2007年10月
10月01日(月) 東京タワー 2 |
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子どもの頃,関西から親戚の子が泊まりにきたときのこと。親に連れられて出かけた東京タワーでそれは起こった。エレベータが混んでいるという理由ただそれだけで,両親は階段を昇り展望台までいくことを決めてしまった。ホテルニューオータニの展望レストランでさえ気づかなかった高所恐怖症と,爾来,私は二人三脚で闊歩することになった。 マリンタワーなら,昇らずとも鳥禽類の叫び声を横目に話題には事欠かない。しかし,東京タワーへ夜の7時すぎに出かけ,エレベータを避けて,いったいどこへ行けばよいというのだろう。数年前のその夜,まだ改装前のことで,修学旅行生相手にしかその存在理由を示すことができなかった売店が幅をきかせていた。 飛行機ならば,タンカレーのミニボトルとトニックウォーターを片手にやりすごすことも不可能ではない。実際,そのようにして大雨のドゴール空港を飛び立ったこともある。だから,金を払ってまでエレベータに乗ったのは,確かに好き好んでのことなのだ。 エンパイア・ステイト・ビルであっても同じこと。たとえそれが,悪意が呼び起こしたアンコールのようなものであったとしても。 |
10月03日(水) イン・ハイ |
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『サムライ・ノングラータ』に続き,『マンハッタン・オプ』が全四巻に編集しなおされ,ソフトバンク文庫から刊行されるという。谷口ジローの挿絵も掲載されるそうで,それはそれでうれしいのだけれど,「イン・ハイ」だけはせっかく「ルパン」掲載時は大友克洋が挿絵2葉を描いているのだから,これを機会に復活してほしかった。大友が描くアメリカ人はいつ見ても味がある。 |
10月05日(金) 東京タワー 3 |
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飯倉から神谷町へと下らずに,東京法務局港出張所に続く道を辿りながら,麻布十番まで歩くと,ようやく足下に力が入るようになった。ニッシン・ワールドデリカテッセンの横道から首都高速の下を流れる川を渡った突き当たりにその店はあった。京風の韓国料理店といった売りの店だったはずだ。カウンターと,混んでいるときは2階に少なくはないテーブルが据えられていて,そこへ通されるということだったが,私が店に行ったときにかぎっていえば,2階が使われていたことは一度もなかった。 たいてい店は,主がひとりできりもりしていた。酒を飲みながら一人で本を読んだり,数人であれこれ話すのにも手頃な構えだったので,月に一度くらいはそのカウンターを利用した。1年近く疎遠になっていた友人を連れ立って入った6月を最後に,次に川を渡ったとき,ドアには閉店の知らせが張られてあった。 陸の孤島と謳われたこのあたりの店は,地下鉄が通り,かつてを想像できないくらいに利便性が向上した後,結果,少しくらいこらえ性のある店であったはずが,突然,店を畳んだ。 エンパイア・ステイト・ビルを降り,タイムズ・スクエアの閑散とした案内所へと下った。チラシを漁りながら,さて,今夜の夕飯をどこで食おうかと考えていたとき,思い出したのは,どうしたことかその京風韓国料理店のことだった。 |
10月07日(日) バザール |
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このところ,家内が休日となると私立中学校の学園祭に行く。受験するにしても,娘はまだまだ時間があるのに,やけに熱心になってしまったものだと嘆息まじりに眺めていた。 ただ,学園祭から戻ってくると,資料だけでなく何だか荷物が多い。どうしたのか尋ねると,バザーで買ったのだという。そういわれてみると,学園祭に行くたびに,バザーのようすを聞かされたような気がする。 結局,学校見学半分に,あとの目的はバザーでの買い物だったようだ。いやはや。 |
10月08日(月) 拍子 |
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昨日,今日と,「経理部長とエッチな話」という大昔の曲のデータに,リズムトラックを被せて,ミックスしなおししていた。タイミングが適当なので,時間はかかる。夕方にようやく終わって,聞き直し,あることに気づいたのはさっきのこと。 オリジナルは100BPMなので,200BPMのリズムトラックをつくってかぶせていたのだ。それでもどうにもうまく合わないところがあって,もちろん容易く,そんな箇所には目を瞑った。で,原曲のメロディを辿っていたところ,3/4拍子だったのだ,この曲は。もちろん昨日つくったリズムトラックは4/4。合うはずがない。 ただ,そこそこ合っているのが不思議といえば不思議。 |
