幽霊たち

04/06/14   


 


 われわれが4年生のとき,シゲさんは「研究生」という名目でゼミ室に出入りしていた。卒業アルバムの写真撮影の際にふらり現れて,ちゃっかり真ん中に写っていたりする。
 学内はもちろん(とはいえ,せいぜい週1,2回しか行ってなかったので,たかが知れているが),どうやって調べたのか私のアパートにもやってきた。夏休みに入ると,午前中から庭先にバイクの音が響いた。やたらと暑い夏だった。

 「うちで飯食わない。奢るぜ」

 網戸越しにも,黒づくめの身なりが,蒸し暑さに拍車をかける。私はシゲさんのバイクの後から自転車を漕いで付いていく。
 途中,安売りスーパーで買い出しだ。何やら単位のでかい食べ物ばかり(グロスでは買わなかったけど)カゴのなかに詰め込む。レジにいくと「今日は割り勘にしようか」。
 「今日は」ではなく「今日も」じゃないか。

 初めて入ったシゲさんのアパートは,なんとも気持ちの良くない,居づらい部屋だった。窓際に置かれたベッド以外,あるのは漫画の本。プレミアが付きそうなものばかりを,シリーズごとに透明のビニールシートで梱包し,おまけに値札が付いている。10,20なら真意を尋ねもしようが,あまりの数に言葉が出なかった。
 そんな調子だから,レコードも値が付きそうなものは興味がなくてもとってあるのだという。
 「クリムゾンの他,どんなの聴くの」
 「P-modelとか…」
 「“美術館”のシングルあったな。これ,珍しいだろ。どれくらいで売れるかな」
 「さあ…」
 「買わない?」
 おいおい,後輩に売り付けて,どうするというのだ。

 シゲさんはクリムゾンよりピンク・フロイド好きだった。昼食を作っている間,「モア」や「ザ・ウォール」のビデオを見せられた。

 あるときのこと。
 「できた。食おうぜ」
 目の前に現れたのは,粗雑に盛り付けられたボリューム満点のそうめんだ。ガラスの鉢は涼しげだが,かなりでかい。おまけに汁に添えられたのは鶉の卵ではなく,鶏の卵だった。
 「鶉は高いし,あまり変わりないだろう」
 そうだろうか。私は,あのときくらい生臭いそうめんを食べた経験は未だない。

 実のところ3年になるまで,シゲさんがゼミに所属していることを,われわれの誰も知らなかった。漫画かロックのどちらかだろう。何かのきっかけで,われわれがくだらない話をしているところに近付いてきたのがはじまりだ。そういうときの屈託のない笑い顔だけは石原慎太郎によく似ていた。本人はヒゲ面で,鴉というより熊のような出立ちだったのだが。

 といっても,行動を共にすることは滅多になかった。何が忙しいのか知らないが,ふいに現れて,いつの間にかその場から消えている。だから,まとまった話をした記憶はない。残されたわれわれは,シゲさんを肴に物まねを交えながらひとしきり盛り上がった。

 シゲさんの卒論は漫画だった。つげ義春の大ファンで,たまたま仲間うちの3人が出たばかりの『無能の人』(日本文芸社)を買ったと聞き付けるや,「おー買ったのか」と嬉しそうに笑った。
 「“夜行”は買ってないの」
 「いや,そこまでは」
 「弟の漫画,いいぜ」
 「はぁ」
 まさか,後に石井輝男が映画化するとは,そのころは,夢にも思わなかった。

 卒論は家庭内暴力がテーマ(の漫画)だった。つげファンにしては優しげ(か細い)タッチで,一度だけ読んだ(読まされた)。
 あるとき,「フジオちゃんがさぁ」などというので,何かと思ったら,赤塚不二夫のアシスタントヘルプに数回通ったのだという。
 「今度の新作で,バック描いたのが出るから見てよ」
 本屋の店先で,言われた通りの雑誌をおそるおそる捲ると,ギャグには百歩譲ってもそぐわない,そこだけ劇画タッチのテーブルが目に付いた。そのことを告げると,
 「『シゲくんの絵,暗いからな』っていわれちゃったよ。フジオちゃんに」
 莞爾とする。

 その後も,ときどき手伝っていたようだが,その後,シゲさん自身の漫画が掲載された雑誌を見た記憶はない。



 「ホント許せねえよな」
 これは喬司の口癖だ。彼には「許せない」ことが多かった。その対象は時に「保健室のババア」であったり「教務のオヤジ」であったり,ほとんどは自ら期限を守らずに蒔いた種を契機にした諍いのなかで吐かれた。

