日 記
ログはこちら



2011/02/01/Tueビルマ
 「ミャンマー人でないのよ。さっきから気になってたけど,あの人たちはビルマ人です。ミャンマーというのは,不法な政府が自分で名乗っている名前ですよ。あそこは,今もビルマなの」
   矢作俊彦『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』,角川文庫,p.77-78,2007.

 この箇所は文庫本化の際,書き換えられた。ということを思い出したのは,昨年開店した居酒屋にときどき入るようになってしばらくしてのこと。
 その店は,バス通りから三業地に通じる狭い路地のとっつきの角から数件,南寄りにある。以前は小料理屋か何かだったと思う。その店には一度も入ったことはない。
 看板には"ちゃんぽん居酒屋"と記されているけれど,私はその店でちゃんぽんを食べたことはない。ちゃんぽんと居酒屋の出会いがどのような具合か体験するよりも,ビルマカレーとか,お茶の葉の佃煮とか,どうしても目はそちらに行ってしまう。

 残業になりそうだったので,夕飯を食べるために入ったのは昨年の秋だった。野菜カレーを頼んだところ,煮干が入っていたのに驚いたものの,味は決して不味くない。10年以上前,自宅の近くに林立したミャンマー料理店を思い出し,アルバイトと思しき料理人に話しをすると,店のマスターは私の自宅の近所に住んでいたことがあるという。

 昼や夜にときどき,食事に行くうちに,客層がだんだんと変わってきた。
 壁に貼られたミャンマーの地図を指差し,このあたりでデモがあって,誰を派遣したとか,この谷を越えるルートで入るほかないとか,Youtubeに上げられたデモの様子をチェックしながら,いつの間にか店主も交えて話に熱が入る。

 なんだかきな臭い店なのだけれど,面白い。

2011/02/03/Thu読書
 朝,髭を剃りながら,網野善彦・宮田登『歴史の中で語られてこなかったこと』(洋泉社新書,2001.)を捲り,鞄のなかには『カラマーゾフの兄弟』,枕元には『勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪』。
 読書に進歩はない。

2011/02/05/Satエンシエロ
 川上健一の『地図にない国』(双葉文庫)はページを捲る手が止まってしまうくらいに気恥ずかしいやりとりがちりばめられていて,なかなか読み進められない。
 進まないのはまだ,よいほうで,結果,最初の数十ページのところに栞を挟んだまま,枕元に置いてある。
 1980年代のパンプローナのエンシエロ。矢作俊彦の「コンクリート謝肉祭」は暗記するほど読んだのに,そこに登場する小説家が描くエンシエロを巡る物語にまったく心が躍らないのはどうしたことだろう。
 矢作俊彦をモデルにした谷田部という人物はじめ,登場人物全体,しっくりこない物腰ばかり。前半を乗り越えると,物語に熱中できるような場面が続くのだろうか?

2011/02/07/Mon予兆
 矢作俊彦の連載が落ち始めると,単行本刊行間近のサイン?

2011/02/11/Fri
 北杜夫の『ぼくのおじさん』を読んだのは小学生の頃。旺文社のハードカバーを,当時,学校で一括注文していたリストを通して手に入れた。
 その後,ほぼ北杜夫の小説と江戸川乱歩の小説だけで過ごしていた時期に,『高みの見物』に,この小説のエピソードが組み込まれていることを著者自ら記しているのを読んだ。
 ハードカバー版は実家の本棚のなかに埋もれていて,新潮文庫版は年末に,帰りの電車で読もうと思って棚から抜いてバッグに忍ばせた。

 以前なら,漫画はいざ知らず,本については大概手放すことなく,本棚に入れたまま読み返さなかったものだけれど,しばらく前から,そんなふうにして手にしなかった本をあれこれ,読み返すようになった。

 「東野圭吾の本,今の職場の人から借りたんですけど,最近の人は,本を読み終わっても取っておかないんですよね」
 私に比べれば最近の人である友人が言う。そうやって借りて読んだ本は確かに面白いそうで,すすめられもするのだけれど,食指が動かない。
 傑作と称されて多くの読者に読まれたであろう本が,新古書店の棚に数多く並んでいるのを見ると,「これらの小説は読者の本棚に置かれるまでにいたらなかったのか」「読んだ本を本棚に置かない読者に読まれた本なのか」という思いがもたげてくる。

