日 記
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2011/05/01/Sun自由時間
 マガジンハウス「自由時間」1998年1月号に掲載されたツーショット。


 
 

2011/05/02/Mon原発
 アトミックカフェシリーズにP-MODELが出たかどうか記憶はない。
 昭和60年代,音楽雑誌で原発問題がさまざまに取り上げられたことは覚えている。

 AERA増刊の原発問題特集を読みながら,そのことを思い出す。

2011/05/03/Tue由比ガ浜
 昼過ぎから家族ともども鎌倉へ。恐ろしい混雑ぶりで江ノ電のホームには入場規制がかかっていた。
 長谷から海沿いへ歩き昼食。ここも混雑していたが,かなり旨かった。娘のクラスメートの家が鎌倉にあり,裏山をもっているとのうわさだというので,ぷらぷらと散歩しながら鎌倉駅のほうへ。
 コケーシカの店へ入り,しばらく眺めながめていると娘が携帯メールでクラスメートの住所を確認したりしている。

 お茶をしたり,買い物をしながら鎌倉駅まで戻り,夕飯は品川のアトレでとった。

2011/05/04/Wed古本
 会社(!)帰り,家族と待ち合わせ,ビッグボックスの古本市をながめる。
 『小説世界のロビンソン』の文庫本が150円で売っていたり,あれこれ目移りするが,何も買わずに夕飯を食べに行く。
 栄通りの魚介ラーメン店。旨かったものの,思い出したようにたまにでもいいかなという塩梅の店。

2011/05/05/Thu中国茶
 仕事に出て後,池袋で待ち合わせ。サンシャインシティの59階で昼食。そのままぷらりぷらりしてブックオフで「野性時代」の入手していない号が置いてあったので手に入れる。
 ジュンク堂ウラの中国茶店で休憩。連れの同僚が,恐ろしい偶然で先に店にいる。中国茶を飲みながらの四方山話。
 結局,5時近くまであれこれ話したのち,ジュンク堂で別れ,会社に戻って仕事の続き。

 中国茶店で目にした中国のルポ(漫画)が面白かった。

2011/05/07/SatThanks a lot !
 どなたか存じませんが。ビデオは手元にあるものの,当時使っていたビデオデッキのスペックでは,画質,音声ともに変換しても高が知れている。


矢作俊彦 酒場をめぐる冒険 安部譲二 宮本友春1



矢作俊彦 酒場をめぐる冒険 宮本友春2



矢作俊彦 酒場をめぐる冒険 宮本友春3



矢作俊彦 酒場をめぐる冒険 宮本友春4 宍戸錠1


2011/05/08/Sun店主
 鎌倉の「コケーシカ」の店主が沼田元氣だと知り,唖然とした。
 沼田元氣といえば,われわれのなかでは“おいら,盆栽小僧”の歌,頭の上の盆栽とともに著名人の一人だった。
 深夜番組や雑誌に登場した姿を何度目にしたことだろう。

 それが,いつの間にか名前を聞かなくなってどれくらい経ったかわからない。

 さすがに盆栽を頭に載せてはいないようだけど,一度,実際の沼田元氣を見たい。

2011/05/09/MonP-MODEL
 WebにあがっているP-MODELの動画を見ていると,夜更かししてしまうのはどうしたことだろう。
 撮影されたライブにほとんど立ち会っていることが関係しているに違いない。

2011/05/10/Tueビルマ
 日中は船橋まで出かけ座談会の収録。
 夕飯を食べて帰ることになり,会社から目と鼻の先のビルマ(現・ミャンマー)料理+ちゃんぽん居酒屋で,野菜カレーとウーロンハイで済ます。
 『金田一耕助のモノローグ』を読み終え,『あ・じゃ・ぱん』の続きを読む。

2011/05/11/Wed
 朝か取材で新宿へ。夕方まで。帰りしな,宮子さんと挨拶,しばらく話す。
 「最近,雑誌,元気ないですよね。どうしてなんでしょう?」
 書き手にアプローチしてこなかったツケだと思う。

2011/05/12/Thu休み
 朝起きたものの調子がすぐれず,会社を休む。
 日中,ほぼ寝ていたら,寝すぎで頭痛がしてきた。
 娘も胃腸性のかぜのため,学校を休んだ。

