2006年5月

05月01日(月) スウィッチ  Status Weather晴れ

 A曲は,98 BPMくらいのテンポで,メロウなジャズ。B曲は,150BPMのタテ乗りのハードコア。2曲を同時に演奏しはじめ,出力をスウィッチで切り替える。
 1990年代はじめにライブハウスでみたジョン・ゾーンの曲は,そんな感触がした。

 2曲を切り替えるタイミングは小節ごとでない。A曲を演奏しているのと同じだけの時間をB曲も経過している。だから,スウィッチング直後に聞こえるB曲の出だしは,決して小節ではじまらない。そこが格好よい。


05月03日(水) 想像力  Status Weather晴れ

 「テレビの討論会で,一人の少年が『なぜ人を殺してはいけないのか』と質問したという記事を読んだ。詳しいことをわたしは知らない。ただ,だれかが『あなたは,殺されてもいいのですね』と問い返しただろうか,ということが気になった。人と人が向かい合うときの,相互性とでもいうべき感覚が,報道された限りでの発言には欠けている,と感じたからである。殺すものは殺される。これは,人と人との根源的な関係だ。だが少年の発言は人のからだを,操作する対象,すなわち物体としてしか見ていない。しかしこれは発言者個人の思考形態の問題ではないだろう。近代社会を構成している思考の論理そのものであるのだから」
   竹内敏晴『教師のためのからだとことば考』p.17,ちくま学芸文庫

 で,次の一節を繋げてみる。

 「世界が想像するのをやめようとしている。
 (中略)
 自分だけでなく,遠くで暮らす他の人にも幸せで安全な暮らしを送る権利があるということを,想像するのをやめようとしている。
 想像をやめる時,人間は存在を見失う。
 (中略)
 想像する力を,私は武器にしたい」
   星野博美『銭湯の女神』p.260-261,文藝春秋


05月05日(金) 読み  Status Weather曇り

 以前,書いたような気がするものの,遊園地などで入場券を買うときの「小人」という字面を目にすると,どうしても“ことな”と読んでしまう。
 “しょうにん”と読むようで,対比される「大人」は“だいにん”。
 一度として,“だいにん2枚にしょうにん1枚”なんて言ったことはないけれど。


05月07日(日) 裏返し 1  Status Weather雨のち曇り

 酒飲みにとって何が恐怖かといって,胃がひっくりかえることだといったのは矢作俊彦。「酒場をめぐる冒険」というタイトルの番組のなか,安部譲二とカウンターに並んでだったと思う。

 その年の夏休みのはじまり,クラスで佐久の手前あたりに泊まり込む企画があった。そうした集まりからは常に距離を置いていた私たちだったものの,もののはずみででかけることになった。
 駅で待ち合わせたところ,献血が趣味の徹はすでに400ccを抜き取られ,“スッキリ”といえば聞こえがいいものの,傍目には徹夜明けでふらふらしているような様子だった。

 その夜,何を食べたのか記憶にない。そのまま飲み会に流れた筈だ。私と喬史,徹は3人で黴臭い壁にもたれながら,ひたすらウイスキーを飲み続けた。昼間はどこへも行かず,ひたすら弁当と食べていたのだった。幹事が調達したものの,欠席者がいたため残ったものだ。3人で5,6人分を平らげたのではなかったろうか。

 私はたぶんその日はじめてウイスキーを飲んだのだ。
 「強いじゃないか,まあもう一杯ほら」
 喬史のまったく機械的な物言いに,それでも私は気をよくして飲みながら,でも何を話していたのかまったく記憶にない。2,3時間でどれくらい飲んだことだろう。身体からだんだんと力が抜けていく。300円の焼き肉定食を出す喫茶店でするように,姿勢はひたすら平らに近づく。さすがに喬史も心配したのだろうか。
 「だいじょうぶか」
 喬史はいつも絶妙のタイミングで一言を放り出す。
 「飲み過ぎたかもしれないから,トイレ行って無理してでも」
 人は時に,何に対しても従順になることがある。だから,私が聞いたのはそこまでだ。喬史にあやつられたかのように私の胃はひっくり返った。(こんなネタだけれど つづく)


