2008年12月

12月04日(木) 悲劇週間  Status Weather晴れ

 矢作俊彦の『悲劇週間』が文庫版になって刊行されたので手に入れた(文春文庫)。それにしてもこんなに分厚くなるとは。単行本は致命的な誤植があったので,早く手直しされたものを読み直したかった。
 少しずつ読み進めている。


12月06日(土) メンゲレ  Status Weather晴れ

 「菜食主義者用のテレビディナーを電子レンジで温めながら海を救えとか山を救えとかほざいているような人種には,何を言っても始まらない」
 「こっちから願い下げよ。ヨーゼフ・メンゲレの弁解なんか聞きたくない」
   矢作俊彦「常夏の豚」文學界,2009年1月号

 この手のやりとりは本当にデビュー当時から変わらない。


12月07日(日) 批評家  Status Weather晴れ

 「矢作俊彦は不幸な小説家である。
 シェイクスピアの昔から,小説家には不実の友にまさるひとりの批評家が必要だ??というのが創作行為と批評行為の摂理である筈なのに,矢作俊彦には,彼の背丈に見合う仇敵が存在しないのである」
   生井英考『マンハッタン・オプII』解説,角川文庫,1985.

 その評論が「新潮」に掲載されたことだけは――よりによって矢作俊彦を取り上げた評論を――評価するにしても,なんと寒々しい内容だったことか。
 思い起こすと福田和也でさえ,矢作俊彦についてまともな評論を書いてはいない。ある時期の高橋源一郎が,遡って村上春樹が書く可能性はゼロとはいえなかった筈だが,結果,彼らは評論を書かなかった。久間十義による何編かの書評くらいしか,私の目の前に残っていないのだ。
 で,あの評論か。


12月10日(水) 1年  Status Weather晴れ

 最近の日記ばかりだけれど。

 この時期になると,いや,この時期にだけ出会う知人が幾人かいる。その間にお互いが何をしていたかが俎上に上がる前に,結局,去年のこの時期に何をしていたかの話から遡ること数年,この一年に辿り着く前に,時間は夜中の2時をまわっている。
 春先に向けて何かと忙しく,年末年始の仕事先の休みを予定に入れながら仕事が重なってくる時期だから,金曜日の夜に集まって,土曜日の少なくとも午後には職場で仕事を片付けること,その繰り返しだ。たぶん,午前2時を過ぎても,残った奴らは始発まであれこれ話しているのだろう。
 でも,最近の話にまで,果たして辿り着くのだろうか。


12月13日(土) 季節  Status Weather晴れ

 これも最近の話。

 「まだヤムウンセンとパッパオカイしか頼んでいないよ」
 遅れてやってきた昌己が腰を落としたので,私は告げた。
 「悪い。出がけに上司につかまっちゃってさ」
 シンハービールで乾杯すると,店主のおばさんが厨房にもどらず立っている。
 「このまえのタネ植えてみた?」
 「ランブータンって寒くなったらどうすればいいの。日本,寒いでしょう」
 「部屋のなかにいれておくね」
 「そうだよなあ。枯れちゃうんだ,外に出しておくと」

 しばらくすると摘むものが少なくなった。
 「おばさん,ソンタム一つ」
 「ごめんね,パパイヤないよ,いま」
 「そうかあ,旬じゃないんだなパパイヤって」

 ところが,パパイヤってどちらかというと,今の時期が旬のようなのだ。
 単にパパイヤを切らせていただけなのかもしれない。


12月18日(木) チャイナマンズ…  Status Weather晴れ

 そこが中華街なら話は容易だ。たまたま紛れ込んだで納得もできよう。
 だが私が迷い込んだのは山手線内で,郊外への私鉄と連絡する駅の改札から歩いて3分。ビルに地下にある点だけを除けば,どこにでもある中華料理店にしか見えなかった。値段につられて潜り込んだのは中国語ばかりの空間。店員も客も皆,中国人ばかり。テレビ番組まで馴染みのないものが次々と流れてくる。
 言葉が通じないことの心地よさを感じたのは久しぶりだった。


12月21日(日) 詐欺師  Status Weather晴れ

 詐欺師と制服の関係を簡潔にまとめて示してくれたのは種村季弘だった。新聞を捲っていると川本三郎が引用した箇所をまさにそのまま記憶していたことが判った。河出文庫で刊行され始めた頃,それでも,しばしば古本屋で手に入れたことを思い出す。


12月22日(月) 1974  Status Weather晴れ

 King Crimson解散の年であり,『ヴァリス』で帝国が滅びるたとえとしてあげられてた年だけれど,ここでの1974は『滝山コミューン』の話。
 家内が同じ時期にこの巨大団地に住んでいたこともあって,古本屋で『滝山コミューン1974』(原武史,講談社)をみつけたとき,とりあえず手に入れて読み進めたのは少し前のこと。

