2008年3月

03月01日(土) ぼくと僕  Status Weather晴れ

 「“僕”という文字は“従僕”の僕だから,私は用いない。使うときは“ぼく”とひらいて書きます」と竹内敏晴さんに聞いたのは10年くらい前のこと。
 どのような理由か聞いたことはないが,矢作俊彦も文章のなかでは“ぼく”とひらいて使うことがほとんどだ。反対に村上春樹は“僕”と漢字を用いていると思う。
 “ぼく”とひらいて記す物書きに片岡義男がいる。私はバイクには乗らないので小説はほとんど読んだことはないけれど,エッセイは何冊か今も持っている。延々と描写が続き,「ということをぼくは好いている」というようなまどろっこしい文体は好きではないのだけれど,たとえばこんな文章は気に入っている。
 「梅雨が明けた。急に暑くなった。日本の夏だ。素晴らしい。湿気が,じつにいい。独特の重さをたたえたこの湿気のなかに,日本の夏の官能が,息づいている。夜になると,いちだんと,素敵だ。」
  『5Bの鉛筆で書いた』p.48,角川文庫

 まるで吉本ばななの『TUGUMI』のよう。


03月02日(日) 故郷喪失者の故郷  Status Weather晴れ

 「どうやらドイツ人のいう《ハイマートロスト》か」と嘆息ひとつ,ドテ焼きに匂いに誘われて記憶が甦る開高健のエッセイがある。そこで匂いとともにあげられ,「名を聞いただけでおどんだ血がむっくり起きてわきかかってくる」のは映画の題名だ。
 書き連ねてきて結局,私にとって匂いとともに(どうやっても匂いと記憶の密接さは分ち難い)記憶を甦らせるものは字面とイントロに尽きる。字面を見ると,その本を探したときの本屋の様子にはじまって暮らしまで引っぱり出すこともでき得る。イントロは直接,生活に繋がる。たとえばヤプーズの「ダイヤルYを回せ」の1曲目のイントロ(つまりは「アンチ・アンニュイ」)が鳴ると,陽のあたらない中野から西武線のほうに入り込んだアパートの1階で,ギターアンプにKORGT3からラインを繋げて朝から繰り返し鳴らしていたころの諸々が,条件反射のように浮かんでくるといった案配。


03月03日(月) グェン・アイ・クォック  Status Weather晴れ

 そのエッセイ集を引っぱり出し,読み返していると「グェン・アイ・クォックはホー・チ・ミンか?」なんてタイトルの文章があったことをすっかり忘れてしまっていた。『ロング・グッドバイ』は,開高健氏に捧ぐ――なんて献辞が似合ったかもしれない。


03月08日(土) そ奴の記憶  Status Weather晴れ

 先日のこと。
 久しぶりに徹,伸浩と会った。喬史の義理の妹のご主人が営んでいた居酒屋で飲んだのが最後,それが7,8年前だろうか。

 「ほんと,記憶が残ってないんだよ」
 昌己を交えて入った居酒屋で徹がそういう。
 「シゲさんが亡くなったって連絡くれたのが最後だったっけ」
 「えっ,シゲさん死んだのか?」
 「お前がメールくれたんじゃないか」
 「どんな理由で死んだの?」
 「肺がんだって,お前のメールに書いてあったけど」
 「ほんと? 覚えてないな。いつ?」
 「2004年の6月ってあったな」
 「へー。ほんと,昔の記憶残ってないんだ」
 「大丈夫かよ」
 「この前スカパーに加入してさ,タダで見られるカードもらったんで,とりあえず見たら,『明日への記憶』がやってて,もう他人事じゃなくて,見てて辛かったよ」

 そんな会話を続けながら,ときどき忘れてもまったく支障がない,どうでもいい記憶が飛び出す。記憶のデフラグなんてふと思ったものの,これじゃたとえデフラグできたとしても意味ないな。


