2008年8月
08月01日(金) 回収船 |
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今のところ,P-MODEL名義でのラストアルバム「音楽産業廃棄物?P-MODEL OR DIE」(1999)の2曲目に収められているのは「回収船」。 Sailer さんざん流れた時の道に独りで Sailer 展望は何処?と問いかけてはぐれた あの声を連れ戻せよ 迎えは今だと航路を急ぎ このあたり,どうした理由かわからないけれど,よく口ずさむ。 帰ろう 丘の模写の上に集い 果たそう キミの根源を映し出し 見晴らす程のニューロンの街かどで 出会おう 捨てられたもの全てに 後期P-MODELの歌詞で,実のところ印象的なものは多くないものの,この曲は別。 |
08月02日(土) サスケ |
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土曜日の夜。 軽く食事をとった後,生暖かい風を身に受けながら,自転車を漕ぎプールへ行った。25メートル泳いだだけで身体がパンクしそうになったので,一回り以上年上の一団に混ざって,その距離を何度か往復した。プールというと昭和の終わり頃の短編をイメージしてしまうのだけれど,実際はそんなものだ。 1時間くらいウォーキングと水泳のレーンを行き来した後,シャワーを浴びて外へ出た。10時すぎ,自転車で坂道を駆け下り,突き当たりを右折したあたりで喉が乾いた。近くに100円の自販機があった筈だ。自転車に跨がったまま100円玉を入れて,さて,何を飲もう。見慣れない缶がそこにあった。 "メッコール"?? 大麦,炭酸の文字が飛び込んできたので,ボタンを押してしまう。そして口に含む。 サスケさんの本名は今となっては覚えていない。本人も自分がそう呼ばれていたことに気づいていないだろう。命名したのは徹だ。当時,コマーシャルで散々宣伝された割には,今ひとつ売り上げが伸びなかった清涼飲料水があって,そのCMに登場していた仙道敦子にサスケさんが似ていたからという理由からなのだが。 私たちは,どうしたことか揃いも揃ってドクターペッパー系の清涼飲料水に目がなかった。サスケ,そしてその後に登場したウイリー,メッコールの味はその系列に位置すべきものだった。 まあ,その出自がどのようなものであれ,と普通は頬かむりするところだけど,これはなかなか。 |
08月03日(日) 勇気 |
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これまで,なんだく鬱屈としてきたときには,"サボテン・ブラザーズ"か"ハネムーン・イン・ベガス"あたりを見ることにしていた。最近は,"野ブタ。をプロデュース"を頭から見直すと,ふっと力が抜けてくる瞬間がある。 |
08月04日(月) その後 |
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しばらく前から探していて,いったいどの小説の一節だったろうかとあれこれページを捲っても,そのフレーズは出てこない。 「(前略)だから我々もおもう,こ奴のさらなるその後は,きっととんでもなく素敵な見ものに違いない,と。」 やっと見つかったのは,先週の金曜日だった。 昨年のこと。10年以上も前,仕事に関するパーティーがあって,そのときのスナップショットが倉庫から出てきた。探していたのは別の写真で,そのアルバムを捲ったのはそんな理由からだった。 同僚だった彼女はまだ,大学を卒業して数年しか(しか,だ)経っておらず,傍目にもピカピカの未来だけは,どこの誰より抱え込んでいるように映った。その日,はじめて着たからなのかどうか知らないが,ショールを掛けたまま,「背中があきすぎなんですよね,このドレス」と告げられたことだけは記憶している。アルバムのなか,受付にいる彼女を斜め前から映した写真が一枚あった。 当時の彼女がどのような様子だったか覚えていない。私はといえば所帯をもったばかりで,毎日,やらなければならないことが目の前にぶら下がっており,他人の夢を記憶するにはあまりに忙しすぎた。 さて,受付をする彼女が映った写真を見て,思い出したのが先にあげた一節だ。本当に,きっと素敵な人生が巡ってくるに違いないと誰もに思わせてしまう佇まいが記録されている。 再び引用しよう。 「こ奴のさらなるその後は,きっととんでもなく素敵な見ものに違いない,と。」 生井英孝『マイク・ハマーへ伝言』解説より,p.274,(光文社文庫,1988) |
08月05日(火) うつむき加減でずっと |
