2007年8月

08月02日(木) 先生  Status Weather晴れのち曇り

 娘が言う。
 「山本ルンルン先生!!!!」

 山本?? ルンルン??? 一体誰なんだ??? 



08月03日(金) 方向  Status Weather晴れ

 JR代々木駅近くに集合して打ち合わせをした際のこと。東京23区生まれであろうその女性は,交差点を渡るなり,「この先に六本木があるんですよね」。
 確かに,名古屋に比べればこの先だよなあと思いながら信号が赤に変わるのに追い立てられる。と,「この前,東麻布から青山一丁目まで歩いたんです。そのとき,ここ通ったんですよね。覚えてます」。

 いったい,どういう道順を辿ったのか,それは知りたかった。



08月05日(日) カルカドル  Status Weather晴れ

 P-MODELのアルバム“カルカドル”を聴いたときのそれぞれの反応が面白かった。昌己は“LEAK”が気に入り,祐一は“1778-1985”がよかったという。私は“サイボーグ”。10曲入っているアルバムで,そんな具合に好みは分かれるのだ。
 ただ,その後,ライブに足しげく通ううちに皆,結局,その頃のP-MODELの曲と演奏が好きになっていくのだけれど。

 最近のこと。“カルカドル”が紙ジャケットで再発された。以前出たCDはレコードに比べて音圧が高くなっていた記憶があるが,今回のリマスタリングで,さらにメリハリが効いたように思う。週末に手に入れて,久々に聴いたのだけれど,まあ格好よいこと。カルカドルとは,夢に登場した鳥に,平沢が付けた名前だった筈。
 



08月06日(月) 雄三  Status Weather晴れ

 まだ,「知ってるつもり」という番組が放送されていた頃のこと。月曜日になると,しきりに徹はこういった。
 「まただよ,まったくさぁ」

 徹は好きでもないのに,半ば癖のように毎週その番組を見ているのだという。もちろん私も喬司も,いや,ほとんどの仲間は見てはいなかった。
 「毎週毎週,若大将が出てくるんだ」徹が呟く。
 「すみちゃんは出ねえんかい」
 喬司の突っ込みもいつになく寂しいものだった。
 「ああ。それで,毎回こう振られるんだ。“加山さんご存知でしたか”」
 「で,どう答えるんだよ」
 「いつもいつも,“いいえ,はじめて聞きました”って,お前さあ,若大将,何もしらねえんだ,いいのかよ,それで。こ奴と勘九郎の,物事の知らなさ加減は,いったいどうすりゃいいんだって,見ていてハラハラするんだ」



08月07日(火) 創作  Status Weather晴れ

 娘がときどき書きなぐる物語の出だしは,なかなか面白くなりそうに思うのだけれど,せいぜい3ページ程度で後が続かない。居間に放ってあるのはこんな具合。

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 配達の天使ものがたり

 ぽとん。
 「天使さん来てくれるかなぁ」
 ここはあとある小さな町。ここではむかしから「配達の天使」という天使がいるとつたえられています。みくよは,その天使を見たくて,はるばる,とおくからこの町にひっこしてきたのです。
 ひっこしてから3ヶ月。みくよは,ずっと「配達の天使」に手紙を書いておくっています。さいきん,みくよは
 「「配達の天使」って本当にいるのかなぁ」
 と思いはじめていました。
 ここで,みくよのしょうかいをしておきましょう。

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と,ここまで。みくよが誰で,何がどうなのかまったく判らない。



08月09日(木) 表紙  Status Weather晴れ

 矢作俊彦の「常夏の豚」を読むために雑誌「文學界」を再び買いはじめて9か月(もちろん,その前は「ららら科學の子」を連載していた当時だから10年くらい前)。毎号の表紙を内藤礼のオブジェが飾っている。15,6年前,角川文庫でほとんどはじめて彼女のオブジェを見て以来,ときどき何か判らないのだけれど何かを思い出す。その文庫本,『世界によってみられた夢』は後にちくま文庫で復刊された記憶がある。
 ミニマルからエレクトロニカに接近してきた,音で譬えるとそんな感じがする。



08月11日(土) 虫  Status Weather晴れ

 江戸川乱歩の“大人の”小説で最初に読んだのは「鏡地獄」で,よほど嫌だったのだろう,本の紹介ノートに「絶対,この小説は読まない」と書いたのは「虫」だった。もちろん,以前も書いたとおり,これが昭和初期のストーカー小説だと腑に落ちたのは10数年後のこと。ということは前言撤回,何度も読み返したのだ。

 「昆虫って,もともと地球上に生息していたものじゃないんですって。私,そうじゃないかなって思ってたんです。ときどき監視されているような気がすることありませんか?」
 「まあ,監視されて得ることあるような生活送ってないのでね」
 「それじゃ判りませんね。でも,今度,近くに虫が近づいてきたら,よぉく眺めてみてください。怪しいですよ」
 と,喫茶店のテーブルを小蠅が横切る。
 「ほら,聞かれてしまったかも知れないけど」
 「じゃあ幼虫は?」
 「あれはねぇ,また不思議なんですよ」
 確かに「妖虫」は不思議な話ではあるものの,これは“ようちゅう”違いだ。

