2004年11月

11月04日(木) 出典  Status Weather晴れ

 『複雑な彼女と単純な場所』(東京書籍,1987)にはていねいな初出一覧が付されている。ところが,なぜか,ひとつだけ書き下ろしではないのに出典が記されていない一文がある。帯にも刷られたこの文には,タイトルが付いていない。別丁で差し込まれた台に写真に添えられた,その出だしは,こうだ。

 「ポケットに何がしかの悪銭をねじりこみ,分不相応なニット・タイをきりきり締めつけ,ネオンの灯った街へ一歩踏み出したとき,何かしら得体の知れない,人生のようなものを,真正面に見つけたことがある。」

 オリジナルは月刊プレイボーイに「PLAYBOYSのためのナイト・ロケイション 矢作俊彦 フライディ・ナイト・ウォーキング バイバイ,メリ YOKOHAMAはかわったよ」と題し,たぶん1980年代前半に掲載されたものだ。号数は不明だけれど,p.130-137。

 『ロング・グッドバイ』発売後,ネットや掲示板でこの文をよく見かけるようになった。そういえば,とバインダを取り出してみた。
 『ロング…』の校正みたいな読書を通勤の行き帰りにやはり続けているので,単行本と見比べてみる。習性からは逃れられない。と,オリジナルからワンセンテンスが除かれており,ほんの少し文章が入れ替えられている。
 除かれたのは,こんなところだ。

 (七行目と八行目の間に)「田舎から遊びに来て,中華街で無遠慮な笑顔をふりまいている連中を,運河に叩き落とす気にさえなれず,山手の丘に車を止め,顔も体もジャガイモといった手の女たちに悪戯をしている足立や練馬ナンバーに石をぶつける気にもなれなくなった。」

 さらにいうと,このエッセイは本牧,関内・伊勢崎町,中華街などの26件の酒場やレストランを紹介したもので,もちろん「ホフブラウ」が登場する。

 誤植ナンバー“青い山脈”は,いまだ見つからず。記憶違いなんだろうか。


11月05日(金) イチロー  Status Weather晴れ

 伊丹十三の『お葬式』が,友人と連れ立って観た最初の映画だと思う。誰となく,「『お葬式』観にいくか」と発し,「俺も行こうと思ってたんだ」「どうせなら一緒に行くか」,事は簡単に決まった。しばらくしてキャスティングを知るや,皆がざわついたことを覚えている。

 「小林薫はどこに登場するんだろう」
 「それより猫八だろう」 
 「藤原鎌足って何百歳だよ」
 くだらないボケと突っ込みが,幾度となく繰り返された。

 横一列になって観た『お葬式』は結局,財津一郎の映画以外のなにものでもなかった。
 「体格いいよな」
 「妙にパンパンしてたぜ」
 「何? パンパン」
 「違うよ,こ奴うるさいな,まったく」
 「でもさ,何なんだよ,あの体つき」
 体格だけでど肝を抜かれてしまった。

 いまだに財津一郎の格好よさを説明する言葉は見つからない。


11月06日(土) 索引  Status Weather晴れ

 『オーケンののほほん日記1992-1995』(びあ,1996)が刊行されたとき,何にもまして面白かったのはインデックス(特に「人・グループ」)だ。たとえば,

 アブドーラ・ザ・ブッチャー
 あぶらだこ
 天草四郎
 天地茂

なんていう流れは,大槻ケンヂならでは。

 ビョーク
 平沢貞通
 ビル・クリントン
 ピンク・サターン

 麿赤児
 町田町蔵
 松岡きっこ
 松田優作

 森繁久弥
 森純太
 森田正馬
 森本レオ

 全部,抜き出してしまいかねない。

 で,昨日,今年8月までの日記索引をつくっていた。並べ替えもしていないものだけれど。
 ↓
 索引

 われながら,固有名詞に至って弱いことを実感した次第。


11月09日(火) 展示  Status Weather晴れ

 『ロング・グッドバイ』の例の誤植はいまだ発見できない。習作“Another Game”は紆余曲折の末,書き始めたころのスタイルに戻すことにしたものの,アップできずにいる。索引を並べ替え時間もなく,過去ログのアップが一部滞っている。中途半端の真っ只中だ。いやはや。日がな堆く積まれた仕事を前に,倦怠期の夫婦よろしく今ひとつ拍車がかからない。

