2008年4月

04月05日(土) RETURN  Status Weather晴れ

 「過剰な要求だけです。病院や学校に暴力的な要求をつきつける患者とか親っているでしょう。市役所にも来るんです。モンスター・シチズンって言うんです」
   矢作俊彦「魔都に天使のハンマーを」p.128

 結局,続けて二度読んでしまった。この手の週刊誌より早い情報を無茶苦茶盛り込んで物語を纏め込んでしまう手管は,まったく凄いなあと,久しぶりに感じながら読み終えた。これまでの作品からすると,小説の流れよりも漫画の原作やエッセイに近いような作りだ。


04月06日(日) バスルームシンガー  Status Weather晴れ

 「化粧が下手だな。死体みたいだよ」
 「下手で,けっこう。時間かけてるんだから」
 この時期になると,バスルームシンガーと初めて交わしたやりとりを思い出す。地下鉄のなかでのことだ。
 その日,仕事の都合で私たちのユニットは出先へ直行し,予定より早く仕事が片付いたので会社へ戻ることになったのは午後3時,なんとも中途半端な時間だった。彼女は私が初めて会った新卒で,けれども話しかける理由もなく,入社から数日が過ぎていた。その日の午前中まで,背が低いわりにはっきりとした容姿という印象しか持ち合わせず,なのにその地下鉄で席を譲られたのが気安さのつぼに嵌ったのかもしれない。私はまだ20代を折り返したばかりだった。

 親元を出て,浅草に住む祖母のハナちゃんのもとで暮らしているとか,門限が厳しいそうで,「『東京ガールズブラボー』みたいなものかね」と尋ねると,返事は「何,それ」。続かない会話のなかで,ボーカリストを目指していると聞かされたに違いない。読んでみたいというので貸したところ,「まさに,あの感じなのよね」。一事が万事,そんな調子だったけれど,貸したものは最後まで読んだり聞いたりしているようなので,あれこれ貸した。そのうちに戻してくる際,妙なCDやら雑誌が挟みこまれるようになった。読んだり聞いたりしてみろ,という意味のようで,私も律儀に紐解いてみはしたものの,記憶に残るものはほとんどなかった。それはCOLA-Lが順調な(とても短い)時期と二重っていたので,ボーカリストの話は聞いたままにしていた。

 たぶん私がデッサンを見せたからに違いない。あるとき,自分のプロフィール写真をもってきて,「これ描いて」と指示されたことがある。化粧を落としたモノクロのそれは,おばさんのような日頃の傲慢な態度とはうってかわって,年相応に見えた。
 靴が入っていた箱に古くなった米を敷き詰め,パステル置き場にしながら絵を描きはじめたばかりころだったので,そのバスルームシンガーのプロフィールが,実は私の初めてのパステル画なのだった。もちろん描き終えて渡したきり,どんな絵であったかもすっかり忘れてしまった。


04月07日(月) バスルームシンガー2  Status Weather曇りのち雨

 バスルームシンガーたる所以については以前,どこかに記した筈だ。
 昌己と酒を飲んでいるとき,数年に一度くらいの割合で彼女の話になることがある。スタジオでの傍若無人な振る舞いや,理不尽なリアクションは数限りないのに,まわりにそうした振る舞いをする人間がいなかったこともあり(もちろん,そんな奴ばかりだったら面倒くさくてしかたあるまいが),受け身になってしまえば面白い奴ではあったのだ。

 ときどき,当時,バスルームシンガーは何に夢中になっていて,何をどう考えていたのだろうか,などと想像しようものなら,途端に途方に暮れてしまう。


04月10日(木) 空虚  Status Weather

 土曜の夜になると,伸浩が濃紺のレヴィンでやってくる。行くあてがないまま,富山や仙台まで出かけたこともあるけれど,多くは国道357号を下り,工事中の首都高を横目にだらだらとアクセルを踏んだ。運が悪いと,一列隊を組んだ族の後尾をさらにのろのろと続かなければならない。交差点の端はしに横断を塞ぐための先行車が止まるなかを一列隊は非道い音を鳴らして抜けていく。
 「格好悪いなあ,まったくさあ」
 「あれは,チバの美意識だから仕方ないねえ」
 「チバだもんな」

 橋を渡り,船着き場をやり過ごすと急に路肩の軒先が低くなる。遥か彼方に建物が見えてくると,適当な信号を右折する。どれくらい走れば行き止まりになるのだろう。右の一角には人の気配がしない一戸建てが連なり,左手には工事中のビルが点在するものの,そのぐるりを空虚な空間が取り囲んでいる。
 「見本市会場ができるんだってさ」
 「爆心地じゃないよな,ここ」
 「決まってるだろう。数か月後には整然となっている筈だぜ」
 「ほんとかよ」
 突き当たりを道なりに右折すると,皆,堤防代わりを買って出たにちがいない。路駐だらけのその通りを何とかと,伸浩は名付けたはずなのに思い出せない。
 「腹が減らないか」
 「ファミレス探すんだったら,このあたりから抜けないとないぜ」
 「コンビニでいいんだけどな」
 「この時間に開いているコンビニがあるかな」
 車を止め,私たちは地面を踏みしめた。端数に取り囲まれたような気分がした。


