2009年10月
10月04日(日) ヨガ |
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「はじめて北村薫の小説を読んだとき,驚きとともに思い出したのは泡坂妻夫の亜愛一郎シリーズですね」とは久米君の言。「泡坂妻夫を読んだあとで,戸板康二を読んで,これが元だったのかと。でも,一番似ているのは戸板康二と北村薫なんですが」 泡坂妻夫の小説をはじめて読んだのは「幻影城」でのことだと思うので,それなりにデビュー早々から知ってはいた。しばらく後,ヨギガンジーシリーズ(といっても2冊しか読んでいないが)を古本屋で手に入れ,こんな小説があるのだと感心したことを覚えている。 だからヨガといって,この年まで思い出すのは泡坂妻夫のことでしかない。 最近の日記です。 スポーツクラブに通いはじめて2年近く。一向に減る兆しをみせない体重を抱えて,連れ立ってはじめてプログラムなるものに参加した。運動神経自体,百歩譲っても発達しているとはいえない硬直しきった身体の,いったい何を信じて甘くみたのだろう。30分コースでヨガのプログラムだというので,容易く,そのスタジオに入り込んだ。 神秘的なBGMのさわりに思わず笑いをこらえた後は,インストラクターが「自分の呼吸を感じてください」というたびに,感じるのは体重だけという状況。嫌な汗をかきまくり,30分後にはぐったりしてしまったが,体がそれなりに絞られた感じがした。 結局,帰りにはリーズナブルな中華料理店で,漢方でつけ込んだ鳥のアシとか,浅利とにんにくの芽の炒め物,ピータンのおかゆに小龍包などなどを詰め込み,お腹は満ちて,脚はだるいという救いようのない状態に陥った。仲秋の名月を自由の女神上に眺めながら家路を急ぐ。 だるさは続いたが,一夜明けると,全体,何だか少しは締った気がするのは、文字通り気のせいなのだろうか。週2回,あのようなプログラムに参加すれば,意外と脂肪が落ちそうな気がする。 |
10月05日(月) パープル |
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私たちのなかで,誰が最初に古着を着始めたのか記憶にない。徹か昌己のどちらかだと思うのだけれど,それでも昭和の終わりの数年,まだ私たちが古着屋に通うまでには時間があった。 それが卒後,会社に勤めるようになって,堰を切ったかのように私たちは古着屋へ通い始めた。大中御用達だった徹は,古着屋でもどこかズレた私服や背広を手に入れた。「それ着て会社へ行く気かよ」と私たちはしばしば忠告したものの,もちろんそれが誰のものであっても忠告などに耳を貸す間柄ではなかった。 昌己は,古着屋の店頭はいうに及ばず,婦人服店(おしゃれの店)の店頭に吊り下がったどキツい色のセーターやシャツを見つけるたびに「おぉ,凄い色彩感覚だな,おれ,ばばあになって,ああいう服着てみたいよ」そういう声は半ば本気に聞こえた。特に派手な紫色のシャツには滅法弱かった。弛緩し始めた頃とはいえ,皆,まだままだ痩せぎすだったので,見る方向で色が変わってしまいそうなシャツを纏い高円寺あたりをぶらつくと,まったく違和感がなかった。 私は一度,高円寺北口の古着屋でベージュ色のVANの綿ジャケットを買ったことがある。自転車で三度,その店へ出かけ悩んだのは品物の質のせいではない。Sサイズだったのだ,そのジャケットは。当時,体重60kgはなかったとはいえ身長は170cmと少し。袖を通してみたものの,姿見に映るのは死語になった"つんつるてん"そのもの。それでも冬のある日,そのジャケットにコートを着込み会社へ行ったことがある。その頃,私はカーキ色のコートの襟を立て,あわせのところをP-MODELのバッジで留めてハンチングを被って出社していたので,同僚にしてみれば,その姿に比べればつんつるてんとはいえ,セコハンのVANの綿ジャケットのほうが数倍,真っ当に見えたのだろう。何も言われることなく,ロッカーに吊るして仕事をした。 |
10月07日(水) 夏の闇 |
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「自然のいたずらだよ。君の言い草だが」 「神様の,とはいわないか」 「自然だね」 「意志なき偉大なのかしら,やっぱり」 開高健『夏の闇』p.103,新潮文庫 |
10月08日(木) 夢 |
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非道い夢をみた。 「レインブローカー」よろしく腹に何かを突き刺されたまま,知人を祝福するという内容で,何だか妙な気分だった。 |
10月10日(土) タマリンド |
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行きつけのタイ料理屋で昌己と飯を食った。19時過ぎに待ち合わせて,その小体な店に客は私たちだけだった。最近,他の客を見ることが少なくなったと思いながら,店主とあれこれ話をした。 その店のパッタイは旨く,その味の決め手を以前,私はケチャップか何かだと思っていたのだけれでど,最近,連れがタマリンドではないかと尋ねたところ,それが正解だった。 昌己は無印良品でパッタイセット(売っているのらしい)を買ってきては自宅でつくっているが旨くいかないと話す。と,その店に通いはじめて10年,秘伝のタレ(東海林さだおではなく)を2人分,ペットボトルに詰めてもらった。 私はといえば,家にライスヌードルがあるわけもなく,そんなことを伝えると,1回分のライスヌードルとタレ,さらに干しえびを纏めてもたせてくれた。 その日,客は入れ替わりやってきては,私たちの何分の一の時間で店を出ていった。 「今のお客さん,ときどき一人でも来て,いつもおつりいらないっておいていく」 店主がいう。 「こっちは一円まできっちり釣り銭を受け取り,あげくこんなにしてもらって,いいのだろうか」 昌己は「そういう客もいるんだよ。俺にはそんな店ないけど,馴染みのスナックってこんな感じなのかもしれないな」 「他の客が入りづらくしてしまっているのかも」 店が終わるまで,その店にいたことはいうまでもない。 |