 週末の日記です。

 “サージ+ヨージ”展が開催されている喫茶店へ行った。娘と,ケーキを食べがてら(クルミとオレンジジャムのロールケーキをペろりと平らげた),ひやかしにいってみようと話がまとまったのだ。
 シャレたマンションの一隅が喫茶店になっており,窓の外からは別棟と,その突き当たりに渡されたアプローチでぐるりと囲まれたパティオが見える。アプローチの手前には水を張った小体な池が設えられ,パティオからは,水面から顔を出した座椅子ほどの大きさの石畳を渡っていくらしい。
 案内地図によると,アプローチの中程に,腰丈ほどの高さの石でできた水瓶があり,その縁に,さじが展示されているようだった。

 店内の展示をながめ,外に出ると,すっかり日は落ちていた。娘はパティオを突っ切って水瓶をめざし,うれしそうに石畳を飛び越えた。

 水を蓄えた水瓶の縁には大きな1本のさじが置かれている。と,娘はいきなり持ち上げようとする。
 「展示してあるんだから,さわっちゃだめだろ」
 「だって,持たなければ,こうできないじゃない」
 娘は大きなさじで水瓶から水をひとすくい,そのまま池まで持っていき,水を零した。
 
 そんなふうにするために展示されていたのかは定かでない。ただ,展示と称し水瓶の縁の置かれたさじを阿呆のように眺めようとした私と,それで水を掬って,池にはなった娘の,もっているスキーマの差を見せつけられたように感じたのだ。


11月10日(水) 切り取り  Status Weather晴れ

 索引をつくるのに,バインダに放り込んだチラシやら雑誌の切り取り(バッサリと断ち切ってあるんで,切り抜きとはいえない)やら,チケットの半券などを手がかりに日にちをチェックした。中に,1993年9月24日のフェヤーモントホテルのレストランスリジェで食事した際の伝票なんていうものまで挟まっていて,いったい,このバインダはどいうった保管基準で用いていたのかと,考えあぐねてしまった。
 解凍直後のP-MODELに関する記事も中に何点かあって,斜め読みしていたら,平沢の発したこんなフレーズが飛び込んできた。

 “100万人のアンケートよりたった一人の深層面談”

 ソロユニット“旬”のアルバム『旬4』のなかで聞いた覚えがある。

 
 Action
 Intervene
 Demonstrate
 Survival

 こちらは佐賀町Exhibit Spaceで展示されたJohn Calendoの作品に添えられたチラシから。セント・クレア病院エイズ病棟でのボランティア活動から生まれた(というと語弊があるが)作品だった。


11月11日(木) ヘミングウェイ  Status Weather晴れ

 最近の日記つづき。

 加藤和彦のCD『パパ・ヘミングウェイ』を手に入れた。LPを買ったのは20年以上前のことだけれど,元がノスタルジックなアルバムなだけに,聞いたときに感覚は驚くほど変わらない。

 巷間,「佐藤奈々子のボーカルがカットされた1988年東芝盤と変わりない」と返品騒ぎまで起きているそうで,もちろん広告のしかたに問題あることは言うまでもないけれど,私は返品する気はない。東芝盤は買わなかったし。「LAZY GIRL」に佐藤奈々子のボーカルが入っていないのはワーナーのベスト盤『AMERICAN BAR』だってそうだったし。