 ところが,これが四方田犬彦の『ハイスクールなんとか』と同じく,語り手の自意識がどうも空回りしているように思った。
 それこそ少年ドラマシリーズにならって,フィクションで書いてしまったほうが,幾倍も説得力があったのではないかと。


12月25日(木) 本  Status Weather晴れ

 家の近くにある本屋には自作の帯とPOPに彩られた『マイク・ハマーへ伝言』が飾られている。黒地に白抜きで記されたコピーは好き嫌いが分かれるだろうけれど,今,全国の書店で自作の帯がついたこの本が置かれているのは,たぶんここだけだろう。
 本屋でプロレスをする企画に乗ったり,面白い本屋で,それなのに私がここで手に入れる本といえばキャッチセールスに付いていったらこうなったとか,篦棒な人のことをまとめた本とか,そんなものばかり。
 この前,久しぶりに店に入り買い求めたのは『恋と股間』(杉作J太郎),『おれは魔物とくらしてる』(ルノアール兄弟)。
 まったく褒められたものではない。


12月27日(土) 道を尋ねる  Status Weather晴れ

 先日のこと。忘年会ともいえない飲み会の待ち合わせ場所は,20数年ぶりに降りた駅から10分くらい先にあるピザ屋だった。
 出かけにプリントアウトした地図をしっかりと机に置いたまま,店名も記憶せず駅を降りたのは待ち合わせ時間を20分くらい過ぎた頃。さっと見ただけのプリントアウトの地図,その記憶をたよりに方向を定めて歩き出した。
 記憶どおりに二股に分かれた地点まで辿り着き,しかし,そこから先の記憶はまったくない。店名はナカテンがやけに多かったことくらいしか覚えていない。軽い昇り坂になった左手の先に古本屋の看板が見えたので,速攻でその道を昇っていった。
 古本屋に入り,棚を流して,先を急ぐものの,それらしい店は見当たらず,二股まで戻ったのはさらに10数分後。右手に入ったけれど,先の失敗を繰り返すまいと,目についたクリーニング店で尋ねた。
 「このへんにピザが旨い店がありませんか」
 クリーニング屋のおやじの容姿は70を越えているようにみえた。しばしの沈黙。
 「ピザの旨いみせねえ」
 少なくとも私には,記憶をたどっているようすがうかがえた。
 「このへんにはないねぇ」
 「そうですか。助かりました。もどってみます」
 そう答えたものの,自分と土地のおやじの記憶を天秤にかけると,どうもおやじの分は悪い。駅のほうへと戻りながら,もう一軒,クリーニング屋があったので,そこでも尋ねてみることにしたのに,しかし大した意味はない。
 「ああ,この先の二股を右に入って,昇り切ったところにスーパーがあるから,その斜向いにあるねえ」
 記憶を辿るまでもない。即答だ。

 私はきた道を引き返し,横目でさっきのおやじの姿を探しながら,店へと急いだ。もちろん,おやじの姿はみえなかった。


12月29日(月) 反則  Status Weather晴れ

 以前も書いたけれど,喬司に『ヘイ! ワイルド・ターキーメン』と『卒業 さらばワイルド・ターキーメン』を貸したのがいつだったか覚えていない。杉作J太郎の「ガロ」デビュー作(金の斧銀の斧のネタ)が掲載されたその号を,たぶん昌己も徹も買っていて,われわれのなかでは衝撃を受けてから数年後のことだったと思う。
 「金の斧銀の斧」の驚きは,つまるところ「弱く出る」語り口だ。決して「下手に出る」のではない。一度,杉作J太郎の漫画における「弱く出る」加減にはまってしまうと,結果,『恋と股間』(ポプラ社)まで買うのは自然のなりゆきだ。

 ただ,この本はあまりに反則が多く,電車のなかで読んでいたところ,笑いをこらえるため,咳き込みを連発してしまった。
 「見た目に自信がない場合,恋愛は何で勝負すればいいですか?」の見出しに続くのは「まず,年上の女性に可能性を見出してみる」。確かにそうだろう。けれど,そこからはじめるのは反則じゃないだろうか。不用意にページをめくり,こんなフレーズが飛び込んできたものだから,咳が止まらなくなった。
 「生まれた瞬間からタイタニック号の上」という見出しに吹き出してしまい,また,どんなロマンを語るのかも読み始めたら,死に向かって確実に沈んで行くことの喩え。そっちかよ!!と本に向かって思わず突っ込みを入れてしまいそうになった。

 今年読んだなかで,一番よかった本かもしれない。



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