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竹中直人演ずるところの高井戸の"中津川ジャンボリ君"くらいに自覚(虐)的なフォーク歌手であればまだしも,当時の私たちにとって遡ること十数年前に流行ったフォークソングへの拒否反応は,今にしてみれば,どうしてそこまでというくらい頑なものだった。 卒業間近になって,裕一が高校時代に文芸部にいて岡林信康を聞いていたとか(YMOのコピーバンドは片鱗にすぎず,サディサッズの前座として呼ばれたほどの裕一をしてという形容がさて,どれほど有効なのか定かではないが),私が自切俳人時代の北山修を経由してフォークルを聞いていたとか公言できるようになった。まあ,加藤和彦はそのあたりで旨い具合に防護壁になるのだけれど。 喬司は他人の趣味に云々いうことはなかったし,昌己は出自としてのゴダイゴとEW&Fを抱え込んでいたし,結局のところ,当時の頑さは徹に由来するものだったのだと,後になって思い至った。 はじめて徹のアパートに行ったとき,レコード棚に入っていたのは,チャクラとはにわちゃん,サッチモ,それまでの私の友人にはひとりとしていない趣味だった。プロレスといえばジャイアント馬場贔屓で,漫画雑誌はガロ,サッチモを聴く高校生が,まわりからどのような扱いを受けたかを想像してみろといわれれば,容易くできるけれど,そんなことは私たちの誰一人想像することもなく,徹がうつむき加減でずっと,「フォークか,けっ!」と吐き捨てる声を引き受けていた。決して無理していたわけではなかったと思う。 |
08月08日(金) 過去形 |
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「おはようございました」 なぜ,過去形? |
08月10日(日) また,偶然がたくさん重なれば,こんなことも起きるわよ |
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とタイトル(?)だけ記しておいて,書く筈だった内容をすっかりわすれてしまった。 |
08月13日(水) 本 |
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先日のこと。家族と旅行に出かけたとき,鞄に入れていったのは辻邦生の『岬そして啓示 パリの手記IV』(河出文庫)。ほとんど読み進められないのだけれど,このところ,辻邦生のエッセイを持っていくことが多いのに気づく。いや,本当に旅行先で読み終えたためしはないのだけれど。 |
08月19日(火) ジム |
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決して,運動を目的にどこかへ通うことなどすまいと思っていた。そんな日がくることを予想することさえなかった。 ところが,ゆえあって昨年秋から,週1回程度,通勤途中乗り換え駅にあるスポーツジムに通っている。 ストレス多い昨今,これが意外とその解消になることを,通いはじめて知った。 |
08月21日(木) 夜を徹して |
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学生時代,精神科の病院での看護補助者としてのアルバイトは週2回。火曜日の準夜勤(17:00~0:00)と金曜日の深夜勤(0:00~9:30)。これで月額6万円を越して,ささやかなボーナスが出たのだから2年以上続けられた理由はわかりやすい。 準夜勤が終わると家に帰り,翌日の授業に備えてとりあえず寝たものの,深夜勤から戻ると,土曜日は時間の感覚が混乱してくる。ああしたうつろな感覚は,卒業後,徹や昌己と週末の麻雀に勤しんでいたころまで,結局続いた。 身体を,まるで自分のものではないような感覚が包み込み,意識の断片を繋げることが難しくなる。頭の芯が麻痺しているような身の置き所のなさ。食欲よりも睡眠欲を優先するその短くない時間が,このごろなぜか懐かしい。 少なくともこの15年,ああした夜を徹したときの感覚を経験したことはないと思うのだ。 |
08月24日(日) 引用 |
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世の中にはこれだけ言葉が留め置かれているのだから,必要な言葉を引用で済ませたいと,いつの頃からか思っていた。かといって誰それのアフォリズムを懐に忍ばせるべき暗記に勤しむことはなく,結果,手っ取り早いのは曲の歌詞やタイトルをかっさらうことだと反省もせずに,これまで少なくない場面でそうやって言葉を当てていった。 ところが,最近,どうも私が引用できる箇所,曲名,歌詞,書名などが,やたらネガティブなもの,シニカルなものばかりであることに気づいた。 いわく"いい人ポップスだ"などと聞きもしなかった曲にこそ,そんなとき,引用できるものがあったのではないかと,少しだけ不安になった。 |
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