05月08日(月) 裏返し 2  Status Weather

 喬史の声が聞こえた。
 「だいじょうぶかよ,おいおい,こりゃまた派手に」
 多くは語るまい。ただ,そういいながらも,とっくに酔いつぶれた徹を尻目に,奴が後始末を手伝ってくれたことだけは記しておこう。

 アリタリア航空でもあるまいに,以来,私はトイレを詰めた男として名を馳せた。その頃は,まだ顔見知り程度だった昌己は,その企画にくるはずもなく,その場に居合わせられなかったそのことだけは後まで悔いた。

 数年後の新秋津でのことだ。
 正丸峠でボランティアとは名ばかりの,単位目当てに集まった1泊2日のゼミ打ち上げ後にそれは起こった。
 「こ奴は,トイレ詰めるからな」
 伸浩だ。お互い,確かにかなり飲んでいた。私のほうが酔いはまわっていたかもしれない。そういいながら,さらに酒を飲んで,秩父線の車中,窓を開け風にあたっていると,「風下は避けたほうがいいよ。危ないから」,回りの誰彼に向けてはやし立てる声が聞こえてきた。
 「うるさいな。気持ち悪いんだから,少しは静かにしろよ」
 「おっ,そろそろか」
 いったい,こ奴,何を期待しているのだろう。

 乗り換え駅に着くころには奴の声も聞こえなくなり,私の気分を収まってきた。ところが,伸浩の様子がおかしい。
 「ちょっと待っててくれ」
 と,トイレに駆け込んで行く。私は笑ってしまった。さっきまで,はやし立てていた当本人があげく,胃をひっくり返したのだ。(このネタは書きはじめるとなかなか終わらないので まだ続きます)


05月11日(木) 裏返し 3  Status Weather雨のち曇り

 北の家族とホッケと松田聖子のスイートメモリーズ。その頃は伸浩の独り舞台だった。

 で,社会人になって,久しぶりに皆が揃い飲んだときだった,何年ぶりかで私の胃がひっくり返ったのは。(つづきます)


05月15日(月) 裏返し 4  Status Weather晴れ

 表参道のはずれで飲み会が開かれたのは就職して2年くらい後のことだった。学生時代のクラスの仕切り屋が企画した会に参加したのはどうしたわけだろう。顔を出す程度のつもりだった筈だから,徹のアパートで2次会でもやろうという話だったのだろうか。

 ところが,私たちはすっかりできあがってしまった。伸浩はいつの間にか,カウンターではじめてあった女性と隣り合って,相変わらずハナ肇のブロンズ像よろしくテカテカと輝く顔はやけに暑苦しい。聞いたところ,クラスの子の友だちだったそうだけれど,同じ学校でもなんでもない。そんな飲み会だった。
 私は何をどれくらい飲んだのか,いや誰と何を話したのかほとんど記憶にない。散会の合図に遅れ,戸外に出ると伸浩が,おばさん同士が昼飯代金を出す出さないで行きつ戻りつするお札のやりとりそのままを演じているのが見えた。
 「タクシー代,出す出さないってことらしいぜ」
 昌己がいう。
 「なんであ奴がタクシー代出すんだよ。気持ち悪いな。今のうちに離れようぜ」
 徹が続ける。
 「でもさあ,もう終電逃してんだろう。どうせ徹の部屋行くんだしさ。連れていかなきゃ」
 同じく酔っぱらっているのに,すかさず和之が取り出したのは持ち前の自制心だ。
 私はただ,そのやりとりを聞いているだけだった。(この話,次回で終わります)


05月18日(木) 裏返し 5  Status Weather雨のち曇り

 乗ったのは日比谷線だったように思うのだけれど,表参道からどうやって乗ったというのだろう。その後,新宿で中央線に乗り換えたかすかな記憶があるとなると,私たちはいったいどこをどう彷徨っていたのだろうか。