 で,プレーヤーが壊れて10年以上,本当に久しぶり聞き直して感じたのは,カッコ悪い“ヨーロッパ三部作”ってくくりかたは強引じゃないかということだ。
 「LAZY GIRL」を口ずさんでいると,「ガーディニア」に変わってしまうくらいこの2曲は似ている。実のところ,『それか先のころは』『ガーディニア』『パパ・ヘミングウェイ』を“コロニアル3部作”と称してしまいたくなったのだ。
 “ヨーロッパ”なんていわれてしまったのは,1曲目に“SMALL CAFE”をもってきたためだろう。それもたぶん確信犯だ。

 20年前に聞いたときから,このアルバムの曲で,まず耳に入ってくるのは小原礼のベース。悪くいえば浮いている。その浮き方がカッコいい。「サンサルバドール」のリズム隊のつんのめり具合(そんなものあるなら)は癖になる。

 『20世紀アメリカ短編選』(ちょっと言葉を絞り込みすぎたタイトルじゃないかな,岩波文庫)の解説,ヘミングウェイの項。

 「(前略)……真の作家としては最初の二作で終っている。猟銃自殺(後略)」(大津栄一郎)

 ハードボイルドな解説だ。


11月13日(土) 質  Status Weather晴れのち曇り

 「弱そうなおやじがきたから付いていったんだ。それがさぁ」

 徹はその週末,秋葉原で新しいビデオデッキを手に入れた。初手からバッタ屋ねらいででかけたのだ。一歩間違えば,“暴力電気店”で二束三文のガジェットを押し付けられる。危ない橋を渡ろうと決めたのは,スペックがアップするスピードと自らの懐具合のバランスが釣り合わなくなったために違いない。
 加えて,春先に各教室に据えられた新型のビデオデッキを授業のたびに見せつけられてからは,欲望は膨らむばかりだ。それを保持し続けるだけの体力を徹は持ち合わせていない。いや,その頃,誰もがそんな体力をこれっぽっちも蓄えてはいなかった。

 一歩踏み出せば,この数週間夢見た機材がとりあえずは手に入る。うまくすればハイスペックの業務用が置いてあるかもしれない。いや,そのほうが可能性が高い。製造番号は削ってあるだろうから故障したらヤバいけど,バイト先のレンタルビデオ屋店主は電気屋が本業だから,いざというときは拝み倒せば……。

 だから,徹が選んだのは足腰の弱そうな,作業服を着たポン引きだった。

 「階段を登らされて,非常口から入っていくんでさ,やばいかなって冷や汗ものだったけど,運がよかったよ」

 ところが,しばらく後のこと。徹は,駅前通りを少し外れたところにある質屋のショーケースで,教室にあるのとまったく同じビデオデッキを目にした。業務用だけれど,バッタ屋で手に入れたものと遜色ないスペックで,さらに安い。
 「でもさ,おかしいんだよ。出たばかりの,それも業務用だぜ。あんなものが質屋に流れるはずないんだ」

 その日,そばにいた喬史の様子が,やけにそっけないことに誰も気づきはしなかった。

 後で知ったところによると,質屋に流したのは喬史だったのだ。もちろん,教室のデッキを一台かっさらって。
 「だってさ,もとは俺らの授業料だぜ」
 いや,だからって,それをおまえの生活費にあてていいわけないと思うのだけど。


11月14日(日) 伝言  Status Weather曇り

 矢作俊彦の『複雑な彼女と単純な場所』に関するクレジット表記の件(11/4参照),とりあえず2ページだけアップしました。

 こちらにあります

 出典は正確を期さねば役に立たない。ところが,手元の切り取りは,よもや出典を確認しなければならない場合があることなど想定せずに放り込んであるので,こんなときほとんどが曖昧になってしまう。
 別に切り取っていた目次で確認しなおしたところ,<月刊プレイボーイ,1979年2月号,p.130-137>で(たぶん)間違いないと思う。


