2009年4月

04月01日(水) チャイナマンズ・チャンス  Status Weather晴れ

 「横浜駅の町灯りとベイブリッジを左右に見ながら,ヘリは港の上空で高度を上げた。米軍専用埠頭は思いの外大きく,水面をコンクリートで埋めている。
 行く手に新横浜駅の灯りが見えたかと思うと,すぐに高度は千メートルを越えた。
 気持ち尻を上げ,やや前のめりに水平飛行を始めると,防風ガラスを埋めつくした夜闇のあちらこちらに,田畑や里山を切り開いてこしらえたニュータウンが、地の裂け目から吹き出すマグマのように光を放ち,それぞれを水銀灯に青白く輝く幹線道路が結んでいる」
   矢作俊彦「チャイナマンズ・チャンス」第14回

 とても象徴的に感じた一節。
 ただ,小説自体は以前書いたとおり,破綻しはじめていて,これはまとまらないかもしれないと慌てて古本屋で「野性時代」のバックナンバーを買いあさり始める。



04月05日(日) モラリスト  Status Weather晴れ

 彼とはじめて会ったの私がまだ,西新宿のオフィスにいた頃のことだ。上司に呼ばれて打ち合わせブースに行くと,日本人離れしたプロポーションの長身で短髪で彫りの深い男性が立っていた。それは“アラブ系のジャン・レノ”というイメージがピタリと嵌ってしまう容姿だった。
 当時,私が抱えていた仕事が佳境に入り,イラストを発注することになり,以前,売り込みにきた彼に上司が声をかけたのだ。元々は設計事務所に勤務していたものの,請われてその世界のイラストを受けるようになり,いつの間にかそちらのほうが専門になってしまったという。
 本郷追分の鄙びた共同ビルの一室で,手動写植を打ちながら仕事をしている方にイラストをお願いした経験はあったものの,本式のイラストレータと仕事をするのは初めての経験だった。
 私は,その仕事のやりかたを彼に教えてもらった。ありえない構図の原稿を渡しては,この箇所はどうなっているのか著者に確認してほしいとの連絡を受けたことはしばしばだった。まだトレース屋という職業が成立していた当時で,できあがりは,手描きのイラストに引出し線を引き,写植を貼り付け納品された。普通に印画紙をカッターで切り取り張付けると,印刷所で製版する際,影が出てしまうので,印画紙の厚みを極力薄くするため削ぎ落としているのだと聞いた。

 彼の仕事が遅かったのは,納得するまで絵を描き始めないところに大きな理由があったのだけれど,加えて,依頼された仕事は断らないというポリシーをもっていたことが遅れがちの納期に少なからず影響していたと思う。
 3,4か月で終わると見込んでいた仕事が,半年経っても50%程度しか完成しなかった。全体の進行が遅れている大きな原因が彼のイラストの出来上がりだったことは上司にも判っていたのだろう。並行した企画のイラストはトレース会社に依頼することになった。(しばらく続きます)



04月10日(金) 戦車  Status Weather晴れ

 モラリストの彼の話は延々続きそうだからだろうか,なかなか書き進められない。

 「ほんの短い間,石森章太郎のまねをしていたことがあって,うちへ遊びに行ったことがある。(中略)ぼくはそこで初めて漫画をかいたんだから。『漫画がかけるのか』というから,かけるって嘘をついたんだ。そうしたら『ここを黒く塗れ』って言われて。『幻魔大戦』という漫画を連載していて,塗っていたら永井豪さんが『上手いじゃないか』と。ぼくより二つ,三つ上のアシスタントで,彼はそれに戦車をかいてたんですけど,ぼくはそれを見て,つい,戦車のキャタピラはこんな形をしていないって言っちゃったんですね。これじゃ下駄の鼻緒じゃないですかと。向こうも腹を立てて,じゃあかいてみろということになった。すると石森さんがぼくのかいたキャタピラを気に入ってしまって,結局,幻魔が起こした竜巻で自衛隊の戦車部隊が全滅するシーンのキャタピラは全部ぼくがかいた(笑)」
   矢作俊彦・高橋源一郎・内田樹「少年達の一九六九」p.272,すばる,2007.

 親のところへ戻れば全2巻の『幻魔大戦』はあるのだけれど,チェックする機会を逸していたところ,文庫版が出たので手に入れた。状況の説明は異なるものの,p.397左段上2つのコマは多分矢作俊彦が描いたに違いないと思う。ホワイトもしくは切り貼りしたからなのか枠線が外のコマと違うように見える。




