2008年6月

06月03日(火) タマリンド  Status Weather

 昌己によると,そのタイ料理屋のパッタイは日本で食することのできるもののなかで,もっとも旨いという。高田馬場の居酒屋で出される焼きうどんと同じように比類なき旨さだといわれても,共通体験がない者にとっては何のことか判りはしない評価は,他者に判断をゆだねられはしない。
 数年前の春先のこと。終電近くまでその店で飲み食いしながら,世の末を憂いていると,店の主がやってきて,一枚の皿を差し出す。
 「おいしいから食べてみなさい」
 そこにあったのは,干涸びたバナナを擬態したそらまめのようなものだった。タイ生まれの主は,そう言うと,2週間遅れのテレビ番組の続きを眺めた。もちろんそれは録画ビデオで,百歩譲ってもモニタというよりブラウン管と称するのが似つかわしいテレビに映っていたのはタイのサッカー番組だった。
 繊維が少し口のなかに絡むものの,干し柿に草いきれをまぶして甘みを加えたような味がした。
 「タマリンド」
 声がした。
 「へえ,こんな形してるんですか」
 「美味しいね。種植える,こうよ」
 ゆらゆらさせた手は,木が育つ様を模しているのだ。
 「日本でも大丈夫ですか」
 「これから暑くなるね。暑いと,雨多いと,ダイジョブ」
 「巻いてみるかな」
 口に残ったシルバーキューブ程度の大きさの種を眺めた。


06月05日(木) ヘルメット  Status Weather晴れ

 最近の日記です。
 家内が友人とコンサートに出かけたので,夕飯は娘と外食することにした。と,娘は玄関で自転車のカギを握ったもう片方の手でヘルメットを抱える。
 「最近はヘルメット被ることにしたのか」
 自転車を手にいれてしばらくは被っていたものの,そのうちヘルメット自体,どこにいったの判らなくなっていたのだ。
 「法律で決まったの。パパ知らないの」
 知らなかった。いや,まったく,本当に。


06月07日(土) モヨコ  Status Weather晴れ

 持ち帰った仕事を片付け,Youtubeを綱渡りしているといつの間にか筋肉少女帯の映像に辿り着いた。1,2曲聞いて布団に入ろうくらいで見始めたら,結局,7,8曲見てしまいキリがない。とにかく電源を落としてしまった。
 昌己とともにスタジオに入り始めた頃,P-MODEL,あぶらだこ,ホルガー・ヒラー,できればキャプテン・ビーフハートやジョン・ゾーンあたりからテクニックを抜き去った音楽というイメージを,たぶん暗黙のうちにもっていたと,今さらながら思い出したのは,そこに初期の筋肉少女帯の名も加わっていたからだ。
 バンド名から,曲のスタイルまで,実は筋肉少女帯の影響は少なくない。


06月08日(日) 亀  Status Weather晴れ

 娘と風呂に入っていると,国語で格言を習っているという話になった。
 「馬耳東風だ」
 「それは,四文字熟語。馬の耳に念仏とか豚に真珠とか」
 「あれは習ってないだろう」
 「えっ?」
 「亀の話だよ。大海を泳ぐ盲目の亀の話」
 「知らない」
 「盲亀の浮木って,先生に聞いてみて」

 もともとは昌己が曲名にしようとして持ち出したのだ。
 「"啓蟄"ってタイトルの曲があるんだから,こんなのだってありだろう」
 「でもさあ,単純に"奇跡"って,衒いなくつけられないものかな」
 「つけられないだろう」
 「ああ,つけられないや,確かに」


06月10日(火) 教訓  Status Weather晴れ

 「なぜバックパッカーは,何日も並んで安い座席をとり,ホテルはあまたあるのにドーミトリーのある安宿を目指し,なるべく速度の遅い乗り物に乗り,ホテルやレストランではなく路上の屋台で食事をしたがるのだろう?(中略)
 それは,旅という非日常の中では,金がないことで冒険が買えるからだと私は思う。金をかけなければかけないほど,旅は刺激に満ちたものになる。(中略)安価になればなるほど刺激が鱒ため,歯止めも利かなくなる。それがバックパッカーのはまる旅の魔力だと,かつてそこにはまりかけた私は思っている」
   星野博美『愚か者,中国をゆく』p.56-57,光文社新書