 私の胃がひっくり返ったのは,その何線だかわからない地下鉄の車中でのことだった。他人事のようにいってしまうと,よほど飲んだのだろう。幸い終電間際の込み具合からほど遠く,被害は最小限にとどまった,とこれも自分でいうことじゃない。
 私はそのまま潰れ,気がつくと回りは中央線の車中だった。徹,昌己,和之,伸浩がいた。
 「あれには笑ったな。伸浩,札束きりまくってってさ」
 「さっきのカウンターの女の子のことか?」
 少しは頭が軽くなってきたので,私は尋ねた。
 「おまえのせいだよ。地下鉄でさ。まわりの客に『すみません,これ洗濯代にとっておいてください』だって。『そんなこといいから,お友だち,介抱してあげなさいよ』って,誰も受け取らねえんだから,客も客だったけどな」
 伸浩の顔は相変わらずブロンズ像のようで,からだを平たくして座席に寝ている。隣の和之の腰はすでに座席にはない。
 「つられて,俺らも出したんだけど,まあよかったよ」

 その後,武蔵小金井の駅で,伸浩と和之はトイレに駆け込んだ。 

 ロフト付きとはいえ,広いとはいえない徹の部屋に私たちはなだれ込むと,そのまま眠ってしまった。途中手に入れたスポーツドリンクで路上含嗽をし,そのしぶきが徹にあたってしまったときは,さすがに「お前ら,帰れ!」と叫んだものの,それにしてもよくも泊めてくれたものだ。

 で,延々とこんなことを書き連ねたのは,なんだかんだあっても,何の気負いもなく,酔ったそ奴(ここではほとんど私)の面倒をみることを厭わなかった,これだけは何にも代え難い体験だったことについて,どこかに記しておきたかったからなのだ。


05月19日(金) 東京カウボーイ  Status Weather

 今日の日記です。

 当時は駅前の本屋に寄ってから,学校へ行っていた。遠回りになるのだけれど,立ち読みする雑誌には事欠かない頃だったし,友人とそこで顔を合わせることも多かった。

 その日,本屋に入ると伸浩がいた。
 「よお,矢作俊彦の新作読んだかよ?」
 「『NAVI』の連載か?」
 「さあてな」
 「違うのかよ。どこで出てたんだよ」
 「ここで売ってるんじゃないかな」
 「お前さあ,ここ本屋だぜ」
 「探してみろよ」
 「ヒントくらいくれよ」
 不毛な会話はいったいどれくらい続いたことだったろう。矢作俊彦の短編が掲載された雑誌は『歴史読本臨時増刊 特集 中国 謎の秘密結社』(1988年3月増刊)で,ここに「東京カウボーイ」の第一回が掲載されていた。いったい伸浩がなぜ,『歴史読本』のそれも増刊で,特集が「中国 謎の秘密結社」などという雑誌を手に取ったのか,もしかするとこ奴と知り合って4年になるけれど,妙な趣味を持っているのではないか,と訝しがりながらも,早速買い求めた。

 小学館の雑誌『きらら』6月号を読むと,連載「ウリシス911」に今月は「東京カウボーイ」が組み込まれていた。「SO LONG」に「眠れる森のスパイ」が組み込まれたのはあれほど許せなかったのに(あれは掲載誌をスキャナで読み込み,OCRソフトで文字を抽出した様子があからさまだったから,許せなかったのかもしれない),「ウリシス911」は初手からそういうものだと思っているので,次は何が出てくるかと妙な期待がある。
 で,初出から,今回までの出だしはこんな具合。

 「Jがまだベッドにいるうちに,彼女は窓辺へ行き,煙草に火を点けると,丸一本分の烟が風にまじる様子を目で追いかけた。
 Jは睫の隙間からそっとそれを窺い,また目を閉じた。起きているのを気取られたくなかったのだ。」
   「東京カウボーイ」歴史読本増刊1988年3月 p.300