10月13日(火) 引用 |
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「寺には古義人さんの本とアカリ君のCDを展示する部屋を作ります。そこに詣ってくれようという……ハッピーか,アンハッピーかわからんけども,ともかくシリアスな少数者(フュー)をやね(後略)」 大江健三郎『憂い顔の童子』p.461,講談社,2002. シェイクスピアを引用するのと宍戸錠を引用するのとでは,意外と距離は遠くない。 |
10月17日(土) トロカデロ |
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加藤和彦が亡くなった。 あまりに多くの曲があるので続けざまに曲を思い出すかと思っていたら,ひたすら「トロカデロ」ばかりを繰り返す。 |
10月18日(日) 思い出 |
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「私にとって,これは単なる思い出に過ぎないが,思い出が人生にとって重要な,そして意味のあるものになる時がある。だから,皆さんが,私のこれらの思い出を共有して下さることに感謝を覚える」 加藤和彦「Memories加藤和彦作品集」帯より 竹内敏晴さんを偲ぶ会に出かけた。とてもよい天気だった。それから先のことは。 で,早川書房のHPから刊行予定の本が消えた。これはいつものこと。 |
10月21日(水) 無題 |
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少し前のこと。加藤和彦の「もしも,もしも,もしも」とジョン・レノンの「イマジン」が似ていることに気づいた。矢作俊彦のように「オリジナリティがないのがオリジナリティ」と開き直っていたきらいがある加藤和彦だけれど,そのオリジナリティに自分の思い出が重なり,苦い薬を飲み干すかのようだ。 Youtubeに吉田拓郎がラジオで加藤和彦を語った箇所がアップされている。一貫してメロディではなく,アレンジや音質,演奏方法,能力についての話が続く。最後のところを聞いていて,思わず胸が詰まってしまった。 |
10月23日(金) 犬なら普通のこと |
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早川書房のHPに無事復帰して月内に刊行される予定とのこと。某巨大掲示板を眺めたところ,大幅に手が入ったというので,それは楽しみ。舞台は沖縄のままなのだろうか。 連載に先だってのエッセイのなかで「シナリオでは横浜が舞台だったが,本牧の海岸からアメリカ軍がいなくなった横浜でこの物語をつくることはできない」とあったのに,連載では,そのあたりが物語に反映されていないように感じた。少なくとも「桜坂ムーンドライヴ」くらいの完成度のあるシーンが挟み込まれていることを期待している。 |
10月24日(土) 新刊 |
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竹内敏晴さんの新刊『「出会う」ということ』(藤原書店)を手に入れた。一昨日は『サムライノン・グラータ』(矢作俊彦・谷口ジロー,フリースタイル)を買った。 矢作俊彦の小説は小栗虫太郎を真似ているのか,正解っぽい推理が見当違いで,それが幾重にも重なる(こう書くと『虚無へ供物』に似ているが)物語がときどきあって,一読,どんな話だったのか最後まで理解できないことも少なくない。 漫画のほうの『サムライ・ノングラータ』はその最たるもので,何度読んでも「こんな意味だったのか」と気づく場面が出てくる。 |
10月25日(日) 価値観 |
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中学生らしき女の子が3人,階段に腰掛けてパンを齧っている。一人がいう。 「あの子んち,金持ちみたい」 「だね,聞いたことある」 「靴100足以上あるんだって」 「それって、じゃまじゃない」 北関東なまりに似た平坦なイントネーションでぼそっと切り返す。 思わず,笑ってしまった。 |
10月27日(火) パパ・ヘミングウェイ |
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2冊90円で手に入れた。亡くなる少し前,加藤和彦の同名のアルバムを休みになると引っぱり出して聞いていたので,ふと手に取ってしまった。しかし,こ奴も自殺したのだった。 竹内敏晴さんの新刊と一緒に鞄のなかに入れ,交互に読み続けている。 それにしてもハリー・モーガンめ。 |
10月30日(金) 犬なら普通のこと |
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矢作俊彦・司城志朗の『犬なら普通のこと』(早川書房)が店頭に並んでいたので買い求めた。確かに連載とかなり異なる。ウェストレイクというより,派手な結城昌治のような印象だ。ひとつだけ,元歌手だった女性の来歴は残してもよかったのではないかと思う。片腕の男はいらないけれど。 |
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