04月13日(日) 麦わら帽子いっぱいのキューブ・アイス  Status Weather曇り

 3月末のケアンズは十分に暖かかった。
 上司たちが挨拶代わりにモジリアーニの絵がどれくらいの利殖になるかを囁き合っていた頃だから,バブルの末期だったと思う。オーストラリアのイメージは黒鳥とスプリッツ・エンズ,モンティ・パイソンのネタくらいしか持ち合わせていなかった。まるでYMCAの遠足みたいにして,私たちはケアンズへ出かけたのだ。どこで飲んでも非道く不味いコーヒーと野良ワニを加えれば,当時のケアンズを評するとき,固有名詞はあまり不足しなかった。
 港で調達した飯はどれも気の抜けたラザニヤみたいな味がした。ホテルを一緒に出てきた2人と別れ,波打ち際のベンチに座って,ビール片手に胃袋の納めてしまうとすることがなくなった。しばらく『シェルタリング・スカイ』を読んでいたものの,タンクトップにサングラスをかけた男に続けざま3人,ジョギングをしながら通り過ぎられると途端,こんな場所で手持ち無沙汰にしているのがばからしくなる。
 3ブロック先のホテルまで戻ると,別れた2人と鉢合わせだ。
 「文字通り何もないなあ,このあたり」
 「このホテル,バァがありましたよね」
 「さっき覗いてみたらバァテンダーがいたから,開いてるんじゃないかな」 


04月15日(火) 麦わら帽子いっぱいのキューブ・アイス2  Status Weather晴れ

 続きを書こうと,以前,同じことを書いた箇所を見てみたら,ほとんど同じだった。続きはとりやめ,そのうち別ページに。


04月16日(水) か行  Status Weather晴れ

 中井英夫のエッセイをときどき読み返す回数は,たぶん小説より多いだろう。瑣末な箇所だけが,やけに記憶に残っていて,辻邦生とか中井英夫の文章を繰り返し読んでしまうのは,文章中の固有名詞のバランスが整っているからに違いない。
 以前,記した記憶があるけれど,ある時期(それはまだ,活版で単行本が印刷されていた時期と二重るのだが)までの矢作俊彦の文章は内容を読まなくても,改行と漢字とかなのバランスを見ただけで,他の作家と区別する自信があった。と,森雅裕はかなり意識的にそのバランスを真似したのではないかと思った記憶が甦ってきた。

 か行の音が嫌いだから,という理由で一度刊行した小説に手を入れたり,反対にか行で韻をふんでみたり,中井英夫の文章の気配を,そんなところに感じていた時期もあったのだ。


04月19日(土) オーボエ  Status Weather晴れ

 「ジョン・ル・カレの小説が好きだ」といって憚らない人には,これまで一人しか会ったことがない。そのご夫人は,仕事帰りにフルートを習いに行ったり,職場でも昼食をあるだけの時間を費やしゆっくりと召上がったり,一つひとつの記憶を辿れば優雅と称するに相応なのだけれど,実物は見事なまでに地味な感じの方だった。
 『ナイト・マネジャー』が出てしばらくした頃のこと。『リトル・ドラマー・ガール』までは読んだという話をしたところ(文字通り"読んだ"だけなのだけど),そのハードカバー2冊本を貸してくれるという。学生時代ならいざ知らず,当時はかなり仕事が忙しかったので読み終わらないかもしれないとは伝えた筈だ。会社の行き帰りだけでジョン・ル・カレの小説を読み終えるのにいったい何年かかるのだろう。
 「ジョン・ル・カレの小説に出てくるような紳士が理想」
 「ジョージ・スマイリーって紳士ですか?」
 「そうそう,陰があって優しくて強くて」
 「実際にはそんな奴いないと思いますけど。具体的にどんな人をイメージすればいいんだろう」
 そこで登場したのが,現役のスパイでもなければ,格闘技のチャンピオンでもなくて,オーボエ奏者だったのはどうしたことだろう。(続きます)


04月20日(日) オーボエ 2  Status Weather晴れ

 で,そのご夫人があげた理想の人というのが宮本文昭。
 と,いわれても,知っている筈もない。当時も今も,オーボエといわれほとんど唯一,思い浮かべるのは,XTCのアルバム"Nonsuch"のなか,数少ないColin Moulding作の"War Dance"という曲くらいだ。ところが,この曲でオーボエだと思ってばかりいた音色は,あとあとライナーノーツを見直してみたところ,キーボードの音だったという情けないオチがついて,勘違いも甚だしい。
 それでもそのときは,こう返事したように記憶している。
 「オーボエなんて,XTCくらいしか思い浮かばないですよ」
 仕方ない。