 なるほどな。(町田町蔵)


06月12日(木) 大人  Status Weather雨のち曇り

 「おぉ,のび太か,久しぶり」
 「なんだよ,ジャイアン。どうしたんだい」
 「今日,会社帰りに鮨でもつままないか。近くに安くて旨い回転寿司ができたんだぜ」
 「やめとくよ,今日はちょっと……」
 「なんだと,おれ様が誘ってやってるのに断るっていうのか。お前はそこまでの男だったんだな。見損なったぜ。覚えてろ」
 「ごめんごめん,行くよ」

 1時間半後。回転寿司屋店内にて。
 「おぉ,旨かったな」
 「うん。ジャイアン,景気がいいんだね。絵皿ばっかりだ」
 「のび太,お前,派手な絵柄の皿が好きだったよな」
 「なんだよ急に。ふざけていってるのかい?」
 「照れるなよ。おれ様の絵皿とお前の百円皿を替えてやるよ」
 「自分に様つけるなんて,プロレスラーみたいだけど,そんなことより,やめてくれよ」
 「よぉ,お勘定頼むわ」

 のび太の部屋にて。
 「ドラえもーん。ジャイアンに久しぶりに会ったと思ったら,ひどいことされたんだよぉ」
 「ターザン山本。みたいだね,のび太くん。わかった,これをもっていきなよ」

 BGM ジャジャジャジャーン
 「皿模様交換銃!」
 「なに,これ」
 「絵皿を百円皿に,百円皿を絵皿に買えることができるんだ。このレバーをこっちに廻して…」
 「すごーい,ドラえもん。これさえあれば,何枚絵皿を食べても一枚百円だね」
 「たいした装置じゃないけどね」
 「そんなことないよ。今までで一番実用的だよ」

 数日後。再び回転寿司店にて。
 「じゃあ,お勘定の前にのび太の好きな絵皿を,おまえの百円皿と交換してやるか」
 ビビー
 「よぉ,お勘定。えっ!!!」
 「はい,絵皿30枚で9,000円です」
 「ひゃー,おれ様そんなに金もってねぇよお。のび太すまねぇ,貸してくれぇー」
 「しかたないなぁ」
 ピコピコ
 「はっ,みんな百円皿だったんですね。失礼しました。3,000円です」
 「じゃあ,これジャイアンの分で,あっ,財布が……」
 ビビー
 「お隣さんは絵皿20枚で6,000円です」
 「おいおい,いったい誰が得したんだよぉ」
 「ターザン山本。みたいですね」

 20年近く前,渋谷にP-MODELのライブを観に行った帰り,昌己と徹と3人入った回転寿司屋で思いついたねた。(一度,書いた記憶があるけれど)


06月14日(土) ユタカ  Status Weather晴れ

 奥泉 僕の小説の評価法があって,つまり,適当にページを開いてみて,その部分を読んだとき,おもしろいかどうかというのがある。
 どこでもいいからアトランダムに開いて,数行読む。それでおもしろくない小説は,基本的におもしろくない小説だと思うんですよ。
  佐藤亜紀/奥泉光『死霊』は大いなる序章だった,群像,p.152,2007年5月号

 それは,30年くらい前,埴谷雄高が夢野久作の小説(ドグラマグラ)とドストエフスキーのそれを比較して,後者に軍配をあげていたときにいったことと近いと知っていて語ったのだろうか。埴谷雄高は,さらにそこに登場した人物がたとえ端役であっても,どれだけリアリティをもっているかも付け加えていたと思う。三一書房版の全集が手元にないのでうろ覚えなのだけれど。


06月18日(水) 定義  Status Weather晴れ

 「オタクを専門家や一般の趣味人から区別する特徴は,意味の重さと情報の密度の間の極端な不均衡である。一般には,意味の重さと情報の密度との間には,比例的な関係がある。要するに,有意味なことだから情報が集積されるのである。だが,オタクに関しては,こうした法則が成り立たない。情報は,有意味性への参照を欠いたまま,つまり意味へとつながる臍の緒をもたないまま,それ自体として,追求され,集められていくのである。」
   大澤真幸『不可能性の時代』p.87,岩波新書

