日 記
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2011/01/02/Sunソフト
 年末にかけてバタバタとする一方,Macがインターネットラジオ化しているため,こちらでアップしていくことにする。

2011/01/06/Thu死の看取り
 さて,年末に知人と酒を飲みながら,事の顛末を話していたところ,こんなリアクションがあった。
 「それが看取るということじゃないのかな」
 漠然と考えていた,手が届きそうなところに見えていたと思っていた「死の看取り」という言葉を,とても遠くに感じた。

2011/01/10/Monソフト
 どうにもサーバのセッティングに手間取っているため,再度ソフトを変更して使ってみる。

2011/01/11/Tue看取り
 看取りとは元々,看護,もしくはケア全般をさしていた言葉であったものが,近年はターミナルケアとほぼ同じ意味で用いられている。

2011/01/14/Fri9月11日
 映画「9月11日」を観にいった。
 宅老所の若い30代の管理者が集まって開催されたイベントでの対談を中心に,施設での取材映像,移動中のインタビューを交えて90分ほどのドキュメンタリーにまとめられたもの。
 以前,『こんな夜更けにバナナかよ』を読んだときに似た違和感を感じながら映画館を出た。
 一緒に行った,映画の登場人物と同世代の友人に感想を聞いたところ,必ずしもシンパシーを感たわけではないという。
 結局,行為自体が意味をもつものを,言葉で語ってしまうことで,その人の物語ばかりが浮き上がってきてしまうのではないだろうか。

 近くにあったアジア料理屋で夕飯を食べながら,そんな話をした。

2011/01/15/SatP-MODEL
 平沢進のUSTを見ながらあれこれ考えていた。
 "Another Day"をはじめてライブで聞いたのは,当時,大宮にあったフリークスというライブハウスであったと思う。「ゼブラの日」まで,何回か出かけたライブでも演奏されたはずだけど,その後,しばらく演奏されなくなった。
 どこかのライブのMCで,土屋昌巳が司会をしていた12CHの番組に平沢が出ると言ったものの,放送の際は結局,そでに引っ込んで最後にちらりと映っただけということもあった。
 
 "Another Day"はときどき演奏されたこともあったが,いつの間にか途中の台詞はなくなっていた。

 この曲は,コード進行だけ決めておいて,せーので一発録音のようにして出来たということを,どこかのインタビューも読んだ記憶がある。

2011/01/16/Sunコストパフォーマンス
 このところの「チャイナマンズ・チャンス」を読んでいると,『ロング・グッドバイ』(THE WRONG GOODBYE)のいくつかの場面が入り込んでいる。
 「眠れる森のスパイ」や「気分はもう戦争」あたりならば理解できなくもないが,『ロンググッドバイ』は角川書店から出た単行本だろうに。あまり気にしないのだろうか,そんなこと。
 もとをたどれば「NAVI」の「SO LONG」のとき書いたカットだろうと思うのだけど,それはコストパフォーマンスいいな。

 平沢進も,そういえばいちど作った曲の使いまわしには長けているし,まあ,おおむね,そんなものだろう。

2011/01/17/Mon洋泉社
 「90年代中期に洋泉社がなかったら,相当時間が余っただろうな。と思いますね」
   菊地成孔『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール』p.240,小学館文庫,2010.

 まったくその通りだ。

2011/01/18/Tue短歌に音楽
 かえす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ 北原白秋
 「確率の丘」平沢進
 http://www.youtube.com/watch?v=OniD9HHaF4A


 行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ 山中智恵子
 「Epitaph」King Crimson
 http://www.youtube.com/watch?v=Hiw1gg76nzQ

2011/01/20/Thu
 「『カエル飛び込むのは俳句ですよね?』と言うんです。『そうです』と。またしばらくしたら,『短歌というのは,じっと手をみるというやつですね?』(笑)――短歌は,じっと手を見るというものなんだ! 私は,これは短歌の核心を突いていると思いました」
   小池光「『一握の砂』から100年――啄木の現在』,すばる,2010年11月号,p.215-216.

