式をあげるからその地に宿泊したものの,私を含めた親戚一同はフィレンツェの町中からバスではるばる山の中腹までやってきた。式を終えて,時間があったのでワイナリーに案内された。こちらで一杯,あちらでもう一杯。食事会用に借りた部屋に辿り着いたときには,だからすでにいい案配にできあがっていた。
 多くはないもののイタリアで飲んだワインのうち,このときのワインの旨さといったら筆舌に尽くし難いものだった。ところが,われわれを待っていたのはワインと食事の至福だけではなかった。
 アルティミノはフィレンツェの郊外に位置する。ホテルまで山道を下りながらバスに揺られ数十分。いい気持ちだった筈の私の胃袋は,ドゥオモまでもう一歩というあたりで悲鳴をあげていた。蒼ざめた顔でホテルまで辿り着き,トイレへ駆け込んだ。



07月17日(火) バルザック  Status Weather曇りのち雨

 「はっきりいってしまえば私のバルザック嫌いは,ただ単に彼がデブだということを発見したためなのだから。」
  中井英夫『地下を旅して』p.123,立風書房,1980.



07月19日(木) 背中  Status Weather曇り

 先日のこと。
 週末に,ニューヨークで生まれた姪が義妹とともにやってきた。まだ2歳半の彼女は,当然だけれども,以前会ったときと比較するとはるかに言葉が次から次へと飛び出してくる。クイーンズで日本人ばかりの保育園に通っているためか,ほとんどは日本語だ。やけに否定形が続くのが面白い。
 「それは今度にしようよ」
 「今度にしない。今する」
 全体,そんな感じだ。

 義妹は姪を連れて西荻窪の友人宅へでかけたので,帰りに吉祥寺で待ち合わせることにした。この10年あまり,おそろしく変化を遂げた東急あたりをあちこちぶらついていると家内の携帯電話に義妹から連絡が入った。
 つかれた様子を見せなかった姪だけれど,帰りの電車のなかで眠ってしまう。本当に久しぶりに小さな子を抱えて,そのまま家まで戻った。同じ頃,娘を連れて買い物に出かけた帰りの記憶と比べると,姪は少し軽いように感じた。

 ところで,娘は眠りにつく前,背中を軽くトントンと叩いていると,しばらくすると眠ってしまう。どうしてなのか,いまだよく判らない。



07月23日(月) IT MUST BE LOVE  Status Weather曇り

 思わず笑ってしまった。




07月28日(土) 夏  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 Madnessの“The dagermen sessions”を聴きながら部屋を掃除していると,埃を被ったCDラックからピアソラのベスト盤を引っぱり出してしまった。涼しげでノスタルジックな弦のアレンジが,実のところバンドネオンより気に入っているのだ。
 20年くらい前,夏になるとラテン・ミュージックを特集した帯番組があって,エアチェックするとそこそこのボリュームになった。その夏は,カセットテープを聴きながら松本清張の戦後史ものと,杉作J太郎の漫画を読んだ。以来,そう多くはないけれど松本清張の文章を読むと,杉作J太郎描くところ松本清六の姿を思い出してしまう。
 矢田喜美雄の『謀殺 下山事件?日本の熱い日々』(講談社文庫)が文庫化されて以後,松本清六の顔を思い出してしまいながら何冊かの下山事件に関する本を捲った。ただ,どうもそれぞれに展開される理由がピンとこない。内容もあらかた忘れてしまった。

 森達也がどうして下山事件についての本を出すのだろう,と思って後,数年のあいだに数冊の単行本がまとめられた。それぞれ文庫本になってから読んだものの,やはりよく判らない。ただ,最近出た『何もしらなかった日本人』『下山事件最後の証言 完全版』(詳伝社文庫)はそれまでの本に比べると辿りやすかった。



07月29日(日) INU  Status Weather晴れのち雨

 町田町蔵のライブは,絶望一直線時代(バンド名)に一度見ただけ。INUのライブアルバムは溝の浅いものを昌己がもっていて借りた記憶はあるのだけれど。「気い狂いて」の“なるほどな”は,間の手として未だに活用している。






07月31日(火) 20年  Status Weather晴れ

 感覚というのは妙なもので,つい最近までこの20年はぴったりとくっつきはしないまでも,そこそこ繋がっているように感じていた。少なくとも離れてはいなかった。
 でも最近,やはり20年経つと,そりゃいろいろ変わっているのだと実感する。今更ながらではあるけれど。
 とはいえ,仕事でも私用でも相変わらず携帯電話はもたず,最近は時計さえ携えなくなったのは退化かもしれない。




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