 確かにそうだ。


06月20日(金) 傷だらけの天使  Status Weather曇り

 24時間開いている書店に朝,立ち寄って『傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを』(矢作俊彦,講談社)を手に入れた。
 ちょうど,「不良読本」に掲載されたときの版(といっても数ヶ月前だけれど)を読み終えたばかりで(三回目),まだストーリーは記憶に残っているので読み進められるだろうかと思いながら読みはじめると,冒頭,「不良読本」版で,気になった表現がいきなり削除されている。
 想像していたこととはいえ,ザクザクと手が入っていた。新たにワンシーン加わっていたり,ルビの修正や,2ちゃんねる書き込み日時の変更など,比較しながら読むと面白いかもしれないが,まずは読み通してみる。
 ところで,谷口ジローが描いたカットは1点も再掲されておらず,あれはいったいなんだったのだろう。

 矢作俊彦の単行本が講談社から刊行されるのははじめてのこと。この前にあったかもしれない短編集の企画を夢見ながら。
 


06月22日(日) 夢の島  Status Weather

 単行本版『傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを』を読み終えた。とにかく手が入った箇所をチェックするのが面白くてしかたない。不良読本版で「情報戦隊デスクロージャー」となっていた箇所が「秘匿戦隊デスクロージャー」に変えられていたり,
 「死者は二十一歳の男の大学生と,十九歳の女の専門学校生だった。ふたりとも耳にイヤホンをつっこんで音楽を聞いていて,『みんな逃げろーっ』という修の声が聞こえなかったのだ」(p.284)

 「死者は二十九歳の男と三十一歳の女で,二人とも斜め筋向かいに東京支社をかまえる大手芸能プロのお笑いタレントだった。本業では食えず,ゴールデン街の一軒で働いていたのだが,この日は客がなく,店の裏手で稽古をしていた。
 『ショートコント。一発芸人の新ネタ披露』と男の方が言った瞬間,爆炎が二人をかき消した」(p.350)
 というあたりには,白っぽかった頃の大友克洋の線とコマ割が浮かんできた。

 物語はテレビ版を下敷きにして30数年後の話になっているので,いきおい最終回,風邪のため,死んでしまった亨を夢の島までリヤカーで運ぶ修の回想シーンがライトモチーフのように繰り返される。

 しばらく前,親のところに置いてきた『冒険者たち』(斎藤惇,岩波書店)を持ち帰り,捲っていると,娘が読みたいというので貸したのだ。
 「読み終わったよ」
 「面白かっただろう」
 「うん。今度は『恋空』っていうの読みたいな」
 「『恋空』!!」
 「みんな読んでいて,面白いっていうの」
 「『冒険者たち』とかイスラエルの子とパレスチナの子の文通の話とか,そっちのほうが面白いよ。文通の話はちょっと,あれだけれど」
 「そうかな」
 「そうだよ。今度,おばあちゃんが家にくるとき,本持ってきてもらおう」
 「面白い」
 「面白いよ」

 小学4年生くらいまで,私が読むのはこども用の百科事典と図鑑ばかりだった。ポプラ社の江戸川乱歩とモーリス・ルブランは読破したけれど,それ以外は読もうと思わなかった。当時,巡回していた移動図書館で母親が何を思ったか『ああ無情』(アームジョーではない,念のため)を借りてきて,返却期日までに読み終えたものの,いやぁな感じしか残らなかったのが原因の一つに違いない,たぶん。
 早船ちよが何者かなど知らず,その年の夏休み,感想文を書くために買ったのが『トーキョー夢の島』だ。母親のゆびわを亡くしてしまった子どもが,夢の島まで探しにいく話だったと思う。この物語を読んだが契機となって,私は以後,本を読み始めたのだ。
 夢の島と聞くと,いまだ『トーキョー夢の島』を思い出す。



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