2011/01/21/Fri検索
 やっかいなのは,友人と飯を食べる店が決まらないときのことだ。以前ならば,あたりをぶらんぶらんしながら,適当な店に入ったものだけれど,話すことのほうに目的があると,場所と時間は後から付いてくる。
 神保町の三省堂,3階の文庫本売り場,とか,立川のディスクユニオン,プログレのあたり,なんていうふうに待ち合わせていたことが懐かしい。

 で,結局,適当な町をキーワードに,ネットで店を検索する。
 ところが,そうやって入った店の9割以上に,再び行くことはないのはどうしてだろう。

2011/01/22/Satフィクション
 「アテンション・プリーズ。このフィクションは小説です。あらゆる物語はロマンスなので,登場する団体名,会社名,及び個人名と現実のそれらとは一切関係がないなどと誰に断ずる権利があるでしょう。」
   矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』

 「このドラマはフィクションですが,あなたがいると信じる限り,登場人物達は,誰が何と言おうと,どこかで生き続けています。」
   木皿泉『Q10シナリオBOOK』,p.466-467,双葉社,2011.

2011/01/23/Sun2010
 「でしょ? ガンダムネタはおっさんに効くから。(後略)」
   「Otome」Vol.4,p.149,2011.

 「かっぱさんが10代の物語を書けるもうひとつの理由に,ハンパない読書量があると思います」
   同,p.46.

 ガンダムに対する認識と「ハンパない」という表現。2010年っぽい。

2011/01/27/Thu転倒
 打ち合わせを終え,その大学を出たのは20時を過ぎていた。やけに暗い街灯のせいだったとはいえまい。不意に足元がぐらつき,フェンス直撃の3ベースよろしく顔から地面にぶつかった。
 「だいじょうぶですか?」
 うつぶせた背中越しに数人の声がする。
 そのまま,別の研究棟へと案内され,トイレに入ると,水で顔を洗った。顔の左半分,なかなか非道いことになっている。
 「しばらく休んでいったほうがいいですよ」
 集団で長谷邦夫のような位置づけにいると思しきその男は,私を気にしながらエレベータへと消えた。

 数年に一回,こんな感じで転倒することがある。脳波を検査したことがあるものの,異常はなく,単なる転倒だというのが医師の診断だ。

 細川俊之のことを思い出した。山上たつひこの漫画に登場する半田溶助そのものの容姿のことではなく,先日の不幸のことだ。

 研究棟には病院が併設されていたが,ここに救急外来があるか知らなかった。かかりつけの病院まではタクシーでワンメーターだ。タクシーを拾うと少し落ち着いた。
 
 懐かしい人々に逢ったのは,その救急外来でのことだ。(つづきます)

2011/01/29/Sat懐かしい人
 救急外来の受付は,自動ドアの奥を左に折れた場所にあった。様子を伝えた後,当直は内科医であることを了解し,中待合へと向かった。
 21時にまだ早い時間だったからだろうか,ソファに待つ患者は2組。通勤時間帯の電車のようにしんとしている。家に連絡し,もどってくると,中待合の空気が変わっている。中年の男女一組が増えていた。男は白人で,1メートル90センチ近くはあるかと思われる巨体をくの字型に折り曲げ,ソファに横たわっている。女性は日本人だったが,男のそばに寄り添うわけでもなく,他の患者めがけて汚い言葉を投げかける。

 昭和60年代のなかば,アルバイトしていた精神科病院で何人も出くわした懐かしい人に共通するにおいだ。

 子どもであれなんであれ罵声を浴びせるその女が私のそばに寄ってきた。正直,打ったところが皮一枚痛みを感じていたのだけど,やってくるのだからしかたない。
 「どうしたのよ」
 低音がやけにきつい女の声がそう尋ねる。
 「しずかに」
 意識して小さな声で,その女を見て私は答えた。
 「ああ,やられちゃったのね」
 とにかくテンポが早い。懐かしい人たちと異なるのは,この女の独語が日本語,英語,フランス語(らしきもの)混合であることだ。英語の発音もやけにしっかりしている。
 「静かに」
 再度,言うと,その女は判ったというジェスチャーで,それでも次々言葉が出てくる。
 「気をつけてね。顔,ゾンビだよ」
 ゾンビ! 懐かしい人は,まったく絶妙のタイミングでグサリと一言を突き刺してくる。四半世紀ぶりに思い出した。

 それでも,その後もなぜか私に寄ってきても,他の患者に浴びせるような罵声は飛んでこない。昔から,どうしたことか,こうした場面で私は受けがいい。

2011/01/31/Mon辻原登
 読もうと思いながら,なかなか読み始められないのが辻原登の小説。

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