2008年7月

07月02日(水) ものもち  Status Weather晴れ

 共用のCATVブースターが地上波デジタル用のものに替えられた。ケーブルテレビ会社の担当者が各戸をまわって,設定のチェックにやってきたのは最近のこと。
 わが家では1994年製のブラウン管テレビが現役だ。新宿西口にまだ城北電気があったころ,そこで手に入れたものだと記憶している。
 「うわっ,映りがきれいですね,このテレビ。14年前のものって映りじゃないですよ」
 ケーブルテレビの担当者にそういわれて悪い気はしない。この間,壊れなかったので使っているだけのことだけれど。そういわれて,あたりを見回すと,やけに古い電化製品がそこここに転がっていることに気づいた。

 電話器は弟がミラノに行くまで使っていたものだから昭和の終わり頃につくられたものだと思う。伝言はテープの裏表に録音されるタイプのもので,思えば弟に譲り受けてから,テープを交換したことはない。もっとも古いのはラジオ付き目覚まし時計で,昭和でいうと50年代終わりの頃につくられたものだ。四半世紀にわたって使い続けている。なかば壊れているのかもしれないが,家族みなが,この時計から流れてくるラジオの音で目を覚ますのだから,壊れていても使えるものが意外とあるのだ。


07月04日(金) コーヒー  Status Weather晴れ

 学生時代,中野サンプラザでライブがあると,待ち合わせ場所は中古レコード屋のRareかクラシックくらいしか選択肢がなかった。まったく狭い範囲で暮らしていたのだ。
 人口に膾炙したようにクラシックには冷房がなかったので,夏休みの時期のほとんどは,店が閉まっていた。たまたま9月の下旬にサンプラザのライブに出かけると,そのタイミングを喜びあったものだ。

 クラシックは,中野通りとサンモールに挟まれた一角にあった名曲喫茶店だ。サンモールにはまだ古本屋があって,ブロードウェイは,"まあおおむねそんなもの"で済まされた頃のことだ。その道(?)ではマヨネーズの蓋にコーヒーミルクが入って出てくるとか,水は飲み終えたカップ酒の容器の二次利用だとか,われわれは通いはじめた昭和50年代の終わりにはすでに都市伝説,いや実際のそうなので,伝説ではないけれど,広く知られていた。
 社会人になってしばらく,徹は会社帰り,中野のクラシックに入り浸りだった時期がある。会社帰りにクラシックで岡崎京子の漫画を読んで時間をつぶす,と書くと,三題噺にもならないルーティンで情けないけれど,まあ,徹は昭和末期,実際,そんなふうにしていたのだからしかたない。

 学生の頃,われわれが利用していた喫茶店は軒並みコーヒーが不味かった。わざわざ不味い店を探して入っているのではないかと悩みそうなくらい,それは不味い店ばかりだ。クラシックのコーヒーも決して旨くはなかった。経験というのは恐ろしいもので,私は圧倒的に紅茶を飲む回数が多かったから,喫茶店で飲むコーヒーの味はそんなものだと判断していた。

 ところが,この15年,コーヒーを飲む回数は日増しに増え続けた。(つづきます)


07月06日(日) 幕間  Status Weather晴れ

 ここ数年のこと。よくて年に一度,でなければ数年はお目にかかることのない女性の知り合いがいる。こ奴が,久しぶりに会った瞬間,私の容姿をみるたびに必ず笑いをこらえる顔をするのだ。数年,見ていないと確かに変わりはするのだろう。このところ,人生でもっとも体重が重いときを積み重ねている私だ。
 ただ,そのたびに後生大事に抱えていた何かが,解体されるビルのような勢いで崩れ落ちる。


07月08日(火) 幕間 PART 2  Status Weather曇り

 iTunesのライブラリにアルバムまるごと収めてあるものは多くない。Claude Challe がプロデュースしている"Buddha Bar"や"Helen Merrill"のベスト盤,Linda Lewisの"Lark"など,知人から借りたアルバム以外では,何枚かのサウンドトラックと空手バカボンの"ベスト"くらいのものだ。
 空手バカボンの"ベスト"を手に入れたのは,『リンウッド・テラスの心霊フィルム』が刊行される前後のことだったと記憶している。"KEEP CHEEP TRICK"は何度聞き直しても,おさまりの悪かった当時のことを思い出して鬱屈としてきたものだけれど,いまやそんな気分になることは皆無に等しいので,行き詰まりそうになったときに,ときどき鳴らしてみる。
 最近のこと。『大槻ケンヂ20年間わりと全作品』(K&Bパブリッシャーズ)を書店の店頭でみつけ,しばらく立ち読みした。
 筋肉少女帯は"エリーゼのために"まで,小説やエッセイは数年前まで,常に手に入れて読んでいた。"人生は大車輪"がP-MODELの"SPEED TUBE"を狙って結果,あんな曲になったとか(以前,どこかで同じくP-MODELの"サイボーグ"を狙ったというインタビューを読んだ記憶があるのだが),どうでもいい話がとても記憶に残る。最近の仕事は知らないもののほうが多いが,インドカレー店でかかっているBGV(インド人のおねえちゃんと濃い歌手が歌って踊る奴)を集めたDVDの解説まで引き受けていたとは知らなかった。このBGVをめぐるトリビアは,ほんと面白かった。


