2007年11月
11月02日(金) 合い言葉 |
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ところで,合い言葉の由来は? |
11月04日(日) マンハッタン・オプ |
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最近の日記です。 会社への行き帰りに,ソフトバンク文庫版『マンハッタン・オプ』シリーズを読み進めている。先に記したとおり,CBSソニー版に比べた際,構成の入れ替えは第一巻よりも第二巻のほうが多い。今のところ,どうして入れ替えたのか理由は判らないけれど,単純に,一年の流れに沿って構成しなおしただけなのかも知れない。 矢作 エド・マクベインはどうですか。 久間 僕は,嫌いじゃないです。 矢作 あんなに通俗的でお手軽な大衆小説がなのに,エド・マクベインがなぜ面白いのか考えたことがある。要するに,あれってものすごく良くできた,アメリカのアドバタイジングなのね。『エスクワィア』なんかに載っている広告文って,面白いでしょ。あの世界なんだ。 「別冊・野性時代 矢作俊彦」,p.28-29,1995. |
11月06日(火) Fall at Your Feet |
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Split Enzを少し聞きかじって,でも,Crowded Houseをリアルタイムに聞いたのは1990年代初め,“Wood Face”がリリースされたころのこと。The Beautiful Southと比べると少々ベタなメロディに感じたものの,このアルバムだけはときどき引っぱり出して今でも聞いている。 活動休止中にいろいろあったそうだけれど,最近,復活してアルバムもリリースされた。 |
11月07日(水) 介抱 |
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久しぶりに早く帰り,それでも遅めの夕食をとっていると電話が鳴る。喬史からだ。 「よお,元気かよ。飲もう飲もうっていったきりご無沙汰しちゃったな。忙しくてさ」 「こっちは相変わらずだけど,事故ったって昌己から聞いたぞ」 「そうさ,まったくよお。まだ,少し首が凝るけどな。事故成金ってさ」 「酷かったのかい」 「信号待ちしてたら,ズドンって,2トンだぜ。こっちがトラックだったからよかったけど。おいおいって降りて,文句言いにいったらさ,フロントがグシャ,相手は運転席に挟まったまま出られなくて,そこから“すみません”だって。すみませんじゃないよって,言おうと思ったけど,言えないじゃんか。こっちが介抱してさ。なんで,ぶつけられたほうが介抱しなきゃならねぇんだよ,まったく」 相変わらずのスピードで,喬史らしいエピソードが繰り出される。空気を吸う間にリアクションをせざるを得ない,心地よい息苦しさ。 時間は,一気に20年前に戻ったような感じがした。 |
11月10日(土) 名詞 |
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小学生の男の子は,どうして落ち着きがないのだろう。日がな彼らとやりとりしていたら,心底疲れるだろうなと思う。でも,たとえばMadnessはじめ,小学生に等しい落ち着きのなさを抱え込んだ大人は嫌いではない。思えば,私と友だちの会話だって,テンポについて言えば小学生並だったのだ。 最近の日記です。 娘の学校で造形展があった。 床屋の予約まで時間に余裕があったので,ぶらぶらと一通り眺めていた。こうした作品の場合,概して男の子の作品のほうが面白い。 小学6年生がつくった仮面が並んでいるところに,その作品はあった。素焼きにビーズやら何やらを貼付けてつくられた仮面のなかで,その仮面の額には「焼肉」の文字。ふつうなら「キン肉マン」のもじりかと済ませてしまうところだけれど,妙なテンションを感じた。鼻の下になぜか,赤く縁取られた星と,さらにその下に53の番号。タイトルを見て絶句した。 「焼肉阪神赤星カメン」 人目をはばからず,しばらく爆笑してしまった。 いや,名詞にはまだまだ,人の心をズンと突き動かす力があるのだ。語呂がいいし,こういうときに登場するのは,やはり阪神なのだ。 自分のことを受け身で書くのは避けてきたけれど,日頃,それなりにストレスを抱え込んでいたので,このときは,この小学生の作品に助けられたと。 |
11月12日(月) ムードメーカー |
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小体でリラックスした(しすぎ)の会でのこと。司会(いるのだ)の女性が突然,喬史を指名してスピーチを依頼する。 「友だちのなかのムードメーカー,○○喬史様です」 と,「え,なんだよそれ,ムードメーカーって」とぽつり。学生時代なら,それを逆手にとって「ムードメーカーです」の一言もあったろうに,さすがに年を重ねたことはある。さらりと受け流し,結局は昔と変わらないノリだけの話題で場を盛り上げる。 私は喬史の「え,なんだよそれ」を聞いて,こ奴の正直なリアクションに結局のところ,頷いてしまうのが面白くてしかたなかった。 喬史がムードメーカーといわれればそうに違いない。でも,じゃあ徹はどうか,昌己は,伸浩は。和之だって裕一だって,皆,ムードメーカーに変わりない。まあ,笑うこと以外,他人の話しをまじめに聞いていないということだけかもしれないが。百歩譲っても,知り合いに言われるなら納得もするけれど,はじめて会った奴に訳知り顔で「ムードメーカー」だ,なんていわれたくはないな。 あれはムードだったのかな,と,しばし考える。「ムードメーカー」と紹介されて,「なんだよそれ」とリアクションするあの気分を。 |
