a big sleep

04/06/19   


 

   FMラジオを鳴らしながら,何となく眠る気にもなれず,3時をまわってしまった。こんなふうに夏休みは1日ずつ捲られていくのだ。
 電気を消しても月の明かりに目が冴える。月の光に日焼け(というのだろうか)するサーカスの綱渡りを思い浮かべてしまう。

 足音が近付いてくる。そしてひと呼吸。ノックの音だ。
 「おーい。起きてるか」
 喬司の声だった。
 「な,なんだよ。こんな時間に」
 「麻雀で摺っちゃって,家までかえれねぇんだ。泊めてくれ」
 カギをかけていないドアを勝手に開け,台所に佇む。
 「起きてると思ったんだよ。ここまで来ていてなかったら,意地でも泊まらねぇとな」
 「いつかみたいにかよ」
 私の留守に上がり込み,飲み食い歌って出ていったこ奴の姿を思い出した。
 「とぉっくってな,お前んち。朝,1限授業だから,一緒に行こうや」
 そういうと,机のわきにごろんと横になった。

 数時間後。自称“低血圧”のため寝起きが悪い喬司を起こした。水道水で顔をひと撫ですると気分が変わったのか「金借りしてくれねぇ?」
 「家に帰るんだったら仕方ないな」
 喬司は学校へ寄らず,そのまま駅に向かった。

 その日の午後,いつもの喫茶店で食事をとっていると喬司がやってきた。
 「悪い! ホント申し訳ない」
 開口一番,平謝りだ。
 「あのあと,金借りた身で,雀荘いっちゃってさ。折角借りたのに,ホント申し訳ない」
 確かに反省なら猿にもできる。ただ,猿にもできるのだから,一度くらいしてみてもいいのではないか。



 私は喬司の代試験(というのだろうか)をしたことがある。

 前日の夜,徹の部屋で相変わらずのバカ話をしていたときのことだ。遅くなったので喬司は泊まっていくことになった。
 「明日の1限,出られるかな」
 「起きさえすれば,学校まで10分もかからない」
 「低血圧だからな,おれ」
 そのころは,まだ喬司の自称低血圧はまかり通っていたのだ。
 「代返してくれねぇか」
 これまでも,そつなくこなしてきたので,
 「かまわねぇよ」2つ返事でそう答えた。
 「こんどは,おれが代返するからさ,悪ぃ」
 喬司は,十にひとつも起こりえないようなシチュエーションを口にした。そのときは意外と,そう思っているのだから憎めないのだが。

 翌日。代返を終えた私は意外な事態に遭遇した。後半は試験だったのだ。しまった,といっても後の祭り。いるはずの喬司の答案用紙も含めて,各列にまわされる。躊躇なく,そのなかから2枚を抜き取った。
 明らかに変えたと判る筆跡で,私は2枚の答案用紙を仕立てた。出席さえすれば,誰でも単位が得られると評判の授業だったので,費やした労力はたかが知れている。大学の試験なんて,ちょろいものだ。私はたいていの試験を甘くみた。

 ドイツ語は,テキストとして用いていたヘッセの「青春はうるわし」から出題されると聞かされた。簡単な訳とともに,小論文があった。旧制高校の学生並みの心性を80年代に押し付けるような教師だったので,テーマにそって「青春とは,気付いたときに過ぎ去っているものではないか」とか,なんとか書き連ねると,そこそこの点数を得た。

 翌年のドイツ語教師は,小声で授業をすることに生き甲斐としているような女性だ。毎週,その声に誘われて私たちは,たやすく睡魔に降参し続けた。試験のときには,教室中を正答がかけ巡った。どう考えてもそのようすをこの教師は気づいていた筈なのに,何一つ咎められなかった。
 私のところに正答がまわってくるより早く,喬司が早々と答案を提出する姿がみえた。戻り際「まだ写し終わってねぇのか」小声でささやくと,教室を後にした。
 確かに写しはしたのだが,真正面きってそう言える喬司の心根が,時に羨ましくなる。



 われわれのゼミ室には,いろんな卒論が置かれてあった。ほとんどが論文であったが(卒論なんだから当然だ),なかに混じって自作の曲が録音されたカセットテープや漫画など,「卒論」と,どうつながるのか理解できないものが,あたりまえのように並んでいた。もちろんすべて「卒論」の名のもとに残されたもの だ。
 それらすべてに8割の合格点が与えられていたのだから,いやはや。
  
 構想数か月。私たちにも卒論を発表する場が用意された。さすがに,ギターを弾き語ったり,拡大した漫画を紙芝居のように読みはじめる輩はいなかったが,会場は奇妙な雰囲気に包まれた。
 「自殺」や「奇矯」,「悪趣味」,「性倒錯」あたりの発表は,とりあえず了解可能な範疇にあった。徹と裕一が共同で執筆した論文を,ニュースショーのようにはたまた漫才のように,掛け合いで発表したのは異色だったろうが。

 (わざとらしく抑揚を抑えながら)「え?,そんな倒錯があるんですか」(驚いたように手を広げるが,声は淡々としている)
 「はい! そうなんです」(こちらも同じだ)
というように。

 だが,「進化の異端児 鼻行類」のタイトルを見たとき,誰もが絶句した。
 鼻行類って,人間じゃないじゃないか? それも架空の動物だろ? このゼミは,とりあえず人間が対象じゃなかったか?
 異端児って,鼻行類は子どもなのかよ? 誰の?
 会場はどよめいた。演題に立ったのは喬司だ。

 喬司は,まず,いかに反社会的な人間の行為に意味があるかを訴え,異端の極北として鼻行類をあげるという強引な展開で,私たちを煙にまく。後半は鼻行類の解説だ。整合性を問うよりも何も,全篇に漲るシュールな展開にまったく追い付いていけない。質せば理解できる点もあろうが,ただただ,笑いを堪えるのに必死だった。

 あの卒論は,いまもゼミ室に置かれているのだろうか。

←back