11月16日(火) はり  Status Weather晴れ

 神谷美恵子の『生きがいについて』には,“生きがい”と併記するかたちで“はりあい”という言葉が出てくる。

 ただ,この“はりあい”,話題に上ることはあまりない。生きがいよりも使い勝手は数万倍いいと思うのだけれど。大上段構えて,「生きがいについて」思い巡らすよりも,ときどきの“はりあい”ととも生きながらえていくことのほうが,少なくとも私にとっては現実感を伴う。


11月18日(木) ハーモニウム  Status Weather曇りのち雨

 長くの間,P-MODELがその活動に,ヴォネガットのボキャブラリを利用しはじめたのは,1987年ごろのことだと思っていた。(=ライブ“ガラパゴスの待ち伏せ男”あたり)以後,ヴォネガット経由の単語は最近になるまで長きにわたり登場する。核P-MODELのステージでは,アイス9なる改造ギターが登場したそうだけれど,由来が『猫のゆりかご』にあることはいわずもがなであろう。

 ところが,少し前,久しぶりにアルバム“ONE PATTERN”(1986年)を聞いたところ,同じ頃読み返していた『タイタンの妖女』に「ハーモニウム」が登場していることに今さらながらに気づいた。18年して,やっと気づいたなんて大きな声ではいえないが。

 さらに,1999年に刊行されたCD-ROM付単行本『音楽産業廃棄物』のインデックスに,すでに紹介されていて,私は,今日まで何回となく読み返していた筈なのに,記憶はホント当てにならない。

 「なんでハーモニウムがオルガンを意味するんだろうって思ってたら,鍵(鍵盤?)が全部“別人”なんですよ。絶対に別人じゃなきゃ音楽にならない。そんなところで,すごくハーモナイザーとかハーモニウムっていう言葉に魅かれていたんですね」(同書p.126)


11月20日(土) ループ  Status Weather晴れ

 かなり以前,キング・クリムゾンのアルバム『ディシプリン』『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペア』のジャケットの配色がループ状になっていると書いたものの(ここ),実物を紹介したほうがてっとり早いとは思っていた。ただ,「スリープレス」12インチの画像が見つからなかった。

 最近,ビル・ブラッフォードのHPにこの4枚が続けて掲載されていることを知った。

 こちらです

 上から5~8枚目のジャケットの配色について記しておきたかったのだ。


11月21日(日) セール  Status Weather晴れ

 「(前略)100円ショップに行くと,私はどうにもいいがたい後ろめたさに襲われる。物には最低限の価値というものがあり,その価値は自分で金を払って覚えていくものである。私たちはよく,安く買った物を無駄に使い,高い金を出した物は大切にする。
 (中略)100円ショップはいうなれば,あらかじめ邪険にされる運命を負わされた悲しい商品の墓場である。
 (中略)店の棚に並ぶ何千,何万という,100円ごときで買える取るに足らない商品から,それを作った人たちの悲鳴が聞こえてくるようだ(後略)」星野博美『銭湯の女神』(p.37-42,文藝春秋,2001年)

 思い出したようにページを開くたび,思わず胸襟を正さずにはいられないフレーズが時々顔を出す一冊だ。
 で,100円ショップの話ではなく,閉店セールについて。

 休日や仕事帰りによく立ち寄った古本屋が閉店する。何件目になるだろう。ある日,店を畳んでいたというのではなく,閉店の日にちが明記され,それまで“は閉店セール”として通常の20%引き~半額にまで値が下げられる。定価10,000円,これまでは6,000円で交渉してもそれ以下にはならなかった辞書が3,000円で手に入った。でも,もちろん心は踊らない。

 本と,それを読む私の欲望のありようが,内容ではなく価格とのバランスに依っていることに,閉店セールがあるたび気づかされる。閾値が下がり,ものを手にするときに感じるのは,欲望の充足ではなく,反射のようなものだ。