04月13日(月) モラリスト2  Status Weather晴れ

 そのイラストレータは当時,Macを使って作品を仕上げていたように思う。原稿を渡すと,それをスキャナで取り込み,線やベタで少し変更を加える。文字を打ち込んで校正紙はプリントアウトされて出てきた。トレースからその世界に入った専門家に,決定的に不足しているのはデッサン力だ。線や構図で遠近感を付けたり,プロポーションが自然ととれてしまったり,そういった能力はほとんどない人が,これは現在に至るまで少なくない。
 届いた校正紙を眺めながら,私はまだ刊行に至らない彼の仕事と比較した。溜息をついては,赤字を入れ,かわり映えのしない再校正のイラストがたまっていった。
 約束はたびたび反故された。「締切さえ守ればどんな作品をあげてもいい」のがプロなのか,「締切を落とさなければ,どれだけ締切を延ばしてもいい作品を仕上げる」のがプロなのか。矢作俊彦が昔,もちろん後者がプロだと語った隣で「締切をまもっていい作品を仕上げるのがいちばんいいですよね」と突っ込みを入れた編集者の気持ちが,そのときはよく判った。
 残り10%ほどになった原稿をもらわなければ,その本の刊行のめどはたたない。彼の仕事場に出かけたからといって,簡単にイラストが入手できるとは思わなかったものの,指を加えて待っていられる段階ではなかったのだ。



04月15日(水) モラリスト3  Status Weather晴れ

 彼の事務所は都内から放射状に延びる私鉄で1時間ほどの場所にあった。今となってはどうやって事務所まで辿り着いたのかは記憶にない。事務所は普通の一軒家で,台所の隣にある八畳ほどが仕事場だった。奥に仕切られた部屋があってそこは撮影用の部屋なのだという。デッサンに歪みが出てくると,自らモデルとなって依頼原稿のポーズをとって撮影し,それをもとに原稿を仕上げていくのだという。
 とりあえず,スケジュールを調整しなおした。その予定で仕事を仕上げてもらうことを了解してもらったものの,これまでの経過を考えると,遅れ遅れになるのは目に見えていた。それでもスケジュールを立てないことにははじまらない。そこまで数十分で片付いた。
 「駅まで送りますよ。上手い喫茶店があるんで,行ってみませんか。でも,出るまでちょっと待っててください」
 そういうと,散らかった辺りを片付けはじめた。
 「家を出たら,帰ってこれないかもしれないですよね。ぼくは帰ってこられなくても恥ずかしくないように片付けてから家を出るんです」
 恥ずかしいくらいなら仕事を約束通り仕上げるのを優先してほしい,まだ20代の半ばだった私はそう思った。



04月17日(金) モラリスト4  Status Weather晴れ

 私たちはスナックなる場所に出かける習慣がなかった。これは今も変わらない。昌己や徹,喬司と行くのは居酒屋か食堂,喫茶店がいいところ。ところが世の中には,スナックなる場所で酒を飲み,食事をとることに違和感を覚えない人間が少なくない。彼はときどき,私を馴染みのスナックに連れて行ってくれた。それは赤坂だったり新大久保だったり,神保町だったりした。
 入り慣れていないのでそんなとき,私はやけにぎこちない動きをしていたに違いない。「借りてきた猫みたいというのはそんな様子を言うんですね」と,よくからかわれた。
 私より一回り上で,団塊の世代の少し下,殺伐とした70年代はじめの学生運動に入り込み,数年をそのなかで過ごしたと聞いた。
 「まさか,黄色いヘルメットをみると怒りが覚えるというような経験もっているわけじゃないですよね」
 「えっ,どうしてそういうこと判るんだろう,不思議だな」
 亡くなった上司とのやりとりで,その手の間の手には慣れていたので,話は,おおくが昔のことになった。酒を飲みながら,いろいろなことを聞いたのだけれど,もちろん酒を飲みながらなので,ほとんどは覚えていない。



04月25日(土) 犬なら普通のこと  Status Weather晴れ

 「OP」(二玄社)No.3の特集は「ニューヨークでは,人生の花が咲いている。」(1996)。このなかで矢作俊彦は,荒川修作,ローレンス・ブロック,トーキル・ガドナソン,エド・マクベイン,漆原建志,そしてドナルド・ウェストレイクのインタビューをこなしている。このうち,荒川修作とトーキル・ガドナソンのインタビューが『ツーダン満塁』(東京書籍)に収載された以外,そのまま(捨て)置かれている。
 「ミステリ・マガジン」の6月号から「犬なら普通のこと」の連載が始まった。矢作俊彦の文章が同誌に掲載されたのは400号記念誌以来ではないかと思う。エッセイ「アメリカでは意外なこと」と司城志朗との合作「犬なら普通のこと」の第1回が掲載されている。

 ドナルド・バーセルミの小説をはじめて読んだのは「ミステリ・マガジン」だった筈だ。妙な翻訳短編小説がときどき紹介され,紙面に必ず編集者のひとことが顔を出すというのが,そのころの「ミステリ・マガジン」の印象だった。

 数年振りに買い求めた同誌の印象はかなり変わったように思ったが,それでも表紙や本文に矢作俊彦の名が載ると何ともいえずピッタリするのが不思議だ。
 小説は,野性時代の「犬には普通のこと」とはまったく異なり,どちらかといえば「JINGI(仁義)」に近い印象。「桜坂ムーンドライヴ」との接点はあまりなさそうなのが残念。



04月27日(月) BN  Status Weather晴れ

 二玄社のHPでは「OP(オプ)」のバックナンバーが当然のように買えるのが凄い。



04月30日(木) 土俵  Status Weather晴れ

 腐っても1960年代生まれなんで,土俵にあがって物事の正否を質すなんて徒労に付き合う気はまったくない。
 いや,どんな土俵であっても,そこにあがるなんて。



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