07月09日(水) 幕間 PART 3  Status Weather晴れ

 このまま忘れ去りそうだけれど。

 徹たちと,途切れることなくくだらない話を続けていたのは,当時顔を合わせていた面子での沈黙ほどいたたまれないものがなかったからだと思う。だから,われわれは恐ろしい勢いで,思いついたことを言葉にし,その話に突っ込み,視点を替えて,音だけを引き受け別の話につなげ,まったく違う話を挟みこんだ。
 慣れとはたいしたもので,そんなことを4年も続けたおかげで,会社勤めになった途端,それぞれが件の話術を披露すると,意外とうけがいい。ところが。
 「最初はいいんだけどなあ」
 徹が呟く。
 「ああ,確かに」
 「中身がからっぽだから,だんだん飽きられるんだよ」
 「まったくだ。うざったがられてもしかたないよ」
 「おれが,おれを相手に酒飲んだら嫌だものな。落ち着きないし」

 自分を相手に酒を飲むなんて,ありえないな,まったく。


07月11日(金) コーヒー 2  Status Weather晴れ

 または,私はいかにフレーバーコーヒーを飲むようになったか。
 といった経緯をまとめるには,時間が足りなかった。


07月12日(土) パティー・サワディー  Status Weather晴れ

 やっかいなことをもろもろ抱え込まざるを得なくなると,用意しているバイパスを潜り抜ける。
 こんな懐かしい曲を今さらながら,ヘビーローテーションで鳴らし続けているのは,まったくそんな理由からに違いない。この救いのなさは救いになる。いや,まったく,本当に。

 


07月14日(月) ケテルビー  Status Weather晴れ

 特撮続きで,もう一回。



 筋肉少女帯で譬えれば「戦え! 何を? 人生を!」テイストのこの曲のさびは,「たにしーーー」。出だしが「猫かと思って よく見りゃパン しかも一斤」だから,まあ他人に説明するのが厄介なのだけれど。
 某巨大動画掲示板で特撮の動画を見ていたところ,書き込みに笑ってしまった。
 「歌詞を書くときに言葉を選びすぎで,実際,歌うとき,どれが本当の歌詞だったか忘れてしまう」といったいいわけをしていたのは自切俳人名義で活動をしていたころの北山修だった。大槻ケンヂも,ライブで歌詞を忘れるのは常で,昔はライブのたびに新しい歌詞ができたり,長々と物語が展開されたものだけれど,中期筋肉少女帯以降はたぶん,ただ忘れているに違いない。
 で,そこにあげられてライブでの「ケテルビー」は,2番の歌詞が出てこないで猫が延々続くのだ。
 オリジナルはこんな歌詞。ここにあがっていました。
 だから,「彼女を愛する」はずが「猫を愛した」になり,まあ全体すごいことになっている。その箇所の書き込みが「猫愛しすぎ」。確かにそうだ。で,2番が終わったところでの書き込みは「結局,たにし出てこない」。そうなんだけれど,「たにし」が出てくるかどうかが,曲のラストを左右するなんて。


07月16日(水) クラシック  Status Weather晴れ

 Youtubeとリンク貼って何か記しても,いずれリンク切れになってしまうに違いないので,そんなことしてもなあ,と思っていたものの,サイト内のリンクさえメンテナンスままならないのだから,留まることもないと。

 はじめに貼るときは,これにしようと決めていたのだけど,すでに何度か貼っているし。



 日本のサイトからコピーしようとしたら,とてつもなく不愉快なことになっていて,しかたないのでGlobalから持ってきた。


07月17日(木) 交通  Status Weather晴れ



 日常と正義のありかたを考えるとき,とても参考になる一本。


07月19日(土) Drums on a Keyboard  Status Weather晴れ



 キーボードでドラムパートをいかに格好よく弾くかは,ハードルが高い課題だと思う。で,このCMだけれど,これを見てキーボードを手に入れようとは思いはしないだろう。このAsian Guyにトラの依頼があったとしても。


07月22日(火) 母の夢  Status Weather晴れ

 矢作俊彦のエッセイが掲載されているからという理由だけで,雑誌を買い求めていた時期があった。
 平成からこちら,そんなふうにして雑誌を見ることは少なくなり,いきおい,スクラップするページも薄くなっていく。
 季刊「真夜中」No.2を手に入れたのは,立ち読みして後,久しぶりにそんな気持ちが沸き上がってきたからだ。


07月24日(木) 誰かの人生  Status Weather晴れ

 「誰も彼も,自分でない誰かの人生を嫌々生きているような気がしてきた。そういうのが近頃の流行なのかな」
   矢作俊彦『ロング・グッドバイ THE WRONG GODBYE』p.560,角川文庫

 ハードカバー版の際,2刷以降,帯のコピーに引用された文だけれど,ときどき,知人の話を聞いていると,そんなふうに感じることがある。


07月27日(日) FROZEN BEACH  Status Weather晴れ

 何だか重いけれど。



 2003年4月5日の日記に記したのは,この日のライブのことだ。
 その日,1988年4月29日,私たちは田町駅の改札で落ち合うことにした。徹,昌己,裕一,伸浩,そして私。日中は雨模様の鬱陶しい天気だった。あがりきった湿度のなか,サラリーマン相手の居酒屋や定食屋が並ぶ通りを抜け,そのまま橋を渡り左に折れたところにインクスティック芝浦はあった。
 圧倒的に多すぎる観客の数。湿気と人いきれで不快指数が頂点に達してもスタートはまだだ。その頃のP-MODELのライブは開演が押すことが当たり前だったのだけれど,いつもに増してこの日は遅かったような記憶がある。
 ライブは半年後,ライブビデオに収められ発売された。すぐに手に入れてみたところ,フロアにいる私たちの姿を見つけた。



「日記」へもどる