泥棒日記
04/06/19
傘と自転車は天下のまわりものといって憚らなかった友人がいる。
正確に記すと,二人だ。
傘をいただくことについては,書くまえから『盲獣』で乱歩がいうところの「だがそれはもはや蛇足である。作者も飽た。読者諸君もおそらくは飽き果てられたことであろう」のごときルーティンに等しい。(もちろん盗られたほうはたまらない。といっても実は私の傘,わらしべ長者のように,いつの間にかグレードアップしている。故意に取り換えているつもりはないのだが。)
自転車については,一つひとつ,いや,一台一台がドラマを生み出した。
下宿生活をスタートさせた徹は,50ccのバイクを持っていたものの,近所に出かけるには勝手が悪かった。引っ越して早々,喬司に「どこかに自転車落ちてないかな」と聞いた。
「駅前の自転車置き場に夜中,いってみるか。落ちてるかもしれないぜ」
しばらく後の深夜,落ちている自転車を探しにいくのに,懐中電灯とドライバー,ペンチなどを抱えた,百歩譲っても明らかに不自然な2人組の姿があった。
「落ちてる,落ちてる」
嬉々として,持ち運びやすい自転車を探してまわった。
突然,目の前がハレーションを起こした。(ああ,ありきたりの形容で申し訳ない)警官隊に包囲されたルパン3世のように,いや,まったくそのもの。
某県警に包囲されたのだ。
後に,徹は言った。
「だから県警は,やなんだよ。ひまだから,ネズミ取りばっかりだ。警視庁を見習えよ」
「何してるんだ,お前ら」
「自転車が落ちてたんで」
「!」
住所,所属を記録され,「あの自転車は落ちているんじゃない。保管してあるんだ」と説明を受けると,白々しく「そうなんですか」と答えた。
一年後。今度は喬司が引っ越した。
駅からアパートまで数分の距離というのに,彼には,その数分ががまんならない。加えて,学校の行き帰り,線路際には無数の路駐自転車。
それらを目にするたびに,理不尽さに駆られるのだという。
「路駐が許せないんだ」
喬司は,時に正義感に燃えるのだ。いや,まったく正義の人であった。思えば,アメリカの正義に,よく似たものだ。
ほんとうかどうかは定かでないが,せめて一台でも減れば,地域住民のためになるだろうと,意を決して(せいぜい,いつも頼んでいる上海麺を五目焼そばにする程度の決意だと思うが),手頃な一台を駅前から放逐することにした。
もちろん,アパートには置かず,近くに路駐する。彼の,より近くの住民にとっては,やっかいな路駐自転車がさらに一台増えることになったが,そんなことに気をとめる喬司ではない。
その日,彼は調達した自転車にまたがり,踏切を越えた商店街をめざす。遮断機が降り,電車が通過するまでのわずかな時間。遮断機の向こうに親子連れの姿があった。
普段なら,目をやることもない2人だったが,
「お母ちゃん,あれ,僕の自転車だよ! あれだよ」
「何言ってるの。そんなはずないでしょ」
「ぜったい,そうだよ。この前無くなった自転車だって!」
聞こえてきたのは,身も凍るようなやりとりだ。
うるさいぞガキ! そんな大きな声で,まわりの迷惑考えろ!
そんなモノローグがあったのだろう。電車が通過している間に,ハンドルを180度切り,きた道をあわてて戻っていった。
その後,喬司は,その自転車を駅前に,そぅおっと放した。さらにしばらく後,妙に甲高い声色で「お母ちゃん!」,身ぶり手ぶりで,そのときのようすを雄弁に語る彼の姿は,百歩譲っても,自転車泥棒そのものだった。
喬司が犯した非(反)社会的行動は枚挙にいとまがない。それらを暴こうというのではなく,また,決して馬鹿にしているのでもない。馬鹿馬鹿しさのなかに誘う,われわれのやりとりが,日がなこんな感じだったのである。
NHKの報道番組に覆面で登場し,それを契機に某ねずみ講をつぶしたのも喬司だ。結婚式のスピーチでは,ねずみ講ネタのオン・パレード。すねに傷もつ同輩ばかりで,彼をマルチに勧誘した凄腕まで登場したときは,爆笑につぐ爆笑だった。みんな,誘いにのった口だ。
ところで,一本の幻のビデオテープがあった。今日まで陽の目をみず,たぶん数十時間で消し去られたものだ。
当時,喬司はコンビニでアルバイトをしていた。熱意はあるのだが,いつの間にか非(反)社会的行動をとってしまうのは常。深夜のバイトに入った彼は,防犯カメラがまわっていることも知らず,こっそり,おでんを食した。一つ,また一つ。
よほど,うまかったのだろう。おでんとともに,至福の一夜を過ごしたと,後に述懐する。
もちろん,即クビだ。
われわれは想像する。うまそうな顔で,大口を開けておでんを食べる喬司のようす。ではなく,そのようすが映ったビデオ。
ああ。見てみたかった。
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