2010年3月
03月02日(火) インターネット |
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『文士料理入門』(角川書店)を手に入れた。Webで矢作俊彦が一文を寄せていることを知ったのだ。同じような経緯で買い求める本が年に数冊あるけれど,インターネットがなければ知らずに過ぎたに違いない。 昭和60年代に入って数年,そのころは本屋,古本屋をめぐるに十分な時間があったから,読み残した矢作俊彦の一文を探し求め,あればどこであっても本屋,古本屋の軒をくぐった。すでに「タイフーン」を見つけることは難しくなっていたけれど,「スコラ」や「プレイボーイ」は容易く手に入った。 『コルテスの収穫』が毎月刊行された冬のことは今でも覚えている。3か月目,すでに刊行されているはずの下巻を探し,自転車を漕いで,行ける限りの本屋を梯子したあの冬の日のことだ。別の光文社文庫の栞を見て納得すればよいものを,一縷の望みをポケットに忍ばせて平台を探し求めた。 そんな月半ばが3か月は続いただろうか。下巻が出そうにないことを体で感じるまでに,そのころはそれだけの時間がかかったのだ。 『気分はもう戦争』の単行本の刊行がアナウンスされ,いつの間にかラインナップから消える。3月の下旬,私は書店の平台でその本を探し求めるようなことはもうしない。 |
03月05日(金) rumor5 |
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雨がしばらく降らないので澱んでしまった川の向かいにあるミャンマー料理店を見つけたのは,引っ越してきてすぐのことだった。用事をみつけて,仕事仲間の若い女性編集者と商業デザイナーと,その入ったことのない店で待ち合わせたのだ。 当時,携帯電話を誰が持ち合わせていたのか記憶にない。店か携帯にかかってきた電話の後,遅れてきた若い編集者を駅まで迎えに行った際,雨が降っていたことが,なぜか懐かしい。商業デザイナーとはその1年ほど前,昌己と3人,妖怪のような女性店主が経営する江古田の飲み屋ですっかり潰されてしまって以来,電話でのやりとりはあったものの久々に会った。 「すごい店ですね」 酒を飲まない若い編集者が甘い飲み物を片手に呟く。まだ,対岸にあるミャンマー料理店を知らなかった頃なので,そういわれても比較するものがない。小体な店づくりではあったものの十分に広く,カラオケスナックを居抜きで手に入れたらしい作りだけが"すごさ"を示していた。 |
03月07日(日) フィルムノワール |
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惹句に「日活映画百周年記念小説」と銘打たれた連載第4回。元放射線技師の女性ジャズボーカリストのライブを聞きに出かけた帰り,野毛の小料理屋で天ぷらを肴に飲んでいたときのことを思い出した。トイレを借りようとすると,「外へ出て右二軒目入ったところにあります」と共同トイレを紹介されたのだ。 |
03月10日(水) rumor6 |
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「デパートでアルバイトをしていたとき……」 女性編集者がいう。 「夕方,"戦場に架ける橋"がかかるときがあるんです。その日の売り上げ目標を達成した合図で,金一封が出るくらい良かった日は,何だったかな」 口のなかにタマリンドの甘さが纏わりつき,刺すような辛さと相俟ってキャベツやキュウリをそのまま切ったひとかけらを齧ると落ち着く。 「デパートに行く用事ってないな,そういや」 昌己は私と顔を見合わせる。 「少なくともこの10年,こ奴らとデパート出かけた記憶はないよ。軍艦マーチが鳴るなんていわれてもね」 「クワイ河マーチです」 一度,タイミングをはずしてしまうと,調子が戻ってくるまで,口と手ばかり忙しくなる女性編集者は,一口ごとに何かを納得しながら次の一手を探る。 「ぼくは画材を買いにでかけますよ。子どもを連れて行くと,商売道具より出費が嵩むんでときどきですけど」 イラストレータは若くに結婚して二人の子どもを育てながら,傍からは,うらやましいくらいのマイペースで生活を楽しんでいるようにみえる。仕事の打ち合わせの際には,こちらの詰めが甘いと遠慮せずに突っ込んでくるので,ここ数年で,どのあたりまでイメージを?んでおけばよいか少しずつ身に付いてきた。まだ若手と呼ばれることがあった頃だった私や昌己より少し先に生まれている筈だけれど,イラストレータはとてもていねいな言葉遣いで私たちの話をつないでくれる。 「おまえらは笑ったけど,小さい頃,デパートでの買い物は面倒だったんだぜ。東横線で渋谷へ買い物に出かけるのに,親は日吉でまず,探している洋服の手前の頃合いのものを買ってくれるんだ。それを着て買い物に行ったものさ。何考えていたんだろう,いったい」 「そういやあ,喬史が爆笑していたな,その話。"うそいえ"って」 |
03月12日(金) (null) |
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03月15日(月) rumor7 |
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「デパート出かけても話しできないしな」 「君たちは信じないかもしれないけど,本当にコーヒー一杯で8時間居坐ることだってあったんだ」 「途中,講義に出て,戻ってきたらまだいたんだっけ」 「そう。そのうち部活行って戻ってきた奴がさすがに呆れてた」 「テーブルに灰皿しかないんだもの,当然だ。コップまで下げられたからな,よく」 「何話してたんですか。よく,話すことありますね」 「たとえば,この前,本屋の帰りに喫茶店へ出かけたら,隣のテーブルに東南アジアのゲストハウスで数十年は沈殿していたに違いないポケミスが置いてあるんだ。それが今どき『雪は汚れていた』だぜ」 「『仕立て屋の恋』でも観て,シムノンってわけじゃないだろうな」 「持ち主は赤茶の編み上げのセーターを着たいい親父でさあ,電卓と付箋が付いた書類を抱えて座ったかと思うと,左手で電卓たたきながら,書類に何か書き込んでるんだ」 「シムノンはどうしたんだ」 「テーブルの右上に置いたまま,開こうともしない」 「ルコントなら『髪結いの亭主』だろ」 「ルコントって,ケーキが美味しい喫茶店ですか」 「まあ,似たようなものだよ」 「そういやさあ,髪結いの女店主って,算盤塾の教師とイメージが二重らないか」 「算盤塾の教師って,いたなあ,昔」 「と,いう調子で,話なんて,どんな具合にでも進んでいくよ」 |
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