 それが,今から15年くらい前のことだ。以後の宮本文昭の歩みを眺めてみると,ご夫人が理想としたジョン・ル・カレの小説の主人公と似ていないこともないな,と今頃になって,そう思う。もちろん,ジョージ・スマイリーは別にして。


04月21日(月) ポプリ  Status Weather晴れ

 バンドをして「敗北宣言」と称するP-MODELの3rd Album"ポプリ"に受けた影響は少なくない。斎藤環はどこかで,P-MODELの敗北の系譜をそのままなぞって記していたように記憶しているけれど,負けちゃったもの勝ちの手前で,勝ち負けの土俵から降りるという態度は,是非はさておき,80年代以降のいくつかのできごとに共通して潜む態度のような気がする。

 娘が最近,フォートナム・メイソンの紅茶の空き缶を"シリカゲル"と名付けているのは,文字通り,そのなかに食べ終わったお菓子の袋に残ったシリカゲルを貯めているからだ。
 「なんでこんなもの貯めているんだろう」
 「理科の先生に教わったの。シリカゲルの缶のなかにお花を入れるとドライフラワーになっちゃうんだって」

 もちろん学校のではなく,塾の教師だ。聞くところによると,自然科学部の部員がそのまま50歳過ぎになったかのような教師で,奥多摩の洞窟を闊歩しながら,世界中で10人くらいしか知らない粘菌を育てていると,娘は楽しそうに話す。彼の授業が本当に楽しいらしい。
 
 シリカゲルでポプリと聞いたら,平沢進はどう思うだろう。


04月24日(木) 尾籠  Status Weather晴れ

 学生時代のこと。イリーガルビデオを手に入れた友人の一言。
 「ポコチンしか見えなかった」

 確かにイリーガルではあると思う。


04月26日(土) シシリア  Status Weather晴れ

 Suggsがカバーしたサイモン・アンド・ガーファンクルの曲のことではなくて。

 銀座で仕事をしていた頃,会社帰りに旭屋書店によく寄った。売り場面積はそれほどではないから,冊数が充実しているわけではない。ミステリと音楽,それに美術書あたりへの目配りが自分の嗜好に合致した。まだ,あの規模の書店で,自分の趣味と全く合わないところがあるかと思うと,思いがけず,あれもこれもと買い求めてしまう店もあった頃のことだ。
 仕事場が変わって後,たまに家内と買い物に出かけると,待っているのに銀座の旭屋書店を利用するようになった。買い物に付いてまわるほど,堪え性を懐に忍ばせて生まれてきたわけでないので,いきおい待っている時間を費やす場所がどんなところにも必要になるのだ。
 だから,10年くらい前は,旭屋書店で時間を潰して,結局,シシリアで夕飯をとるという流れになることが多かった。彼の地にレストランが多いことはいうまでもないが,コストパフォーマンスを測るとなると,シシリアに匹敵する店はほとんどなかった。

 去年の暮れのこと,山手に生まれ住む元上司と飯を食うことになり,帰りの利便性を考えて,シシリアで待ち合わせることにした。時間より早く着いたので,旭屋書店に寄って驚いたのは,少なくとも15年前からこっち,棚の配置がまったく変化していないことだった。この領域の本はここにあって,と目をやると確かにそこに鎮座している。町中の本屋でさえ,数年に一回は模様替えをするなかになって,奇特と称したくなった。
 その夜は,シシリアの閉店まで結局,2人でワインを3,4本空にした。

 銀座旭屋書店の閉店のニュースを耳にしたのは最近のことだった。


04月28日(月) チャンピオンたちの朝食  Status Weather晴れ

 「『わたしはさとったんだよ』トラウトはいった。『神様はけっして自然保護主義者じゃないんだから,ほかのだれかがそうなることは,不敬だし,時間のむだでもある」
   p.115

 「地球のありかたは一つしかない,と彼は思った――いまのままのありかただ」
   p.136


04月30日(水) 物欲  Status Weather晴れ

 小学3年になって,はじめて親からお小遣いをもらうことになった。日額20円。朝起きると,登校前にT字路の突き当たりにある駄菓子屋で出かける。仮面ライダースナックを一袋と交換に20円を渡す日々が続くと,さすがに親もそれが一般に称されるお小遣いとは似ても似つかない金のつかいかただと気づいたに違いない。そこで,何をしたかというと,登校前に駄菓子屋へ行くことを禁止したのだ。
 そのお小遣いがどれくらい続いたのか記憶にない。

 小学4年の夏休みのこと。一つ年上の友だちの家へ泊まりがけ遊びに行くことになった。一人で,家ではないところへ泊まったのは,このときがはじめてだった。着替えやら何やらとともに,そこらへんに放ってあった財布のなかに親が入れた額は600円。はじめて手にする大金だった。
 その金は友だちの家の近くの模型店で,ジューコフ戦車のプラモデルと交換されたのだと思う。

 小学生の頃,お金を出して手に入れたいと焦がれるものはほとんどなかった。(続きます)



「日記」へもどる