10月11日(木) 常夏の豚 |
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「文學界」連載中の「常夏の豚」,今月号中盤のカーチェイスシーン読みながら,思い出したのは『マイク・ハマーへ伝言』。 |
10月13日(土) ニセのオフィス |
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裕一に頼まれて歌詞をつくったことがある。カラオケはできていて,カセットテープを渡されたのは,P-MODELのライブに2日続けて出かけた新宿ロフトだったと思う。平日の夜だ。その日,私と昌己はそれぞれ仕事から直行した記憶がある。 その頃,江戸川乱歩の文庫全集が講談社から刊行されはじめた。怪人二十面相以下,改めて読み直して,「目羅博士の不思議な犯罪」を二十面相シリーズで脚色するというアイディアをもとにつくったのが「月光影男(ムーンライトシャドウマン)」。 COLA-L唯一のライブの際,裕一のバンドの演奏で,はじめて歌詞が付いたその曲を聴いた。 歌詞はすっかり忘れてしまったけれど,唯一,「ニセのオフィス」という言葉だけは,語呂がよくてときどく思い出す。 自分で“ニセのオフィス”法と名付けた文章作成方法がある。実のところ,4年半近く,このページは,その手法で打ち続けてきた。 固有名詞と,そこからイメージする記憶をAとB,C,3つくらい用意する。それを無理矢理,固有名詞でつなぐ。時系列はほとんど無視してしまう。私以外の登場人物は,そのとき隣にいた人を省いたり,別の人の発言を繋げたりもする。 今日の日記ですと断った以外の文章は多く,そんな感じでまとめたものだ。とおるは実際には徹ではないし,たかしも喬司ではない。まさきは昌己じゃない。 のぶひろは,なんだか伸浩そのままみたいだ(それでも漢字はもちろん違う)。 |
10月14日(日) 刺激と反射 |
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「うーん,今分かったけど,『奇妙な廃墟』(福田和也著)に唯一足りなかったのって,その視点だよね。麻薬は自滅的な依存性がないと酒より劣るってところ。一九三〇年以降,大恐慌の後ね,ある種のヨーロッパ人にとってファシズムとは麻薬だった。だから下手な左翼より,ファシストが書いた小説が面白かったんだよ。マラパルテなんか,二〇世紀も半ば近くになってしょっちゅう決闘やって怪我して喜んでいたんだぞ。体に悪いのに??いや,体に悪いからこそ,それに溺れたって点では,アンリ・ミショーのメスカリンと同じだったんだな,きっと。その視点がなあ。??まあ,彼は学者だから仕方ないけど。」 矢作俊彦・石丸元章「第17回三島由紀夫章受賞記念対談 文学V.S.麻薬Gメン――暗黒街の決闘」新潮7月号,p.172,2004. 「ルイ・フェルディナンよりクルツィオさ」 クルツィオ! 嗚呼,マラパルテ。二十世紀最後の決闘者。 断崖の大階段。紺碧の地中海。馴染みの小部屋。永遠に不在のテラス。おれの脳裏に,生々しく画像が結ばれた。 軽蔑。黄色い風呂場の,緋色の寝室の,漆黒の血に塗られたアルファロミオスパイダーの,青ざめたビーナスの丘。 そう! すべては,あの『俺に似た邸(カーサ・コメ・メ)』で起こったのだ。ベベ。BB。ブッブッブー。BBB。ブヒブヒブヒ。」 矢作俊彦「常夏の豚」文學界10月号,p.279,2007. |
10月16日(火) 東京タワー 4 |
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たとえ関西人といえども,入院したからには神妙になるのだろう。日頃なら,二言三言の会話にも,寝ぼけたまま朝,瓶に放り込んだスプーンから溢れ出たジャムよりもベタな小ネタを散りばめるに違いないその作者をして,その日は当時,看護婦と呼ばれていた受け持ちからの問いにあっさり答えたという。質問が食べ物の好みになったところで,彼の作者ははっきりと「スイカと牛乳と甘納豆が嫌いですねん」。どのような書式になっているのか判らないものの,そこで受け持ち看護婦は確かに筆記用具を動かしたと,その本には記されている。 そして,入院から3日間。作者は嘆息まじり記す。「毎朝牛乳が運ばれてきたし,あろうことか何日目かには大嫌いなスイカがデザートについたのだ。」この話にはオチがあって,別の看護婦が残したスイカを下げにきた際,「おいしいものは最後に食べるのですか」。 私は物心ついた頃から肉を食べるのが大嫌いだった。嫌いなものに理由などない。きっかけなど記憶にない。気づいたときから,ずっと嫌いだった。イギリス人のぼろ雑巾に譬えられる舌より,さらに貧弱な味覚を携えていたのかもしれない。思えば新幹線に乗ると鰻弁当を食べていたのは,それが甘辛いという理由だけだ。その子どもっぽさに加え,弁当箱の鰻の脂の質の悪さを感じるのに十分,私の胃袋は鈍感で丈夫だった。