03月12日(水) 書き込み  Status Weather晴れ

 「そ奴,ついに2ちゃんに書き込まれちゃったらしい」
 「ジムに行って黙々とトレーニングしている人かい」
 「ああ。いい年して,ストイックな姿が,見ようによっては若い奴には気味悪く映るんだ」
 「だらだらやるにかぎるな」
 「2ちゃん見たら,ひいちゃうような感じでトレーニングしているらしい。“今日,声かけられちゃった”」
 「ふつうなら,絵文字の一つや二つつくところだな」
 「きもーい,っだってさ。同じ時間帯に入ってる奴が数人書き込みしているらしくて,共通して,異様な所作だと指定していたよ」
 「笑えないな」
 「Wiiやってりゃいいんだよ」
 徹が割って入る。
 「そうだな」


03月15日(土) 路地  Status Weather晴れ

 財布のなかには,前日の買い物の釣り銭しか残っていなくても,徹と二人して郊外の駅をあちこちめざした。探し物がなくとも,古本屋に行けばそこには何かが待っていた。2年間ほどで何軒の古本屋に入ったか覚えていない。
 駅に降り,まず検討をつけるのは改札の右左どちらをめざすかだ。3軒の食堂があれば必ずいちばん不味い店へ入ってしまう,ネガティブな嗅覚を身につけたわれわれだったが,駅を降り立って,古本屋がある方向を決めて後,かなりの確率で見つけ出すことができた。
 歩きながらいったい何を話していたのかはすっかり忘れてしまったけれど,そうして入った書店のレジの奥,『虚無への供物』の初版が5,000円の値をつけて飾られていたことは覚えている。
 「あの先をまがったあたりにありそうだな」
 どちらかがそう言い,しばらく後「ほらな」,予想どおり古本屋の看板を見つけると何だか幸せな気分になった。当時のわれわれの幸せは,そんなところばかりにあって,そんなところにしかなかった。
 古本屋がありそうな路地の景色。景色を嗅ぎ分けることができたのは,以後,皆無なのだけれど。


03月16日(日) 現役  Status Weather晴れ

 「彼は箱から飛び降りようとして,身を乗り出した。山が前後に二度しない,三度目に崩れた。撃墜王は,トラシュ罐の上に派手な音をたてて墜落し,その上にダンボール箱が次々とふ降り注いだ。彼の居た箱からはジャマイカン・ラムの空瓶が転げ出し,彼のすぐ脇で粉々に砕けた。」
   矢作俊彦「ヨコスカ調書」ミステリ マガジン,No.273,p.145,1979.

 トラシュ罐をイメージしても,身近で探すとこんなものしか見当たらない。新宿のはずれで,いまだ現役で活用されているのが凄いとは思う。


03月17日(月) 記憶にない  Status Weather晴れ

 ポスターにMario Giacomelliの名と,もちろん写真をみて,このページに以前,須賀敦子の本を読んでいたころ,古本屋で手に入れた写真集について書いた記憶が甦った。当然,いつ書いたかも定かでないので,検索をかけてみたところこんな文章が出てきた(データ調整中)。

 このとき,写真集に掲載されていたのは"セニガリアの修道院の休み"と"スカノ"の2点。
 自分で書いていうのはおかしいが,よくわからない文章だ。


03月20日(木) 足穂  Status Weather晴れ

 これも以前に記したもの。
 どのような経緯で,このタイトルがついたのかは判らないが,『一千一秒物語』にこっそり滑り込ませても,たぶんわからないと思う。

データ調整中


03月22日(土) 情けない  Status Weather晴れ

 友人の部屋にはじめて入ったとき,まず目がいくのは本棚とレコード棚だった。面白いもので,自分が本棚とレコード棚を見られる身になると,つまり友人がはじめて私の部屋にきたとき,そ奴の興味が反対に伝わってくる。
 徹がはじめて私の部屋にきたとき,目についたのは『夢野久作全集』(三一書房)。曰く,「夢野久作を全集でもっているなよな」。
 喬史は私が予想もしない妙な本が目についたようだ。
 「お前もそうなんか」目の先にあったのは『就職しないで生きるには』(晶文社)。内容はほとんど覚えていないが,就職したくなければ本屋を開け,ということがどこかに書いてあったと思う。
 晶文社の本については,団塊世代の私のもっとも年のくった友人がいうには「ほとんど本屋でぎっちゃって読んだよ」。私も犀のマークの本は探せば数十冊はもっているかもしれない。
 ところが,最近のこと。
 タイトルにひかれて新刊を手にしたところ,情けない誤植が目についた。目次に「内田百閒」を「内田百聞」と,まったく堂々と表記してあるのだ。もちろん,本文は「百閒」。非道い誤植だ。
 で,この本の版元が晶文社。まったく情けない。