2011/02/12/Satおやすみなさい
 「おやすみなさい」
 中学1年生になった娘は,今でも眠る前,律儀に私と家内にそう言って床につく。
 マイペースとルーズを紙一重で渡り歩いている娘だが,身につけたいくつかの習慣は,忘れることなく守っている。

 小学5年生の頃,枕元を電気スタンドで照らしながら古本屋で手に入れた春陽文庫の江戸川乱歩の小説を読むそのことに耽溺した私は,親に「おやすみなさい」と最後に言ったのがいつだったか覚えていない。
 ラジオや音楽を聴くことを目的の半分以上に,午前3時くらいまで起きていることが多くなってからはなおさらに。

 娘に「おやすみなさい」と言われるたび,部屋に暖房器具を持ち込むことはまだできなかった私のために,足温器や丹前などを調達してくれた親のことを思い出す。

2011/02/15/Tue講談社
 光文社との関係が影響しているのかどうか判らないが,矢作俊彦の小説が講談社の雑誌に掲載されることはほとんどなかった。2002年に「小説現代」で,数編掲載されたとき,まとめて短編集でも出すのかと思って買わずに放っておいたところ,一向にまとまる気配はなかった。
 ネットで検索したところ,「ボウル・パークの夜」「ラ・ウナギーヌ」「マリー・アントワネットの洗面器」のタイトルが出てきたものの,あと数編あったような気もする。日記も掲載されていたはずだし。

 『傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを』が文庫本で出ていたが,もちろん「インポケット」に関連記事などなかった。というより,「インポケット」いまだ出ているのか。その昔,坂本龍一と村上龍がホストになった鼎談,村上春樹の短編が掲載されていた頃のものはいまだ実家の本棚にある。

2011/02/17/ThuDiane Birch
 誰だ。

 今朝,起き掛けに懐かしいメロディが流れてきた。Siouxsie and the Bansheesの"Kiss Them for Me"。
 Stephen Hagueがやたら打ち込みなおした音源が耳に響くアルバムの冒頭の曲で,シングルカットされた。
 で,カバーなんだけど,Siouxsie Siouxの音域をさらに狭くしたようなボーカルに,ポップなバッキングトラックが重なる。なんだか微妙だ。

2011/02/20/Sun名言
 なんとか致命傷ですんだぜ・・・

2011/02/21/Mon夢をみた
 母親が回復する夢をみた。どこかにきっとそんなレイヤーがあるのかもしれない。絶望じゃない。単なる失望だ。

2011/02/24/ThuAKABANE POP
 友人が通っているジムにビジターとして出かけたことがある。
 当時,私が使っていたジムより規模は大きかった。一人で出かけると小一時間がせいいっぱいなのに,連れがいるというだけで2時間近く,あれこれ試してみた。
 日曜日の昼時に入って,赤羽駅近くへ出たのは夕方だった。
 腹が減ったのは運動しすぎたせいではないだろう。
 賑わいを冷やかしながら店を探したものの,これといって気をそそられる佇まいは見当たらなかった。
 入り組んだ路地を越えて,閑散としはじめたあたりにその中華料理店はあった。(つづきます)

2011/02/25/FriAKABANE POP
 ジムの帰りだというのに,テーブルを皿でいっぱいにしてしまう。
 「こんなことしてるから,効かないんですよね」
 友人がため息まじりに言う。
 手羽先の先のほうの紹興酒漬けとか,貝の和え物とかをつまみにビールを飲む。10年以上前,近所にあったミャンマー料理屋にはかなわないが,この店もお世辞にも綺麗とはいえない。
 あてなく見つけた店がこの体だと,われわれの嗅覚のようなものを信じたくなってくる。
 
 客の多くは中国人のようで,ときどき皿をもった客が夜のおかずを買いにくる。

 結局,ジムを出てから4時間くらい食ったり飲んだりしてしまった。

2011/02/26/Sat文庫本
 矢作俊彦の『傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを』を少し前に買った。
 取材へ出かける電車のなかで読みではじめたところ,やはり少しずつ手が入っている。主に固有名詞なのだけど,ウィルコムがスマートフォンになっていたり,星野が行く先はオリンピックが仙台に変わっていたり。
 だから,文庫本を買ってしまうのだけど,「常夏の豚」なんて,かなり連載時期と同期しているので,単行本化するとき,かなり手を入れなければ,わけわからないことになるだろう。

ホームへ