焼いた秋刀魚が食卓に出てくると,身よりも何よりも先に食べるのは火の通った目の玉。というより,そこしか私は食べなかった。そんな貧しい食生活を経てきたからかもしれない。 肉を嫌いだった私が,ファミリーレストランのメニューでビーフシチューを頼んだのはどうしたことだろう。十代を折り返そうというころのことだ。いまだ,その理由が思い出せない。というのも,そこにはもう一つ,死ぬほど嫌いだったほうれん草のバター炒めが必ず乗っかっていたのだから。 子どもの頃,母親は敵のように,弁当箱のなかにほうれん草のバター炒めを入れた。冷えてなお,無煙薫製のように臭いだけを少ない他のおかずになすりつける,その一角に,私は生まれてはじめて殺意のような何かを感じた。 当時,朝,学校に行くまで映っていたテレビで,春先になると必ずストの首謀者側代表と運輸大臣だかその代理とかが目を合わせずに主義主張を唱えていた。(そのときみた海部某の顔は覚えたくないのに忘れることができない)実力行使という言葉を覚えたのが,あの情けないやりとりを通してだったので,私はただ毎日,ほうれん草のバター炒めを残したままにした。結果,数十年後,母親から「お前,あれが嫌いだったのかい」。春闘を見習った実力行使など,せいぜい,この程度の結果しか生みはしない。 子どもの頃の私は,数十年後,エンパイア・ステイト・ビルに昇った後,韓国料理店で食事をする自分のことを一体,何者だと思うことだろう。 |
10月17日(水) マンハッタン・オプ |
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ソフトバンク文庫版の『マンハッタン・オプ Ⅰ』(矢作俊彦)を手に入れた。CBSソニー版『マンハッタン・オプ』(後の角川文庫版『マンハッタン・オプ Ⅰ』)をもとに,若干構成を変えたものだ。手元にある3冊を比べると,こんな具合になる。 CBSソニー版:表紙,奥付とも矢作俊彦と谷口ジローの連名になっている点が,後の文庫版と大きく異なる。タイトルに「Ⅰ」の文字は入っていない。 角川文庫版:クレジットが矢作俊彦の単著に変更された。それに伴ってか,本文中,谷口ジロー描くところのカットがかなり割愛されている。各短編の構成に変更はない。 ソフトバンク文庫版:角川文庫と同じくクレジットは矢作俊彦単著。『マンハッタン・オプ Ⅱ』から「SO WHAT」「STORMY WEATHER」が入り,「YES, INDEED」「GOD BLESS THE CHILD THAT'S GOD HIS OWN」が外れた。角川文庫版との大きな違いは,割愛された谷口ジローのカットが復活している点。表紙はCBSソニー版のイラストが使われているが,原図のトリミングサイズがCBSソニー版より大きい。 ソフトバンク文庫版の構成の変更に意味があるのかどうかは,読んでみないとなんともいえない。 |
10月19日(金) ブーメラン |
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最低の気分で一日を終えた。なんだか本式の日記のようだけれど。 |
10月20日(土) 東京タワー 5 |
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その写真の背景にはマスキングで描かれたかのようなマンハッタン,彼方にイースト川が映り,その先にはみえるのはクイーンズだ。 Cola-Lに(とりあえず)バンド名が決まる前のこと。 昌己と二人,何せそれしかメンバーはいないのだからしかたない,お互い案を出し合った。どうしても笑いに走ってしまうのは承知の上,昌己が出してきたいくつかの候補のなかに,こんなバンド名が紛れ込んでいた。Envelope and Dinners.無理矢理だけれど,便箋と晩ご飯,びんせんとばんごはん,ビンセント・ヴァン・ゴッホ。アルトー好きなのか,画家が好きなのか質したことはない。とはいえ,タンギーというと,昌己にとっては便箋じゃなくて,イヴのほう。 タンギーのマスキングというか,あの微妙な感じが本当に好きだということを聞いた記憶がある。 ヴェネチアのグッゲンハイム美術館,パリのポンピドーセンター,行く先々にタンギーの絵が飾られていた。ニューヨークのグッゲンハイム美術館に出かけたのに大した理由はない。ヴェネチアを見たしなあ,とか,フランク・ロイド・ライトの設計は縁があるから行っておこうか,とか,気分はまったく物見遊山。 チケットを買おうとすると,やけに安い。その理由はかたつむりの階段を昇るにつれ判ってきた。貸し出しの作品が多く,また,次の企画展の搬入を控えた真っ只中だったのだ。そんなときに客を入れるなよと思いながらも,階段を昇りながら残された絵を眺めた。と,どうしたことか,全体少ないなかで,なぜかタンギーの絵が残っているのだ。 だから,グッゲンハイム美術館というと,タンギーを思い出す。 東京タワーの記憶につながらなくなった。 |