11月13日(火) 野性時代 |
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「野性時代」12月号に,次号から矢作俊彦新連載のアナウンスを発見する。“二村永爾シリーズ”とか謳われていたけれど,なぜかタイトルは載っていない。大丈夫か? |
11月15日(木) Extraordinary |
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喬史や徹と知り合って後,こ奴らと日常を共にする時間が長くなるごとに「まったく変わった奴だ」と,思うことしばしばだった。卒業後5年も経つと,ときどく会うのは昌己くらいになって,それでも学生時代の話になると,やはり「あの二人は変わっているよな」と頷き合ったものだ。 最近,喬史にあったときのこと。休日の昼から飲んで,「お前や昌己を変わってると思ってたよ」と言われて,瞬間,唖然としたけれど,喬史が言う「変わってる」は質が違うことを思い出し,それが面白かった。 喬史が言う「変わってる」というのは,つまり,ときどき最後まで講義に出たり,キセルせずに電車に乗ったり,学校のものを「俺らが払った授業料で買ったもの」だからと,かっさらっては売り払いはしなかったり,つまりは「世の中のスムーズな成り立ちを受け入れる」態度を指すのだ。 ただ,さらに時間を経て,「いちばん変わっているのは伸浩だ」という点では,お互いまったく意見が合致した。 |
11月17日(土) マンハッタン・オプ |
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今日の日記です。 『マンハッタン・オプ』の第三巻を手に入れた。解説は十河進。とてもいい解説文なのに,校閲がなあ。"野生時代"とか,初出表記もCBSソニー版を押しのけて,角川文庫版が出庭ってきたり。第二巻にも単純なミスがあって(いったい,『あ・じゃ・ぱん』が角川文庫にいつ入ったのだろう),このあたりは今日,本を読む上で目を瞑らなくてはいなけいものだとは到底,思えないのだけれど。第一巻,二巻と比較すると,表紙の発色がベタっとしてしまっているのも残念。 『THE WRONG GOODBYE』は増刷のたびに修正が入っていた。こちらもせっかく文庫化されたのだから,表紙はさておき,数が多いわけでないし本文くらいは直してほしい。 |
11月23日(金) ロング・グッドバイ |
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最近の日記です。 『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』が文庫本化されたので手に入れた。『サムライ・ノングラータ』以降,『マンハッタン・オプ』全4巻,と,20年の間隙を一気に飛び越えたかのようなタイトルが続き,書店に足を運ぶ回数が少し増えた。 さて,『ロング・グッドバイ』文庫化の肝は本文に尽きる。下手な解説は付いていないほうがスッキリ。まだ読み始めたばかりだけれど,恐ろしいことに,また本文に手が入っている。 |
11月24日(土) NEW ORDER |
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喬史がどうして,NEW ORDERの初来日に出かけたのか,今となってはその理由はまったくわからない。ただ,原宿にあったライブハウスで,彼が目にした光景はその後,20年以上過ぎても目に焼き付いて離れないという。初手からオクターブ上の声を出してしまい,サビまで辿り着く前にいきなりオクターブ下げ,また上げを繰り返す,巷間いうところの"音痴"ほとんどそのままのボーカリスト。ヒット曲"BLUE MONDAY"の途中,突然落ちる電源。復旧した後,途中であったことをすっ飛ばし続いた曲が"CONFUSION"では洒落にもならない。極めつけは最後の最後で,音痴のボーカリストと16で刻むことしか眼中にないドラマーがステージ上で喧嘩をはじめ,あげくバスドラを蹴っ飛ばしてライブはおしまい。 「キーボードは,指1本で弾いていたし,演奏は思い切り下手だった」 そう語る喬史のその経験を,20年前も今も同じく,うらやましく思うのはどうしたことだろう。 |
11月25日(日) ロング・グッドバイ 2 |
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文庫本『ロング・グッドバイ』を読みながら,引っかかった箇所で単行本を引っぱり出し見比べていた。と,この2冊,1行の文字数,1ページの行数がまったく同じに組まれているのだ。もちろん版面は違うものの,こんな文庫本,他に泡坂妻夫のヨギ・ガンジーシリーズの1冊くらいしか思い浮かばない。あれは,そうしなければ成立しない理由があったのだけれど,こちらにも何か理由があるのだろうか? ということに気づいた箇所の加筆は,キャクターの思想・信条をより明確にするためだったと思いたい。よもや,ご子息へのサービスではあるまい。 |
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