03月25日(火) TAKESHI  Status Weather晴れ

 このところ,開高健の文庫本を読み直してばかりいる。あとはVOW文庫という,実に建設的な日々だ。
 東郷隆の"定吉七番"のシリーズキャスティングで,川上健一とともに名が挙っていたことを思い出したのは,どうしてだろう。


03月27日(木) 無傷の一瞬  Status Weather晴れ

 あらかじめアレンジをしてスタジオに入ったことなど一度もなかった。思いつきで音源にあわせたり,適当なリフに音を重ねたり,そんなふうにして曲のスケッチがいくつかできあがる。そこから一歩,踏み込んだ途端,アイディアのなか加減が露呈する。でこぼことした輪郭,不安定なリズム,そして一貫して芯のない音。進まないまま,半年,一年,同じ曲を演奏した記憶がある。

 ところが,ごくまれに,すべてが旨くいくことあるのだ。録音されていたりすると,私はこっそりそれを“無傷の一瞬”と称した。15年前のことだ。


03月29日(土) 思い出す  Status Weather晴れ

 「巨大なメインビルディングはもちろんだが,どこまで地上でどこから地下なのか分からない,複雑に入り組んだ人工地盤に目を見張った。それこそ,昔の映画に出てくる空の無い未来都市だった。巨大なエスカレータがそれをつないでいる。」
   矢作俊彦「魔都に天使のハンマーを」p.141,小説現代特別編集 不良読本,2008.


 しばらく前,団塊世代の私のもっとも年のくった友人と,こんなメールのやりとりをした。

団塊おじさん ところで,「ララララララララ科學の子」映画化の件ですが,主人公 ?小林薫,志垣 ?根津甚八(ビートたけしだとアリキタリでしょ)(以下,略)

      主人公は少し若い頃の渡哲也のイメージだったそうですが,いっそのこと萩原健一の復帰作なんてのは。イメージ違うかな。 志垣のビートたけしはぴったりですが。


団塊おじさん ズーーーット昔,「青春の蹉跌」という映画でショ?ケンが主人公を張りました。 彼は,元活動家という設定でしたがヘルメット姿の似合わなかった事! どうみても道路工事の人夫ダス。映画研究会の名のもとに,学内でタテカンを出しました。
「無惨な反革命的キャスティングに断固抗議する!」
 アイツは無理です。

 午後,久しぶりにクレンペラーを聞きながら読み進め,夕方近く,このときのやりとりを思い出した。


03月31日(月) 魔都に天使のハンマーを  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 と,一昨日の夜に矢作俊彦の新作「魔都に天使のハンマーを」を読み終えた。小説というよりはシナリオの物語化といった案配の仕上がりだけれど,それが面白い。映像的な文章を積み重ねながら,映像化できない登場人物の感情とそれがつながりあっていたあたりが,矢作俊彦の書く文章の醍醐味だと思うのだが,本作は元が「傷だらけの天使」というテレビドラマだからか,文章の端々まで具体的な映像が想像できる。代々木から歌舞伎町,大久保あたりまで,土地勘のあるところで物語が展開することを差し引いても。映像でみてみたいというのが正直なところだけれど,物語がとても面白い。
 80年代のノベルズ全盛の頃,こんな感じの物語を連発してくれていたなら,と本文2段組の体裁のせいか,そんなふうに思った。

 早速,もう一度読み返している。
 タイトルは,クライマックスにとても関係があるものからとられたようだ,たぶん。
 で,"シャクーショ"は,書きはじめた当初は"公務員"と称されていたのかもしれない,という記憶だけ書き留めて。



「日記」へもどる