 文庫本で『あ・じゃ・ぱん』を読み終えた。文庫本で3回目くらいだろうか。

2011/05/14/Sat復旧
 仕事のため,朝5時半起きで仙台へ行く。
 途中,福島あたりで地震があったというが,まったく気づかず。それよりも,福島のひとけのなさに驚いた。新幹線からとはいえ,街中に車や人がほとんどいない。
 10時すぎに仙台へ到着。そのまま車で,港のほうから宮城野区をぐるりと流してもらった。
 被害の差ばかりに目がいく。そうするうちに,今度は被害の非道い場所を探しているかのように目を泳がせている自分に唖然とする。これでは,母親が亡くなる前の感覚と同じじゃないか。

 昼をとった後,会場となったのは駅近くのビルの29階。まあ仕方あるまい。
 19時の新幹線で東京へ戻った。

2011/05/15/Sunカレー
 会社帰り,駅の近くのカレー屋で夕飯を食べた。
 この店はカウンターのみで,ゲイリー・ムーア好きの店主とときどき話する。
 バントでギターを弾いていたのだろうと思っていたが,ドラマーだったのだという。サイモン・フィリップスが好きだったというので,手数多いのが好きならテリー・ボジオもいいとすすめておいた。

2011/05/16/Mon下版
 気がつけば単行本2冊と雑誌1冊の下版が重なった。まったくおかしいスケジュールだ。
 iPodではこのところ,平沢進とP-MODELばかりを聞いている。

2011/05/17/Tue本屋
 電車賃を出してなお,古本屋をめぐりたいという欲望を抱えながら,暑い夏を過ごした昭和60年代のこと。
 蕨の駅前には,入るとお茶を差し出す古本屋があった。茶碗を抱えながら本を探すのはかなり緊張する。溢したら,ことだ。ほしい本が見当たらなかったら,さてどうしよう。そんな緊張感を抱えて,それでも何度かその古本屋へ通った。
 浦和は飛ばして北浦和の西口へ出る。旧街道沿いにあった古本屋で『虚無への供物』の初版が5,000円くらいだったろうか。バイトと奨学金で懐具合はそれなりに暖かかった数年だったはずなので,その金額で手に入れなかった理由がいまだわからない。次に行ったときにはその本はなかった。

 大塚の田村書店で「NAVI」を買い,「SO LONG」の連載が始まった号を見たときの驚き。もちろん,田村書店の本の並べ方ははじめて入ったときから,ときかく吹っ飛んでいた。漫画はほとんどないのに,本に埋もれるような感覚が充満する。都電通りのほうの壁の一角がなんだかとても印象に残っている。
 1995年のある日,「別冊野性時代」を出勤途中に手に入れたのはけれども,田村書店ではなく,いまはフレッシュネスバーガーになってしまったところにあった本屋だ。8時くらいから開いているのは,あのあたりではその本屋しかなかった。ただ,立ち読み,ひやかしに煩い若い店主のパーソナリティと貧困になる棚ぞろえが両輪となり,21世紀を迎える前に店は閉じた。

 鳥取の定有堂書店は,徳永先生経由でお世話になったりお客になったりした。一度,鳥取から夜行バスで東京まで帰ろうと企てた際も,車中で読む本を探しに行ったことがある。

 家の近くにある伊野尾書店は,越してきたころはまったくさえない本屋で,線路を渡ったところにある本屋のほうが数倍,棚ぞろえでよくて賑わっていた。ところが,改装した途端,店に入るとハッとすることしばしば。そのうち『マイク・ハマーへ伝言』が文庫本になると手製の帯をつけたりして並べられているのを目にすると,定期的に通わずにはいられなくなった。
 高田馬場のブックス高田馬場の奥の棚で,義理の叔父である玉城哲の本が新本として並べられているのを目にしたときは,外壁に壮観の漫画のPOPよりも驚いた。

 そのときどきに通った本屋のうち,数件はかなりの確率で,私が買い求める本の傾向を把握していて,その手の本が出ると並べてくれたと感じることがある。穿ちすぎだろうか。
 ただ最近,紹介される本屋を,妙にうざったく感じるのはどうしてだろう。古本屋で文脈棚といえば,少し前まで高田馬場のキノコノクニヤ書店がやっていた。
 出たばかりの「ブルータス」を読みながら,いろいろな本屋の記憶が蘇る。