 閉店セールで手に入れた本を読まずに,何度,そのまま放っておいたことだろう。そのようにしてものを手に入れてしまったときに感じるのは,本を読むことから一歩,自分が遠ざかったような情けなさだ。

 ここで手に入れた一冊を1年のうちに読むと枷をかけたとしても,仮に閉店セールで20冊を手に入れれば,あと20年。そこまでして買う必要があるのだろうか。出会ったときに買わなければ,次の機会がくる確率はほとんどないに等しいというのは,こんなとき,戯れ言だ。
 古本屋が消えてしまうというのに。


11月22日(月) confusion  Status Weather晴れ

 ニュー・オーダーが初来日したとき,喬史と昌己はそのツアーの一日,原宿の小さなライブハウスへ観に行った。バーナード・サムナーのボーカルはすでにひどかったそうだ。
 「いきなり音域の一番高いところから始めてさ,どうしたってそれ以上出ないから,即座にワンオクターブ下げるんだぜ。これがよ。裏声の逆だな」
 後に喬史のカラオケ姿を見るたびに,このときやっかいなものに感化されたのではないかと思った。奴の歌声もまさに裏声の逆をいっていた。

 で,「アマチュアバンドのほうがよほど上手いぜ」といわれてもしかたない出来だったそうだけれど,初手から演奏能力を見にいったわけでなかったので,しばらくは端々にライブの話が登場した。喬史はピーター・フックを真似て,エアベースをかき鳴らしていた。
 「ジョイ・ディヴィジョンの頃のほうがギター上手かったぜ。プロが下手になってどうすんだよ」
 昌己は声を荒げた。
 「いろいろ見たけど停電になったライブなんて初めてだ。それも“Blue Monday”が始まって,いきなりだ」
 喬史が続ける。「ライブハウスで落ちるかよさ,まったく。せっかくノリノリだったのによお。第一,曲でオチつけてどうすんだよ」
 「何さ,オチって。ジャンジャン,ってギターを鳴らしたのか?」
 「そんなんじゃなくてさ,"Blue Monday"はそれで終わり,電気復旧したら,いきなり"Confusion"だってさ」
 「くだらねぇな」

 ただ,そうしたどれもこれもが,誰かに話したくなるような,ふしぎな魅力をもっていたことも,また,否定できないライブだったようなのだ。思えば,ジョイ・ディヴィジョンのライブ盤での“Decade”なんて,途中でシンセのチューニングが狂って,死ぬほど聞きづらいのだけど,結局,最後まで聞いてしまうし。そういうバンドに,とても憧れる。


11月24日(水) 硫黄  Status Weather晴れ

 娘と風呂に入っていたときのこと。
 “温泉の素”を浴槽に溶かすと,瞬間,水が濁り始める。
 「くさぁーい」
 「硫黄の匂いなんだ。温泉とおんなじだろう?」
 「これ入れてたんでしょ。ゆで卵の匂いに似てるってママがいってた」
 「へー,覚えていたんだ」
 「でもさ……」

 嫌な予感がした。
 「なんで,硫黄の匂いとゆで卵に匂いって似ているの?」
 「……」
 調べておきます。


11月25日(木) 雑誌  Status Weather晴れ

 横木安良夫の『ロバート・キャパ最期の日』(東京書籍)を読んでいた。(誤植が数カ所,目に付きました。こんなのばかりだ)
 手元に残っている雑誌「PHOTO JAPON」1984年7月号にコーネル・キャパと並べた小さな特集があったことを思い出し捲っていると,いや,他のところばかりに目がいく。

 この雑誌を買ったのは長倉洋海によるマスードとの同行ルポが掲載されていたからだったはず。「空海の旅」と題された構成は,撮影・中西浩,文・佐藤健(サンデー毎日)とある。
 マスードも佐藤健も,すでにこの世にいない。いくら20年前の雑誌とはいえ,亡くなった人が多すぎる。キャパへのコメントは開高健が書いているし。