 そのホテルでは,朝7時50分に集合し,カブトムシ採集に出かけるという企画があった。私に経験では,カブトムシやクワガタを採りにいくのなら日が昇る少し前には出かけなければならない筈。百歩譲って近場であっても,5時前後には目的の木に着いて,幹に昆虫がいなければ,何が落ちてくるか半分こわごわしながら木を蹴る。森や林には目当ての昆虫だけが生息しているわけじゃない。ここまで30分もかかるかどうか。
 何でも,夏休みの企画用にホテルで幼虫から育てている昆虫を林の一角に毎日放っているのだという。メスは見つけにくいので,別に箱に入れられたものを一人一匹取って,虫かごに入れてきたと,参加した娘が言う。
 「クワガタのメスは木の皮を剥がすといることが多いのだけど,そこには他の虫やら生き物がいることもあって」「木を蹴ると,なぜか蛙が落ちてきたり」そういう昆虫採集とはまったく次元が違うようだけれど,それなりにうれしいようだ。
 「カブトムシのエサは,一日分もらったんだけど,もっと売っていないのかな」
 と,虫かごには見た目も量をそっくり一口ゼリーのようなものが。「スイカは甘すぎるからあげちゃだめなんだって。バナナかメロン,リンゴがいいって言われたよ」
 知らぬ間に食い物まで変わったのだ。そんなことあるだろうか。



08月12日(日) ルームランナーはどこへも行かない  Status Weather晴れ

 両手離しで乗る程度は当たり前,マンガ雑誌を読みながら,時には目を瞑って運転したこともある。それで大きな事故に遭遇したのは2回。この数字が大きいかどうかは判断しかねるけれど,自動車免許を取った後も移動手段として自転車が担う割合は変わることなく大きかった。
 学生時代,夏休みになると国道に沿って私鉄4?5駅程度の距離なら日常的に移動しながら,それでも目当ては古本屋以外なかったのだから,まあ安穏とした生活だったのだ。
 杉作J太郎がイメージする東京の図よろしく,坂が続く町ではいきおい自転車での移動が億劫になってくる。今の町に引っ越してきてから,地下鉄・私鉄前後1駅程度しか自転車で遠出しなくなったのはそんなところに理由がある。もちろん,町に古本屋が激減したことが大前提にあるのだけれど。

 家族で出かけた先にフィットネス施設があったので,生まれてはじめて足を踏み入れた。ルームランナーを走り,自転車を漕ぎ,さて何はともあれいったい自分の体力がどんな調子なのだろうと,耳にクリップをはさみ(よく判らなかったけれど,あれはサチュレーションみたいなものなのだろうか)指示通りに漕ぎ出して数分。別に疲れもせず,少し心拍数があがったかなと思っていたところ,結果は6段階で最低。こちらが運動をまったくしていないことはバレバレだ。
 
 最近,後ろ姿をみて,服の上からでも脇の下にたるみがある人がいるとホッとしていたのだけれど(また,町中には意外とそんな人が多いのだ),そんなことしている場合ではないようだ。



08月13日(月) ウォーター  Status Weather晴れ

 その年の夏のこと。いかもの創作のアイディアには事欠かない徹にも思いつかなかった飲料水が登場した。
 「どうして最初から原液じゃなくて,薄めて売らなかったんだろう」
 言われてみると確かにその通り。カルピスを原液で売る商売を始めた動機はどこにあったのだろうか。
 カルピスウォーターは,至極当たり前のネーミングと相まって,ウイリー以来,久々にわれわれに欠かせない飲み物となった。



08月17日(金) モロッコ  Status Weather晴れ

 「論座」を処分した際に切りとった「百愁のキャプテン」(矢作俊彦)を読み直していると,連載第1回にこんな一節があった。

 「西から光が走ってきて,彼を立ち止まらせた。キタイスカヤ通りでは早い夕暮れが始まっていた。槐の並木の端くれに黄金色の輝きが瞬き,街並をことごとく影にしていた。彼は面包街の角まで行き,額に手をかざしてあたりを見回した。そこはキャフェの卓子に角を丸くされた十字路で,することのない老人や,買物帰りの主婦,古本屋めぐりの若者たちが行き交うありふれた哈爾浜の街角だったが,手の切れそうな鋭い夕日が,その風情をアメリカ映画好みの抜け目のないパノラマにしていた。」

 “キャフェの卓子に角を丸くされた十字路”,こういう表現を読むと,矢作俊彦だなあ,と実感するのだ。

 この少し前,こんなくだりがある。

 「九月の“キャピトオル”の銀幕では,ゲリー・クーパーがナイフで小卓に踊り子の名を刻んでいた。
 やがて,それは大きなハートで囲まれるだろう。なるほど,騒がしいキャバレーで椅子席に陣取り,一人で時を費やすには贅沢な方法だ。しかにその夜の彼にナイフはなく,酒もなかった。(後略)」

