2009年3月
03月01日(日) メモ |
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「一生懸命走って15秒あたりのところ,100メートルってそれくらいよ」 |
03月02日(月) チャイナマンズ・チャンス |
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切り抜きがたまってきたので,会社の行き帰りに「チャイナマンズ・チャンス」のストーリーを追いなおしてみた。 ここ数か月で致命的なのは,一人称で物語をすすめることが困難な構造に流れ込んでいるからだろう。これは「気分はもう戦争」を組み込んでしまったところに原因があるようだ。「ドグラ・マグラ」よろしくメディアを横断しながら一人称だけは保つ工夫はしているものの,そのせいで時間が弛緩してしまう。 「その年,いつくかの理由で私の懐具合はあたかかった」(正確ではないけれど)は,矢作俊彦がよく引用するチャンドラー小説の一節だが,『ロング・グッドバイ(wrong goodbye)』でこうした時制を使ってしまった理由がいまだよく理解できないでいる。 「チャイナマンズ・チャンス」はスギウラ・ゴロウの物語でよかったのではないか,と今のところ思うのだけれど。 |
03月04日(水) The Hof Brau |
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最近の日記です。 午後から山下町で打ち合わせがあったので,昼飯をThe Hof Brauでとった。 地下鉄ができてから,このあたりまで出てくるのは楽になったけれど,通りの様子が年々殺伐としている。10年程前にはさっぱりした街並になったものだと感じたし,20年前に千葉ナンバーだった伸浩のレヴィンで出かけたときにも,その数年前の10月14日,横羽線で何を間違ったのか黄金町へ行ったときに比べると緊張感がなかったように思いもした。それでも10年くらい前までは怪しげな建物がまだあちこちに残っていたのだけれど,このところのスクラップ・アンド・ビルドで,そうした箇所は壊滅してしまったようだ。 シルク通りには懐かしい建物が少しだけ残っていて,それでもまあ変わったものだと感慨一入。 昼のThe Hof Brauはカバーを剥がした単行本のような感じがした。 |
03月08日(日) さりながら |
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通勤途中,フィリップ・フォレストの『さりながら』(白水社)を捲っている。娘がクリスマス・プレゼントにもらったiPod shuffle(アップルストアから再整備品を調達してくるサンタクロースというのはやたらと所帯じみているが)を借り,適当に長尺の番組をPodcastからダウンロードして聞いていると,副交感神経優位になってくるものの,朝,こんなので職場へ向かってもいいものだろうか。 |
03月09日(月) data base |
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というわけで,Podcastをあれこれチェックしながら聞いていると,思い出したように不安が頭をもたげてくる。一過性の電波であれば,聞き逃した見逃したと悔しがることができるのに,これらのデータベースを前に,聞き逃したままでいることも見逃したままでいることもできはしない。 体験や記憶が横滑りしながら積み重なっていかないのは,ただ時間の蕩尽のように感じられてくるのはどうしたものだろう。 |
03月11日(水) できること |
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「体育でバスケットボールやってるんだけど,うちらのチーム優勝したの」 「へぇ,凄いね。試合には出たの?」 「うん。5年生と6年生が合同でチームつくったんだけど,6年生の子が上手いの。うちのクラスの子と2人でゴールの近くまで行ってどんどん点数入れちゃうんだよ」 「部活やってるのかな」 「ううん。でも2人とも運動神経いいから,上手いの」 「試合には出たの?」 「うん」 「どんなふうにして」 「わたし,まだドリブルできないから,相手のチームにボールが行ったとき,パスするでしょ。それを手で邪魔したり,弾いたりするの」 「そうやって,その2人にボールが渡るようにするんだ」 「うん」 たとえドリブルできなくても,チームのなかで役割があり,それでゲームが進んでいくというのは,何だかとてもホッとする。 |
03月13日(金) 3月20日 |
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その日,仕事場で出た最初の話題が地下鉄の路線図であったことは,悔しさとともにいまだ覚えている。 |
03月15日(日) 悪のありか |
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当時,昌己の家は改装中だったので,半年くらい高円寺に住んでいた。週末になると20000Vにライブを観に行ったり,古本屋や古着屋をまわったりで,月に数回は行き来した。だからその年の選挙運動のことはよく覚えている。 石原軍団とアントニオ猪木,オウム真理教が駅前で声を張り上げていた。「あの歌,さすが耳についてきたぜ」昌己はいった。いつも以上に混沌とした空気が高円寺に漂う。 数年後,徹が「『大人宝島』が出るんだってさ」,もちろんステーブンスンの話ではない。その雑誌は「宝島30」という誌名のとおり,30代の読者を対象にした内容だった。今では記憶がないものの,当時,本誌は80年代の編集方針から内容が様変わりし,前後するものの「シティロード」や「NEWパンチザウルス」は姿を消していた。徹はといえば,その後,コラムを読むために「CREA」を手にするまでしばらく「宝島30」を手に入れていたと思う。 このところ,古本屋でオウム真理教とその事件に関する本や雑誌を100均棚から見つけては読んでいる。残っている記憶はあまりに断片的だ。 |
03月18日(水) A |
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森達也の書く本を読んでいると,こぼれ落ちるものをすくいあげようという姿勢と表裏一体に,おかしな意味とそれをつくりあげてしまう著者の無自覚さが鼻についてくる。『放送禁止歌』も『下山事件』にも感じたそうした匂いを『A』(角川文庫)にも感じた。 |
03月23日(月) 文庫 |
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よもやメアリ・ダグラスの『汚辱と禁忌』が文庫本になる日がくるとは。1980年代半ばの版は,いまだときどき捲ることがある。 |
03月26日(木) 犬には普通のこと |
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『サムライ・ノングラータ』の例があるので何とも言えないけれど,司城志朗と組んで「犬には普通のこと」を復活させるのだろうか。「ミステリ・マガジン」に矢作俊彦の文章が掲載されるのは,もしかすると『レイモンド・チャンドラー」の特集号以来かもしれない。 |
03月30日(月) ブロードウェイ |
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「ブロードウェイって,中野だよね」 ニュース番組を見て娘がいう。 確かに,小さい頃から行きつけだけれど,ニューヨークが中野を真似たわけではないとだけは伝えなければ。 |
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