2010年1月
01月01日(金) 放棄 |
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「東日本では,あなたのいうとおり。名前と中身はまったく別物。交戦権の放棄なんて,新型の本土決戦ですよ。本当,最終戦総論の裏返し。」 矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』(上),p.185-186,1997. 矢作「……平和憲法というのは国内で戦争を始めること,戦争を国内に引き寄せることなのね。ぼくはそれも仕方ないと思うが,覚悟もないままそうなったら,とんでもないことになる」 鼎談「少年達の一九六九」,p.265,すばる2007年1月号. 「むしろ,僕は残虐な本土での地上戦に持ち込まれないためにこそ,相手に攻撃させない重武装化が必要だと言うのです。」 宮台真司『日本の難点』p.180,2009. 12年前の数行が理解できるようになるまで,10年が必要だとは。でも,真ん中の鼎談が掲載された時点では,宮台真司は違った評価をしていたように記憶している。 |
01月03日(日) 誤植 |
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「僕としては一九八五年の地下鉄サリン事件の直後に出した『終わりなき日常を生きろ』につづいて二度目になる。」 宮台真司・福山哲郎『民主主義が一度もなかった国・日本』p.7,幻冬舎新書,2009. まったく単純な誤植なので,穿った読み方をする必要はないものの,2000年に刊行された本であれば,このような誤植はでなかったであろう。2010年にとって,1985年と1995年は間違えるに足る時間の長さなのだろう,たぶん。 |
01月07日(木) フィルムノワール |
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今日の日記です。 「新潮」2月号を手に入れた。矢作俊彦の「フィルムノワール」は嘘のように面白い。このまま二村が香港に行くとすると,「本の旅人」2005年1月号のインタビューで咄嗟に思いついたように語っていた「廿世紀夜想會」にとても近い話になりそうだ。80年代後半,どうしてこういう文体に蓋をしてしまったのだろう。ときどきは開けてもよかったのに。 |
01月10日(日) 多すぎ |
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最近の日記。 佐藤亜紀の『陽気な黙示録』(ちくま文庫)を手に入れた。先に刊行された『外人術』の追加エッセイはよかったけれど,こちらは四谷ラウンド刊からもってきたりして500ページを超すボリュームになった。まとめて読むには重すぎる。恐ろしいのは四谷ラウンド刊はあと2冊残っていること。あれを一冊にまとめられたら,もたれ過ぎるだろう。 |
01月11日(月) 上下 |
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本棚を整理していると文庫版の『ミトの窓』(倉多江美)が出てきた。A5判の本ももっていたのに買ってしまったのは「上を見れば雲下を見れば霧」が収載されていたためだと思う。やたらとつくりのいいハードカバーに入っていたこの短編は,読み返すと気恥ずかしさを感じるのだけれど,私にとって,その手のフレーズでは記憶に残っている数少ない箇所があって,それは以下のようなもの。 「昨日の愛が 今日の憎悪に かわるなら 人を好きに ならないほうが いい 今日の 憎悪が 明日の愛に かわるなら 人を好きに なったほうが いい」 「きみは まだ あらわれない愛について 考えただろうか その愛はすでに あらわれたもののように 消え失せてしまうことは ないから きみは十分に 幸福じゃないか」 で,「だけど今が最高と 誰が本当に言えるの?」と 続ければ,それは特撮の「パティーサワディ」に早変わりだ。 |
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