 入学早々,徹と喬司は,「昼飯を食わせてやる」という先輩の誘いにつられてハングライダー部に入った。経験に学ぶことが少ない徹は,「昼飯食わせてやる」という文句に再び捕まり,今度は私を道連れにその先輩が入っていた文芸部に顔を出した。
 部室にいた瀬木口くんの第一印象は「ドラマに出てくる商社マンのようだ」,よもや同学年だとは予想だにしなかった。入学時点で20代を折り返していたのだから,あながちピントハズレではない。

 医学部受験に失敗すること幾度,いつの間にか妹のほうが先に大学を卒業してしまった。医学部をあきらめ,入った先がわれわれがいた大学だと聞いたのはしばらく後のことだ。
 ジャージ姿が闊歩する特異な学内光景のなか,いつもジャケットにネクタイを結んだ瀬木口くんの姿はやけに目立った。

  6月のある日,講義をふけようと教室から抜け出したわれわれは,校門近くで瀬木口くんと会った。
  「聞いてくださいよ。非道いんですよ」
  われわれは顔を見合わせた。彼の評判は仲間うちに知れており,すれ違いに目配せするくらいの仲だった。突然,そう切り出されるのも不自然ではない。
  瀬木口くんの話は,こうだ。

  ある教室で講義の間中,瀬木口くんの後ろから,ささやくような奇声が聞こえたのがはじまりだった。

  アチョー!!!!

  振り返ると,後ろには見覚えのない数人がいた。
  それからは別の教室でも,同じ顔ぶれが授業中,時にはすれ違いさまに「アチョー!!!!」を連呼した。瀬木口くんはブルース・リーの大ファンだったの
 で,そ奴らもファンなのかと勘違いしたらしい。

  「でも,違うんですよ。非道いでしょう。単に人のことからかってたんですよ」
  「何だよ,そ奴ら」
  喬司が声を荒げる。「アチョーだって。何だよ,それさぁ。まったく,幼稚にも程があるぜ」
  「一対一だったら,僕だってやりますよ。でも,あ奴ら寄ってたかって馬鹿にしやがって。悔しくって」
  「ブラバン仲間で,楽器吹きながら取り囲んじゃおうか」
  そう続けたのは和之だ。滑稽な提案ではあったが,そ奴らのあまりの馬鹿げた行為を聞いた以上は,助っ人を買って出ることさえ厭わない。

 結局,暴力沙汰にはならず,おさまるところにおさまったが,喬司の気持は,それくらいでおさまったわけではなかった。
 「まったく許せねぇや」
 しばらくのあいだ,瀬木口くんの顔を見るたびに,そう吐き捨てた。



 久彦は小心で実に常識的だった。なのに,オートバイ通学する様子と派手なルックス,そしてレツを組んでは行動しなかったためだろう。他の学生からは強面だと勘違いされていた。

 あるとき,実際に行われたのではないかと評判がたったスプラッタ・ビデオを見て,「なあ徹,あれホントなんじゃないの? いいのかよ,あんなことしちゃってさ」。それを見てしまった自分の身の置き場を心底,心配しているようだった。その手の映画を見慣れていた徹は失笑したものだ。
 「稚拙にもほどがあるぜ,あんなSFXさ。あれ,本物なんていうのお前くらいだろ,まったく」

 裕一や喬司と雀荘で知り合い(みんな,こんな出会いばかりだが),そのうち学内で合えば「おい,久彦!!!」といいながら,振り向きざまの奴にとび蹴りの一つや二つを入れる仲になっていた。いや,まったく本当に。

 あるとき,シゲさんがバイトをしていたレンタルビデオ屋に,久彦が入ることになった。先輩ヅラをすることにだけは長けていたシゲさんは,レクチャーに余念がない。
 「休憩はしっかりとってさ,まあ,がんばれよ」
 久彦の楽しみは月1本,タダで借りられるビデオだった。バイトをはじめて最初の1か月が過ぎた。店長から「好きなビデオ1本,借りてきなよ」待ちに待った一言が出た。

 2日間考え抜いて,久彦は1本のビデオを借りた。そのビデオに決めるまでに,さまざまな欲望が奴の脳裏を駆け巡ったのだろう。

 「で,何を借りたんだよ」喬司が尋ねる。
 「聞かないでくれ。あんな筈じゃなかったんだ。考えていたのと全然,違うんだ。もっと……」
 われわれは,その続きに発せられるであろう言葉を,ビデオのタイトルを聞いてすぐ,理解した。
 タイトルは「ジーナ セクシーライブ」。
 露出度の高い衣装を纏った日本のガールズロックバンドのPVだ。ランナウェーズのような,といっても伝わらないだろうか。まあ,奴が期待していたものは痛いほど判ったのだが,いかんせん,他に選択肢はなかったのかと吹き出してしまった。らしいといえば,まったく奴らしい選択ではあったのだが。

 卒業後,教師になった久彦は,いきなり離島に飛ばされた。行方は定かでない。

←back