10月21日(日) 意味 |
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PINK FLOYDのアルバム“The Wall”をはじめて聞いたのは芳行の部屋で,The Beatlesの“The Beatles White Album”,Bruce Sprigsteenの“The River”など,そこにはやけに2枚組のアルバムがあったことを覚えている。 元々,PINK FLOYDはあまり好きではなく,芳行の部屋のステレオセットの低音の圧迫感と相俟って,豪華な仕立てのジャケットばかり眺めていた。唯一,ブラウン管を叩き割る音には,子どもの頃,空き地に転がっていたブラウン管に石を投げたとき,喉元めがけて飛び込んできた何ものかによる痛みを思い出した。 そんな具合だから,数年後,先輩の下宿で半強制的にアラン・パーカーによる映画を見せられたときも,あまり印象は残っていない。当時のロジャー・ウォーターズのインタビュー記事も何回か読んだ記憶はあるけれど,さらに苦手だった日本のフォーク歌手のメッセージを読まされているような気がした。 少し前,YoutubeでLIVE 8での“Comfortably Numb”を見た。ニック・メイソンのカッコいい瞬間については以前書いた。 このライブ映像はときどき,客席の様子を映すのだけれど,ロジャー・ウォーターズが加わった演奏であることを差し引いても,この歌詞で手を広げて歌うものだろうかと不思議に思った。(歌詞はこんな具合)。 20数年を経て,当初あったメッセージ“Comfortably Numb”は,いや,まったく意味が変わって歌われたということなんだと思う。 |
10月22日(月) Moonage Daydream |
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“Comfortably Numb”のギターソロは評判よいのだと,今更この機会に知って,でも,これを聴くと,David Bowieの“Ziggy Stardust Live”盤に収められた“Moonage Daydream”を思い出す。 |
10月24日(水) 質問 |
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「何であんなこと尋ねるんだろう」 家内が溜息をつく。 娘の友だちにお菓子屋さん家の子どもがいて,最近,塾の行き帰りを一緒に行くようになったのだ。家内はお菓子屋さんで待ちながら,2週間に3回くらいのペースで何やら買ってくる。 「私,これ好きなんだ。お店のお菓子でどれが好き?」 娘が指差したお菓子は袋に入った工場製品。手作りお菓子が美味しいその店の,それも店頭で,そういうお菓子を好きだといって,なおかつ「どれが好きか」と尋ねる。裏表も何も,ペラペラな会話なのだけれど,もう少し,こういうときに配慮できないものかと思うときがある。 「その次に何て言ったと思う?」 「わからない」 「残ったお菓子,どうしてるの? そう聞いたのよ」 いやはや。 |
10月27日(土) ミキシング |
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今日の日記です。 奇特な話がもちあがり,某日某所で私の曲を使ってくれるという。依頼主からは「スネア抑えめにして,ベースいれたバージョンで」。吉野家(それにしてもなぜ,“家”なのだろう)の注文のようだけれど,ありがたい。 会社から戻って,データに修正かけたりしながら,ここ数日,キーボードとパソコンのモニターとにらめっこだった。今朝は,家族が出かけるのをいいことに,9時くらいから朝食をとりながら,ミキシングにかかりっきり。 たぶん,音楽にしてもミキシングにしても原理原則は数字上でけりがつく世界なのだと思う。ところが,原理原則を学んでいない(『バタアシ金魚』にならえば“型破り”というところだろうが,実際は“かたなし”)ので,あまり数字は役に立たない。何に似ているといって,デッサンにこれほど似ていることはないのでは,と思うくらい似ている。 途中で3分くらい,急に気分が落ち込んだものの,それ以外はテンションがあがることもさがることもなく,作業が終わったのは18時くらいで,昼食は抜いた。 |
10月30日(火) Love may fail, but courtesy will prevail. |
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今日の日記です。 ヘッドフォンしながら,テレビの画面をみてたら,斎藤環が『ドアを開いて彼女の中へ』のオビに記されたコピーについて話していたようだ。 |
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