2011/05/18/Wedポラン書房
 この20年くらいに入った古本屋のなかで,棚ぞろえが気に入ったのは大泉学園の「ポラン書房」。HPをみたところ,私が通っていた当時とは違う場所に今は店を構えているようだ。バス通りにあった頃,ときどき出かけた。
 結局,その本が一番面白かった須賀敦子の『ヴェネチアの宿』や,どのような経路で入手したのか気になる「DADA in JAPAN」のパンフレット,辻潤の評伝に添えられた著者謹呈の直筆手紙入り単行本。休みの日にでかけると何かしら面白い本があった。

 最近,入ったのは北赤羽から10分くらい歩いたところにある豆腐屋の隣の古本屋。うなぎの寝床を短くしたような店内は狭すぎて,レジまでたどりつくことはほぼできない。路上の箱や棚には,都筑道夫の文庫本がかなりあるのだけど,どれも状態が悪くて,なかなか読んでみようと思うに至らない。
 店内には,第三世界に関する本と左翼系の本がほとんどで,ここだけみると高田馬場の本屋とあまり変わらない。客はこないだろうなあというのが実感。

 新井薬師駅前の古本屋は今も変わらず店を開いているが,20年近く前に通っていたころと比べると,あまり活気を感じないのはどうしたことだろう。

 「ブルータス」を読んで,結局感じたのは,店主やらの物語をいくら語られても,本屋や古本屋に出かけようなどとは思わないということ。矢作俊彦いうところの欄外で興味をひこうなどというのは,やはり邪道じゃないかと思う。

2011/05/19/Thu百鬼園
 1984年の夏は,古本屋めぐりに終始していたので,記憶に残っている新刊書といえば,矢作・司城の『ブロードウェイの戦車』『海から来たサムライ』あたりと,あとは旺文社文庫の内田百間くらいだ。サンリオSF文庫撤退の余波を受けて軒並み刊行されたディックもこの年だったと思うけれど。
 旺文社文庫(中公文庫)とその後,福武文庫や新潮文庫,岩波文庫で刊行されたものとの違いは,旧かなづかいで読み始められためぐりあわせに尽きる。
 内田百間の文章は旧かなでも,すっと入っていける読みやすさが特徴なのに,結局,いま容易く手に入るものは新かながほとんどだ。中村武志か誰かが新かなにするいいわけを記しているのを読んだ記憶があるが,角川文庫の矢作俊彦の編集部注と同じく,そんな理屈こねるなら初手から出すなと思いながら,新かな後の文庫本を何冊か買った。ただ,結局,読み返すのは旺文社文庫だ。

 会社帰りに池袋の古本屋へ寄ったところ,『百鬼園寫眞帖』をみつけ買い求めた。

2011/05/20/Friヘミングウェイ
 夕方,仕事の待ち合わせで,新宿駅西口へ。1時間程度で終わり,帰宅。
 ヘミングウェイ短編集2を読んでいる。

2011/05/21/Sat沈没
 午前中に家を出て,父のところへ。さいとうたかを(なぜ,「を」なんだろう?)の,もといさいとうプロの『日本沈没』の文庫版3冊を鞄に入れて読みながら出かけた。
 この前行ったときに買ったテレビが夕方に配送された。セッティングに立ち会う。近所の中華料理店で夕飯を食べる。この店のスーラータンは安くてまずまず。胡椒で辛味をきかせたほうが好みではあるものの,コストパフォーマンスのよさをいつも感じる。
 30年前に買った秋田文庫の『銭狩り』があったので,『日本沈没』で膨らんだ鞄にさらに入れて帰る。
 町屋で途中下車し,古本屋に寄って都電で大塚へ。山手線を乗り継いで家に着いたのは11時近くになっていた。この時間,都電で大塚止まりまでなのだということをはじめて知った。

2011/05/22/Sun電子書籍
 午前中,会社へ出かけ連絡関係の仕事をする。明日,代休をとっている関係で,日曜日に出て連絡するというのは,何だかおかしいような気がするものの。
 昼過ぎから豪雨。少し小降りになったなかを予約してあった床屋で直接向かった。店主とあれこれ話ながら1時間くらいかけて短くしてもらう。
 山手通り沿いの古本屋へ寄って『デジタル書籍と出版』(ポット出版)を買った。対価を払って本を手に入れるアウラをいかにデジタルコンテンツに盛り込むか,正直なところ,それなら本と称さずに勝負すればいいのではないかと思う。
 出版のハードルを下げることの一助という見方はどうなのだろう。結局,基礎体力のある会社でなければ,バンスを処理できないと思うのだが。
 いくつかアイディアを得ることができたけれど,下手すれば,ジャーゴン雑誌風言説によって出版社にバランスゲームを仕掛けているようにな感じにしかとられない内輪感覚が印象的だ。