 「傑がまだベッドにいるうちに,レニラは窓辺へ行き,煙草に火を点けると,丸一本分の煙が風にまじる様子を目で追いかけた。
 彼は睫の隙間からそっとそれを窺い,また目を閉じた。起きているのを気取られたくなかったのだ。」
   「ワン・リトル・カウボーイ」『東京カウボーイ』新潮社,1992,p.4


 「爽がまだベッドにいるうちに,アヒナは古ぼけた物干し台へ出て,煙草に火を点けると,丸一本分の煙が風にまじる様子を目で追いかけた。
 足許にひろがる波止場には,米軍貨物と思われるコンテナを積んだ正体不明の灰色の船が一杯に舫われていた。(中略)爽は睫の隙間からそっとそれを窺い,また眼を閉じた。起きているのを気取られたくなかったのだ。」
   「ウリシス911」『きらら』,2006年6月号,p.109


05月20日(土) 推薦  Status Weather晴れのち雨

 筒井康隆を読み始めるなら「走る取的」,山野浩一なら「メシメリ街道」,ビートルズを聞き始めるなら「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」。
 高校に入ってすぐ,芳弘に紹介された作品を振り返ってみると,何だか同級生が選択したものとは思えない。


05月21日(日) BGM  Status Weather晴れ

 インド料理店に入るとラビ・シャンカールがかかっているなんてことはほとんどなくて,概ね聞こえるのはインドのポップス。最近では店内のモニターにプロモーションビデオを流しっぱなしなんて店も少なくない。タイ料理店でも同じような傾向だろうか。
 中華料理店に行くと,ベルベッツがかかる会社近くの店はさておき,意外と何もかかっていないことが多い。なのに,澄まして食事をするような具合にならないのは,換気扇の音が景気付けになっているからだと思う。


05月23日(火) 交換船  Status Weather曇りのち雨

 地下鉄を降りたときは,無料のスタテン島行きフェリーから遠目に眺める程度でいいと考えていたし,実際に,乗り場でしばらく待ちもした。それが,物見遊山で自由の女神を見にいこうとなど決めたあたりから少し日射病にでもやられていたのかもしれない。リバティ島からバッテリーパークまで戻ろうと乗り込んだフェリーが着いたのはエリス島だった。
 それでもしばらくは気づきもしなかった。思えば移民博物館であった建物に入ると,こんな場所を通っただろうかと少し不安になった。突き当たって,建物から出ると目の前は海だ。ぐるりとまわって船着き場までもどり,ようやく事の次第を理解した。

 知人から借りた『日米交換船』(新潮社)を読んでいると,あれもこれも,自分の妙な引出しが開けられるような感覚がして面白い。

 「加藤(典洋) それによると,East Boston Immingration Station(東ボストン移民局)に入所されたのは,四二年三月二四日。そこからエリス島に移ったのは,同年の五月一三日。エリス島には二日間しかいません。
 鶴見(俊輔) 二日間! ああびっくりした。もう少し長いような気がしていた。」
   同書,p.42

 ということは戦争がはじまってしばらく後,鶴見俊輔は,私が間違えて上陸してしまったエリス島の連邦移民収容所に文字通り,収容されていたのだ。いやはや。

 この本は,以前記した(ここです)交換船と開戦前後のようすが加藤典洋と黒川創により聞き取られたもの。これが出だしから,実に奇妙なのだ。

 「数年前に知った六〇年代のイギリスの歌にこういうものがあった。」
   加藤典洋 同書,p.7

 として掲げられる歌詞は,キングクリムゾンの「風に語りて」だ。次のページには「この歌はベトナム戦争を背景にしているが」と記されているが,いったい誰が,40年近く前に発表されたこの歌を,加藤典洋にベトナム戦争つながりと教えたのか,そちらのほうが気になる。