 巻頭がSIPA通信社の特集で,イランイラク戦争の構成があったかと思うと,目次に“NUDE et NUDE”脱衣場一覧としてその月に脱いだ人,脱がせた人が対になって掲載されている。週刊ポスト5/25号では,マイク岡田撮影でジャンボ堀のNUDEが掲載されていたのか。隣には第5回ユージン・スミス賞?応募締め切りせまる?。節操がないけど,雑誌のフットワークってこんな感じだったよな,と感慨一入。

 ところで,ハービー山口の構成「LONDON WAVES」の巻頭,バックステージを低めの俯瞰で捉えた写真に映っているのはスージー・スーとスティーブ・セブリンではないか。ただ,記事に「……クラブ・オブ・ヒーローに集まった。オーナーは,ロック・グループ,ビサージュの一員,スティーブ・ストレンジャー」って,ビリー・ジョエルじゃあるまいし,“r”は入っていないと思うのだけど。


11月28日(日) 青年と中年  Status Weather晴れ

 「……歴史書に登場する戦争のほとんどは10代の若者によって闘われたのである。……産業革命と共に中年層が指導的地位をしめるようになった。
……個人の一生において青年期という段階が明確に区別されるのは,そして肉体的に成熟した男子が一人前の大人として扱われない習慣は,中産階級に特有の現象である。労働者階級ならびに貴族階級の若者は早くから人生の現実に触れるのであり,親の庇護の下で待機させられるようなことはない。……」エリック・ホッファー『初めのこと 今のこと』(p.69-70,河出書房新社,1972)

 ホッファーは多くをアリエスの『<子供>の誕生』から得ているのだろうが,それよりも,本田和子の『異文化としての子ども』を思い出しながら読み進めた。


11月29日(月) ボーイッシュ  Status Weather晴れ

 「やっぱりオードリーだよな」
 「何? 鳳啓介?」
 「つまらねぇよ」

 学校の近くにあった書店でのことだ。時,何度目かのオードリー・ヘップバーンブーム。名画座では特別プログラムが組まれた。私たちは,ぴあだったかシティロードだったかを立ち読みしていた。

 思えば,二人,三人,多いときには四人で一冊の雑誌を立ち読みしたものだ。エロ雑誌の文通欄なんていうのは格好のネタだった。ラッシャー木村じゃあるまいし,兄貴やらなにやらに熱く語りかける文章は,それは常識では思いつかない想像力の宝庫で,昌己はその欄だけには目がなかった。
 「“部長求む”って,求人欄みたいだぜ」
 「社長じゃだめなのかな」
 「社長をめざす脂ぎった感じがいいんじゃないか」
 「本当に部長じゃないといけないのか? “部長です”って名刺見せなきゃならないのかもしれないぜ」
 「ヒラやバイトじゃ,気分が盛り上がらないのかもな」
 「バイト求む,時給1000円って書いてあったら,そりゃどう読んでもアルバイトだもの」
 四人して興味津々に読んでいる姿を思い浮かべると,なんだか情けない。

 徹はボーイッシュな女優が好みだった。オードリー・ヘップバーンがボーイッシュで括れるかどうかはさておき,私たちの会話のなかでは,それで通っていた。
 「日本でいうと誰かな」
 そう切り出したのは徹自身だ。
 「ボーイッシュね」
 テレビの実写版“跳んだ”なんとかの空想シーン直前のように,私たちは空を見上げた。
 「……チーターか?」
 二人が同時に言った。
 「確かに,そうともいえるよな」
 「何で揃って,チーターっていうんだよ。水前寺清子っていえばいいじゃないか」
 「さすがに言いづらくてさ」
 それ以来,少なくとも私にとって,オードリー・ヘップバーンとチーターは,どこかで二重って映ってしまうのだ。小林幸子と松浦あやとか,舘ひろしと王貞治とか,同じような経験はいくつかあるのだけれど,声高には言えない。



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