 対抗軸があるうちは存在できるものの,それがなくなったときに独り立ちできない考え。

2011/05/23/Mon休日
 スズキさんではないけれど,代休をとったのは久しぶりのこと。
 午前中はパソコンと格闘し,午後から家を掃除し,クリーニング屋に品物をとりにいくと,すでに夕方だ。XTCの「ノンサッチ」とマッドネスの「デンジャーマンセッション」をBGMに先日届いた「GRAPHICATION」を読む。

 娘が帰ってきたものの中間試験を控え,エクセシオール・カフェへ勉強をしに出かけた。図書館はわかるけれど,私の学生時代,喫茶店で勉強をしたことはなかった。
 家内が帰ってきて,娘のところへ出かけ,夕飯を食べ帰ってきた。

2011/05/24/Tue電子書籍
 別に書籍と称さなくてもいいように思うのだ。本をつくり売るコスト計算はつくから,その枠組みでアプリをつくろうとすると齟齬を生じる。
 そんな感じだろうか。

2011/05/26/Thuサワディー
 夕飯はサワディーで昌己夫妻と。予定では家内と娘と食べる予定だったものの,家内が頭痛になってしまい予定が変わったため。
 ばか話していると塾から帰ってきた娘が立ち寄って,一緒に食べた後,家へ帰った。

2011/05/27/Fri移動
 午前中,一度,会社へ行った後,自宅近くの大学へ打ち合わせへ。昼食を食べ戻り,夕方,打ち合わせのため赤羽へ。夕飯を買って帰る。

2011/05/28/Sat引擎/ENGINE
 朝,会社に行く途中,高田馬場で矢作俊彦の『引擎/ENGINE』を買った。夕方まで仕事をして,帰りながら読み進める。キリンシティで夕飯。半分くらいまで読み進めた。
 連載「引擎/ENGINE」と「チャイナマンズ・チャンス」,「あとは沈黙の犬」はいろいろ重なるところがあって,単行本になった『引擎/ENGINE』を読むと,とりあえず,「あとは沈黙の犬」に登場した女の箇所は単行本化されることがあるなら,カットされるだろう。また,「チャイナマンズ・チャンス」は二村ものとしては刊行されないだろう。前半の一部が『引擎/ENGINE』に流用されている。

2011/05/29/Sunジム
 午後,新宿まで家族と行き昼食。一人でスポーツセンターへ行き,久しぶりにジムへ。1時間ほど。夕飯を買い,家で食べた。
 平沢進とP-MODELの音源をiPodに入れて,ずっと聞きながら動いた。

2011/05/30/Mon
 「中国系のヴェトナム人で,サイゴンで戦災孤児になって,日系米兵にキャンプで育てられたっていう得体の知れない無国籍な青年が,ぼくの中にずっといてね。その青年が人を殺すことで自分を見つけようと思うんだけど,そんなのはマンガや映画じゃないから見つからない。それで,人を殺しただけ損しちゃった……,という連作小説の主人公だったんです」
   矢作俊彦・高橋源一郎「小説家である運命」,p.272, 文學界,2003.

 傑はマンガ『ハード・オン』は別として,初登場の作では人を殺すものの,他の連作では得体の知れない感覚を抱えているようには描かれていない。モラルが頭をもたげてくる。違和感はさておき。
 そこで,この女だ。当初,傑を通して描こうとした世界を,この女を通して描きなおしたのが『引擎/ENGINE』かも知れない。
 今月号の「波」で福田和也がこの小説について,批評的な視点に乏しいと評していたけれど,どうなのだろう。
 相変わらず,第9条絡みの場面を盛り込み(内田樹の話で,よほど火が点いたのだろうか),某女性小説家との対談で示したアイディアを具体化した意欲作ではないかと思う。
 最初の数章は,改行,かなと漢字のバランスが活版時代を彷彿させるのだけど,少しずつこだわりなくなるところが少し残念。
 冒頭の献じられているのは角川の会長だろう。

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