 今,p.62までしか読んでいないのだけれど,ここにもこんな一節がある。

 「私は日本人による明治維新は書かれていないという漠然とした感じをもっている。(中略)むしろ明治維新をメキシコ革命と比較してみたらどうですかと言いたいんだ。ジョン・リードの『世界を震撼させた十日間』よりも,『反乱するメキシコ』の方が面白い。そういう考え方を出すと明治維新のとらえ方も変わってくると思う。(後略)」

 って,鶴見俊輔は矢作俊彦の『悲劇週間』を念頭において発言しているとは思えないので,いや自分が聞いたり読んだり体験したりしたことがバサバサと引出しから出されるような感じをもったのだ。

追記:会社への行き帰りに読んでいたところ,かなり汚れてしまったので,知人に返すために結局,家の近くの書店で1冊買ってしまった。


05月30日(火) Madness  Status Weather晴れ

 YouTubeで80年代のバンドを検索しはじめると止めどない。昌己と「こんなのが載っていたぞ」とメールのやりとりもしばしばだ。このやりとりはさすがに他人には見せられない。

 ジョン・ライドン率いるパブリック・イメージ・リミテッドは,どれをみても日本のバンドっぽく映る。TOTOなどとは別に意味で当時,Musician's Musicianであった(はずの)PILだけど,数多の日本のバンドがゴーストとなって画面を覆っているような感じだ。Flowers of Romanceの別バージョンが聞けたのは儲け物。

 で,結局,マッドネスのビデオを繰り返し見てしまう。PVの出来の秀逸さはいわずもがな。90年代はじめ,復活を果たしたときのライブビデオ,マッドストックを見て甦るのは,「アドレナリンが毛穴という毛穴を固く閉ざし,心臓が一個の輝く氷塊に変わり,目の前の対手が平たい板っぺらに人型を張ったただのダミーに見てくる,あの感覚だ」。(マイク・ハマーへ伝言)
 ミラノの弟のアパートで見たのが先だったか,それよりも日本版がすでに出ていただろうか。

 この年になって,それもマッドネスのビデオを見ながらようやく腑に落ちるのは次のような一節だ。
 「気弱に迎えた夜,ヘミングウェイの著作を開いたときのような,ああ男に生まれてよかったという少々とんちんかんな感動を禁じ得ない」(複雑な彼女と単純な場所)


05月31日(水) It's Madness, too  Status Weather晴れ

 学園祭で洋楽コピーバンドをやることになったものの,さて,手持ちの曲などまったくない。すでに自分のバンドでYMOを演奏ることが決まっている裕一の言葉に甘え,彼の部屋に私たちは集まった。
 各人が候補曲をテープに録音してくることだけは決めたけれど,曲の選択に関してはまったく基準を設けなかった。演奏はしないけれど,裏方で手伝ってくれていたクラスの女性も交えて,それぞれの曲をチェックした。

 まず,その女性がもってきたテープに入っていたのはパワーステーションの“Some Like It Hot”だ。
 「誰と誰でこのリズム隊をコピーすると思っているんだよ」
 昌己がいう。
 続いて“Lonly Heart”のオーケストラヒットが聞こえてきたところで,申し訳ないものの,私はイジェクトキーを押してしまった。
 喬史が持ってきたテープの内容は何だったろう。スティングのソロと,マービン・ゲイなんてあたりかもしれないが,とにかく採用されなかった。昌己はジョイ・ディヴィジョンの“Atrocity Exhibition”とバウハウスの“Terror Couple Kill Colonel”。他に何曲かあったかもしれない。私はロバートフリップの“Under Heavy Manners”とオルタードイメージズの“A Days Wait”そしてマッドネスの“Our House”を持っていった。

 なんでもミュージカル“アワ・ハウス”ばかりか,フジロックにマッドネスが登場するらしい。来日なんて20数年ぶりではないだろうか。“アワ・ハウス”は弟がロンドンにいた頃,とてもよかったと連絡をもらった記憶がある。
 さて,どうしたものだろう。

 学園祭で演奏したのは“Atrocity Exhibition”と,“Terror Couple Kill Colonel”,“Under Heavy Manners”の3曲だった。



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