• 初出:「NOW」No.19,p.92(文化出版局,1973)

日本にハー神様の代理人ドボイルド作家は育たない……という見かたがかなり根強くある。風土的な条件から。言語学的な条件から。日本人の伝統的な体質から。理由はいろいろ。

そこへ一人のハードボイルド作家が登場した。ハヤカワのミステリマガジンに処女作「抱きしめたい」を発表。ちょっといいじゃないか……珍しく乾いている……ストーリーテーラーとしての力は,この短編ではまだよくわからないが,ディテールの描写力はかなりのものだ……新しい……まだ二十一才だそうだ……人に会うのが 大嫌いで, かくれたままでいる……

では,ということからNOW誌にご登場いただくことにした。NOWのためのオリジナル一本は,本号の目玉の一つ,じっくり味ってみていただくとして,読者のために作家自身に関するデータを提供しよう。といってもそこはNOWのこと。偏見に満ち満ちたインタビュー記事であることは例によって例の通り。
まずアウトラインから。折悪く冷たい雨の日で風も強い悪条件(外出には)にもかかわらずビシッと黒の三つ揃いで決めて,濃いサングラス。真白なシャツはロ ングポイント。靴下も靴も黒。スーツは細いストライプ入り。髪は今様でないクラシックな七三調。風のため前髪が額にハラリ。色が白い。生まれてこのかた太陽の下に出たことがなしという白さ。
運動(スポーツのほう)はまるで駄目だがその代わりアタマは抜群という,あの近よりがたい秀才タイプ。といったら怒られるから天才タイプ。というのが第一印象であった。話し方は,挑戦的,高踏的,独断的,それらをミックスして,各種コンプレックスのスパイスをふりかけた文字通り天才的なもので,これが「人に会うのが嫌い」な人かと思うほどよくしゃべる。もっとも,膝つき合わせて語り合う式ではなく,一方的な講演型。

その博学多識なこと,こちらはただもう恥じいるばかり。初めて会うので目印にハヤカワのポケットブックでも持って行こうということになって,スピレーンの割合最近のを一冊持参したところ,「ああ,スピレーン。ガールハンター以後の作品は駄目です」それから自己紹介代りにスピレーン論を一席。
「一番新しいニッサンのコマーシャル知ってますか。チャンドラーの盗用ですね。チャンドラーは読んでるんでしょう? それで知らない……ふーん」
「ハードボイルドを単純に男のモラルとしてだけ受け止めている作家がいますね。あれじゃあね……モラルの移行が問題なんだ」
こ こで実はその日本のハードボイルド作家の実名を彼は挙げた。続いてハードボイルドの語源について,無智な聞き手のために解説を一くさり。そんな基本的なこ とさえも知らないドシロートに対して,いちいち教える手間をいとわない親切さがいい。これは育ちのよさから来るのであろう。

神様の代理人ひいじいさんの代から,というから文句なしのハマっ子。横浜という独特の体質を持つ街の典型的な若者である。東京イコール田舎っぺという強固な信念が全身から発散する。昭和二十五年生まれ。本名は公表を許さず。職業は無し。この職業というものについては明快な考えを持っていて,「それでメシが食えないうちは職業と認めない」。彼自身は,だから小説を書き,コマーシャルフィルムをこしらえ,映画の構想を練り,いろいろ多彩にやっているけれど,いずれもそれで食っているのではないから無職。
それでは生活の時間表で一番多くを占めるのはと聞き直せば,やはり原稿書き。気紛れで書いた小説がウケて(まったく本意ではないのに)注文が多くて,それを全部ごく気軽に引き受けて,〆切が近づくと胃が痛くなって,一度も〆切日を守ったことがなくて,その結果,しばしばクビになるとのこと。

作家矢作俊彦が崇拝する人物はナチス・ドイツの宣伝相ゲッペルス。生涯を徹して嘘をつき通し,欺き通した彼こそは作家たる者の最良の手本であるそうだ。 やや偏執狂的なほど熱意をこめてゲッペルス論を語るご本人はむしろヒトラーその人に似てなくもない。

作家矢作俊彦と書いたが,本当は,映画作りこそ彼の最大最終の願望である。今のところ小説を書いているだけ。それも映画作りのプロセスとして。なんでも 「博士の異常な愛情」を見たその日以来,映画こそわが道と思い定めているのだそうな。ゴダールがお好きらしい。恐るべき記憶力で,どの作品のどのシーンではどうだ,こうだと精密な解説付きで語る。こちらが覚えていないと,たちまち憐れみの表情をかくさない。その若さは貴重だ。

近い将来の映画監督矢作俊彦の頭の中にはすでに精緻なシナリオが完成している。ギリシアでなんとかいう組織の命令を待っている若きテロリストが,ついに連絡が来ないためしょぼしょぼと東京へ帰って来る……そこから話が始まるよし。日本でハードボイルド撮るなら山崎努しかいないのだけれども,彼はもう若くないから,主役は萩原健一。女は村松英子を使う。スタッフのギャラぬきで一億円という予算表も出来ている。

その映画(題名を聞き忘れた)のラストシーンは,下北半島のサーキットでポルシェのスパイダー23とかが炎上することになっている。桜田門から霞ヶ関一帯の大オープンセットを組んで壮絶きわまる屋台崩しをやる。すべては,うっすらと白一色の雪の中でなければならない。

ハヤカワの新人登場で彼を「医者の卵」と紹介しているのは,実のところ,真赤な嘘。早くもゲッペルスを実行しているわけだ。岡崎友紀と人体解剖図と細胞組 織図を愛する青年というほうは本当のようである。岡崎友紀は日本の現代女性のトータルで,とにかくすごくて……もう熱愛している感じ。

写真撮るならキャンプでニガーの友人に拳銃借りて,そいつを射っている所を撮ってもらいたいんだが……と残念そう。雨降りの日はだれもいなくて駄目なのだそうだ。 拳銃の口径と性能,各国製品の優劣,パラベラム弾やらダムダム弾の破壊力,国産映画における拳銃の扱いのいいがげんぶり,それに比べてリー・マービンの45口径の扱いのリアルさetc.詳説あってとどまるところを知らず。

エースのジョーに憧れた少年が,そのまま大人になってそこにいた。