 この連載から遡ること15年前,「眠れる森のスパイ」の冒頭。

 「二十四面のブラウン管の上で,二十四人のゲイリー・クーパーがナイフを立て,卓子(テーブル)に踊り子の名を刻みつけていた。彼女の名はアミー=ジョリィ,彼はそれを大きなハートで囲む肚(はら)づもりだった。
 教えられるまでもなく,騒がしいキャバレーの椅子席に陣取り,一人ぽっちで時を費やすにはうらやましいほど贅沢な方法だったが,あいにく私にナイフはなく,酒もなく,向いの卓子はルイジ・コラーニも青ざめるような形のオール・ステンレスだった」



08月19日(日) 経過  Status Weather晴れ

 石森章太郎の漫画を読んでばかりいた頃,コマとコマの繋ぎ方だけを眺めては,溜息を吐いていた。それが構図ならば,大友克洋が『童夢』で描いた“見られている方の視線”や,高野文子の『黄色い本』あたりを思い浮かべるものの,繋ぎ方に関して(だけ)は,ある時期の石森章太郎のそれに代替可能な漫画にはいまだ出会っていない。
 矢作俊彦の「百愁のキャプテン」は,ボネガットよろしく,いくつもの時間が錯綜して話が進むのだけれど,それは記憶が記憶を生むような繋がりというより,むしろカット繋ぎのような案配だと思う。
 元来,矢作俊彦の小説は,一部(『あ・じゃ・ぱん』など)を除き,限られた時間(せいぜい数日)を縦糸に物語を動かしながら,記憶を横糸に何重にもエピソードを巡らせていく手法をとることが多い。その喩えにならうなら「百愁のキャプテン」の縦糸は映画「カサブランカ」の上映時間+α程度。ところが,物語は中国はいわずもがな,関東大震災から,パリ,コンスタンチノープルと,それは記憶のなかの横糸ではなく,物語の時間に食い込む密度で展開される。
 で,思い出すのがボネガットの小説ではあるのだけれど,場面の展開手法はもっとていねいに映画的で,いきおいそれは石森章太郎のコマ繋ぎに似ていると感じた。



08月22日(水) 街並  Status Weather晴れ

 「このあたりには,まだ昭和の街並が残っています」
 図書館で手にした本にそう記されているのを読んで,昭和の街並がどのようなものを指すのか,今ひとつピンとこなかった。



08月23日(木) 手紙  Status Weather晴れ

 辻邦生の『夏の砦』(新潮文庫)は,留学先の北欧で失踪した日本人女性が残した日記をたよりにして物語が進む。日記ではなくて,彼女から送られてきた手紙だけで謎が解き明かされていくなら面白いのではないかと,そのあたりまでは10代後半で考えた。

 その後,当時の上司が,仕事上送った手紙(手書きのもの)を,投函する前にコピーしているのをみて驚いたことがある。つまり上司の手元には,送った手紙と,その手紙への返事が一緒になっているのだ。仕事上のことだから,不測の事態に備えてそういうことをしていたのだろうとは思うものの,出した手紙の控えをとっておくという発想が私には正直,あまり理解できなかった。
 ところが,メールで友人や仕事のやりとりをするようになると,自分が出した文面を参照できることのメリットを痛感することになるのだから,まあ,私の感覚なんて,その程度のものなのだ。



08月24日(金) 手紙 2  Status Weather晴れ

 ロキシー・ミュージックの曲に“Same Old Scene”というのがあって,この曲のプロモーションビデオは,オープン・リールが回っているところから始まる。学生の頃,裕一はアパートに4トラックのオープン・リールをもっていて,ある時期,その部屋は録音スタジオ代わりになったことが何度かある。

 最近のこと。裕一が暮らす町に出張することになった。都合があえば,久々に話したいと思い,少しずつミックスし直した曲をCD-Rに焼き,宿泊先などを記した手紙を一緒に投函したのは結局,出発の3日前になってしまった。
 出張であっても携帯電話は持ち合わせていないのはいつもと同じ。裕一の家の電話番号なんて,とっくに忘れてしまっているので,連絡をとるとなるとホテルのフロントを通じて以外,やりようがない。そう書いたことは記憶していた。
 で,出張先のホテルへチェックインしたものの,裕一からの連絡は入っていなかった。忙しいのだろうと思いながらも,それでも夜7時くらいまでは部屋にいた。手持ち無沙汰だったので,バッグのなかに押し込んだあれこれを整理していると,三つ折りにしたA4の紙が出てきた。それは裕一に送ったはずのものだった。では,私は何をCD-Rと一緒にして送ってしまったのだろう。
 もちろん,裕一は私が近くにきているはもちろん,CD-Rを急に送った理由さえ判るまい。送った手紙のコピー云々の前に,間違いなく手紙を送っていないとは。
 で,私はいったい,どんな内容が書かれた紙を同封し送ってしまったのだろう?



08月30日(木) カルカドル 2  Status Weather曇りのち雨

 そこに立ち返ることができる音を抱え込んでいるのは,逃避じゃないかと思いながらも,一方で,とても幸福なことだと密かに感じる。いまだに昭和60年代のP-MODELを聴くたび,甦るのは「まあ,おおむねこんなもの」という一言だ。
 ただし,厳密にいうとこれは平成元年に発せられたもの。




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