2009年9月

09月01日(火) 影響  Status Weather晴れ

 「……ただ,あまりに上手すぎて影響されるどころじゃないのが,矢作俊彦さんです。一番好きな作家ですが,どう逆立ちしたってあの文章,会話は書けません(笑)」
   インタビュー・牧村一人,野性時代2009年9月号,p.421.

 どのような作品を書いているのか知らないが。



09月02日(水) 引用  Status Weather晴れ

 「君が怒る気持ちは分かるよ。俺のところへ,直接怒ってきた役人は君で三人目だ.前の二人はみんな次官になって雲の上だよ」
   矢作俊彦「チャイナマンズ・チャンス」第19回,野性時代2009年9月号,p.562.

 これは,笑うべきところなのだろうな。



09月03日(木) "HEROES"  Status Weather晴れ

 カラオケでデヴィッド・ボウイの"HEROES"を歌ったところ,出だしの歌詞が違っていた。ライブエイドで歌詞が入れ替わって歌われていたとの記憶が甦ってきた。オリジナルのほうが全然,いいんだけど。



09月04日(金) 引用  Status Weather晴れ

 で,RYKO盤の"HEROES"とSCARY MONSTERSを引っぱり出して聞いていた。P-MODEL(後に平沢ソロ1stにも収録された)「仕事場はタブー」は,ボウイがカバーしたALABAMA SONGを引用したに違いない,と昔,感じたことを思い出した。



09月05日(土) 歌詞  Status Weather晴れ

 カラオケでは「だいじょうぶマイ・フレンド」は広田レオナの歌でも,何とかという俳優の歌でもなく加藤和彦の歌として登録されていた。

 ここ

http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND47336/index.html

に載っている歌詞が「だいじょうぶマイ・フレンド」なんだけど,タイトルはなぜかシングルB面の「街に風が吹く時」になっている。「街に風が吹く時」は,ニール・ヤングのある曲のパクリみたいなものだけど淡々として悪くない曲。「だいじょうぶマイ・フレンド」も,出だしはスタイリスティックスだか何だかの曲に似ていて,でも,20年振りくらいに歌ったらいい曲だった。



09月06日(日) 日記  Status Weather晴れ

 訳あって以前の日記のデータをチェックしていたところ,よく書いてあるなあと,他人事のように感心した。



09月08日(火) 更新  Status Weather晴れ

 連載「JFK ハイアニスポートの想い出」のページを入れ込んだ。結局,前につくったデータが残っていたので,フレームに併せて修正しただけで出来上がった。「仁義」もそのうちに。



09月10日(木) うそ  Status Weather晴れ

 竹内敏晴さんにはじめてお目にかかったのは,13年前のことだったと思う。
 名古屋で開かれた会に竹内さんが登壇された。取材がてら出かけた私は控え室を訪ね,連載企画の相談と東京へいらっしゃる日を伺った。
 成子坂下の稽古場から出てきた先生を上司共々むかえ,新宿南口のサンルートで打ち合わせをしたことを思い出す。

 テーマは「聴く姿勢」。話をすすめながら,「一度使ったことばだが『からだが語ることば』というのはどうだろう」と提案いただいた。最終的に連載は別のタイトルでスタートし,1年で終わった。
 竹内さんは,私のことは,"わたし"もしくは"ぼく"とひらがなで書く。なぜ漢字を使わないのか尋ねたところ,「僕は従僕の僕だ」とおっしゃった。実は矢作俊彦も"ぼく"とひらいて書き,たとえば村上春樹は"僕"と漢字を使う。
 思い出すことはたくさんあるのだけれど,少しだけ書いてみる。



09月12日(土) うそ 2  Status Weather晴れ

 原稿は毎月,ファクシミリで届いた。校正の際に,こちらで考えた中見出しを付けてお送りする。12回のやりとりは,30代を迎えてもいまだ20代の感覚から抜けていなかった私にとって,毎月楽しいものだった。
 連載が終わりに近づいたある日,東京でレッスンをやるので取材してみないかとお誘いを受けた。二つ返事で受けて,週末の2日間,カメラとカセットを携えて出かけた。初日の午前中いっぱい,私は畳敷きのその部屋の端に荷物を置き,レッスンの様子を写真に撮った。昼食のとき,「わたしのレッスンの場に直接参加していない人がいるのははじめてかもしれない」と妙な褒め言葉をいただき,よころんでいたのもつかの間,午後に入ってよびかけのレッスンあたりで,二人組みになる相手が足りないので入ってください,とのひと声で,史上初のレッスン傍観者の立場を保つことはなかった。

 初日が終わったときであったか2日目の終わりだったか,レッスンの後,近くの居酒屋で竹内さんを囲み,簡単な食事をした。女性がほとんどだったので,アルコールはなかったか,せいぜいびんビール1本程度。竹内さんが鮟きもを頼んだことを覚えている。わたしが宿泊先のホテルまでお送りすることになった。でも,電車のなかで何を話したのだろう。そのあたりの記憶が残っていないのだ。



09月15日(火) チャイナマンズ・チャンス  Status Weather晴れ

 また,「眠れる森のスパイ」が登場。というか,一度,「犬には普通のこと」で使った場面だから,なんだかややこしい。クリス・アッカーマン相手だから,「眠れる森のスパイ」に近いのだけれど。
 で,「ウリシス911」では,まったく気にならなかったのは,あの小説は「既存の自作を再構築して別の物語につくりあげる」という確信があったからで,連載の「SO LONG」の際,途中から(使いまわし?)同じようなことになった途端,このままではまとまりそうもないな,と感じたのとは別。「チャイナマンズ・チャンス」も(たぶん)終わり近くになって,なんでこんなことになったのだろう。



09月17日(木) うそ 3  Status Weather晴れ

 その後,一度,大阪でお目にかかって,しばらく後,最後にお話したのは,池袋のメトロポリタンプラザからご自宅へかけた電話で,10年前のこと。あのとき,胃がひっくりかえりそうになりながらついたうそは,いまだに自分のなかで解決していない。竹内さんがお亡くなりになった今となっては,生涯かかえていくことになるだろう。
 「ことばはうそをつく」と連載で書いてくださったその本人に対してうそをつくとは。

 さらに数年後,一度出したはがきにご返事をいただいたのは,以前,どこかに書いた。



09月24日(木) 本田靖春  Status Weather晴れ

 『不当逮捕』で嵌り,『私戦』『誘拐』あたりまで遡り,『疵』でやや冷静になり,『戦後』は買わずにいた。先日,古本屋の百円棚に『戦後』があったので,ふと買ってしまい読み始めたら,面白くて一気に読み終えてしまった。

 1970年代の終わりから80年代はじめにかけて,曰く昭和50年代に読んでいた本をひっくり返しながら捲っている。ほぼ読破したのは江戸川乱歩と北杜夫,夢野久作は全集を手に入れたのでたぶんほとんどの作品は読んだ筈だ。中井英夫を読みながら,そこに矢作俊彦が加わり,内田百閒を旺文社文庫で読み終えると,あと残るのは福永武彦とか辻邦生,折り返しに入った頃に,ディックやヴォネガット,チャンドラーにモームが加わって,他に当時,気に入った小説家はそれほどいなかった。
 以前記した通り,少ない読書体験から,内田百閒と中井英夫,そして矢作俊彦に共通する(と当時は感じた)「現実への違和感」について,つらつらと想像を膨らませることが楽しかったのだから,気楽な一時だったと振り返ると,そう思う。
 本田靖春のノンフィクションを読みながら,そんなことを思い出した。



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